「あなたは個性が芽生えてしまったのでしょう? なら、名前をつけましょう」
マミが、優しく微笑みながら提案する。
インキュベーターは個々の感情を持たない、全体で一つの群体と言うべき存在だ。
個体識別のための名前は、共に行動する魔法少女が付けない限り基本的には存在しない。
「別にキュゥべえのままでも良くないかよ?」
しかし、杏子は首を傾げて疑問を呈した。
彼女には、インキュベーターを改名することに対する抵抗感があるようだった。
彼女が言いたいことは、他の仲間にも理解できることだ。
確かにキュゥべえという名前は、魔法少女全員に馴染みがある。
しかし、その名前は彼らインキュベーターの総称であり、個別の名称ではないのだ。
「それじゃあ、他のキュゥべえと区別が付かないじゃない」
ほむらは、杏子の気持ちを理解しながらも反論する。
インキュベーターでも明確に別の個体が存在する以上、区別を付ける必要はあるのだ。
「それもそうか…… 何匹も居たらどれのこと言ってるか分かんなくなるしなぁ……」
杏子は納得しつつも悩み始めた。
それは、彼らの外見に差異が見られない故に生じた問題だった。
『コンすけじゃダメかな?』
不意に聞こえた声の主は、鹿目まどかだった。
彼女の発言は、インキュベーターの名前の件で出された意見だ。
「まどか?!」
さやかが驚いた様子で、少女の名を呼ぶ。
彼女にとっては、完全に予想外の人物からの申し出であったからだ。
虚空から現れた少女に、一同は驚きを隠せない表情をしていた。
現れた彼女は気まずそうな顔をしながら、助けを求めるように視線をさまよわせる。
「ナビゲーターの魔法少女は、円環の理になってしまった彼女が見えるのよ」
そんな彼女を庇うように言葉を掛けたのは、ほむらだった。
突然の出現に戸惑っていた少女たちに、ナビ状態の経験者として事態を説明する。
「私と美樹さん以外には初対面になるのかしら? 彼女が鹿目まどかよ」
彼女は、まどかに自己紹介を促すように言葉を続ける。
その言葉に促されて、まどかはおずおずと口を開いた。
『えっと、初めまして……。鹿目まどかです。よろしくお願いします』
ぺこりと頭を下げて挨拶をする。
その仕草は、神々しいとすら表現できる出で立ちの印象からは、かけ離れたものに見えた。
そんな普通の少女である彼女が、円環の理という超常の存在そのものであることなど、想像すら出来ないだろう。
「まどかちゃんが居るんすか?」
まどかを認識することの出来ないすみれが声を上げる。
彼女は魔法少女ではあるが、ナビ状態という特殊な状態ではないためだ。
「お久しぶりっすね! 入間すみれっす!」
その様子を見て、つられて魔法少女たちも戸惑いながらも挨拶を返していく。
しかし、彼女の存在を全く知らなかった彼は、驚き呆然としていた。
「彼女が円環の理だって?! キミたちは一体何を言っているんだい?!」
キュウべえは困惑しながら、彼女を見つめる。
その存在を知らされていないインキュベーターにとって、まさに寝耳に水の出来事であった。
『そんな事より、本題の名前だよ』
キュウべえの言葉を遮り、まどかが会話の流れを引き戻す。
「そんな事?!」
キュウべえは、自身の扱いにショックを受けているようだった。
けれど、彼の抗議の声も無視して、まどかは話題の転換を図る。
『キュウべえは孵卵器――インキュベーターから名前を取ったんだよね? 孵卵器って温度を一定に保つ物なんだけど、それが壊れちゃったなら一定じゃなくなるって事だよね?』
キュゥべえを黙らせると、まどかはインキュベーターに語り掛ける。
確かに、彼らは自分たちを魔女を孵化させる存在として孵卵器から取った名を名乗っている。
『だから一定の否定形――インコンスタントから取って、コンすけはどうかなって』
その提案を受けて、インキュベーターは思考を巡らす。
感情を持ってしまった彼は、
彼女たち魔法少女の庇護下に居なければ、不本意にも獲得してしまった個は消滅する。
自己保存という意味において、この提案には大きな意味がある。
キュウべえは、少し考えた後で、コクリとうなずく。
「まあ、それでボクは構わないよ……」
インキュベーターは、諦めたような口調で返事をした。
感情を持ってしまった彼としては、自分の生存がかかった提案だ。
余程受け入れ難い内容でない限り、拒否する理由もない。
「じゃあ彼の名前は、コンすけね! よろしく、コンすけ」
マミが笑顔を浮かべながら、コンすけに呼びかける。
彼女に続いて、魔法少女たちも彼の名前を呼んだ。
こうして、インキュベーター改め、キュゥべえ改め、コンすけが誕生した。
◆
「一度話したと思うけれど、私たちの目的は魔法少女のシステムを破棄して別のシステムへの置き換える事。そのためにあなたたちの協力が必要なの」
ほむらが、すみれとコンすけに説明を行う。
しかし、彼はその目的に懐疑的な態度を示した。
「確かに魔法少女のシステムが不完全なものであることは分かった。けれど、破壊までする必要はあるのかい?」
彼らの目的は、あくまで宇宙の寿命の延長である。
それ故に、システムの改善は望む所だとしても廃止までは選択肢にないのだ。
コンすけの反応を見て、マミが発言する。
「破壊というのも厳密には目的ではなく手段なの。円環の理になったまどかさんを人間に戻すのが目的で、別の手段を用意するというのはあなたたちへのメリットを提示したに過ぎないわ」
それは、コンすけに反論するためのものではなく、彼女たちの考えを伝えるためのものだろう。
改変前の世界でも、鹿目まどかは自分の意思だけで世界を変えるという願いを叶えた。
魔法少女となる少女の同意さえあれば、契約者である彼らの意思を差し置いて魔法少女の契約は成立してしまうのだから。
それは彼女たちなりの誠意であり、同時に彼らインキュベーターに対する感謝の現れだったのだろう。
彼女からの説明を受け、コンすけはしばらく考え込むように沈黙を続けた。
そして、小さくうなずいてから口を開く。
「分かったよ。それでボクには何をして欲しいんだい?」
彼の答えは、肯定だった。
それを確認してから、さやかは言葉を続ける。
「魔法少女の代わりになる仕組みの解析と、そのシステムの構築に協力してほしいの。つまりコンすけ、あんたが新しいシステムの土台を作るのよ」
さやかの発言に、コンすけとすみれは驚きの表情を見せる。
そんな二人の様子を気にすることなく、杏子が話を引き継いでさらに続けた。
「あたしらは契約で奇跡を起こせるけど、それだけだ。宇宙の寿命なんて知ったこっちゃない。でも、お前らは違う。宇宙の寿命を延ばすって目的もあって、そのための知識も技術もあるはずだろ?」
彼女の言う通り、インキュベーターという種族は宇宙の延命を課せられた使命として存在している。
そのためのシステムの維持運営、その仕事はインキュベーターにしか出来ないことなのだ。
その事実を突きつけられたコンすけは、観念したように息を吐く。
「確かに、ボクらの望みを叶えるためには必要な事なのだろうね…… それにしてもキミたちは、どうしてそこまでしてくれるんだい?」
そう言って、彼は不思議そうな視線を向けた。
彼らインキュベーターは、人間とは価値観を共有できない。
そのことは、感情を持った彼だからこそ、一層強く実感したことだろう。
自分たちインキュベーターの願いを無視して、彼女たちだけの願いを叶えても良かったはずだ。
なのに何故、目の前の少女達は自分を助けようとするのか。
その疑問を向けられた少女たちは顔を見合わせる。
それから、代表するようにほむらが返答を口にする。
「あなたたちの目的のためだったとしても、私たちがあなたたちのおかげで救われたことは確かだもの」
彼女は、ただ一言、その言葉を告げる。
そのシンプルな回答は、コンすけにとっては意外だったらしい。
彼は、しばし呆然とした後で、照れくささを誤魔化すように目をそらした。
◆
コンすけが、魔法少女たちとの協力体制を承諾して数日後。
魔法少女たちは、彼に呼び出されて、マミの自宅へと訪れていた。
「端的に言えば、チャンスシステムを模倣したシステムの雛型は完成したよ。後はテストを繰り返して精度を上げるだけだね」
コンすけの言葉を聞いて、魔法少女たちは安堵の表情を浮かべる。
これでようやく、まどかを助ける準備が進められると喜び合った。
そんな中で、コンすけは説明を付け足していく。
「と言っても、ほとんどは元のチャンスシステムのままなんだけれどね」
彼は、そう前置きすると、少しだけ複雑な説明を始めた。
まずは、チャンスシステムについてだ。
チャンスシステムは恐らく、元からこの世界にあったシステムで運用する
それを彼らインキュベーターが便乗して利用するために、新たな窓口を作ったに過ぎない。
チャンスシステムが宇宙の寿命を延ばすためのシステムだったのかは、この宇宙の中の存在である彼らには分からない。
そうだとすれば、魔法少女のシステムを運用していたことが間違いだったのかもしれない。
「だけど、魔獣の存在はキミらにとっては脅威ではないのかな?」
魔法少女のシステムを破棄する以上、魔法少女の敵――魔獣はどうするのかという問い。
それを受けて、まどかが返答する。
『あれは、私の願いが世界を書き換えた事と、魔女を消し去った事で魔女の代わりに産み出された存在だよ。だから、世界の歪みとソウルジェムが無くなれば――物質化した穢れが無くなれば現れなくなる』
まどかが説明を終えると、コンすけは納得した様子を見せた。
魔法少女が力を使い果たすと、彼女たちの魂は消滅する。
だが、それは逆に言うならば、彼女たちのソウルジェムに集まった穢れは行き先を失くすという事だ。
その行き場を失った穢れは、そのまま魔獣という形で顕現する。
「なるほど、魔獣は人類の負の感情から生まれたのではなく、浄化されずに残った穢れが世界の修正力として産んだ存在。魔女にしても、魔獣にしても、ボクらが作り出した敵だったのか……」
コンすけは、まどかの説明に感心したような声を上げた。
彼らが作り出した魔女はともかく、魔獣の存在理由を知って彼は驚きに目を見開く。
そんな彼に、さやかが問いかけた。
「それで、そのシステムのデータは用意できたの?」
さやかの言葉に、コンすけはうなずくと、言葉を続けた。
「ボクのデータを渡すよ。ボクの経験によってテクノロジーは飛躍的に進歩した。これなら魔女と言う存在も、ソウルジェムとして魂を抜き取る必要もない。魔法少女のシステムは必要なくなる。それでキミたちの願いを、叶えてくれないかな」
コンすけがそういうと、彼の姿が光に包まれる。
光が収まると、彼の目の前には真っ白なソウルジェムのようなものが浮かんでいた。
彼が用意したデータの中には、彼らの研究の成果である新しいシステムの雛形が存在する。
それを、マミが受け取って、仲間たちの前に差し出した。
「これで準備は整ったわね」
マミの言葉に続いて、魔法少女たちは顔を見合わせる。
そして、二人が同時に口を開いた。
「
「
今度こそ本当に、この歪んだ何もかもを終わらせるために……