舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第33話 天飛ぶ彼女の画龍点睛

 私の目の前で、煌々と輝く画面。

 

 クリップボードに絵ばかりを描いていた私は、いつの間にか画材を買うようになっていた。

 

 厳選された素材で作られたカンバスは、学校や家で貰った裏紙なんかとは全然違う描き心地。

 それでも飛龍さんに見て貰えない作品の数々は私を満たしてくれなくて。

 

 だから筆の種類も画材も、ころころと変わっていった。最後には物語を描くこともしてみた。まあ結果は……散々だったけれど。

 

 そして今、私の画材はこの小さな窓の中にある。

 イチとゼロで作られた仮想の空間に置かれた仮想の画材。それはデジタル絵という奴で、秋雲の原稿を手伝う都合上始めた新しい形の画材。

 私はそこに、初めて自分のデータを作った。

 

「あれ、風雲なに描いてんの? もしかしてオリジナル?」

 

 秋雲が此方を見ながら聞いてくる。それは何処かの誰かみたいに無遠慮に覗き込むわけではなくて、おかげで私はこの画面の白さを知られずに済む。

 けれど覗きはしなくても絵の内容は気になるよう。何往復かした会話の後で、私は白状することになる。

 

「雲を、描いてるの」

「くも」

 

 オウム返しに言った秋雲。

 私は気を紛らわせるようにペンを走らせて、それからすぐにキーを叩く。

 取り消し、取り消し、すなわち削除。

 

 どんな線もあっという間に消せてしまうデジタル画材はなるほど便利で、それだけに素っ気ない。

 そんなことを繰り返すうちに、時間だけが過ぎていく。

 

 どれほど経った頃だろうか、秋雲が再び私に声を掛けてくる。

 

「風雲、イラスト描くのもいいけどさぁ。そろそろ準備しないと」

 

 秋雲はそう言いながら電子機器を梱包した段ボールを持ち上げる。

 グアムの奇襲攻撃に端を発した騒動は、第9護衛隊群、つまりマリアナ諸島に駐留する国防軍の再編成に繋がった。

 

「そういう秋雲は随分と準備が早いじゃない」

「でしょ~? 秋雲さんってば優等生なのさあ」

「……」

「な、なによその目! 別に夕雲さんに呼び出されたとかそんなんじゃないんだからね!」

 

 秋雲が荷物をまとめていることからも分かる通り、私たちはグアムから別の基地への転属が決まった。第9護衛隊群がなくなった後のマリアナ諸島は、本土を護っている護衛艦隊……つまり第1から第4の護衛隊群が持ち回りで警備するのだとか。

 

 それは良いことなのだと思う。なにせグアムは訓練海域ひとつを借りるのですら大変だし、基地は狭いし。

 それなのにどうして、こんなに苦しいのだろう。

 

「ねえ秋雲。国防意識ってなんなのかな」

「え? そりゃ……国を守りたいとか、そういう気持ちのことを言うんじゃない?」

 

 そうだろうか。

 

 

『――――――国防意識に燃えて。なるほど、そのきっかけは?』

 

 かつて面接官に言った国防意識(わたしのうそ)

 

『なんであなたは、国防大学に行かなかったんですか』

 

 岸波に見抜かれた。私の嘘。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「国防意識に燃えたんだよ」

 

 あの日。オテロ半島の先端に立った飛龍さんは、そう言った。

 その言葉、飛龍さんの国防意識というのは、たぶん本物で。

 

「私もね、()()()()さえなければ風雲と同じだったのかもしれない」

 

 飛龍さんが、そんなことを言う。

 

「お給料のために働いて、貯めたお金で蒼龍と豪遊して、バカ話に華を咲かせてさ」

 

 そんな艦娘として、最後まで適当に中途半端にやってけたのかもしれない。飛龍さんがそんなことを言う。

 

「でもさ。燃えちゃったんだよ、国防意識に」

 

 それは私の知っている飛龍さんではなくて、寂しげに笑っていて。

 

「例えこの身が朽ち果てても構わないってぐらいにさ。朽ち果てても国はなにも私にしてくれないのにね。ロクなものじゃないよ」

「そんなこと!」

 

 その言葉は、やっぱり私の嘘。飛龍さんは私を真っ直ぐに視て言う。

 

「あなたが憧れたのは、もしかして()()()だったんじゃないかな」

 

 だったらあなたは愛国者にはなれないよ、と飛龍さん(あなた)は私を否定する。

 

「だってあなたには絵がある。その世界を映せる絵がある」

「そんなものは」

 

 

 ない。この世に存在なんてしなかったのだ。

 だってそれは、全部、飛龍さん(あなた)に見せるためのモノで。

 

 飛龍さんは困ったように手を伸ばす。それが私の頭に触れる。

 

「じゃあ、風雲ちゃん。私の雲を描いてみて? あなたがなりたかった『風雲』を」

 

 それは、空を舞う龍に従う雲のこと。

 私がなりたかった、艦娘の姿。

 

「それが描ければ、あなたの絵がどんなものか、あなたは理解できるはず」

「意味が……意味が分からないですよ飛龍さん!」

 

 私がそう言うのに、飛龍さんは大丈夫だよと笑うだけ。それからどんどん言葉を紡ぐ。

 

「私はね……罪を犯したの。国防意識に燃えてね」

 

 だからね風雲ちゃん、あなたにはそうなって欲しくない。私みたいになって欲しくないの。飛龍さんの言うことは支離滅裂。私の理解はどうでもいいと言うように続けていく。

 

「私はね、あなたのお母さんでも何でも無い。だから私はあなたに艦娘を辞めろとはいえない、同じように絵を描くのを辞めろともね。でもね、これだけは覚えておいて」

 

 

 ――――――海は涙で、満ちたか?

 

 

 それは、なんの脈絡もない言葉。表情を固めた私に、飛龍さんは続ける。

 

「この言葉を聞いたなら、何が何でも逃げ出しなさい。アレに触れてはいけない」

 

 そう言うと、飛龍さんは私を抱きしめる。

 もう何が何だか分からない。でもそれでも、それが飛龍さんの別離の挨拶なのは分かってしまって。私は言葉すらも出せなくなる。

 

「あなたに出会えたことは、私の最期の幸せだった。だからこれはね、最後のお節介」

 

 その言葉を最後にして、飛龍さんの温もりが私から離れる。後に残ったのは、どこまでも続く太平洋と澄み渡る空と――――――空を裂くような、回転翼機の轟音だけ。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「オスプレイ……米海軍の国籍円形章(ラウンデル)……」

「ん? 星に丸に2本の線でしょ? それがどうかしたの?」

「ううん、なんでもない!」

 

 

 絶対に、絶対になにかあったんだ。

 

 

 それだけは分かっていること。

 飛龍さんはなぜ私の前に現れたのか、どうしてあんな風にいなくならなければならないのか。

 その答えは、今みたいな中途半端な私では掴めない。

 

 

 だから。

 

「風雲~、私そろそろ夕雲さんの所に行ってくるけど……風雲?」

 

 秋雲が私の顔を覗き込んでいる。

 私は分かりやすい顔をしているのだろう。秋雲の顔は心配そうで、どこか強ばっていて。

 

 だから私は、飛龍さんみたいに微笑んで答えるのだ。

 

「秋雲。私、絶対にやり抜いてみせるから」

 

 飛龍さんに貰ったリボン。それを握って。よく分からないような表情をして秋雲は曖昧に頷く。

 

 あんなに優しい飛龍さんを消してしまうような存在が、この世界の何処かにいる。それを突き止めるには私も飛龍さんになるしかない。

 

 飛龍さんは、きっとこの決断を嘆くのだと思う。ふざけないでって、怒るかもしれない。

 

 だけれど私は、やっぱり飛龍さんに憧れてしまったから。

 飛龍さんみたいになりたいと願ったから。

 

 

 

 だから私は、着いていきます。

 

 

 例えそれが、空の上だろうと――――――海の底だろうと。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 生きていくこととは出会いと別れの物語である。

 悟ったようなことを言うには些か私は年若いように見られるかもしれない。

 

 だが夕雲型駆逐艦の長女『夕雲』の名を背負って戦っていれば、出会いも別れも嫌というほど経験する。

 

 望んでいようが望んでいまいが関係はない。

 悲劇だろうと喜劇だろうと容赦なく降りかかる。

 

 だから私の元に新しく部下が来ると言われても感慨なんて湧かなかった。湧かないはずだった。

 

 

 そう、数ヶ月前のあの日。この場所で。

 

 晴れた日のことだった。幹部詰め所にやってきた護衛隊(ユニット)の補充要員。その代表としてやってきたらしい彼女。

 

「秋雲でっす。まー、どーもよろしくお願いしますぅ」

 

 へらへらと似合いもしない人懐っこい笑みを浮かべながら少女は名乗る。

 軽薄で馴れ馴れしい。人の神経を逆撫でしてくる声。

 

 しかし私が抱いた感情は苛立ちではなく、警戒。

 秋雲。そう名乗った少女に射貫くような視線を投げかける。

 

「えーっと。こういう感じの掴みでいこうとしたんだけど、ダメですかね? ちゃんとやり直した方がいいですか?」

「……いえ、構いません。私は夕雲。夕雲型駆逐艦の夕雲です」

「おお! 夕雲サン、ね。初めまして。これからどうぞよろしく」

「初めまして、ね。ええ。そうでしょう」

「……およ? えっとごめんね。前に会ったことってあった? 一度でも会った人のことは忘れないようにしてるんだけど」

「いいえ。つまらないセンティメンタリズムです。私たちは今、初めて会いましたよ」

 

 そういうことにしておけ、と。

 

 私たちは()()()()()()()()()。初めて会ったことにしろと。私はそんなふうに解釈しようとして――――――あまりに純粋な彼女の瞳に違和感を覚えたのだ。

 

 

「……けれど、やっぱり()()()()()()()秋雲(かのじょ)だった」

 

 あの時は秋雲(かのじょ)じゃないと思った。その直感は間違っていなかった……と、思う。なにせあまりにも記憶にある彼女と目の前にいる彼女は乖離していたから。

 

 ()()は人のことをどこかで小馬鹿にしていて、そのくせ悟ったような口ばかりを言う人だった。

 あんなピュアで人受けのことを考えるような人じゃなかった。

 

 そういう設定(カバー)を被っているだけなのだろうか。恐らくそうなのだろうと、私は考えることにしていた。

 

「……なのに、この結果はなに?」

 

 目の前に積み上がった報告書を見て思う。数日にわたり実施された不毛な捜索、黙殺された数々の陳情書。

 グアム襲撃に始まった空母〈飛龍〉との遭遇、そして脱走劇。いずれにせよ誰かが責任を取らねばならないだろう。

 そしてもちろん責任を取らされるのは日本側。

 

「おまたせ夕雲サン。なんの用?」

 

 それなのに、彼女は今日もへらへらと、人懐っこい笑みを貼り付けている。

 だから、そのカバーを引き剥がしてやりたくなった。

 

 八つ当たり? 八つ当たりだとも。

 

「秋雲さん。少し付き合ってもらえるかしら?」

「……なんだろ。すごーくイヤな予感がするんですケド」

「大したことではありませんよ。ただ、命を預けあう部下のことを改めて知りたいというだけのお話です」

「えぇー……。あ、秋雲サンってば少しばかり用事が……」

「私の権限でその用事をキャンセルして差し上げましょう」

 

 逃げるなよ、と笑顔できっちり釘を刺せば、がっくりと肩を落とす秋雲。

 

 なるほど1等海尉という階級は便利なものだ。

 立場ばかりが上に行くことをずっと億劫に感じていたけれど、まさか上に行けてよかったなんて感じる日が来るとは。

 

 

 

 

 

 

「――――――で、どうして剣道場なんですか」

生憎(あいにく)と実力を計るならこういう手段が最も手っ取り早いので」

 

 秋雲さんを強引に更衣室へ押し込み、道着に着替えさせるのは少し難儀だった。

 仕方がないので「私が着替えさせてあげましょう」と脅し――――――もとい手伝いを申し出たことで状況は一変。

 引き攣った笑みを浮かべて大人しく秋雲さんは道着に着替えたのである。

 

「準備はよろしいですか?」

 

 木刀はいくら艦娘だとしても危険なので竹刀を秋雲さんに手渡して、私も左腰へ引き付けるように持つ。

 

「あの、面とか小手とかは……?」

「胴と垂はありますよ」

「小手はこの際置いといて、頭は守らないといけないのでは!?」

「大丈夫ですよ。竹刀なので死にはしません」

「いんや痛いじゃん!」

「死にはしません」

 

 竹刀で人は殺せない。

 少なくとも生身で受けたとて、艦娘の頑丈な身体に後遺症を残すようなことは絶対にない……いざとなれば、霊力回復でどうとでもなる。

 そう言ってやれば顔を真っ青にする秋雲さん。皮膚の裏まで血の気が引いていそうだけれど――――――さて、それは本物の顔だろうか?

 

「冗談ですよ。有効打は胴のみです」

「最初っから面も小手もつければいいんじゃ……」

「略式で十分です。面をつけるとセットした髪が崩れますし、小手はネイルを塗ったばかりなので」

「それ夕雲サンの事情だよね! ねえ!?」

 

 涙目で訴える秋雲さんを放置して私は中段に竹刀を構える。

 

 嘘も方便、本音と建前は使い分けるものだ。

 髪は確かにセットしているけれど、面をつけさせなかったのは秋雲さんの顔を()()()()()()()()()

 小手を付けさせなかったのは力の入り方を()()()()()()()()()()()()()

 

 人は焦れば身体に出る。目が泳いだり、握る手に力が入ったり、呼吸が乱れたり。

 そんな一挙手一投足を見逃さないために適当な建前で迎え撃った。

 

「はじめ!」

 

 しんとした無人の道場に私の声が響く。ごねても無駄らしいと悟った秋雲さんがようやく竹刀を嫌々な様子で構える。

 

 さぁ、はじめましょうか。

 秋雲さんの目から視線は絶対に外さない。

 ありありと戸惑いを浮かべた彼女へ、ひとまず私は様子見の一打。

 

「やあーっ!」

「ちょ、いきなりっ!」

 

 突きのフェイントを混ぜた逆胴。釣られかけた秋雲さんは、しかしギリギリで反応して防いでみせる。

 

 悪くない反応速度。

 でも見たいのはそれじゃない。

 

「ねえ、これ本当にやる意味あるの!?」

「ええ。ほら、次です」

「ちょ、うわっ!」

 

 私に見せろ。そのヴェールを脱ぎ捨てて、さらけ出せ。

 

 突き、胴、逆胴。

 フェイントを噛ませながら私は打ち込みを続けていく。

 攻勢に出ている私に対して秋雲さんはといえば防戦一方。とにかく防ぐことに必死なようで、ギリギリで受け続けている。

 

 杞憂だったのだろうか。私が神経質になっていただけの話だったのだろうか。

 

 だとするなら付き合わせてしまった彼女には申し訳がない。

 もうこれくらいにしましょうか。そう切り出そうと彼女の瞳を見た瞬間。

 

「あの、さ。聞きたいことあるなら口にしなよ」

「……ッ?!」

 

 私の背に()()()()()()

 

 さっきまでの困惑と軽薄さ。それがいつの間にか消えていた。

 置き換わるように現れたのは暗黒。何一つとして読むことのできない不気味なそれが眼の奥に揺蕩っている。

 

 すぐに打て。それは艦娘としての、いや生物としての本能。

 

 思考を飛ばして身体が先に動く。命じられるがままに、全身全霊の一撃を放つ。

 そして動いたのは秋雲さんも同じ。

 

「……っ!」

 

 ぱしん! と小気味のいい音が出て、手を離れた竹刀が道場の床に叩きつけられる。

 

「はぁ、は」

 

 呼吸の音をこぼすのが精一杯。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 私が叩き落したのだから当然。だが一瞬の交錯の軍配が私にあがったとはとても言えない。

 

 確かに秋雲さんの竹刀を叩き落したのは私だ。

 けれど、竹刀を握っている両手は秋雲さんの右手が()()()()()()()()

 

 そして空いている彼女の左手。それが私の左肩にそっと置かれている。私の首筋に少しだけ触れた小指は、まるで真冬の海みたい。

 

 あの一瞬。ギリギリで私の理性は働いた。このまま生身を打ちつけるなと。

 

 だから私は秋雲さんの竹刀を狙った。追いついた思考に従って彼女を無力化しようとした――――――それを見越して、秋雲さんは()()()()()()()

 

 空中に置かれた竹刀、想定よりもずっと軽い竹刀を吹き飛ばしてしまった私には、当然ながら隙が生じる。

 その間に彼女は私の手を抑え、急所である首の真横である肩に手を置いてみせた。

 

 あまりにも滑らかで自然な動き。まるで彼女の周りだけ、摩擦が消えたよう。

 

「グアム襲撃事件は結果にすぎない。襲撃は目的じゃなくて手段だった」

「なに、を……」

「思い出してご覧。グアムの襲撃によって9護群の司令はどうなった?」

 

 囁くように耳元で続けられる言葉に私は言われるままに思考を回す。

 9護群――――――第9護衛隊群。グアムにサイパンといったマリアナ諸島周辺防衛の全権を担っている部隊。いや、()()()()()

 

「……グアム襲撃事件によって9護群が管轄していたエリアには本土からの艦娘や人員が派遣されてきた。増援という名目で」

 

 けれど、その結果として部隊は無実化された。所属部隊の大半は引き抜かれ、9護群の影響力は確実に削がれた。

 

「で、今の司令官は誰だと思う?」

 

 その言葉で記憶が蘇る。上司との飲み会(たんじゅうじん)で聞かされたミクロネシア戦役の自慢話。彼は元8護群の所属。そしてマリアナ諸島といえば――――――旧8護群の管轄海域で唯一残っている地域。

 

「これは延長戦。護衛艦隊(艦隊派)哨戒艦隊(艦娘派)による、()()がはじまって以来ずっと続く諍いのね」

「まさか、あなたたちは……!」

「でも、これすら副次作用だ。あの時、グアムから消えたものはなんだった? 防衛隊の装備や人員なんかよりも大事だったものと言えば?」

 

 グアム襲撃事件で失われたものは多い。人員、施設、装備。グアム本島への攻撃こそ防いだものの、払った犠牲は少なくない。

 そんな犠牲を差し置いても――――――大事なものが消えたといえば。

 

「まさか!」

「海は涙で満たされた。満たされたから、水底の龍は舞い上がってきたのさぁ……」

 

 飛龍。ある艦娘の名前が私の頭には浮かんでいた。長らく行方をくらませていた彼女が突如として現れ、そしてまた去っていった。

 

 一度は捕縛された彼女。グアムの襲撃とタイミングを同じくして現れて、大人しく捕まっておきながら突如として逃亡した。もちろん足取りは不明のまま。

 

 最初から逃げるつもりなら姿を晒す必要はなかった。

 ならば、姿を表に出さなければいけない事情があったと?

 彼女は「水底の龍は舞い上がってきた」と言った。それが()()()()()()()()()、彼女はしばらく表に出ていない……ということは。

 

「欲していたのは情報だった……?」

「ぴんぽーん。いいねえ、正解だよ」

「でも誰が……」

 

 誰が流した。一体、なんの得があって。

 

「さぁて、考えてみよっか。グアムには8護群のお味方サンしかいなかった?」

「あの地域は日本が防衛を担っています。彼女に情報提供したところで得があるとは……」

「アメリカもいるよ?」

 

 それも、グアムなんて辺境の地に飛ばされるようなね。秋雲さんがそんなことを言う。

 

 確かにグアムは辺境だ。けれど同時に、米国の数少ない大陸外領土であり日米同盟における最後の結節点でもある。()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()

 

「ひっどい事故だったよねぇ。選挙戦直前のエアフォースワン襲撃、別の場所に居た副大統領もドカン……米軍のお偉いさんも沢山左遷させられる羽目になった」

 

 その受け皿がハワイだったと。ハワイはそういう場所だと?

 

「夕雲さん、考えてもみてよ。天下のアメリカが『在米日軍』なんて戯れ言を許すと思う?」

 

 在米日軍――――――9護群(かれら)こそ米国(アメリカ)が派遣した監視役(てさき)だったのさと、秋雲さんは嗤う。

 

「……でも、それもこれでオワリ。これからのマリアナは護衛艦隊(本土組)が取り仕切る。()()は解放された」

 

 情報提供はその見返りってワケと締める秋雲さん(かのじょ)

 確かに、風雲さんは飛龍が米軍の尋問を受けていると零していた――――――その尋問が情報提供だった。いやむしろ、それは作戦会議のようなものであったということか。

 

「じゃあ、私に()()()()()()()()()のは……」

「そ。本当の仕事はこれからだよ」

「待って! 本当の仕事って……」

 

 私が言い終わるよりも早く。かくん、と秋雲さんの頭が落ちる。まるで寝落ちしてしまったように力を失った彼女は、しかしすぐに再起動をしたようで顔をあげた。

 

「うわ、竹刀あんなとこに……」

 

 そこにはもう、さっきまでの剣呑な色彩はない。頭を掻きながら起き上がる彼女は無防備そのもの。

 

「夕雲サンもさぁ、そこまで本気出さなくてもいいじゃん」

「…………え、ええ。ゴメンなさい」

 

 よいしょ、と竹刀を拾い上げている様子に氷のような緊張感はない。秋雲さん(今の彼女)の皮のしたに、つい先程まで纏っていた秋雲さん(先程までの彼女)が隠れているとは思えない。

 

 それなら、今目の前に居る彼女は。

 ()()()()()()()()

 

「もう行ってもいい?」

「……そうね。付き合わせてしまって申し訳なかったわ」

「いいケドさ。今度から秋雲サンのことを知りたかったらデートとかにしてよね」

「検討しておくわ」

「ん。それじゃあね」

 

 ひらひらと手を振ってから去っていく彼女。

 

 この世界はきっと。もうとっくの昔からおかしくなっている。

 その世界の中、私はひとり置いていかれていた。

 

 

 そう、あの時と同じように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 本稿は2019年8月9日に初頒布した同人誌「水底の龍に風は吹かぬ」を加筆再編集したものです。

 シリーズ最新作にて完結作は2022年12月30日「コミックマーケット101」にて先行頒布を予定しております。よろしくお願いします。
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