宴の翌日。第3分遣隊の司令部庁舎はいつも通りだ。昨日酒を酌み交わした主計幹部と補給物資の調整をし、工廠に詰める整備員たちから艤装の整備計画を受け取る。
毎日のように続くルーティーン。敵襲が無い限り変わらぬ日々。
それでも今日は、少しだけ違う。
「長門隊長。今日は、随分とのんびりしているんですね」
「なぁに、一通り目を通して問題がないなら申請は通すさ。最終的に提督が確認するからな」
そう言いながら執務机に座った長門隊長は、本来の主に変わって流れ作業で印鑑を押していく。
結局、彼を送り届けた後の私は何もせずに帰路へと着いた。というか、あの状況では帰るしかなかった。
慣れていると言った少女の言葉を信用してしまったのも悪いのだが……そして、翌日の執務室に彼の姿はなかったというわけだ。
提督さんは休暇申請を事前に出していたらしく、各隊の書類は代理決済。私たち
「提督はお堅いヒトだけれど、通った書類にはちゃんと責任を取ってくれるの。だから無理な要求を通すならこういう時がチャンス! 瑞鶴さんも覚えておいて損はないわよ?」
「こら衣笠、新参に悪知恵を吹き込むな」
はーいと呑気に返事をして書類を捌いていく衣笠さん。
私も自分にできる仕事を見つけては隅っこに置いてある机で書き込んで
衣笠さんが外してお茶菓子を持ってきた頃合いだろうか。ボーっと執務机を眺めていたのに気付いたのか、長門隊長が視線を上げた。
「提督がいないのが不思議か?」
「あーと……そうですね。定位置にいる人が違うと違和感というか」
「うちの部隊のルールでな。提督に酒を呑ませる場合は、翌日は必ず休暇に
ワーカーホリックには丁度良いさと、彼女は気だるげに伸びをした。
いや、潰したのはあなた方でしょうとは、口が裂けても言わない。それが私の身のためだろう。
「そういえば、あの後は大事なかったか?」
「はい。娘さんにお願いして、すぐに帰りました」
私の発言に目を丸くした長門隊長。保育所に預けた筈だとの小言が耳を通り過ぎる。
「そうか…………会ったのか? ヒナタと」
「あー、ヒナちゃんですね。何か勘違いされちゃったみたいで」
何気なくほぅと聞いていた二人を確認して、言葉を続ける。
「私が提督さんと浮気してるんだって……」
次の瞬間、口に含んでいた珈琲を彼女達は盛大に噴き出した。
咄嗟に顔を執務机から横に振ったのは提督さんの代理としての矜持だろうか。咳き込みが落ち着いてからはゲラゲラと笑い声。
一方の衣笠さんは椅子から転落して腹を抱えて七転八倒。只でさえ気管に詰まって死にかけているだろうに、それでも長門隊長は机をバシバシと手で叩いてのたうち回る……
「ちょっ!? いつまで笑ってるんですか! 長門隊長っ! 衣笠さんっ!」
「いやぁ、すまないすまない。まさかヒナタからそんな言葉が出ると思わなかったからな。それにしても浮気かぁ……さっそく面白い話をしてくれるじゃないか、
口元をティッシュで拭った彼女は咳払い。いつもの冷静沈着な戦艦艦娘長門に戻っていく。
「知ってたんですか? ヒナちゃんの事」
「何度かは会った事があるが親しいという訳ではない。なぜだか私は警戒されてしまってな」
そんな風に尋ねずとも、長門隊長はヒナちゃんの情報を色々とこちらに流してくれる。そんな折に耳に留まったのは、提督という単語だった。
「提督の女嫌いを見ろ。あんな性格をしていて娘が出来ると思うか?」
それは提督さんへの悪口に片足を突っ込んでいるんじゃないか。とはいえ長門隊長の台詞に対する答えはノーだ。提督さんに娘なんて、万が一でもありえない。
「このご時世だ。きっと並々ならぬ事情があるんだろうさ。例えば……」
親戚の戦災孤児を引き取ったなんてな。検証の余地がある可能性を口にする長門隊長。
「提督さんに聞いてみたんですか?」
「鼻を鳴らされたよ。噂を吹聴するのは構わない、関わるなら覚悟を決めておけと……あの時の彼はすこぶる機嫌が悪かったな。冷静な彼から、初めて苛立ちという感情が出てきたんだ」
長門隊長は頬こそ掻いたものの、反省する素振りは見せずにともかくと続ける。
「確かに彼は一人の父親に違いない。だから、この件に関して私はどうにもしないと決めた」
清々しいが……そういう問題ではない気がする。
私の考えを知らずに長門隊長は勝手に補足を始める。そこには推察という名の決めつけが多分に含まれていた。
「きっと彼が我々艦娘と距離を取るのは、彼女が原因だろう。艦娘がこんな成りをしているんだ。娘を持つ者として、気持ちの整理がつかないのだろうさ」
「まぁ、私らは見かけはこんなだけど実年齢は二十代折り返しちゃってるけどねぇー」
衣笠さんの指摘も最もだ。艦娘が実際には――――皐月ちゃんや文月ちゃんだって――――一人前の大人である事は胸を張らねばなるまい。
「そら。今日の仕事も終わりだな。瑞鶴。一つ頼めるか? 三階に書類を届けて欲しい。提督の名前を出せば分かるはずだ」
「別に構いませんけど……長門隊長は?」
「私と衣笠は部隊再編の申し送りを作らねばならない。戦力拡充も喫緊の課題。サビ残だよ」
休憩を挟んだのはそのせいか。
時計はもう終業時間である事を告げている。若干の同情を覚えるが、出来ない仕事を邪魔するのは更に迷惑だろう。
再び書類の海に戻る二人を労いつつ帰路につく。最寄りの階段を下ったところで、見知った顔がいる事に驚いた。
「提督さんじゃん。何やってんの?」
何やらスタッフと談笑しているようだ。こちらの姿を認めると受付に一言断って、何かの資料を引っ張って貰ったらしい。見ると土木・建築担当の部署。なぜこんな所に。
「今日、お休みじゃないんでしたっけ?」
「休みであろうと、終わらなかった仕事はやらなきゃならないからね」
とんだワーカーホリックだ。彼が踵を返して向かうのは休憩室。慌てて追いかけたその場所は、定時も過ぎているので人っ子一人いなかった。
「自販機で良ければ、何か奢るけど?」
「さっき長門隊長達とお茶してたので、遠慮しときます」
返答すれば、彼は肩を竦めて釣銭のレバーを下した。じゃらじゃらと釣り銭が落ちる。
薦められて二人でベンチに腰かけていれば、天窓から見える夕陽が煌々と照らしてくる。
立ち去るきっかけもまったくないので、とりあえず当たり障りのない話題から切り出すことにする。
「……トマトジュース好きなんですか?」
「二日酔いに良いそうだ。味も嫌いじゃない」
缶の結露をズボンの太ももあたりで拭おうとした彼を見て、咄嗟にハンカチを差し出す。突然の事に目を丸くした彼は、私の意思表示を汲み取ったのか、恐る恐る手を伸ばして使う。
そんなに萎縮するものでもいいだろうに。
「なんというか……何から何まですまないね」
「いえ。慣れっこですから。姉も昔は忘れ物が多くて、つい癖でお節介しちゃうんですよね」
「道行く人の困り事を全部片付けようとするせいで遅刻しそうなタイプだな。瑞鶴は」
それが咎められたと思って、羞恥で顔が赤くなる。
「時間にだって気をつけます!」
「不貞腐れるな、悪いとは言わないよ。おかげでこちらも助かった。昨晩は迷惑をかけたな」
彼にしては珍しい低姿勢に、私は目を剥いた。
嘘だろう。こんな簡単に鉄面皮なキャラ付けを捨ててくれるなとつい思ってしまった。ついぶっきらぼうに口が出てしまう。
「気にしないで下さい。皆放って帰っちゃうので、つい余計な手を出しちゃっただけなので」
「なんなら残業代を出そうか」
「タクシー代は宴会用の積み立てで長門隊長が払いました。お金とかは結構ですので」
それとも、お金が欲しいと顔に出ていたのだろうか。訝しげにこちらを見る彼の表情で慌てて口角を引き締める。すると彼は、妙なことを言った。
「長門には戦闘職に専念して貰いたいから、こういうのはアイツから引き継いでやって欲しい」
何のことかと聞いて首をかしげると、彼は咳ばらいをする。
「酒の席じゃゆっくりできなかったからね。副司令官就任おめでとう瑞鶴」
「……改めて言われると照れるんですけど」
「これも君の実力を買っての事だ」
ちょうど都合が良いと彼が鞄から取り出したのは、先程受け取っていた封筒だ。何も説明されずに手渡されて、私はまたしても首を傾げることになる。
「部屋割り? なんでまた……」
「説明不足だったね。宿舎を出るつもりはないか? 瑞鶴」
「なんでまた。現状には不便ありませんけども」
「今は衣笠と同室だろう? 副司令官に昇格するにおいて、そのままという訳にはいかない」
格付けというより、守秘義務が主な理由だろう。
所謂
私を守ると同時に、衣笠さんの為でもある。それにしても個室だなんて。果たしてそんなスペースがこの基地にあっただろうか。
「現在、隣の島……トアノス島に基地施設の移設が進んでいることは知っているだろう? 同時並行で官舎の増築もしているんだが、新たな艦娘の補充も控えている状態だから、君ひとりに使わせる部屋もスペースが限られていてね。急場凌ぎとはいえこんな事になっているんだよ」
先ほど受け取ったらしい図面を見て指さされたのは、司令部庁舎の執務室からほど近い所。階段や水道管といった動かしようがない設備に挟まれたのだろう。目を疑うほどに狭い。
施工後の予想図では二段ベッドの一階部分が横長の机と電灯。足元が収納スペースだろう。
もっと奥には洗面台がついており、床面はタイル張り。汗を流すくらいはできそうだ。しかしこれでは看守付きの牢屋と変わりがないのではないだろうか。
「立って半畳、寝て一畳とは言いますけど、狭すぎないですかここ」
私物を置く場所なんてほとんどない。そんな苦情は想定済みだったのだろう。
「その
差し出された封筒に入っていたのは、無機質なプラスチックのカードだった。
「何ですか? これ」
「私の宿舎の鍵だ。持っているのは、私と娘。そしてこれが最後の一枚だ」
思わず見返した。昨晩使った物と同じ鍵だ。これを私に?
一度上がりこんでしまったから、これからの呑み会の送迎を頼むとでも言うのか。そう冗談を返せば、彼は頬を掻いた。
「他人の家だと遠慮したい気持ちは分かる。しかし他に手が思いつかなくてね。お手上げだ。この庁舎の完成は三ヶ月後との見積もりだが、南洋のスコールは不規則で工事の遅延もどれくらいかも見込めない。その間に
彼の眼はあくまで真剣だった。そこまで言われて尻込みする。私が躊躇う理由なんて。
「体調……って。そんな不衛生って訳じゃないんでしょ。どうしてわざわざそんな」
「瑞鶴、君は閉所恐怖症じゃないかな?」
それは、断定の口調だった。確信を突かれてしまい、私の返答はいよいよ強張ってしまう。
「どうして……それ」
誰にも知られてない筈なのに。
入隊時や日々の訓練でも
秘密にしたい訳ではないが、不適格の評価を貰いたくないから隠した。
そんな細やかな抵抗が打ち砕かれる。
狭い場所が嫌いなのは――――――姉の事を思い出すから。
書斎に籠りきりだった唯一の肉親。その情が私に向いてないと今でもフラッシュバックのように胸が締め付けられる。
その具象化があの部屋と同じ狭い空間だったのだ。それを見抜かれるなんて。
しかし、その後の回答に思わず私はずっこけることになる。
「この前、輸送機に同乗した時だったか。妙に機嫌が悪かっただろう。虫の居所が悪いというか。唇を噛んでて、顔色も良好とは言えなかった」
「………………」
やはりというか、彼はあくまで彼だった。
いや、確かに輸送機も閉所ではあるのだが、それはそれ。これはこれ、だ。
この期に及んで「その時」が
きっと私の顔は、呆れを通り越してのっぺらぼうになっていたに違いない。
提督さん。
やっぱりあなた、唐変木だよ。
とはいえ、こんな勘違いだが彼なりの優しさだとは理解できる。
それがあんまりに可笑しくって、私の頬はつい緩んでしまった。
私の表情をどう読み取ったのか、彼は続ける。
「それでここからは断って貰って構わないんだが……幾らか、私の自腹で手当を出そう。宿舎に寄る機会があったら週一でもお使いを頼まれてくれないだろうか?」
「買い物とか、食事を作れってことですか?」
「料理までは言わない。暇なときだけでいいから買い物と、あと私の娘をみてやって欲しい」
勘違いなら勘違いでも構わない。
私は無料で部屋が借りられる。そこにお手伝いが含まれるとしても、家賃よりは安いものだ。それに幼子のお相手だろう。決して悪い話ではない。
問題は……その幼子、ヒナちゃんである。
「部下に家政婦をやれって事は了解しましたけど、ヒナちゃんは何て言ってたんですか?」
「ヒナ……あぁ、ヒナタかい。いつもは人見知りな娘が、何故か反応を示してね。君になら頼めるよ。いや、お願いしたいというべきだ。この通り」
そう言って彼は顔を伏せる。恐縮ですと返して太鼓判を押して貰った所で、私はキーカードを懐に入れた。それをOKサインだと受け取った彼は、ここではない遠くを望んで私に語る。
「私は親として何も出来ていない。経済的な楽をさせてやりたいと努力してきたつもりだったが、こんな事になってしまった。仕事が恋人とでもいうのかな。とにかくこんな片親では、愛想も尽かされていてね。親の愛を知らずに育つ者もいる。かくいう私も両親が逝去するのは物心ついた頃だ。そうさせまいと思っていたのだけれどね」
言い訳だとは分かっているよと、提督さんは言う。
でもそれは提督さんなりに、ヒナちゃんの支えであり続けてたいと思うからこそだろう。
かつて姉が私を守ってくれたように、不器用であるが最強の盾である事に変わりない。
「決して無理にとは言わない。業務に支障が出たら私も困るし、なにより部下を私用にこき使っていたとなれば株が下がる。代休も取れるよう手配しよう。滞在中にトラブルがあったとしても、評価に響かない事を約束する。長門にもこの件は伝えてある」
「そんな『保証』なんて要らないです。やりますよ」
親がいない寂しさ……私だって知ってますから。
それが姉との人間関係の溝を埋めようとした代償行為だとは分かっている。
それでも、私のような子供はもういなくなるべきなんだと――――――理想だけは胸に抱いて承諾したのだった。