――対界組織《夜》の幹部長、夜砥ナツメ。彼は視線の先へ移る度に、〝昔〟を思い出していた。
魔眼を発現した〝あの日〟以来……ずっと考え続けているのだ。
(大丈夫だ。きっとまた笑ってくれる……だから跳べ、ねーちゃんのために――)
半ば祈りに近いその想いを胸に、沙花叉の隣に視線を送ると転移を開始する。
転移直前に発砲する沙花叉だが、ナツメの姿は瞬く間に消え、弾は壁に当たり跳弾。コンクリートが少し割れるだけに終わった。
「三時方向ッ!」
鷹嶺の言葉とほぼ同時にナツメはガラスのない窓を背後に現れ、沙花叉に銃口を向けていた。
しかし、引き金に指は置かれていない。ナツメの瞳には、〝あの日〟が鮮明に映し出される。
思い出したくもない日。だが、忘れてはならない日。自分自身を含めた全てが狂い始め、壊れていったあの日を頭の片隅に留め、深く息を吸った。
「……行くぜ?」
刹那――ナツメは弾を撃つことなく、再び転移した。
「何を……?」
「沙花叉、油断しない! 目の前に――いや、後ろ! あぁ右!」
――それも否だ。連続で転移することで指示を遅らせたナツメは、混乱の中にいる鷹嶺の背後に現れる。
「射撃ラグはあるけどよ、ラグがあるのはそっちもだろ? 伝わる前に別ンとこに移りゃいいんだわ」
「くっそ!」
身を翻した鷹嶺と、既に引き金に指をかけていたナツメ。
二人の発砲は数秒空き、鷹嶺の弾はナツメのスーツを掠めていく。
一方で、右肩を撃ち抜かれた鷹嶺は力の抜け、拳銃を手放してしまった。
「ルイ姉っ!!」
「おっと、危ない」
ナツメに狙いを定める沙花叉だったが、再び転移されて生意気な声を背後に足を掬われる。
倒れたところで左腕を踏みつけられ、痛みで思わず手放した銃は外へ放り投げられてしまう。
「っ、まだッ!!」
左手で拳銃を拾った鷹嶺が、沙花叉を踏みつけるナツメへ発砲するが、震える腕で撃ったところで弾は当たらない。
「はァ……こんなもんか。まあまあ愉しかったぜ、お二人さん」
鷹嶺の真横に転移したナツメは、鷹嶺の拳銃を奪うとこれも外へ捨てた。
もはや、ゲームオーバーは目前まで迫っている。立ち上がった沙花叉はナイフを構えるが、リーチの短い武器では転移で逃げられてしまうだろう。何せ、弾でさえ当たらなかったのだ。当てられるはずがない。
しかし……沙花叉クロヱは諦めていなかった。ナツメをじっと見据えている。
(……? あいつ……)
沙花叉は何かに気付いた様子で、観察を続ける。
対してナツメはナイフが当たりやすいよう近付いていく。
接近戦に限定しても余裕だと言いたいのだろうか。事実その通りなのだが、挑発的な行動の裏にある感情に気付いてしまった沙花叉は、そんな挑発には乗らなかった。
代わりに、一言呟いてみる。
「……本当に、『たのしい』って思ってる?」
「――愉しいよ。心底愉快だよ。……だからなんだ?」
苦虫を噛んだような、見るからに不愉快そうな顔で言われても説得力はない。
沙花叉は手を下ろし、今度はハッキリと言ってやることにした。
「なら……どうしてそんな苦しそうな顔をしてるの」
ナツメは歩みを止めた。その言葉に止められた。
自分が苦しんでいると、言われて初めて気が付いた――というのは、嘘になる。
わかっていた。こんなことが愉しいはずがないと……〝あの日〟から、わかってはいたのだ――
「――じゃあ……お前の言う『たのしさ』ってなんだよ。ねーちゃんを痛め付けやがったアイツらと違う『たのしい』ってなんだよ?」
ナツメの表情が一変し、牙を剥き出しに叫ぶ。
脳裏にはアザだらけでボロボロの姉と、愉しそうに笑う虐めの犯人達の姿が浮かび、もはやどこへぶつければいいのかわからない怒りが再熱する。
「何がたのしい……? どうすれば笑える……? 教えてくれよ、なァ……! もっと俺達を、たのしませてくれよッ!」
涙混じりに叫んでいるナツメを、沙花叉はじっと見つめたままだ。
「俺が苦しんでいるように見えるなら! 俺の愉しさが間違っている言うのなら! 頼むから教えてくれよ、沙花叉クロヱッ!!!」
この復讐心が間違っているというのなら――――そう思った時、ナツメは一瞬、頭が真っ白になった。サングラスが外れ、床に落ちてカツンと乾いた音が響く。
頬がじんじんと痛む。気付けばナツメは、目の前に立つ沙花叉をただ呆然と見つめていた。
(お前のその手が救いの手なら……この穢れた手でも、伸ばしてもいいのか……)
彼女達に縋るのもいいのかもしれない。そんなことを思った時だ。
「いや勝手にゲームに飽きて勝手にキレるなっ!」
ナツメは再び真っ白になった。鷹嶺もそうだ。
ビンタでヒビを入れた空気に、ダメ押しだと言わんばかりに言葉のビンタをかました。
これは、彼女に敬意を評して〝シリアスブレイカー〟の称号でも与えるべきだろうか。
「はぁ……」
やれやれ仕方のない奴だと、ため息を吐きつつ仮面を外して沙花叉は続ける。
「いーい? あんたが何を『たのしい』と思えるかなんて知らない。私は好きなことしてりゃそれでいい。holoXのみんなと居るのが楽しいから、総帥だって助けようとしてる。みんなが居なきゃ楽しくないし私も好きに出来ないしね!」
なんの恥ずかしげもなく、堂々とした沙花叉にナツメは思わずたじろぐ。
鷹嶺は鷹嶺で、やれやれ仕方のないシャチだとため息を吐いた。
「ははっ……みんなとって、お前そんなこと言って恥ずかしくねェのかよ……」
「べ、別に楽しいことはホントだし! ホントのこと正直に言っちゃ悪い?」
「いや……本心でそう言えるのは尊敬するわ」
「……あんたは、お姉さんと居て楽しくないの?」
「ねーちゃんは変わっちまった。ねーちゃんが楽しいって思えるように頑張ってきたつもりだが……そうだな、お前が言うように、好きにやるのもいいかもな」
ミッドナイトブルーの瞳を沙花叉に向け、ナツメは笑った。
その笑顔はとても優しく、ついさっきまでのそこに居た夜砥ナツメという敵の姿はなかった。
戦う気が完全になくなったようで、拳銃を仕舞うと鷹嶺を壁際に寝かせる。
「うっし。沙花叉、そっちの鞄取ってくれ。弾抜いて軽く治療すっから」
「急に親しげになるな! ……信じていいの?」
「まァ完全に治せるわけじゃねェよ? 応急処置程度だ」
そうではないとツッコむべきかと悩んだ沙花叉に、鷹嶺が横からちょんちょんと突っつく。
「沙花叉、まだ気を抜かないでよ? 一応こいつ敵なんだから」
「この空気で裏切れるかよ……あーほら、お前らの総帥はこのビルの地下だ。多分ねーちゃんと居る。外傷はないぜ」
「……ど、どうするルイ姉?」
「う、うぅん……まだ確証が……」
「あー、ったく。じゃゲーム終了! 俺の負けだ! 完敗だよ! 勝ったお前らには俺が知ってることなら話してやる! ……これでいいだろ?」
「うぅぅん……あ、じゃあ焼肉奢ってくれる?」
「はァ!? なんで焼肉……いや、わかった。焼肉でもなんでも奢ってやるから!」
言質は取った。鷹嶺は懐に忍ばせておいたボイスレコーダーをそっと撫で、沙花叉はにんまりとした笑顔で黒い鞄を持ってきた。
「な、なんだよその顔……」
「いやぁ? べっつにぃ? ぷいぷいぷい〜?」
「うっわ〜……スゲームカつくな、それ」
「うーんそれはわかる」
「ちょ、ルイ姉!? か、かわいいでしょ? ほら、ぽえぽえぽえ〜♪」
「「追い討ちかけんな」」
「ぽえぇぇ〜〜!!?」
ハモリツッコミを挟み、沙花叉のかわいい(?)ぽえを聞き流しながらナツメはさっさと鷹嶺の肩に包帯を巻いた。
* * * *
「それで? あなた達は何をやろうとしてるんだい」
しばらくして応急処置が終わり、雨が弱くなり始めた空を見上げながら沙花叉は言う。
「ねーちゃん……あ、一応ボスな。ねーちゃんはお前らンとこの総帥を使ってもっと大きな街で何かするつもりだ」
「えっと〜、その何かを聞きたいんですがぁ? もしかしてお耳が遠くなっちゃったのかな〜?」
「その口引きちぎっていいか?」
「ひえ〜怖いよ〜! 許してぽえぽえぽえ〜♪」
「っはぁ〜! なんでこいつに心を許したんだろうな数分前の俺はよォ……まァいいや。詳しく聞かされてはないんだが、予想は出来る」
ポリポリと頭を掻き、ナツメは二人を真剣な目で見る。
冗談を言う雰囲気ではないことに、ぽえっていた沙花叉もさすがに沈黙した。
「街の人間、全員を〝洗脳〟するつもりだ」
「なっ!?」
そんなこと――と一瞬無謀だと思った鷹嶺だが、夜砥ナツメの姉がその手の魔眼を持っているとすれば、ラプラスの力を半ば強引にだろうが解くことが出来るかもしれない。
そしてその力を利用すれば、街の人間にどころか、世界中を洗脳してしまうことも……なくはない話だ。
想定よりかなり危機的状況になっていて、鷹嶺は頭が割れそうになっていた。
「……なァ、holoX……お前達の実力を見込んで頼みがある」
ふと、ナツメは何故か組織名で二人を呼んだ。
「っと、その前に……だな。鷹嶺ルイ……顔と肩、撃って悪かった。沙花叉クロヱ……縛ったり蹴ったりして悪かった。俺がしたことは必ず償う。だから頼む。ねーちゃんが罪を犯す前に止めてくれ! 焼肉も奢る。俺に出来ることなら何だってする! だから……!」
「あー、はいはい」
どこか必死になって顔を上げたナツメの口を、沙花叉は指を当てて塞いだ。
凡そ事情は察した。ナツメの姉は計画の詳細を弟にさえ明かしていない。
狂っていた弟がいるなら、姉もまた狂ってしまっていると言ったところだろう。
昨日の敵は今日の友とはよく言うが、数分前の敵を友と呼べるのかは怪しいところだ。
それでも沙花叉は掃除屋として、ナツメを助けるべきだと判断する。
「あなたの悩み、私がばっくばっくばく〜んと食べちゃうから。何せ私は、秘密結社《holoX》の掃除屋! 沙花叉クロヱだからね!」
「……はぁ〜、全く……私の意見も聞かないで。仕方ないな沙花叉は〜」
「へ、へへへ……でもこれが私なりの掃除だからさ、許してよルイ姉」
「ふっ、いいよ。ラプもきっと許してくれるよ」
鷹嶺は脳内にあった計画を変更する。
焦っていた気も、どうやら沙花叉に掃除されてしまったようだ。
「では、holoX幹部……鷹嶺ルイが命じる! 我らの総帥、ラプラス・ダークネスの救出、及び夜砥ナツメの姉による洗脳の阻止を完遂せよ! あとは全員で焼肉パーティーするぞ!」
「おぉーーっ!」
やる気の半分が焼肉によるもののような気がしたナツメは、本当に頼んでよかったのだろうかと今更になって思う。
「あ、そうそう。これholoXへの依頼として処理するから、依頼料ちゃーんと用意しておいてよ?」
「奢らせるうえに金とんのかよ!? いやいいけどさ!」
財政難なholoX……それが少しでも解消されるならば、どんな時でも手段を選ばない。鷹嶺はナツメから再び言質を取り、密かに黒い笑みを浮かべるのだった。
(あっそうだ。治療費も請求しとくか。まぁこれはあとで言っとこ……三割増しで)
――なかなか