どれだけ眠っていただろうか。
打ち身で酷い事になっていないだろうかと辺りを見渡した………………生きている?
薄明りであるが、月光が差し込むおかげで周囲の様子がある程度分かる。
夜目には慣れていないが、ぼんやりと輪郭が整わなくても彼がいるのは確認できた。
「――――――ダーリンっ!」
壁に身を預けて足をだらりと延ばしている。ズボンは半分捲り上げられ、太腿には白色……おそらく包帯のようなものが巻きつけられている。
そしてその脇に――――――見知らぬ人影。
白い長髪を流して、銀にも近しい神々しさを放つ人魚そのもの。
すなわち、ヒトならざるもの。
「ダーリンに触るなァ!」
咄嗟に殴りかかろうと踏み出すが、足元も把握できないのに一気に踏み出してしまったのが仇となった。
バランスを崩して転倒。鍛えていないのだから当然なのだけれど、とうの昔に身体は限界を迎えていたらしい。
真っ暗であるが、おそらく地面らしきものが迫る――――――しかし、ぶつかる直前に支えが入って空中で止まる私の身体。
それは他ならぬ、敵と判断した相手が支えたことによるものだった。
「…………アリガトウと言うべきですカ?」
私は焦点が合わないながらも、その人影に問いかける。
彼女は首を捻る動作をした後に、信じられないほどに流暢な日本語で返事をした。
「お礼を言われる筋合いもないわ。そもそもここまで接近を許したのは私達のミスって訳だし」
ヒラヒラと手を振るそれ。
どうやら悪い人ではないらしいが、私たちの――――――つまり、私の夫である飯田コウスケの味方ではないのは確かだろう。
私は暗闇のなかで目を凝らす。最初は深海から這い出た化け物と思ったそれは、よくよく見ればバイクのヘルメットのように頭部を保護しているようであった。
となれば、このなまめかしい姿は甲冑、全身を覆う戦装束といったところか。
「ずいぶん消耗している、もう少し休んでいなさい」
外見とはかけ離れたことを言う戦士。魚類の頭を模したヘルメットはボイスチェンジャーとしての役割も果たしているようで、くぐもった声が私の耳に届く。
そしてそこに、私の待ち望んでい声音が飛び込んできた。
「連れの目も覚めた。そろそろ本題に入って良いか?
ダーリンの声、私と一緒に、戦ってくれたヒトの声。それを聞いた戦士は溜息を吐く。
「誰が好き好んで
アメリカの復讐者? そう首を傾げれば、お前は気にしなくていいと手招きをされる。
行く当てもないので、彼の隣に腰かけて事の推移を見守る。
「説明した通り、我が政府は徹底抗戦の構えだ。主要7都市、県庁所在地、市町村……ありとあらゆる行政組織が消えるまで抵抗は続くだろう。その上で聞く、まだこの行いが正解だったというのか?」
「……その質問を復讐者にする必要があるの?」
疑問文に疑問文で答えれば堂々巡り。おそらく、ハナから回答する気はないという事だろう。
状況は確かではないが、おそらく私達を助けてくれたのは彼女。
そしてこの国の舵取りを破壊したのも、目の前にいる張本人に違いない。
「別に貴方達が邪魔だとは思ってないの。だからこうして空襲から助けてあげた訳」
「とんだマッチポンプだな。お前がキチンと手綱を握っていれば良かっただけのことを」
手綱を握る……そういえばナガトも自分がいるから攻撃が来ない、けれど離れれば安全は約束できないみたいなことを言っていた気がする。
つまり、目の前の彼女も深海棲艦を完璧に操れるわけではない?
その台詞に対して、相手は何故かこちらを向く。実際には被り物の視線と思われるものがこちらに向けられた。
「そこの御夫人を一番警戒していたのよ」
「Why……?」
「命の危機とは言えど、艤装なしで空砲を撃った訳でしょ? 訓練してない民間人が落下する飛翔体の軌道を逸らせるだけの射撃精度とか、まるで曲芸師じゃない」
咄嗟に手を翳した事を思い出す。
あれがつまり、ナガトさんや他の艦娘達と同じ砲撃であったと? そんなことがあるのだろうか?
「貴方の奥さん、相当厄介ね。一体どこで引っかけたのよ?」
それは単なるフィアンセだから……しかし、そんな偶然で片づけていいものではないのではないかと私はふと思い至る。
そして彼の家も、私を欲しがっていたのは間違いない。
それが純粋な国際結婚でないことは知っていた。
日英友好の架け橋としての
そういえば
息を少し吸う。酸素を取り込んで、記憶を手繰る。私はおそらく、答えに辿り着くためのヒントを全て持っている。
『端的に申し上げると、この航空機は
そうカンサイ国際空港で宣ったナガトは、しかし私を連れ出した後に飛行機の安全を気にしたことはなかった。
そして飛行機が襲われるということもついぞ無かった。私の認識している限りでは。
『そこの御夫人を一番警戒していたのよ』
そして戦士の言葉を聞く限り、
それが血統だというのだろうか。
確かに私は高貴な血筋の出ではあるけれど、今の時代、血筋に価値があるわけではないというのに。
『瀬戸月の家は明治時代に『北鎮』を担うべく北海道へと入植した。彼らは海の一族であるが故に土地との結びつきをもたない』
それならどうして、ダーリンは「土地との結びつき」という言葉を口にしたのか?
私は彼の言う『北鎮』を屯田兵――――この国が行った最初の植民地政策――――のことだと考えていたが……。
もしそうでないとしたら――――――
それはなにを意味するのか。
『横田基地に向かえーーーーいくら米国でも旧宗主国を無下にすることはしないだろう』
どうしてあんな、何もかも手遅れになってしまってからでもあの人は英国を頼って国外脱出出来ると踏んでいたのか。
『それをお読みになった時点で、あなたは英国海外領土国民となりました』
そしてどうして、地球の裏側から本当に
その理由は私の血筋。
私の身体に息づく血に、それだけのことをするだけの価値があるということ。
であれば、まさかその理由が権威や正統性といった虚構であることはないだろう。
だってそうでなければ、あの窮地を乗りきることなど出来なかったはずだから。
「教えてくださいダーリン、私は……いったい
その問いに、貴方は。
「天叢雲剣……もう少し正確に言うと、その役目を担う代行者だ」
「……!」
明らかに反応してみせたのは戦士の方だった。一方の私は話が全く見えずに首を傾げる。
天叢雲剣といえば日本の皇族が大切にしているという三種の神器ではないか。なぜ英国生まれの私が?
「
不幸な事故だったと、彼は続ける。
「陛下にお仕えしていた代理人の一族が大火に見舞われたんだ。陛下は深くお悲しみになられ、代わりの代行者を立てようとはしなかった」
そしてそれを、騎士団長は許さなかったのだと彼は言う。
時は20世紀末――――――冷戦が終わり、当然ながら延長されるべきであった香港領土の租借権交渉が頓挫し、
「そうして贈られたのが、
無垢な少女を。
一片の汚れもない純白を。
幾世代にも渡り育て上げられた血統、決して鈍ることのない金剛石よりも硬い剣として。
それを汚したくなくば、己の手を汚すことを躊躇うなと。そうでなければ平和や安定という言葉では語れぬ新世紀に立ち向かうことは出来ないと。
そんな大仰な
「当然ながら、我が飯田家も陛下のご意志に背くつもりはない。だからこそ
「なにそれ」
意味分かんない、と。そう溢したのは
ギロリ、と戦士がその兜越しに私たちを睨む。
「標的が増えたかな? 復讐者よ、その願いは成就するのだろう。他ならぬ、この国の滅ぼ」
彼は最後まで言葉を紡ぎきることを許されなかった。戦士の腕が伸び、壁に突き刺さる。
「ダーリンッ!」
「……大丈夫だ、生きてるよ」
その返事に、私は胸を撫で下ろす。
しかし実のところ、撫で下ろしている場合ではなかった。
私たちは生きているようだけれど、それは
今や私たちの生殺与奪の権はこの戦士が握っており、今の動作からも分かるように逃げたり、ましてや倒せるような相手とは思えなかった。
「さあ、いい加減本題に入ってくれないか。時間を稼いでいるのは分かる。しかし一般論として、時間は攻め手の敵。時が立つほど政府は持ち直し、包囲網は狭まるものだ」
「時間稼ぎ……そりゃまた検討外れね。私が本気で日本を乗っ取ろうと思って?」
先程の殺意とは打って変わって、今度は呆れが混じる。
相手は国政に介入するのが目的だと皆が騒いでいた。私もその通りだと思っていた。
『ここんところ国は負け続きや。マーシャルで、ミクロネシアで負けた。もう海外出兵が始まってから10年経つ。この国が追い詰められているのは誰でも知っとる』
この国は負けた。だから撤退した。
それを受け容れられない人間は、残念ながら存在する。
それこそ
彼らは本気だった。街が焼かれ、
だから目の前の戦士も、ナガトも、ミクロネシアからの撤退を認められないのではないのか。
だが、その首謀者はまったく意に介さなかった。むしろ見当違いも甚だしいと鼻で嗤う。
「別にそういうの興味ないんだけど」
「なにに興味があるにせよ。貴様らがやっているのは、日本という船の漕ぎ手を射殺す行為だ。
国家をより良き方向に導く。そんな志を掲げる指導者は確かにいなくなった。クーデター側が勝とうと、政府側が勝とうと、この国の未来は暗い。
だからこそ、ダーリンは私をこの国から
「罪がない……本当にそうかしら?」
対して戦士は、熱を含んだ回答を放つ。
「例えば、与党副幹事長筆頭の中島議員。財務委員会に根回しして、年度予算を戦時圧縮したって言ってたわよね。世間じゃ結構な評判よね。スマートで最大効率の戦争だって喝采されてた……でも」
その真相ぐらい貴方だって知ってるでしょう?
「経済界上がりで自動車を中心に第二次産業と密接な方だった。六連星造船との収賄容疑すら検察も踏み切れなかった重鎮。他ならぬ
「
戦士は汚職と利権の為に国防が売られたのだと諭してくる。
「何の証拠もない」
「証拠はあっても諸事情で追及できない……の間違いでしょ?」
ダーリンが渋い顔をするのが見える。
「……少なくとも、歳費を減らす必要があった。戦線の縮小とはそういう事だ」
「
もちろん密談の録音くらいは抑えてるわよと戦士は嗤う。
「それが結果的に10万人規模の難民に膨れ上がってさぁ大変。節約した筈が、死ぬ予定だったヒトを養う為に公費を投じるようになりました。メデタシメデタシ」
彼女は大袈裟に両手で拍を打つ。勿論、ちっとも祝っているようには見えなかった。
「そうよ。罪のない民間人を生き残らせたのこそが
事実と判断する材料が不足し過ぎている。しかし、妄言だと否定しないダーリンの姿勢は変わらない。黙ったまま、聞くに任せる彼。なぜ議論をしようとしないのだろう。
私が彼なら、国防産業の再編とそれがもたらした技術革新を話す。プレアデス重工業が発表した
収賄だってそう。中島議員は技術革新の報酬を受け取ったのだと、そう言い換えればいいではないか。
「この国は法治国家だぞ」
それなら、違法に盗聴された録音なんて否定してしまえばいいではないか。
それなのに、どうして戦士の
それをしないなら……まるで、
そうしないのは、内心の何処かで受け入れているから?
「お前は殺人犯だろう。なんのために刑法が存在すると思っている」
「その法治国家サマが悪人を見逃したから、私が仕置きしたのよ」
「どの口が……何人殺したと思っているッ!」
「11人よッ! たった11人とミクロネシア国民10万人を天秤にかけた!」
彼女は吠える。声なき声。時代に封殺される筈だった亡霊の代表として。
「
それがミクロネシアを守るために殺した人間の数だと、
それなのにと、彼女は続けた。
「なのにこの国は、自分達の勝手な都合で産み出したミクロネシア難民を排斥しようとした……この国がそうあり続けるならば、私の――――――彼が護ろうとした世界の敵なのよ」