舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第4部「裾野に流すはかりごと」
第56話 すそのにながすはかりごと


 どこまでも、どこまでも。茶色にそまった大地が続いていく。

 

 

 私の頭上に垂れ込めているのはいつもどおりの暗くどんよりとした雲。春の訪れは気の遠くなるほどに遠くて、僅かに常緑樹が深緑のアクセントを添えるだけ。

 

 私の吐き出す息は白く染まって、染まるより早く後ろへ。鼓動が激しく胸を打って止まないけれど、私の足は止まらない。

 等間隔に植えられた木々を駆け抜けて、地面に埋め込まれた平たい石を蹴る。

 そうして私の身体は木造家屋に躍り込んだ。

 

「ただいま帰りました!」

 

 鼻腔をくすぐる使い古された畳の香り。

 慣れ親しんだ私の実家(せかい)

 

 ずっと、ここで暮らすんだと思っていた。

 

 進学して東京や大阪の学校に行くことはあるかも知れない。

 だけれど最後にはこの場所に戻ってきて、この大地の上で生きていく――――――そんな私は、きっと郷土主義者(ナシヨナリスト)とでも呼ぶべきなのだろう。

 

 それなのに、居間を覆い尽くすのは知らぬ気配。

 警戒感を露わにした私に、待ち構えていた父が知らぬ気配たちの符号(なまえ)を説明していく。

 

「ミコト、こちらは総務省の鷹留(たかどまり)さん、文科省の瑞島(みずしま)さん。そして環境省の……」

 

 背丈も所属も性別も違う。

 共通点は公務員という肩書きと、中央官庁に勤めていることぐらい。しかしどうして、彼らがこんな辺鄙な場所まで足を運ぶというのだろう。

 

 分からない私は聞くしかない。

 

「お父様の、お仕事の方でしょうか?」

 

 自分で考えろと散々言われた。

 可能な限り本も読み込んだ。

 それでも分からないことはいくらでもある。

 

 それを知って、父は私の無知を(そし)ることなく静かに首を振る。

 

「いいや、私の仕事ではない。彼らの仕事は……」

「奉公の時が来たのです」

 

 父の言葉を継いだのは、凜とした声。

 薄く積もった雪を溶かし、ふきのとうを芽生えさせるような温かみを持ったその声は、あの日だけは少し震えていたように思う。

 

「やだ」

 

 今でも不思議に思うことがある。

 どうして私はあの時、あんな言葉を口にしたのだろう。

 

 家の外にずらりと並んだ自動車の群れを見たとき、私の家を侵す無数の気配を感じたとき、私は何が起こっているのか理解していた筈だと言うのに。

 

「我が一族は、先祖より伝わる土地を代々に渡って守ってきました」

 

 その言葉は、歴史の授業でもなければ事実の確認でもない。

 ()()懸命の言葉通り、姉は命を懸けて戦ってきた。

 

 それはこの大地を守るため。それを人は奉公と呼ぶ。

 

「知ってます。でも姉様、あなたはもう十分に戦ったじゃありませんか」

 

 私の言葉に、姉は沈黙をもって応じただけだった。

 父がそっと背を向けると、申し合わせたようにぞろぞろと部屋を出て行く有象無象。最後には誰も居なくなり、部屋には私と姉だけが残される。

 

「ミコト、こっちに来なさい」

 

 言われるままに身を寄せる私。

 客人を追い出した部屋はひどくがらんどうとしていて、思い出したように寒さが身を締め付ける。

 

 島国の日本では珍しい内陸型の気候は四季を際立たせるけれど、凍える冬というのは姉を蝕む存在でしかなかった。

 

「よく聞きなさい」

 

 冷たい風は庭の木々に阻まれるはずだというのに、寒さは身体の芯を捉えて離さない。

 縋るように握り締めたその手は氷のように冷たくて、枯れ木のように細い。

 

「古来より、戦いが途絶えたことはありません。私が担えるのは長い歴史(たたかい)の一端」

 

 その言葉は過去形の筈だった。既に姉はその戦いより退いている。

 

「……はい。姉様は立派にお勤めを果たしたと存じております」

 

 なのに姉は苦しめられている。絞り出されたのは敗北宣言。

 

「犠牲なくして平和はありません。平和を勝ち得るには大きな代償が伴うのです」

 

 それは、私が絶対に触れないようにしていた言葉。

 

 実のところ、姉の帰還を喜んでいたのは私だけであった。

 先ほどの官僚たちは姉のことを役立たずと恨んだことだろうし、父すらも姉にどんな感情を投げかけているのかは分からない。

 

「ですが、こんな身体になった私でもまだ奉公できる。これに勝る喜びはありません」

 

 ましてや、あなたのことを守れるのですから。

 

 姉は聡明だった。

 まさか彼女が、私の心中を察することが出来なかった筈はない。

 

 だからこそ、姉はそんなことを言った。

 

「でも、姉様がいなくなったら。私はどうすればいいのですか」

「生きなさい。生きてこの地を、この国を守り続けなさい」

 

 私が求める言葉を知って、姉はそんな風に言う。そして私の名前を呼ぶ。

 

「ねえミコト、そんな顔をしないで頂戴? 私は居なくなるわけじゃない。この国を支える柱となって、あなたのことをずっと見守っているわ」

 

 嫌ですとは言わせてもらえないだろう。

 分かりましたとは口が裂けても言えないだろう。

 

 もはや言葉すら選ぶことの許されない私を、姉の細い指が撫でる。

 

「なんで……なんで姉様なんですか? 姉様が悪いわけじゃないのに」

 

 口を突いて出たのは、もうどうしようもない幼子の駄々。

 

「これは償いではないわ。悪いからする訳じゃないの。前に進むための戦いなのよ」

 

 姉は、そんなまやかしの言葉で私を説得できると思っていたのだろうか。

 

「大丈夫。私が居なくても、あなたはしっかりやってゆけるわ。そして……」

 

 私の代わりにあなたを愛してくれるヒトも、必ず現れる。

 

 どうして、そんなことを言ったのだろう。

 私が傷つくとは思わなかったのだろうか。

 

「姉様の代わりなんて居ません!」

「そうね。今は、確かにそうね。でも、あなたはいつか私を忘れるわ」

 

 きっと姉は分かってやっていたのだ。

 彼女は、私の気持ちを砕くために言葉を選んでいた。

 

 それに気付けないほど、私を愚かだと思っていたのだろうか。

 

「今だけじゃないです。ずっとです。絶対に忘れません」

「分かってるわ。ありがとうね、ミコト」

 

 その言葉を区切りにして、姉はすっと立ち上がる。

 

 先ほどまで病床に臥せっていたのが嘘のような立ち振る舞いに、部屋の外で待ち受けていた背広姿が呼応する。

 

「こちらへ」

「よろしくお願いします」

 

 その歩みを止めようとするものは誰も居ない。

 

 父ですら、姉と視線を交わしたきり一言も発することはない。

 

 分かっている。止めてはいけない。

 姉がこれから何を為そうとしているのか、それで何が救われるのか。私はそれを理解している。

 心は必死に動けと命令を出し続けるけれど、私の両足は痺れたように動かない。そうして私を畳の上に貼り付けてくれていた。

 

「それでは、いって参ります」

 

 姉が父にそう言う。沈黙の行列が動き始める。

 

 内閣府と刻まれた背中を先頭に立て、歩調まで合わせてトタトタと木の床を蹴る。

 まるで姉を中心にした大名行列のよう。

 

「姉様!」

 

 その言葉に、幸か不幸か行列は歩みを止めてしまった。

 姉は無言で頷く。もはや何を言ったところで覆るわけでもないのだから、言葉は必要ないとばかりに。

 

 ――――――携帯からけたたましい電子音が鳴り響いたのは、その時だった。

 

「空襲警報だ」

 

 誰かが事務的な調子で告げれば、遅れたように防災無線が雄叫びを上げる。恒久の平和を希求したとされるこの国に、鳴り響いてゆく空襲警報。

 

「飛んでくると厄介です。早く済ませましょう」

 

 その言葉で、列を崩してバタバタと走り始める官僚たち。唯一姉だけは歩みを遅めも速めることもせず、毅然とした足取りで向かっていく。

 

 

 それが、私の戦争の始まりだった。

 

 

 戦争はずっと昔から続いていた。

 私が生まれる前から、私が産まれた後だって続いていく。

 

 だから本当は「戦争の始まり」という言葉は正しくない。

 それでも、戦争という言葉が私の前に降りてきたのは、確かにあの日だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔を上げると、そこには両手にマグカップを持った先輩の姿があった。

 

「どうしたのミコト、怖い顔……はいつものことか。また考え事?」

 

 笑いながらに肩を竦める先輩。慌てた私は笑みを貼り付けた。

 

「あ、いえ。大丈夫ですから」

 

 もちろん先輩は誤魔化されない。これみよがしなため息をついて、私の隣へ。

 ベッドのスプリングが静かに音を立てて、私の身体が少しだけ沈む。

 

「今更、東京の夜景に感動したわけじゃないわよね」

 

 先輩が言うには、どうも私は外の景色を観ていたらしい。

 二重構造の硝子(ガラス)の向こうにはレインボーブリッジにお台場地区、そして純白のゲートブリッジ。

 東京港内は今日も盛況で、街灯やビル窓に煌々と照らされた貨物船が悠々と進んでいく。

 

「まあ、感動したならそれはそれでこのマンションも喜んでくれるとは思うけれどさ」

「良い景色だとは思いますよ」

 

 それは嘘じゃない。高層マンションが入り組んでいるにも関わらず、ここから見える東京湾の景色はピカイチ。先輩がわざわざこんな部屋を押さえた気持ちも分かる。

 

「でも、やっぱり都会は好きじゃない?」

 

 私は何も答えない。夜を思わせないほどに光り輝く東京港。

 壁に阻まれて見えないけれど、振り向けば輝く丸の内の夜景も控えている。

 眠らない街とはよくいったものだ。

 

「不思議な気持ちになるんです。まるで星空が海に落ちてきたみたいで」

 

 海に星が映ることはない。

 海の世界に光はないのだから、いくら太陽光で碧色に光らせたところで、日が沈んでしまえば何も見えない。

 そんな普遍の摂理は東京港でも変わることはなく、勝手に輝くのは沿岸のビルディング。

 

「また、思い出していたんでしょう?」

 

 マグカップを電灯の脇に置きながら先輩が言う。

 それから身を寄せると、体重を預けるように私に寄りかかる。そして先輩は、私が一番に聞きたくない言葉を放つのだ。

 

「ね。ミコト、愛してるわよ」

 

 ゆっくり回された手が私のふくらはぎを撫ぜる。先程シャワーを浴びたばかりの先輩は柔らかなバスローブを身に纏っていて、解かれた髪が私の肩に擦れる。

 

「止めてください。あなたが愛してるのは、私の人脈(コネ)でしょうに」

「ふふ。そうね、私は幕僚長になりたい。だから貴女に協力を頼んだ」

 

 当然のように認める先輩。2等海佐の階級を頂く彼女……片桐先輩はそういうヒトだった。

 そしてきっと彼女は、私も同類(おなじ)だと言うのだろう。

 

「私に出来ないことはあなたが、あなたが出来ないことは私が」

 

 ね、そうでしょと先輩。

 膝の上に握られた私の手に先輩の温もりが乗せられる。ついと引き寄せられて、倒された私は先輩に強制着陸させられる。

 

「……先輩は、肩入れしてくるから嫌いです」

「私はミコトのことが大好きよ。だからいくらでも肩入れしちゃう」

 

 そう言いながら、ぽんぽんと叩かれる私の肩。シャンプーの香りが鼻腔をつついて、胸が少し緩んでしまう。

 私は結局、先輩の同類。だからこんな場所にいる。

 

 それでも、最低限の意思は示しておきたかった。

 

「寝言は寝て言って下さい。片桐さん」

「じゃあ寝ちゃう?」

 

 ぽんぽんとベッドを叩く先輩をあしらうと、(まと)わりついた熱はゆっくり離れていく。

 

「まあ確かに、まだそんな時間じゃないか」

 

 立ち上がった先輩は電灯をつけるとカーテンを閉じる。東京港の景色が消えて、クリーム色が私の視界を隠す。

 

「さて。それで『本家』は私の案に対してなんて言ってるの?」

 

 まるで天気の話でもするかのように飛び出す話題。片桐先輩はなんの前触れもなく本題へと斬り込む。分かっていても慣れるわけではない。

 

「昨日の今日です。すぐに答えは返ってきませんよ」

「ふーん?」

 

 私の言葉に、にこりと首を傾げてみせる先輩。肩まで降ろされた髪が揺れる。

 

「……私は反対ですよ。下手をすれば空軍の領分を侵すことにもなりかねません」

 

 派閥意識の強い軍隊じゃ、部外者を巻き込むだけで人間関係は拗れてしまう。ましてや空軍と海軍の対立を利用するとなれば、そのリスクは計り知れない。

 

「そんなことにはならないわよ。新田の一族(あなたのかぞく)にとって、私は使い捨てのコマ。成功すれば儲けもので、失敗しても捨てるだけ。そうでしょ?」

「私は、先輩にこんなところで終わって欲しくありません」

「ありがとね。私だって終わりたくない。終わりたくないけれど、見逃せないわ」

 

 先輩だって、こんなことに拘泥したくはない筈だろう。でも先輩は信念を優先する。

 

「護衛艦の建造計画に手出しすれば造船業界が黙っていません。だから本家も、これ以上ことを荒立てないように沈黙を保っているんです。今は静観が正解かもしれません」

 

 私の忠告に、何を言うのよと先輩は笑ってみせる。

 

「人生の半分はこの組織に捧げたのよ? 色んな事を経験したし、今でもその知識を生かして市ヶ谷で9護群の()()()をやってる。信頼しろ(トラスト・ミー)って『本家』に言ってよ」

「そうは言われましても……」

 

 先輩は、果たしてどこまで事情を理解しているのだろうか。多分先輩は止まらない。それでも傍観者を決め込むには、私と彼女は関わりすぎていた。

 

「作戦立案と装備品調達では、政治の度合いが違うんです」

 

 国防というのは大規模公共事業だ。

 荒れ狂う河川に堤防を作り、用水路を引いて田んぼに水を引くのと同じ。

 国土と国民の財産を侵さんとする敵を退け、経済活動を保証することで国民の利益と幸福を得る――――――ここまではいい。

 

 問題はその利益と幸福を享受するのが誰かということ。

 

 クニがまだムラであった頃から、隣人との最大の争いごとは水の分配であった。

 治水工事という公共事業の利益は水。その水を誰にどのように配分するか。不公平が生じればそれは新たな争いの種になる。

 だからこそ、公共事業は政治となる。

 

 誰かが必ず享受することになる利益、それを皆が平等に獲得することはおそらく不可能だ。たとえ水を完璧に分配することが出来たとしても、その水は土に染みこみ空気中に蒸発し、田んぼに届く頃には目減りしている。

 平等に分けられないからこそ、利益は()()と呼ばれてしまう。

 

 それを少しでも平等に分配しようと模索するのが、政治というものだった。

 

「……要するに、多数決の世界じゃ沢山の()を持ってる大きな会社の言うことが強いってことでしょ。分かってるわよ。でもねミコト、実際に国を守るのは私たち国防軍よ」

「ええ、分かっています。だから私は片桐先輩のことを……」

「そんなに必死に止めるあたり、『本家』は傍観どころか反対なのね?」

 

 私は認めない。私がここに居るのは()()との親好を深めるためであって、断じて密会などではないからだ。

 そんな建前を知って、彼女は畳み掛けるように続ける。

 

「何も賛成しろなんて言わない。でも私たちの案の方が優れている。だからあなたは頼もしい()()()()()に頼んで、少しだけ私の意見を通りやすくしてくれればいいの」

 

 現場の意見を尊重するってお題目も用意してある。いいでしょ? 先輩はそう言う。

 

「……私たちだって、意見が完全一致しているわけじゃないんです」

 

 国防の()()とはなんだろうか。

 国を守ったからと言って水や食料が増えるわけではない。賠償金を奪い取ればカネは手に入るかもしれないが、歴史を見ても賠償金が戦費を上回るという話は聞いたことがない。

 国防とは戦闘行為であり、戦闘行為とは即ち破壊である。破壊からもたらされる利益など、本来なら存在はしない。

 

「それに、先輩の案では、PHIグループに利益がありません」

「知らないわよ。だって私、あの企業キライだし」

「嫌いって……子供じゃないのですから」

 

 私は口を尖らせた彼女をまじまじと見る。仮にも2等海佐の発言とは思えない。

 

「キライなものはキライ。子供に艤装を持たせて戦わせるなんて、とんでもない」

 

 PHIグループは国内随一の小型艇生産メーカー……要するに艦娘の「艤装」を製造している。確かに子供に持たされる艤装を造っている企業ではある。

 だからと言って、先輩の感情論をぶつける相手にはならないだろう。

 

「違いますよ。PHIグループは国防省の注文通りに艤装を作っているだけです。発注元の国防省が悪いんです。もっと言えば、深海棲艦が悪い」

 

 そして私が放つのは極論。

 

 確かに深海棲艦は人類の敵とされており、事実として国連加盟国の全てと国交を結ぶどころか対話の兆しすらも見せない。

 だからと言って、どうして深海棲艦が悪いと言えるのだろう。

 川の水を巡る村同士の争いは最後まで収まることはなかった。それなら、どうして海を平等に分け合えるというのだろう。

 

 私の内心を知って知らず、彼女は小さなため息をつく。

 

「つくづくロクでもないよね、私たちは」

 

 それは彼女の口癖だった。

 

 船を沈め、港を焼き尽くし、時には山奥の街までも灰に変えてみせるロクでもない深海棲艦。

 そんな深海棲艦を倒しきれず、だらだらと戦争を続けているロクでもない国防軍と国防省。

 国防予算の増額を許さないロクでもない財務省に、貴重な予算を剥ぎ取っていくロクでもない防衛産業。

 

 そしてそれを看過しているロクでもない国防軍人(わたしたち)

 

「もうヤになっちゃうわ……ねえミコト、甘えていい?」

「駄目です。話を片付けましょう?」

「ちぇ、ケチんぼめ」

 

 そう言いながらも、先輩は小休止と言わんばかりに肩を寄せてくる。

 

「何にせよ、お手伝いはさせて頂きます」

 

 こんな彼女が、私の僅かな人生を賭けた(ベツトした)相手だと聞いたら、父や祖父は嗤うだろうか――――――姉は認めてくれるだろうか。それは分からない。

 

「うん、頼りにしてる。私たちの手で、流れる血を少しでも減らすのよ」

 

 深海棲艦は倒せないだろう。

 少なくとも今日明日という短い期間では倒せない。

 

 それでも私たちは特務神祇官たる国防軍人、艦娘だ。

 私たちは決して無力じゃない。だから少しでも良い明日(みらい)を迎えるために出来ることはあるはず。

 

「それじゃ、作戦会議といきましょ。まずは艦娘派を切り崩す、これは良いわよね?」

「もちろんです」

「ミコト。まだ、迷ってるわね?」

 

 先輩の言葉に、私は頷くしかない。

 

 これから私が行うのは――――――艦娘派の切り崩し。艦娘である私が、艦娘派を破壊しようとしているのである。

 もしも私に未来を見通せるような力があったのなら、この行いが正しいのかどうかも分かるというのに。

 

「先輩は、迷わないんですか?」

「私、艦娘のこと好きじゃないもん」

 

 それを艦娘(あなた)が言いますか、なんて今更な話。

 片桐アオイ――――――先輩(そうりゆう)は私のことを艦名(あかぎ)とは呼ばない。私も先輩のことを艦名では呼ばない。それが私たちの約束事。

 

「分かんないのよねー。艦名のことが大事なのは分かるけれどさ、私は片桐アオイであなたは新田ミコト。お互い親から貰った名前がある。そうでしょ?」

 

 先輩が不意に何かを差し出してくる。

 それはさっきのマグカップ。少しだけ冷めたココアは優しい香り。それを啜りながら、先輩は溢すように言葉を落とした。

 

「……艦娘神格化、ロクでもない話だよ」

「なんです、それ?」

「私の同期がね、そう言ってたの」

 

 随分昔のことだけれどねと先輩。

 艦娘専科の第一期、華の一期なんて呼ばれた先輩達は、絶望の底にあったこの国の希望だった。でも、艦娘はカミサマじゃないと先輩は言う。

 

「それを、ちゃんと艦娘派のみんなには分かって貰わないとね」

「そうですね」

 

 艦娘はカミサマ――――――先輩も面白いことを言う。

 

 敵を討ち、味方を救う。かつての砲兵がそうであったように、私たちも戦場のカミサマにはなれるかもしれない。

 そんなとき、思考を打ち切るように鳴る携帯。

 

「ん? どしたの、敵襲?」

「それなら先輩の方も鳴るでしょう……あ」

 

 何気なく開いたメールボックスには、随分と懐かしい名前。

 

「え、誰これ。ミコトの恋人?」

「ちょっ、覗かないでください!」

「うぐふっ」

 

 にょきりと伸びてきた先輩を撃退して、私は名前を見直す。

 

「いたたたた……なによ。ホントに恋人だったの?」

「違いますよ。ほら、覚えてませんか。加賀さんの」

 

 その言葉で、先輩も全てを察したらしい。ああ、なるほどねと頷く。

 

「あなたにとっても、大切な()だもんね。第一段作戦は大成功?」

「成功って……先輩、私とあの子はただの」

「相変わらず嘘ばっかりね。〈加賀〉の艇長……山下3佐って言ったら艦娘派でも強行派で通ってる幹部艦娘、そんな親を持つ子供から、なんでこのタイミングで連絡がくるの?」

 

 上手く出来すぎでしょと先輩は肩を竦めてみせる。

 

 そんな目的じゃないです――――――と言うことは出来るだろう。

 そもそも、加賀さんがあの子を巻き込むつもりなんてあり得ない――――――でも、それは私の中でしか成立しない話。

 

 だからこそ、それは口に出した途端に嘘になる。

 

「ミコト、あなたはそれでいいの?」

 

 先輩が問いかけてくる。

 人脈は消耗品だ。使えば使うほど擦り切れて、最後には使えなくなってしまう。一つの人脈が擦り切れれば、他の人脈だって無事では済まないかもしれない。

 故意であろうとなかろうと、その事実は変わらない。

 

「いいんです。私はこの国を守ると、姉さんに約束したんですから」

「相変わらずの姉想い(シスコン)さんね。嫉妬しちゃうわ」

 

 本気にしていなさそうな調子で言って、先輩は立ち上がる。そして私をじっと見る。

 

「……悪いわね。いつもこんな役回りばっかりさせちゃって」

「無茶ぶりを聞くのは慣れてます。先輩だって、艦娘派(むこう)()()は避けたいでしょう?」

 

 私たちは今、危うい均衡の上に立っている。この国が事実上の戦時下に突入してから早くも20年。戦争が生み出した様々な問題は着実に国防軍を、この国を蝕んでいる。

 

「守りましょう。この国を」

 

 

 だから私の戦いは、まだ続いている。

 そして恐らく、これからもずっと。

 

 

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