「やっぱりあなた、面白いわね」
普通、深海棲艦って聞いたら真っ先に銃を抜いたりするものだけれど――――そんなことを彼女はけらけらと笑って言う。
それを見て、面白いのはどちらだろうと独りごちる私。
恐らく彼女が深海棲艦なのは間違いない。
彼女が纏うオーラはまさにこの熱気と瘴気と硝煙に相応しいと言うべき呪いを孕んでいたし、この最前線で研ぎ澄まされた艦娘としての嗅覚も目の前の彼女が深海棲艦であると告げている。
ヒト型。
映像資料としても殆ど捕らえることの出来ない深海棲艦の上位個体がそこにいる――――なるほど、確かに討伐できれば大金星だろう。
「……私の仕事は、守ることです。深海棲艦を倒すことではないので」
この発言を聞いたら、多くの人間は卒倒するのだろうなと私は思う。
深海棲艦は忌み嫌われ、憎まれる存在。なぜそうなのかと言えば人間を殺したから。
関連死を含めれば億を優に越えてしまう犠牲者の数。
それが深海棲艦を「恨むべき存在」へと昇華させているのだ。
「みてたわよ。ずっと」
何をと彼女は言わない。
ただそれは、今の私には救いに思えた。
深海棲艦は人類の敵だけれど、今の私には人間こそ人類の敵に見えるから。
「お笑いになりますか」
「まさか。あなたは良く頑張っている、立派よ」
「艦娘のことが嫌いになりそうでもですか」
「別に? それはあなたの勝手だしね」
それもそうかと納得して、私は腰を下ろす。それは気を許したのではなく、ここで彼女に殺されるならそれでも構わないという考えからだった。
「憧れていたんです」
「憧れるようなものじゃないわよ」
「ですが、私の家族を助けてくれた」
「へぇ、今は災害派遣に艦娘なんて投入してるんだ。だいぶ余裕が出来たのね」
実際には事情があった――――なんてことは、わざわざ彼女に言う必要はない。私は害意を持っていない相手に話を聞いて貰っているだけで、何も利敵行為を……そこで自分が「言い訳」しようとしていることに気付いて、自分に嫌気が差す。
結局わたしは、今でも鼻持ちならない幹部サマなのだ。
そんな自己嫌悪が、私の舌を軽くする。
「……あなたは、あなたたちは
「なにそれ、そんな名前で私たち呼ばれてるの?」
知りませんよ。単なる知性の高い深海棲艦でないとか、今こうして平然と
投げやりになった私は、放り出すように次の言葉を継いだ。
「私たちの任務は貴女方を討伐することなんですよ」
「ふぅん。それは私が霞ヶ関を焼いたから?」
「――――――――ッ!」
しれっとその口から出た言葉に私が驚いた理由を、果たして彼女は理解できただろうか。いや出来ないに違いない。
「なぜ貴女が、その名を知っているのですか」
霞ヶ関。東京都千代田区の住所であり、国会議事堂を始めとする政府関係の建物が多く存在することから日本政府の代名詞としても用いられる。
しかし
それを知っている? あり得ない。
けれどそのあり得ないものと、私は今向き合っている。
なぜ、どうして。それとも――――
目を見開いた私をみて、あーなんか勘違いしてるわねと彼女が言った。
「わたし、日本人よ?」
「………………………………は?」
今、目の前の
「ああそっか。分かんないよね、私もあなたと同じ艦娘だったの」
訳が分からない。というより、理解が追いつかないと言うべきか。
「深海棲艦がどういう経緯で見つかったか知ってる?」
そして彼女は、今からそれを理解させてあげると言葉を投げてくる。
「ある海洋学者がね、新種の生物を発見したの。今で言う『霊力』を扱うことの出来る新種の生命体……それが、深海棲艦の大本と言われているわ」
私はもう、何も考えずにそれに乗っかることにした。
それらはあまりにも現実から遠のいていて、なにか嫌な夢を見ているよう。思い返してみれば、あの阪友金属のハゲから訳の分からない任務を手渡されて以来ずっと悪夢を見ているようだった。
「別に異世界から来た化け物ってワケじゃないのよ。だったらそれは人類にも応用できる。そうして生まれたのが私みたいな
彼女の話の真偽はどうでもよかった。
問題なのは深海棲艦が人語を解すること、そして日本人であると名乗っていること。
そんな人間が、人類に牙を剥こうとしていること。
「私たちの目的は、人類を勝利に導く事よ」
だからこそ、その言葉の意味が分からない。
呆けた私に彼女は笑ってみせる。それはまるで人間がみせるような、力のない哀愁漂う笑顔だった。
「なによ。日本を震撼させたヒト型深海棲艦は大悪党の方が良かった?」
押し黙る私に、そう思われてるなら流石に傷つくわよと彼女は続ける。
「ですが、私がアレが正しいことだとは思いません」
「うん。そうかもね」
でもそれはあなたにとっての正しさだ、そう白い彼女は続ける。
その視線は何処か遠く、星々の海へと注がれている。
「正義ってのは、夜空の星みたいなものよ。みんなキラキラしていて、他の輝きを邪魔し合っている。強く輝いていなくても、近くにあれば大きく見える……あなたにとっての正しさは、私にとっては顧みるに値しないモノなの」
「あなたも、否定するんですね」
みんなそうだ。みんな自分の事ばっかり。
自分の都合でモノを決めて、自分の勝手でヒトを弄んで……そうやって、私の全部を否定しようとする。
それとも、私が否定されていると感じることすらも身勝手だと?
私の都合で被害者ぶるなと、彼女は言うだろうか。
「否定はしてないわよ。受け入れられないだけ」
つまり、今のあなたと一緒よと。そんなことを深海棲艦に言われる。
それは今の私にとってはあまりに不都合な――――そして自分勝手な――――現実。
受け入れられないなら立ち向かうしかない。
隣に立てないのなら、憎み合うしかない。
「じゃあ私たちは、殺し合うしかないんですか?」
「そうとも限らないわよ? 受け入れられないなら遠くで暮らせばいいのよ」
しかし今回に関してはそうはいかない。
目の前の彼女はアジア連合軍の観艦式を妨害しようとしていて、私はそれを守る立場。
相容れないどころか、真っ向から対立する立場にある。そう伝えると、彼女はきょとんと首を傾げてみせた。
「観艦式? 私は襲わないけれど」
「…………はい?」
先ほどの、日本人発言ほどは驚いたつもりはない。
けれど驚かなかったからこそ余計に私は混乱した。襲うつもりがない?
では一体、彼女はここへ何をしに来たというのか。言ったでしょと彼女は嗤う。
「『人類を勝利に導く』って。貴重な戦力をすりつぶさせてどうするのよ」
そう言いながら彼女は、近くに転がっていた棒きれを拾うと懐からペンライトを取り出し――――そんなもの持っているのかと愕然とする私を余所に――――地面にインドシナ半島の地図を書いてみせる。
「
要するに
それはインドシナ半島の先端、マレー半島のすぐ側にあった。
「マレー半島は穀倉地帯であるチャオプラヤ・メコンの両地域を守るのにはうってつけの場所よ。インド洋から来る深海棲艦をここに惹きつけ、地上に上陸して柔らかな腹を剥き出しにしたところで空から叩く……」
それはまさに、今日行われた行為そのもの。
合同作戦で彼らが爆撃機を出し渋っていたのは、国のメンツよりもむしろ効率の問題なのだと私は今更……違う、本当は気付いていたけれど。考えないようにしていたのだ。
だって上陸して、誰かを襲っている隙に爆撃するなんて――――――正しくない。
「納得いってなさそうね」
「理屈は分かります。ですが……」
「いいのよ。納得は全てに優先するって、誰かが言ってたしね」
そう言いながら彼女はその仕組みを説明していく。
なるほどこうして聞けば、アジア連合軍はよく考えられている存在だ。
マレー半島さえ犠牲にしてしまえば穀倉地帯だけでなく、その後背に位置する内陸各国も守られることになる。
つまりほとんどの加盟国が損害無しで深海棲艦の襲撃を乗り切ることが出来るということ。
これほど合理的なシステムもないだろう。
多くの国が平和を享受し、
聞けば聞くほど、考えれば考えるほど腹立たしい。
「もちろん。利益を得られるのは加盟国だけじゃないわ。例えば日本なんか、インド洋から来る深海棲艦を気にせずに済むから……」
「もう、やめてください」
「アジア連合軍のおかげで日本は太平洋戦線に集中できる。これは逆も然りよね」
「やめてください!」
聞きたくない。聞きたくない。
まるで日本まで、私たちまで共犯者みたいに言わないでくれ。
私たちが何をしたっていうんだ。
アジア連合軍の所業は、アジア連合軍がやったことであって。
それともまさか、そこまで責任を持てって言うのか。この私に?
「考えすぎなのよ。でも、考えずにはいられない。そうでしょ?」
否定のしようがなかった。否定する理由もない。
目の前で街が消えた。
家族を奪われたヒトがなお暴力に晒されて、そして。
私たちは、そんな景色を知らずに――――――平和を、享受してきたんだ。
「今、人類は酷い状況にある。限られたパイを巡って争うならまだマシ、どんどん減っていくパイの損を誰に押しつけるかだけ考えている。滅亡は時間の問題よ」
人類の総人口が減少に転じていることは知っている。
一度は鈍ったそのペースが、再び加速していることも。
「確かにアジア連合軍は失敗した。日米の
だから、私は今のインチキをぶっ潰しに来たの。
目隠しして滅びに向かう未来を変えに来たと、信念を持っているらしい彼女が言う。
それを聞いていた私は、自然と彼女に聞いてみたくなった。
「……なにを、するんですか?」
「マレー半島から防壁としての役割を奪う」
それは、あまりにも大胆な提案。クラ地峡って知ってるかしらと彼女が言う。
「昔、ここに運河を通そうって案があったの。インド洋と南シナ海を直接結ぶ大運河……この建設手段として、水爆の投入が検討されたそうよ」
「まさか……!」
参考になればと思って聞いていた脳漿が沸騰する。意外かしらと深海棲艦が嗤う。
「米国が
私は怒りを抑えるのに精一杯だった。
けれど、その怒りを「納得」させるためには――――――もうひとつだけ、確認しておかないといけないことがある。
「……だとしても、です。空からでは、大地を吹き飛ばすことはできませんよ」
「もちろん。大事なのは
そしてその事実は――――――私の何かを壊すには、十分すぎた。
「ぁ、ぁ…………」
私の手が動く。
それは訓練で何度も繰り返した動作。
外す、抜く。
スライドを引いて薬室に送り込む。構える――――引く。
真っ赤に燃えていた。
それは私の感情で、火薬が燃え切った後の熱で。
拳銃の保護材すらも貫通するような熱で。
「――――――それで? 満足した?」
後ろにスライドして固定された拳銃の向こうで、彼女は笑っていた。
さも当然というように全部の9mm弾を受け止めて、その端正な顔に傷ひとつ付けることなく。
「言っておくけど、私は止められないわよ」
もうやめて。
おねがいだから、これいじょう。
私の口から零れる願望を、彼女は聞いてくれない。
そうだ、いつだって。
私の願いを聞いてくれるヒトなんてどこにもいなかった。
願いが叶うかは相手の都合次第。
私と相手の「自分勝手」が一致したときにだけしか、願いは叶わない。
「なんで、なんで……どうして!」
叫びたかった。叫んでも叫び足りなかった。
私は目の前の彼女すらも倒せない。
凍り付いたように手がグリップに張り付いて、離れない。
「どうしてこんなこと!」
「決まってるでしょ」
彼女が背を向ける。震えて思い通りにならない脚を抱え込む私に、一言。
「愛する
私はもう何も言い返せない。
これは理屈じゃないから。
目の前の邪悪としか言いようのない存在から、愛という言葉が零れる。
ならいったい、お前はどうして
これが、これが私の――――――生きている世界だというのか。
膝をつく、胸を押さえる。
硬い金属製の何かが、焼け払われた街の跡地に落ちる。
苦しかった。胸がつかえて、喉の奥がヒリヒリして。
思わず抑えた口の端から、酸っぱい液体がこぼれ落ちる。
「――――――!」
嗚呼、嗚呼。私は生きている。
誰かを犠牲に作った穀物、命を潰して作った主菜。
誰かの大切なものを、原型も留めないほどに変えてしまったナニカを腹に収めて生きている。
それは酸っぱい液体と一緒にかき混ぜられて、私という存在に置き換えられる。
嗚呼、嗚呼。どうして私は生きているのだろう。
ただ生きているだけなのに場所を取る。私のせいで誰かが犠牲になる。それは苦しくて、酸っぱくて、もう、なにも。
手のひらからこぼれ落ちていく。
それはこの地球に住んでいたはずの命。
私が殺してしまった――――――私が、無駄にしてしまった命。
思えばどうして、私は重力に逆らっているのだろう。
水の上に立つ必要なんてなかったはずなのに、海に沈んでしまえばよかったのに。
それとも、この苦しさに身を委ねれば。私はどこかへゆけるのだろうか。
「夕雲ッ!」
瞬間、首根っこを掴まれる感覚。
口にナニカをねじ込まれて、すぐに舌を引き千切ろうとするような勢いで引っこ抜かれる。胸の中でなにかが炸裂して、爆ぜる。
「がほっ、ごほッ! ごほっ!」
「気をしっかり持って! 全部吐き出して!」
「うっ、あッ! あああっぁ!」
苦しい。苦しい苦しい苦しいよ。それなのに私は、まだ生きている。
身体中の水分が沸き立つようにして、私に生きろと伝えてくる。
全部吐き出せ、空気を吸え。そうしないと死んでしまうぞと、そう叫ぶ。
「……もう、もう」
ゆるしてください。
こんな私を。
いきていてごめんなさいって、あやまるから。
「落ち着きましたか、とは。聞きません。私の声は聞こえますか?」
返事をする気力もなかった。首を重力に従わせて落とした私に、彼女――――――私と、今日まで
「夕雲さん。あなた本当に、向いてないですよ」
知っている。でも、私はなりたかったんだ。
誰かを助けられるヒトに、そういう立派なヒトに。
「ブラックスワン、あのひとの、狙いは……」
「ええ。失礼ながら聴かせて頂きました」
そして、分かっているでしょう?
艦娘はもう、何も言わずにそう語りかける。
そうだ。私の国は
そうすればもう、海峡を挟んでの睨み合いなんてしなくて済むのだ。
米国が撤退して以来の平和が、きっとこの国に訪れる。
「わたしたちは、なんの。味方なんですか」
正義の味方と、ウソでもいいから。言って欲しかった。
そんな甘えが許されるハズもないのに。
「国益の味方です。私たちは、国の益から給料をもらっていますから」
あくまで冷徹に、現実をつきつけるように。
「もう、イヤ」
「逃げたいですか?」
――――――でも、逃げられない。
本国に還っても、階級章を返上しても。
生きている限り、この現実からは逃げられない。
「夕雲さん。強くなって下さい」
肩に温かいものが置かれる。それはそっと広がり、私の背中をあたためる。
「どうか呑まれないで下さい。戦うための力をつけてください」
どうして? なんでまだ戦わなくちゃいけないの?
理由は一番自分がよく分かっていた。
もう逃げられないのだ。
口にするもの、目にするもの、全部全部が私を責め立てる。
ならそれを全部やっつけないと、終わらない。
「いや、いや……なんで、どうして?」
「世界は残酷だからです」
知った風を、そう返すには。あまりに。
「戦うことをやめたら、しんでしまうからです……!」
彼女の顔は、涙に満ちていた。