1日目
「はあ……長良さんと一週間か〜……」
阿賀野が旗艦を務めていた第十戦隊の前任である長良は阿賀野とは正反対といってもいい。自らを鍛えることが生活の一部となっている長良と最低限以上のことはやりたがらない阿賀野とは端的にいってそりが合わない。
なので、今回のような事態は阿賀野にとって苦痛なのだ。
「まあいいや! 菓子食べよーっと!」
たがこうなってしまっては仕方がない。気分を変えるために阿賀野は意気揚々と自分専用のお菓子棚を開く。
「…………」
「…………」
まさに不意打ちだった。そこには張り付いたように笑う長良が入っており、ガッツリ長良と目が合った阿賀野の顔が引きつると二人の間に沈黙が流れる。
「…………」
そして、阿賀野は手にかけていた扉をそのまま戻そうとすると、長良は表情を崩さぬまま、その扉を受け止める。
「くっ……! ぐっ……! ぬっ……!」
「…………」
戸を閉めようと必死な表情で手を震わせ力を籠める阿賀野と、笑顔を貼り付けたまま、同様に手を震わせてそれを阻止する長良。2人の押し合いはしばらくの間続いたのだった。
2日目
「……よし、長良さん寝てる……」
隣で長良が寝ていることを確認すると、阿賀野はゆっくりと布団の中から這い出ると、扉を開け、冷蔵庫へと向かっていく。この深夜食堂は阿賀野の最近の楽しみの一つである。
(能代や矢矧には止めろって言われるけど、深夜に食べるのって美味しいし楽しいのよね〜)
そんなことを考えている内に冷蔵庫に辿り着く阿賀野。そこで阿賀野は恐怖を目の当たりにする。
「ッ……!! ……!?!?」
明かりの無い暗い部屋。その冷蔵庫の前で張り付いた笑顔を浮かべて佇む長良に阿賀野は絶句すると反射的に物陰に身を潜める。
「…………」
息を殺して阿賀野は物陰から長良の方を見やる。さっきまで確かに自分の隣で眠っていた長良がまるでマネキンのように、身体はもちろん表情も動かないまま待ち伏せするように冷蔵庫の前で立っている姿に阿賀野の心は恐怖で塗り潰される。見てはいけないものを見てしまったような気分だ。
(絶対に音を立てたら駄目……!)
息を殺し、捕食者から身を隠す被食者のように阿賀野は冷蔵庫のある部屋から立ち去るのだった。
「ッ……! はぁっ!! はぁ……はぁ……」
やっと自分の部屋に戻ってきた阿賀野は緊張の糸が切れたのか一気に息を吐く。心臓がバクバクと高鳴り、冷や汗が流れているのが分かった。
「怖かった……寝よう……」
そう言って布団に潜り込むと頭まてねくるまり、隣にある未だ無人の長良の布団に背を向けるようにして横になる。
それからしばらくすると、ガチャリと阿賀野の部屋のドアが開く。恐らく長良が戻ってきたのだろう。阿賀野は息を殺して長良が隣の布団に潜り込む音を聴いていた。
「……夜中に物食べるのはよくないよ」
「ッ……!!」
静寂の中呟かれる長良の言葉に阿賀野はドキリと心臓が高鳴った。その日の阿賀野はよく眠れなかったという。
3日目
長良の強制走り込みから逃れようと部屋を飛び出した阿賀野を捕らえる長良の動きは早く、方法は実に破天荒だった。長良は逆立ちしたかと思うとそのまま阿賀野の方へ倒れ込み、両足で阿賀野の首を挟み込んだのだ。
「くっ……! ぐぬっ……! ぬっ……!」
「…………」
しかし、阿賀野はそんな状態でも長良から逃れようとゆっくりではあるが着実に歩みを進める。長良は逆立ちのまま、足のロックを崩さず、薄ら笑いを顔に貼り付けて阿賀野に追従していく。
軽巡寮にて唐突に始まった意地のぶつかり合い。それは荒々しくも見る者を魅了する極上のエンターテイメントで……
「阿賀野ちゃ〜ん……長良ちゃ〜ん……。廊下のど真ん中で面白合体されてると邪魔なんだけど……」
……ある訳も無く、通りかかった那珂に迷惑だと一蹴されてしまう。
「……ほら、邪魔になってるよ阿賀野。諦めて長良と走ろう」
「い〜や〜で〜す〜! 長良さんの方こそもう諦めてく〜だ〜さ〜い〜!」
だがそれでも二人はあくまで自分の意地を通すことを選んだ。その意思決定には譲れない思いや信念が、好意的に見ればあるように思えないこともないが特にそんなことはなく、ただ那珂の言葉をダシに自分の意見を通したいという魂胆であった。
「二人とも……」
そして、そんな阿賀野と長良を見て那珂は呆れたような微笑をするのだった。
4日目
「長良さ〜ん……」
「なに〜?」
「いつまでやるんですかこれ〜?」
「阿賀野が諦めるまで〜」
阿賀野をヘッドロックした長良が廊下の端で寝転び、阿賀野に寝技をかけているような形になる。
「さっきから通る人みんなが阿賀野達のことを見てくるんですけど……」
「そうだね」
「笑うか引いてるかのどっちかなんですけど……」
「そうだね」
「すっごい恥ずかしいんですけど……」
「長良も恥ずかしいよ」
「じゃあやめてくださいよ!」
長良の一言に阿賀野は思わず声を張る。
「阿賀野が諦めて長良と走るって言ってくれたらやめる」
「え〜……じゃあこのままでいいです……」
「おお……」
強気な阿賀野の答えに長良がたじろいだような声を漏らす。
「じゃあ長良もこのままでいよっと」
「いいですよ。望むところです」
たが長良も直ぐに阿賀野と同じ答えを返す。二人の我慢比べが始まった。
「長良さ〜ん。長良さんって普段妹さん達とどういう会話してるんですか?」
「え? まあいつもは……」
数十分後、流石に暇を持て余したのか阿賀野が会話を切り出す。
「長良さ〜ん。なんかずっと横になって動かないせいか眠くなってきました……ぐえっ!? なんで絞めるんですか!?」
「いや……苦しくて眠気が覚めるかと……覚めないね……」
「覚めませんね……」
それから更に数時間後、会話はしていたものの、長時間横になったまま殆ど動かないことによって眠気が襲ってきた阿賀野の眠気を覚まそうと長良は的外れなことをする。
「長良さ〜ん……しりとりしましょう。りんご!」
「ご……ご……コンセントリック収縮!」
「いきなりルール違反しないでくださいよ! あと何ですかその単語!?」
それからまたも数時間後、話のネタが尽きたのか阿賀野はしりとりを提案する。同様に会話のネタが尽きた長良も阿賀野のしりとりに参加する。
「オ……オーバーワーク!」
「ク……クリスマスケーキ!」
「ちょっとそのケーキシリーズずるくない?」
「え〜。そんなことないですよ。なんなら長良さんのトレーニングシリーズだってどうなんですか?」
「あれは全部違うトレーニングだからいいの」
「じゃあ阿賀野のケーキも全部違うやつだからいいじゃないですか」
「むう……」
しりとり開始から数時間後、夜の帳が下りてもなお、最初の状態から姿勢をほぼ変えないまま二人はしりとりを続けていた。
「いつまでやってんの恥ずかしい!!」
「いたっ!」
そんな二人を見兼ねた五十鈴は長良の頭に上段から振り下ろす平手打ちを喰らわせるのであった。
5日目
早朝、長良と阿賀野の周りをシャボン玉が漂っていた。二人は吹き口からいくつものシャボンを作り出しており、彼女達の足元にはシャボン液と未開封のシャボン玉と開封済みのシャボン玉のパッケージが転がっていた。
「なんでシャボン玉なんですか?」
「海防艦の子達が買いすぎた分が五十鈴に渡って、五十鈴から長良に渡ってきたの。そのまま捨てるのもなんかもったいなくて」
「……それでシャボン玉吹いてたんですか?」
「うん」
「1人で?」
「うん」
「……可愛いんだ」
「ん?」
ぼそっと言った阿賀野に長良は顔をしかめるが阿賀野はそんな長良のことなど気にもとめず大小さまざまなシャボン玉を作り出していく。
「なんか……シャボン玉がいっぱい漂ってる景色ってちょっと良い感じですね……」
「そうだね……」
二人の周囲に漂ういくつものシャボン玉が早朝の日差しを反射して光りを放っていた。長良はその光景をぼんやりと眺めると口を開く。
「……ここがゴミ捨て場じゃなかったらもっと良いと思うけど」
「確かに! それはそうですね!」
阿賀野が長良に同意して笑い、拭き口をシャボン液につけようとしたが手応えがない。軽く振ってみると既にシャボン液は無くなっていた。
そう、長良は五十鈴に言われてシャボン玉を捨てに来ていたのだ。
「無くなっちゃいました……」
「……長良のももうないや」
長良も軽く振って残量を確認するが阿賀野と同様既に容器は空になっていた。長良は散らばったパッケージや空になった容器を集めてビニール袋に入れ始める。
「まだ余ってるのありますよ。捨てるんですか?」
「ん〜……」
長良の持っているビニール袋に空の容器と拭き口を入れて阿賀野が問いかける。長良は少し考えるような仕草をすると依然として未開封のシャボン玉を手に取る。
「……持って帰るよ。なんか勿体なくなっちゃった」
「え、持って帰るんですか? ひょっとしてまた一人でやるんですか? 長良さん可愛い〜」
「……やっぱり捨てよっかな」
「えーなんで?」
そんな会話をしつつ空になった容器とパッケージを入れたビニール袋をゴミ捨て場に投げ入れると、結局長良は余ったシャボン玉を持ってゴミ捨て場を後にした。
6日目
「浴衣〜。長良さん浴衣〜」
「なに……」
浴衣姿の長良をニヤニヤと笑う阿賀野。長良はそんな阿賀野に怪訝な表情を見せる。
「浴衣の長良さん可愛いな〜って……」
「どうも……」
ニヤついた顔で褒め言葉を口にする阿賀野に長良は一応のお礼を返す。
「長良さんお祭り好きですよね〜」
「お祭りの雰囲気って不思議な感じしない? ただ騒いでるだけとは違うっていうか……」
「あー分かります。雰囲気のせいなのかお祭りの屋台の食べ物ってなんか妙に美味しく感じるんですよねー」
「同じイベント事でも特有の空気ってあるじゃん? お祭りにしかない空気感というか……」
「あー分かります。りんご飴とかイカ焼きとか、お祭りくらいでしか見ませんもんねー」
「……そんな空気に包まれてるだけでちょっと楽しい気分になるんだよね……」
「あー分かります。定番の焼きそばとかたこ焼きも良いけど唐揚げとかも食べたいですよねー」
「阿賀野食べ物のことばっか!!」
「えっ……」
叫ぶ長良に阿賀野が呆けたような顔をする。
「だって長良さんだってお祭りの屋台で色々食べるでしょう!?」
「いや……そうだけど! 今はそういう話じゃないじゃん! 阿賀野はもっとこう……ないの!? 食べ物以外のことで!」
「え〜……そんなこと言われたって……今年は雨天中止じゃないですか……」
「…………」
阿賀野のその言葉に応えるように風が吹き、窓に雨が打ちつけられる音が部屋に響く。
「中止じゃないから……順延だから……」
「せっかく楽しみにしてたのに長良さんかわいそう〜。よしよし〜」
「やめて。その言い方で頭撫でるのほんとやめて」
「え〜、なんで〜?」
幼子をあやすように自分の頭を撫でる阿賀野の腕を長良は払い除けるが阿賀野は不満気だった。
7日目
「で、結局食べ物ばっかりだし……」
「え?」
祭り会場から少し離れたベンチで、焼きそばにたこ焼き、唐揚げ、大判焼き、リンゴ飴に綿飴にイカ焼きと出店の食べ物を両手に節操なく抱えた阿賀野を見て浴衣姿の長良がそう零す。
「別に良いじゃないですか、食べ物ばっかりでも」
「食べ切れるの?」
「はい!」
「すごい自信……」
長良の疑問に元気よく答える阿賀野。その真っ直ぐな目に長良は思わずたじろぐ。
「阿賀野さん……うちは流石に食い過ぎじゃ思うよ……」
「右に同じ……」
聞こえてきた自信でも長良でもない声の方向を見やると、そこには浴衣姿の浦風と長波がいた。
「浦風ちゃん。長波ちゃん。どうしてここに?」
「長良が来てる筈なのに居ないから探してたんだよ」
阿賀野の質問に長波が答える。
「そしたら阿賀野さんを見よるけぇひょっとしてと思うて着いてきたんじゃよ」
長波の答えを浦風が補足する。
「なるほどね〜……ナチュラルにセットだと思われてますね……私達……」
「確かに……」
浦風達の言葉に納得すると同時に周りから見た自分達の印象の一端を知った二人は苦笑いをする。
「……でもここ最近、長良も阿賀野もいつも以上に一緒にいるよな……今日も2人で来てるし……」
「長良は阿賀野の進水日のプレゼントだからね!」
「進水日のプレゼント……?」
長良の返答に長波は首を傾げる。
「そうそう。阿賀野が進水日だからプレゼントに長良を一週間プレゼントしたの!」
「そう、進水日に長良さんを一週間プレゼントされたの! 正直嫌だったけど抱き合わせのチョコケーキ食べたから返品不可とかいう理屈で押し切られたの!」
「はあ……」
阿賀野の楽しげな語り口から出てくる、プレゼントという単語からあまり繋がって欲しくない言葉の数々に長波は微妙な反応を返す。
「……長良自身をプレゼントって言っても具体的に何したんだ?」
「色々やられたよ〜。待ち伏せされたり不意打ちされたり首を絞められたり……」
「プレゼントから派生する言葉じゃない……」
「夜までしりとりしたり2人でシャボン玉やったり……」
「いくつだよ……」
ツッコム長波だが、阿賀野はあくまで楽しそうな語り口を崩さない。本当に楽しんでいると錯覚してしまいそうになるほどに。
「……それだけ聞いとると進水日のプレゼントって感じせんのぉ……」
「え?」
浦風の呟きに長良は不安げな表情を浮かべて視線を向ける。
「確かに、なんかいつもと変わらないというか……」
「え?」
浦風に続く長波の言葉に長良は視線を長波の方へ移動させる。
「阿賀野も2人と同じこと進水日のときからずっと思ってた」
「え……」
更に続く阿賀野の言葉に長良は浦風のときから変わらない不安げな表情でゆっくりと視線を移動させる。
「……なんか進水日っぽいことする?」
「じゃあ阿賀野ケーキが良いです! ほら、進水日のときはチョコケーキだったから今度はクリームのやつ!」
「まだ食うのか……」
阿賀野の素早いリクエストに長良は呆れと驚きが入り混じる。そんな長良と阿賀野の会話に割り込む声があった。
「阿賀野さんの進水日ってもう終わってませんでしたっけ?」
「あ、浜風ちゃん」
声の主は浜風であった。長良に浦風、長波と同じ浴衣姿である。
「なんか、進水日のプレゼントで長良自身を一週間プレゼントしたらしい」
「一週間? じゃあ今日が最終日ですか」
「じゃけぇ最後にケーキでもってことらしい」
浦風と長波が浜風に事情を説明する。
「そういうこと。だけどどう考えても食べ過ぎじゃない? このベンチにあるやつ全部阿賀野が買ったやつだよ?」
長良がベンチに広げられた食べ物を指差して浜風に問いかける。浜風はベンチを一瞥すると、無言でゆっくりと首を二回横に振った。
「…………」
「…………」
「…………」
浜風のその行為に長良と浦風と長波はひきつった笑みを浮かべていた。
「ほらー! だから阿賀野言ったじゃない!!」
阿賀野は得意満面の笑みを浮かべていた。
「それじゃあ、長良は自分の部屋に戻るから」
「は〜い」
鎮守府に戻った長良は手に荷物を持ち、阿賀野の部屋の前で阿賀野に最後の挨拶をしていた。阿賀野はケーキの箱を持ってご満悦だ。
「それじゃあね、阿賀野。また明日」
「また明日〜」
そう言って長良が部屋を後にしたのを見届けた阿賀野はドアを閉めようとする。
「あ、あと最後にもう一個」
「うわ!」
すると、長良が上半身だけ出して、ドアの間に入り込む。どうやら言い残したことがあるようだ。
「改めて進水日おめでとう阿賀野! じゃあね!」
「ありがとうございます……」
そう言って笑顔で手を振る長良を阿賀野は視界から消えるまで小さく手を振って見送った。阿賀野の部屋に静寂が訪れる。
「……!? ああっ!!」
瞬間、阿賀野はある事に気づき、声を上げ、頭を抱える。
(ちょっと寂しいとか思っちゃった……)
それは自分自身の心中だった。長良が視界から完全に消えたとき、阿賀野の心には微かだが確かに寂しさの感情があった。
(不覚……)
長良と阿賀野。そりが合わないのは確かな二人だが、本人達なりに仲良くやれているのもまた確かな二人であった。