空気少女の手引書   作:瀬木峰那

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第10話「一生に一度のチャンス」

 チャイムの音が授業の終わりを知らせ、教師が授業の終わりを宣言する。

 徐々に生徒の減っていく放課後の教室には、真新しい制服を着た一際目を引く長い黒髪の少女が一人。周囲の喧騒とは係わりを持たず、異彩を放っていた。

 春の大型連休も終わった5月。幾度も繰り返された一ヶ月間から二年、暁美ほむらは高校生となっていた。

 

 彼女は手早く片付けを終えると帰路に着く。

 そこまでは、魔法少女という少々の非日常を含んだ日常だった。

 普段と同じように帰宅する。それだけの筈だった……

 

 既に通いなれた通学路を歩いていたはずが、ほむらは3月まで通っていた見滝原中学校の前へとたどり着いてた。

 彼女が普段の通学路としている道上にはない、かつて通っていた中学校が目の前にある。

 

 ポケットの中のソウルジェムを確認し、不自然な仕草にならないよう注意しながら周囲をうかがう。

 彼女は、無意識にどこかへと誘導される現象を知っていた。

 同時に今はその現象が起こりえないことも知っていたが。

 

 ――“魔女の口付け”と呼ばれる目印の刻まれた人間は、魔女によって操られる。

 

 鹿目まどかの願いによる世界の改変前には、この現象によって多くの人間が魔女に食われていた。

 魔女の口付けによって操られた人間は、目印が刻まれている以外にも異常な行動を取るため判別が容易だ。

 彼女は周囲の通行人から、魔女の口付けの影響下にあるのかを確認しようとしていた。

 

「すみません」

 

 不意に背後から声がかかり、彼女は振り向く。

 

 校門の影から、様子をうかがう少女が一人。

 魔女やその使い魔、魔獣とは明らかに違う普通の人間の姿形をしており、ほむらには特に不審な人物には見えなかった。

 まるで変身した魔法少女のような姿なこと以外は。

 

 ほむらはわずかな戸惑いの後、彼女を見つめる少女へ呼びかける。

 

「私をここへ連れてきたのは、貴女?」

「正確には私じゃないですけど…… あなたがここに来た理由は多分、私ですね」

 

 一応は会話が成り立ち、魔女ではないことを確認して彼女は警戒レベルを一段下げた。

 ……この短い会話では、誰も事情の把握など出来ないだろうけれど。

 

 そして、敵対的な魔法少女である可能性も考慮してか、距離を保ったまま尋ねる。

 

「それで、私に何の用かしら?」

「えっと、あなたに……」

 

 問いかけられた少女は、そう一言発すると黙ってしまった。

 付け加えれば、何故か問いかけられた少女は顔を赤らめてもいる。

 彼女の様子にほむらが内心首を傾げていると、少女に動きが生じた。

 

 暫しの沈黙の後、少女は深呼吸をして大きく息を吸い込むと――

 

「あなたに、一生に一度のチャンスを届けに来ました!」

 

 目的を告げた。

 

 魔法少女として、それなりに特殊な経験をしてきたほむらとしても、予想外の一言に彼女は固まった。

 

     ◆

 

 少女はやはり魔法少女だったのか、いつの間にか変身を解除していた。

 さらに言えば見滝原中学校の生徒のようで、以前ほむらも着ていた制服を着用していた。彼女の後輩らしい。

 

 どこかで顔を覚えられていたのだろうかと、ほむらは思い出そうとして止める。

 暁美ほむらは、魔法少女としても、当時の見滝原中学校の生徒としても目立つ存在であり、知名度はそれなりにあった。

 彼女自身は知らなくとも、相手には知られている可能性が高い。

 

 彼女はバカバカしいと思いつつも、少女に付いてくるようジェスチャーで促すと、公園へ向けて歩き出す。

 ひとまず公園内の特に人通りの少ないベンチへと移動した二人は、話を再開した。

 

「貴女は、何かの勧誘かしら?」

「違います! 本当に一度だけ、願い事を叶える事が出来るんです!」

 

 先ほどの不自然な沈黙と赤面した様子を見れば、彼女にもおかしな事を言っている自覚があったのだろう。

 呆れ顔で放たれた言葉を、少女は強く訴えるように否定する。

 

 そして、わずかに思案顔をした後、ほむらの隣へと体をずらしてきた。

 

「……先輩もこういう奇跡は知ってるんですから、信じてください」

「私たち、初対面の筈よね」

「先輩は魔法少女としても有名人なんですよ。私も魔法少女ですから、魔法少女の友達やキュゥべえから話は聞いてました」

 

 そう言うと、少女はソウルジェムらしき物を差し出す。

 金色の台座に収められた、緑色に淡く輝く卵型の宝石。

 

 彼女の知るソウルジェムに共通する特徴を持ったそれは、確かにソウルジェムだった。

 

「……分かったわよ。確かに貴女も私も、魔法や奇跡を知っている。魔法少女であるあなたがそこまで言うのだから、一応は信用して聞いてあげるわ」

 

 その答えに満足したのか、少女は笑顔を浮かべて頷く。

 説明させていただきます、と如何にも背伸びをしているといった様子で、少女は拙い敬語を使って説明を始める。

 

「今みたいに誰にでも一生に一度のチャンスが巡って来るらしくて、これはチャンスシステムって呼ばれているみたいです。でも、願い事は必ず叶えて貰えるわけじゃないみたいで、無茶な願い事だとスルーされちゃうらしいです」

 

 チャンスシステム。

 一生に一度、願い事が叶うかもしれない機会が巡って来る仕組み。

 必ず願いが叶う訳ではない、だからこそ“チャンス”システムという呼び名が付いたのだろう。

 

「このシステムでは、私たちはこのチャンスシステムの対象者とナビゲーターらしいです。対象者は文字通りにチャンスの対象になる人。ナビゲーターは一つ前のチャンスの対象者で、次の対象者にチャンスを説明したり届けたりする人なんです」

 

 少女はそれから、と付け足すと再び魔法少女の姿に変身する。

 

 その際には当然、発光現象を伴う。

 ここは比較的人通りが少ないとはいえ、周囲に人の目がないわけではないにも拘らず。

 内心あたふたしているほむらを余所に少女は話を続ける。

 

「私は会った時も今も魔法少女に変身してましたけど、その割には注目されていなかったと思いませんか?」

 

 確かに魔法少女の姿は非常に目立つ。

 現に少女の物がデザインとしては落ち着いた物だとしても、一般的にではなく魔法少女の姿としては落ち着いたと言える程度。

 

 それを聞いたほむらは考える。それは「あなたの魔法によるものではないの?」と。

 魔法少女の魔法は、魔法少女ごとに固有の物を持つ。

 法則性は分からずとも、契約時の願いに関係した特性を持った魔法になることが多いからだ。

 

「……そうね」

「こんな風にナビは、対象者以外には極端に目立たなくて印象にも残らないんです。ナビはちょっと魔法少女と似てますね! この対象者とナビが順番に回ってくるみたいで、私のナビの人から私に、私がナビになって次は先輩にって、チャンスが巡ってきたんです…… っと!」

 

 少しはしゃぐように話していた少女は、何かに気付いたのか変身を解く。

 

 続けて、犬の散歩をしている老人の前へと倒れこんだ。

 

「むぎゅぅ」

 

 そして踏まれた。

 

「何をやっているの!」

 

 大声を上げて立ち上がったほむらに驚く老人と犬だが、暫く立ち止まっていた彼らはそのまま立ち去っていく。

 まるで少女の事など気が付いていないかの様に、若干不自然な姿勢になっていたというのに気にした様子はない。

 

 そこに無事かと問いながら駆け寄るほむらを、少女は手を差し出して押し留める。

 

「だ、大丈夫です。ナビ状態だと、今のおじいさんみたいにスルーされちゃうんです。私が魔法以外の力で目立たないようになっていること、信じてもらえましたか?」

「分かった、分かったから、さっきも言ったけれど信じて聞くから、そんな無茶なことはしないで良いわ」

 

 ほむらが本心では信じていないのを感じ取っていたのか、少女は必死に自分がナビゲーターであることを証明しようとしているようだった。

 二人は、ベンチへと戻ると話を再開した。

 

      ◆

 

「そうだ! まずは、お試しお願いを試してみませんか? 一生に一度のチャンスなんて言われても信じられない人が多いですから、そういう人のためにお試しお願いがあるんです。本番だと無視されるような願い事でも、お試しなら叶うらしいのでチャンスが本当にあることが実感できると思います」

 

 ほむらが少女の話を信じられない理由は、やはり一生に一度のチャンスなどと言われた所でそのチャンスを信じることが出来ないからだろう。

 ある意味では一生に一度、奇跡を叶えるチャンスともいえる魔法少女の契約は本当に奇跡を起こすことは出来たけれど、その結果は散々な物だったのだから。

 

 ほむらは少女では叶えられないような願いを願う事に決めた。

 

「私とおでこを合わせて、願い事を念じてください」

 

 二人は額を合わせて、ほむらのお試しお願いを行使した。

 

「何も変わらないみたいだけれど……」

「何を願ったんですか?」

「……どこかへ消えてしまった友人に会いたいと願ったわ」

 

 ほむらと仲間以外には知る存在のいない鹿目まどかに関する願いならば、彼女自身の願いから直接叶えるか超常的な存在にしか叶えることは出来ない。

 そして、彼女はその中でもある程度は叶えられる可能性があると考えられる願いを願った。

 

「願いが叶ってもすぐには結果が分からないかも知れません。私の時はすぐに分かりましたけど…… 無理だった場合ってどうやって分かるんだろう……」

 

 その後二人でしばらく待ってみたが、鹿目まどかは現れない。

 ほむらの様子から会えるならそれほどかからないのだろうと察した少女は、手帳のような物を片手に暫く唸る。

 

 彼女の願った会いたい友人――鹿目まどかは、恐らく人としては存在していない。

 最後に彼女を見た状況から、ほむらはまどかが実体をなくして偏在する現象と化したと考えていた。

 すなわち、彼女自身が円環の理であるという仮説にたどり着いていた。

 

 今のまどかに時間や距離は関係がないはずであり、会いたいと言う願いが叶っていればすぐにでも合えるはずである。

 つまりは。

 

 ――スルーされた。

 

 お試しのチャンスでは、システムを信用させるために余程の願いでなければ叶えられるが、あまりにも無茶な願いはスルーされる。

 

「……本番のお願いをすれば、これも終わるのでしょう?」

 

 はい、と落胆した様子で少女は頷き、肯定の意思を伝える。

 最早ほむらにチャンスシステムを信じる気持ちがなくなっていることを悟ったのか、素直に額を出して待っている。

 

 ほむらはまぶたを閉じて額を合わせる。

 以前の願いは望む結果は得られなくとも一応は願いが叶う物だった。

 その奇跡を知る同じ魔法少女の言う奇跡に彼女は少しだけ期待していたのだ。

 

 何も起こらない。

 

 ――スルーされた。

 

 一生に一度のチャンスでは、無茶な願いはスルーされる。

 

 少女は勢い良く顔を上げると、何事かを呟いて走り去っていく。ほむらの静止の声が聞こえないかのように無視して。

 

「何なのよ……」

 

 ほむらは帰って不貞寝した。

 

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