「違います。違うんですよッ!」
その言葉に、片桐2佐は肩を跳ねさせたようにも見えた。叫び慣れていない私の喉はそれだけで掠れてしまう。それでも、言葉を途切れさせるわけにはいかない。
「赤城さんは、もうとっくの昔に諦めてるんですよ……!」
「知ったフリしないで。あなたに何が分かるの?」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ、2佐。あなたは勘違いしています」
赤城さんは、本当は国の事なんて考えていないはずなのだ。あの人は最初からそう、自他共に厳しいヒトではあった。国家を重んじ、共同体の和を重んじる。そんな郷土主義者の鏡のようなヒト。でも、彼女が国を好きと言ったことがあっただろうか。
この国のどんな景色が好きか、この国のどういった風習や文化が好きなのか。そんなことをあの人が話したことがあっただろうか。
「赤城さんは、とっくに諦めてるんですよ。深海棲艦がいる限り、地球上の七割を占める海を相手に戦う限り、この戦争に勝ちはありません」
ここ数年、大規模な攻勢作戦は実施されていない。今回だってそう、敵が押し寄せてくるから戦うだけ。今太平洋からこちらへとやって来る敵を討てば、確かに数日や数週間の安全は担保されるだろう。赤城さんはそれを身の丈の平和と呼ぶ。それはつまり、本当に掴み取るべき平和は手が届かないから諦めると言うこと。
「赤城さんだって、本当は諦めたくなかった筈なんです」
国家の選択は常に取捨選択。巨人は歩くだけで誰かを傷つける。図体の大きな国防軍は、誰かを見捨て、傷つけ踏みつけずにはいられない。だから赤城さんは諦めた。
「赤城さんは、もうあんまりにも諦めすぎたんですよ! 大切な
「諦めてる……? それは違う、違うわよ……」
片桐2佐は弓の構えを解くと、こちらにつかつかと歩み寄ってくる。
「いい、分かっていないようだからハッキリ言ってあげる。あなたの言葉はあの子が弱いと言ってるのと同じよ。誰だってこの戦争で何かを失ってるの」
私はもちろん、あなた自身だってそう。その片桐2佐の言葉に間違いはない。
「あの子は、強いわよ。多くのモノを斬り捨てた、沢山のことを諦めた。それでも、あの子は何事もなかったかのように笑ってみせるの。それこそが強さじゃないの?」
「違います、2佐は何も分かっていない!」
赤城さんは、強い。確かに強い。それは言うとおり。しかしその強さが、脆くて脆くて、弱すぎる心を守るための鎧に過ぎないことにどうして気付かないのだろう。
「赤城さんは弱いんですよ。弱さを必死に押し殺して、強さで固めてるんです。赤城さんは、意見のあわない私すらも助けてくれようとしたんです。あなたの為だからどうか止めてくれって、わざわざそんなことを言ってくれたんです」
『なら。私は止めるしかないわね』
赤城さんと路を違えた理由は分かっている。赤城さんは私に止まって欲しかったのだろう。艦娘母艦の建造へと突き進む私を止めようとしてくれたのだ。
「赤城さんが艦娘母艦阻止に動いたのは、確かに私のためではないでしょう」
それは、赤城さんの心を守るための行為だった。赤城さんは私と、そしてあの子が最前線へと赴くのをどうしても止めたかったのだろう。
「赤城さんにとって、大切なのはもう自分の周りだけなんです。今でも国防病院に眠っているお姉さんや、幼い頃から可愛がっていたあの子……赤城さんが守ろうとしているのは、この国なんかじゃない。身の回りの、ほんの小さな平和だけなんですよ」
「違うわ。ミコトは、新田ミコト3等海佐はそんな自分勝手じゃない。自分を押し殺してるのは知ってるわよ。でも、それを乗り越えられるからこそ、ミコトは強いのよ」
「2佐は勘違いをしています。
だから、赤城さんは引き下がれないのだ。片桐2佐は赤城さんの
「赤城さんは自分のことはどうでもいいんです。あなたが国の為と言えば、あの人は本気で腹を切るかも知れませんよ?」
「ミコトを馬鹿にしないで! あの子ほど芯の通った子はいないわ。彼女は愛国者よ……私なんかと全然違う、筋金入りの愛国者なの」
もう答えは2佐にも見えているはず。それなのに、どうして分からないのか。
「あなたが
もちろん、望んだのは2佐だけではないだろう。赤城さんの境遇、戦争に染められた青春。防衛大学校では、国の為に何かを斬り捨てることを期待されて教育された。
「赤城さんは、強いですよ。強かったですよ。でも、それは弱さを覆い隠すための強さなんです! 断じて、強さを前面に出すための強さじゃなかった!」
赤城さんは強かった。だって赤城さんはもうとっくの昔に……そうだ、それこそミクロネシア以前に、いや、私が赤城さんと出会う以前に諦めていたのではないだろうか。
そう思ってしまったら。それに気付いてしまったら。もう言葉が止まらない。
「片桐2佐は、赤城さんを
そして、それは見事に合致してしまったのだろう。赤城さんに軍人としての期待を寄せる新田家と、新田家との関係を望む片桐2佐と。赤城さんをとりまく期待が一致してしまったとき、赤城さんに断る理由はなくなってしまった。
「それが赤城さんを動かすんです。赤城さんは強いですよ……あの人は、最期まで諦めたことを誰にも悟らせずに征こうとしている。あなたはそんな赤城さんの気持ちを!」
そこから先の言葉は続かなかった。視界の中心に収めていたはずの片桐2佐が消え失せて、数瞬遅れてひどく軽い音と痺れるような痛みが走る。
「……悪いわね、私。ミコトほど人間できてないの」
思いきり利き手を振り抜いた2佐が、上気した双眼で私を睨んでいた。
「もう一発叩かれたくなかったら……自分の立場をよく考えなさい、加賀」
立場、その言葉が私を表す全てなのは知っている。私は3等海佐で、一人の少女の親代わりで……そして艦娘母艦の建造を訴える急先鋒。
「正直、見損なったわよ。あなたは『斬り捨てられる』人間だと思ってた。艦娘母艦がどれだけの艦娘を
違う。私は、ただただ嫌だったのだ。
戦争は私たちに犠牲を強いてくる。何の犠牲もなくして成し遂げられることなど無いのだと、そんな夢想はあり得ないのだと現実を押しつけて、無理矢理にでも諦めさせる。だからミクロネシアは陥落して、両親を喪った幼子は路に迷うことになる。
「……そんなこと、知ったことではありません」
私は、そんなのはもうご免なのだ。私はとうの昔に罪を犯した。これからも罪を犯すのだろう。いまさら真っ当に生きれるなんて思っていない。
それなら、私に出来ることは私の周りを平和な世界に送り出すことだけ。
「私の地獄行きはとうの昔に決まっているんです。赤城さんに恨まれようが、2佐にどんなに罵られようが関係ありませんよ。でも、これだけは譲れないんです」
私は、大切なものを守るために戦っている。もう仲間を見捨てない、その一心で。
『だからこそ、私は加賀さんに任せるのよ』
嗚呼、赤城さん。あなたは卑怯です。とんでもない卑怯者です。まさかあなたは、私が誰も見捨てないという心意気を知ってこの作戦に志願したのですか?
「いいのね、加賀? あなたがこの作戦を止めれば、余計に多くの被害……それこそ、何の罪もない国民が犠牲になるかもしれないのよ?」
片桐2佐の台詞が、いちいち私の胸を突いてくる。それは赤城さんの言葉と同じだ。
赤城さんは自分のことは諦めている癖に私には艦娘母艦を……深海棲艦への大攻勢を諦めろというのですか。それとも、自分も諦めるから私も諦めろと言いたいのですか。
「作戦は止めません」
作戦を止めれば、この膠着状態はこれからも続くことになってしまう。それでは、もはや深海棲艦に対して反攻を実施するどころの騒ぎではない。この国は戦争の泥沼に沈んで、そしてあの子は、否応なく戦争に巻き込まれる。
「ですが、赤城さんは助けてみせます!」
これは理屈ではない。私の義務だ。赤城さんが何を考えているかなんてどうでもいい。ただ私は見捨てない。決して諦めない。
最後まで足掻いて足掻き続けて、何度だって罪を犯しても構わないのだ。
聞こえてくるタイヤの擦れる音。萩風の運転する自動車が、私の背後まで来ていた。
「では、失礼します」
黒塗りの公用車から萩風が不安そうな表情で私を覗き込んでくる。これほど激しく言い争いをしていた訳だから、心配させてしまっただろうか。そう思いながら近づくと、不意に後部座席の窓が開き始めた。
「? 萩風、どうして窓を……」
その疑問は、私の舌の上で立ち消えてしまう。私が言葉を飲み込めないでいるウチに、背後の2佐は爪先を揃えて敬礼を作ってみせた。
後部座席から顔を出したのは、初老の男性。私に割り当てられたはずの車両にも関わらず深々と腰掛けた彼は、2佐の姿を確認すると胸に手を当てた。
「ご苦労、片桐2等海佐」
「はっ」
そんな、なぜ彼がここに。私の疑問を知って知らず、後部ドアから彼が降りてくる。皺一つ無いスーツの襟には小さな菊が輝いている。それが意味するのはただ一つ。
「新田、衆議院議員……」
金に輝く議員バッチをつけた彼は、赤城さん……新田ミコトの父であるという事実。
「貴官らが任務中であったが故、一部始終は聞かせて貰った」
「……お聞きになっていたのですね。議員」
お恥ずかしい所をお見せしましたと頭を垂れる片桐2佐。そういえば2佐は赤城さんを通じて議員に取り入っている、そう考えれば、確かに先ほどのやりとりは2佐にとって聞かれて嬉しいものではないだろう。しかし議員の興味は2佐にはないらしい。
彼は私の前に詰め寄ると、一言。
「君は私の娘を、弱いと言ったな」
どこから聞かれた? 考えるまでもない、萩風に目を遣ると、少しだけ逸らす彼女。大方、車で待機していたところを突然乗り込んでこられたのだろう。この民主主義国家において議員とは国民の代表。
そして彼らは私たちの護衛対象でもあるから、車に乗ってしまっても文句は言えない……恐らくそのようにまくし立てられ、強引に乗り込まれたに違いない。
そしてそうなれば、もはや体裁を取り繕う必要もなかった。
「はい。そう申し上げました」
彼は私の前に立ったまま。息すらも止めたのかのような沈黙を経て、徐に口を開く。
「新田家には、先祖代々受け継がれた血が流れている。父祖より受け継いだ土地と民。如何に時代が流れようと、我々にはそれを守る責任がある」
だから強いとでも言いたいのだろうか。とはいえ、彼と口論している時間も惜しい。
「あなたこそ、強いのですか?」
議員が何を考えているかは知らない。しかし現実問題、彼は自分の娘を人柱として「防空網」に差し出し、もう
「赤城さんは強かったですよ。弱さを守るための鎧だったとしても、その強さは本物でした。今だって、その身を賭して私を……この国を守ろうとしてくれている」
『加賀さんは、自分の命令であの子を殺すことが出来るのね?』
赤城さんが私に突きつけたのは、究極の問いだった。私が否と言うことを知って、それでも国のために、平和のために戦えるのかと問いかけた。
それは、私にとっての「身の丈の平和」を測るための問いだった。
「あの人は、身の丈の平和が欲しかっただけなんです。国のためじゃない。目の前の敵を倒して今日のご飯を食べる……赤城さんが欲しかったのは、そういう平和なんです」
だからなんだと、彼は嗤うだろうか。大を守るためには小を斬り捨てる。それは例え自分の家族であったとしてもそうなのだろうか。
「貴様は、なぜ『防空網』が出来たか知らんからそんなことが言えるのだ」
「……」
「彼奴らは、戦うことに己を見出したのだぞ。私が戦えと命じた訳ではない」
「ですから! それが赤城さんの弱さなんですよ」
叫ぶ私に、ふんと鼻を鳴らしてみせる新田議員。
「……赤の他人にそんなことを言われて、信じる親がいると思うか?」
「それは」
話にならんとばかりに背中を見せると、そのまま助手席へと身体を収める。
「羽田だ。すぐに出せ」
「……へっ? 羽田ですか?」
素っ頓狂な声を上げたのは運転席に収まっていた萩風。隣を突然議員に占領されて、しかも目的地まで指定されたのだから堪ったものではない。困惑する彼女を余所にして、議員は私をきっと睨んだ。
「どうした。貴官の任務は国会議員の護衛だろう、乗れ」
「……」
いや、議員の言わんとすることが分からないわけではない。私が飛行場を目指そうとしていたことを彼は知っている。それなら、自ら飛行場のある羽田に向かえと言ったのは私にそこへ赴けと言っているに他ならない。
「どうしたのよ。加賀、いきなさいよ」
「2佐……これはどういうことですか」
風向きが変わったのか? だとすればいつ、何故?
「いいから。とっとと乗りなさい」
厳しい表情のままで私を見つめる片桐2佐。私に歩み寄ると、耳元にそっと囁く。
「議員の尽力を無駄にするつもり? 助けるんでしょ。
「……」
詮索をする時間も惜しい、幸いにも艤装は抱えて持ってきた。艤装を抱えたままに後部座席に乗り込むと、数瞬も置かずに車は走り出す。
「あの、新田議員……」
「それで? 貴様は
「……」
私は目の前の議員が放った言葉を飲み込めないでいた。救う? 確かにそうだ、私は赤城さんを助けに行こうとしている。だがそれは、私が勝手にそうするだけ。
「救うなんて、そんな立派なものではありません」
その言葉に、議員の視線は被らない。私は続ける。
「私は、もう誰も見捨てないと決めたのです。それだけです」
本当に、それだけなのだ。残念ながら、私は議員に見せられる大きな目標がない。
そんな私を見透かして、再び議員はふんと鼻を鳴らす。
「……そんな理由で邪魔立てされたら、あの馬鹿娘はさぞ面白い顔をするだろうな」
「新田議員、それは……」
「くどい。私は多くは語らん。細かいことは
彼は短くそう告げて、助手席の背もたれを指でとんと叩く。後部座席向けの物入れには、軍用の通信端末が収められていた。私が手に取ったのを見計らうように、着信を告げるランプが光った。私が手に取ると、受話器から聞こえるのは聞き覚えのある声。
『私は航空総隊司令官、小沢だ』
「小沢空将……? どうして」
『どうしてもこうしても、国防軍は文民統制に従うものだよ』
その言葉の意味することは明白。背もたれの向こうに座るはずの男は何も言わない。
「……感謝します」
『礼は終わってからにしろ。それに、政府の最優先目標はあくまで敵の斬首作戦を阻止すること。貴官に委ねられる作戦は副次的なものに過ぎない』
要するに、十分な戦力を用意することは出来なかったということである。
しかし、それだけでも十分というもの。
『この作戦は国防空軍と海軍の共同作戦となる。主目標は現在太平洋に誘引されつつある敵有力群体の無力化。要するに、現在進んでいる無人機攻撃作戦の後詰めだ』
「待って下さい。それでは……」
『話は最後まで聞くことだ3佐。第一波攻撃と第二波を並行してやっていけない通りはない。戦力の集中が基本だと言ったのは何処の誰だったかな?』
即ち、現在進行中の作戦に重ねがけする形で作戦を実行するのだ。それなら片桐2佐の微妙な表情にも説明はつく。
「しかし、今から海上に展開しても第一波には間に合いません。どうされるんですか」
『簡単だ。空路を使う』
「しかしそれでは『防空網』が反応してしまいます」
その言葉に、無線の向こうが冷える。
『貴官は『防空網』を破り捨ててでも
試すような空将の言葉。しかし私は言葉を止めるわけにはいかない。運転席では萩風が、助手席からは新田議員が、それぞれがそれぞれの面持ちで私を見据えているのだ。
「当然です……私は、赤城さんと未来を見たいんです」
私にだって優先順位はある。その中で赤城さんが優先順位の上位に来ているだけだ。赤城さんが未来を諦めているとしても、私はまだ諦めていないのだから。
『……結構。まあ安心したまえ。『防空網』を破らない方策は準備してある』
「どういうことです?」
思い至らない私に、行けば分かると告げる空将。そのまま自動車は、羽田へと。