舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第72話 うすいよあけとうげをこえ

 どんよりとした灰色の雲が、空を覆っている。

 時間休を取って車に乗り込む。行き先を告げると、萩風は怪訝な顔をした。

 

「今夜は造船部長との会議ではなかったのですか?」

「予定が変わったのよ。部長は今朝呉に発ったわ」

 

 私がそう言えば、臆病風にでも吹かれたんですかねと言う萩風。ここは流石に訂正しておかないと不味いだろうと思い、口を開く。

 

「違うわよ。今回は統幕監部の命令に基づく拠点分散。要するに疎開よ」

「なるほど、疎開ですか」

 

 納得した萩風はアクセルを踏み込んで車を発進させる。帰宅ラッシュの時間でないことも相まって、国道に出ても対向車はほとんどいない。

 

「……そういえば。臨時編成される部隊、あなた志願したと聞いたけれど」

「はい。司令を補佐するのが私の仕事ですから」

 

 それは司令職を補佐するという私で、私個人を補佐するのとは微妙に話が違うような気がする。まあ萩風が優秀な艦娘であることは分かっているから、来てくれる分には助かるのだが……とはいえ勘違いをされても困るので、釘は刺しておくべきだろう。

 

「今回の臨時編成部隊、部隊長は片桐2佐よ」

「……反艦娘母艦派の、片桐2佐ですか」

「公私混同するなら、今からでも外れなさい。今回の任務に失敗は許されないの」

「私は軍人です。片桐2佐の下でもしっかりやれます」

「ならいいわ。でも、これだけは覚えておいて。千代田の防衛はあらゆることに優先する。それこそ、私たちのミスが国家の存亡に関わるの。気を引き締めなさい」

 

 私がそんなことを言う背景には、この国の抱えている傷跡の存在がある。

 

「敵は私たちと同じように『斬首作戦』を用いるわ」

 

 2020年代初頭、ミクロネシアを突破された日本は窮地に陥っていた。南方の戦線が押し込まれることは、北太平洋が戦場になることを意味する。そしてそれは、北太平洋に有効な哨戒拠点を持たない日本にとって最大の危機をもたらした。

 

「深海棲艦は指揮系統を的確に狙う。幕僚長や方面隊長……そして国会議員」

 

 それは深海棲艦を驚異的な生物、とはいえ所詮は生物(どうぶつ)と考えていた人類にとって大きな衝撃だった。彼らは太平洋で善戦していた日本と米国に対して「斬首作戦」を実行。

 つまり、両政府の政府・軍の高官へと一斉に襲いかかったのだ。

 

「もちろん、まだ自衛隊だった国防軍が素早く手を打って被害は最小限に留められたということになっているけれど……それでも、貴重な人材が喪われたことは事実よ」

「なるほど。それでここまで過剰に反応するんですね」

 

 きっと萩風には、私の言葉の重さが伝わっていないのだろう。確かに結果として政府へのダメージは少なかった。しかしそれは結果論に過ぎない。下手をすれば総理継承順位の保持者や陸海空軍の指揮官が皆々して殺害され、政治的・軍事的な空白を作ることになるかもしれなかったのだ。その恐怖は、当事者として忘れることは出来ない。

「確かに、先日の敵襲は結局「警報騒ぎ」という扱いで終わったわ。民間への人的・物的被害はゼロ。結果としては上々だったと言えるでしょう」

 

 しかし本土上空に敵機の進入を許したという事実は見逃せない。さらに言えば迎撃に成功したというだけで、肝心の敵部隊は取り逃がしたのだから問題だ。

 

「一番の問題は空母よ。日本本土を襲撃できる航続距離を持つ深海の飛行機は存在しない訳だから、近海に敵の空母が潜んでいることは間違いない」

 

 次の空襲は確実にある。その目標は分からないが、斬首作戦に則るならば最高機関を狙い撃つ筈。そのような経緯から、国会はおよそ二十年ぶりの休会を決議した。それを決断させるほどに、深海棲艦の斬首作戦は恐ろしいものなのである。

 とはいえ国会が休会したとしても首相官邸や最高裁判所は仕事を続けなければならないし、国防省を初めとする中央官庁も休むわけにはいかない。そんなことを言い始めたら、日本企業の多くは東京に本社を置いているのだ。東京が動かなくなることは、日本経済が停止することを意味する。だからこそ、東京は守らなければならない。

 

「片桐2佐の指揮の下、私たちは霞ヶ関の官庁街、そして衆参両院の議員会館を警備することになる。東京に残った国会議員たちを守る。これは責任重大よ」

 

 生半可な気持ちで臨まないように。その言葉に萩風は強く頷いた。

 

「でも……首相官邸の方が大事なような気がしますよね。そちらはいいのでしょうか」

「官邸は龍驤さんたちの教導隊が当てられるそうよ」

 

 まさに戦力を総動員しての臨戦態勢。これが日本全国レベルで行われているのだから、それはもう大変なことである。

 そして車はいよいよ東京都との境界へ。幸いにも住民レベルでの疎開騒ぎは起きていないようで、道路を往く車の表情に変わりはない。しかし車窓から覗く江戸川には警戒のために遡上してきた艦娘の姿。それらは単縦陣を組んで、川辺でシャッターを切る観衆に目もくれずにじっと空を睨み付けていた。思わずため息が出る。

 

「本当に儚いものね、平和というのは」

 

 だからこそ、深海棲艦は本当の意味で倒さねばならない。

 確かに、艦娘の活躍は曲がりなりにも年単位の平和をこの国にもたらしたと言えるだろう。しかしそれはたった一回の空襲でかき消えてしまうほど脆い存在に過ぎない。

 そしてそれは、何も本土が襲われなくても同じ事。もしも今、深海棲艦が海上交通網(シーレーン)への攻撃を激化させたらどうなるだろう。地上の重要な施設や河川に艦娘が配置されている以上、どうしても貨物船の護衛は疎かになってしまう。その穴を埋めるために海外の哨戒艦隊を呼び戻せば、海外の貨物船の護衛が疎かになる。 

 かつて、日米が太平洋の覇権をかけて争った戦争。あの戦いでも、日本本土が実際に空襲にさらされたのは最後の数ヶ月だけだった。そして本土が空襲を受ける何年も前から輸送船を沈められ続け、空襲や本土侵攻の頃には既に日本経済は疲弊しきっていた。

 この国には艦娘しかなかった。敵は米国すらも勝てない物量を持ち、絶え間なく攻め続けてくる。国土を必死に守り続けている今だって、いつ敵に防衛線を破られるのかという心配をするばかりの日々、こんなことでは経済に安心を、国民に未来を見せることなんて絶対に叶わない。あの子が戦わずに住む未来は、絶対に来ない。

 だからこそ艦娘母艦を就役させて、敵を太平洋から追い出そう……そんなことを今私が言ったら、これから会いに行く相手はどんな顔をするだろうか。またしても悲しみに顔を歪めて、もうやめてと繰り返すのだろうか。

 

「司令、お迎えにはいつ上がればよろしいですか?」

 

 私の暗雲を振り払ったのは萩風の声だった。既に車は目的地に着いてしまったよう。

 

「いえ。今日はもうここまででいいわ。ご苦労様、ゆっくり休んで頂戴」

「はい。それでは失礼します」

 

 私が降りたのを確認して、一礼の後に去って行く萩風。残されたのは私だけ。

 そして目の前には、総合病院のエントランスホールが待ち構えていた。

 

「大丈夫かなんて……そんな大袈裟に言わないでくださいよ」

 

 ただの検査入院ですから。清潔なシーツに包まれたベッドに身を委ねた彼女は、いつもと変わらぬ様子で笑ってみせた。空襲騒ぎのゴタゴタがあったので、直ぐに向かうことは出来なかったのだが……ひとまず元気そうでなによりと胸をなで降ろす。

 

「心配しますよ。いきなり倒れたなんて聞いたのですから」

「そうね。確かにいろんなヒトに迷惑をかけてしまったわね。ごめんなさい」

 

 どうして貴女が謝らなければいけないのだ。謝るべきはむしろ、すぐに駆けつけることの出来なかった私の方だというのに。しかし私にはそんな言葉をかけることすらも許されない。もちろん彼女は許してくれるだろう。あの空襲騒ぎの日、関東中の部隊に非常呼集がかかったのだ。当然そのような事情は、彼女だって理解している。

 となると私の謝罪は、自分を満足させるためだけのものでしかない。だから私は謝れない。そんな自己満足に彼女を付き合わせるのは、誠実とは言えないからだ。

 代わりに取り出したのは数冊の小冊子。それは普段目を通すような灰色の資料ではないし、仰々しい決済印の押された命令書でもない。

 

「あの、赤城さん。病室はお暇だと思って、読み物をもってきました」

「あら……」

 

 赤城さんは僅かに驚きの表情を浮かべる。何か不味いことでもあっただろうか。

 

「あの、もしかしてもう読まれてました?」

 

 赤城さんの活字好きは有名な話。知識が偏るからと学術書から大衆文学まで幅広く眼を通し、早く情報を取り込むためなのかとにかく読むのが速い。そうであれば、確かに流行(はやり)の大衆文学などはもう読んでしまっていてもおかしくはなかった。

 

「これはですね。いろいろ立て込んでいたのであまり吟味することが出来なくて」

 

 やはり急いで用意したのはよくなかったかと後悔の念が押し寄せる。しかし赤城さんは、違うのよと首を振って見せた。

 

「そうじゃなくてね。なんだか、すごい懐かしい感じがして」

「なつかしい、ですか?」

 

 言葉の意味が理解できない訳ではない。戦えば艦娘は傷を負う。傷を負えば、傷を癒やすための処置を行うことになる。病室はひどく退屈で。

 

「前は、こうやっていつも加賀さんが差し入れしてくれたものね」

 

 でも、それは僅かに3年前までの話。そんなに懐かしいことだろうかと首を傾げる私に、赤城さんはさも可笑しそうに表情を緩めた。

「不思議よね。たった3年前の話なのに……でも、もう3年も経つのよね」

 

 時の流れって残酷よね。赤城さんがそんなことを言って、私はその言葉にはっとさせられる。確かに、もう3年も経った、でもまだ3年しか経っていない。

 

「ねぇ加賀さん。加賀さんにとっての3年間は、あっという間だった?」

 

 その3年は、私と赤城さんが離れていた間の3年間。あっという間だった……とは思う。中学に進学したあの子には弁当を用意してあげないといけなかったし、幕僚課程や佐官への昇進、護衛隊の司令としての職務。やることが多すぎた。

 

「私はね、ちょっと退屈だったの」

 

 赤城さんがそんなことを言う。千島列島で相手にしなければならないのは深海棲艦だけじゃなかったはず。職務は私以上に忙しかったに違いないと言うのに。

 

「時間の流れは一緒でも、時間の感じ方は人それぞれ」

 

 加賀さんの3年間はとっても濃密だったんでしょうね。赤城さんは何を言おうとしているのだろう。3年間という数字は、私の立てた太平洋奪還の作戦期間にも一致する。

 

「……」

 

 まさか病室でも艦娘母艦の話をするのだろうか。確かにここは個室で、話をすること自体は可能。まして、私たちは先日その件で散々に言い合ってしまったのだ。

 

「あ……ごめんなさい。そのことを言うつもりじゃなかったの。ほら、官舎を出てからのこと、あの子の話はたくさんしたけれど、私たちの話はしていなかったじゃない」

 

 私の表情をどう読み取ったのだろう。赤城さんはごめんなさいと頭を下げる。

 

「違うんです。謝らなきゃいけないのは、むしろ私の方で。その……先日は、口が過ぎました。気持ちが先行してしまって、それで赤城さんに、あんなことを」

 

 あの夜、私は赤城さんに心ない言葉をかけてしまった。赤城さんは艦娘母艦に反対していた。その理由が人的資源の消耗を避けるためだということは知っている。もちろんそれが、あの子を心配しているからこそだってことも。それに対して私はなんと返しただろう。感情的で、あまりにも赤城さんのことを考えない発言で。

 

「いいのよ。ヒトには誰にだって譲れないものがあるもの」

 

 それに、先にルールを破ったのは私よ。赤城さんはそんなことを言う。

 

「ルール……ですか」

 

 赤城さんがそう口にしてしまうと、私たちの間にも暗黙の了解(ルール)があることを思い知らされる。

 

 確かに、私たちは互いを本名で呼び合うことはなかった。赤城さんは私のことを加賀さんと呼んでくれたし、私も赤城さんのことを赤城さんと呼ぶようにしてきた。

 

赤城(わたし)新田ミコト(わたし)、公人たる『特務神祇官(かんむす)』と私人たる『新田の一族』を私はわけて考えてきたつもりだったわ。なのに私は加賀さんの僚艦(どうき)、つまり公人(かんむす)としての立場を利用して私人(じぶん)の都合を優先してしまったの。だって、あなたは僚艦の赤城(わたし)だから家に迎え入れてくれたのでしょう?」

「それは……」

 

 どうなのだろう。赤城さんが艦娘母艦に反対しているのは知っていた。それでも私が彼女を家に迎え入れたのは、確かに赤城さんを僚艦として見ていたからかもしれない。

 

「でも、それは。赤城さんが公私混同したことは、私があなたに酷いことを言う理由にはなりません。あんなこと、私は言うべきじゃなかったんです」

 

 赤城さんが艦娘母艦に反対して、戦争を終わらせるのは無理だと言って。

 

『軍人として命じられる? あの子に死んでこいと、死んで祖国の礎になれと』

新田さん(あかぎさん)……あなたなら、きっと殺せるんでしょうね』

 

「自分でも、なんであんなことを言ってしまったんだろうって思ってるんです。私は軍人です。いざとなれば部下に死んでこいと躊躇無く命じる立場です。それなのに」

 

 あの戦い……ミクロネシアの戦いで、自衛隊は第8護衛隊群を見捨てた。赤城さんの部隊はグアムに張り付いていて、最後まで救援に動くことはなかった。その経験が、私に艦娘母艦を、水上機動団構想に拘らせたのは事実だ。

 

「赤城さんのいうことは正しかったですよ。私は感情論で押し流される人間です。あの子を守るためなら、どんなことだってしようとする人間です」

「ううん。私は言いすぎたわ、あなたを追い詰めるようなことを言ってしまった」

 

 それなのに私の立場に立ってくれる赤城さんは、本当に立派な人だと思う。私はただ赤城さんに許されたいだけだというのに、彼女はそれを良しとしてくれる。

 

「実はね、加賀さんにああ言ってもらえて、私少し嬉しかったの」

「え……?」

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