『――――ねぇ、加賀さん。あなたはまだ、ミクロネシアに居るのね』
彼女は私のことを酷く責めていた。私が過去に囚われていると、ミクロネシアに囚われていると。分かっている。それは事実だ。でもそれは、空将だって、あの戦いを経験した全ての将兵が思っていることなんじゃないのか。
「山下君。私は空将だぞ? もう2等空佐でもないし、第83高射隊の司令でもないんだ。キミだってもう新米の3等海尉ではない。泣き落としは通用しないぞ」
「ですが、中部太平洋を喪った今でも脆弱な拠点が点在している事実は変わりようがありません。艦娘母艦は必要なんですよ」
私の主張に間違いがあるとは思わない。艦娘母艦が必要なことは明らかだ。戦艦艦娘の艤装も悠々と格納できる大型のランプと格納庫を持ち、連戦に耐える整備能力は補給拠点としての役割を最大限に発揮する。私の言葉に、空将は鷹揚に頷いた。
「そうだな、確かに艦娘母艦は必要だ。それは誰もが納得するだろう」
「では何故閣下は、いえ。閣下の派閥は反対なさるのですか?」
「簡単だよ。キミが派閥を作らないからだ」
そんな事が理由になるというのか。素早く言葉を返せなかった私に、空将は続ける。
「我々はキミの意思を図り損ねている。いやそれどころか、艦娘派に意思があるのかすらも疑問に思っている……どうなんだ。艦娘派に統一意思はあるのか?」
その問いかけに、私は答える義務を課せられていない。ただそれでも、否応なしに考えてしまう。気を利かせすぎる部下、知らない場所で出回る陰謀論まみれの回覧記事。
そして、敵対派閥への罵詈雑言。龍驤さんも言っていたではないか。
『キミの強引なやり方が、今の艦娘派を作ったんやないかって言うとる』
「……私は、派閥を作ろうなんて考えていません」
「それは今、艦娘派の統制が出来ていないからか? 逆だよ。君が派閥を作ろうとしないから、こんなことになるんだ。君なら派閥を作れる」
なにせ君は『ミクロネシアの英雄』だからな。このヒトまで、そんなことを言うというのか。足を踏ん張ってぐらりと揺れるのを堪える。私を英雄と呼んだ空将の向こうには入間の空。春先を乗り越えて夏の手前までやってきた青空。
それは、あの日のミクロネシアに確かに繋がっている。だが私は、そうではない。
「私は、英雄なんかじゃありません」
「キミがそう言っても、キミの補佐役はそうは言わないはずだ」
それを否定することが出来ないのが悔しいところだ。萩風は私をある意味で神格化している。「ミクロネシアの英雄」とはそんなに立派な存在だろうか。理解できない。
何も言わない私に何を思ったか。空将は続ける。
「軍内政治を避けたい気持ちは分かる。だが、それでどう艦娘母艦を完成させる?」
「艦娘派と
先日開かれた会議。艦娘母艦を推進する造船部はこの会議で既定路線を作ることが出来れば艦娘母艦の採用は間違いないと豪語していた。もちろんそれは事実だろう。組織が組織である以上、意思決定は会議に委ねられるものであるのだから当然だ。
だから私は彼らの話にのった。造船部の企画する艦娘母艦は詳細な仕様はまだ何も決まっていないが、艦娘母艦の建造さえ決まれば自体は好転する筈だと信じて。
「だが、無謀だっただろう?」
「閣下が潰したのですよ。まあそうでなくとも、結果が全てです」
強がって見せても、空将には見透かされていることだろう。
そもそも、私が艦娘母艦を通せると踏んだのは海軍の派閥バランスを考えてのことだった。海軍の派閥は大きく三つに分けられる。艦娘を国防の軸に据えるべしと主張する艦娘派。大型護衛艦を軸にと主張する艦隊派。そして両者のどちらにも属さない中立派。中立派は細分化すると無人護衛艦派やら原則中立派やら細かくなるのだが、ともかくそういった派閥が群居しているのが今の状況だ。従って基本的には艦隊派を押さえ込むことが出来れば、艦娘母艦を建造することは可能な筈だった。
しかし、現実には艦隊派と中立派の二つの派閥が艦娘母艦に反対の意を示し、さらには空軍からの「苦情」で話は振り出しに戻ってしまった。
「では私が派閥を作っていれば、閣下が潰しにくることはなかったのですか?」
「さて、どうだろうな。まあ、国防に利することがなければ潰しにいくことは確かだ」
国防。それは曖昧模糊で都合のいい言葉。果たして国防とはなんなのだろう。国土と国民の生命財産を守る。分かりやすいのはお題目だけで、国防に利するとはなんなのかは分からない。だからこそ、私は空将の痛い箇所を突く。
「ですが。空軍の指揮官である空将が会議に口を出すこと自体おかしな話ですよね?」
もちろん事情は知っている。空将は海軍内部の人脈で考えると中立派に属している。なぜなら中立派の後ろにPHIがいるからだ。
「PHIグループ。閣下のご友人にも
小沢空将の同期に新田という男がいる。北関東出身の衆議院議員である彼の背後には同じく北関東の航空機メーカーであるPHIグループが控えている。つまり空将はPHIの差し金があったから会議を潰したと解釈できるのだ。
「私には、閣下がPHIの利益保全のために潰したとも見えますよ?」
そして、そのお題目は艦娘派なら誰もが喜んで飛びつくだろう。
「では逆に、艦娘派のそれぞれも利益保全に走っているとは思わないかね?」
そして空将の言い分も否定しきれる訳ではない。艦娘母艦が既定路線となれば造船部にはさらなる調査予算が降り、母艦を建造する造船所が部品メーカーは多いに潤うことだろう。艦娘艤装がより多く必要とされれば艤装メーカーだって儲かるはずだ。
「まあキミが何も言わなくても、あんな足並みの揃わない艦娘派に作らせた母艦がまともになるとは思っていない。だから潰すことにした」
念のため言っておくが、ここに関しては私の意思でもあるぞ。そう彼は続ける。
「仮に今の艦娘母艦が会議を通過して、それは何をするフネになるんだ? 重火器を積みまくって攻撃するならそれでもいい。医療設備に整備区画を拡充して難攻不落の水上要塞を作っても良い。だが今、誰か艦娘母艦の青写真を描いてるヤツはいるのか?」
「それは」
「屈強な兵士を百年を養ったところで、肝心の戦争がサイバー空間で繰り広げられて終わることだってあるんだ……使い道も定かではない軍艦は金喰い虫だよ」
言葉もない。私だって、本当は分かっている。空将が大局を見据えていることも。
「艦娘母艦は作る。だが造船部によく分からないものを作らせてはダメだし、キミの独断で作ってもダメだ。神崎造船をはじめ、この国には立派な造船メーカーがごまんと居る。彼らの技術、現場の要望、それを全部まとめた艦艇を作ることが必要なんだよ」
その終着点は私と同じ。それなのに、二人の主張はこんなにも違う。
「それじゃダメなんです」
「なぜだ」
小沢空将が私を見据える。艦娘の人材不足や艦娘そのものの能力不足、そういった理由を作ることは簡単だ。だからこそ、私が伝えるべきはそれより重要なこと。
「一刻も早く、戦争を終わらせるためです」
「艦娘母艦は『友軍泊地救援のための艦艇』じゃなかったのか?」
「危機にさらされる友軍を救うためには、場当たり的な対処ではなく敵の策源地を叩く方が有効でしょう。根元を枯らすのです」
ここ数年、発動される大規模作戦は全て進出してきた敵を殲滅するというものばかりだった。敵の勢力を「間引き」するための作戦が行われても、ある海域を島嶼を奪還する攻勢作戦は失敗どころか、発動すらされていない。
だからこそ、一刻も早く艦娘母艦が必要なのだ。この国には艦娘運用の専従艦が少なすぎる。対深海棲艦戦闘の主力を務める哨戒護衛艦は艦娘を言い訳程度には積めても本格的な運用にはどうしても基地設備が必要だ。長期間の攻撃作戦には使えない。
「なぜ焦る。ここ数年における大規模群体の出現数、輸送艦の被害船腹量を考えれば
空将の言葉は正しい。深海棲艦の大規模侵攻にこの国は対処出来ている。戦局は小康状態で、だから危機感を抱く派閥が少ないというのも頷ける。
しかし、現実はそんな単純な話ではない。小康状態は小康状態に過ぎない。いつその均衡が崩れるかなんて、誰にも分からないことなのに。
「まあ、キミの考えは分かっているつもりだ」
その小沢空将の言葉は、まるで全てを見通しているかのよう。彼は一歩踏み出すとわたしに名刺を手渡す。そこには万年筆で書き込まれた電話番号があった。
「派閥というのは、ままならんものだ。しかし私たちには共通項が多い」
「……」
「分かっているだろう。私たちは同じ『ミクロネシアの英雄』で、そして同い年の娘を持つ
「……あなたと手を組めと言うんですか?」
「私がイエスと言えば、手を組んでくれるのかい?」
彼は答えを知った上で聞いてきている。私は利害の一致で手を組むのはいい。だが、誰かのしがらみに巻き込まれるのはごめんだった。
「利害の一致じゃギブアンドテイクが限界だ。やはりキミは派閥を持つべきだよ」
「……」
それでは、連絡を待ってるよ。それだけ言い残して、彼は艤装装着体験ブースへと戻っていく。私に何をどうしろというのだ。そんな時、空将は私を振り返る。
「ああそうだ。言い忘れてた、先程数字を使う人間は嘘を吐くと言ったね」
「?」
「最初に言った『3年で太平洋を奪還する』……あれ実は、当てずっぽうなんだよ」
もっとも、確証のある当てずっぽうだがね。それだけ言い残し空将は立ち去る。
『3年です。そうすれば、あの子が戦場に行くことは避けられる』
彼は、知っているのだ。いや、初めから予想がついていたと言うべきか。なにせ彼と私の上司だったヒトは『パパ友』なのだから。
立ち尽くす格好となった私の所に駆け寄ってくるのは、やはり萩風である。
「加賀さん、大丈夫ですか? って、その名刺は……?」
「大方、私用携帯の番号でしょうね」
それで彼女も意味を察したことであろう。眉を引きつらせて口を尖らせる。
「なんですかそれ、
本物も偽物もない、等とは言っても無駄なのだろう。私も小沢空将も、あのミクロネシアの戦いに参加していたという事実は変わらない。それなのに萩風や他の艦娘派の人間が言うところによると、どうも艦娘だけが英雄で他の兵士はおこぼれで出世した偽物の英雄なのだという。第83高射隊を率いて戦線を支え、今では航空総隊の司令官にまで上り詰めた小沢空将は、そういった攻撃のやり玉にいつも挙げられている。
「萩風、あなたはどう思うの?」
「どうって、空将は艦娘母艦を潰した張本人ですよ。絶対組まない方がいいです!」
「……そうではなくて。今の艦娘派について、どう考えているのと言う話」
艦娘派の惨状は、龍驤さんに指摘されなくても、小沢空将にわざわざ言われずとも分かっている。そしてその最大の問題がどこにあるのかだって知っている。
「関係ありません。だって私は艦娘派ではなく、加賀派ですから」
「また、そんなことを言って。私は派閥をつくるつもりはない、わよ……」
「どうしたんですか? 加賀さん」
いや、本当に私は問題を知っているのだろうか。艦娘派は確かにバラバラだ。所属も目的も違うのだから、それは当然ことだろう。だがそれでも、艦娘が国防の最善手だと信じて、集まった人達の繋がりを、艦娘派と呼ぶのではなかったか。
「ねぇ萩風。あなたはどうして加賀派なの?」
「え? それはもちろん、司令がミクロネシアの英雄だからですよ」
それは理由にならない。なにせ私が英雄であったのはもう15年も前の昔。
「流石にそれだけではないでしょう。なんで私を支持しつづけるの?」
「えっと……加賀さんなら、艦娘の意見を通しやすくしてくれるかなと思って」
いくら国防の最前線を支える艦娘であっても、その意向が全て通るわけではない。艦娘派が集まったのだって自分たちの意向を上層部に通すためだ。だから萩風のいうことはおかしくはない。ただ――――
「なら。どうして他の幹部艦娘や、他兵科の幹部を頼らないの? 艦娘寄りの意見を持ってくれているヒトは他にも居るわよ」
この質問の返答如何によっては、艦娘派の正当性は消え失せるかもしれない。
「それはだって、司令は私たちのことをちゃんと考えてくれていますから。だから私は司令を信頼していますし、ついて行きたいと思うんです」
その返答は、私を支持する理由ではない。つまり、私は勘違いをしていたのだ。
「そう。ありがとう」
萩風は叶えたい理想を私に付託している訳ではない。私について行けば間違いないと考え、信じるままに指示に従って作業を行い、単純な善意でこうすればいいと提案する。その行動が、どのような結果を産むかまでは考えていないのではないだろうか。
いや、それが問題なのではない。萩風が私を信じることはいいのだ。私だって上司として萩風を信じているし、同様に萩風が部下として上司に従うのは当然のこと。
しかしそれは派閥と呼べるだろうか。それは単なる指揮系統に過ぎない。軍は指揮系統を重んじる。それは縦の関係だ。対する派閥は人間同士の繋がりを重んじるのだから、これは横の関係とも言える。一つの理想を追い求めて違う職種同士の人間が手を取り合う、それが派閥の在るべき姿ではないのか。
「あなたのお陰で、艦娘派の問題が見えてきた気がする」
私は、艦娘派のまとまりのなさ。統制のとれなさ具合が問題だと思っていた。しかし本当の問題は、全員が何か一つの理想。最終目標を共有できていないこと。
今の艦娘派は艦娘が優位に立つべきと論ずる人々が集まっている集団に過ぎない。それはつまり艦娘を信じる人達の互助組織のようなもので、精々団結するときは艦隊派などから艦娘への圧力がかかった時ぐらい。私が推し進める艦娘母艦だって、単に艦隊派が反発しているから「じゃあ協力しよう」と考えている人間だっているのではないだろうか。それこそ、艦娘母艦に予算を喰われれば艦隊派をぎゃふんと言わせられる、程度の認識で協力している人間もいるのではないだろうか。
『誰が青写真を描くんだ?』
小沢空将の言葉が蘇る。彼の言うとおり、今の艦娘派に舵取り役はいない。だから私なんかが重鎮扱いされてしまう。私が艦娘関連の改革案や新機軸の作戦を提唱すれば周りは勝手に動いてしまう。私の言葉が重いのではなく、そんな簡単なきっかけで動いてしまうほど艦娘派は軽い派閥なのだ。しかも勝手に動くから
しかしそれで私に艦娘派の舵を取れとでも言うのだろうか? 現場の艦娘、後方勤務の幕僚や技官、それに艤装生産メーカーまで巻き込む巨大な派閥をまとめるろと?
私にそんな力はない。自分で言ったとおり、私は一介の艦娘に過ぎないのだ。
「加賀さん?」
「いえ、なんでもないわ」
それでも、派閥に属することが正しいとは思えない。派閥を作ることだって同様、派閥は結局の所横の繋がりで、派閥のトップというのは代弁者に過ぎない。派閥の意に添わなければ求心力を失うし、貢献に対しては相応に報いなければならない。
派閥は融通が利かないのもの。小沢空将はさも派閥は利害関係でないなどと言っていたが、派閥は結局の所、お互いの利益を調整する場でしかない。
「人脈は消耗品……そうだったわね、
彼女なら、一体何と言っただろう。代議士の父を持ち、各方面に顔が利く。そんな派閥の在り方を体現したような彼女ならば、今の私になんと助言するのだろうか。
『もう
そうだ。分かってはいる。彼女は、赤城さんは私のこの状況を知ってそんなことを言ったに違いないのだ。もうどうにもならないから諦めろと、そう言ったのだ。
「萩風」
「はい」
「あなたがまとめた資料。どう思った?」
「どう、と言われても……ええと、艦娘のなり手が減っているのが気になりますね」
「正確には、人口比の志願人数が増えていることが問題ね」
艦娘のなり手は減っているが、まだ致命的な人材不足には陥っていない。未だに幼年学校の倍率は1を超えているし、国防軍も定員割れを起こしている訳ではない。
それでも、いくつかの資料を照合すれば徐々に艦娘になる人数、その割合が増えていることは分かる。どんな人間でも多少の霊力を持ち合わせるとはいえ、戦闘に耐えられるレベルでの霊力となると適合者は限られる。人的資源のプールは、少子高齢化により先細る一方。艦娘の世代人口に占める割合は今でこそ数%を推移しているが……いずれは十数%になり、数十%になり……そして、百%を越えることはあり得ない。
「いずれ限界が来ることは、みんな分かっている筈よ」
だからこそ、戦争は早急に終わらせねばならない。そうでなければ――――――