音楽チートで世に絶望していたTS少女がSIDEROSの強火追っかけになる話 作:鐘楼
SIDEROSの初ライブから、それなりの月日が流れた。新宿FOLTでバイトするようになり、SIDEROSのみんなとも仲良くなって……それから、私自身も少しだけ変わったと思う。
こうしてたまに……本当にたまにだけど、閉店後の新宿FOLTの他に誰もいないステージで、思いっきり演奏するようになった。
思うまま、愛用のエレキヴァイオリンで、思いの丈を好きなだけ奏でる。観客は店長さん一人だけだけれど、たくさんの観客を、私の音に酔いしれる人々を夢想しながら、揺るぎない自信を持って演奏をするのだ。……ステージの上の、最高にカッコいい大槻さんのように。
こんな私の我儘を聞いてくれる店長さんも、私の演奏をいつも楽しんでくれている。それでいて、私に何かを強制したりしないので、本当に助かる。こんなに良くしてもらって、感謝しかない。
……でも、楽しんでくれている私の演奏が、ズルして手に入れたものだって知ったら、やっぱり失望されてしまうのだろうか。
やっぱり、ダメだ。私に、ステージに立つ資格はない。
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「次のライブ、楽しみですね!」
「うん、みんな今回もすごい気合い入ってたから、期待して待ってて」
そんな風な話を、SIDEROSファンだという子と話す。
「店員さんは、作曲のお手伝いをしてるんですよね?」
「……うん。けど、私の助力なんて微々たるものだよ」
彼女とは、SIDEROSの物販がきっかけで話すようになったのだが、同好の士とは会話が弾んで楽しいもので、彼女は貴重な相手だ。……そんな彼女に、ズルして大槻さんに近づいている自分を申し訳なく思う気持ちもある。
彼女が楽しみにしている次のライブは、ほんのもうすぐに開催される。
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「ふふ……」
「あれ〜?嬉しそうだね池揉ちゃん!どしたの?」
いつも通り、清掃作業をしていると、ふいに何故か職場に居座っている酔っ払いに声をかけられた。
「……廣井さん……実は、SIDEROSのファンだって子達と話ができて……それが、楽しかったので……」
「へぇ〜!かわいいとこあるねぇ。私にもそんな時期があったんだっけかな……あ、飲も飲も」
グビグビと、私が働いている前で安酒を飲み始める廣井さん。正直迷惑だ。店長さんの優しさはこういう時に不都合だ。今日は志麻さんも引き取りにきてくれないし、私が追い出さないといけない。
「……廣井さん、もう閉めるので……あ」
「ん?なに?」
そういえば。今度廣井さんに会ったら、問い詰めないといけないことがあるんだった。廣井さんを見据えると、スゥー、と自分の目が険しくなるのがわかる。
「また大槻さんに奢らせたって、本当ですか?」
「……ひぇ」
だらだらと、廣井さんが冷や汗を流す様を、能面のような表情で見やる。
「私。前もちゃんと言ったと思うんですけど」
「あ〜!うん!覚えてる、覚えてるよ?でもさぁ、あの時は本当にお金がなくて……大槻ちゃんも出してくれるって言ってくれたし……」
「お金がない人は飲み会に行ってはいけないんですよ?」
「うぅ!じゃ、じゃあ、今日はもう出てくから!じゃーね!」
「あ……」
そう言って、慌てて出て行く廣井さん。……まぁ、面倒な酔っ払いを追い払えたので、良しとしよ……あ。
「ベース……」
前言撤回。廣井さんは『スーパーウルトラ酒呑童子EX』こと愛用のベースを忘れていった。多分また戻ってくるだろう。……いや、明日まで気づかないかもしれない。
ちなみに常習犯である。
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「ゆーちゃんせんぱーい!聞いてください!」
「ふーちゃん。どうしたの?」
嬉しいことがあったのだろう、三割増しの笑顔で、SIDEROSのギター、本城楓子が駆け寄ってきた。
「実は今度のライブ、お父さんとお母さんが来てくれることになったんだぁ〜!」
「そうなんだ……よかったね」
「はい!ゆーちゃん先輩も、楽しみにしててください!」
「もちろん。みんなのカッコいいところ、たくさん見せてもらうね」
「〜っ!はい!」
そうして笑うふーちゃんの顔は、私には今までのどれよりも輝いて見えて……鮮烈に、記憶に残ったのだった。
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「……いけるわよ!これくらい……っ!」
「ヨヨコ先輩!喋んないでください!悪化したらどうするんすか!」
そのライブ当日、SIDEROSに、最悪のアクシデントが降り掛かっていた。
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