空気少女の手引書   作:瀬木峰那

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第08話「初めての未知」

 暁美ほむらは、呆気なく超えられなかった壁を超えた。

 これまではワルプルギスの夜がこの一帯を滅ぼすか、鹿目まどかが最悪の魔女となってしまうため、留まる意味がなかったという理由もあったのだが。

 それでも、美樹さやかが倒れるという出来事さえ回避してしまえば、差し当たってこの世界で大きな課題となる問題は存在しない。

 

 無論、6月17日以降の本当の意味での未来については分からないが――

 

 さやかをループに引き入れたことによって宙に浮いてしまった、上条恭介の治療に関してもひとまず解決している。

 本来はさやかが魔法少女になってまで願った奇跡も、奇跡に頼らずとも強力な治癒魔法によってすぐさま完治とは行かずとも癒すことはできた。

 

 繰り返しを始めた当初、立ちふさがる終焉の象徴だったワルプルギスの夜はそもそも存在せず。

 最終的にはループを繰り返した結果、鹿目まどかが魔法少女になった時点で破滅が確定するという事態に陥っていたのも、彼女が消え去ったことで解消された。

 ――それが皮肉にも救うと決めた対象であったとしても。

 

 彼女の視点では、あの時は鹿目まどかがワルプルギスの夜を倒す流れへ向かっていた。

 そのため、これまでの経験から鹿目まどかが魔女になってしまうと考えていただろう。

 それが、鹿目まどか死亡するのではない。魔女になるのでもない。そんな例外的な展開となったのだ。

 まどかを追い求めたほむらには、世界が改変されるという結果だけを残して……

 

 この時間軸のほむらには知りようのない事だが、彼女から見て未来の世界の鹿目まどかが祈った奇跡によって、魔女の存在する並行世界全てが再構築されたのだ。

 

 その結果、書き換えられた世界での魔法少女とインキュベーターとの関係は、改変前の世界よりも友好的なものとなった。

 彼らは魔法少女が魔女化する際に生じるエネルギーが得られないためか、ノルマを達成するために契約対象の年齢を広げているようにほむらには感じられた。

 そして、魔女の代替するように存在した魔獣は、数が多い反面で魔女に比べて弱かった。

 

 そのため、付近の魔法少女たちと接触した彼女は、魔法少女の寿命が延びのではないかと推察することとなる。

 

「皮肉よね…… 救うと誓ったまどかを失ったことで、私は救われてしまっている」

 

 現状、彼女の求める相手が存在しないとはいえ、魔女との戦いや時間に追われない生活は、肉体的にも精神的にも、彼女に余裕を与えた。

 そもそも、ほむらがこのような調査をしていられたのも世界が書き換わった影響である。

 

 そして、彼女の言葉にもあったように、皮肉にもこの結末は暁美ほむらに冷静さを取り戻させる。

 少女は鹿目まどかだけに注目し、過剰と言えるほどに他者を拒み、ただでさえ狭い視野をさらに狭くしていた。

 人に頼るということを、ほぼ放棄してしまうほどに……

 

 しかし、二つの記憶が引き起こした混乱が、これまでの“鹿目まどかに依存していた暁美ほむら”としてのアイデンティティを壊した。

 人は自己同一性を確立する過程で、自分自身に多くのことを問いかけるものだ。

 その過程で少女は、自分が鹿目まどかに依存していたことに気付いてしまう。加えて、過去を振り返った結果、これまでの自分が徐々に正気を失っていたことも自覚する。

 

 それらを自覚してしまった以上、少女は支えを失ったまま繰り返しを続けることに限界を感じていた。

 だからこそ、頼らないと、理解されなくても構わないと、切り捨ててきた仲間が欲しいと願うようになったのだ。

 

「もうしばらく、まどかとの再会はお預けかしら……」

 

 少女は思う。

 物理的な意味でも、精神的な意味でも、今まで自分の世界は狭かったのだと。

 自分は中学生で、さほど交友関係が広いわけでもない。この狭い価値観が、鹿目まどかの祈る願いも大きく変わることはないと無意識に思わせていた。

 

 今にして思えば、多くのワルプルギスの夜との戦において協力者が得られなかったのも、他の魔法少女との繋がりを軽視していたからだと分かる。

 その結果が、彼女たちが魔女に倒されてしまったり、魔女化してしまったことによる、少数や自分単独での決戦なのだと。

 

 繰り返した時間の中で手に入れた知識によって、物理的な問題ならばほとんどを解決できるかも知れない。

 しかし、それだけでは精神的な要素を持つ人間を必ず救える保障はない。

 精神的な要素を持つ人間を救うためには、これまで軽視してきた人間同士の繋がりを、人間の機微を知る必要があるのだ。

 

「そろそろ、時間ね」

 

 扉を開けて、外へ踏み出す。

 梅雨に入って長く降り続いていた雨は止み、ひと時の青空が広がっている。

 少女が見上げた空には、虹がかかっていた。

 

 この時間軸への滞在は一月を超え、ほむらは本当の未来へと歩き出した。

 

     ◆

 

 夕方、川沿いの公園で幼児が地面に絵を描いている。

 その落書きを見た黒髪の少女が立ち止まると、男児は彼女の視線に気付いたのか顔を上げ、興奮した様子でしゃべりだす。

 

「まどか! まどか!」

 

 彼が指さす先には、魔法少女のような服を着た少女の落書きがある。

 ほむらはその少女が誰かを知っていた。それは、彼女が知る鹿目まどかだった。

 

「こんなところで……」

 

 これまで全く注目していなかった、鹿目まどかの弟・鹿目タツヤ。

 彼の描いた落書きは、何故か鹿目まどかが魔法少女となった姿の、その特徴を捉えていた。

 

 それは偶然だったのかもしれない。

 けれど、ほむらにはそれが運命のように感じられた。

 彼ら鹿目家の人間をずっと見ていた訳ではないが、6月16日というターニングポイントを超えた先で、初めてまどかの肖像に出会えたのだから。

 

「どうかしましたか?!」

 

 不意に声を掛けられ、彼女の意識が浮上する。

 少女の隣には、鹿目まどかの父・知久が立ち、息子を抱え上げていた。

 

 喜びを感じた彼女は、無意識のうちに涙を流してしまっていたのだ。

 さらに言えば、意識を内に向けていた時間も長く、彼女が思うよりも時間が経過していた。

 

 彼も突然泣き出してしまった彼女に、息子が何かしたのかと誤解したのだろう。

 ほむらは弁解するために、地面へ描かれた落書きを指差し、答える。

 

「いえ、この絵が…… なぜか懐かしい気がして」

 

 彼女の思いを感じ取ったのか、タツヤは再びはしゃぎだし、それに知久が慌てる。

 そんな微笑ましい日常の1コマに、彼女は笑みを浮かべていた。

 

 その後、知久と会話をしていると現れた鹿目まどかの母・詢子とも少女は話をすることになる。

 これまで直接確認する機会のなかったまどかの事を鹿目家の両親へ聞いてみたが、タツヤのイマジナリーフレンドだろうと曖昧な答えしか得られなかった。

 

 しかし、それでもいいと少女は思う。

 少なくとも今の世界に鹿目まどかは居ないのだ。

 取り返すことの出来ない、知らぬ間に消えてしまった娘を覚えているなど、両親にとっては乗り越えられない苦難でしかないだろう。

 

 故に、無理に聞き出そうとはせず、少女は家族との別れを告げる。

 

 再構築後のこの世界でも、鹿目まどかの存在を示唆する痕跡はある。

 そして、彼女を救う手立ても朧気にではあるが見えてきた。

 後は、何とかしてそれを形にするだけだ。

 

 ほむらの願いが叶うかどうかは、まだ分からない。

 けれど、この世界はきっと、まどかが願った希望を抱くことが許される世界だ。

 

 暁美ほむらは再び鹿目まどかとの繋がりを見出し、決意を新たにした。

 

     ◆

 

「それでは、魔女の発現を開始します」

 

 声に合わせて、その場の魔法少女たちが変身していく。

 彼女たちは以前にも集合場所へ選んだ廃ビルへと集まっていた。

 今回は話し合うためではなく、魔女のグリーフシードを利用して円環の理について調べるためであった。

 

 本来、円環の理は魔法少女を対象に発生するものだ。

 前例として、それを観測した美樹さやかは例外的に救うことが出来たのであって、魔法少女を犠牲にして調査することなど出来る訳がない。

 魔女も魔法少女の末路の一つである以上、あまり気分的に良いものではなかったが、致し方ないことだと割り切るしかなかった。

 

「それじゃ、行くか?」

 

 杏子がほむらと藤乃へ視線を送りつつ、声をかける。

 そして、彼女もそれに反応するように頷き応えた。

 今回の検証はこの三人の魔法を頼りにしたものだった。

 

 力尽きた魔法少女ではなく、魔女のグリーフシードであっても円環の理が発動することは確認済みだ。

 ならば、対象が魔女の場合はどうなるのか、そもそも円環の理の作用を遮断することは可能なのか、という疑問に対する回答を得るための実験である。

 

 杏子の固有魔法は幻惑。そして、藤乃のそれは一種の結界。

 その二つは魔女が標準的に備えている能力だ。

 それに因果を超える力を持った、ほむらの魔力を重ねる。

 

 それらで作り出した疑似的な魔女の結界で円環の理の影響を排除した空間を作成し、その内部で魔女のグリーフシードを孵化させる。

 その後で結界を解除することで、円環の理からの作用を確認するのだ。

 

 二人が展開した魔女結界が広がって行く。

 やがて完全に外界の景色が消え、仲間たち全員が結界の内部へ取り込まれる。

 それを確認して、ほむらは盾から魔女のグリーフシードを取り出した。

 

 魔獣のグリーフキューブとは違う丸みを帯びた形状のそれが、ほむらの手の中で胎動を始める。

 目論見通り、円環の理は発生しない。

 

「これもグリーフキューブと同じで、穢れを集めるのよね?」

 

 マミが実物を見たことのない三人を代表して尋ねる。

 ほむらとさやかは無言で首を縦に振って肯定した。

 

 グリーフシードはソウルジェムの濁りを吸い取ると同時に、魔法少女の魔力を回復する性質を持っている。

 魔法少女の視点で見れば、その二つは同じものだ。

 

 そして、吸収した穢れが一定量を超えるとグリーフシードは発芽し魔女へと変化する。

 シード――種という文字の通り、魔女の種子なのだ。

 

 グリーフシードの周囲に穢れが溢れ出し、その表面がひび割れていく。

 

「離れて!」

 

 孵化の兆候を確認したほむらが、仲間へ退避を指示する。

 全員の避難が完了するとほぼ同時に、殻を突き破るように内側から黒い塊が飛び出した。

 それはすぐに手足を生やして立ち上がり、頭部のない人間の女性のようなシルエットに変わる。

 

 魔女になる前の存在は、何と言われると思う?

 かつてインキュベーターが、魔法少女の末路として答えた存在。

 

「これが、魔女……」

 

 存在を伝えられていながら、実際にそれを見たことのない仲間たちがその存在に息を呑む。

 そのメルヘンチックな異形の化物に少女たちは呑まれていた。

 

「結界を解除して!」

 

 その様子に気付いたさやかが声を上げる。

 結界を維持していた二人がそれに気付いて結界を解除すると、皆はすぐに臨戦態勢を取った。

 

 しかし、ほむらとさやか以外の三人は、すぐに攻撃に移ることはできなかった。

 正確には攻撃対象を見失ったのだ。

 

 結界が解除されたことで円環の理が発動し、既に魔女は消失していた。

 残されたのは廃墟と、呆然としている少女たちだけだった。

 

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