舞い降りし軍艦鳥   作:帝都造営

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第 8 話 白鶴は傷を裂く

 姉が口にしたその言葉を、私は一生忘れないことだろう。

 

 

 

「私たちのお父さんとお母さんは、バケモノに殺されたのよ」

 

 

 それが、私の出会った一番目のバケモノ。

 

 

 幸せだったはずのあの夜のこと。

 とてつもなく熱かったのと、その後に襲ってきた寒さだけはよく覚えている。

 

 それから何人もの白衣のヒト、それからお巡りさんに質問攻めにされるうちに、自分が一晩にして両親を失った哀れな少女になったことに気付かされた。

 

 包帯を巻かれてあちこち固定されて、鏡を見ることも出来ない私。そんな私と数日ぶりに再会した姉は、私たちの両親がバケモノに殺されたのだと告げた。

 

 実際にどうだったのかは重要ではない。

 大切なのは私が姉の言葉を否定することが出来なかったこと。

 

 だって姉の言う「バケモノ」がいないのなら、私たちは両親を喪う筈がない。バケモノが望んだからこそ、私たちは奪われたのだと姉は言った。

 

 

 今思えば、姉はそう思い込むことで己の心を守ろうとしたのだろう。

 

 

 そう考えられるだけ、姉は聡明だった。

 悲しみを背負うだけだった私よりずっと強かった。

 

「だから、強くなるしかないのよ。バケモノに負けないように」

 

 もちろん、感謝していない訳ではない。

 庇護から外れた事を逆手にとり、この世の者でなくなった両親の分を補うように一家の主になった姉がいなければ、私は路頭に迷っている。

 

 ただ私は、姉のことを好きにはなれなかった。

 それどころか、嫌いですらあったかもしれない。

 

「あなたも強くなりなさい。私みたいに」

 

 

 その言葉は、二番目のバケモノ。

 

 

 二人きりになってしまった私たちの世界は、姉の言うとおりバケモノだらけ。

 姉が強かったから私たちは二人きりでも生きていけた。

 

 でもそれは、姉の変貌ぶりを意味していた。

 

「あなたのことは私が守るわ。だから、私に守られるうちにあなたは強くなりなさい」

 

 しかし今になってみると思うのだ。姉は本当に変わってしまったのだろうか、と。

 

 姉は絵に描いたような淑女を演じていた。

 高潔で用心深く、容姿端麗で表面的な愛想も良い。だからお転婆娘でも明るく元気な子と褒められ、妹への過剰なスキンシップも美しき姉妹愛と受け取られたに違いない。

 そう考えれば、あれは姉の一面が発露したに過ぎなかったのかもしれない。

 

 けれど。

 

「私が護れるうちに、強くなりなさい」

 

 それは()()としての行動だった。

 姉は存在するハズのないバケモノと闘うことで、私を守ろうとしていた。

 姉が私のことを守ってくれたこと、私のことを愛してくれたことは疑いようがない。だけれどそれは、彼女が姉であったから。

 

 私は姉の比較対象だった。

 同じ家に後から産まれたという理由だけで、先生すらも私たちを姉妹で比較した。立派な姉、出来損ないの妹。私を褒めてくれるのは姉だけだった。

 最も、姉は自身の評価を高めるために私を褒めていたのだろう。事実として、妹へのスキンシップをとりたがった姉の行動は家長となってからはなりを潜めることになる。

 

「わかった、強くなるよ。私」

 

 既に私の心は死んでしまっていた。

 だから私は姉の言葉を額面通りに受け取ってしまった。

 

 姉がいくら偏屈な愛情を注ぎ込もうと、心に穴が開いていてはどうしようもない。そうして中途半端に注ぎ込まれた結果、懐いただけ懐いた空っぽの生き物ができてしまった。

 その点では、強さの何たるかも分からずに部活動で弓道を選んだのは、大きな不幸の中の小さな幸運であった――――――経験などまったくない。しかし射場は平等に、私を一人にしてくれた。

 

 弓を構えて、矢を番える。

 

 的に刺さった弓矢の姿は私の鏡そのものであった。他ならぬ自分との比較、相手のいない世界に私がのめり込むのに、さして時間はかからなかった。

 不幸(こううん)なことに、空っぽの私は無心が得意だった。射場でだけは、私は雑念をなくすことが出来る。

 学力も家族構成も関係ない。的に当たっても外れても。ましてや勝敗などどうでも良い。私を咎めるものはいなくて、ただ私と私だけがいる世界。弓は私に無心を教えてくれた。

 そして的を射貫く数は次第に増え、私を大会へ、果てはインターハイへと導いた。そうなれば、こんな私にも憧れてくれる後輩が出てくるし、同じだけ妬みもされる。

 

 ――――――結局のところ、この世界でも私は比較されていた。

 

 空っぽが虚しさに変わった。

 弓は私に無心を教えてくれたが、私が無心を極めるほどに、私を取り巻く感情は羨望や嫉妬にあふれていった。

 どうやら空っぽは罪らしい。いろんなモノを抱えていた姉と違って私は何も持っていない。穴が開いた心には何も留めてはおけない。愛情も嫉妬も羨望も、すべてこぼれ落ちてゆく。

 

 そこでようやく気付いた。

 私が姉を()()()()()()ように、姉も私を苦しめていたのだと。

 

 姉がスキンシップを止めたことを、私はむしろ姉の煩わしい面が一つ減ったと心の何処かで喜んでいた。射場では姉のことを考えずに済むと、嬉々として弓を取っていた。

 

 空っぽは自覚した途端に空っぽではなくなる。

 そこに広がるのは虚無、奈落のような底なし穴。何を注ぎ込んでも永遠に満たされない私に、姉は心を砕き続けていたのだ。

 

 

 それが、三番目のバケモノ。

 姉を苦しめ続けた私は、()()()()()()()()だった。

 

 

 そんな私に、一体何が出来ただろう。

 

 姉の側にいれば姉は苦しむに違いない。

 だけれど私を守ることを心の支えにしている彼女は、私がいなくなればもっと苦しむだろう。

 バケモノに出来ることは、せめて姉を傷つける機会を減らすことだけだった。

 

 練習に打ち込んで、遠征費を稼ぐためとアルバイトに打ち込む。

 姉の方が利口であったのだから、私の意図に姉は当然気付いたことだろう。

 肩を並べて仲良しこよしだけが姉妹の形ではない。二人で協力することで、二人の食卓には言葉を交わさないことによる平穏が根付き始めていた。

 

 

 その筈、だったのだ。

 

 

「私の思ったとおりだったわ。やっぱり、バケモノは居たの」

 

 これが最後のバケモノ。いずれ深海棲艦と呼ばれるようになる異形の生物。

 

 姉は狂気に陥ったのだと思った。その言葉は研究者の道を志していた筈の姉から出るとは思えない言葉。理性で取り除いたはずの妄想が、再び姉を覆い尽くそうとしていた。実際、研究職を志して心を壊してしまうヒトは多いとは聞いていたし、表に出さずともプライドの高い姉のことだ。理想と現実の狭間でおかしくなってしまっても不思議ではない。

 

 しかし姉は、妄想を証明することに躍起になっていた。

 

「いつかあなたにも……ううん、絶対に知ることがあってはならないわ。あなたが知らなくても済むように、私はバケモノを見つけなきゃいけないの」

 

 時の流れに薄まった影は底に沈殿していただけ、一度鎌首をもたげれば否応にも眼に入る。

 

 苦痛だった。

 

 姉が被害妄想を吐くのも。

 私がその妄言のダシにされるのも。

 

 妹を守るのが姉だと嘯き、彼女は幼い日の妄想に取り付かれていく。

 そんな姉が、私に禁忌を破らせた。

 

「防衛大学に進学しようと思うんだ。学費どころかお給金もらえるし、いいでしょ?」

 

 私は逃げた。

 世界で唯一残った肉親を棄てて。

 

 全寮制の防衛大学校に進学すれば、姉との関わりを物理的に断つことが出来る。姉が私を救うことが出来なかったように、私もまた姉を救うことが出来なかった。その暗黙の了解を、私ははっきりと認めて逃げ出した。

 

 

 そして私たち姉妹にとって最悪なことに――――――

 

『信じられません。まったく信じられません!』

『沿岸部の住民は速やかに……』

『国民の皆様におかれましてはどうか冷静な……』

 

 

 ――――――バケモノの存在は証明されてしまった。

 

 

 まず、テレビの中で海と山に押しつぶされてヒトが死んだ。

 綺麗な海が真っ黒に染まった。

 

 次に、岸辺が炎に染まった。

 それは世界中で一斉に起こって、何十万のヒトが死んだ。

 

 そして新聞は、次は何百万が死ぬと言った。

 海が敵になった。ヒトと母なる海の戦いだと。

 

 何もかもがおかしくなり始めていた。

 姉が正しかったことが証明されてしまったのだ。

 私の姉は妄想に取り付かれていたのではなく、私以上に現実を見ていたのだ。

 

 一方の私は、常識という逃げの一手で覆い隠して姉を軽蔑すらしていた。

 妄言に取り付かれたと言い訳して、唯一の肉親を手放してしまった。

 バケモノが本当に存在したなんて、認められる訳がなかった。

 

 でも、現実は私の逃げ切りを認めてはくれなかった。

 いつのまにか防衛省の嘱託職員なんて大層な肩書きを引っ提げた姉は、私の前に現れるとこう言ったのだ。

 

「やっと分かったのよ。アイツらを倒す方法が」

 

 そして姉の視線が私を責め立てた。

 

 なぜ闘わないのか。どうしてバケモノに立ち向かわないのか。

 やっと倒せるのにどうして、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 姉がバケモノを倒す夢を、見た。

 

 倒せない一番目のバケモノ(むかしのひげき)、倒すに倒せない二番目のバケモノ(わたしのかぞく)

 そして最後の深海棲艦(バケモノ)、もしくは――――――三番目のバケモノ(じぶんじしん)を倒す夢。

 

 

 私は鏡に映ったバケモノを見つめる。記憶をなぞっただけの筈なのに、まるで悪夢に(うな)されたかのような顔。

 顔を洗っても流れ落ちない汗、タオルで拭っても消えない焦燥。

 

 そして捲り上げたシャツの下に刻まれた多くのやけどと裂傷。バケモノはまだ此処にいる(いきている)

 

 私には、姉の気持ちが痛いほど分かる。

 

 バケモノが形を持った。姉をずっと苦しめていた、それでいて空気みたいに掴むことの出来ないバケモノが遂に倒せるようになった。

 喜ぶ気持ちは分かる。しかし深海棲艦の研究に傾倒する姉を、どうして狂気でないと言えただろうか。

 

 いや、もちろん彼女は正気だったのだ。

 

 きっと姉はこれまでずっと、必死に戦って来たのだろう。

 バケモノの存在を証明しようと躍起になっていたのだろう。

 そして妄想(バケモノ)が現実の脅威となった今、研究にも予算が付いて、更には倒す方法が分かって、それで嬉しかったのだろう。

 

 でも、それはやっぱり姉の妄想だった。

 

 だって姉の両親を奪ったのも、姉を今日まで苦しめてきたのも、その犯人は深海棲艦ではないのだから。

 それを知って尚、姉はバケモノを倒すことを生き甲斐に昇華させたのだから。

 

 活き活きとしている姉は、私の目には八つ当たりにしか見えなかった。

 

「おかしいよ。お姉ちゃん」

「……おねえちゃん?」

 

 え、と。聞こえるはずのない声に私は振り返る。

 そこに佇んだ小さな影。ピンク色の寝間着、ぎゅっと握り締められた白いうさぎのぬいぐるみ。

 

 その姿は、まるで在りし日(幸せだった頃)の私。

 

「ヒナちゃん……ごめんね、おこしちゃった?」

 

 その問いに、ふるふると首を振るヒナちゃん。彼女はそのまま洗面台に向かう私を通り過ぎて、トイレへと向かう。

 ここは提督さんの家。ミクロネシア前方展開群の司令部が置かれるポンペイに出張している提督さんに代わって、私は家の留守番。もちろん副司令として部隊に留まるという役目もあるけれど、それまで含めて提督さんの配慮が感じられる采配だった。

 

 まさかとは思うけれど、留守番させる(その)ために私を副司令にしたなんてことは……いや、流石に考えすぎか。

 変な考えを頭から振り払う私、水洗の音が聞こえると同時に、ヒナちゃんがひょこりと顔を出した。

 

「手洗える? 手伝おっか」

「……別に、いいです」

 

 むすりとして、洗面所前の台に上るヒナちゃん。手を洗ってタオルで手を拭くと、彼女は振り返って私を見つめる。水晶みたいな瞳が、私を見据える。

 

「お姉さんには、おねえさんがいるの?」

 

 変な質問……という訳ではないだろう。ヒナちゃんにとっての私が「お姉さん」で、そのお姉さんに姉がいるのかという質問。

 

「うん。いるよ」

 

 嘘を吐く理由はない。そもそも私に姉がいることは人事資料を見れば分かるし、つまり提督さんが調べれば簡単にばれてしまう。

 するとヒナちゃんは、少し困ったような顔になる。あぁ、この顔は……本当に、父娘揃って優しいものだ。

 

「大丈夫、今も元気だよ。確か今は……849……ううん、マーシャル諸島にいるの」

「まーしゃるしょとう?」

ミクロネシア(ここ)の隣」

「とおいの?」

1000マイル(2000キロ)を遠いというなら、まぁ遠いかな」

 

 もちろん遠い。戦術的にはもちろん、戦略的にだって遠い。それこそ、いざという時に相互に援護し合うことが不可能なくらいには遠い。

 それでもまるで近いかのように答えてしまったのは、ヒナちゃんが寂しそうに見えたから。

 

「じゃあ、近いの?」

「そうね。飛行機で二時間くらいかしら?」

 

 具体的には、北海道から九州までいくとそのくらいだと思う。どう考えても遠い。

 

「飛べばあっという間よ」

「あっというま?」

「そうそう、ビューンよ。ビューン」

 

 そう言いくるめて誤魔化して。さぁ寝ましょと寝室へ戻す。

 それでも少女はやはり聡明だった。

 

「お姉さんは、ひとりでさみしくないの?」

「寂しくないわよ、だってヒナちゃんと提……お父さんがいるもの」

「……」

「…………浮気じゃないわよ?」

 

 じとりと見つめるヒナちゃんに一応反論。そもそも私は独身だ。

 

「さ。明日も学校があるでしょ。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 

 若干強引に話を打ち切って、私はヒナちゃんをベッドに押し込む。流石に真夜中なのもあって、あっという間に彼女は眠りの国へと落ちていった。

 

 

「……さびしい、か」

 

 

 寂しくは、ない。

 むしろ離ればなれの方が、私たちは仕合わせ(しあわせ)なのだ。

 

 私が姉を理解できなかったように、姉も私を理解できなかった。

 

 姉はきっと、私こそが姉を苦しめるバケモノであったことに気付かなかった。

 不気味なほど楽しげに話す彼女には、どうして私が耳を塞いでいたか理解することすら出来なかった。

 

 しかし隣、そうか。隣にいるのか。

 どうやら運命の神様は強引にでも私と姉を引き合わせたいらしい。

 

 私が配属されている第3分遣隊の隣、第4分遣隊。マーシャル諸島の防衛を担当している第849護衛隊に姉は配属されている。援護し合えないほどの遠距離だとしても、確かに私たちは隣り合っている。

 

『聞いたぞ、8護群に行くらしいな。なんならお姉さんのいる部隊に推薦してやろうか?』

『お言葉ですが司令官。あなたは公人たる私に私事を優先せよと仰せですか?』

『……翔鶴型の揃い踏み、悪い話じゃないと思うんだがな』

 

 そういえば、そんな話を振られたこともあった。記憶の淵から蘇った会話。あの時はなんて返したのだったか。確か広報(メディア)対策でしたら応じると……要するに命令なら応じると言ったのだったか。

 そう、私に拒否権なんてものはない。一度は姉の誘いを否定した私も、命令が下れば爆弾を抱えた艦載機を飛び立たせて深海棲艦(バケモノ)を破壊する尖兵とならざるを得ない。

 

 それにしても本当に厄介で、残酷な引き合わせだ。

 

『胸を張りなさい。あなたはもう『瑞鶴』という、皆を守る艦娘(フネ)なのだから』

 

 記憶の中の姉がそう言う。()()()()二番艦(いもうと)を庇うように被弾し続けた軍艦(フネ)の名を(まと)った彼女が、実の妹ではなく軍艦(ずいかく)としてしか見てくれない一人の艦娘(あね)がそんなことを言う。

 そして皮肉なことに、私に与えられた艦名は一番艦(あね)を喪いながら刀折れ矢尽きるまで戦わされた軍艦(フネ)

 

 でもそれで、良かった。

 ようやく、姉は私を見放してくれたのだから。

 これで私達はもう二度と、歩み寄らずに済むのだから。

 

 時計の針はもう進まない。

 でも幸いなことに、戻りもしない。

 

 胸にポカリと空いた穴を埋められていないバケモノの私には、ひとりぼっちがお似合いだ。

 

 それなのに今、私はこうして寝息を立てる少女を見守っている。

 姉を見捨てた私に、そんな資格はない筈なのに……違う、資格は提督さんが与えてくれたのだ。あの人は。バケモノだと知った上で私を認めてくれた。

 

「……おやすみ、いい夢を」

 

 そっとヒナちゃんのベッドから離れる。

 

 存在しない筈の心に、ヒビ割れた器が形を取り戻したような気がした。

 

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