「え、監視カメラを乗っ取らせて欲しい? それは許可できないわ」
蒼龍1佐のその言葉に、私は噛みつくように執務机に手を置いた。
「何故ですか。蒼龍1佐……ことは急を要するんですよ? まさかとは思いますけれど、私たちに超古典的な尾行なんて行為をやらせるおつもりではないでしょうね?」
まさかここで許可が下りないとは思ってもみなかった。便宜を図ってくれるとは何だったのか。確かに私と風雲がこれからやろうとしていることはカメラのハッキング、そしてそれを用いた盗撮に等しい行為だ。とはいえこれは必要なことである。やはりこの御仁は私の調査を妨害しようとしているのではないだろうか。湧き上がる怒りを抑えつつ、私はなるべく単調に言葉を並べる。
「お言葉ですが、蒼龍1佐はここまで『読んで』いましたよね? カメラのハッキングが必要になること、空母艦娘になるための訓練をしている風雲にその技量があること。そしてそれを知った上で、彼女に裏帳簿の廃棄をさせた。違いますか?」
もちろん、半分以上はハッタリである。もしも全てを理解した上でやったのであれば蒼龍一佐は幸運の空母か何かである。しかしこう言っておけば、少なくともおだてることにはなるだろう。それを期待しての私の発言は「知らないわね」の一言で打ち破られる。
「まあ、仮にこの私がそこまでの千里眼を持っていたとしてもね……実は状況が変わったのよ」
「状況が変わった?」
私の言葉に、何枚かのコピー用紙を取り出す蒼龍一佐。それはノイズまみれになった衛星写真であったり、もしくは
「これが今朝の分遣隊司令部レベルの回覧で回ってきたの。群司令部は警戒を厳とせよとしか言っていないけれど、近日中に大規模作戦の発令が宣言されるのは間違いないでしょうね」
大規模作戦。それは分遣隊規模、もしくは護衛隊群規模だけでは対応出来ない規模の深海棲艦が出現したときに発令される作戦のこと。ある特定の海域に深海棲艦が集結したときに発令されるのが一般的だ。
「ここポートモレスビー基地は各地の分遣隊を支える中核基地でもあるわ。ソロモン海域での大規模作戦になれば、確実にここが後方拠点になる」
それはつまり、周囲の分遣隊が次々に部隊を送ってくることを意味している。ここには数百人の艦娘が溢れることになり、そうなれば私と風雲だけで監視することは不可能だ。
「なら、尚更急いで調べないと……!」
そのことに気付いたのだろう。私の後ろに控えていた風雲が声を上げる。それを知って蒼龍1佐は首を横に振ってみせる。
「無理よ。恐らく私たちはとうの昔に後手に回っていたの。9護群の解体で国防海軍は大規模な再編を強いられた、それに加えて裏帳簿は破棄……恐らくウチの分遣隊だけじゃないわよ。国防本省が資材管理の徹底を名目に監査を入れ始めているから、同じように裏帳簿を廃棄している部隊はごまんと居るはず」
要するに、私たちは誰が何処に居て、どこにどれだけの武器弾薬があるのかも分かっていない状況なのよ。蒼龍1佐がため息交じりにそう言う。
「つまり、今の第7護衛隊群は武器人員共に
笑えない。全くもって笑えない状況だ。ということは何処から武器が湧いてもおかしくなく、どの部隊が突然反旗を翻してもおかしくないということ。第9護衛隊群の解体は
目眩がしそうだ。これでは第7護衛隊群の全域で武装蜂起が起きても文句が言えない。もう自室に戻って二、三日寝込んでやろうか。そんな現実逃避すらしたくなってきた時に、叫んだのは風雲。
「ちょっと待って下さい!」
それは悲痛な声で、どこか怒りに満ちたような声。迸る感情を抑えられないといった様子で、彼女は言葉を放つ。
「じゃあ、グアムの時から全部仕組まれていたって事ですか? じゃあなんですか、あの時の飛龍さんは本当に……!」
飛龍? 突然出てきた名前に、私は首を傾げる。一方で血相を変えたのは蒼龍1佐だ。
「風雲ちゃん、滅多なこと言わないで。そんな筈ないでしょ」
「でも! そうじゃないですか、あの奇襲攻撃があったから! 飛龍さんが現れたから第9護衛隊群は解体された! そうなんでしょう?」
大きな音が鳴る。机を叩いた音だと気付く頃には、蒼龍一佐は立ち上がっていた。
「
「でも、飛龍さんは……」
そこまで言って、続く言葉が出てこなかったのだろう。顔を真っ赤にして、拳を握り締め、それから失礼しますと乱暴に言い放って出て行く。残されたのは私と蒼龍1佐。
「……どういうことですか、これは」
そう問えば、大きく息を吐く蒼龍1佐。私は今日まで、飛龍などという名前は聞いたこともない。説明して貰えますよねと詰め寄れば、彼女はため息。
「箝口令が敷かれていることだけれど……今更か。陽炎ちゃん、私がここに来る前に9護群で群付艦娘隊の隊長をやっていたことは知っているわよね?」
「ええ、存じております。裏帳簿の件で解体された部隊ですよね」
「まあね、でも。それが名目に過ぎないことぐらいは知ってるでしょ?」
それはまあ、なんとなく誰もが勘づいていることだろう。9護群は、北マリアナ諸島の防衛を担当していた。そしてグアムと北マリアナ諸島は米国領土。故にグアムへの奇襲攻撃は大問題だった。北マリアナ諸島は鉄壁の防御が築かれていなければならない場所であり、いまや立場が逆転しつつある日米同盟の最後の結節点である。そんな場所が奇襲を受ける……それだけで政治問題だ。蒼龍1佐は苦虫を噛みしめるような顔で続ける。
「そこにね、私の同期の飛龍が現れたの。もう随分昔に
その言葉に、私は少なからず困惑する。
「そ。おかしな話でしょ? つまり
話の流れについて行けないのは、決して私の読解力がないからではないのだろう。少なくともMIA認定された、沈んだとされている艦娘が戻ってくるなど、あり得ない話だ。
「もちろん、群司令は処分の方向で話を進めたわ。仮に風雲ちゃんを撃ってなかったとしても、数年に及ぶ敵前逃亡ということにすれば軍事裁判は免れない……つまり、奇襲攻撃の実行犯に仕立て上げるにはもってこいだったわけ」
しかし、奇襲攻撃は9護群の不手際ということになっている。事実それが発端となって資材の管理不徹底が発覚し、司令は更迭、9護群自体も解体となっている。
「取り調べが進んでいる最中にね、逃げたのよ。
話の流れが見えないが、とにかく
なるほど、箝口令が敷かれる理由も分かる。要するに全てが国防軍の不手際なのだ。飛龍が実行犯であろうとなかろうと、容疑者に逃げられた事実は揺るがない。
「で、ここからが面倒なんだけど、風雲ちゃんは
蒼龍1佐の話によれば、飛龍は風雲の故郷に配属されていたのだという。そして彼女がMIAになったのは、その故郷を守るための戦い。そんな強烈な経験が風雲という少女を艦娘に志願させたというのだ。
「なるほど、それで彼女は空母艦娘を志願したと」
「そういうこと。ちなみに風雲ちゃんに電子機器を使った訓練を教えたのは私よ。だからまあ、さっき言った陽炎ちゃんの『ハッタリ』は半分以上正解なんだけれど……ここまでピースが上手く嵌まっちゃうとね」
つまり、風雲が否定したかったのはその飛龍が『子供』であるという可能性。彼女が破壊工作に加担しているという可能性だ。とはいえその飛龍は蒼龍一佐の同期、ということは国防大学校の艦娘専科コース第一期だ。あの頃はまだ深海棲艦との戦争は始まったばかりで、国防軍も世界中に軍隊を派遣できている訳ではなかった。そんな黎明期から『子供』という制度が存在するとは思えない。
「でもその頃から、
「……第8護衛隊群ですか」
第8護衛隊群、8護群は、国防軍にとっての伝説的存在だ。アメリカに半ば強制的に結ばされたとも言えるその条約によって日本を中部太平洋の防衛に駆り出された。そのための海外派兵部隊が8護群。今では7護群がカバーする地域の半分近くをカバーしていたあの部隊は『
考え込む私。一人の艦娘科将校としてなら、あの部隊は栄光の部隊だ。解体直前には殆ど艦娘だけによって構成されていたという8護群は、生身の艦娘だけでこれだけ戦ったんだぞという艦娘達にとっての英雄譚なのである。
一方、私という個人にとって、それは因縁の部隊。私がかつて住んでいたのはミクロネシア連邦のチューク州。父の仕事で移り住んだ私にとって、子供時代の記憶が詰まっている場所。本が好き放題に読めたあの家を守っていたのは紛れもない8護群で、彼らが負けたことで、私は帰るべき家を永遠に喪ってしまった。
いや、この際私の話はどうでも良い。ついでに言えば、8護群の話もどうでもいい。
「まあ、だいたい状況は分かりましたよ。それで……どうするんですかこれから」
そう、別に飛龍が『子供』であろうと関係ないのだ。既に事は動き始めてしまった、となれば『子供』を探すという予防的な処置にはさほど意味が無い。今から『子供』を突き止めたとしても武装蜂起自体を止めることは出来ないかもしれないのだ。『子供』というのは噂を流して人々を動かす
「こうなったら、水際防衛よ。武装蜂起派の動きを食い止めるしかない」
となると、やるべき事は一つだけ。武装蜂起派の連絡手段を遮断することだ。そうすれば武装蜂起は眼を失い、頭脳と連絡の取れなくなった手足は空中分解するしかない。
「私は本省に掛け合って部隊間通信の監視体制強化を進言するわ。陽炎ちゃんは部隊内通信を。大規模作戦が始めればここは今以上の大所帯になる。ことを起こすならここしかない筈。絶対に食い止めるわよ」
蒼龍1佐はそう言いながら立ち上がる。私は敬礼。
「了解です」
ここまで状況が悪くなるとは思っても見なかったが、こうなったら、やるしかない。
大規模作戦の話が上層部で留められているためか、ポートモレスビー基地は今日も平和そのものだ。一方で私に残された時間は少ない。手段も限られ、人手はもっと足りない。
となると私がやるべき事は、まず何処かに行ってしまった風雲を探すことだった。もちろんこの広大なポートモレスビー基地だ。彼女が携帯に返事を寄越さない時点で諦めたくもなる。しかし幸いなことに、私には頼もしい味方が居た。
「多分ですけれど、ここにいると……あ、いたいた」
放置された脇道。その先に風雲の背中を見つけて、秋雲はほらねと得意顔。人の居場所を探すなら、知人の伝手を頼るのが一番。私の作戦は見事にハマったようだった。
「ありがとね。それじゃあ秋雲、申し訳ないけれど例の件、頼んだわよ?」
その言葉に、得意顔から打って変わって影を宿す秋雲。もちろん彼女とて拒否権がないことは分かっているのだろう。小さく頷くと、元来た道を引き返していく。残された私は、その背中へと声を掛けた。
「探したわよ、風雲」
「……秋雲を頼ったのなら、一発だったと思いますけれど」
そういう話じゃないのだけれど、なんて野暮なことは言わない。私が何も言わずに風雲の隣に座ると、そこには海が広がっていた。彼女がぽつぽつと話し始める。
「飛龍さんは、私のことを助けてくれたんです」
それは、グアムの奇襲攻撃での話なのだろう。風雲の話は単純で、奇襲攻撃に対応するために出撃した彼女は、戦術的なミスがあったのか敵に包囲された。
そこで彼女のことを救ったのが、飛龍なのだと言う。
「それなのに、皆は飛龍さんのことを、まるで深海棲艦の手先かのように言うんです。もちろん私は飛龍さんがそんなことするなんて思っていませんけれど……」
それはそうだろう。飛龍が風雲にとっての恩師ならば、それを疑うだけで辛いモノだ。
「にしても、妙な点が多いわね。実行犯として疑われたから逃げたのはいいとして、そもそもなんで何年も生きてるのよ。生き残ったのなら原隊復帰すればいい訳だし」
「それは……」
言葉を濁す風雲。それは彼女自身、何度も何度も考えたことなのだろう。仮に風雲が言うことが全部正しいとすれば、彼女の故郷を守って沈んだはずの飛龍が実は生きていて、グアムにひょっこり現れて風雲を救った後、グアムの実行犯として疑われたので姿を眩ました……これでは三文小説でよく出てくる悲劇の英雄である。
「……
「アイツ?」
誰のことだろうか。風雲も答えは持ち合わせていないようで、そのまま話を続ける。
「なにか、なにか理由があるはずなんです。何も考えないで飛龍さんが自分の立場を悪くすることをするなんて考えられません……でも、考えれば考えるほど疑ってしまうんです。だって、悪いことが無ければ逃げる理由なんてないじゃないですか。あんな風に、私の目の前から逃げなくてもいいじゃないですか」
風雲と飛龍の間に何があったのか。私はそこまでは知らない。今の私に分かることは、飛龍という艦娘が疑念の中にあること。そしてそのことで、風雲が苦しんでいるということだ。それだけ分かれば、私にも知ったかぶりは出来る。
「言いたい事は分かるわよ。誰だって、恩人が国家に仇なすなんて思いたくないもの」
形だけの同情は、彼女に届いただろうか。風雲は真っ直ぐにどこかを見据える。その先に広がるのは珊瑚海。何を言えば通じるのだろうか。そう思った時に出てきたのは、幼い頃の私。私がこの世界に生まれ落ちてから、そんなことはいくらでもあったじゃないか。
「この世界は、嘘ばっかりよ」
そう言えば、風雲は私に視線を向ける。私の話を想い出話を聞いてくれるかと問えば、彼女は無言で頷いた。
「私の父親はね、国防軍の高官だったの。第8護衛隊群のことは、知ってるわよね?」
ミクロネシア連邦チューク州。トラック諸島と呼ばれた頃には、日本の真珠湾とも目されたほどの重要拠点。そしてそこは、
「私の父親はまあ、一言で言えば厳しいヒトだったわ。家から出るなって五月蝿かったし、その理由も教えてくれなかった。だけれどそれは、私を守るためでもあったのよ」
8護群は、何もかもが足りていなかった。護衛艦だけではない。艦娘はもちろん、島を守るために展開する陸空軍の戦力も足りなかった。ないない尽くしの南の島で、恨みを買うのは軍の高官、そしてその家族。
「あの人は、多分私のことを守ってくれた。それは嘘に塗れていたけれど、でも私はそれをヨシした。少なくともそれは、優しい隠し事だったから」
父親は、私に何かを教えてくれたりはしなかった。どんな仕事をしているかも、なんで私の外出を制限したかも教えてはくれなかった。
ただ。それには理由があって、私だけではその事実には気付けなかった。
「優しい、隠し事?」
私の言葉を反芻しながら、海へと視線を戻す風雲。彼女は彼女なりに考えることがあるのだろう。少しの時を経て、彼女は口を開いた。
「……例えそれが、人の命に関わるものであったとしてもですか?」
人の命。戦争は人の命を削る物。夕雲は戦争に必要なのは若い命だと言った。なるほど、戦争というのも嘘なのかもしれない。国防省や内務省はお国のためだと少女たちを駆り立てる。それでも人手が足りなければ、外務省が海外の国々と取引をして『子供』を連れてくる。その『子供』を日本人として教育して、そうして更に戦場へと駆り立てる。戦争に必要な物資は、帳簿を書き換えてでも用意する。
巨大な嘘の繰り返し、そうして積み上げた嘘の頂点に、私たちは立っているのである。
「人の命に関わる嘘、ね……」
その嘘に、人殺しは許されるか。
――――これじゃ私たちは人殺しよ!
いつかの記憶が蘇る。そう叫んだあの人。あの悲痛な叫びに、果たして父は何と返したのだろうか。その