その少女は、白い壁を見ていた。ずっと――
年頃は小学生程の、顔色の悪く肌も病的な白さをした少女が一人。病室のベッドに腰かけている。
余程のことがなければ他人が立ち入ることはない、彼女一人の部屋。
少女には、隔離された環境が必要だった。
ここ数年、彼女にとっては病院が日常だった。
「こんにちは」
高校生ほどの年頃の少年が、病室へと入ってくる。
少女はその声にわずかに体を震わせたが、少年の顔を確認するとおずおずと顔を上げた。
彼に彼女との接点はない。正確には、先週までと来週からの接点は恐らくない。
本来なら、彼は入室すら許可されることのない関係だった。
「決まった? 本番のお願い」
少年にそう問いかけられた少女は、うつむき目を逸らして頷く。
この少女と少年は、チャンスシステムと呼ばれる超自然的なシステムの“対象者”――チャンスの対象者と、“ナビゲーター”――対象者へシステムの説明や願いの受理を行う者だ。
チャンスシステムによって与えられるチャンスには、システムを対象者に理解させるための“お試しお願い”と、本番の“本お願い”がある。彼女はその本お願いが決められずに、システムの期限である7日目まで悩んでいた。
「……決まり、ました」
分かった。そう短く答えた少年は、少女と額を合わせる。
それが彼にとっては解放とも、特殊な状態の終わりとも言えるそのシステムでの最後の儀式。
チャンスの受理だ。
少女が願いを思い浮かべると、彼女の願いは受理された。
その直後、彼女のナビゲーターであった少年は、目を開くと周囲を見回してから首を傾げた後、院外へと駆けて行く。
その様子を見送った少女はベッドへ横たわり、机の上に置かれた手帳を確認する。
いつからかナビゲーターたちの持ち物となっていた、チャンスシステムのマニュアルだ。
「明日から……わたしがナビをする、んですよね」
そう一言、確認するように呟くと彼女は体を横たえて眠りについた。
翌日、起床した少女は病院着から普段着へ着替えると病室を後にする。
彼女が病院から勝手に抜け出そうとしているにも関わらず、院内に引き留める者はいない。
昨日までは少年が務めていた、ナビゲーターと呼ばれる状態にある証拠だ。
顔を真っ青にした少女は、それを確認すると胸に手を当てため息をつく。
「外は、久しぶりだな……」
少女にとって外出は入院して以来、初めてのこと。
ナビゲーターという特殊な状態が、彼女の恐怖心を抑えていた。誰からも関心を向けられない、対象者以外には認識されないと言うわずかな安らぎによって。
外出許可のない筈の少女は、誰に止められることもなく街へと飛び出して行った。
次の誰かを導くために。
◆
少女がナビゲーターとなって7日目、少女の姿は街中にあった。
彼女のナビゲートするチャンスの対象者は、彼女より少し年上の少女――付け加えれば、魔法少女だった。
魔法少女の魔法力に関する素質は、魔法少女候補の能力や精神よりも因果の量によって決められる。
一方で素質とは関係なく、強い願いを必要とするため、彼女たちには何かを失った者が多い。
魔法少女の多くは不幸、不運と言った負の巡り合わせに遭遇した少女である。
これは、魔法少女となるためにはエントロピーを凌駕する程の願い――渇望がなければいけないために、精神性による選別がなされた結果だ。
そして、この少女も幼い精神を破綻させるに至った程度には何かが欠けていた。彼女にも、魔法少女となる素質があったのだ。
外界を知らない彼女には強い願いはあっても、自覚をしていなかったためにキュゥべえと名乗る魔法少女の契約者との契約に踏み切ってはいなかったが。
「ナビゲーターなら、魔獣にも襲われなんじゃない?」
そのことを知った対象者のそんな閃きが、少女を魔獣との戦いへ連れて行くこととなり、魔法少女の生活を安全に体験させる結果となった。
魔法少女として、少女の対象者は非常に優秀だった。
そんな様子を見続けたことで、彼女には魔法少女というものに淡い憧れが生まれた。
加えて、対象者の仲間が円環の理によって消失し、続けて魔法少女の真実を知ったことにより少女は狂喜した。
それ以降、彼女はチャンスの対象者に本お願いの受理延期を願いと、魔法少女の契約を行いたいと願っていた。
「キュゥべえたちには、契約内容を知られたくないです。だから、魔法少女の契約は私がナビの間じゃないと意味がないんです」
「それは無理じゃないかな? ナビ状態じゃ、私以外とはまともに話も出来ないみたいだし……」
少女もナビゲーター状態では、空気な状態になることを理解している。
対象者以外の人間、付け加えるとインキュベーターからも認識されない事も。
だからこそ、彼女の計画には対象者と言う、彼女と話す事が可能な協力者が必要不可欠だった。
「ええ、だから代わりにあなたにキュゥべえと話をして欲しいんです」
少女の計画には、いくつかの条件があった。
魔法少女以外の存在に悪用されるのを防ぐため、魔法少女の契約時に願う奇跡はインキュベーターたちに知られては意味がない。
そんな彼女の無茶な希望も、対象者である魔法少女がキュゥべえとの通訳として働くことで解決する。
「この子と契約して欲しいの」
ナビ状態では、インキュベーターから認識されない。
これでは、契約を望んでいても向こうから契約を結びに来ることはない。
その問題を解決するために、魔法少女である対象者が彼らを呼び出し、契約を希望する少女との契約の仲介を行う。
「え……、ああ、そうだね」
生返事を返すだけでインキュベーターは動かない。
「この子と、契約して欲しいのっ!」
「あ、ああ、契約だね」
依然として、インキュベーターは動かない。
対象者は、少女を契約希望者として彼に話してはいる。
しかし、少女がナビゲーターであるために彼女は正しく認識されておらず、インキュベーターは正常な対応ができないのだ。
「私と契約してください! 魔法少女の契約を」
「この子と契約しあげてっ!」
物は試しと、対象者の少女と契約希望者本人の二人がかりで話しかける。
すると、ようやく少女にインキュベーターの視線が向く。
「……ああ、分かったよ」
感情のない筈のインキュベーターが上の空で契約を開始すると、少女から光が放たれだし契約が始まった。
本来の契約時よりも頼りない輝きをしばらく放った後、彼女の胸からソウルジェムが生まれ魔法少女の契約は成立する。
インキュベーターは漫然とした契約を終えると、釈然としない様子で対象者の魔法少女に別れを告げて去って行った。
対象者の少女の協力を得て、彼女は願いを果たした。
鹿目まどかによる改変前の世界なら、彼女は魔法少女の契約前にある魔女に食われていた筈だった。破綻していたから。
鹿目まどかの奇跡によって起こすことが出来た、ある意味では暁美ほむらの願いにも似た、忘却される運命にある奇跡が成立する。
少女の願った魔法少女たちがやり直すための奇跡が――