【chain saw man】
「乗りな、坊」
夕闇に響いた祖父の声に頷く。
ボンはクリームパンやらおにぎりやらなんやらを袋ごと投げ渡した。
「それじゃデンジ、元気でな。また持ってくるからちゃんと食えよ」
「ボンさん、あんがとなー!」
『ワンッ!』
返事を背中に車に乗り込む。多分、デンジは手を振ってる。ポチタも尻尾を振ってるだろう。
「また犬に餌やってたのか」
「……残りモン食わせてただけだよ。犬でも人でもメシ食わせないでいい働きはしないでしょ」
ガイコツに皮張ったみたいな身体でデビルハンターを出来てる今が異常なのだ。
だからメシをやるのは雇い主として当然だ。自分と祖父の両方に言い聞かせる。
「はぁ〜〜〜。坊、おめぇはいい子だ。頭もいいし、性格もいい。俺の孫だから顔もいい」
長いため息と共に長いお説教が始まった。ヤクザ教のお教えである。神妙に仁義を切り給え。
「けど甘ぇ。いいか、ヤクザに借金するような奴はクズだ。まともなら俺らに借金はしねえよ」
「だから飴を舐めさせたって恩を覚えねえ。こっちを舐めてつけあがるだけだ」
「まず鞭。それから鞭。そんでよく働くなら鞭を少し減らす。逆らうなら鞭をたっぷり増やす。それが犬の躾ってもんだ」
多重債務者がそういう人間ばかりなのかはよく知らない。知ってるのはデンジくらいだ。
「デンジが借金したわけじゃないだろ」
「蛙の子は蛙ってやつだ。クズの親に育てられたらどうせクズになる」
なるほど、自分もクズ予定のオタマジャクシか。口には出さず、窓の外へ視線を向ける。
「そっか」
あの娘もそうなのだろうか。オタマジャクシみたいな黒目をしてた。死んだ蛙の卵みたいに濁った目だった。
祖父の紹介で初風俗。脱童貞だと小躍りで行った。あの目が出てきた。萎える。萎えた。勃たなかった。
親の借金で沈められた義務教育の歳相手。機能するはずもない。機能しなくてよかった。
でも、仕事ができなきゃ殴られると震えてた。もう死んだ方がマシだと泣いていた。
「死んだ方がマシ、か……」
────
……にたくないっ! 死にたくないっ! 死にたくないぃっ!!』
湯気の出てる内臓が溢れ出る。片手だからかき集めて押し込んでもまた飛び出す。右手はどこに落としたっけ。
『死ニタクナイノ? 死ニタクナイノネ。死ニタクナイヨネ!』
メビウスの輪で出来たチェインメイル。嘲りの目玉が隙間から幾つも見てる。縦に割れた口が乱杭歯で嗤う。
創作。漫画。チェンソーマン。悪魔。
幻想。妄想。白昼夢。死に際の譫妄。
でも死にたくなかった。だから契約を交わした。代価は……
────
「……ッ!」
頭を降って記憶を追い出す。死ぬ前なんて思い出したくない。死ぬのは嫌だ。一度で充分。二度とゴメンだ。死にたくない。
「どうした、坊?」
「大丈夫、ヤなこと思い出しただけ」
思考の軌道を無理矢理修正する。あの時あの子に何したっけ。
そうだ。何もできなかった。何も言えなかった。デンジを前にした時と同じだった。
だから口裏合わせると約束して、小遣いの万札を握らせた。店に奪われてなきゃいいんだが。
「そういや剣道はまだ続けてるのか? 大会とか出たのか?」
「続けてるよ、大会は出てないけど」
ポチタがチェンソーの悪魔である以上、いずれマキマは来る。その時のために、巻き込まれないように、ひたすらに剣を鍛えている。
役に立つだろうか。多分無駄だろう。でも縋れそうなものは他に思いつかなかった。
いや、もう一つ。破茶滅茶で強く、無茶苦茶に強く、滅茶苦茶が強い奴がいる。
デンジだ。
【chain saw man】
【chain saw man】
「ポチタ、気合い入れろよ。クリームパンまた食えるかもしんねぇぞ!」
「ワンッ!」
ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ
スターターの尻尾を引いて、ポチタのチェーンソーが周り出す。
『ピィィィ!』
怯えたのか。興奮したのか。はたまたその両方か。ピーマンの悪魔が太いツタで鎌首をもたげる。
鱗じみた葉と実を震わせて、巨大な頭部を四つに開いた。子供が大嫌いな悪魔ナンバーワンは一気に突っ込んだ。
ボグン
悪魔は土を存分に噛み締める。肉の味はしない。味わう予定の肉は30センチ横でチェンソーを振り上げている。
「そりゃあ!」
『ピィィィ!?』
ギィィィン
食い込んだチェンソーから血の味が満ちた。怯えた悪魔は頭を振り回す。
だがチェンソーもデンジも離れてはくれない。ますます回転刃をねじ込む。
『ピィィィ! ピィィィ!』
「クリームパンなんだよ! 死ねえ!」
あまりの痛みにピーマンの悪魔が悲鳴を上げる。苦痛に反応したのか、表面の実がボロボロと落ちた。爆ぜた。
パァン パァン
「苦ぇ!? 苦ぇ!」
殺意も吹っ飛ぶ驚きの苦さ。皮膚に触れただけでデンジの口の中は苦味でいっぱいだ。ポチタも苦かったのか半ベソをかいてる。
「クソ! 今はクリームパンの口なのに!」
『ピィィィ!』
ビュオッ
気の抜けた悪態に向けて、ツルの鞭が振り抜かれた。デンジは敢えて避けない。チェンソーの刃がツルにガッチリと食い込む。
「俺もポチタも苦ぇのヤだからよぉ〜
一発で殺してやるぜぇーッ!」
ギィィィィィィンッ
チェンソーが回る。ツタをレールにデンジが加速する。
チェンソーが回る。カタパルトのように一人と一匹が飛び出す。
チェンソーが回る。重力加速度+チェンソー=真っ二つ。
ギュィィィィィィィィッッッ
『ピィィィィィィ!!?』
「今日はクリームパンだぁぁぁっ!」
悪魔でも頭から両断されて生きてられる筈もない。ピーマンの悪魔は当然死んだ。
因みにデンジに渡したのはジャムパンだった。すごく微妙な顔をされた。
────
デンジは強い。生身でも強かった。
骨と皮の身で、ポチタだけを武器に、悪魔を降してみせた。
その上、デンジは祖父が謳った理屈の例外だ。
どうしようもない処はあるが、どうしようもない環境で育ちながらも、どうしようとも善性は失われなかった。
今までのメシ分の恩義、そしてメシの種として善意を持って動けば、デンジは味方になってくれるだろう。
だがデンジこそ……正しくはデンジではないが……マキマの標的なのだ。
デンジを頼りとすれば必ず目をつけられる。支配されて、駒にされて、死なされる。
死にたくない。
例え何をしてでも死にたくない。
誰を踏み躙っても死にたくない。
全てはそこに行き着く。
つまりはこうだ。
「やっぱオタマジャクシだな」
【chain saw man】