それはもう、10年以上昔のの出来事。
『備蓄放出を行う方針であり、国民の皆様におかれましてはどうか冷静な――――――』
その日のテレビは、ただ単調に事実を垂れ流していた。
慣れた
けれどもその液晶に釘付けになった少女の背中を見ていると、どうしても電源を落としてしまおうとは思えなかった。
「ねえ、お母さん。買い物にいこうよ」
記者会見が終わるのと同時に、少女は飛び退くように私の方を振り返る。
その表情には隠しようのない不安が宿っており、分からないなりにも世界が大変なことになったのだと理解している節すらある。
大丈夫と諭す私に、少女――――私とあのヒトの、大切な娘――――は鬼気迫った調子で言う。
「ダメだよ! センセイが言ってたもん、政府は落ち着け~ってみんなに言ったけれど、結局誰も言うことを聞かなかったって! 言うこと聞いても損するだけだよ!」
さて、どう説得したものか。
思案を巡らせる私に、携帯が着信を報せたのはそんな時。丁度良かったとばかりに私は飛びついた。
そして画面には――――――飯田コウスケ、予想通りの名前が表示されている。
「お父さんから、ちょっと待っててネ……
『家に居るな。ノゾミは』
「すぐ側に居マス」
ちらりと視線をやれば、固唾を飲んで見守る娘の姿。
電話の向こうのあなたはそれを知って知らず――――――あの一言を吐いた。
『よし。羽田空港は既にパンクしている。ノゾミを連れて横田基地に向かえ』
私は知っていた。その一言に込められてしまった意味を。
『話はこちらから通しておく、いくら米国でも旧宗主国を無下にすることはしないだろう。とにかく今は――――――』
私たちは知っていたではないか。この世界がこれからどうなってしまうのか。
各国の懸命な報道規制が限界に達していたことも。
既に軍が致命的な敗北を喫した後だということも。
絶滅の危機を前に、市民がどんな行動に出るかも。
それをどうして、この期に及んで。そんなことを言うのか。
『家族最後の原則から外れるのは分かっている。だがキミは、キミの命はキミだけのものじゃない。言っている意味は分かるな?』
「ネェ、
哀しい人。己に矛盾を課せないヒト。
薄っぺらな建前に泥が付くのを嫌い、家族を事前に避難させられないヒト。
「私は、アナタのことが好きデス」
『……知ってるよ、私も愛してる。だからキミは、生きてくれ』
あなたは本当は。
――――――私をこの国から、追い出したかったのではないですか?
日本の警察は仕事が早い。
それをこの身をもって知ることになるとは、まさか思っていなかった。
「飯田ヒカリさんですね?」
首を縦に振って応じる私に、無線機への連絡をもって応じる警官たち。
もちろん、これは単に日本の警察が優秀という話ではない。
私の鞄に仕込んであるGPS発信器がキチンと仕事を果たさなければ彼らは人海戦術に頼ることになっただろうし――――もちろん、こんな状況でも人海戦術を展開できること自体が警察の優秀さを示しているのだけれど――――ナガトが私を交渉相手ではなく人質として認識していた場合には警察は手も足も出なかったことだろう。
運がよかった。
けれどそれには事前準備と訓練の裏付けがある。
まさに「人事を尽くして天命を待つ」。
この国の格言通りに私の保護は成功裏に終わったのである。眼を刺すような
「お水を頂けマスカー?」
そう要求すれば、すぐさま差し出されるペットボトル。
それを受け取った先には、コウベ空港で別れたはずの顔があった。
「2時間ぶりくらいやな。元気にしとったか、外人さん」
「……警察の方、だったのデスカ?」
「んなわけないやろ。艦娘と戦うには艦娘って相場がきまっとるんや」
それは私を迎えに来たのがアークロイヤルであったのと同じ理屈。この小柄な艦娘といい祖国といい、誰もが示し合わせたように同じ事を言っている。
それは彼らが、まったく同じ土俵で戦っていることを示していた。
「……」
しばしの沈黙。
おそらく隣に座る彼女は何も言うつもりがないのだろう。私は確かめなくてはならないことを知るために口を開く。
「あの人は――――――飯田コウスケ2等海佐は無事ですか」
「無事やで。
そうですか。私の返事はキチンと彼女に届いただろうか。
「なぁ。これは
その言葉に私は何も返さない。今回ばかりは返さずにいられたことを褒めて欲しいと思ってしまった。私の大好きなヒトは、まだ戦っている。あの人に泥が塗られるのは、戦いが全て終わってからでも遅くはないのだから。
「……すまんかったな。忘れてくれ」
絞り出すように言った彼女の言葉を合図に、遠くから空を押しつぶすような圧迫音が聞こえてくる。それはおそらく私を迎えに来たのであろう、ヘリコプターの音。
「いいんです」
私の名前は飯田ヒカリ――――飯田コウスケの妻、なのだから。
深海棲艦による襲撃が発生してから3日目の朝。
深海棲艦の足取りを掴むことも襲撃を防ぐこともままならなかった国防軍であったが、ここに来てようやく体勢を整え反撃の狼煙が上がることになった。
ただし、少々変則的な形で。
『信じられません。正面ゲートの前に次々と警察車両が到着しています!』
興奮気味なレポーターの声が備え付けのテレビから聞こえる。
液晶に映し出された中継映像は横須賀市街、かつては米国の空母も碇を降ろしたという巨大基地の正面ゲート前には、誰もが目を疑うであろう光景が広がっている。
『ただいま到着したのは機動隊でしょうか? 盾をもった機動隊たちがゲート前に並んでゆきます。これは、とんでもないことになってしまいました!』
画面の中で包囲されつつあるのは国防海軍横須賀基地の元町地区――――――米軍基地をそのまま流用した艦娘特化の基地。
艦娘部隊の総司令部と呼んでも間違いない哨戒艦隊司令部が置かれている場所。
『神奈川県警の発表によりますと、これは先日より続く一連の襲撃事件について、事情聴取のため哨戒艦隊司令官を含む27名への任意同行を求めたところ、これを拒否されたためのやむを得ない処置としており……』
「見事な言い掛かりですね」
まくしたてるように続けるレポーターの声を遮るように言ったのは義妹。
いつの間にやら買い物から戻った彼女は机の上にレジ袋を置く。
「27名なんて大人数に出頭命令を出したら、そりゃあ海軍だってはいそうですかとはいきませんよ。無理難題を出して従わなければ黒塗りで逮捕……警察らしいです」
テレビの中では現実離れした状況が次々と映し出されていく。
ゲートに来ていただけだったのが、次第に基地を全部取り囲むように並べられていく警察車両と警官隊。
空には報道ヘリが飛び交い、そこからもたらされる映像は基地内の様子を……海軍も警備隊を動員してゲートを内側から封鎖していることを教えてくれる。
「まるで内戦です。あ、もう内戦でしたか」
「ハルナ」
不謹慎な発言に躊躇のない義妹をたしなめつつ、彼女の言葉に賛成している自分がいる。
事態は表に出てしまった。もう両陣営共に後戻りは出来ない。
ポツリと義妹が呟いたのは、そんな時だった。
「お兄様は、どうでしたか」
「会っていないのデスカ?」
まさか。こんな状況で会えるしかないでしょうと義妹。
その言葉に自分は特別なのだと――――――少し安心していることを自覚して、気分が沈む。
「元気デシタ。疲れてはいたみたいデスケド」
思い出されるのは昨晩の――――――真夜中の
凍り付くような寒さと、思い切り抱きしめられた事は覚えている。
応える本能と伝わる熱に反して、どこまでも冷えてゆくような感覚。
「あのひとは、まだ戦っているのデス」
そうだ。認めよう。
私は本当は、あの人に選んで欲しかった。
国か自分かを迫られたあの人には、間髪入れずに自分を選んで欲しかった。
選びようのない問いだということも、それを選ばせること自体が残酷だということも承知している。
けれどそれはそれとして、やっぱり選んで欲しかった。
私のことが欲しいのだと。
私のことが何事よりも優先するのだと。
そう、証明して欲しかった。
「私は、あのひとを応援することしか出来マセン」
確証が欲しかった。
あの人は私のことを求めてくれる。
大切にもしてくれる。
それでも、あの日の声色が、表情が、脳裏に浮かんでは消えてくれない。
私は知っている。
書斎机の引き出しに収められた封筒を。
他には埃の一つだって入っていない寂しげな引き出しに収まった封筒が意味することを。
私は知っている。
あの人の私服の少なさを。
あの人は私に服を買ってくれるけれど、自分で服を買おうとはしないことを。
私は知っている。
あの人が好きな花を。
活けると微妙な顔をする植物を。
興味を示さない料理と表情に浮かぶくらいに好きな献立を。
そして私は知らないのだ。
あの人が必要に駆られたのではなく自ら好んで買った服を。
お気に入りのゴルフクラブを。
麻雀の戦績を。
全部知る必要がないのはその通り。
それ以外のことを知っているのも事実。
だけれどそれは、私が「知っている」だけ。
あなたが私を好いてくれる証拠にはならない。
「お兄様と、話せましたか?」
「……話せては、いないデスネ」
無事で良かった。
怪我はないか。
あくまで私という一個体の状態を確認するための事務的な会話。
それはまるで私を見ていないかのようで。
だから思ってしまうのだ。あの人はあそこが「伊丹駐屯地」だったから私を抱きしめたのではないかと。
周りの目を気にせず、ではなく――――――周りの眼が
あの人は必要なら何でもするヒトだということは、私が一番良く知っている。
ゴルフも麻雀も付き合いで、だからこそ徹底的にやりこむ。娘はお父さんはゴルフ好きだねーなんて言うけれど、アレが好きでやっているという証拠は何処にもない。
そして同様に――――――あの人が私を、好いてくれている証拠もない。
「でも、それで良かったのデス。あの人は最後には私の所に戻ってきてくれる。それはなによりの証明になりマス。だから私は……でも!」
「不安、なのですね」
思わず語気を強めてしまった私に、平然と返す義妹。その冷静さが憎らしい。
まるであの人のようで、私の持っていないものを義妹だけが手に入れているようで。
「あの夜からずっと、あの人がもう帰ってこないような気がするのです」
まさに豹変という言葉が相応しい、あの夜のあの人の眼。私に断固たる命令を突きつける異質な声。
それがあの人の本性なのだろうか。
それともあの人は、それが仕事に必要だから演じているのだろうか。
私は知っている。
あの人は見栄張りだけれど、その見栄の裏にはちゃんとあの人がいる。
何物でもない誰かになろうとしているのではなくて、あの人が憧れる自分になろうとしている。
それは強い軍人であり、優しい夫であり、厳しい父であり……そして、どうしようもなく家族のことが好きな、何処にでも居るひとりの市民。
だからもし、あの人があの夜を――――仕事に必要な仮初めの本性を――――ずっと「演じている」のなら。
それはあの人にとってあんまりに残酷なことだと、そう思う。
だからこそ私は選んで欲しかった。
この国ではなく、私を。家族のことを。
「話した方がいいですよ。お兄様と、ちゃんと」
「彼女にもそう言われましたよ。ええと……」
「リョーコちゃんですか?」
私は頷く。小柄な彼女と同じ忠告をする義妹は、ゆっくり言葉を紡いでゆく。
「私は、正直なところお義姉様ほど夫に執着はないんです。籍をいれても他人は他人、腹を痛めて産んだ子供ですら、最後には他人になってしまうんですからね」
ただ、家族という枠組みは信じますよと彼女は続ける。その枠組みは、きっと義妹と血を分けるあの人にも適用されるものなのだろう。
「家族は家族です。それ以上でもそれ以下でもありません。であるからこそ、血で定められる貴賤も存在しないのです」
その言葉の意味を、果たして私は理解できるのだろうか。私にとっての一族とは文字通りの血族であった。
樹木のように枝分かれした樹形図の一部分。私が子を産んだのだって、その木が成長するための単純機械のような行為であって……単純機械?
「……私は、あの人を好いていないかもしれません」
「なんでそうなるんです?」
訳が分からないという顔をした義妹に、私は胸の内を明かしていく。それは繋がってしまうとあまりに残酷な、私の
「私は、あの人のことが好きだと思っていました。好きだから子をなしたいと、そう考えていました……でも、それは本当に『そう』なのでしょうか?」
子を残すことは責務だった。この国に嫁ぐことも、あの人と……結ばれることも。
「あの人は何にでも応えてくれました。私のワガママに、それこそ何でも付き合ってくれました。あの人はずっと、私のために
私は知っている。
あの人が私のために作り上げてくれたものを。
それは立ち振る舞いであり言動であり――――――もしそれがあの人の本性ではなく「演じている」ものだとすれば、それはなんと残酷なことだろう。
「私はあの人を好きになったつもりでいました。でもそれは私が求めるものをあの人が揃えてくれたからで。あの人が私の要望に応えてくれているだけだとしたら?」
どうしてこんなことを、私は他人同然の義妹に聞いているのだろう。
冷静さをまだ保っているらしい私の一部分がそんなことを問うてくる。
私の大部分はそれにこう答えるだろう。簡単なこと、否定して欲しいのだと。
そして義妹は――――ずっと前から知っていたけれど――――トコトン性格が悪かった。
「お兄様はバカですね。この程度も取り繕えませんでしたか」
「ダーリンのことを悪く言わないでクダサイッ!」
「悪く言いますよ。
「デモっ、それは……!」
それはもう、錆び付いてしまった使命じゃないか。
深海棲艦が現れて、人類は協調を余儀なくされた。
海を支配することで発展してきた祖国の海が閉ざされた。
手をこまねいているうちに大陸はその力を蓄え、強大にすることだろう。
彼の国々を叩く
だからあなたは――――――私をこの国から
「そうですよ。私はこの国のことが嫌いです。ジメジメして暑いし、冬は乾燥しすぎて寒いし、よそ者に冷たいし、料理は……」
「……」
「…………とにかく! それでも私は帰りたくなかったんデス!」
「答え、出てるじゃないですか」
否定したかった。
私が言いたいのはそういうことではないのだと言いたかった。
では、私がいいたいのは「どういうこと」なのだろう。
伝えることが見つからない私に、義妹は続ける。
「いいですか。人間一人が国家を、まして人類を救うなどというのはどだい無理な話なのです。お義姉様は我が国も英国も救えません」
「やってみなくちゃ……分からないじゃないデスカ……!」
「それで、
言われるまでもない。
私は何一つ出来なかった。
何も出来ず、ただ流されるままに。
抗いはしたけれど、過程が結果に勝ることはあり得ない。
「それでいいんですよ、お義姉様。そんな大層なことを考える必要はないのです」
「でもそれでは、私はあの人の求める私になれない。国のことを考えるあの人の隣に……」
夫婦というのは契約だ。
少なくともあの人は、そうであるべきと考えている。
夫婦という関係を構築するにあたってあの人が私に何も求めないわけではなかったのだ。
例えば日本語を覚えること。
例えばあの人よりも先に起きること。
新聞にアイロンをかけたり、朝食の支度をすること。お弁当を作ること。家を清潔に保つこと――――は、お手伝いさんに頼むこともあったけれど――――とにかくそういう諸々のこと。
それらに一貫しているのは「良き妻」であることだった。
だから私だって――――被害者ぶるつもりは毛頭ないけれど――――演じてきたのである。
どっちも演じていた。
どちらも演じているから、そう簡単には引き返せない。
こちらが退けばあちらが立たず、あちらが退けばこちらが立たない。
「そうデス、これはメンツの問題です。嗤ってくだサイ」
そう言えば、義妹はきょとんとした顔。
それから表情をいくつか変え、最後には奇妙な――――――何が分からないのか分かったような表情へ辿り着く。
「……えぇと。よく分かりませんが、今回の件というのは例の政府と反体制派の?」
「そうですケド」
「…………メンツが関わるのは組織同士の話であって、個人間の話ではないような」
「……」
「ウソでしょう?」
頭を抱えてうずくまる義妹。
それからぐいんと上半身をバネのように戻すと、物凄い速さで携帯端末を取り出した。
「私です。えぇ、そうです。お兄様はどちらに……」
「チョ! ちょっと待ってくださいハルナ? 誰にかけてるんですか!」
こんな、こんなぐちゃぐちゃの私なんてみせたくなかった。
まだどうすればいいのかだって分かっていないのに。携帯を奪おうと動いた私を軽くいなした義妹は言う。
「お義姉様。いい加減にご自覚なさってください」
あなたは今、恋をしているんですよ。
義妹が投げた爆弾は、想像以上に大きくて。
そしてどうしてか、信じられないほどに
最初は、どうだったのか分からない。
途中までも、どうだったのかは分からない。
それはきっと使命感とオトナになりきれない自分のワガママに折り合いをつけるための方便で。
そうやって方便を強いるウチに出来上がっていった虚像――――――それこそ私が、今日までずっと気付かないほど精密にくみ上げられた虚構で。
それがいつの間にか、ホンモノになっていたのだ。これはウソなんかじゃない。
嗚呼、私はきっと。あのひとに、今でも今までも。
強烈に、恋してるのだ。
「ああ御免なさいお父様。少しゴタついておりまして。それでお兄様は……え?」
ところが、そこで義妹の顔色が変わる。まるで春が冬に逆戻りするような寒気が義妹の横顔に降りてゆく。
「……それで、場所は。教えて頂けない? お父様、残念ですがハルナは教えてくれとはいっていません。教えろと、そう言っているのです」
極寒の地から直輸入したような寒気で端末の向こうを睨む義妹。
いったい何が起きたというのか。それを問うまでもなく義妹は通話を終了すると私に言った。
「どうやらお兄様は、
それが何を意味するかは言うまでもなかった。話をつけに行った? 一度は拒んだ彼らともう一度話をしに行くと?
自暴自棄――――――。
脳の日本語辞書が弾き出した予測を私はそれは違うと振り払う。
ただ
相手の研究、最悪に備えるための名目と権限……手札を全部揃えた上で、それでようやく交渉のテーブルにつくことを決意したはずだ。そうでなければ困る。
「でも、軍人が交渉をするなんて普通じゃない」
「そうですね、普通じゃない……ですが普通じゃないのが内戦です」
これは恐らく「猶予」なんですよと義妹は言う。その横顔に浮かぶのは焦り。
「お義姉様も先ほどのニュースは見ましたよね?」
それは哨戒艦隊司令部を取り囲んだ警察。軍隊に警察の矛先が向けられた光景。
「きっと政府は警察の手で解決する道を選んだのです。それが実行に移されれば国防軍はひとたまりもない。軍の不祥事は軍内部で処理しなければ、落とし前をつけなければならないと考えるのが普通です」
「だからって、なんでダーリンがそんなことをしなきゃいけないんですか!」
あの人は、ただの。
そう出掛かった言葉を呑み込む。
馬鹿なことを言ってはいけない、政治家の息子、軍指導部に食い込む道が既定路線として固められ、それだけのお膳立てがされたうえで私と結婚した男が普通の人間であるハズがない……それが、あの人を苦しめている一番の原因だというのに。
「そういうことですよ。強力な人脈に政界とのコネ。しかも相手に脅迫の刃を突きつけられた張本人でもある……彼は向こうに重要人物とみなされている」
交渉させるのに、これ以上の人選はないでしょう。義妹のいうことはもっともで、だからこそ私は納得できない。
「危険すぎます。そんなことしたら、ダーリンがどうなるか……」
「相手も常識の範囲で対応しますよ。彼を殺せば全面戦争です」
「常識なんて!」
通用しない。少なくとも彼らは、躊躇いなく何十人もの命を奪っている。
「通用しなければ、叩き潰すまで」
あくまで淡々と、数学の解を求めるように義妹は言う。その横顔には、先ほどまで見え隠れしていた迷いはなく――――――諦観にも似た、覚悟だけがあった。
無力を識って、だからこそ立ち上がるような強さがあった。
でも。
「……ヤ」
その声は思考より先に漏れた。だってそれは、建前を取り払ったホンモノだから。
「イヤ、いや、イヤ……嫌です」
せっかく気付いたのに。
これから雲が晴れようとしているのに。
ずっと昔から運命を呪ってきた。その運命に祝福とドロドロの愛情をぶつけて打ち消そうとしてきた。そんな泥沼みたいな私の人生に、やっと一筋のヒカリが差そうとしているのに。
「いやです……デモ」
「諦めてください」
そんな私の内心を読み取ったかのように、義妹が告げる。
「これは、
「嫌デスッ!」
そんな惨い選択があってたまるものか。
片方を立てればもう片方が立たない。それが世界の常識だとして、同じだけ大事なものをどうして選べというのか。
あなたを選んだ私を、あなたはきっと許さないだろう。
あなたを見捨てた私を、私は許せないだろう。
それなら私で完結する後者の方が優秀なのか?
どうして私ばかりが我慢しなければならないのか?
もう我慢はたくさんだ。
でも私は、それ以上にあの人に……あなたに幸せでいて欲しい。
でも私のいないあなたの幸せは、私が許せない。
嗚呼、もう認めてやろうじゃないか。私はあなたのことが好きです。好きで好きで堪らなくて、この気持ちが本物かどうかはどうでもいいくらいに好きなんです。だってこれから、明日から本物にしてしまえばいいのだから。
どうか恨んでください。私にその
ねぇ、知っていますか。
私はずっと、ずっと。
――――――怒っているんですよ?