「驚かないんだな」
「
状況証拠は揃っていたと飯田が言う。影はそれに答えず黒光りする得物を構えた。
「これでも驚かないか?」
「……私を殺すなら、せめて
殉職でないと特進が望めないからね。ひらひらと手を振ってみせる飯田。それでも彼の声が震えているのは、長い付き合いの影には見抜かれてしまうに違いない。
ここからは時間との勝負。飯田は顔の見えない影を見据える。
「お前は、いつも自衛隊は変わるべきだと訴えていたな。自分のことでもないクセに艦娘の待遇に不満を述べていた。大迫先輩は待遇改善に動いたじゃないか。自衛隊だって国防軍に看板を変えて、改革の芽も揃ってきている。なぜ事を急ぐんだ?」
答えの代わりに歩みを進める影。照明が腕に縫い込まれた金色の袖章が光らせる。
「俺に言えることは一つだ。飯田コウスケ、我々に恭順しろ」
およそヒト一人を収容するには大きく、快適に過ごすには狭いファーストクラスの座席。
私は煌々と照らされる関西国際空港の
それが、いま私に出来る唯一の作業。
そんな私の前に、静かにトレーが差し出された。
「ありがとう」
当然のように英語を
彼女は不満を隠すことなく目線で伝えてくるが、私は臆することなくティーカップを持ち上げた。
返答はないが構わない。
確かに言いたいことは山ほどあるけれど、今するべきことは決まっている。私は赤毛から目を逸らすと、
「……その、ナガトさん。そのような格好は、お止め頂けると助かるのデスガ」
「そうはいかない。これで昼間の無礼をお許し頂けると助かるのだが」
紺色の海軍制服に身を包んだ彼女は、すっと顔を上げて私のことを見つめる。
「無礼を赦してくれ
「それは、私よりもむしろ。こちらの彼女に言うべきだと思うのですけれど」
背後の赤毛を指し示すと、彼女は小さなため息。
「私は
「そうさ。私もただの使い走りに過ぎないよ」
問題は、
「まず始めに、誤解を解いておきたいのだよ。
誤解、とナガトは言った。お互いの視ている景色に齟齬があると。
「……と、そのまえに。出来れば場所を移したいのだが」
周りをぐるりと見回して、どうだろうかと問うナガト。
いくらファーストクラスと言ってもここは飛行機の中、狭いモノは狭い。
「ダメだ。彼女を外へ出すわけにはいかない」
しかし彼女の提案を、赤毛はバッサリと斬り捨てた。
「そちらは空港ビルですら危険だと認識しているのか?」
これでも我が国の警察はなかなか優秀なのだがと苦笑してみせるナガト。一方の赤毛は表情を険しくした。
「この国の全ての場所が危険だという話をしている。日本国はこの二日間で空襲を何度も許しており、その防衛体制には疑問符を抱かざるを得ない」
本当なら今すぐ飛び立ちたいくらいだ――――――そこまでは言わずとも、赤毛の彼女は厳しい口調で軍を批判してみせた。
そしてそれは、国際社会の偽らざる本心でもある。
「なるほど。確かに我が国は深海棲艦をはね除け続けることでアジアに安全な経済活動の場を提供し続けてきた。それが崩壊しかねないという懸念、ということかな?」
「懸念ではなく、崩壊していると我々は認識している」
「ならばこそ、私がここに来た意味もあったというものだ」
ナガトの妙な言い回しに、赤毛の彼女は眉をひそめる。
「私が解きたい『誤解』というのは、まさにそこなんだ」
誤解、と。ナガトは強調した。
「既に問題の根幹であった『強力な深海棲艦』は討伐され、国防軍も混乱から復帰しつつある。そしてなにより事実として、経済活動に影響を及ぼすような被害は確認されていない……もちろん日経平均については把握しているが、それがあくまで一時的な影響に留まることは貴国もよく知っているはずだ」
彼女のいう言葉に偽りはない。
深海棲艦の討伐は公式のものであるし、軍の混乱が収まりつつあるのも事実だろう。
経済のことは分からないが、赤毛の言う「安全な経済活動の場」としての日本はまだ崩壊していない。
しかしナガトは、その軍の中身にまでは言及しなかった。
公式声明を発した軍というのは、果たして一昨日までと同じ軍なのか、その疑問に彼女は答えなかった。
「まずお互いの立場を整理しよう」
その事実を踏まえて、ナガトはそんなことを口にする。
「私たちはあなたたちの『期待』に答える用意がある。とはいえその『期待』を読み違えていたなら、相互不理解甚だしい結果に終わりかねないからね」
この会談に、私の出る幕はない――――――それは、直感的な確信だった。
ナガトの口調は戦後処理のそれ。
やはり軍の掌握もある程度までは終わっていて、既に外国の「理解」を取り付ける段階まで来ているのだ。となればあの人が、私と会うこともせずに故郷へ送り返そうとしたことも検討がつく。
しかしそれは、同時にもう一つの意味も持っている。
「(あなたは、戦うつもりなのですね)」
あくまで最後まで。
その最後が何処なのかは分からないが、とにかく抵抗できる場所まで抵抗し続ける……そのためなら、私のような荷物を捨てるのは正しい判断。
そう、正しい。それなのにその推測が、私の胸をかき乱して止まない。
『世の中にはね、適材適所ってモノがあるんです』
義妹の言葉が思い出される。
仕方ないのは分かっている。
だって私は、
嗚呼、でも――――――それで良かったのだ。いや違う、
「深海棲艦に対抗しうる力を持ち、なおそれを行使するだけの意思を持つ国は少ない。あなたたちと私たちは良いパートナーになれるはずだ。違うかな?」
「我々は自由で開かれた平等な価値観を重んじている。あなたは理解しているか?」
「政治には疎いが、連帯が欠かせないことは理解しているつもりだ」
事務的な手続きを進めるナガトと赤毛を脇目に私は自分に言い聞かせる。
極東の島国に打ち込まれた楔でしかなかった私に、あなたが
ハマるはずのないパズルのピースが収まる場所を作ってくれた。
例えそれが丁寧に加工されたモノであったとしても、それが偽りだったなんてことはないのだから。
だから私は、今日までずっと、ずっとずっと――――。
「私たちは状況をコントロールしている。一両日中には全てが解決することだろう。深海棲艦という共通の脅威を前にした我々にいがみ合う余裕はない」
赤毛はなにも返さない。
信頼するも何も、ここにいる彼女たちはただ
そんなことをすれば内政干渉になる――――――というのは表向きの理由で、本当の所は英国にとっては
重要なのは艦娘という深海棲艦に対抗しうる戦力そのものであって、政府の形などはどうでもいいのだろう。
「ナガトさん。ひとつ、聞きたいことがありマス」
私が口を挟むとは思わなかったのか僅かに眉を上げる赤毛の彼女。一方のナガトは予想していたようで、何かなご婦人と余裕で口元を緩めてみせる。
「アナタは、なんの為に戦っているのデスカ?」
「ふむ……それは難しい質問だな」
迷うように両手を結んでみせるナガト。言葉とは反対に、その双眼に迷いはない。
「強いて言うのであれば、平和のためだよ。私は深海棲艦の手によって奪われてしまった平和を取り戻したい……いや、これは正しくないかな」
そんな大仰なモノではないのだと彼女は続ける。
「確かに昔は、そのようなことを考えたこともあったかもしれない。私にはその実力があるのだと周りにはやし立てられたからね。まぁ、熱に当てられたようなものさ」
苦笑。
過去を懐かしむナガトの表情に、ささくれ立ったような荒々しさはない。
「しかし現実は残酷だ。私はそこまで強くはなかったし、この国もそこまでは強くなかった。ミクロネシアの敗北は知っているだろう?」
戦後初めての「敗戦」であるミクロネシアの戦いは、収束から年単位の月日を経た今でも大きな影を落としている。
文字通りに国家の存亡を賭けた深海棲艦対処の初期行動とは異なり、ミクロネシアの戦いは正当化があまりに難しい戦いであった。
私の表情でも見たのだろうか。ナガトは理解を示すような顔を作る。
「あなたも当事者のひとりだから分かると思うが……結局のところ、この国はまだミクロネシアの傷を越えられていない。ミクロネシア戦役と呼ばれるあの5年間の間、浮かれるままに戦争を支持してしまった、その傷跡から」
私は知っている。この国を飢餓の危機から救った英雄を。
私は知っている。その英雄が艦娘と呼ばれる『特効薬』にかき消される様を。
そして知っているのだ。世界が最初の艦娘保有国に、何を求めたのかを。
「そんな私に、世界を救わなくてもよいのだと教えてくれたヒトがいた。世界は『ついで』に救えばいいのだと、
「その『提督』というのは……」
「貴女の想像の通りだよ、ご婦人」
目の前にいる艦娘は、英雄。
南洋のツワモノ、真っ黒な海鳥の
その英雄達に泥を付けた戦いを、私は、
「私たちが守っていたのはミクロネシア連邦でも、日米の駆け引きが産んだ
「……それなら、どうしてアナタはここにいるのデス。ナガト」
まるで素朴な遊牧民のように、あるがままを守るのだと言わんばかりのナガト。
それが根本から間違っていることを知っているのだろう彼女は、私の問いに微笑む。
「そうだな。本当にどうして、こんなことになってしまったんだろうな」
彼女が一歩前へ――――――その進出を止めるべく割り込む赤毛の女性を一瞥して、一言。
「貴女では勝てないな」
「なんだと」
瞬間、赤毛の纏う気配が変わる。ナガトの気配も獲物を前にした狩人のそれに。
「それなりに練度の高い神官であることは見れば分かる。しかし貴国の技術は未だ儀礼を重んじすぎるきらいがある。平たく言えば、
押し黙った赤毛に、ナガトは言葉を並べていく。まるで余裕を見せつけるように。
「上空の
問いかけるナガトの妙な言い回しに、私の視線は赤毛の彼女へと向けられる。
消し切れていないアジア訛り、外交官らしくない粗雑さの残る言葉遣い。
おかしいとは思ってはいたが、やはり。
「貴女も、艦娘だったのですね」
「…………そうだ。黙っていてすまない」
艦娘に対抗するためには、艦娘が必要――――――まるで核抑止の理論ではないか。
「私は
それではお帰り願おう、そう言ってのけた彼女に、釘を刺すようにナガトが言う。
「不毛だぞ、英国の。友好国同士で争っている状況なのか?」
「礼には礼をもって応じる。しかし、相応の無礼には相応の返事があるというもの」
一瞬の、永遠とも感じられる沈黙。
それを感じながらも私は冷静だった。
なにせ、彼らには
ナガトにしてみれば交渉に来たのだから戦端を開く理由がないし、アークロイヤルにしてみれば場所が悪すぎる。いくらなんでも帰国するのに必要な航空機の中で戦いを始めるような愚者ではないだろう。
要するに意地の張り合い。双方のちっぽけなプライドをかけたチキンレース。
「もう十分です。アークロイヤル、下がりなさい」
その演技がかった言葉は、いともあっさりと私の口をついて出た。
今だけは一般市民であることを忘れて、錆び付いた言い回しを呼び起こす。
「英雄に対しての非礼をお詫びします。戦艦ナガト。お話については理解しました。今日の所はひとまずお引き取り頂き……」
「それでは間に合わないのだよ。
私の演技をバッサリ斬り捨てて、ナガトは冷たく告げる。
「端的に申し上げると、この航空機は
「……問題の深海棲艦は、討伐されたのでは?」
「状況はコントロールされていると言ったはずだ」
こちらは深海棲艦を操れるのだぞと、そう堂々と言い放ってみせるナガト。
アークロイヤルだけではない、この場にいる全ての乗務員達が目の色を変える。今や彼らの代弁者となった私は、仕方なくその言葉を口にした。
「それはもはや、脅しではありませんか」
「脅し? 違うな。私は『保険』だよ。私がここにいる限りは攻撃を受けることはない。しかし私が去れば話は別だ。もちろん、信じるかは諸君ら次第ではあるが……」
どのような仕組みになっているのかは分からないが、喉元に刃を突きつけられた状況となってしまっては検証のしようもない。
彼女の言葉が正しければ私たちには凶弾が降り注ぎ、そうでなければ彼女の言葉を受け入れるしかない。
それはまさに、最悪の選択肢であった。
選択肢があるだけマシなのではない、選択肢があることでこちらは選択を強要される。
「ご婦人、そう身構えないでくれ。私は何も、政府職員を人質にとって交渉しようなんて考えていないんだ。私は貴女と、個人的な話がしたい」
その選択肢とは――――――私か、それとも十数名の命か。
「……アークロイヤル、この場の最高責任者は誰ですか」
「今までは
そこで言葉を切ると、私へと……私の持つ
王冠を抱く書類に刻まれた文字列とその意味を、残念なことに――――――
――――――そう、本当に残念なことに。私は知っていた。
「なら、私がここで彼女に同行することを止められる者はいませんね」
「お待ちください!」
「いいえ待ちません。あなた方はすぐに離陸の手配を……これで、よろしいですね?」
そうナガトに視線を注げば、彼女は鷹揚に頷いて見せた。
「ご理解に感謝する」
理解を強要させたクセに。とは言わない。
彼女は実行犯ではないのだ。
きっと誰かに担ぎ上げられた哀れな英雄で、英雄を持ち出さないとコトを収められないほどに相手は困窮している――――――そう思い込むことで、せり上がる感情を制御する。
それは屈辱だった。これまで一度も感じたことのないような、もう二度と、感じることなんてないと思っていた感情だった。
――――――二度と? 一度だってこんな感情を抱いたことは無いはずなのに。
そう思い返して、気付く。
抱いたことがないのではなく、認識していなかっただけなのだと。
「もとより拒否権などないのでしょう?」
それは私がこの国に来たときと同じ。
アレがこうで、コレがああで……そんな私の理解が及ばない
たった一種の危険生物により吹き飛ばされてしまったお膳立て。
屈辱だった。私の全部を塗り替えておきながら、何一つ責任を取ろうとしない人達の存在が許せない筈だった。
でも結局、私はそれを許した。
というより、許すしかなかったのだ。
私の屈辱をあなたは溶かそうとしてくれた。
目の前に張りぼての使命や責務を並べてはやし立てるのではなく、全てを捨てて構わないと言ってくれた。
だから、私は――――――。
「何を考えているのかな? 飯田夫人」
私の思考を邪魔するようにナガトが口を開く。
私は目下、彼女の運転する乗用車の助手席に揺られて連絡橋の上。
これを拉致と呼ぶかどうかは議論が割れるところだろうけれど、本人に動向を拒否する余地がなかったことを考えれば十分に拉致と呼べるのではないのだろうか。
それにしてもイイダ夫人、か。
棄てることになる筈だった名前でナガトは私のことを呼ぶ。
彼女にしてみればこの国に私を縫い付ける呪文なのかもしれないが、私にとってのそれは心地よく、呪いとは全く別次元のものであった。
「夫人?」
「……別に何も考えていませんよ。少しだけ、過去のことを思い出していました」
「過去のこと……そうだな、人間は過去を糧にして生きている」
不思議なことに、今の私に恐怖と呼ぶべき衝動はなかった。
運転席に座るナガトがハンドルを
けれど消える前に、聞いておかないといけないことがある。
それは私がずっと分からない、おそらく最後まで晴らされないのであろう疑問。
「なぜ、コトを起こそうと思ったのですか」
「どうしてそんなことを聞くのかな?」
「『どうしてこんなことに』と、あなたは言いました」
「……あなたは本当に、日本語がお上手だな」
誤魔化すように言うナガト。それは迷いか、それとも何か別の事情があるのか。
「本当はどうなる予定だったのですか?」
「手の内を晒すとでも? 映画の見過ぎだよ、夫人」
ところが彼女は、
「辺境伯という言葉を知っているかな? 彼らは王国を守る。だが辺境という名が示すように彼らの領地は都から離れた辺境の地……冷遇されることも多かったと聞く」
「それが
ミクロネシアが辺境であったか否かという議論であれば、確かに辺境ではあった。
主要な海運網から外れ、ただ広いだけの太平洋に広がる島嶼群に価値を見いだせるかというと、多くの人間が首を横に振るであろう。
そしてそこを護っていたのが第8護衛隊群。
ナガトが所属していた英雄部隊。
「私たちを撤退させたい勢力がいたのだよ。それも、
連絡橋のまばらな照明を受け、ナガトの顔は光と闇を行き来している。
そこに浮き沈みする感情を読み取ることは私には出来なかった。
「私たちは小さな平和を守っていただけだった。だが――――――」
ナガトの言葉はそこで途切れて、その先へは続かない。
私は知っている。ミクロネシア戦役の顛末を。
かの戦いにおいて関係各所がどのように行動し、どのような情報公開がなされ、そして国民がどう評価したかを。
しかし結局の所、私は
真横に座る彼女が
「それがあなたの、戦う理由なのデスネ。ナガト」
それは私と数十センチ先に座る艦娘とを間を隔てる、海より深い溝。
「我が行動は謀反に非ず」
当然だろう。彼女は
いかなる事情が彼女らを動かしたにせよ、行動に踏み切ったという事実そのものがその証拠である。
「この国の非道を正す、そんな大層な名目は私たちにはない。私たちはただ自分の居場所を、ほんの一欠片の平和を求めているだけなんだ」
「その過程で、どれほどの犠牲が出るとしても。ですか」
私の問いに、アレでもかなり抑えている方なのだよとナガトは笑う。
その笑みが余裕ではなく哀愁を漂わせているようにみえたのは、果たして私の希望的観測だろうか。
「飯田夫人。あなたに頼みたいことがある」
当然だろう。そうでなければわざわざ私一人を連れ出したりなんてしない。
そして今になってイイダ「夫人」なんて
「私は
その「彼」というのが私にとっての「あのひと」――――私に「飯田夫人」の
あの人は、統幕監部運用計画部長代理という長い役職名を預かっている。
それはナガトに言わせれば体制側の役職であり、彼女達に立ちはだかる「敵」なのだ。
そして彼女は、助けたいという言葉を用いて私に取引を持ちかけてきている。彼を助けるか、助けないか。
そんな不合理な二択を、私に突きつける。
「どうだろう、力を貸してはくれないだろうか」
恭順しろ。要求にみえて拒否権のない絶対命令。
力を貸してはくれないだろうか。イエス以外の回答が存在しない修辞疑問文。
銃に担保された命令を拒める者がどこにいるだろう。
愛する人を天秤にかけられる者がどこにいるだろう。
しかし飯田コウスケは。
だけども飯田ヒカリは。
「お断りだ」
「お断りします」
ただ、そう答えた。