独特の畳の匂いと、ずらりと並べられた座布団。南国に場違いな和風の店に待ち構えていたのは、老若男女問わず工廠や出撃でお世話になるスタッフばかり。
もうここまで話が進んでいるのか。尻込みして思わず後退りをする私を、長門隊長が力尽くで引っ張っていく。
「ほら、主役が何時までも立ちっぱなしという訳にはいかんだろ」
「ウェイトですウェイト! こんな人数相手に挨拶出来ませんってば!」
「ほう、挨拶してくれる予定だったのか。話を振らずに済んで助かるな」
完全に自爆だった。まさかパニックになって墓穴を掘り始める事になろうとは。
「お集りの皆様。長らくお待たせいたしましたが、グラスはお持ちでしょうか?」
気が早い気が早い。そもそも終業直後なのに、何故こんなに人がいるのか?
私の気持ちを差し置いて、各々の酒を傾ける大衆。長門隊長は、恨めしい目を向ける私を無視して続ける。
「では、本日の主役よりご挨拶を賜ります!」
「ちょっ、えぇーッ!? 今後とも精進して参ります! よろしくお願い致しますッ!」
完全に焼けっぱちだった。
「よし、ビールだ! ビール注げ!」
「ハイハイ回して、どんどん回して!」
「みんな、ジョッキは持ったな? いくぞぉ!」
そして挨拶なんかどうでも良いとばかりに乾杯の大声が響く。
これでは担がれただけではないではないか。
あっと言う間に注がれるビールと、知人らのお酌に流されるまま。少し酔いが回り始めた所で、いよいよ料理も並べられていく。
千切りの大根の上に並ぶのは刺身の盛り合わせ。流石は鮮魚に困らないチューク諸島と言うべきか、ぷりっぷりの弾力が舌を楽しませてくれる。
ミクロネシアで刺身があるという話は聞いたことがなかったが……そのまま食すという文化がないだけで、日系の職人がいればこうした店を開くのは造作もないだろう。
米は出回り難いから寿司屋は難しい。しかし天ぷらや唐揚げ。フライドポテトなんていう定番は今まさに日本にいるのだと錯覚させてくれる味だった。
懐かしい味で心まで満たされる。
そんな風に舌鼓を打っていると、入口に人影が見えた。
提督さんじゃないか。遠巻きにこちらの様子を見て、珍しく頬を綻ばせている。
「提督さ……」
そうして声をかけようとして、気づいてしまう――――――彼がこの輪に入る気はないのだと。
此処にいるメンバーが上下関係を気にするかという話は置いておいて、自分が入る事で場を白けさせてしまうのではないか。
他人想いであるが、独りよがりな優しさは私の胸にチクリとした痛みを残す。
しかし予想通りというべきか、ここの部隊はそんなことはお構いなしだ。
「長門ぉー。アイツ連れてきても構わんよな?」
「あぁ、藤見整備長。大いにやってくれ」
「アイアム!」
そう元気に飛び出していくのは、艦娘の艤装を取り扱うトップである藤見3佐。
私もお世話になっている整備課長だ。彼の接近に反応が遅れて逃げられなかった提督さんが、首根っこを掴まれてこちらへ運ばれてくる。
……案の常というか。彼は軍人にしちゃ華奢なので、物理的な力関係には逆らえずに
「
「美少女の頼みとあらば断るわけにゃいかねぇよ。なぁ瑞鶴?」
とうとう私まで巻き込んできた。さてはこの人、酔っているのでは?
藤見3佐の人柄は悪い人ではないのだが、その厚意は少しばかり
隣席に
「えーっと。一杯いかがでしょうか? 提督さん」
「……少し、頂くよ」
あれだけ頑固な提督さんが簡単に折れた。空のジョッキを貰って瓶ビールを注ぐ。泡立たせまいと丁寧にやったつもりだが、生温いせいか液体自体は程々の量になってしまった。
それを提督さんはちびちびと呑むのだ。それも脇に置かれた麦茶と交互ぐらいに。
「すみません。注ぐのが下手で」
「ラベルが上とかは俺は気にしない。そんなものは犬に食わせてしまえばいいよ」
ようやく料理に手を付けようとした所で待ったをかけたのは、部隊の男性陣。
私が事態を把握する前に提督さんが脱兎の如く逃げ出すが、あっと言う間に捕まった。
「もう呑めないなんてへばっちゃいないでしょー
「じゃかぁしぃ、これ以上寄るな藤見! 貴様の酒臭さだけで眩暈がするっ!」
一体何本空にしたんだ!? そんなことを言う提督さんをずらりと囲む若い男たち。
「他人の金で呑むならいくらでも! て前ぇら酒盛り設けて頂いた
「「「応ォ!」」」
提督さんの頬が引き攣った。
嗚呼、これは完全に潰す気なのだろう。率直な感想だった。
若い衆に囲まれる提督さん。遠目で見守るのは比較的滞在歴が長いスタッフばかり。
その視線は呆れたものではなく、どこか憐れんでいるようにも見える。南無三と。つまりは恒例行事に違いない。となると……。
「これって、本当に私の昇進祝い?」
思わず呟いてしまった私を、誰に責めることが出来ようか。
着任してあっと言う間の三ヶ月。
多くの仲間と出会ったが、それも一期一会。あれから新たに配属になる者もいたり、異動する者もいた。
とりあえずは生きているイマに乾杯と。
二度はないこの時間を過ごしたいと各々で盛り上がっている。
しかし宴もいつかは終わりが来る。
喧騒が過ぎ去った後には、まさしく酒で焼け野原になった卓上の片付け。
工廠のスタッフは二次会にいくとかで、早速運転手を掴まえて夜の街に繰り出していった。幹部勢は明日の業務に支障が出ると、酔いもそこそこに退散していく。
そして後に残ったのは、スクランブルがない限り待機状態にある艦娘達。
皐月と文月が寝落ちしてしまい、慌てて衣笠さんに送迎をお願いしたのはつい先程の事。
店主からレシートを貰う長門隊長に付き添いながら、足元に忘れ物がないかと適当に時間潰しをしていた所だ。
突っ伏したままの男性佐官。揺り起こそうとして思い留まる。
「もしかして……提督さん?」
少し信じられなかった。あの後も部下からも次々とお酌されたのは知っている。それでも酔いが回って醜態を晒すなんて。
「いや。こうなる事は分かっていたのだがな」
「……分かってたなら止めましょうよ、長門隊長。提督さんどうするの?」
「さて、我々も帰るぞ」
「いやいや待って下さいよ」
長門隊長を慌てて引き戻すと、彼女は「お前は何を言っているんだ?」という顔をした。
それはこっちの台詞だ。
「流石にこのままって訳にはいかないでしょ?」
「いつもそのままだ。業務に関わるものは当日の幹事が預かる手筈になっている」
そう言って、勝手知ったるとばかりに提督さんの懐を漁る長門隊長。軍務関係の鍵束を拝借すると、慣れた手つきでそのまま鞄に放り込んでしまう。
「それ、不用心じゃないですか……? 泥棒騒ぎに発展するんじゃ」
「身に着けるものは最小限。財布の中身は一円単位で数える男だぞ?」
そう言う長門隊長に、なるほど律儀だなぁと変な感想が漏れる。そういう問題ではない。
「だが、抜けているんだ……この方は。ここまで完璧に、それこそ宴会の支払いの手筈までセッティングしているのに、自分が帰る手段だけはまったく考えていないんだ」
それは考えていないのではなく、潰されるのを最初から想定済みなだけでは?
……とは無粋に違いない。暗黙の了解という奴だろう。これではあまりに彼が不憫なので声を上げる。
「私、送ってきます」
「良いのか? 今日の主役がこんな貧乏くじを引かされて」
「少し夜風に当たりたいんです。宿舎にはちゃんと戻りますから」
「住所なら、提督の手帳に書いてある。そう距離はないが、タクシーを使うと良い」
店員の迎えが到着したとの報を受けて、彼を肩組みして連れ出す。背もたれに身体を預けたまま微動だにしない彼をはらはらしながら見守りつつ、住宅街へと向かっていく。
粗相をしなかったのが奇跡だろう。まだ青い彼の表情を眺めつつ、着いたのは小綺麗な一軒家だった。
『瀬戸月』
表札には間違いなく彼の苗字が書かれていた。
「ごめんくださーい……って居るわけないか、ちょっと提督さん! 鍵はどこにあるのよ?」
「自分でできる……」
意識が朦朧としている彼から漏れた言葉に辟易する。この期に及んで私に頼らないつもり? 感情のまま地面に擦り付けようかと思ったが流石に思い留まる。彼は一応上司だ。
「え? 一人で出来る? 誰が一人で出来る訳?」
「俺が、やらなきゃ……」
俺だなんて、普段は聞きもしない一人称が飛び出す。これが彼の素なのだろうか。そんな変なことを考えてしまい、違う私の使命はそうじゃないと思い直す。
「あーもう御託はいいから鍵貸して、どうせポケットに入ってるんでしょ!」
うつらうつらとする彼の腰から財布を引っ張り出すと、そこそこの長さのチェーンが音を立てた。ここまで他人を信用していないのか。
キーカードで開錠してドアノブを回す。薄暗い室内だが、何やら灯りが見える。とてとてと聞こえる体重の軽い足音。朱色の髪を下した少女がこちらを不思議そうに見上げていた。
「トナカイさん……?」
トナカイ? 一瞬だけ思考がフリーズする。
「あぁ、これか」
インカムを邪魔だとかき上げた物が、確かに角に見えたのだろう。
環境は常夏だが、季節はまぎれもない冬……そういえば、そんな時期か。
しかし担いできたのは布袋ではなく、大の人間だ。目の前の童女は首を傾げて提督さんの腰に引っ付く。
「お父さん、おかえりなさい」
「…………ただいま」
とりあえず水分補給でもと、振り返った所でことりと机が音を立てた。
お揃いのコップで月光に液面が晒される。少女が水晶のような瞳で私を見た。
「お水……お父さん、おかえりしたらいつも入れるの」
「あーと。うん、ありがとう」
少女はいつも、と言った。
長門は提督さんを「そのままにしておく」と言っていたから文字通りに放置されているのかと思っていたのだが、一応家に帰り着いてはいるらしい。
ふと住所を最後まで聞かずに走り出したタクシーの運転手を思い出せば、なるほどあのタクシーは提督さんの
事前に支払いまで済ませているのだから、店に少しのコネがあればいつ提督さんが
「お姉さんはだぁれ?」
勝手に納得していた私に、少女がそう問いかける。
特務神祇官たる自衛官と名乗っても理解してもらえないだろう。
「ハルカよ、
「なんのお仕事してるの?」
「うーん、そうだなぁ……」
泥酔した家主の鍵を使い侵入した私。一つ間違えば、不審者と変わらない。
それでも少女は警察を呼ばずに淡々と私の身分を明らかにしようとしている。不審がるというよりも、純粋な好奇心で聞いてきているような感じだ。
少女が提督さんの娘なら、私が提督さんの仕事絡みの人間だと思っているのだろう。少女は外見以上に聡明で大人しかった。
「お父さんと私は仕事の関係なの。上司と部下って言っても分かんないか」
お父さんのお陰で、私は仕事が出来るのよ。
子供にとっては銃を持って戦う軍人も、店頭で野菜を売る文民も「仕事をするヒト」であることに変わりは無いだろう。
「ふーん…………」
極めて単純に纏めた筈の説明だったが、何故か少女は眉をひそめると、咎めるような調子で言う。
「それじゃあ、お姉さんがお父さんの秘密なんだ……」
「秘密……?」
秘密、とは一体全体何の話だろうか。
防衛機密に特定機密、何かと秘密の多いのが防衛関係の仕事ではあるが、私の存在自体は別に隠すようなものではない。
「お父さんはお仕事の話はしないの。お前には早いって言うの」
「ああ……なるほどね」
納得してしまった私が不満らしく、口先を尖らせる少女。
異形との戦いでは怪我人だって、下手をすれば死者だって出る。そんな「職場」の話を彼が好んで娘にする筈もはなかった。
「終わったなら、帰って。お父さんのお布団は私がみるから」
それは拒絶。
とはいえソファに倒れた提督さんの顔は赤いのを通り越して青くなっており、流石に娘さんに任せて立ち去るのは気が引ける。
居座る理由を探そうと、とりあえず私は少女に向かい合った。膝を曲げて上体を落とす。視線を合わせるのは子供と触れあう基本だ。
「ね、お名前は何て言うの?」
顔を同じ高さにして、少女の瞳を覗き込む。水晶に映し出された私は中途半端な笑顔。
何秒かの睨み合い――――――いや、睨み合いをするつもりはなかったのだが。
少女が口を閉ざしたままなので睨み合いになってしまった……火力と霊力で押し切れる深海棲艦とは勝手が違い、子供は難しい。
しばらくどうしたものかと私が困った笑みを浮かべていると、やがて少女は観念したのか、聞き取れるか聞き取れないかの境目のような小さな声で言う。
「…………せとづき、ヒナタ」
その苗字が、確かに彼女が提督さんの娘であることを示していた。
「ヒナタちゃんね。ヒナちゃんって呼んでも良い?」
こくりと頷く少女、いやヒナちゃん。とりあえず第一関門は突破か。
「ヒナちゃんは何歳? 学校は行ってるの?」
「……」
待った。これは不味いのではないだろうか。
提督さんが娘に仕事の話をしないのは情報を与えないため。それなら、逆に聞き出すのは提督さんのプライバシーを侵害することになる。
「あー、えーと。別に答えたくないなら答えなくても、いいん……だよ?」
私が言葉に詰まるうちに少女はすっと距離を取る。二人と寝込んだ一人しかいない空間にとててと少女の足音が響き、少女はソファの裏からひょこりと顔を出した。
あー、これは怒らせてしまったやつか。
そうでなくても警戒心は先ほどの数倍増しに違いない。帰るしかないかと息を吐いた私に、少女はソファに隠れたまま言う。
「私、お姉さんが嫌い」
「……」
まさかの嫌い宣言。
まあそれは仕方ない。向こうからしてみれば父親を酔わせたあげく家に入り込み、その上個人情報を聞き出そうとしてきた輩である。
「お父さんは、お姉さんが秘密で大事なんでしょ。こういうの
「うわ、き……? ヒナちゃん、ちょっと待って。なんでそうなるの?」
「知らない女の人と男の人が一緒にいて、そのことを秘密にしているのは
その理屈では男女入り乱れる自衛隊の基地は浮気の巣窟ということになってしまう。
「あのねヒナちゃん。さっきも言ったけれどお父さんと私は仕事の関係なの。お父さんはヒナちゃんに仕事の事を秘密にしているかも知れないけれど、それだけじゃ浮気にはならないの」
「じゃあ、どうしたら浮気になるの?」
「どうしたら、ってそれは……」
待て待て。それをこんな幼い子に説明してしまうのはヒトとしてどうなのか。
ともかくこのままでは浮気相手認定を受けてしまうので、私は説明を試みることにした。
「あーと、お父さんとお母さんが居るでしょ」
「いないよ」
「え……」
雷に打たれたかのよう。しまったと思うときにはもう遅い。少女は続ける。
「お母さんはいないの。お父さんと私だけ」
そんな可能性が微塵もないと油断していた自分を殴りつけたい。私だって
「そ、っか……ごめんね」
「なんであやまるの?」
「なんでって」
答えようとして、答えがないことに気付く。そうだ、母親がいないというのはこの子にとっての「当たり前」なのだ。だから悲しいとか、辛いとか、そういう感情はないのだ。
「あやまるなら、お父さんにあやまって」
お父さんはお酒弱いのに。
そう漏らす少女は私たちが提督さんを泥酔させたことに怒っているらしい。本当に親思いの娘のようだ。そして泥酔に関しては、実際止めなかった私達のせいなので、素直に頭を下げる事にする。
「ごめんなさい。てぃ……」
「てーい?」
危ない、思わず提督さんの職業をバラすところだった。提督なんて呼び名は海軍以外には存在しない。とはいえ言葉は取り消せないわけで、少女は首を傾げている。
「て、て……えーと、」
なんとか誤魔化そうとして出た言葉がこれである。なんというか、自分の語呂の持ち合わせにはため息しか出ない。
そして案の定、少女から飛んでくるのは懐疑の視線。
「秘密なんだ……やっぱりお姉さんは」
「ちっ、違うの。そうじゃなくてね」
「もういい。お父さんを運んできてくれてありがとうございました」
そんな拒絶を前面に出した挨拶で、追い出されるように私は提督さんの家を後にしたのだった。