「半日ぶりやな、外人サン。元気にしとったか……って、このやりとりばっかやな」
聞き覚えがあるその声の主は、カンサイ語を使う小柄な
陸軍の地上迷彩に身を包み、黒光りする長靴を身につけた彼女が避難先のホテルを出た私たちを待ち受けていた。
「ほれ、足も用意しておいたで。陸軍の傑作品や」
「何から何まで助かります。リョーコちゃん」
「ええって。ハルハルのワガママには慣れとるからな……さ、世界を救いにいこか」
冗談めかしてそう言って、さっさと運転席に乗り込む彼女。ナビゲートしますよと義妹が助手席に飛び乗るので、私はひとりだけ後部座席ということになる。
「ほんで? 作戦は」
「プランBでいきます」
「……プランAを聞いとらへんな」
「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応するということです」
「行き当たりばったりってことやな。よっしゃ面白くなってきたわ!」
小柄な艦娘はそう吐き捨てるとエンジンを始動、公道に飛び出した自動車は物凄い速度で駆け抜けていく。
それは車が一台もいない、不気味なほど静かな道だからこそ出来る芸当だった。警察による徹底的な交通管制の結果だと、小柄な艦娘が説明する。
「市民の皆様方も薄々感づいてるで、家に
「早ければ午後にはパニックになるでしょうね。備蓄を政府が要請したところで、その日暮らしの人は多いですから」
もの知り顔で語る義妹に、顔をしかめながら同意する小柄な艦娘。
いくつか聞きたいことはあるけれど、果たして聞いて良いものか。
「『なんで陸軍の車なんて持って来れたのか』って顔やな」
バックミラーで確認したのだろうか。私がはっと顔を上げると「見んでも分かるわ」と矛盾した言葉が飛んでくる。
「ウチな、陸軍の出身なんよ。昔、でっかい地震があったときに助けてくれたヒーローみたいになりたくてな? 国防軍が……自衛隊が人殺しするための組織やなんて知りもしなかった、何にも知らんで入って……けど、ウチバカやからなぁ。他の生き方なんて分からんかった」
せやけれどウチは後悔してないでと、彼女は続ける。
「確かに、悪いことはぎょーさんあった。でもウチがいたからチビ共もいる。ハルハルは口達者やけど深海棲艦相手には生き残れん。ウチの独りよがりで繋がった命もあるって、今はそう信じてる。信じることにしたんや」
「リョーコちゃん。それ、答えになってませんよ。愛しの旦那さんが無理利かせて貸してくれたって言いませんと」
「アホッ、それ今言うたらややこしくなるやろ! ……とにかくな、ウチが言いたいのはこういうことや。外人さんの考えは、間違ってないと思う」
それはどういう意味だろうか。その真意を確かめる前に彼女は言葉を重ねていく。
「エライ人間の考えることは複雑すぎる。警察、軍隊? 関係ないやろ、大事なのは家族を守りたいって気持ちのハズなのに、家族最後なんてお題目を掲げなきゃいけない理由はなんや?」
理屈では説明できる。しかし理屈ではないのだと、そう彼女は言う。
「場所は違ったけど、ウチも
お国のためやって頑張った。
青春も夢も、家族も、大切なモン全部放り出して戦った。
それが大切なモノを守ることになるって信じたから。
「――――――けど、結果はどうやった?」
言葉尻に怒りが浮かぶのは、彼女もまた被害者の一員だからなのであろう。
「国が裏切った。あんだけ戦役を褒めそやした連中も撤退した瞬間手のひら返し……ほんで、気付いたら手元には大切なモノなんかなーんも残っていやしない」
そら悔しいわ。恨みもするわと、そう彼女が締めようとする。
「……本当に、それでいいのでしょうか」
「んん?」
何か違うのではないだろうか。何か、大事なことを見落としているような。
「ナガトと話しました。彼女は、確かに戦役で身体を傷付けられて未来を喪った。でも決して、怒りや恨みのような感情に身を任せているようにはみえなかった」
もっとなにか、為すべき事を粛々と実行しているような。そんな使命を抱えているように見えたのだ。感情を押し殺して、押し殺していることにも気付かないで……今日までそうやって生きてきた私だから、それは分かる。
では、彼女の感情を押し殺した「使命」とはなんだろうか?
「――――――それがどうした」
「へ?」
一瞬、それが誰の言葉か分からなかった。
なにせそれはあまりにも低くて、そして殺意と呼ぶべき感情が宿っていたから。
「それがどうした……って言ったんや。外人さん、あんたの姿勢はエライ。他人を理解しようと必死になる。
「リョーコちゃん」
随分と棘のある言い方だと、そう諫める義妹の制止も聞かずに彼女は続ける。
「ウチは同情してまう。アイツらに肩入れしてしまいそうになる。青春の全部を持ってかれて、大切なモノみーんな奪われて。それでまだ、手元にナイフだけがあったら? 政府高官や将官を殺してるのやって、なにか
だから。ウチはアイツらを理解することにした。そう彼女は結ぶ。
「理解は線引きすることや。同じモノにはなれないと線引きして、別の世界に住むことを認めることや。アイツらは違うんだと、異質なモノなのだと……そうやな。外人さん、ゴシップは読むか?」
「読みませんけれど」
「やったら読んだらええ、
深海棲艦の正体、って。考えたことあるか?
「どっかの雑誌がな、こう言ったんや。深海棲艦の出現海域は人類が争いを繰り広げた場所に被っている、だから深海棲艦の正体は海に沈んだ過去の亡霊なんやと」
ハッ、あほらし!
そう虚空に叫ぶ艦娘。
空元気に見えたのは、気のせいだろうか。
「これが『線引き』や。亡霊だから祓って良いって理屈で、生きてる生物を殺すんや。魔女狩りとなーんも変わらんよ。ウチらのしてること」
「……一応、政府の公式見解を添えておきますね。深海棲艦は生物です。人類の経済活動を阻害しているため、やむを得ず殺処分しています」
口を挟んだ義妹に、すかさず艦娘は返す。
「ほんなら、ミクロネシアは放っておけば良かったんや」
「そうですね。そのとおりです」
ミクロネシア。人口は深海棲艦が現れる前ですら50万ほど。人類70億から見ればちっぽけな人々と守る……少なくともそういう名目で、戦役の幕は切って落とされた。
「なんでその責任を、現場に押しつけたんや?」
「誰も責任なんて負いたくない、これ以上の理由が必要ですかね」
「せやな。そしてそのツケを今、この国は払わされてるんや」
車内に沈黙が降りる。
少なくとも目の前の艦娘と義妹は、彼らが復讐のために戦っているのだと考えているらしい。
この溝は恐らく埋まらないのだろう。「そういうもの」だと
何を? 己の良心を?
「だからこそ、軍は身内で解決しなければならない。いうなれば、落とし前をつける必要があるわけです」
「ほんで出てくるのが2等海佐か。相変わらず我が軍はケチやな……さてと、外人さん。状況はええ加減把握できたか?」
いつの間にか、二人の意識は私へと向けられていた。それは私の行為を咎めるでも諭すでもなく、しかし決断を迫るような色がある。
「……今の話を聞いても、何が正しいかなんて判断できません」
「せやろな、ウチらは正しいことを聞いとるわけやない。もうお互い引き返せんところまで来ちまったんや。あとはやるだけやるしかない……そんな状況で、アンタはどうする」
「どうするもなにも」
ミクロネシア戦役の残した傷跡は大きい。
その傷跡を癒やせぬ者たちが起こしたのが今回のクーデターだという。
ではなにか。ミクロネシア戦役の責任を取るために、私の愛しい人が
そんな話があって堪るものか。
「――――止めます」
「それはエゴですよ、お義姉様」
「でも、止めます。そうしなければ、私はあの人の夫でいられなくなる」
どうして今まで気付かなかったのだろう。優しさのぬるま湯が私の判断力を鈍らせたのか。それともそれほどに、ずっと色ボケしていたのか。
でも今の私は知っている。
あの人は、私のモノ。絶対に手放してはいけないと。
しがみつくだけでよかったのだ。
あの人は優しいから、その優しさに何処までも付け込んでしまえばよかったのだ。
どうして立派な妻なんて演じてしまったのだろう。
どうして立派な夫であることを求めてしまったのだろう――――でも、そんな
あの人は
だから――――――止めてみせる。たとえそれが、世界を壊す選択肢だとしても。
「ダーリンを助けますよ。そのために、ここに来たんですから」
そこに、あの人は居た。
何をするでもなく、灰色の海と今にも落ちてきそうな曇天を眺めて。
「……」
叫んでしまいたかった。今すぐ駆けだして、抱きしめてしまいたかった。だけれどそうしなかったのは、彼の横顔を私が知らないから。
結局のところ、私はあの人のことを知ろうとしてこなかった。
見える範囲のものを全部拾って満足した気になって、見えていたはずの欠落を無視していた。
知らないことを、私は知っていたはずなのに。
私の知らない彼が振り返る。
穏やかなハズのその表情には、あの夜の厳しい眼差しが灯っているように見えた。
「先方が来る前でよかったよ。乱入されたんじゃあ、お互い大変だからね」
それは耳障りは優しい口調。けれど文脈には棘が多分に含まれる。
何故来た、仕事の邪魔をするつもりか。あなたが言いたいのはそんなところだろうか。
「どうしたんだい。急に来ると聞いたときは正直、焦ったよ」
ここらは意図的に交通規制がしてないからねと、あなたは言う。
それが相手との交渉条件だったとは言わない。
私に伝えるべき情報を最小限まで絞っている。職務上仕方のないことだと分かっていても、湧き上がる想いを抑えられない訳ではないのに。
でも昨日までの私は――――――この気持ちを、ずっと押さえ込めていた。
気付いていなかったとしても、この気持ちがいきなり現れたなんてことはあり得ないのに。
「教えて、ください」
あなたの素直な気持ちを、本当に考えていることを。
そうしてくれるのなら、私も全部、ぜんぶ思っていることを吐き出せるから。
「怖くないのですか。悲しくはないのですか」
違う、こんなことを聞きたいわけじゃない。
私が聞きたいのはもっと根っこの部分で、そんな上っ面のような、言葉一つで誤魔化せてしまうような部分ではないのだ。
「私との時間は――――――なにも感じないものでしたか?」
「どうしたんだい、急に」
急に。そうだろう、こんなことを考えているのは私だけで。
あなたはきっと、昨日までと同じ日々がずっと続いていくと思っていて。
「怖いんです」
そんな
これから向き合わなければならないことが。
それが全部、たまらなく怖い――――――怖くて怖くて、震えずにはいられなくて。
私のことを見てくれているのだろうか。
地球の反対側で凍えていた私に家庭という温もりを与えてくれたあなたに、私はどんな温もりを与えられているのだろうか。
それとも
「そうか。私も怖いよ」
俯いた私にあなたはそっと腕を回す。
そうですよね、あなたはいつもそう。為すべき事を知っている。
私の表情を、私の感情を……なんでもかんでも先回りして、与えてくれる。
だからこそ、私は。
「……っ」
その腕を振り払う。
あなたがどんな表情をするかなんて、私は知らないけれど。
見たくもないけれど。
「どうして、私を選んでくれなかったんですか」
そうだ。私は選んで欲しかっただけ。
国と私を天秤にかけて、あなたに私を選んで欲しかっただけ。
意地汚いって分かっている。選びようのない、あまりに残酷な問いということも分かっているけれど、そういうのを全部飛び越えて、あなたには私を選んで欲しかった。
「世界が壊れた時もそうでしたよね。あなたは私に、私とノゾミに国を出るように言った。そして今回も……どうしてなんですか」
あなたは何も言ってくれない。
答えないことで私に自省を促すつもりなのか。
自分の吐き出した言葉を呑み込んで、その意味を反芻して考えてみろと言いたいのか。
「私だって、メチャクチャ言っているのは分かっています……けど、けど!」
否定してくださいよ。できるものなら優しい言葉で。
今の私はおかしいって、美味しいモノを食べて温泉に浸かって、ゆっくり休んで気力を回復しなさいって。そう言って下さいよ。
彼は何も言わない。まるで言わないことが、正解だとでも言わんばかりに。
「私は……!」
あなたに「私」を選んで欲しかっただけなんです。
言ってしまった。その一線を越えてしまった。
顔をあげた私はどんな表情をしているのだろう。
「国を守らない私に、価値を見いだせるのかい?」
それは冷徹な問いだった。何物にも動じないと言わんばかりの表情で、そんな悲しいことをあなたは言う。
嗚呼、私は怒っている。
だってあなたがあまりにも……平然としているから。
「最初に言ったな。私も怖いと。私がなにに怯えているか知っているかい?」
「そんなこと」
クニが滅びることでしょう、とは言えなかった。
それは多分、違う。
だって仮にも今は国が覆るかの瀬戸際。それなのにあなたは今、こんなに穏やかな表情をしている。
「キミに叱られることだ」
知らないのか、私は恐妻家なんだよと。
この人は平気で
そしてそのウソを見抜けるのは、多分世界で私ひとりだけ。
「私はね、実は少しだけ喜んでいるんだよ。許されないことをした自覚はある。家族を優先できない人間は愛国者とは呼べない……しかし、国を棄てた私を、果たしてキミは許したのだろうか?」
そうじゃない。あなたの言いたい言葉は、言うべき言葉は、
「許しませんよ……許しませんが、許すしかないんです」
私の言葉に、きっとあなたは困惑するに違いない。
だってあなたにとっての私はまだ妻であって。
お互いが共有する目的のために横に並び立つ者であって。
そしてそれは、お互いのことを見ているわけではないのだから。
「ダーリン。怖いって言って下さい」
私は知っている。あなたの筋肉が責任で出来ていることを。
贅肉をつけることも許されないのは誰かに見られているから。誰かに欠陥を見抜かれるのが怖いから。
「この国で生きていくのが苦しいって、生きていることが悲しいって」
私は知っている。あなたの趣味が義務であることを。
ゴルフに麻雀、読書だって本当は好きな訳じゃなくて会話を保たせるため。作り上げられたあなたのトークはさぞ面白いのでしょう。相手に気付かれもせずに手を抜くことが出来るのでしょう。
「……もう、いいじゃないですか」
私は知っている。あなたが見栄張りなことを。
私の前ですらも見栄を張ることを。
「私は、私は『わたし』以外の何物でもありません。あなただって、あなた以外の何物でもない。それではダメなんですか」
「それを一番知っているのは、あなただろう。飯田ヒカリ」
嗚呼、それとも。私たちは
二人だけの世界なら名札もいらないのに、どうして私たちは貼り付けあうのだろうか。
「確かに私は私だ。しかし飯田コウスケであり、飯田家長男であり、今は階級章を頂く身でもある。そしてキミの……」
「その前に!」
叫んでから、気付く。私は、何を聞きたいのだろう。自問してから思い出す。
そうだ私は、あなたに認めて欲しいのだ。
「私は……怖いんです。喪うのが、怖いんです。あなたを喪うのが、怖い」
喪うのが怖いことを。
私とあなたが、同じ存在であるということを。
「答えて下さい。怖いのか、怖くないのか」
あなたは私と「同じ」だと。
少なくとも、私が恋を出来る