第7護衛隊群ポートモレスビー分遣隊は、地図で見れば見るほど面白い場所にある。
ニューギニア島は細長く、その先には珊瑚海、そして因縁のソロモン海が広がっている。
かつてトラック島を抑えた日本海軍は、オーストラリアとアメリカの連絡線を断つべくソロモン諸島へと大攻勢を仕掛けた。そして今の日本国防海軍は、その逆。
となるとこの場所は、兵士達の療養だけでなく訓練にも用いられることになるわけで。
「あぁぁぁ……二日酔いだ……」
いや、分かってはいるのだ。私は『子供』を探すためにやってきた。とはいえその作業に専念できる訳ではない。私の部隊はこの基地の駐留部隊に対して教練を施す教導部隊という名目でやって来たわけで、となればその分だけの働きはしなければならない。
そう、例え
「陽炎……」
私の顔色が悪いのを見抜いているのだろうか。不知火が不安そうな顔をこちらに向ける。口に出さないのは一応は隠す努力をしている私の顔を立ててのことか。
大丈夫よ、一戦やってすぐ終わらせればいいのだから。そう目線で送ってウインクすれば調子良いんですからとため息を吐かれる。気にしないフリで無線機の送話スイッチを押せば、宣戦布告の準備は完了だ。
「さ。やるわよ、かかってらっしゃい」
『ええ勿論です。鍛え抜いた
「いうじゃない。状況開始よ!」
その声は、しっかりと水平線の向こうの夕雲達へと届いたことだろう。水平線と聞くと遙か遠くを想像してしまいがちであるが、人間程度の背の高さでは精々五キロほど先までしか見通せない。要するに、小さな小さな演習海域でも、不可視領域というのが存在してしまうのだ。無線が通じるのだって、基地に建てられた通信塔があるから出来ること。戦争というのは本当に多くのインフラに支えられているのだ。
主機の出力を押し上げる。軽快な駆動音を背に感じながら、私は手を挙げて、降ろす。
「それでは、散開!」
私はいつも通りに隊を二つに分ける。それは幹部試験を受けたそうな顔をしている霞に経験を積ませるためでもあるし、結局駆逐艦娘は
「それにしても、蒼龍1佐も面倒な演習を組んでくれたわね……」
「と、言いますと?」
「ああ、ううん。こっちの話よ」
大方、私と風雲が一緒に行動していても怪しまれないよう、演習を通じて交流を深めたという
なぜ私に手を貸しておきながらそんなまどろっこしいことをするのか。理由は簡単、手に掛けている
「ま。今の私は虫の居所悪いし、丁度良い
「陽炎の場合、居場所が悪いのは虫ではなくお酒では……?」
太陽光線の降り注ぐ海に、白い波が跳ねていく。それを切り裂いて私たちは進む。
視界の端に黒い物体が映ったのは、その時だった。
「来たわよ不知火、先手で統制雷撃すれば勝てるって思ってるのかしら?」
「油断は禁物ですよ、陽炎」
分かってるわよと短く返して、号令一声で華麗なターン。効率の良い回避運動は芸術と同じ。碧いカンバスの上に白と黒のコントラストが広がっていく。
「さーて、牽制雷撃で進路制御のお次は……不知火、どう読む?」
「
「たぶん正解、霞の方に行ってくれればあの子の勉強になるのになぁ」
とはいえ、こちらが引き当ててしまったのだからしょうが無い。向こうが水平線の向こうから撃ってくる前に突撃してしまえばこちらのものだ。速力を挙げて見定めた方向へと進めば、そこには思った通りに相手の姿。夕雲が率いる三隻の駆逐艦娘が、こちらに向けて照準を定めて……。
「げッ、
『ごめんなさいね先輩、偉大な先輩の指揮癖くらい見抜いて当然。貴女が理由を見つけては突撃したがるってことは知っていますから!』
ご丁寧に無線まで入れてくれる夕雲は、既に勝ったかのような表情であった。
「
夕雲たちの十字砲火が迫ってくる。教本を裏をかくフリをして教本通り、それが夕雲の惑わせ方と思っていたが、どうやらその私の読みまで読まれていたらしい。幾本も立ち上がる水柱を避けながら、私は不知火に手で合図。
「しょーがないわね。こうなったら『お願い霞ちゃん作戦』よ!」
それは要するに
夕雲の総攻撃は脅威だけれども、逆に彼女らは自分の手札を全て見せてしまった。こういう読み合いは、先に手札をバラした方が負ける道理で出来ている。
もっとも、私の隠し札が発動するまで私たちが持ちこたえられればの話だけれど。
流石に最前線と言うだけはある。これまで「調査」のために渡り歩いてきた各地の基地でも同様の演習をやったモノだけれど、ここまでの精度で連続射撃を加えてくる
ともかく私は躱し続ける。精度が高くても動きが読めないのならそれまでだ。後は霞たちの到着を待って……。
『あら先輩ったら、逃げることしか出来ないのかしら?』
そんな時、わざわざ墓穴を掘る夕雲の言葉が耳に刺さる。
「ふーん良い度胸。不知火? 作戦変更、突撃よ」
流石に、喧嘩を売られて買わない幹部はいないだろう。ましてやこれは演習。そして私の役目は教導として相手を指導することである。舐められたまま終わるのは職責に反するというモノ。緩急をつけて推進器を吹かせば、凪いだ海は私のスケートリンク。段々と濃くなる水柱を縫っていけば、私はそこに一本の
「悪いわねッ、貰ったわ!」
流石の私も口角が吊り上がる展開だ。集中砲火をモノともせず突っ込んで来るこちらに怯えたか、それとも連続射撃に疲れたか。とにかく火線に乱れが生まれたのだ。それはそのまま、私たちを打ちのめそうとする散開陣形の一角へと続いている。
ところが次の瞬間感じたのは、殺気。
「ッ!」
思わず身を退かねば危ないところだった。逃げ遅れた髪の毛を
「陽炎!」
叫んだのは不知火だろう。私も正直驚いた。あの火線の乱れは陽動、まして直前に着弾した友軍の水柱すらも隠蔽物として利用してみせたのだ。
とはいえ、それで終わりならそれまでだ。あと一歩踏み込まれていたなら
「残念、正面がお留守よ?」
発砲、とはいえこちらも体勢が悪い。相手が寸での所で身体を捻じ曲げてかわせば、後ろに残ったポニーテールを砲弾が貫く。軟目標相手に信管は作動せず、そのまま背後に突き刺さって海面が爆ぜる。次の瞬間には彼女が砲を放つ。
「やるわねッ、風雲!」
堅物だという印象は撤回してやってもいいだろう。なかなか骨のある艦娘じゃないか。彼女の目線が私を射貫く。割って入ろうとした不知火には入ってくるなと目で合図。これしきの相手を下せないようじゃ、教導艦の名が廃るというもの。手持ちの主砲塔を手放して、私も
「なんのっ!」
艦娘への
しまったと思うのは刹那、それが陽動だと気付くのに一瞬。その次には、銃剣を宙に舞わせた風雲張本人の拳が飛んでくる。それが私の
「かっ、はっ……」
それを油断と呼ぶのは簡単だろう。相手が一枚上手だったと評価するのも簡単だろう。
だけれどこれが戦場だったなら、ここで負けを認めることは即ち死を意味する。そんなことは、絶対に許されない。握った銃剣を一瞬で逆手に。私に一撃を加えることしか考えていなかったのだろう。今の風雲は私の胸に飛び込む格好になっている。吹き飛びそうになる身体を強引に掴み、右手の殺意を風雲の背中へと叩きつける。
ところが、実は私はとんでもない致命傷を喰らっていたのだ。
「危ないところだったけれど、それでそっちは一隻脱ら……」
次の言葉が出てこない。気道が塞がって、息が出来なくなる。
「陽炎!」
不知火の声が聞こえたけれど時既に遅し、私の身体は意に反してねじ曲がり、口の中が唾液で埋め尽くされる。その後にやって来たのは、燃え上がるような逆流する
「え、ええええ……! かっ、陽炎1尉?」
ぼちゃぼちゃと、情けない音が海に落ちていく。涙で前が見えなくなった私の耳に届いたのは、大いに取り乱す風雲の声だけだった。
分遣隊司令部は、アイドラーズ湾の一番奥まった場所に設置されている。
そして艦娘の相棒である艤装が収められている格納庫や入渠センターの場所も入り江の沿岸。入り江の中心には警備用の哨戒艦が鎮座している。艦娘関連の施設ばかりが置かれていることから、基地の人間からは艦娘港と呼ばれているらしい。
「ま。少しはヒヤッとしたけれど、面白い演習ではあったわね」
そしてそんな艦娘港にあるのが、訓練の監督や研修を行う訓練センター。その一室を借りて行われる
「ねえ夕雲、あなた真面目に人の話聞く気あるの?」
「い、いえ……真面目に聞こうとはしているのよ? でも、昨晩飲み過ぎてあまつさえ職務中に粗相をやらかしてしまうような偉大で素敵な先輩が教導艦サマの面をして有り難いお言葉を頂いていると思うと……わたしっ、おかしくて……ふふっ」
「昨日散々飲ませたのはどこのどいつよ……」
恨みの篭もった目線で見ても、一度突いてしまった笑いのツボ。そうそう収まることはない。もう会議は小休止ということにして、私は風雲に身体を向けた。
「ところで……ちょっと気になったんだけれど。風雲?」
「は、はい。なんでしょうか」
私に個別に声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。教本とホワイトボードを見比べていた風雲が顔を上げる。
「あの時突っ込んできたのって、独断よね? なんで?」
あの時、つまり私の髪に銃剣が届くほどに距離を詰めてきた風雲。あれが独断であることは明らかであった。まず砲火の乱れからそうだ。あの隙を彼女は意図的に作り、私を誘い込み、恐らくは状況を理解しないままに撃たれた僚艦の弾すらも利用して突撃した。
それがまさか、夕雲の指示であるはずはないのだ。
「それは……」
風雲は言葉を探したようだったが、やがて私を真っ直ぐ見ると口を開く。
「あの状況では、あれが最善と判断したからです」
ああ。彼女の目を見た私は、次に何を言えば良いのか分かってしまった。
それは見え透いた隙。まるでそうしろと誘ってくるよう。そのあからさまな台詞の後ろに透明な糸が見えて、それが私にそうしろこう言えと囁いてくる。
「……あのね。いくら乱戦演習を想定した実弾演習とはいえ、私たちの基本は近接格闘戦ではなくて射撃戦闘よ? 演習タイプの弱装弾とはいえ、直撃すればタダじゃ済まない」
それから私は夕雲へと視線を向ける。
「ねえ夕雲、貴女の部下はこんな独断専行を犯すような子なのかしら?」
「いえ、そういうわけでは……」
困惑してみせる夕雲。それが演技かどうかはともかくとして、私のやるべきコトは決まっていた。
「いずれにせよ。命令系統を尊ぶ国防軍においてこの独断専行は看過出来ないわ。風雲、別室で話をしましょう。付いてきなさい」
霞に続きを進めるように指示して、私は風雲を外に連れ出す。扉が閉まって無人の廊下に出たことを確認した私は、大きく大きくため息を吐く。
「それで……どこまで蒼龍1佐の指示だったわけ?」
その言葉に、気付いていらしたんですかと風雲。私はもう一度ため息を吐く。
「気付くに決まってるでしょ? 第一、あの抜け目のない蒼龍1佐が一ミリでも漏れたら『詰み』な『子供』の調査に独断専行野郎を使うと思う?」
ましてや、人事資料に独断専行の気があることは書いていない。むしろ蒼龍1佐との会話を聞く限り、この風雲という駆逐艦娘は私と同様、あの御仁にいいように使われている身だということも分かる。
「蒼龍1佐の筋書きは、あなたを独断専行させることで私に教育の必要ありと判断させて、私
まあ確かに、理由があるにこしたことはない。不知火もいうように、国防軍のあらゆる命令には必ず何かの意味がある。だからこそ、私と風雲が一緒に居ることにも意味が必要なのだ。
「別に私も蒼龍1佐も配慮するから貴女の人事に傷はつかないけれど、よくもまあこんなことしたわね。で、どこまでが入れ知恵だったの?」
そう聞けば、風雲は直立したままで答える。
「独断専行せよ、というところだけです。具体的には何も」
頭が痛い。なんだ、なんなのだその大雑把な指示は。普通はもう少し、号令より先に砲を撃ってしまえとか背後から指揮官を撃ってしまえとか、こう具体的な指示があるものだろう。そして独断専行によって私が蒼龍一佐の『配慮』に気付かなかった可能性すらあるのだ。頭を抱える私の心境を察したのか、風雲は言う。
「蒼龍副司令は、そのような方ですから」
「いいわ。ということはあの囮も突貫も……それで私にあんな恥を掻かせるところまで、全部自分で考えたというわけね?」
「そ、それは……その。申し訳ありませんでした!」
大声で謝罪しながら、頭を直角に下げる風雲。もちろん困ったのは私だ。周りに誰も居ないとはいえ、扉越しには不知火たちもいる。
「やめてよこっちが逆に恥ずかしいじゃない……まあいいわ。あなたの実力と本気は分かったわ。格闘戦についてはちょっと我流が入ってるみたいだから危なっかしいけれど。今度は実弾ナシの時に付き合ってあげるから、くれぐれも今後は実弾を使う演習で格闘戦を挑まないこと。いいわね」
「はい!」
むしろいっそ清々しいくらいの返事。やれやれ、優秀なのには違いないけれど、とんでもない助手を寄越してくれたモノだ。あの御仁は。
「さて、と。まあともかく、あなたは実弾が直撃する危険を冒してまで、私の調査に参加したいわけよね? 正直にいうけれど、
それどころか、彼女はこれを派閥争いの一環として捉えている節すらある。私に調査を命じた私の上司は蒼龍1佐とは別の派閥。蒼龍1佐が調査に乗り気じゃないのは、別派閥に成果を取られるのが嫌というだけのどうしようもない理由かもしれないのだ。
とまあ、私がこう言ったところで風雲は様々な御託を並べて武装蜂起阻止の意味を説いて、そして私が彼女の手を掴めば即席探偵チームのできあがり。それが身内の
ところが風雲は、僅かながら眉にしわを寄せると、小さく申し出るように言った。
「いえ。武装蜂起はありますよ、陽炎さん」
「……どういうこと?」
『ないだろう』でもなく『あるかもしれない』でもなく、今確かに彼女は『ある』と言い切った。そんな風雲に、私は嫌な予感を胸に抱かずにはいられなかった。