音楽チートで世に絶望していたTS少女がSIDEROSの強火追っかけになる話   作:鐘楼

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A6.standby(前)

「ボーカルさん、今度はボーカルください」

 

新宿FOLT、本番前のリハーサルで、スタッフさんにそう言われた喜多さんが、声を出そうとして、ゲホゴホと咳き込む。

 

「口の中カラカラになってる!」

 

すかさず伊地知さんのツッコミが入るが……それよりも目を引くのが。

 

「完熟マンゴー……?」

 

ステージの上、異様な存在感を放つ、やたら凝った作りのダンボールスーツ。胸の『完熟マンゴー』の文字の主張が激しい。

 

「ギターさんお願いします」

 

スタッフさんに求められ、くぐもったギターの音が鳴った。ということは、あれは後藤さんか……中々、奇抜なことをする人みたいだ。……そのあたりが廣井さんと波長が合ったのかな……?

 

「あっ、全体的な返し大きくしてもらっていいですか?よく聞こえなくて……」

「だから脱ぎなさい!」

 

やいのやいのと、ステージの上で賑やかなやりとりをする結束バンドの面々。私は微笑ましいと思うけど、隣でその光景を睨んでいる彼女にとってはそうではないらしい。

 

「……緊張してるね。本番までに解れるといいんだけど」

「……話にならない。数時間前にこんな調子じゃ、本番の出来もたかが知れてる」

 

不機嫌そうに、そう吐き捨てるヨヨコちゃん。私は身を翻すと、彼女の視界の正面に移動して、顔を覗き込んだ。

 

「……な、なに」

「血色良いね。よく眠れたんだ」

 

いつものライブ前の彼女は、エナドリ片手に緊張と寝不足で酷く険しい顔をしているのだが、今日は普通に水を飲んでいて、表情も柔らかい。

 

「……あ、あれは……優菜と話してたら……安心して……」

「……ふふ、私と話すだけで眠れるなら、いくらでも付き合うよ」

 

口にするのが余程気恥ずかしかったのか、顔を赤くして俯くヨヨコちゃん。愛らしいけど、あんまり弄るとへそを曲げちゃうから、話題を変える。

 

「……でも、緊張って部分なら、ヨヨコちゃんは結束バンドのこと言えないんじゃない?」

 

視線をステージの上に戻す。ちょうど、結束バンドがサビから演奏を始めたところだ。気持ち、走っているように感じるが……地力は前より更に上がっている。

 

「確かに今も緊張してるけど!……でも、私はそれを乗り越えて最高のライブをするから良いの!」

「……そうだね。ヨヨコちゃんはいつもそうだよね」

 

どんなライブでも、どんな大舞台でも、今と変わらず緊張するのなら。不安で眠れぬ間もがむしゃらに練習に打ち込み、緊張を飲み込んでライブに臨む。それが彼女のスタンスで……今もずっと、緊張を乗り越える練習をしている……ということなんだろう。

 

「すごいね、ヨヨコちゃんは……普通はできない割り切り方だと思う」

「……優菜はどうしてるの?」

「私?私は……うーん」

 

緊張……緊張か。初めて知らない人達の前で楽器を持ち、興味や値踏みの視線に晒され、失敗の可能性に恐怖し、言いしれぬ孤独の幻痛に足がすくんで……いや、これは前世の記憶だな……。

 

今世……今世で緊張……うーん。

 

「ない、かな……失敗するはずがないし、緊張する理由がないよ」

「……あんたね」

 

ヨヨコちゃんの珍獣を見るような視線は、新鮮で……少しだけぞくぞくした。

 

 





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