舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第45話 しょせんは他人だもの

 

 真っ白な雪が、目の前に立ち塞がっていた。

 

「ハァ、ハァ……ダァ、リン……」

 

 一枚のフィルタを掛けるように、名前ではなく「愛しい人(ダーリン)」と呼ぶ彼女。

 それを振り返って、すまん。少し休もうかと男は笑って見せる。

 

 消え入るような調子の彼女に、失敗したなと彼は頬をかく。

 新千歳空港から鉄道を乗り継いで三時間。巨大なスキーリゾートに飽きたらしい彼女に少しだけ新鮮な景色を見せてあげようと足を伸ばしてみたが、少し気が急いていたようだ。

 

「ほら。飲みなさい」

 

 魔法瓶を取り出し、温かい生姜湯を携帯式のカップに注ぐ。

 それを受け取った彼女は今しがた彼が踏み固めた雪の上に座ると、顔半分を覆っていたネックウォーマーを下げた。

 

 唇がほんのりと色づいているを確認しながら、励ますように彼は言う。

 

「朝一でやって来た甲斐があった。今日のは凄いぞ」

「……ソウイエバ、ココニ来ルマデ足跡ガヒトツモアリマセンデシタ」

「そりゃそうだ。今日に限っては前人未踏だからな、ここは」

 

 雪は、全てを容易に覆い隠す。連日降り積もった雪は山肌を覆い隠し、時には樹木すらも見えなくする。例えば、手近にちょこんと生えている謎の小枝が、実は大木が太陽に向かって伸ばした巨大な手のひらの先端(ゆび)だったりするのだ。

 

「ヨイ天気、デスネ」

 

 少し脱力したらしい彼女は、もたれるままに背を傾けて空を仰いでいた。雲一つ見えない真っ青な空。肌を晒せば凍り付くような気温だからこそ感じないものの、太陽は肌を焦がさんばかりに照りつけてくる。

 

「あぁ。いい天気だ」

 

 そうとだけ答えて、男も生姜湯をカップに注ぐ。

 冷める前に口に含んで、凍てつきそうな感覚器官に熱を送る。

 

 目の前には青い空と、日本における火山のスタンダード形状であるなだらかな山が鎮座している。おそらくは山肌を雪に覆われているであろうそれは、葉を落とした木の味気ない色と交わってくすんだ藍色に見えた。

 

 静寂がその場を支配する。生物の気配がしない、寝静まった冬の朝。

 

「ひとつ……聞いてもいいかな」

「ナンデス?」

「どうして、山に登りたいなんて言い出したんだい?」

 

 その疑問に、彼女は答えない。聞き取れなかった訳ではないだろう。難しい言い回しをしたわけではないし、聞き取りを邪魔する雑音はこの銀世界には存在しない。

 それでも、やや不安になるほどの間を置いてから、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「コノ国ハ、狭イカラ。ヒトリニナレル場所モ、少ナイデスカラ」

「なるほど」

 

 およそ山登りを趣味とするとは思えない体力。

 冒険好きだが危険は冒せない立場。

 

 その折衷案がスキーリゾートであり、この小さな山登りなのだろう。

 そう内心で整理した男にむけて、彼女は話し続ける。

 

「心ガ、ツカレタラ。ヒトリニナルトイイデス」

 

 それは人によるだろうと、男は思った。

 時に疲れは「憑かれ」とも書く。ようは心身万全の状態に何かを背負わされるのが疲れなのである。

 それを振り払うには休息も重要だが、時には動き回って振り落とすことも――――そんなことをすれば、憑き物もムキになってしがみつくものだが――――必要になるかもしれない。

 

「(それにしても「この国は狭い」……か)」

 

 殆ど同じ国土面積しか持たない国から来た彼女にそう言わせるのは4分の3を山地に覆われるこの国か、それとも世界に冠たるユニオンジャックの威光か。

 とはいえ狭いことに関しては同意見であったので、男は頷く。

 

「そうだな、この国は狭い。狭くて窮屈だ」

 

 真っ青な空から、ゆっくりと沈黙が舞い降りてくる。男は喉元まで出かかった謝罪の言葉を飲み込んで、代わりに会話を成り立たせるための言葉を吐き出す。

 

「独りになるのは嫌いじゃないが、好きでもない。悪い方向に流れてしまう」

 

 周囲との関わりを絶てるほどこの国は広くない。しかし、周囲との関わりを絶てないほど貧しいわけでもない。

 それが今のこの国であり、まさにこの国の国民が直面している状況であった。関わりを絶って孤独になったヒトはどこへ往くのだろう。

 

「ソレデハ、ヨカッタデスネ」

 

 柔らかい表現なら「それでは」ではなく「それなら」で良いだろうな。

 そんなことを癖で考えた男は、その疑問に気付くのが遅れた。ヨカッタとは?

 

「ココニハ、私モ、イマスカラ」

 

 傲慢だな、と。記憶の中で縁側に腰を下ろした祖父が告げる。

 男はそうとも限りませんよと祖父に返したが、どちらが正しいのかは分からない。

 

 そんな彼をどう観察したのだろう。彼女は一旦視線を雪の上にやってから、期待するような眼差しで男を見る。

 隣に座って欲しいのだろうと当たりをつけた男は、装備品で彼女を傷付けないように気を配りながら腰を下ろす。

 

 自分より幾分か長く、想像以上に手入れされた睫毛。

 その下に、日本人の黒とは異なる色の瞳が納められていた。

 

 彼女はなるほど美人だが、日本人ではない。男の言葉を彼女が母国語として理解することはないのだろうし、それは逆もまた然り。

 

「なぁ」

 

 口から出掛けた言葉を飲み込む。

 謝罪か弁明か。いずれにせよ、何者にも踏み荒らされていない銀世界のような彼女には似合わない言葉であったことは間違いない。

 

「ナニデスカ? ダーリン?」

「いや……愛してるよ。愛しい貴女(マイハニー)

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 闇の海に、一本の光の道が引かれていた。

 

 大阪湾に浮かぶ人工島を貫いて、海の中まで続くそれは空への(みち)(しるべ)であり、空から還るヒトを導くための灯台でもある。

 

 その輝く光を空港ビルの屋上に設けられた展望デッキより眺める男がいた。息を吐けば白く染まる寒さの中、厚手の外套に身を包んだ男は微笑んでいる。

 その表情は安堵によるものに見えたし、また他の感情と取ることも出来た。

 

「……私です」

 

 そんな時、携帯端末に着信。

 

『奥さんは送り出せたか』

「ええ、まぁ。送り出しましたよ」

 

 そうか、よかったなと返す電話相手。電波の向こうにいるのは統合幕僚長代行、そして端末を片手に滑走路を眺めるのは運用部長代理――――飯田コウスケ。

 

『それで。お前はこのまま北海道か』

「その予定です。余市を掌握した後は大湊を抑えます。あそこの総監は研究会の先輩ですから、問題はない筈です」

 

 神戸空港発新千歳空港行きの航空機はもう間もなく出発する。

 本来ならば統幕監部のある東京から羽田を経由して北海道へと向かえばいいのだろうが、無理をして神戸に足を彼は足を運んでいた――――――理由はもちろん、先ほど空港を離れた高速船。

 

『正直に言うが、私は君を信じて良いのか分からなくなったよ、飯田君』

 

 電話の先が困惑混じりの声で言葉を紡ぐ。

 

『君は結局、イギリスの()()()だったということだろう? 国防軍の中に潜んだ何者かが外患誘致を行っているこの状況で、海外との繋がりは問題だ』

「視点の問題です。少なくとも本件において、英連邦が主犯となりえる可能性はありません。それに紐付きと言っても、私の役目はむしろ()()()()()()()()()ことです」

 

 もっとも、昔の話ですが。

 そう返す飯田コウスケに、スピーカーはため息を再現。

 

『言っても仕方の無いことなのは分かっているが、虚しいモノだな』

 

 既にコトは起こってしまった。

 どちらに転ぼうと、それは敗戦処理でしかない。

 

 そのようなことを言いたいのであろう統幕長代行に、運用部長代理は静かに返した。

 

「自衛隊にとって、戦争とは敗北を意味します」

『そうだな。昔はそうだった』

「今でも変わりませんよ」

 

 条文をいくつか書き換えたところで、国の本質が変わるわけではない。

 それは当然のこと。

 

「おそらく『彼ら』は変えたいのでしょう。この組織の本質を、この国の性根を」

『武力に訴えてか?』

「武力ではありません。その英雄性によってです」

 

 昭和の動乱期の説明をしましょうかと問うた運用部長代理に、いや結構と断る統幕長代行。経済状況も政治情勢も全く異なる。両者の比較に意味は無い。

 

 それでも――――――この雪の降りそうな空と過去を、比べずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「――――――それで、なんだ? わざわざこんな場所に呼び出して」

「状況を整理したかったのです」

 

 整理? そう要領を得ないといった風に首を傾げるのは統幕長代行。

 

 目の下に出来たクマは彼が十分な睡眠を取れていないことを意味しており、その目つきも疑問というよりはもう眠らせてくれと訴えているようにみえる。

 それも当然だろう。

 一昨日から日本列島を脅かしている深海棲艦が討伐されたとの報を受け、統合幕僚監部は少なからずの安堵を享受していた。

 なにせコトの発生から約40時間、綱渡りのような精神状態を強いられた末にようやく見えた光明である。

 

 そして、だからこそ。飯田コウスケ運用部長代理の表情は険しい。

 

「はっきりしていることは二つ、相手は明確に攻撃目標を定めている。そしてもう一つは、単独犯である……いえ、正確には単独犯を装っていること」

「それは、会議の場でも聞いたよ。飯田くん」

 

 それとも何か、共犯者の話か?

 

 そう問われた運用部長代理……飯田コウスケ2等海佐は静かに頷く。

 本来ならば将官が就くべき統幕監部の要職を預かってしまった彼は、その職責にひるむ様子もなく統幕長代行を席につくように促した。

 

「攻撃を実行するためには、目標の動向をリアルタイムで把握する必要があります。夜間攻撃となるのは宿泊地を把握すれば襲撃が容易だからと思われますが……」

「……分かり切ったことを言うな。ここは会議の場所じゃない」

 

 だからわざわざ個室に呼び出したんだろう?

 統幕長代行の言葉に、飯田は頷く。

 

内通者(うらぎりもの)をあぶり出します。こちらを」

 

 差し出された手書きの紙。一瞥した統幕長代行は、困ったように眉を上げた。

 

「情報を分割か。これで何処から漏れてるか分かるというんだな?」

「万全ではありません。もし全ての分割先に内通者がいるのであれば……」

 

 飯田が苦い表情で言うのを遮って、代行は紙を手に取って振りかざしてみせる。

 

「現実的でないな。そんなことがあるのか?」

「たった一匹の深海棲艦相手に国家が振り回されていること自体、あり得ないです」

「それはまあ、そうかも知れないが……」

 

 協力者の数は、恐らく想像以上に多い。

 多数の正確な情報を、途切れることなく継続的に「実行犯」に送り続ける――――――それが如何に難しいかは、陸海空3組織の統合運用に腐心してきた統幕監部が一番よく分かっている。

 

「深海棲艦討伐の報告を入れたタイミングも的確でした。私が提唱した幕僚部の閉鎖が実施されれば、各軍はそれぞれの総隊の指揮下で作戦行動を行うことになる」

 

 それ自体は難しいことではない。幕僚部は軍事戦略の大枠を決める存在で、戦術レベルの行動においては総隊以下の各司令部が判断する。短期的になら問題はない。

 

「恐らく、それが()()()()のでしょうね。相手にとって都合が悪いことがあった」

「……海軍か」

 

 運用部長代理は頷く。

 

 空軍なら航空総隊。

 陸軍なら陸上総隊。

 

 幕僚部がなくとも、陸軍と空軍はほとんど全ての実戦部隊が統一した指揮系統に収まるが、海軍はそうはいかないのだ。

 

「全国の沿岸を五分割する総監部と、外洋の防衛を担う自衛艦隊……海軍の指揮系統は大きく分けて二分割されています」

「幕僚部が無くなれば、この2つの組織の統制が取れなくなると?」

「形式上は総監部の担当海域に入った海軍戦力は総監部の管轄となりますが……」

「海外派遣の弊害、か」

「そうです」

 

 日本国外には総監部が存在しない。

 結果として、各地に派遣された護衛隊群を運用する自衛艦隊の権限は大幅に強化されることになった。

 

「となれば、相手の目的は海上幕僚部およびその上位組織の統合幕僚監部に息の掛かった人間を多く送り込むことで海軍を掌握することが目的であった……これに関しては海軍の幹部に被害が偏っていることからも説明はつく……が」

 

 分からないな。そう代行は漏らす。

 

「やり方が強引すぎる。確かに閉鎖を阻止するならその原因となっている深海棲艦を取り除くのが早い。しかしそれはいくらなんでも稚拙に過ぎる。なにより――――――」

 

 代行は苛立ちを隠さずに机を叩いた。

 

「なぜ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。幕僚長しか把握していない特殊任務? そんな言い訳が通用するとでも思っているのか?」

「陸上幕僚長であった現統幕長代理が存命していたことは幸運でした……彼がいなければ『そういうもの』として処理せざるを得なかったでしょうから」

 

 今回の襲撃で最初に被害を受けた護衛艦。房総半島沖で消息を絶った筈の艦艇が健在でしかも深海棲艦を撃破した――――――そのような特殊作戦が存在しないことは、その情報を知るべき将官たちの中で()()()()()()()統合幕僚長代理が認めている。

 

「まだ私たちは負けていません。統幕長代理が文字通り命をかけて繋ぎ、私たちが責任をもって行使するべき可能性がここにはあるんですよ」

 

 統幕長代行へと向けられる運用部長代理の眼は、真剣そのものであった。

 

『――――――英雄、か』

 

 その護衛艦が「クロ」であることは疑いようがない。

 

 彼らは深海棲艦を演じる何者かの襲撃を手助けし、恐らく情報支援や補給、移動の補助もおこなっていたのだろう。

 それはあらゆる機能を備える汎用護衛艦であれば可能なことだった。

 

「そして、彼らは日本を恐怖のどん底に追いやった『魔王』を討伐した勇者になる」

 

 本土空襲を許すという組織の存続に関わりかねない失態を覆い隠したい国防軍も、喉元に刃を突きつけられた政治家もこの勇者の英雄譚に乗らざるを得ない。

 

 その先に待ち受ける未来がどのようなものかは、誰にも分からない。

 

『まあいい。コトが終われば責任を取らされるんだ。私は花道を飾らせてもらうよ』

 

 代行とはいえ四つ桜は四つ桜だと笑った統幕長代行が通話を切る。

 飯田は見えないことを知りながらも深く頭を下げ、胸を張りながら暗闇へ向かう代行に敬意を示した。

 

「……もしこれに勝ったら、今度は我々が『英雄』になるのか」

 

 それだけは勘弁して欲しいとため息を吐いた彼は、ふと背後に気配を感じて振り返る。そうして屋内との出入り口に立ち塞がるように立つ影を認めた飯田は、笑う。

 

「よぉ。遅かったじゃないか」

 

 

 

 そこに居たのは、本来なら()()()()()()()()()()()()ならない筈の人物だった。

 

 


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