舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

40 / 129
第40話 日常たもつは誰がため

 東京都千代田区。日本列島に横たわる海洋国家、日本の首都中枢。

 

 関東全域へと延びる巨大な鉄道網の発起点である東京駅のコンコースは、少なくとも見かけ上は平静を保っていた。

 スーツに身を包んだビジネスマンがせわしなく足を回し、極めて簡潔で複雑な動線を縫うように進んでいく。

 その動きはまるで効率化の極地にある工場のよう。

 

 そんな巨大なうねりの中を、そんな私の手を掴んだ義妹はすいすい進んでいく。

 

「ハルナっ、もう少し、ゆっくり歩いて頂けマセンカ!」

「切符の新幹線まであと10分しかないんです。急ぎますよ」

「次の便でいいじゃないデスカー!」

「そうもいきません、北陸新幹線は全席指定ですから」

 

 復路の指定券が取れたのは僥倖でしたと、そんなことを義妹は言う。

 

「いまや関東圏の駅は、域外に脱出しようと考える人々でごった返しています。次の列車がある保証だってありませんからね」

 

 言われてみれば、確かにちらほらと見える荷物を抱えたヒトの姿。

 それも旅行者のようにスーツケース一つを転がすのではなく、いくつもの荷物を抱えた()()()たち。

 

「日本の物流網は優秀ですから麻痺しないとは思います。ですが物事に絶対はない……本当なら、政府が何らかのアクションを取るべきなんでしょうがね」

 

 先ほどからずっと、義妹はしゃべり続けている。

 駅に向かうタクシーでも。駅についてからも。誰に向かって話している訳でもないその口調は――――――きっと、他ならぬ義妹自身に向けられているのだろう。

 

 私の手を引く義妹は、ヒトの濁流を意にも介さず進んでいく。

 

 階段から吐き出された一団を華麗なターンでかわし、歩けばまるで向こうから避けるかのように道が拓けていく。相手の動きを予測する義妹の動きは、まるで未来予知のよう。

 

「このくらい、慣れれば誰でも出来ますよ」

「……」

 

 そして、思念通話者(サイコテレパス)でもあるらしかった。

 

 

 

 

 

 

「それで、どうして金沢なんデスカ?」

 

 私の問いに目線だけを寄越した義妹は、しばらく私を見つめてから窓の外へと視線を投げる。そこには昨日と変わらない東京の景色が広がっていた。

 変わってしまったのは、そこに住む人々だけ……いや、それを眺める私だけか。

 

『本日も北陸新幹線をご利用くださいまして、ありがとうございます……』

「お義姉様はこのメロディの歌詞をご存じですか?」

 

 車内放送のイントロを聞いた義妹が歌詞を勝手に口ずさむ。

 どうやら金沢に行く理由を話す気はないらしい。

 

 もしくは公共空間(ここ)では話せないということなのか。

 そんなことを考える私をよそに、鼻歌で気分を高揚させたらしい義妹は短く一言。

 

「私が金沢に住んでることはご存じですよね? それで十分なのではないですか?」

 

 十分ではない。

 十分ではないけれど、確かに十分なのかもしれない。

 

 カナザワ……ホクリク地方は、日本海に面している。ユーラシア大陸と日本列島に囲まれた日本海は、今の人類にとっては数少ない「安全地帯」だ。

 

「デモ、9年前だって疎開しろなんてダーリンは……」

「状況が違うんですよ」

 

 私の力の無い反論を、義妹はバッサリ斬り捨てた。

 

「あの時ならお義姉様は取り乱さなかったはずです」

 

 どうして、なんて聞くことは出来ない。

 そんなことは自分が一番良く分かっていることで。

 

 言い返す力が欲しくて、私は小さく唇を結んだ。

 

「……当たり前デス、(ノゾミ)を不安にさせるわけにはいきマセンカラ」

「そしてノゾミちゃんは国防大学校でご奉公の真っ最中……お兄様が直接()()()()理由も分かりますよ。説明もなく放り出されたと勘違いされては堪らないですからね」

 

 義妹が携帯端末を取り出すと、そこにはとても短いメッセージが。

 

「『独りにしないでやってくれ』って、お義姉様は子供か何かですか?」

 

 まったく、実妹(いもうと)を巻き込むのは本当に勘弁して欲しいですよ。

 そう毒突きながら携帯を仕舞う義妹。一方の私は、そっとうつむいて悔しさをかみ殺す。

 

 ――――――あの人に、全部を見透かされている。

 

 私が家でああしていたことまで、あの人には分かっていたというのか。

 それならどうして――――――と、出掛かった疑問は必死に呑み込む。

 

 分かっている、分かっているのだ。

 あの人はあの人なりに最善を尽くしてくれているのだと。

 現にこうして、義妹がやってきてくれたのではないか、と。

 

 私の胸の内を知ってか、義妹はまたしてもため息。

 

「……お義姉様が大人なのは知ってますよ」

 

 ですから、ダイスケやミカの前でならメソメソしないでしょう?

 

 息子(ダイスケ)(ミカ)の名前を出す義妹。私にとっては甥と姪にあたる二人の前で、まさか泣けるはずがない。

 それは二人にはもちろん、あの人にも失礼なことだから。

 

「当たり前、デスヨ」

「それでいいんです――――無理矢理にでも胸を張っていて下さい。お義姉様」

 

 そんな無茶を押しつける義妹は、どこか遠くを見つめながら独りごちる。

 

「そうすることで、お兄様は銃後を憂うことなく戦うことが出来るのですから」

 

 銃後、そんな言葉が耳をくすぐる。

 

 あの人にとって銃後は守るべきモノ。

 あの人にとっての私は、守るべきモノ。

 

「でも、少し意外でしたよ」

 

 なんの話だろうか。義妹に意識を向けると、彼女は悪戯っぽく笑った。

 

「すっぴんのお義姉様を見るのは初めてでしたから」

「……失礼な義妹ネー」

 

 それは化粧の話ではない。化粧なんかよりも厚く塗りたくった私という存在の話。

 

 

 HIKARI IDA――――飯田(いいだ)ヒカリ。

 

 

 菊紋が刻まれたパスポートにはこう記されている。これが私の今の名前。

 

 ()()()()()()()()の名前はミドルネームとして――日本の「氏名」という概念には当てはまらないから、あくまでも非公式なものだけれど――名前に格納されている。

 

 そんな私にとって、この日本という国はあくまで「他人の場所」。

 

「大変なんデスヨ? この国に馴染むのっテ」

「よく言いますよ。本当は日本語も完璧なクセして」

 

 フンと鼻を鳴らす義妹の言葉に棘はない、そういった言葉の波を読み取るのには確かに慣れた。ただしこれは、何も日本だから必要な能力という訳ではない。世界の何処に居たとしても、他者と共生するためには必要なこと。

 

 そのような能力を備えているからこそ、彼女は私と話をしてくれるのだろう。

 

「ありがとネ、ハルナ」

「……そういうことを真っ向から言うようでは、完璧からはほど遠いですよ」

 

 日本人は奥ゆかしいものなのです。少し顔を赤らめながら義妹が口ごもる。

 

「アレ? もしかして照れてマスカ?」

「照れていません」

「その返し方は照れていマスネ!」

「照れてませんってば」

 

 わずかに頬を膨らませた義妹と数瞬にらみあって、どちらともなく笑ってみせる。

 車内放送は次の駅への到着を告げ、窓からの景色がトンネルに変わった。

 

「疎開と言っても、これからどうなるんデスカ?」

「ひとまずは私の家にお越し下さい。お義父様(じいさま)の許可は頂いています。ですが……」

 

 そこで一度言葉を切る義妹。

 

 その横顔から先ほどまでの笑みは失せ、眉間にシワが寄っている。

 ――――――それはあの人と同じ、深く考えるときにする彼女のクセだった。

 

「もしかすると別の、もっと安全な場所に移って頂いたほうがいいかもしれません」

「安全な場所、デスカ?」

 

 ホクリク地方は安全なのではないのか。私の疑問に、義妹は慎重に答える。

 

「お義父様(じいさま)の立場を考えれば、金沢の家は狙われかねないのです」

 

 義妹が嫁いだ先――――――彼女の義理の父にあたる人物は、日本の財政界に少なからずの影響力を持つ。

 そしてそのような人物たちが狙われたのが、今回の襲撃。

 

「しかし、信じられません。まさか深海棲艦に知性があったなんて」

 

 そしてそれは、目下大混乱に陥っている日本政府も例外でないに違いない。今回の襲撃は例外的で衝撃的で、それ故に甚大な被害をこの国は被ることになった。

 

 けれど昨日のあの人の反応を思い出すと、こうも思ってしまう。

 この事態は、いずれ起こると予期されていたことなのではないのかと。

 

「でもダーリンは、動じている様子もありませんデシタ」

「それはそうでしょう。最悪の事態に備えるのが軍人です。お兄様は公人としても家庭人としても、常に模範たる行動を心がけていますから」

 

 ではあの時、玄関の先で見せた私の知らない貴方は。

 まるで二度と還っては来られない戦場へ向かうかのような背中は――――――昨日までと、同じだったというのか。

 

 それとも、昔からその背中は同じで。私が気付いていなかっただけで。

 これまでずっと、毎朝毎朝……彼は死出の旅路へと赴いていたというのか。

 

 私はそれを知ることもせず、送り出していたというのか。

 

「お義姉様」

 

 ひょいと現れたのは一本の指。視界の真ん中に移動、私の額に突き刺さる。

 

「眉と眉の間、シワが寄っていますよ」

 

 そのままぐりぐりと顔をなで回してくる指。

 あなたも同じ顔をしていたでしょうとは言う気にもなれず、されるがままになる私。

 

「とにかく、今のお義姉様は独りで考え込まないことです。金沢についたら誰でもいいから話し相手と会話し続けて下さい」

「……ハルナが一緒に居てくれるんじゃないのデスカ?」

「残念ながら私は専業主婦ではないのですよ、お義姉様」

 

 その言葉に、力なさげに首を振る義妹。

 

「午後から阪友金属との商談がありまして、私はそこに()()()()()として出席しなくてはなりません」

 

 役職の部分を強調するように言う義妹。

 私とほとんど歳も変わらない筈なのに、私と同じように子供を育ててきた筈なのに――――――彼女には「立場」というものがあった。

 

 そんな私の内心を知って、言い聞かせるように義妹は言う。

 

「貴女の仕事は健康で文化的な生活を送りお兄様を安心させること。違いますか?」

「それは、そうですケレド……」

 

 けれど、それで私は本当にあの人の役に立てるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

「私は大阪行きの特急に乗ります。お義姉様はこの方達と家まで行って下さい」

「何から何までありがとうネ、ハルナ」

 

 カナザワ駅についた私たちを待っていたのは「いかにも」といった風貌のスーツ姿たち。

 防刃チョッキか何かを着込んでいるのか胸板の主張が激しい彼らは、なんでもハルナが所属する企業グループを構成する民間警備会社の従業員(へいたい)らしい。

 

「お気になさらず。お兄様か、神戸のお父様に全額請求させて頂きますので」

「こういうのを『商魂たくましい』っていうのでしタッケ?」

イグザクトゥリィですよ(そのとおりでございます)、お義姉様」

 

 これでも私、大阪商人の末裔ですから。

 そんなことを冗談交じりに言いながら在来線の乗換口へと消えていく義妹を見送ると、スーツ姿が話しかけてきた。

 

「車を用意してあります。参りましょう」

「ハイ。どうぞよろしくお願い致します」

 

 スーツ姿の護衛に連れられて改札を出る。現代建築の造形を存分に取り込んだカナザワ駅の駅ビルは複合商業施設としての側面も持ち合わせており、歩く人々の顔色は明るい。

 

 それこそ――――――山を越えた先の関東平野で、大勢が死んだ翌日とは思えないほどに。

 そんな違和感の中を、私を乗せた乗用車は駆け抜けていく。

 

「着きました」

 

 中心街から僅かに離れた場所に、その雪国スタイルの屋敷はあった。

 自動車の扉が開き、事務的に告げた護衛に礼をいいつつ私は車を出る。

 

 待っていたのは初老の女性。彼女ほどジャパニーズ・キモノが似合うヒトを、私は知らない。

 

「お久しぶりです、ケイカさん。お世話になりマス」

「主人から話は聞いています、お待ちしておりましたよ」

 

 ニコリと微笑んだ彼女は義妹の嫁入り先の義母。

 血のつながりは全くのゼロだけれど、付き合いがないわけではない……といった程度の親戚。

 

「東京は大変だったでしょう」

 

 大丈夫でしたかと彼女は聞かない。

 それは私が、正確には私の夫が現在進行形で大変なことに巻き込まれていることを把握しているからこその気遣い。

 私はえぇまあと曖昧に濁して、そのまま屋敷の奥へと連れ込まれる。

 

金沢(ここ)()()も近いですから、今夜は安心してお休みになってくださいね」

「心遣い、痛み入りマス……」

 

 そこにあったのは、掛け値無しの優しさだった。

 値踏みするような視線も、金山のように対価を払っているが故の優しさとも違う、真心のやさしさ。

 ただしそれは、大きな枠組みで代償が支払われているからこそのモノ。

 

「ケイカさん。よろしければ、インターネットをお借りしても?」

 

 ひとしきりの挨拶を終えて、私はケイカさんにそう切り出した。

 

 オンラインの閲覧契約を結んでいるのは大手一社だけだから他社新聞も見られると嬉しいと伝えると、彼女はじっと私のことを見つめて、それからゆっくりと口を開く。

 

「ヒカリさん」

 

 ただ一言。しかしそれは、北陸の名家を預かる女房としては十二分に重いもの。

 

「……分かっていマス。私が何かをしても、どうにもならないということは」

 

 

 

 

 ――――――むかしむかし、で始まるお伽噺(おとぎばなし)がある。

 

 北アジア地域に残された最後の植民地を失った日、私の()()は新しい同盟国の存在を必要とした。

 

 マグマのように煮え立つ氷の戦争を乗り越えてもなお、いや乗り越えられたからこそ世界に平和が訪れることはなかったし、その未来は必然であった。

 

 だからこそ私はこの国(にほん)に来た。

 それは高貴なる行いの一部であるはずだった。

 

 そう、少なくとも。

 ――――――深海棲艦が現れるまでは。

 

 

 

 

 

 

「確かに、今の私に残されているのは外国から帰化した日本人という立場だけデス」

 

 だから私はあの家で泣いていた。

 泣いて、泣いて、己の不幸と愛する人に降りかかった重たい責任を嘆いて。

 

 ただそうするしかなかった。

 

「デモ、これが()()()()()なら。私にも出来ることがあるはずなんデス」

 

 それは錆び付いた使命。

 もう誰も覚えていない、必要とすらもされない使命。

 

 けれど私はこうも考えてしまうのだ。

 

 必要としたからこそ、あの人は私を求めるのだと。昨日、私を視線で貫いたあの人は変わってしまったのではなく。この日に備えていたのだと。

 それなら私は、そんなあの人を支えたい。

 

 そのためには、どうしても情報が必要だった。

 

「……」

 

 目の前の老女は何も言わない。けれどやがて、息を吐くようにして告げた。

 

「地元紙と大手紙、それぞれ2週間前までしかありませんが。それでよろしければ」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。