第83話 宝石箱と欠けた少女
多分だけれど、私は何かが欠けている。
私は、いわゆる鍵っ子というヤツだ。
父は忙しくて、母は居ない。
居ないと言うと誰もが悲しそうな顔をしたけれど、私はあの人達が何を悲しんでいるのか最初はちっとも分からなかった。その分からなさも含めて
ともかく、私に家で帰りを待ってくれる人はいない。
父が帰ってくるとそこからが晩ご飯。忙しそうにしている割に豊かな食卓だったのは冷凍食品の成果なのだろう。それでも毎週金曜日に買ってきてくれるお肉屋さんのコロッケは私の大好物だったし、それを乗せたカレーはさらに大好物だった。まあともかく、それが私の一番古い記憶。
父が言うところによれば、私はホッカイドウという場所のヒダカという町で生まれたらしい。そこはずっと寒くて、さらに四季とかいうものがあるのだと言う。
そんな父の話は間違っていなくて、なるほど大学時代に研修で訪れた
私は、日本からずっと離れた南の島で暮らしていた。
父は忙しくしていて、学校のある日は全く私を相手にしてくれない。では休日はというと、父は私を外に連れて行ってくれなかった。公園で見つけた不思議な花や、友達と一緒に作った秘密基地。それを見せてあげたいと言っても、父はダメだと言うのだ。
多分ソレは、私がぶつかった初めての理不尽。いろんな物を買ってくれて、長い休みの時には色んな場所へと旅行に連れて行ってくれた父は、休日だけは私を家の中に閉じ込めた。代わりに父はいつも言うのだ、本を読んであげるから我慢しなさいと。
多分そんな調子で父が読み聞かせをするから、私はいつの間にか本の虫になってしまったのだろう。父の蔵書は、本当になんでも揃っていた。絵本は勿論、絵を見てもさっぱり分からない変な分厚い本。薄っぺらくてぎっしり文字だけ詰まった本。日本語が崩壊しているとしか思えない言葉の羅列が続く本を見つけてしまったときはびっくりしたものだけれど、今となっては父を思い出すための小さな笑い話だ。
ここまで話すと、ヒトはいつも首を傾げる。一体何が欠けているのかと私に問う。
違う、確かに欠けているのだ。私の感覚はいつも理解されない。そしてそれが、私の一番の問題点。どう説明すればいいのだろう。まるで自分がもう一人居て、それが指示を出してくるような感覚。カレーが大好物なことは分かるのだけれど、それを美味しいとは感じられないような感覚。
それを私は、ひとまず愛情が欠けているのだと考えることにしている。父は忙しくて、母は居ない。だから私は、親の気持ちが、人の気持ちが分からないのだ、と。
名刺を見せられた彼女は、きょとんとした表情でこちらを見る。
聞き慣れない法人名ではないハズだから一度ならず聞いたことはあるハズだけれど、まあ彼女の表情の理由は分かっている。
私がその法人名を告げると、彼女の眼には一瞬だけ納得の色が浮かんだあと、直ぐに全身へと拒絶の雰囲気を漂わせた。それが言葉になったのをみて、私は大袈裟にため息をついてみせる。
「とは言いますけれどね。お宅はもう六人、いや七人目でしょう」
産めよ増やせよが叫ばれる島国にとってしてみれば、子どもはどうやったって宝に違いない。それこそ万物と引き換えるに値する宝である……そんなウソが通じなくなった私の国では信じられないほど、ここは子宝に恵まれている。
しかし、多ければいいというものでもないだろう。一度は戦慄した母親ですら、二人の赤児を育てることのリスクは承知していないはずがない。それとも、承知していたのだろうか。何かを言いたげに口籠った彼女。その言葉を継がせぬように、私は畳み掛ける。
「『東南アジア家族問題解決グループ』は人口問題の解決に取り組むNPO法人です。大戦で減った人口を取り戻すことは、私たちの悲願。貴女だってそうでしょう?」
恐らく、彼女が身篭ったのはそんな崇高と呼ぶべき目的のためではなかっただろう。
娯楽がなかった、避妊の知識がなかった。そんなどうしようもない理由で、この世界に生まれ落ちてしまった二つの命。
「双子を育てる難しさは、貴女だって理解しているはずです」
そしてまた、我が子を手放す辛さも理解しているだろう。故に彼女は動じない。真っ暗な眼底には燃え盛る闘志が宿り、是が非でも我が子を守護せんとする決意がこの部屋全体に横たわっている。だから私は、告げるしかないのだ。その理想論を打ち砕く宣告を。
「あなたの長女の――
別段、珍しい話ではないのだ。
女とは家庭に入るものだという認識はほんの一世紀前までは私の国でも当たり前のものであったし、結婚に際して祝い金が贈られるというのもごく普通の風習なのである。ただそれは目の前の母親を凍りつかせるには十二分に鋭利な刃となったことだろう。
「その倍、お出しましょう。ご主人からも了承は頂いております」
彼女は、主人には逆らえないだろう。つまるところ彼女の決死の抵抗というのは、彼女の矜持すらも守ることはなかったのである。私は彼女の手を取る。
「気持ちは分かります。お辛いでしょう、ですがこれはお互いに幸せな選択でもあるんです。これで、この子たちは暖かいスープと毛布を与えられる。教育だって受けられる」
半ば泣き崩れようとしている彼女に、私の言葉は届かないのだろう。それでも
「だからどうか、彼女達の幸せを願ってあげてください」
結局、私の手が握り返されることはなかった。
この空は、
インドネシア共和国。最大の面積を誇る
安全な場所が人々の
数本の通りを横切れば
乗用車のナンバーは大使館、黒塗りの高級車の中で待っていたのは紺色の制服に身を包んだ女性。彼女が言う言葉に、私は嘆息するしかない。
「ここが東南アジアの宝石箱、いい街でしょ?」
宝石箱。それは事実なのだろう。この時代、深海棲艦に侵されていない街を探す方が難しいし、よしんば逃れたとしても内陸の大国に侵されるのが関の山である。となれば深海から適度に離れ、十分な軍事力を持ち、なおかつ内陸国の脅威に晒されないこのカリマンタン島は、宝石箱と呼ぶに相応しい場所なのかもしれない。
「……宝石箱と呼ぶには、随分と小さな箱ですがね」
それでも、中央官庁街から僅かに数ブロックも離れてしまえばこの有様である。
自動車の窓から見える空は青。目を逸らせば、そびえ立つのは鉄筋コンクリートの六階建て。造られたのは首都移転の前か最中か、ともかく一世代前の古めかしい集合住宅がそこにはあった。錆び付いた転落防止の柵が取り付けられた窓、灰色の壁は化粧を忘れたのか、それとも既に朽ちてしまったのか。とにかく剥き出しになったそこに水の痕が流れている。配管が壊れているのか外まで漂ってくるのは突き刺すような匂い。そんな、打ち棄てられた廃墟と表現するのが相応しい建築物が私たちを見下ろしているのだ。
「ここは官庁街造成時の工員宿舎。
冗談のつもりか、そんなことを言ってのける彼女は私の上司。首都開発計画とやらが順調に進んでいるのなら、今頃ここはショッピングモールか何かになっているはずであるし、少なくともこんな朽ち果てた建物はこの場所に不釣り合いである。
その実、信じがたい話ではあるのだ。辛うじて整備された舗装道路にはそこら中にゴミが散らばり、その一部は腐臭となってまで存在を主張している。それらは通行の妨げになるほどではないが、逆に妨げにならないからこそ放置されている訳で。
そんな私の祖国であれば許されないような風景が、当たり前のようにそこにはあった。
それでも、ここで確かにヒトは生きている。あの母親の何が悪いのだろう。私と同じくらいに若い彼女は、幼い子供たちを何人も抱えていた。彼女だって私が『買い取った』子供と同じような立場ではなかったのか。まだ年端もいかぬうちに嫁に取られて、それで何人も子供を生まされてきたんじゃないのか。そんな彼女たちの住む場所を宝石箱と言って馬鹿にするのが、果たして許されるものだろうか。睨んだ私に、上司は苦笑い。
「……冗談よ。ごめんなさいね」
もちろん。私の上司にだって何かが出来る訳ではないのである。私たちは特別国家公務員。
「……あの子は、どうなるんですか」
「ねえ陽炎、盲導犬の育て方って知ってる?」
私の質問に答えず、彼女がそんな事を聞く。もちろん知るはずもない私が頭を振れば、待ちわびていたと言わんばかりに言葉の蛇口が開かれる。
「盲導犬は眼が見えないヒトの暗闇に灯される光よ。もし盲導犬が道を間違えればヒトは死ぬ、一瞬だって気を抜いて貰っちゃ困るの……なら、私たちとは違う生物である犬に、四六時中の忠誠を誓ってもらうためにはどうしたらいいと思う?」
犬は、言ってしまえば単純な生き物だ。走り出せば止まらないし、蝶々を追いかければ何処までも転んでいく。そんな彼らに命を託すのは、なるほどそう簡単には許されないはず。しかし盲導犬は街の至る所にいる訳で、そして盲導犬によって引き起こされた交通事故というのも聞いた試しがない。
「育てるのよ。イチから……ううん、ゼロから」
「ゼロから?」
話の流れが掴めない私。向こうは気にする様子もなく続ける。
「生まれたばかりの犬を人間の里親が引き取って、一番最初から育てるの。初めてのお乳は
私たちはね、艦娘の
嗚呼、頭が痛い。言うべきことはあるのだろう。叫ぶべきこともあるのだろう。しかし私の脳味噌は、冷静に着実に、言うべき言葉を見つけていた。
「インドネシア政府は、知ってるんですか」
その言葉に、相手はこちらを覗き込むように見る。その表情には僅かに喜びの色が浮かんでいるように見えた。要するにこの人は、
「知ってて見過ごしてる……そういう密約があるのよ。この国は子供
そして何よりの下衆は、そんな事情を感じながらこの話を彼女が『漏らした』ことの意味を噛み締めているこの私だ。この密約はとても太陽の下を歩けるようなものでは無い。発覚すればこの国の威信は堕ちるところまで堕ちるだろうし、そうなれば背後からの一撃がこの国を砕くだろう。ただでさえ深海棲艦のせいで強制的に全ての国家が同盟国みたいなものになってしまっているのだ。溜まった歪みは戦前の比ではない。
そんな危険な情報を、知らなくてもいい私にわざわざ伝える。それはつまり、私という
「どう? 『国防軍の真実』を知った感想は」
頭が痛い。なにせ私が言うべき
そして向こうも、それ以外の答えは望んでいない。
「むしろ納得したって感じです。
深海棲艦。海より来たるその化け物を祓うというのは、私たち国防海軍――――いや、特務神祇官たる国防海軍軍人、艦娘の仕事である。神聖な役職であるとされる艦娘は、基本的には女性のみ、更に言えば女性の中でも歳の若い女性しかなれない。
「北方の幌筵から南方のリンガ。この国には支えられない規模の戦線がどうして維持できるのか、ずっと不思議には思っていたんです。やはり、そいういうことだったんですね」
よしんば工業的には支えられるのかも知れない。年に一、二隻の護衛艦が就役すればよかった時代はとうの昔。今や日本の造船業界は規模、技術ともに世界最高峰を誇っている。鉄壁の守りに支えられた港湾都市群から吐き出された軍艦の数は、海外向け輸出品を数えなくとも年産十数隻を数えている。商用船はその数十倍。今やアジア圏における物流と
しかし、人がいない。フネがあっても船乗りがいない。少子高齢化を迎え、縮小の最中にあったのが日本という国だ。国防海軍の人材不足は深刻なもので、深海棲艦との戦闘を担当する
「その中でも、艦娘だけは無人に出来ませんから」
子供がいる。それも、日本人の子供がいる。であるからこそ、国家ぐるみの人身売買が成立する。現金ではなく、安全保障という対価をもって。
「……そう。そう言ってくれると思ったわ」
でしょうね。その相槌は思うだけで放ちはしない。ここまでは既定路線。少なくとも私は目の前の上司、つまり『真実』と手を組むことに決めた。問題はここから、これから私が何をやらされるかである。まさか『真実』を話して終わりという筈はないだろう。
そして私の見込み通り、彼女は間髪入れずに本題に入った。
「その真実が漏れたわ」
なんと。私が乗り込んだ船は泥舟だったか。これほどあっさりと沈むとは信じられず唖然とする私。しかし漏れたら手が付けられなくなる訳で、私に話が回ってくるということは「まだ間に合うかもしれない」
「正確に言えば、この事実を知った……いえ、覚えている『子供』がいるらしいの」
「つまり、
ヒトは誰しも、幼児期の記憶を覚えていないものである。それは幼児期健忘と呼ばれるもの。私だって生まれ故郷である北海道の日高の記憶はない。証拠は写真だけだ。
「まさかと言われても『いる』という
通報、という言葉を使うのだから軍内部からの報告があったということ。なるほど、その『子供』は訓練を受けて職務に就く国防軍人。
「要するに、今回の通報は完全な幸運。だからこそ掴まなくちゃいけないの」
そこで手渡されるのは一枚の紙。てっきり『子供』の情報が書いてあると思って覗き込んだ私は、そこに踊る文字列にうんざりする事になった。いや、予想が出来ていなかったかと言えばウソだろう。名誉の第1護衛隊群に勤務する私を、わざわざこんな僻地まで連れてきた上に人攫いに加担させたのだ。これから始まる汚い仕事の予想はつく。
「第7護衛隊群。インドネシアからソロモン諸島までの東南アジア・オセアニア地域を担当する我が国で最も大きな護衛隊群……私にイチから探偵をやれっていうんですか?」
それは私の7護群への配置転換を命じる書類だった。7護群の管区は東西4000キロを優に超える。冗談じゃない。しかし向こうが私の抗議に耳を貸すはずもない。
「『子供』は慎重に、だけれど急速に仲間を増やしていっているわ。これは私の考えだけれど、最悪の場合『子供』達は武力に訴えるでしょう」
「武力……
「そんなの、こっちが聞きたいくらいよ」
蜂起が不可能とは言わない。なにせ7護群の担当地域は政情不安定な地域とぴったり重なっている。それに乗ずれば事を起こすこと自体は容易だろう。しかし7護群の役割は、その政情を揺るがす原因となっている深海棲艦を取り除いて復興への道筋をつけること。国防軍を追い出したところで、次に待っているのは深海棲艦がもたらす
「大方、日本への
そう吐き捨てる彼女はこの問題を一種の親子喧嘩のように見ているらしかった。
日本という偽物の親に対して歯向かう哀れな『子供』。子供が勝つ道理はないが、しかし子供が虐待で親を訴えるのなら話は別という訳だ。だから大人も本気になる。
「要するに、私の仕事は『子供』を見つけて、真実が暴かれる前に事態を収拾せよと」
「そういうこと。『子供』と言っても
湧く、という
「念のため言っておきますけれど、私は対テロ戦に従事したことはありませんからね?」
「私たちが求めているのは単純な内偵です。『子供』が艦娘である以上は下手に制服組を送り込んでも疑われるだけ。だったら、艦娘が行くしかないでしょう?」
駆逐艦の私が選ばれたのも、そういう理由ですか。その言葉を辛うじて仕舞い込んだ自分を、私は褒めてやりたい気分だった。私の出身である国防大学校の艦娘専科コースは現状唯一存在する幹部艦娘の教育課程で、そこを経た人間は巡洋艦やら空母やら戦艦やら、とにかく駆逐艦以外の
「とすると『子供』は駆逐艦ですか」
だから私の問いは、多分しっかりと的を射ていたと思う。駆逐艦は使い捨て。日本という国家に意志と呼ぶべきものがあるのなら、外国から
「そうとは限らないわ。もしかすると『子供』は幹部艦娘かもしれない」
しかし相手の返答は私の予想とは全く違うもの。幹部艦娘に『子供』が紛れているとでも言うのか。私の疑問を嗅ぎ取ったのだろう向こうは、聞いてもないことを話し続ける。
「奴隷商人の時代はとっくの昔に終わったのよ? それに言ったでしょ、
とすれば、私の脳内で鎌首をもたげるのは一つの疑念。誰だか分からない。となれば私もその
「じゃあ信用されたのは、私ではなく私の父……と」
その言葉に返事はない。返事がないことが、答えだった。
Q.『子供』ってなんなの?
A.すごい雑にいうと「リコリスリコイル」のリコリス。殆ど一緒でびっくりした。