舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第62話 のぼるあさひにみをくべと

 私たちは、悲劇の時代に生きている。

 そして何よりの悲劇は、そのことを誰も認めようとしないこと。

 

「……グアム沖に展開する? どういうことなんですか船務長」

「伝えたとおりだ。本艦は撤退部隊の収容と救護を最優先に行うことになった」

 

 西太平洋に浮かぶグアム島。米国領土であり、日本政府の手が届かない土地。

 医薬品も医療従事者も、ベッドすらも思うようには手に入らない。米海軍の病院はアメリカ人のために使われる訳だから、日本人を収容するのは日本国海上自衛隊の艦艇。

 だから負傷者の救護を最優先するという理屈が理解できない訳ではない。

 

「……この〈くにさき〉は救護船ではありません。護衛艦です」

 

 理屈で分かっていても納得出来るはずがない。あの日、先輩の眼はそう語っていた。

 

「〈くにさき〉は30ノットの高速艦、この足を活かさないでどうするんですか!」

 

 まだ国防軍(このそしき)が自衛隊を名乗っていた頃、高速輸送艦に搭載される艦娘は精鋭中の精鋭という扱いを受けていた。同盟国を守る哨戒艦隊が矛ならば、私たち掃海隊群は本土を守る盾。先輩はもちろん、新人の私だってそのことを誇りに思っていた。

 しかし蓋を開けてみれば――――この有様である。

 

「本艦はグアムに留まり、友軍の撤退支援とマリアナ諸島防衛にあたる……これは哨戒艦隊司令部はもちろん、幕僚監部も了承済みの計画だ」

「それは戦線が崩壊する前提での計画です。現実には……」

 

 まだ持ちこたえている、そう言おうとした先輩の言葉を船務長は手で制する。

 

「哨戒艦隊は失敗した。ミクロネシアの第8護衛隊群は突破された。だから我々がグアム(ここ)にいる。第一、武装もロクに積んでない〈くにさき〉に何が出来る?」

 

 海上自衛隊(わたしたち)は負けたのだと船務長は言う。日米同盟の大転換と鳴り物入りで結ばれた新自由連合盟約(ニユーコンパクト)、それに伴って開始された太平洋への大規模派遣は、彼の言うとおり敗北で幕を閉じようとしていた。前線指揮官の死、戦略的再編の失敗。米国による航空母艦と潜水艦の撤収……敗北の原因は枚挙に暇がない。

 

「何も出来ないからって、何もしないわけにはいかないでしょう……!」

 

 それでも、先輩にとって原因なんてものはどうでもいい。肝要なのは何を為すか。

 

「私たちには、撤退の支援という重要な任務が残されている筈です。私たちは、今すぐにでもこのグアムを飛び出してミクロネシア連邦を救うべきです。野戦病院の仕事は米軍に任せておけば良いんですよ」

「仮に救援に向かうとして、どこに向かうんだ」

 

 そしてその問いかけに、先輩は止まる。

 

「それはもちろん。今一番戦局が厳しい場所に……」

「どこが厳しいか分かるのか? どれほど戦力が足りていなくて、どのような支援が必要なのか片桐1尉は知っているのか?」

 

 その言葉に、息を詰まらせる先輩。沈黙の穴を埋めるように鳴り響くのは空襲警報のサイレン。身構えた私たちを前に、その音はしぼんで消えてしまう。

 またかと舌打ちして、船務長は先輩に向き直る。

 

「これが現実だ、片桐1尉。情報は錯綜、警報は乱発……グアム(ここ)が最前線になるのも時間の問題。我々の使命はここを守ることだ」

「なっ……ふざけないでください! それじゃあ、私にミクロネシアを、第8護衛隊群を見捨てろって言うんですか!」

 

 これは私の想像に過ぎないけれど、先輩は悲しかったのだ。多分。

 ミクロネシア連邦が見捨てられたことは誰の眼から見ても明らかで、グアムに集結した掃海隊群(わたしたち)は戦力温存の名目で留め置かれていた。救援の許可は最後まで下りない。

 それは戦わないことで国を護ってきた自衛隊が喫した、最後の敗北。

 

「お願いします船務長。もう一度、もう一度でいいんです。隊司令に掛け合ってください。ここで出撃出来なければ、なんのための輸送艦付艦娘隊ですか!」

 

 先輩の声を掻き消すように、空に鋼鉄の鳥たちが羽ばたいていく。

 まさか誤報のサイレンに叩き起こされた訳ではないだろう。夕闇に染まる空、私たちのモノだった空に轟音を上げながら黒い影が何十羽と飛び立っていく。

 

「よく見ておけ。あれが我が国を半世紀に渡り守護(まも)りたもうた同盟国サマの()()だ」

「そんなに、この小島が大事なんですか」

 

 我が物顔で飛び立つ航空機を先輩が恨めしそうに睨む。

 

「あんなに戦力(ひこうき)を持ってるなら、最初から使ってよ……!」

 

 先輩は空を見ていた。拳を握り締め、歯を食いしばる先輩は、私の知らない先輩。

 

「先輩」

「……ねえ新田3尉、あなたは悔しくないの?」

 

 新田3尉。特務神祇官たる海上自衛官……〈空母赤城〉を託された私の名前。

 

「まだ、ミクロネシア連邦は陥落した訳じゃない。私の同期や後輩が、あそこには一杯いるの。それを助けたいと思うのは、普通じゃないの?」

 

 その問いに私は答えられない。ミクロネシア連邦を守ること、新自由連合盟約(ニユーコンパクト)を守ることは、私たち自衛隊に課せられた使命。

 でもそれ以前に、先輩にとっては苦楽を共にした仲間を守ることが第一義だった。

 

「落ち着け、片桐1尉。私だって8護群には感謝している。彼らの抗戦が、我々に北マリアナの防備を固める時間をくれたのだから」

「ッ……!」

 

 突き放すような船務長の言葉。私は片桐先輩が血相を変えるのを見た。

 

「ダメです! 片桐先輩!」

 

 慌てて私は彼女に抱きついていた。船務長は悪くない。悪くなかったのだから。

 

「放してよミコト! コイツは、コイツだけは許さない!」

 

 私たちは間違っていなかった筈だった。広大な中部太平洋、珊瑚礁の島々を結んで作られた防衛線はしなやかで強く、何千の敵が襲い来たとしても破れることはない。

 そのはずだった。どこで間違ったのだろう。誰が間違ったのだろう。

 

「船務長! あなたは……自衛隊ってなんなんですかっ! 目の前で死んでいく同胞より、アメリカの小島(りようど)を大事にする、それが自衛隊なんですか!」

 

 だったら、そんな組織要らない! 先輩の叫びが虚空に消えていく。

 その言葉が船務長を上気させたのは、先輩の肩越しに見ている私にも明らかだった。

 

「……滅多なことを言うな。我々は確かに日本国の自衛隊だ。それは揺るぎない」

 

 今になって思い返すと、船務長は立派な方だった。建前を取っ払ってしまった先輩とは違って、近くで誰かが聞き耳を立てていないか周囲を見回す程度の冷静さがあった。

 

「だがな、日米同盟なくしてこの国は成り立たない。そんなことも分からないのか」

 

 それでも、彼に戦略的な思考は欠けていたと思うのだ。グアムが米国の環太平洋戦略に影響を与えたのは仮想敵がユーラシア大陸に居たから。ハワイを失い、世界覇権を失った米国にとって、グアムは文字通りの小島でしかなかったのではないだろうか。

 

「そうですよ、片桐先輩。こんな島、アメリカにとっては小島です」

「なによ! あなたまで船務長の味方なの?」

 

 先輩が叫ぶ。鬼の形相で振り返った先輩は、海のような涙を湛えていた。

 

「違います。アメリカの視点で海図(うみ)を見ないで下さい……ミクロネシアの次はグアム、グアムの次は、硫黄島なんですよ!」

 

 私は多分、理解していた。グアムとミクロネシア連邦を天秤に載せるとどうなるか。どちらに傾くか分かっていた。アメリカは世界覇権を諦めた。陥落したハワイから援軍がやってくる筈がない。そうなれば、グアムを死守するしかないのだ。グアムが落ちれば次は硫黄島、硫黄島が落ちれば……私の学生時代を奪った悲劇が、本土を再び襲う。

 

「でも、まだここに空母が二隻もいる! 戦局はひっくり返せる!」

「――――二隻じゃありません。三隻です!」

 

 そんな時、私の耳に届いた声は聞き覚えのある声。

 それは私が探していたヒト。私が探さないようにしていたヒト。

 

「……加賀、さん?」

 

 こんな状況だというのに、私の胸を一番に過ったのは安堵、そして次に襲ってきたのは背骨を引き抜かれるような罪悪感だった。

 身を案じていなかったかと言えば嘘になる。だけれどこれは戦争だから、戦争の推移と加賀さんの安否は天秤に掛けるまでもないから、私は加賀さんのことを忘れていた。

 それでも彼女の姿を一度見てしまったら、もう胸が痛まずにはいられない。

 

「酷い傷じゃない。手当を」

 

 彼女()()の壮絶な戦いは装束が語ってくれる。髪をバラバラに振りまくその姿は修羅のよう。焼け焦げた第8護衛隊群所属を示す腕章(ワツペン)を振りかざしながら加賀さんは敬礼。

 

「第8護衛隊群第3分遣隊、第8322護衛隊を預かる者として進言いたします。直ちにグアムの戦力をチューク方面に回して下さい!」

 

 そんな加賀さんに、船務長は呆れたように言った。

 

「車両格納庫が救護所になっている。そこで傷の手当をしたまえ」

「私は増援を呼びに来たのです、手当をしにきた訳ではありません」

四桁部隊(8322)は臨時編制の任務部隊だろう……貴官はミクロネシアからの避難船を守り抜くという任務を全うした。ご苦労だった、ゆっくり休んでくれ」

「そんな時間は残されていません! 護衛任務は終了しました。第8322護衛隊は全艦健在! 今こそ泊地奪還に動く好機です!」

 

 あの時の加賀さんが、今すぐにでも炎の海にとって返そうとしていたのは誰の眼にも明らかだった。だからこそ船務長は報告には一切触れずに淡々と告げる。

 

「第3分遣隊からの増援要請は来ていない。いいか。増援要請は来ていない」

 

 二度も言わせるな。そう眼を細めながら船務長は加賀さんを睨む。しかし加賀さんは引き下がらなかった。船務長に縋り付くと、声を荒げて言う。

 

「あそこで本隊が戦っているのです! なにとぞ、お願いいたします!」

 

 加賀さんに普段の落ち着き払った態度は露ほども残ってはいなかった。乱れた息のまま食らいつくかのように船務長に直訴する彼女は、まるで別人のよう。

 

「私は〈くにさき〉の船務長に過ぎん、掛け合う権限を持ち合わせていない。以上だ」

 

 それだけ言うと、私たちを見向きもせずに歩き去る船務長。

 

「ですがッ! ですが……!」

 

 柱が折れてしまったかのように崩れ落ちる加賀さん。それを私は抱き留めて支える。

 

「加賀さん、少し落ち着きましょう。止血はしてある?」

 

 海水でぐず濡れになった装束の下に、どれほどの傷が潜んでいるというのだろう。幸いにも彼女はまだ熱をもっていた。ヒトという生物にとって冷たすぎる海であっても、彼女の命の灯火を消すには生ぬるい。しかし身体が残ったとして……そんな不気味な仮定を私に抱かせるほどに、加賀さんは普通ではなかった。

 

「赤城さん、部隊を動かしてください」

「……なにを言ってるの、加賀さん」

 

 加賀さんはきっと、悔しかったのだ。

 加賀さんはあの戦いが終わった後も、ミクロネシアから()()()()()と恥じていた。

 

「私は、私たちはまだ新米の艦娘よ? 部隊を動かす権限なんて、あるわけ……」

「まだ間に合う筈なんです……! 第8護衛隊群は、まだ……私はッ!」

 

 彼女は流すべき涙も枯らして、なお啼いていた。

 顔をぐしゃぐしゃにして、息を詰まらせては引っ込めるように飲み込む。私の腕に収められたまま、ゆっくり崩れ落ちていく。

 

「もういいの。加賀さん、もういいのよ」

 

 私たちは負けた。それはこの国を自衛すると謳った組織の、最後の敗北。

 私をじっと睨んだ先輩が、小さく漏らすように言う。

 

「ミコト、あなたはそれでいいの?」

「悔しいですよ、私だって。でも、他に方法があるんですか?」

 

 マリアナ諸島は日本の砦。ここを守れるのは私たちだけ。私は救援には動けない。

 姉様がその身をもって(あがな)った平和を、私は守らなくちゃいけないから。

 この国を守り抜くと。そう私は、姉様と約束したのだから。

 

「良い方法が……あるなら、教えてくださいよ」

 

 世界は悲劇に充ちている。海が敵にならなくても、この世界はずっと昔にどうしようもないほどに壊れてしまっていて。

 そんな悲劇の時代に、私たちは向き合っている。これからも、ずっと。

 

 †

 

「赤城さん、どうかしたんですか?」

 

 その言葉が、私を記憶の縁から引き上げる。

 慌てて声のした方に視線をやると、少女が私の方を見ていた。郵便受けから取り出したのだろう新聞紙を小脇に抱えながらに彼女は言う。

 

「早く行きましょう? お母さん、きっと待ってますよ」

 

 足を進めるのをためらった私に、導くように手を招く少女。

 

「ね、ねぇ。心の準備が……」

「ただいまー」

 

 私の言葉を無視して少女は玄関を開いてしまう。

 確かに、声を掛けたのは私だ。公務ではなく(プライベートで)会いたいとメールで言ったのは私だし、ここまで連れてきてくれと頼んだのも私。

 

「お母さんと仕事してるんですよね? じゃあ大丈夫なんじゃ」

「それとこれとは話が別なのっ」

「ふーん。おかーさーん! 赤城さん連れてきたよー!」

「ちょっと……」

 

 奥まで響かせるためか間延びした調子で少女が言う、返ってくるのは聞き慣れた声。

 ここまで来てしまったのだ。それならもう、行くしかないじゃないか。

 

「……お邪魔します」

 

 その言葉に、靴を脱ごうとしていた少女の視線が動く。

 他人の家に上がり込むのに、そんなにお邪魔しますは不適切な挨拶だろうか。

 

「靴は、そのままでいいですよ」

 

 それでも、少女は少女なりに私の心境を読み取ってくれたようであった。彼女は自分の靴は静かに靴入れに納めつつ、私の前にスリッパを差し出す。アクリル繊維で編み込まれた朱色のそれは、私の記憶と比べても色褪せてはいない。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って、靴を脱ぐためにしゃがむ。鼻腔に吸い込まれる嗅ぎ慣れない匂い。見慣れない家具は新しく買いそろえた物で、見覚えのあるものは官舎に居た頃から使っていた物。知ってると知らないのコントラストは、ここが官舎ではないと語りかけてくる。

 ともかくも靴を脱ぎ、次はスリッパを履こうと顔を上げる。

 そんな時私の視界に入ってきたのは、スリッパの前に佇む一人の女性。

 

「赤城さん」

「……加賀、さん」

 

 心の準備を、というのは今更おかしな話かもしれないが、いざ面と向かってしまうと何を言えば良いのか分からないもの。

 言葉を失った私に対して、向こうも困ったように首をくいと逸らした。さすがに玄関口で黙りこくるわけにもいかず、私はどうにか言葉を紡ぐ。

 

「その。久しぶり……というのはおかしいですかね。こんにちは、加賀さん」

 

 

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