その言葉は、果たして私の耳にまで届いただろうか。まるで嵐が凝縮されて襲ってきたかのように、轟音が私たちの聴覚を占拠する。それが哨戒護衛艦に備え付けられた機関砲によるものだと理解するのにさして時間は掛からなかった。
「え、は……?」
気付いた頃には、私は地面に叩きつけられていた。蒼龍さんが私を地面に組み伏せたのだと気付く頃には、その機銃掃射は別の方向へと向いている。まさかと思うより早く、その曳光弾が艤装の格納庫へと吸い込まれていく。鉄かアルミか何かで出来ているはずの隔壁がまるで紙切れか何かのように揺らめいて、そのまま引きちぎられる。
信じられない。なんて言葉を使う猶予すらも与えられない。ポンポンと単調な音が響いて、その調子に合わせるように煙がそこら中に上がっていく。艦娘港の警備用に配置されているはずの哨戒護衛艦が、その艦娘港に対して牙を剥いていた。
「ちょっと、オペレーションセンター! 実弾演習にしちゃ派手にやるんじゃない? は? 操作不能? なにアホみたいなこと言ってるの、今すぐ復旧するのよ!」
携帯に向けてに叫んでいた蒼龍1佐は、しかしすぐに悪態と共に携帯をしまう。数瞬遅れて届い爆音は山の方、空高く舞い上がった鉄塔が携帯向けの通信塔だということに気付いたのはその直後だった。
「
「いや、それは違うかと……」
正直に言う。全く理解が追いつかない。艦娘港に次々と機関砲を放つ護衛艦。それはついに旋回を始めたようで、いよいよ港外に向けられていた前部備え付けの3インチ主砲が此方を向く。それが火を噴けば、今度は分遣隊司令部の脇に建てられた通信アンテナに火花が散る。そのまま好き放題に殲滅するつもりなのだろう。
「
「へっ?」
「裏帳簿のヤツとはいえ立派な陸軍装備品よ、主砲をぶっ潰しなさい!」
そう言われてしまえば、私はやるしかないのだろう。先ほどの袋から対舟艇誘導弾を取り出し、スコープで照準を付ける。暴走した哨戒護衛艦の目的は基地施設の破壊にあるのだろう。私たちには目をくれる様子もなく、その土手っ腹を晒している。本当なら魚雷を12発程度撃ち込んでやりたいモノだけれど、先に封じ込めるべきはその主砲だ。
「後方ヨシ!
気の抜けた音と共に、弾頭が飛び出す。直後にロケットモーターに点火、勢いのままに哨戒護衛艦へと突っ込んでいく。機関砲塔が回転するがもう遅い、その銃口が向く頃には誘導弾はとっくに着弾――――その瞬間、私の身体は蒼龍1佐に強く引っこ抜かれた。
少し遅れて全身を叩く衝撃、ガラス細工に失敗した残骸のようにしわくちゃになった対舟艇誘導弾の発射装置。掠っただけでも火傷したような熱気に襲われる。
「まったく陽炎ちゃん。撃ったらすぐに逃げなさいよ……」
「そんな……ヒトを狙ったんですか」
私の対舟艇誘導弾が命中したのだろう。煙を上げる哨戒護衛艦はひとまず動きを止めたようだが、しかしアレが私の命を狙ったのだ。戦争とは命の奪い合いをするもの。戦争とは誰かを殺して、誰かに言うことを聞かせること。
「
そこまで言われれば、私にも何が起きているかは分かる。
「ハッキングってことですか? ここは国防軍ですよ?」
「これは流石に、国外の力を借りないと無理ね。量子コンピュータでも使ったのかしら。いずれにせよ、これはマジね。ヤバいわ」
その言葉と共に、唸るようなサイレン音が空を切り裂く。敵襲を知らせるそれが示す敵というのは、目の前の空から迫ってくる誘導弾の群れで間違いないだろう。
「なにあれ、港外に待機している護衛艦たちもみんな仲良く乗っ取られたらしいわよ」
そう言いながら、弓矢を次々と放っていく蒼龍1佐。その弓は戦闘機へと姿を変えて、真っ直ぐと伸びゆく白雲へと飛びかかっていく。戦闘機なんかで迎撃出来るものですか、とは聞くだけ野暮なのだろう。「あの大戦」で英国空軍も巡航ミサイルを撃ち落としたのだ。蒼龍1佐ならば、やるしかないじゃないと嗤うだけに違いない。
「陽炎ちゃん。走れる?」
「はい?」
聞き返す私に、蒼龍1佐は言う。
「昔はね、無人護衛艦のハッキングも警戒されてたのよ。だから、哨戒護衛艦も旧式のブロックⅢまでは対策として独立型の制御システムを採用してるの」
ブロックⅢ。〈そめいよしの級哨戒護衛艦〉の前期生産型。長い戦いで今では随分数を減らしてしまったけれど、この分遣隊所属の艦艇にもまだ当該艦は残っている。
「護衛艦〈きんもくせい〉……!」
「そういうこと。いい陽炎ちゃん、ここからは時間の勝負よ。ネットワークに異状が生じた場合〈きんもくせい〉は自動的に自律モードに移行する。その機能を回復するには、直接乗り込んでコンピュータを操作するか、もしくは地上備え付けの専用コンピュータ経由で通信を行うしかない」
「って言いますけれど、たった今通信塔は吹き飛ばされましたよね……?」
「だーかーら。霊力通信を使うのよ。陽炎ちゃんも艦娘だったら出来るでしょ?」
そう言いながら、蒼龍1佐は私に
なるほど。よく偽装されている。
山肌に一目見ただけでは見逃してしまうような突起。手をかければ雲みたいに軽いそれはあっさりと持ち上がり、真っ黒な空洞が現れた。下水道の整備坑みたいな穴。それは太陽の光を受け付けず、ただ一番手前の足掛かりだけが目についた。ここから降りていけということか。
周囲に目を配る。サイレンも鳴り止んでしばらく経った。先程までの騒乱が嘘のように静まり返っている。悠長に何かを考える時間はない。反応式の灯りを叩いて点けると、真下に投げ込めば、重力に惹かれて落ちていく。軽い衝撃音が反響するのを聴いて、灯りの小ささで距離を測る。
「何の攻撃に耐えることを想定したのよ、これ……」
とはいえ進まなければ武装蜂起を止めることは出来ない。ことが始まってしまった以上は〈きんもくせい〉が敵の手に落ちるのは時間の問題だ。
急いで焦らず。別に梯子の登り降りが苦手なわけでは無い。降りた先には、なるほど水の侵入を防ぐような構造になっている。とはいえ手持ちの灯りだけでは心許ない。ここは秘密の迷宮でもなんでもないのだから、探せば壁に電灯のスイッチ。
予想通りに回路が開く。瞬く白い光を合図に一斉に開く光の道。
「これは、凄いわね」
迷う理由もない。誘蛾灯に導かれる虫のように、とにかく一目散に先へと進む。その先に見えるのは分厚い扉。開けばその先にはコンソールが設置されている。
「ここね。
とはいえ、基地の建設時期から考えれば平成時代。同じ
状況が状況だから一秒が一分にも感じられる。その後に出てきたのは、ログインIDとパスワード入力画面。パスワードなんて知るわけがない。
さてどうしたものか。まさか1234ではないだろう。とりあえず幹部ごとに振り分けられる共通IDとパスワードを打ち込んでみれば、みごとに弾き返される。古びたドラマとかなら机の裏にパスワードの書いてある付箋紙が貼ってあったりするものだけれど、とかく情報のリテラシーが求められるこの時代、そう簡単には――――。
「……貼ってあるのね」
幸運だと喜べばいいのか。それとも国防軍の教育レベルを嘆けばいいのか。既に打ち捨てられているかもしれない施設だと考えれば、最低限の保守を行うためだけにパスワードを共有していたのかもしれないと前向きに考えることにする。
とにかく打ち込めば起動。求められるのは幹部の認証。これでも私は幹部艦娘、それも一つの
モニタ確認。基地側も、護衛艦側も霊力通信を行うのは久しぶりだろう。通信が調整されるのに暫くかかるかと覚悟したけれど、やけに早く通信が構築される。妙だと思うよりも早く、メインモニターに見知った顔が映し出された。
『繋がったッ! こちらJS331。日本海軍所属の護衛艦〈きんもくせい〉です!』
こちらの顔が見えていないのだろう。顔面一杯に焦りを浮かべながらも丁寧に英語で話す艦娘の姿は、今朝顔を合わせたばかりの秋雲だった。私はカメラのスイッチを入れると、マイクの送話ボタンを押して口を開く。
「
『陽炎さんっ? 今から十七分前、広域データリンクが途絶してこっちは孤立しました。風雲だけじゃなくて私もです! いったいどうなっているんですか?』
予想通りと言うべきだろう。ポートモレスビー基地は前線への通信の中継地、そしてあの暴走した護衛艦は通信塔を攻撃していた。電波を出す施設はどうしても地上に設置するしかないから、攻撃の対象になればひとたまりもない。恐らく予備施設まで含めて破壊され、その結果としてデータリンクが途絶してしまったのだろう。一応衛星の状態を確認させれば、やはり
「落ち着いて。基地の通信システムがダメでも、近くの僚艦くらいなら通信できるはずよ。他の哨戒護衛艦は呼び出せる?」
もしも、暴走したのが基地周辺の護衛艦だけだとすればまだ望みはある。なにせソロモン海における通信は殆ど哨戒護衛艦の中継に頼り切っているのだ。艦艇通信網さえ抑えてしまえばソロモン諸島のみでも限定的な通信網の復旧は可能なはずだった。
『どこも出ません。流石に下っ端のIDじゃ無理があるってことですかね』
「私や副司令でも無理よ。乗っ取られてるんだから」
私は飛び出しそうになる悪態を抑えて、なるべく落ち着いて状況を伝える。
『ハッキングってことですか? それ……大丈夫なんですか』
「大丈夫か、と言われれば答えは否ね。
基地周辺の護衛艦、それどこかこの近辺の護衛艦は全て抑えられていると考えるべきだろう。これだけの規模になれば今頃は市ヶ谷も大騒ぎだろうか。それともポートモレスビー基地への小規模な攻撃により通信系が途絶した程度の認識だろうか。前者であることを祈りつつ、目下はハッキング対策の施されていた護衛艦〈きんもくせい〉を中心に対策を組み立てるしかない。
「作戦会議よ。秋雲、風雲も呼んできて」
その言葉に、急に黙り込む秋雲。
「どうしたの? ハッキングは風雲の通信系を切ってる最中に起きた。それなら、彼女の潔白は証明されているはずよ」
『……撃たれたんです。風雲が〈きんもくせい〉に』
言葉が止まる。何が起きたかは説明するまでもないだろう。無人護衛艦の自動防衛システムが働いたのだ。深海棲艦の通信妨害により孤立した無人護衛艦は、友軍基地もしくは艦艇の通信可能圏まで移動するようになっている。要するに生存を第一義に行動するわけだけれど、その時に近づいてくる敵目標も自動的に迎撃するのである。
艤装の通信系が無事だったなら、敵味方識別装置も作動したのだろうけれど。
「……それで、どうなったの」
『風雲は〈きんもくせい〉の医務室で寝てます。防壁への当たり所が良かったみたいで、外傷はありませんが……』
意識を失ったのは着弾の衝撃で激しく揺さぶられたからだろうか。ほんの数十分前の自分の胸倉を掴みたい。縄で縛って、首を締め上げてしまいたい。私が仕組んだちょっとした『調査』のための小細工が、最悪の副作用をもたらしたのだ。
「ごめん、私のせいだ」
『何言ってるんですか。
その言葉は、優しい嘘なのだろう。秋雲だって誰のせいでこうなったか分かっている筈だ。それでもこの事態を乗り越えるのに私が必要だから、こんなことを言ってくれる。
『私たちは、今するべき事をするんです』
「……分かったわ。艦艇通信網を回復するわよ。秋雲、今から私の言うとおりに」
動けるわね。そんな事態回復への言葉は、私の口から放たれることはなかった。理由は単純、私の背後に影が立っていたから。
『陽炎さん? どうしたんです?』
秋雲の声が聞こえる。しかし私の意識が秋雲の方へと向けられることはない。なにせ私の後頭部には押しつけられる
困ったことに、その気配。その息づかいには、覚えがあった。
「申し訳ありません。陽炎」
おかしいとは、思っていたのだ。
私はチャレンジコインを武装蜂起の根拠の一つに使った。しかし私がどのコインを貰ったかなんて、本来私以外の誰も把握することは出来ないはずなのだ。報告する義務はないし、コイン目録を作る規則もない。しかし確実に把握できる人間が私以外にも少しだけいる。私がコインを貰ったことを自慢してきた相手、私がどこで何をしていたかを把握できる相手。私が何を考えて、何を為すか。それが一番、監視しやすい場所。
「そう……
私は振り返ることもしない。ただそこには、静かな暗闇だけが横たわっていて。その闇の中に私の僚艦、不知火の姿があった。