舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第44話 チケット裏に言伝ナシ

「真っ黒ですね」

 

「せやな。まっくろクロスケや」

 

 その端末には、最新のニュース報道――――深海棲艦が討伐されたとの報道。

 

「ウチの端末にも来とるで。舞鶴総監部所属の空母艤装運用担当官は自宅待機を解除、ただちに出頭せよ――――アホか、空母ナシでどないして空母を倒すねん」

 

 吐き捨てるように小柄な艦娘が言うと、まったく同感ですと義妹が言う。

 

「よく分かりませんが、どうやら向こうは何らかの目的を達したようですね」

 

「目的? 目的はこの虐殺行為(ジェノサイド)そのものや。国防軍は哀しいことに人手不足の官僚組織やからな、上が死ねば(あけば)勝手に昇進できるんやで」

 

 小柄な艦娘の言うとおりなら、軍が手をこまねいているうちに相手は目的を達してしまったことになる。

 今回の件で犠牲になった者、そして責任を取らされて閑職に回される者――――――およそ信じられない数の軍幹部がその道を断たれることになる。

 

 そしてその後、()()の息が掛かった者たちがその職務を引き継ぐことになるのだ。

 

「ほんで? どうするんやハルハル」

「うーん、そうですね……」

 

 小柄な艦娘が問いかけ、義妹は思案する。それから一言。

 

「どうにもなりませんね。私たちの負けです」

「せやなー、どうにもならへんよなー……ってオイ!」

 

 今のはノリツッコミというモノ、なのだろうか。

 私は理解が追いつかずに呆然と二人を見るだけ。義妹は「いやだって無理ですよこれ」と続けた。

 

「無差別に殺して目的達成って、生き残りが全員容疑者みたいなものですよ?」

「ま。確かに軍を掌握するなら上層部に()()()()()()ええちゅうのは大賛成や。国防軍っちゅう組織は、結局のところ上の百人くらいで意思決定をするワケやから……」

 

 二人の話をまとめると、どうやら相手のクーデターは成功してしまったらしい。

 

 こんな結果があっていいのだろうか。許されるのだろうか。

 それもこうして、こんなに現実感もなく……いや、きっと違うのだ。先ほどの街中で経験した空襲、あんなことが、この国とこの国の周りではずっと起こっていた。

 

 私の知らなかった、知ろうとしなかった牙が私へと向けられた。それだけのこと。

 

「!」

 

 そしてそんな時に限って、私の端末は通知音を鳴らす。

 画面に浮かぶのは、私がずっと待っていた文字列。

 

 なのにどうしてか、私の指は止めてくれと叫ぶ。

 

 でも、ダメ。見なくては。

 どんなメッセージがそこにあろうとも、それはあの人が私に送ってくれている言葉(ことのは)なのだから。

 

「……ダーリン」

 

 消え入りそうな声だったと思う。義妹と小柄な艦娘が心配そうにこちらを見る。

 私は小さく首を横に振って、その画面に刻まれた文字列を見せた。

 

「これは」

「神戸空港発、新千歳ゆきのオンライン航空券控え……ま、妥当な判断やな」

 

 私だって、これが間違っているとは思わない。

 

「デモ、どうして神戸空港なんでショウカ?」

 

 私は本当なら金沢にいることになっている。それなら、小松ー千歳便をとって渡してくる筈。そんな私の疑問に、簡単なことですよと義妹は答える。

 

「英国領事館は大阪にしかありません。あなたが行動を起こすなら大阪。なにもせずに北陸にいるなら私の実家が守るでしょうから、無理に逃がす必要もありません」

「逃げる? 待ってクダサイ! 私に逃げろっていうのデスカ?」

 

 思わず声を荒げた私に、当然やろと小柄な艦娘は告げる。

 

「この国はひっくり返ったんや。せやけど国を回すのに官僚は欠かせへん。せやからお相手サンは、なんとかしてアンタの旦那に言うことを聞かせようとするやろ?」

「その手段として最も有効なのが、人質というワケです」

 

 言葉を継いだ義妹。これではまるで私が物分かりの悪い娘のよう。

 そして二人の目には、私は実際そう映っているに違いなかった。

 

「……お義姉様」

 

 ゆっくりと、義妹が手を差し出す。

 

 それは無理矢理私に食パンを食べさせた手とは思えない程に控えめで……思えば、あの朝からまだ二日も経っていないのだなと、現実逃避するように私は思う。

 

「気持ちが分からないとは言いません。でも、どうか。今は私と一緒に来て下さい」

「……」

 

 行くしかないと理解している。

 それでも動かない身体に、義妹は説得を続ける。

 

「ほら、見てくださいこのオンライン控え。ちゃんと二つの座席が確保してあります。搭乗者名が見えますか? お義姉様と、お兄様の名前です」

 

 分かっている。だってあの人なら()()()()()()()()()()()

 あの人はまだ戦うだろう。そんな簡単に諦めるヒトじゃないことは、私が一番良く知っているから。

 

「どうして行き先が新千歳、北海道なのか分かりますか? 北海道は海軍が一番勢力を持たない場所だからです。恐らく陸軍は海軍のクーデターに屈しないでしょう。北部方面隊には神戸のお父様が手を回してくれているはずです」

 

 

 だから、()きましょう。

 

 

 そう義妹が言う。分かっている、私は行くしかない。それがあの人に、愛しい人のたった一つの願いなのだから。

 

 歯を食いしばる。泣いちゃダメ。あの人はまだ、戦っているのだから。

 

「そうと決まれば出発です。リョーコちゃん。外の乗用車、買わせて頂きます」

「何でもカネで解決すんなアホ。それにペーパーやろ、ウチが空港まで送ったる」

 

 とんと胸を叩いた小柄な艦娘、義妹は顔をしかめて首を横に振った。

 

「ダメです。貴女にはするべきことがあるはずですよ」

「水臭いやっちゃなぁ、ここまで来たら一蓮托生やろ!」

「艤装がない貴女(かんむす)に着いてこられても、はっきり言って足手まといなんですよ」

 

 そう言い切る義妹。そんな彼女に、艦娘は嗤う。

 

「艤装が無く(のう)ても、ウチは航空母艦やで?」

 

 そう言いながら艦娘が手を掛けるのは、義妹がもってきた「お土産」。

 

「こういうのはな、普通『山吹色のお菓子』が入ってるもんやけど」

 

 ウチに送るんやったらコレしかないやろ。梱包紙の中、紙箱に収められたバームクーヘンを丁寧に取り出す小柄な艦娘。そして残された箱の中に手を伸ばす。

 

「ん? PHI(プレアデス)やのうてPU(ポセイドン)霊感繊維(しきがみ)やないか! よくもまあこんなの……」

 

 感嘆の声をあげる彼女に、いつの間にか前に進み出た義妹が手を添える。

 

「それは、貴女の大切なヒトを護るためのモノです」

 

 義妹が彼女に何を渡したのかは分からない。けれどそれは、きっと値千金のモノで、言い回しからして何らかの武器なのだろう。

 きっとこれから、この国は酷いことになる。だから義妹は、友人に()()を送った。

 

「いずれにせよ。運転手は必要やろ?」

「ですが出頭命令が」

「チビを病院に送り届けたって言うからえーよ。それに舞鶴は危険やろうからな」

 

 そんな配慮を撥ね除けて、小柄な艦娘は笑ってみせる。

 

「ほら、早よせんと。うだうだ言うとる時間はないで?」

 

 空はゆっくりと、夕闇に染まっていく。神戸市街は平穏そのものだった。

 

「よかったですね。道路封鎖もなくて」

「当たり前や。高速は出入り口、電車は運輸指令室を抑えればイチコロやけど、一般道(したみち)の封鎖は簡単には出来へんからな」

「ポートアイランドが封鎖されてないとよいのですが……」

 

 不安そうに呟く義妹。運転席に収まった小柄な艦娘は肩を揺らす。

 

「そんときは船をチャーターや。ハルハル喜びや、お得意の小切手が使えるで」

「私を財閥令嬢か何かと勘違いしていませんか?」

 

 そんな軽口を叩き合う二人は、それでも緊張感を拭いきれない様子で。

 

 街路灯が煌めき、既に夜を迎えつつある街を彩る。

 それを眺めながら義妹はぽつりと聞いた。

 

「それで、この後はどうするんですか」

 

 それはきっと、私を空港に送り届けた後の話ではない。

 これから、もっと先の、待ち受けるであろう混乱にどう立ち向かうかという問い。

 

「どうもなにも。元の鞘に収まるだけや」

「陸軍に戻ると?」

 

 艦娘は答えない。どういう意味かと問うた私に、リョーコちゃんは陸軍のクーテイ団所属だったんですよと義妹は返す。

 

「ま。今の時代にパラシュート部隊の需要はないやろから、フツーに連隊勤務でええけどな……いずれにせよ、こっからは陸軍の時代やで」

 

 その言葉は、あまりに不穏で。押し黙った私たち義姉妹に、艦娘は続ける。

 

「ここんところ国は負け続きや。マーシャルで、ミクロネシアで負けた。もう海外出兵が始まってから10年経つ。この国が追い詰められているのは誰でも知っとる」

 

 そしてそれは、全世界的な視点で見てもその通り。

 人類は次第に、しかし確実に追い詰められている。

 

 日本政府は日米合意(パラオ=マリアナ)線を人類の守るべき防衛線と定めたけれど、あと1年もすれば突破されると公言する人間だっている。

 

「人類が負け続けなのは、軍が無能やからって言うヤツもおる。そういうヤツらはみんな、英雄っちゅうもんに頼るんや」

 

 この国には沢山の英雄がいる。

 

 例えば穀物輸送船団を護衛して飢餓の危機から日本を救った司令官。

 遙か南方の海で深海棲艦の大集団を押しとどめ続けた哨戒艦隊。

 米国による核兵器投射が迫る中、死をも恐れず南方友軍の救助に飛び込んだ艦娘たち。

 

 みんな英雄だとヒトはいう。

 輸送船を守るために10を越える護衛艦と1000を越える海の男が屍と化しても。

 シーレーン防衛になんら寄与しない南方の小島で自衛隊の戦力がすり減らされても。

 結局ひとりの友軍も救えずに救助部隊が壊滅しても。

 

 ヒトはそれを英雄と呼ぶ。

 

 英雄とはその崇高なる精神性こそが尊いのだと、讃える。

 

「誇り、デスネ」

 

 漏れた言葉は、きっとそんな英雄たちに投げかけるべき慰めの言葉。

 

「傲慢ですよ」

 

 そして義妹が口にするのは、現実。

 

 英雄はどこにでもいる。

 幹部を皆殺しにされても機能を維持した統幕監部、独断専行の阪神防備隊。

 

 そして今、私の護衛役を買って出てくれている運転席の艦娘。肥大化した英雄像が、この国を狂わせてゆく。

 赤から青に変わった信号。アクセルを柔らかく踏み込んだ運転手は言葉を継いだ。

 

「せやけど、その英雄っちゅうのがいるからヒトは明日の希望を幻視()られるんや。どんなに毎日が苦しかろうが、明日も頑張ろうって言えるんや」

 

 前方座席、運転席のシートに座った艦娘の表情は見えない。小柄な英雄は、果たして今どんな顔をしているのだろうか。

 

「外人さん。アンタの旦那さんにとって、アンタは英雄(きぼう)やと思うで」

 

 本当に、そうなのだろうか。その疑問が、私に誤魔化しの言葉を吐かせる。

 

「……それなら、ノゾミの方が似合ってるネ」

「ノゾミっちゅうのは、娘さんか」

「ノゾミは希望だと。ダーリンは言いマシタ。あの子は私たちのキボウなのデス」

 

 そしてその子がいるこの国を、あの人が見捨てるはずはなくて。

 

「ネェ、ハルナ。今からデモ、行き先を変えられマセンカ?」

「駄目ですよ。お姉様には、是が非でもこの国を出て行って貰いませんと」

 

 オンライン航空券の行き先が、北海道でないことは知っている。おそらくは新千歳から国際線に乗り継いで、そのまま海外のどこか安全な国へと往くのだろう。

 

 分かっている。自分(わたし)の立場くらい。

 クーデターが嘘であれ本当であれ、相手方に私の身柄を抑えられることは絶対に避けたいはず……はず、か。自分の思考に嫌気が差す。いったい私は、誰のために生きているのだろうか。

 

「恐らくですけど、お兄様は神戸には向かっているはずです」

 

 それも知っている。きっとあの人は駄々をこねる私を飛行機に押し込むつもりなのだ。私を説得するのに自分が一番有効だということを、あの人は理解しているから。

 

「ダーリンは、ズルいヒトです」

 

 私の呟きは、いったい誰に向けられているのだろうか。私たちを乗せた乗用車は橋へと差し掛かる。随所に設けられた照明が、真っ赤な橋を照らしている。

 

「ポート・アイランドに入ったで。神戸空港は目と鼻の先や」

 

 神戸空港は周辺住民に迷惑をかけないよう市街地から突き出した人工島(ポートアイランド)の最奥、一番海へと突き出した場所にある。

 

「さて、待ち伏せするんなら間違いなくここやと思うけど……ハルハルはどうや?」

「ここでしょうね。海も間近で、人も少ない。警官の多さが問題とならない深海棲艦に喰わせるのなら絶好の場所(ポイント)です」

 

 駐車場に車を止め、出発ロビーへと向かう。

 深海棲艦の艦載機が湾内に侵入したばかりということもあって空港建物内は閑散としていた。

 

 だからこそ、襲撃があるならここだと二人は予想した。これについては私も同意見。

 

「もっとも、彼らがお義姉様の『値打ち』を理解しているかは怪しいですが……」

「しとるやろ。してなくてもここに艦娘がやって来たら『詰み』やで。いくらウチでも一般人を二人も庇いながら戦艦艦娘(メスゴリラ)みたいなのとやり合うのは無理や」

「ではとっとと飛行機に乗せてしまいましょう。戦艦は飛べません」

 

 義妹も小柄な艦娘も私に張り付くようにして周りを見回す。周囲を警戒しているのは明らかで、そんな物々しい雰囲気を隠すこともせず進んでいく。

 

「ほんで、どの飛行機や?」

「亜日空ですから……あそこです。お義姉様、チェックインをお願いします」

 

 義妹に促され、私は自動チェックイン機へと歩みを進める。端末に送られてきたオンライン航空券の控えを呼び出し、読み取り機に向けようとした――――――その時。

 

「そこのお三方、少しよろしいかな」

「!」

 

 咄嗟に振り返ると、私を庇うように手を広げる義妹。小柄な艦娘は逆に一歩下がって、背中の後ろに霊感繊維(しきがみ)の欠片を構える。

 臨戦態勢をとった二人。その前方に立っているのは長身の外国人。

 女性向けスーツに身を包み、なめらかな赤毛を伸ばした彼女。一目で只者でないことは分かる。

 

 そして女性は胸ポケットに手を伸ばし、そこから手帳のようなモノを取り出した。そこには金色の刺繍で王冠、一角獣(ユニコーン)獅子(ライオン)意匠(デザイン)

 

「私は英国大使館の者だ。飯田ヒカリ氏に渡すべきモノがあって来た」

「……どうぞ」

 

 義妹はいかにも渋々といった調子で道を譲る。私の目の前にやってきた赤毛の長身から、三つ折りにされたコピー用紙が差し出される。

 

「?」

「お読みください」

 

 そう言われては仕方が無い。私はコピー用紙を開き、そこに目を滑らせる。

 そこには母国語により極めて端的で短い、しかしあまりに重大な一文が記されていた。

 

 目を見開いた私に、赤毛は淡々と告げる。

 

「それをお読みになった時点で、あなたは英国海外領土国民となりました」

 

 続けざまに渡されるのは、赤毛が示したのと同じ意匠が施された手帳。

 

 表紙の色だけが異なるそれは英国海外領土国民の旅券(パスポート)

 私に渡されたコピー用紙の内容は、身分証にもなる英国旅券の発行を通知するものであった。

 

「私は日本国に帰化しています。イングランド国籍取得には相応の審査が必要では」

 

 日本語で返した私の意図は伝わるだろう。しかし彼女は態度を崩さず続ける。

 

「香港特例の応用だ。海外領土国民は暫定的なもの。本国に戻り次第手続きをする」

「そういうコトを言っているワケでは……」

 

 私の反論を受け付けない彼女は、ここからが本題と言わんばかりに告げる。

 

「貴女は英国政府が実施する国外退去作戦の対象者なのだ。飯田ヒカリ」

 

 それとも、別の名でお呼びした方がいいかな? そう言う赤毛に義妹は唸る。

 

「……なるほど、考えましたね。確かにこれが一番安全で確実です」

「せやけど、平時やのに『国外退去作戦』はマズいんやないか?」

「首都のトーキョーや主要都市が次々と空襲を受け、政府や軍上層部が甚大な被害を受けている。この状況が平時だと?」

「おぉぅ。ド正論やな……」

 

 小柄な艦娘もすごすごと身を引く。英国の使者は私に手を差し出した。

 

「関西国際空港にチャーター便を待機させた。高速船で30分とかかりません」

「待ってクダサイ!」

 

 声を上げてから、気付く。いったい私は、なんのために声を上げたのだろうと。

 

「……本当に、これしかナイデスカ。これしか……」

 

 他に手段がないことは分かっている。でもそれを聞かずにはいられない。

 そしてそんな私に、使者はダメ押しの一言。

 

「チャーター機は英国パーマストン・エアラインズ所有機。もうお分かりですね」

「……どういうことや?」

()()()()()()ですよ。古い国の上流階級はだいたい親戚なんです」

 

 首を傾げた小柄な艦娘に、諦め顔で首を振る義妹。選択肢なんて元よりない私は、歯を食いしばって顔を上げる。

 

「ハルナ」

「お恨みください。お義姉様」

 

 私の義妹(いもうと)が、笑う。

 まるで最初から、こうなることが決まっていたかのように。

 

「初めてお会いしてから20年以上……私はずっと、お義姉様のことが嫌いでした」

「……」

「酷い話ですよ。いきなりやって来た何処の馬の骨とも……いえ、血統だけが取り柄の外国人に大好きなお兄様を盗られたんですからね」

「……私は、ずっと感謝してましたよ。ハルナ」

 

 出会った頃には既に北陸に嫁入りしていた彼女。

 仕事のついでと東京をよく訪れた彼女は、それはもう世話好きな義妹だった。それにどれほど救われたか分からない。

 

 恨むつもりはないと私が首を振ると、彼女は小さく苦しそうに頷いた。

 

「こちらのことはお任せ下さい。ノゾミちゃんは私の命に変えても貴女の下へ……」

「それは、あの子の好きにさせてあげてください。もうあの子を、私のワガママに付き合わせたくない。きっとダーリンも、そう言うはずですから」

 

 嗚呼、私はきっと。母親失格だ。

 

 もう大人(はたち)だから、あの子は利口だから。

 そんな理由にもならない言い訳だけであの子を闇の中に突き落とそうとしている。私がここで連れてきてと言えば、きっとあの子を()()()()ために数十万の大金といくつもの特殊部隊が動くのだろう。それは私の祖国が支払う、ささやかな報酬。

 

 けれどそんなしがらみに、あの子を私は巻き込みたくなかった。許せとは言わない。ただ、あなたはあなたの道を生きて欲しいと思うだけ。

 そんな私のワガママを知って知らず、目の前の義妹は頷いた。

 

「では、私はここまでです。お達者で」

 

 不器用な日本人がゆっくり進み出る。

 壊れ物に触れるようなハグは、これまでのどれよりも堅くて熱い――――――貴女とこの国に、どうか神のご加護があらんことを。

 

 そっと離れる。もう振り返る理由はない。

 無言で歩き始めた使者に続いて歩く。ワックスで固められた出発ロビーの床はその僅かな弾力でもって私の靴を押し返し、進む先に踊る日本語の広告が私を見送る。

 

「――――――こんのッ、アホ!」

「リョーコちゃん! 失礼ですよッ!」

 

 そんな声が背中を貫く。私は振り向かない。

 

 誰かの叫び声が聞こえる。

 誰の声かは知っているけれど、私は歩き続ける。

 

「外人さんに言うとるんやないッ、ウチはアレのアホ旦那に言うとるんや! おい! どっかで見とるんやろッ! 姿見せたらどうなんやッ!」

 

 ええ、きっとダーリンは私のことを見ています。

 

 

 ()()()()()、現れることはないんです。

 

 

「英国に任せてハイさよなら? (おとこ)やったら甲斐性みせろやぁッ! おい聞いとんのか!」

 

 出発ロビーに響く声。反響したそれは、愛しい人の残像をゆっくり壊してゆく。

 私だって、怒っているんですよ。

 

「なぁ! おい、おいっ! 聞いてるんやろ……! 聞いてるんやったら、最後に顔くらい、見せたってやれよぉ……!」

 

 

 バカなヒト。そして、私の最愛のヒト。

 

 

 

 

「こんなんで、ええのか――――――!」

 

 

 

 

 

 サヨウナラ。

 

 

 

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