音楽チートで世に絶望していたTS少女がSIDEROSの強火追っかけになる話 作:鐘楼
「ボーカルさん、今度はボーカルください」
新宿FOLT、本番前のリハーサルで、スタッフさんにそう言われた喜多さんが、声を出そうとして、ゲホゴホと咳き込む。
「口の中カラカラになってる!」
すかさず伊地知さんのツッコミが入るが……それよりも目を引くのが。
「完熟マンゴー……?」
ステージの上、異様な存在感を放つ、やたら凝った作りのダンボールスーツ。胸の『完熟マンゴー』の文字の主張が激しい。
「ギターさんお願いします」
スタッフさんに求められ、くぐもったギターの音が鳴った。ということは、あれは後藤さんか……中々、奇抜なことをする人みたいだ。……そのあたりが廣井さんと波長が合ったのかな……?
「あっ、全体的な返し大きくしてもらっていいですか?よく聞こえなくて……」
「だから脱ぎなさい!」
やいのやいのと、ステージの上で賑やかなやりとりをする結束バンドの面々。私は微笑ましいと思うけど、隣でその光景を睨んでいる彼女にとってはそうではないらしい。
「……緊張してるね。本番までに解れるといいんだけど」
「……話にならない。数時間前にこんな調子じゃ、本番の出来もたかが知れてる」
不機嫌そうに、そう吐き捨てるヨヨコちゃん。私は身を翻すと、彼女の視界の正面に移動して、顔を覗き込んだ。
「……な、なに」
「血色良いね。よく眠れたんだ」
いつものライブ前の彼女は、エナドリ片手に緊張と寝不足で酷く険しい顔をしているのだが、今日は普通に水を飲んでいて、表情も柔らかい。
「……あ、あれは……優菜と話してたら……安心して……」
「……ふふ、私と話すだけで眠れるなら、いくらでも付き合うよ」
口にするのが余程気恥ずかしかったのか、顔を赤くして俯くヨヨコちゃん。愛らしいけど、あんまり弄るとへそを曲げちゃうから、話題を変える。
「……でも、緊張って部分なら、ヨヨコちゃんは結束バンドのこと言えないんじゃない?」
視線をステージの上に戻す。ちょうど、結束バンドがサビから演奏を始めたところだ。気持ち、走っているように感じるが……地力は前より更に上がっている。
「確かに今も緊張してるけど!……でも、私はそれを乗り越えて最高のライブをするから良いの!」
「……そうだね。ヨヨコちゃんはいつもそうだよね」
どんなライブでも、どんな大舞台でも、今と変わらず緊張するのなら。不安で眠れぬ間もがむしゃらに練習に打ち込み、緊張を飲み込んでライブに臨む。それが彼女のスタンスで……今もずっと、緊張を乗り越える練習をしている……ということなんだろう。
「すごいね、ヨヨコちゃんは……普通はできない割り切り方だと思う」
「……優菜はどうしてるの?」
「私?私は……うーん」
緊張……緊張か。初めて知らない人達の前で楽器を持ち、興味や値踏みの視線に晒され、失敗の可能性に恐怖し、言いしれぬ孤独の幻痛に足がすくんで……いや、これは前世の記憶だな……。
今世……今世で緊張……うーん。
「ない、かな……失敗するはずがないし、緊張する理由がないよ」
「……あんたね」
ヨヨコちゃんの珍獣を見るような視線は、新鮮で……少しだけぞくぞくした。
短