人口僅かに十数万人。そこに横たわるのは辛うじての体裁を整えた官庁街の他には打ち捨てられた残骸のみ。それがこの最前線の国の首都、ポートモレスビーである。
深海棲艦との戦いが始まる前は五十万人近くの命を抱えていたこの街は、今ではすっかり荒廃した地方都市へと転がり落ちていた。そんな落ちぶれてしまった首都の対岸、ナパナパ半島には整然と立ち並ぶ輝く光がある。それが日本国の租借地。ポートモレスビー基地である。
そこには日本国防海軍の誇る7護群。そのポートモレスビー分遣隊が駐屯している。
そんな分遣隊司令部で、私と蒼龍1佐は向かい合っていた。それは数日前と同じで、それでも数日前とは違う匂いの緊張が張り詰めている。
「悪いけれど手短にお願いね。今日は港務隊と打ち合わせがあるから」
そう言いながら私と関係のない書類に目を通す蒼龍1佐は、普段と変わらない様子。まあ当然だろう、私の仮説が本物なら、彼女はそういう態度を取るはずだ。
「
「ホントに? もしそうならお手柄じゃない。で、誰だったの?」
早く教えてくれと言わんばかりの調子の蒼龍1佐。私は両手を立てると、そう結論を急がないでくださいと言いながらゆっくり言葉を組み立てる。
「主犯がいること自体、あなたにとっては問題でしょうに」
私がそう言えば、彼女はキョトンと、そう形容するに相応しい顔を作ってみせる。
「あなたは言ってたじゃないですか、蒼龍1佐。『
軍組織とは、可能性に対抗する組織でなければならない。まさか日本に手出しして来る国はないだろう。そんな思い込みが初期の深海棲艦との戦いで旧自衛隊の足を引っ張ったように、希望的な観測で物事を運ぶのは最も忌むべき悪手だ。
「尊敬する国防軍人だなんて、随分高く買ってくれてるのね。じゃあ居ないと決めつけて形だけの調査しかしない私に失望しちゃった?」
「まさか。蒼龍1佐は決めつけていた訳じゃないでしょう?」
私は無言で数枚の紙を差し出す。蒼龍1佐にとって調査などする必要もなかったのだ。
「これは
知らないわよ。そんな言葉が返ってくることは予想の範疇。私は続ける。
「読めばタダの娯楽漫画です。ですが節々に国防軍を揶揄する内容が踊っている。明治時代の滑稽新聞ってほどじゃないですけれど、これは相当皮肉が利いてると思いません?」
それは、異世界の架空戦記という体裁を取った告発文であった。国防軍は官品を横領している。国防軍の管理体制が貧弱である。ODAを利用して各国経済に入り込もうとしている。断言こそしていないが、国防軍が戦争を意図的に長期化させているという趣旨の主張も見受けられる。ぱらぱらと漫画を眺めた蒼龍1佐は、やがて口を開くと言う。
「確かにそうね。まあいいんじゃない? 言論の自由は認められているし、別に国防軍の機密を大公開って訳でもない。滑稽と皮肉は……まあ、不満のはけ口は必要だものね」
「ええそうです。平時ならそうでしょう。ですが蒼龍1佐、なぜあなたはこんな漫画を描いている
それは、風雲が描いた漫画だった。いや思えば、おかしな話だったのだ。風雲は裏帳簿の存在を知っていた。裏帳簿は幹部の間でも噂レベルの存在、裏帳簿がなければ最前線が成り立たないという確信があるからこそ受け入れられる存在であって、特段の幹部教育を受けていない風雲が簡単に裏帳簿だと気付けるはずはない。
「わざと、知らせたんですよね。それであたかも隠蔽するような素振りを見せた。あの帳簿の処分を、敢えて風雲にやらせることでそう誘導した」
「ふうん。それでどうなるの?」
「あなたは正義感の強い風雲がそれを見逃さないことを分かっていた。それを告発したがるであろう事を分かっていた。ロックがかかっていたので確認は出来ませんでしたが、彼女の端末には正規の告発文章もあるんじゃないですか?」
なにせ、その一枚目には、ただ『告発』という二文字が躍っているのである。少なくとも漫画のタイトルとしては不適切。蒼龍一佐は頭を掻きながら言う。
「うーん、陽炎ちゃん。流石にこれは思い込みって言われても仕方ないわよ? 確認できてないってことは、告発文書があるっていうのは予想よね? この
「ええ。実際、私がこの複写を手に入れられたのは奇跡みたいなものです」
風雲は、紙の原稿に漫画を描いていた。もしも秋雲のようにデジタルで描いていたのなら、この漫画はロックに守られた端末の中にしまい込まれていて、こんな風に簡単に原稿が見つかることはなかっただろう。
「なにせ蒼龍1佐にとって、この文章は事後の強制捜査で見つかるものですものね」
それは単純な推量。見つからない告発文をわざわざ用意させたのだ。それなら仕掛け人は、見つからない場所にある文書を世に解き放つためには、警察権力による強制捜査が必要だ。そのためには、事件は発覚しなければならない。
「気付かせたかったんですよね。私に風雲を疑わせるように仕向けた。思えば露骨でしたよ。あなたは風雲が『子供』であっても問題ないと言った。それだけで私は風雲のことを疑うでしょうし、彼女から目を離さないようにすることでしょう」
それを始め、私は蒼龍1佐が『子供』が引き起こすであろう問題を重視していないからだと考えていた。
「でもそれならば、こんな物騒なモノは用意しなくても良かったはずです」
やはりと言うべきか、私が袋から問題のブツを取り出してみても蒼龍1佐は驚きもしない。発射発煙筒に対舟艇誘導弾……明らかに、海軍の
「よく見つけたわね。こんなにたくさん」
「大して骨が折れる作業でもありませんでした。人目につきにくく、簡単に取り出せそうな場所……殊更、
数日一緒にいれば分かる。風雲は決して交友関係が広いわけではない。趣味が絵や漫画といった内向的なものであることも影響しているのだろう。出歩く場所も限られていて、となれば彼女を犯人に
とその時、机に備え付けられた電話機が音を立てた。
「はい、分遣隊副司令……ええ、分かってるわ。すぐに行く」
受話器を戻すと、蒼龍1佐はそそくさと荷物を纏め始めた。時間切れと言いたいのだろう。仕方がないので私は切り出す。
「蒼龍1佐。あなたは大規模作戦中に武装蜂起という国防上重大な問題が起きることを望んでいた。違いますか」
「とんでもないことを言わないで頂戴。あ、その
私の台詞を聞く様子もなく扉を開ける蒼龍1佐。ここに1尉である私が続いて言葉を交わしたとしても、周囲には二人の幹部が徒歩会議としているようにしか見えないだろう。
「要するに蒼龍1佐、あなたは風雲を『子供』に仕立て上げようとしたんでしょう? そうすることで国防軍の不正を一挙に曝くつもりだった。違いますか」
「まあ、陽炎ちゃんの話……つまり私が
それならする意味ないんじゃない。それは蒼龍1佐にとっては正しい理屈なのだろう。どんな正しいことであろうと、自分にとって得がなければしない。だから裏帳簿にも目を瞑るし、『子供』の存在にも目を瞑る。
「そうですね。平時であれば、蒼龍1佐が直接告発してしまった方が早いでしょう。ですが今は戦時です。幹部一同が必死に守ってきた
だから、風雲という無垢な子供を利用したんじゃないですか?
その言葉に、蒼龍1佐は微笑みを絶やさない。
「私の質問に答えてないわよ。なんでそれで私が得をするの? 告発したところで誰も得なんてしない。それは
続けてと言わんばかりの表情に、私は遠慮無く続きをぶつけてやることにする。
「あなたは得をしなくても、損をする人間はいるはずです……例えば、私に『子供』の調査を命じたあなたの同期の方とか」
その言葉に、蒼龍1佐の眼には僅かな炎が宿る。それが
「なによ、陽炎ちゃん。私が同期と足の引っ張り合いをしているとでも言いたいの?」
「思いたくないから、私は今こうして直接申し上げているんです」
別に、おかしな話ではない。高い倍率をくぐり抜けて国防大学校に入学して、そこで上位の成績を維持できたとしても、同期のなかから将官になれるのは一人か二人居れば良い方だ。その競争原理を否定するつもりはないし、面倒な仕事を押しつけられたら意趣返しに足を引っ張ってやろうという気になるのも頷ける。
「蒼龍1佐。確かに、告発自体はたいしたことじゃないかもしれません。ですが現実に『子供』は居ます。蒼龍1佐は、もしかして武装蜂起をコントロールしているつもりかもしれませんが、それは大間違いです。私たちは利用されているんですよ」
その言葉に、蒼龍1佐は足を止める。彼女は携帯を取り出すと耳元に当てた。
「私よ。会議の開始を三〇分延期してくれない? 悪いわね、急用が入っちゃって」
それから携帯を仕舞った彼女は、私に向けてにっこりと笑った。
「そんな結論が出るなんて意外ね。本当は上官侮辱で警務隊に引き渡してやろうかとも思ってたけれど……一応、根拠は聞いておきましょうか」
そう来なくては。危うく
「私は今日まで『子供』の調査を隠すために教導部隊の名目で各地を回っていました。ですからこういったものを貰うのも『まあ、あり得る話だ』と思っていたのですが……」
続いて出すのは一切れの書類。もっとも、こちらは出さなくてもよかったかも知れない。なにせそれは、つい最近蒼龍一佐から回ってきたばかりのリストだからだ。
「今回の大規模作戦に動員される7護群の部隊一覧です。驚くべき事と言えば良いんですかね、この一覧には私たちがコインを貰った部隊が一つも含まれていない」
今回の件を本当の意味での確信に導いてくれたのはこのコインだった。大規模作戦で動員のかかった部隊は一見普通。別に私の
チャレンジコインはちょっとした戦争の文化だ。正規の手順が定められているわけでもないし、譲渡する理由も決まっているわけではない。それなのに、奇妙な法則性がある。
それだけで、何かあったのではと勘繰るのは当然のことだろう。
「認めたくはないですが、私の
「そう。つまりあなたは、私が『子供』を利用しようとしたように、他のヒトも利用しようとしてるって言いたいのね。まあそれが誇大妄想でないとして、普通は逆じゃない? あなたにコインを渡した部隊だけがポートモレスビー基地に来るんなら、まあ
「
その言葉に、蒼龍1佐は足を止める。もう1佐なら気付いたことだろう。ポートモレスビー基地はソロモン海を支える後方基地。つまり今の国防軍、そのニューギニア島からソロモン諸島へと張り出した最前線を支える根元である。
「まさか、クーデターの目的はポートモレスビー以西。7護群の全域だとでも?」
「根拠はありませんが、そんな気がするのです」
根拠がないからと言って、目の前の彼女はそれを一笑に付せるほどの楽天家ではない。それが蒼龍1佐だと知って、私は言った。彼女は頭に手を伸ばすと、ひとつ深呼吸。
「誰が仕組んだって言うのよ」
「誰でもです。日本国を、国防軍を追い出したい人間は幾らでもいます……そしてこの際、誰が仕組んだかはどうでもいい」
武装蜂起を止めること。その一点だけが、私と蒼龍1佐にとってただひとつ一致する共通項。立場は全くの別物で、持っている言葉も違う。するべき事は決まっているのだ。
「蒼龍1佐。あなたは先日、武装蜂起を食い止めるのに重要なのは通信だと仰いました」
武装蜂起派が国防軍に潜んでいるなら、通信系統は同じものを使うことになる。1佐が手を回さなくとも、大規模作戦中の部隊間通信は徹底的な監視下に置かれていることだろう。そんな状況で、広い地域において武装蜂起派が連絡を取り合うなら手段は一つ。
「分かってるわよ
霊力通信は、厳密には解明されてはいない通信形態。故に深海棲艦の電波妨害を受けないとされるが、それだけに管制できないのが問題とされている。要するに、誰がどこへデータを送ったのか分かっても、何を送ったかまでは分からない。
「となれば、普段から意識無意識的に関わらず霊力通信を用いる艦娘……空母や水上機母艦系統の子たちを利用しているということです。そこでこれです」
そう言いながら、私は今日の哨戒部隊の編成表を取り出す。夕雲に言って変更して貰ったそれには、風雲と秋雲の名前が踊っている。
「風雲の艤装機能を、一時的に停止して頂きたいのです」
正確には、データリンクや敵味方識別装置などを扱う通信系を止めるだけ。対象はもちろん風雲だけではない。霊力通信を恒常的に用いる艦娘の名前も含まれている。
「幸いにも、この分遣隊は基地の強力な
「だからって……風雲ちゃんを危険に晒すわけにはいかないわ」
蒼龍1佐が、風雲を利用しようとしていた彼女がそう言う。だけれど今だけは、真っ当な人間から発せられた真っ当な意見だと思うことにする。
「考えてもみて下さい。私と一佐、もしもその両方が利用されているのなら、相手は必ず風雲を利用しています。それが
霊力通信を用いる通信。まさか武装蜂起派がそれしか通信手段を用意していない筈はないだろう。こちらが通信を阻害すれば、必ず何らかの
目の前の分遣隊副司令は何も言わない。色々、蒼龍一佐にも考えるところはあるのだろう。それから私を小さく睨むと、呆れたように言う。
「そんな大胆な案……1尉ひとりだけじゃ出来ないわよね。誰に話したの?」
「ええ、すみません。後輩の夕雲にどうも、お酒の勢いで話しちゃったみたいで」
もちろん嘘だ。いくら私でも酒の席だからと言って国防機密を漏らすようなヘマはやらかさない。夕雲にはキチンと素面の時に協力を仰いだし、秋雲だって同じ事。蒼龍1佐もその位は分かるだろうが、事故として報告されては事後処理に走ることしか出来ない。
「ご安心を。『子供』の件は当然話していません。大事なのはとにかく、武装蜂起を防ぐことでしょう? 御裁可さえ頂ければ、すぐに始められます」
大仰な敬礼と共にそう言ってのければ、蒼龍1佐は私に背を向けた。
「まったく、どいつもこいつも皆で寄って集って私の首でも飛ばしたいわけ?」
「そのリスクを冒してでも、蒼龍1佐は不正の告発をしようとしたんじゃないですか。
決めて下さいと迫る必要も無い。蒼龍1佐は首を振って、諦めたような調子で言った。
「分かりました。私も1尉の
そう言いながら、携帯端末を取り出す蒼龍1佐。
「夕雲ちゃん? この蒼龍さんを出し抜くとは良い度胸じゃない」
『あら。そのご様子だと、先輩の口説きは成功したようですね?』
電話口に応じているのが夕雲なのは間違いないだろう。文句を口から並べながらも、蒼龍1佐は夕雲へと具体的な指示を飛ばしていく。残念ながら才能に恵まれなかった私に霊力通信のことは分からないので蚊帳の外だけれども、とにかくことは動き出した。
利害が一致さえすれば、ヒトはどんな溝も乗り越えて協力できる。結局私は頼りたくもない後輩や腐れ縁を頼ってしまったわけだけれど、武装蜂起が止められるなら万々歳というものだ。通話を終えた端末をしまうと、蒼龍1佐は嗤う。
「陽炎ちゃんのお陰で、港務隊との打ち合わせが頭に入らなそうね……で、直近の武装蜂起はそれで抑えるとして『子供』の問題はどうするのよ。ほっといたら、永遠にここは紛争地帯のままよ?」
「1佐は仰ってましたよ? 『総理大臣にでもなって変えればいい』って」
実のところ、私はそこまで『子供』がこの国を恨んでいるとは思っていないのだ。
私が東南アジアの街で攫った子供は、もし私が手を差し伸べなければ貧困という闇の中に消えて行ってしまったことだろう。あの笑みを貼り付けた
「私が言うのもなんだけれど、陽炎ちゃんもなかなか傲慢ね」
「ええ、傲慢です。私はあなたと同じ、ロクでもない幹部国防軍人です」
誰もが、自分の為に嘘を吐いている。嘘の積み重ねで出来た国防軍。思えば国防軍の前身、
それを是とするか非とするかは。歴史が決めること。
「歴史、ね……まあいいわ。じゃあ私は退屈な会議に……」
行ってくるわ。その言葉が私の耳に届くことはなかった。何か変なモノを見る目で艦娘港を見る蒼龍1佐。その眼はやがて見開かれて、口が大きく開かれる。
「伏せてッ!」