そういえば、私の父も酒には弱かった。
国防大学では自慢話の一つに未成年飲酒というモノがあって、国の未来を担うべき人間達が口を揃えて
『すみませーん。ごめんくださーい……って居るわけないか、ちょっと提督さん! 鍵はどこにあるのよ? え? 一人で出来る? 誰が一人で出来る訳? あーもう御託はいいから鍵貸して、どうせポケットに入ってるんでしょ!』
その日、父の帰りは酷く遅かった。季節の概念がないあの島でも、一応暦の概念は残っている。それはクリスマスの直前で、私は父の不在をいいことに厚着のサンタクロースがどうやってこの南の島にやってくるのかを考えていた時の話で。
『トナカイさん……?』
だから、家に踏み込んできたあの女の人を、私はそんな風に呼んでしまったのだ。
思い返せば思い返すほど、あの夜は奇妙なものだった。その女の人は私の父に、私の知らない言葉を次々とぶつけていた。言葉は分からなくても調子は分かるもの。彼女は父に好意的な言葉は投げていなかったし、父はぐったりとしていて喋ることもなかった。
とにもかくにも、それがあの女の人との出会い。
その人は晩ご飯を作りにやってきて、そして朝ご飯を作って父と出かける。時々だけれど学校から帰ってきたときにはもう家に居ることもあった。そうしていつしか、女の人は私の家の当たり前になっていた。
でもその人は赤の他人。みんなが言うような母親と呼ぶべきものではない。母というのは生まれた時からそばにいるもので、しかも普段からお父さんと一緒にいる訳ではない。
だからある時、私は聞いてしまったのだ。あなたはお父さんの何なのかと、お父さんとどんな関係で、なんで私の家にやって来るのか、と。
『うーん、そうだなぁ……お父さんと私は仕事の関係なの、上司と部下って言っても分かんないか。お父さんのお陰で、私は仕事が出来るのよ』
多分女の人がそんなことを言ったことが、仕舞い込んで忘れていた疑問を呼び起こしてしまったのだ。私の父は、いったい何者なのだろう、と。
「陽炎、陽炎」
どこからだろうか。私の名前を呼ぶ声がする。それは聞き覚えがあるようでない声。まるで水を張ったバケツに顔を突っ込んで叫んだときに聞こえるような声。
「うぅん……うるさいわね」
「うるさいわねじゃありません。私ですよ、起きてください」
私? 私とは一体全体誰のことだろうか。私は私だし、それ以外の何者でも無い。そんな問答を自分の中で繰り返すうちに、私は自分の状態を掴み始めていた。なるほど、私は私で、あの遠くから聞こえる声は……。
「しらぬい、じゃない。どーしたの、急に」
「急にって……貴女の後輩だとか名乗るヒトから呼び出されてきたんですよ」
はて後輩。後輩なんていただろうか。思考がゆっくり回り始める。それは写真のように、初めは遅く力強く、そして次第に軽快に早くなっていく。そうだ、私は夕雲に連れられて美味しいお酒が飲めるという場所に来て……それで、どうなったんだっけ。
「ごめんなさいね? 先輩は酔うと可愛いので、ついね?」
ぼんやりとした視界に映るのは夕雲の姿。要するにあれか、私は飲みすぎたと言う訳か。何もしていないのに視界が持ち上がり、不知火に持ち上げられたのだと理解する。
「ひとまず、陽炎は私が責任を持って持ち帰ります」
責任。責任と言ったか
「らいじょうぶよ、しらぬい。責任はこの陽炎がちゃーんと」
「はいはい。行きますよ」
なんだその仏頂面は。私の話を無視しているのも気に食わない。ただどうにも身体が言うことを聞かないので、抵抗することも出来ないという有様だ。それがなんとなく悔しいので、今回ばかりは不知火の頭をぐりぐりすることだけで勘弁してやることにする。
「やめてください。陽炎」
「なによーそうやって偉そーに。私の方が偉いのよー」
「ええ仰る通りです。お水飲みますか?」
「……飲む」
その言葉だけでプラスチックのボトルが現れる。その小さな開口部に口を合わせれば冷たい水が流れ込んでくる。それが喉と身体を冷まして、そしてようやく、状況が掴めた。
要するに、私は飲みすぎて酔って、それで不知火のお世話になったと言うわけだ。
「ごめん……迷惑かけたわね」
「今更です」
それだけ言って私を支える不知火。なんだこれ、まるで私がお世話されているみたいだ。街路を照らすのは疲れたような照明。真っ暗な空には星が瞬いている。
「飲めもしないのに、飲もうとするからです」
「うるさいなぁ。反省してますよ」
はいはいとしか言ってくれない不知火。馬鹿にされているような気しかしないのだけれど上手い返しが出来るほどには頭が回らない。このままでは何を言ってもあしらわれるだけだろうから、私は押し黙って歩く。
「タクシーは呼んであります。一体どんなペースで飲んだんです?」
不知火がそんなことを言う。私が言い返さないでいると、彼女が待たせていたのであろうタクシーの扉が開く。そこにどっかりと座ると、染み付いた煙草の臭いが鼻につく。
「くさい」
「陽炎の方が酒臭いです」
「あーもう、悪かったわね!」
別に不知火のことを臭いと言ったわけではないのに、そんな風に言わなくても良いではないか。反射で出てしまった声は少し語気が強くて、ごめんと言っても不知火ははいはいと言うだけ。これでは私が情緒不安定か何かである。抵抗は状況の悪化させるだけうなので、私はもう黙ることにした。
タクシーは元来た道を反対方向へ進んでいく。大した距離はないから、すぐに着くことだろう。不知火は窓の外を見ていたが、時折私の方を見る。何事かを言いかけて、それから口を噤んだように見えた。
「……ねえ、なにか言わないの」
不知火は、なんというか自分を前に押し出さないタイプの部下だ。まあ従順なのは結構なことで、まあそれはそれで可愛がりがいがあるというものなので絡むことにする。
「別に文句はありません。上官のお世話も、部下の仕事ですから」
「なにそれ、皮肉?」
「滅相もありません」
そう言ってから、不知火は少しだけ口角を持ち上げる。向こうは呆れているかもしれないけれど、愛想を尽かしたわけではない。此方も上官の威厳はないけれど、だからといって怒っている訳でもない。この微妙な
「ねえ不知火。不満とかないの?」
不満ですかとオウム返しに言う不知火。店に着く前、残っている私の記憶が正しければ夕雲は国防軍を恨んでいるのは国防軍人そのものだと言っていた。それが本当なのか気になったのだ。
「例えば、よくもこんな僻地におくりやがって! とか」
「僻地というか。ここは最前線でしょう」
何を言ってるんですかと言わんばかりの表情。いやそうなんだけれどと言うしかない私に、不知火はため息。
「別に、国防上必要なことです。そうであれば文句はありません」
なんというか。それは模範的が過ぎる回答ではないだろうか。
「じゃあさ。国防に必要じゃない
「必要でないこと……? なんですか、それは?」
私をまじまじと見ながらそう言う不知火。いざ具体例を出せと言われると難しいモノだ。市民との交流は国防軍への理解を深め有事の際の銃後を強固とする。書類業務はそもそも国防軍という巨大な官僚組織を動かすのに必要だし、兵舎の清掃だって――それが体罰的な意味合いを持たない限りは――必要な仕事と呼べるだろう。要人警護に、地方の港湾警備だって、最前線勤務と同じくらい大切な仕事だ。
「そうね……じゃあ、こういうのはどう? もしも国防軍内部に『ツインテール派閥』とか言うのがあって、貴女に髪型の変更を命令してきたらどう思う?」
「もしかしなくても、それは陽炎と蒼龍1佐の派閥では?」
「……例えばの話よ、たとえばの」
否定しながらも、頭に浮かんだあの呑気な蒼龍1佐のにやけ顔を消すことが出来ない。
なるほど、確かに私と蒼龍1佐の付き合いは長い。不知火のように外野から見れば、なるほど私は彼女の派閥に入ったように見えるのかも……いや、それどころか私はそういう立ち位置で固定化されているのではないだろうか。蒼龍一佐は私のことを気に入っているようだし、私だって頼もしい味方だと思うくらいには信頼している。まあ、正直『子供』探しを手伝ってくれるのだろうとアテにしていたので、落胆がないわけではないのだけれど。そこまで考えた時、私は不知火がこっちの顔を覗き込んでいることに気付いた。
「それで、どうなのよ。ツインテールにする?」
「私がしても似合いませんよ」
「そんなこと無いわよ。不知火ってば可愛いし……絶対似合うと思うけど?」
なんなら今から結ってあげよっか?そう言いながらポケットに入った予備のリボンを取り出すと、彼女は急に頭を両手で隠すように覆ってしまった。
「いえ……不知火は、そういうのはいいですから」
「えー。遠慮しないでよ、すぐ結って、すぐ戻してあげるからさ」
ツインテールに結われるのが余程嫌なのだろう。私が両手を不知火に伸ばすと彼女はタクシーの壁まで寄って身を縮こませる。
「それで、ドサクサに紛れて写真とか撮るのでしょう……?」
「なによ。別にその位いいじゃない。ネットに流そうなんて思ってないわよ? 精々が部隊のグループで共有するくらい……」
「それが嫌なんです」
「じゃあ、百歩譲って私の秘蔵画像入りだけで勘弁してあげる」
「いやです」
どうやら意思は堅いらしい。流石にハラスメント扱いされるのは勘弁なので諦めると、不知火はやや顔を赤らめながら外に視線を伸ばす。これはもしかしてもう一押しだっただろうか? 下心が鎌首をもたげる私に、彼女は咳払い。
「とにかく、国防上必要でない命令には不満も持ちますし抵抗もします。ですが戦えと言われて戦わないのは違います。どんな戦場であろうとも、戦い抜くのみです」
先ほどまでと打って変わった、決意に満ちた目。その目はいつかの誰かに似ていて、私は羨ましくなる。
「立派ね……私は出来ないかもな」
「そうなんですか?」
「うん。私ね、皆を見捨てたことがあるから」
その言葉に、目を白黒させる不知火。任官してからの話じゃないわよと私は笑う。
「見捨てたって言うか、逃げたのよ。私が昔、ミクロネシア連邦に住んでた話はしたでしょ? あそこが攻撃を受けたとき、私ってば本土に居たの」
理由は、ちゃんとある。私はあの南の島の中学校ではなく、本土の艦娘幼年学校に入学することを選んだ。だからミクロネシアが攻撃を受けたとき、私はそこに居なかった。
「……まあ、お国のために勉学に励んでいたって言い方も出来るけれどさ。私があの学校に入ったのって、結局は
それは本当に、思い返すほど浅ましい記憶。私はあの家に居たくなかった。その理由だけであの家を出てきてしまった。きっと神サマの怒りに触れたのだろう。そしてミクロネシア連邦は陥落して、私はあの家に帰ることを二度と許されなくなってしまった。
「……では、陽炎は深海棲艦に復讐するために戦っているのですか?」
「え? うーん。それはないかな」
復讐。そう言えば『子供』たちの犯行動機も復讐とかいうものじゃないかって言われていたっけ。残念ながら、私は復讐心なんて持ったことはない。深海棲艦を血祭りに上げたところで、あの家に帰れるわけではない。深海棲艦を殺せば心が安まるわけではない。
「私は、どっか心が欠けてるらしいからさ。そういう気持ちは持ったことないのよ」
そう言えば、申し訳なさそうな表情を滲ませる不知火。たった今どこか心が欠けていると言った私に、わざわざ同情なんてしてくれるとは優しいモノだ。
「同情するくらいなら、ツインテールの写真をちょうだいな?」
言ってしまって、不知火が身構えたのをみて少し後悔。しまった。いくら酔ってるとは言え、人の弱みにつけ込むのは最悪の手段だ。ゴメン冗談よと言おうとしたとき。不知火は先ほどのように身を縮こまらせながら言った。
「少し……考えさせて下さい」
「えっホントに? 愛してるわ不知火!」
棚からぼた餅というか、ここまで来ると火事場泥棒のような気もするが、とにかくツインテール不知火の映像入手が決まった瞬間である。大袈裟だろうと気にせずに、私は不知火に飛びついた。柔らかな彼女が私を受け止めてくれる。
「ああもう、お酒臭いんですから抱きつかないで下さい!」
「んもう、さっきまでおぶってくれてたじゃない!」
何事も上手くいくなら後は野となれ山となれだ。不知火の激レア写真がゲットできるならきっと『子供』探しも余裕だろうと、酔った勢いのままに私は決めつけることにした。