『ねぇ加賀さん。あなたの一番大切なモノ、必ず守ってあげてね』
そんな赤城さんの言葉が、どうにも脳裏にこびり付いて離れない。赤城さんは、このことを知ってあんなことを言ったのか。
同じ路を歩めないというのは、彼女が最悪の事態に晒されていたからなのだろうか。
「とにかく当面の間、空軍の活動は低調にならざるを得ません。あなた方には入間方面へと突入するであろう敵の迎撃をお願いしたい」
そう言う小河原1尉。日本の中枢、東京を守る形で配置された部隊は南関東に集中配備されている。入間の防衛はあくまでその外縁部。だから、その防衛に関わる私たちに「手心」を加えさせて、入間を中心的に防衛してもらうことを望んでいるに過ぎない。
東側から入間へ向かうなら東京の北を掠める形にもなるので、私たちに話が回ってくるのもおかしな話ではなかった。しかし片桐2佐は、首を縦には振らない。
「いえ、それには及ばないわ。私にいい考えがある」
「聞きましょう」
一体全体、何を言い出すと言うのだろう。片桐2佐は続ける。
「1尉の話だと、私たちは防衛戦の時に動けばいいという話になるわよね。でも、それじゃ後手後手に回ることになるから『防空網』に負担がかかることになる」
その言葉は、私に2佐が放つ次の言葉を連想させるには十分だった。
「空母戦は先手必勝よ――――先んじて、私たちが空母を討つ」
「!」
もちろん、2佐の気持ちは分かる。「防空網」が枯渇すれば赤城さんの身が危険にさらされる。だから「防空網」が戦闘に関わらないように先制攻撃を仕掛ける。
だけれど、それ以前に私たちは軍人だ。
「ですが片桐2佐。我々の任務は官庁街の防空です。勝手に持ち場を離れるわけには」
「私たちは空母よ。本土の防空なんて、地上の航空隊に任せておけって話じゃない」
この人は話を聞いていなかったのだろうか。その地上の航空隊――――つまり空軍が「防空網」に頼り切りだったばかりにこんなことになっているというのに。もの言いたげな私を見て、片桐2佐はニヤリと笑ってみせた。
「要は『防空網』に頼らない航空機ならなんでもいいんでしょ?」
なら私たちが飛行機を操作すればいいじゃない。片桐2佐の言葉はその通りなのだが、今の状況では彼女の考えは成立しない。
「それはそうですが……しかし私たちの艦載機では展開が追いつきませんよ?」
なにせ、私たちは東京湾の奥。警戒線の最後列にある官庁街を守るのだ。敵が出てきたタイミングで艦載機を展開させても間に合わない。戦術的縦深をとるという名目で偵察機を展開することは出来ても、偵察程度の戦力で敵を倒せるとは到底思えない。
「違うわよ、私たちが使うのは〈秋津洲〉」
それは帝産艤装が開発した大型
「〈秋津洲〉を使って、私たちが東京から陸上攻撃機を運用するのよ」
丁度今なら航空艦隊も帰ってきてるし。そう言う片桐2佐。どうやら戦術構想も出来ているらしく、洋上の
それは、少なくともこの数分で思いついた作戦には聞こえない。
「……まさか2佐。PHIが帝産艤装の事業譲渡を引き受けたのは」
「今更気付いた? 私はこれでも無人護衛艦派、無人兵器の信奉者よ。当然、私の
つまり、事業譲渡は艦娘による陸上攻撃機の運用技術を「買う」ためだったということ。空母艦娘の霊力通信は機体の大きさに応じて負荷が跳ね上がる。だから大型の陸上攻撃機は艦娘による霊力通信ではなく指揮官機からの近距離通信で操作してきた。しかし大型飛行艇を運用できる〈秋津洲〉の技術を用いれば、それも可能になる。
「地上運用の無人機にまで手を出すと空軍の領分を侵すことになるから
この状況を利用しない手はないわ。片桐2佐は勝ち誇った調子で言ってのける。バックミラーに映った小河原1尉の顔は、なんともバランスを崩したものになっていた。
「……誠に遺憾ながら、片桐2佐の言うとおりですよ」
「決まりね。じゃあ小沢空将に陸上攻撃機を運用可能な〈秋津洲〉を確保して、こっちに回してちょうだい。作戦に使う陸攻部隊は私が航空艦隊から調達する」
さあ、待ちに待った航空撃滅戦よ! 片桐2佐は大きくガッツポーズ。
一方の私は、不思議な心持ちでその光景を眺めていた。
『
なるほど。そういうことなんですね赤城さん。
守りたい小さなモノと、皆が納得できる大きな目標。それが一致したときに力を発揮するのが派閥なのだ。私にとっての派閥は、英雄の名前に惹かれて集まる、粘りっこい不気味なものでしかなかった。
だけれど今この瞬間、全てが噛み合って輝いているように見えた。片桐2佐はまさか航空撃滅戦が出来るから喜んでいる訳ではないだろう。「防空網」を救えば赤城さんも救われる。そしてそれは、この国に垂れ込める暗雲を吹き飛ばすことにもなる。
空軍と海軍が垣根を越えて手を取り合い、PHIや帝産、様々な企業の技術やノウハウを持ち寄って、大きなうねりが産まれようとしているのだ。
「やるわよ、この国とミコト。どっちも助けてやるんだから」
「……はい」
差し出された片桐2佐の右手。私はそれを受け取る。
霊峰高尾より繋がれた鉄路は関東の東端へと続いている。その終着点のひとつである千葉県の銚子に、彼女の姿はあった。
「……昔は、ここへ戻ってくれば姉様の
「それは違いますよ新田2佐。防空網の霊力はいうなればハイブリッド運用。そもそも霊力とは、
「あら。そんな酷い言い方をされなくてもいいのに」
「私は事実を申し上げているまで」
ああ、もちろん新田家の令嬢ともなればご存じでしょうがと言うのは制服姿の男性。
「それで……防空網はどうなりますか?」
誰も答えてはくれなかった。調べても分かることではなかった。
けれど答えは、明白だった。
「この国は変わりませんよ。防空網は維持されるし、我が国も同様に維持される」
「ええ。そうでしょうね」
そうでしょうとも。でなければ、姉様が維持されてきた理由がない。
「…………それにしても、分からないのです。なぜ『防空網』は
その問いに、やはり制服姿の男性は答えなかった。
当然だろう。いくらこれから死ぬ人間とはいえ、世の中には答えられないコトの方が多いのだから。そして、それこそ姉様の望んだ世界なのだから。
「本当に大変なことほど、誰にも知られぬ方がよい――――――それが、私たちを。姉様を今日まで支えてきた信念でした」
世界に平穏を。世の民に太平の世を。郷土を愛する者だけが持てる想い。
それが新田一族の……そして、今の時代では「特務神祇官」と呼ばれる巫女達の役目。
「ですが、あの日姉様は明らかに1人の少女へと牙を剥いた。
それはなぜです?
答えはない。答えがなくても、問わずにはいられない。
「私たちは
深海棲艦というものではないのですか。
「誤作動でしょう。悲しいですが、よくあることです」
「よくあることですか。板東を守護せしは新田の長女、新田ホマレですよ」
そうして赤城――――――新田ミコトは姉の名を呼ぶ。
「
「そうですか。記憶にありませんな」
「とぼけないで」
赤城の眼光が制服姿を射貫く。しかし彼は穏やかな笑みを――――――その無表情を崩さない。
「心配要りません。『防空網』は堅守されます。貴女のお姉さんの犠牲は無為にはなりませんし、それはあなたも同様です」
「犠牲? あまり下々を愚弄するものではありませんよ」
もちろん、制服姿の彼は全てを見下ろしているのだろう。そもそも姉様を召し上げた彼らすらも顎で使えるような人間である。この戦乱に塗れた世の中にあっても栄華を極める関東平野の、その頂点から世界を見下ろす気持ちは格別なものなのだろう。
しかしそれでも、山を支えるのは頂上ではない。その麓、裾野を支える木に土に水に、そしてそこに棲まう数多の営みあってこそ、山は真に栄える……おそらく、制服姿の彼はそれを知らないのだろう。
もちろんそれを知らしめるために、わざわざ故郷を滅ぼすほどの愚か者ではない。なにせ……。
「――――我々新田の人間は祖国の礎になる事を善しとし、あまつ旧くから誇りとする者達ですから」
あの時、姉様は言った。担えるのは長い
だが、私は違う。日本を護る姉様の為に身をくべたのだ。間接的に国の為とあれど、その時に去って行った彼女の後を追う事が自分の成すべきだと言い聞かせてきた。
だってそうでなければ、あまりにも姉様が報われない。
だから、姉様のいない日本などなくなってしまって構わない。そして逆に、姉様のいる日本を守るためであればなんだってする。それこそ加賀さんが自分の娘を愛おしがゆえに、見知らぬ何万の子供を地獄へ送り込もうとしているように。
「私にとって肝要なのは『
そう言ってのければ、前の相手は虚を突かれたように両目を瞬いた。制帽を傾けて肩が下がる。そして口角は三日月を描いた。
「いや……失敬。昔、同じような事を言った男を思い出しましてね。しかしながらソイツは、貴女の言う誇りとやらを汚らわしいと捨てた畜生ですが」
畜生とは、随分な物言いである。おそらく眉をひそめたのであろう私に、彼は続ける。
「折角ですので誤作動について少しばかり補足を。『防空網』は完璧に作動しています。しかし物理学に基づき設計されたレーダーでもそうであるように、
レーダーにおけるゴースト。本来存在してはならない。しかし設置箇所や周囲の電波干渉、その他様々な要因によって発生するとされる
「大丈夫。対策は既に用意されています、あなたのお姉さんは、これからもこの国のために」
「……そうですか。それを聞いて安心しました」
もちろん、それは彼の方便だったかもしれない。
私は姉様が霊力を回復するまでの時間を稼ぐために、海に出る。その結果として国は守られる……それなら、私はそれで十分だ。
「…………あなたの献身に、心よりの感謝を」
制服姿が頭を下げる。慣れ親しんだ〈赤城〉の艤装が唸りを上げる。
肥沃な大地が洪水なくしては生まれなかったように。
太古の遺骸が現代で文明の灯火となったように。
世界は常に、誰かの献身により守られ、受け継がれ――――――栄えていく。
だからこれは、なにも恐ろしいことではない。
いずれ来る順番が回ってきただけのこと。
「いってきます。姉さん……そして、加賀さん」
私は――――――この国の