まばゆい契約の光が、曇天の下に崩壊した街の姿を浮かび上がらせる。
今回も、鹿目まどかが最大の魔女を倒すという、最悪の魔女が交代する流れへたどり着いた。
暁美ほむらは、また守れなかったという思いと共に彼女を見上げる。
強烈な光が収まると、まどかの胸から魂の宝珠が生まれた。続けて、彼女の姿が変わる。
彼女の魔法少女としての装い、彼女の憧れた姿へと――
魔法少女は携えた弓を構え、この惨状を生み出した魔女をその矢の尖端に捉える。そして、弓から放たれた矢は無数に分かれ、魔女へと殺到する。
その矢を受けた魔女の姿が、崩れるようにかき消されていく。
それまで戦っていた暁美ほむらの苦戦が、まるで嘘だったように呆気なく最大の魔女は倒された。
その光景に、ほむらが声を出そうとした瞬間、唐突に彼女の視界は歪み世界が書き換わる。
魔獣の結界が解除されたことで三人の魔法少女が現実世界へと戻ってくる。
――四人だったはずの、少女たちが。
「……さやかは? さやかはどうした?」
「逝ってしまったわ、円環の理に導かれて……」
巴マミと佐倉杏子は、つい先ほどまで共に戦っていた美樹さやかのことを話している。
暁美ほむらには、見覚えのある駅のホームと見知った顔ぶれだ。
だが、彼女には二人の魔法少女の会話が理解できない。許容できない。
その内容は、彼女の知らない魔法少女の末路だった。
しかし、確かにそれを知っているという記憶もある。
現在の暁美ほむらには、幾度も繰り返した鹿目まどかや魔女の存在する世界と、現在の魔獣の存在する改変された世界、その二つの記憶がある。
彼女に刻み込まれた知らない記憶が、混乱を誘う。
人間が自らの記憶を、過去を信じられるのは、信じる信じないに関わらず記憶が一つしかないからだ。
用意された二つの記憶は、彼女のアイデンティティを揺るがし、自分自身すら信じられなくする。
「
うつむいたほむらの左手には、
それは、鹿目まどかとの絆を否定する魔法の武器であった。
彼女との出会いのやりなおしを願って魔法少女となった時に授かった盾ではなく、先程契約を行った
それが自分の手にあることに困惑すると同時に、この世界が二つの記憶のどちらなのか彼女は理解してしまう。
鹿目まどかの存在しない世界が現実だと――
「まどか……」
暁美ほむらは、すがるように少女の名前を呟く。
「暁美さん? まどかって」
「誰だよ……?」
二人の魔法少女はその言葉に会話を止め、疑問を口にする。
ほむらの呟いた名前の少女は、この世界、正確には魔法少女の存在する世界には存在しない。
今の彼女から見て未来の彼女が束ねた因果の、その特異点である鹿目まどかは、自らの手で全ての魔女を消し去りたいと願い、願いの対価として存在を失った。
そう、彼女は「過去」。
彼女から見て未来の、終点に至った彼女が切り捨ててきた、過ちの存在。
終端に至った暁美ほむらの過去である並行世界の彼女は、鹿目まどかと魔女が消えたその理由を知りえない。
◆
夜明け前、ビルの屋上にたたずむ暁美ほむらは息を深く吸い込む。
そして、自分の記憶は間違ってはいないのだと、自らを鼓舞する。
「まどかを救ってみせる。必ず!」
繰り返した時間の中で、幾度となく口にした決意の言葉。
異なる二つの世界の記憶によって彼女が恐怖し、確認できなかった鹿目まどかとの繋がり。
それを、ようやく確認する決心ができたのだ。
鹿目まどかが存在し、彼女との再会を望んだという記憶が確かならば、暁美ほむらの最初の魔法は時間遡行魔法である。
その魔法は、鹿目まどかの存在と、彼女との思い出。そして、繰り返した過去を証明する、最大の証拠だ。
暁美ほむらは左手を構えて瞳を閉じ、自分の持つはずの、原初の魔法の武器を意識する。
一瞬、光がその場で弾ける。
恐る恐る目を開いた少女の左腕には、呆気なく彼女の武器である盾が出現していた。
鹿目まどかの存在しない世界では、魔法少女の契約理由が違っていたのか、世界の書き換わった時点で持っていた彼女の魔法の武器は
恐らく、契約した際の願いが違うために持ちえなかったはずの、失ったはずの時間遡行魔法。
その象徴である砂時計が埋め込まれた盾を、彼女は出すことができた。
早速、彼女は盾内部の空間を確認する。
先程のワルプルギスの夜との戦いで使わなかった銃器や爆弾、この世界では存在しないはずの
「間違いない……」
ほむらの記憶にある立方体である魔獣のグリーフキューブと違い、曲線で構成された外見のそれが、そこには有った。
彼女の持つ二つの世界の記憶で、繰り返した世界でのみ存在した物体。
二つあるために不確かになってしまった記憶ではなく、確かな物証を得ることが出来たのだ。
ほむらは確信を得ると同時に、震えだす体を抱きしめる。
彼女は、改めて誓いを立てるために言葉を紡ぐ。
「私はまだ、やり直せる! まどかを救うことができる!」
これで何度目になるのか暁美ほむら自身にもわからない、時間遡行の準備は整った。
もう一度、と彼女は盾へと手をかけ、砂時計を裏返す。
それは時を操作する力を持った砂時計。
少女の願った奇跡を可能とするための魔法を行使した。
彼女にとって、決定的な誤解を抱えたまま。
――loop n-1 return
◆
暁美ほむらの意識が覚醒する。
いつもと変わらない自室のベッドで目を覚ました。
これまでの
「……え?」
――時間遡行の起点が違う?
これまでループの開始点は5月16日、病院のベッドで目覚めるのが常だった。
だが今回は、それが違った。始まりは自宅から。
それはつまり、鹿目まどかとの出会いよりも以前、あるいは後ということになる。
何故こんなことになっているのか。原因を考える間もなく、次の疑問に思考を奪われる。
入院中ではないのなら、今日は何日なのか。
ほむらは起き上がると部屋を見回す。いつもならばそれの定位置となっていた壁を。
そこにあるのは6月1日まで斜線を引かれたカレンダー。
最初は何かの間違いかと思った。
日付を勘違いしているのではないかと疑った。
しかし、何度確認してみても、日付は変わらない。
今回は、6月2日の朝に目を覚ましたのだ。
カレンダーの今日の曜日は、土曜日。
彼女の記憶が定かなら、これまで繰り返したループの途中に位置することを意味していた。
「戻る時間が短くなってしまった……?」
今のほむらに考えられる理由はその程度しかない。
しかし、そんなことがあり得るのか。
これまで幾度となく繰り返した際には、一度も起点のズレなど生じなかったというのに。
仮にそうだとしても、一体どうすればいいというのか。
既に鹿目まどかとの出会いから2週間も経過しているはず。そもそも今回の時間軸では、まどかや他の魔法少女とはどのような関係を築いていたのか。
これまでの繰り返しとの相違点が多すぎて、何もかもが手探りの状態だ。
それでも、とにかく行動を起こすしかなかった。この先自分が何をすべきなのかを知るためにも。
ほむらはパジャマを脱ぎ捨てると、私服に着替えて朝食も取らずに家を出る。
まず彼女の目指す先は、まどかの家だ。そこで彼女の最も優先する鹿目まどかの安否を確認する。
その後、今の時間の流れを把握する。まどかの安否確認から先のことはそれから考えればいい。
それでも、彼女の内心は焦燥感に押し潰されそうな思いだった。
鹿目家に到着したほむらは、遠目に様子をうかがう。
まどかの両親と弟が朝食を取っているようだ。
「まどかが居ない……」
休日の、まだ早朝と言っていい時間。まどかが寝坊をしている可能性もあるだろう。
しかし、ほむらの聞いた限りでは鹿目まどかは寝坊をする所か、寝坊の多い母を起こしてから4人で食事をしているという。
決まって家族全員で食事を取るというあの家族の中で、まどかだけが居ないということもおかしい。
嫌な予感ばかりが募っていく。
前回のループでは、ワルプルギスの夜との戦いの後、崩壊したはずの街は修復され、まどかも居なくなってしまった。
そしてその後の記憶の混濁、巴マミと佐倉杏子のまどかという名前への反応。
この時鹿目まどかが願った契約の奇跡によって、自分の時間遡行が及ばない形で彼女が消えてしまったのだとしたら……
そう考えるだけで、ほむらは不安で押しつぶされてしまいそうになる。
ほむらにとって最悪のケースなら、今の鹿目家の人間とは何も関わりがない事になる。
砂時計が落ちきるまでしばしの期間、この世界にとどまる必要がある以上、不用心な接触は避けなければならない。
その場合でも全く無関係ではない可能性の高い、巴マミの自宅へ向かう。
しかし、ほむらの足取りは重い。今更どんな顔をして彼女に会えば良いというのか。
だからといって、このまま何も現状を把握せずにいる理由もない。
ほむらは覚悟を決めてインターホンを押した。
『はい、どちら様でしょうか?』
「朝早くにすみません、暁美ほむらです」
『暁美さん?!』
ほむらの言葉を聞いて、インターホンの向こうで声の主は驚きの声を上げる。
その声は、間違いなく彼女もよく知る人物のものだった。
少しの間があって、玄関のドアが開かれた。
「おはよう、暁美さん」
「おはようございます。巴さん。早速ですが聞きたいことがあります」
「ええ、構わないわよ。上がってちょうだい」
巴マミはほむらを自宅に招き入れる。
その顔は、彼女の記憶にある友好的な関係だった時と何ら変わりのない笑顔だった。
ほむらは促されるままにリビングへと通される。
「それで、聞きたい事って何かしら?」
「……」
ほむらは口籠る。
当たって欲しくはない予想を決定付ける質問が、簡単に出来る訳がない。
まどかは存在しないのではないかという、恐ろしい予想を振り払うように彼女は首を横に振る。
「暁美さん?」
「あ、いえ…… 変な事を聞きますが、巴さんは鹿目まどかと言う魔法少女を知りませんか?」
その質問にマミは怪訝そうな表情を浮かべる。
当たり前だ。ほむらの予想のどちらであっても聞かれても困るのは当然のことだろう。
ほむらは誤魔化すような笑みを張り付けて、マミの反応を待つ。
しかし、マミはしばらく黙り込んだ後、ゆっくりとした口調でこう言った。
「誰かしら? 魔法少女ではないあなたより魔法少女の知り合いは多いと思うけれど、分からないわ……」
ほむらはその答えを、どこか安心するような気持ちで聞いていた。
望んでいなかった答えのはずなのに。
暁美ほむらと鹿目まどかの、魔法少女としての師匠に当たる存在である巴マミが鹿目まどかを知らないと言った。
それはつまり、彼女の知る鹿目まどかがこの世界には存在しないことと同義である。
その事実はほむらにとって衝撃的過ぎた。
ほむらは目の前が真っ暗になる感覚に襲われる。
繰り返す中でまどかを救うためだけに戦ってきたほむらにとって、それ以外のものは全てどうでも良くなってしまっていたのだから。
「暁美さん! 大丈夫!?」
ふらついたほむらの身体を支えてくれたのは、巴マミだった。
ほむらは、自分が泣いていることに気付く。
もう二度とまどかには会えない。そんな絶望が胸を満たしていく。
まどかが存在しない世界では、ほむらは生きる希望を失ってしまったも同然だ。
涙を止めようと必死になるが、止まらない。
彼女はマミに抱き締められるようにして、泣き続けた。
ほむらは落ち着くまでマミに寄り添ってもらうと、お礼を言って彼女の家を辞した。
これまでは結末がどんな形になったとしても、ループすることでやりなおす事が出来た。
だから今回もそうであろうと無意識に期待していたのだが、その予想は大きく外れた。
ついにほむらは、やり直せない形でまどかを失ってしまったのであった。