「ええ」私は強くうなずいた。
「私は信じる」
「それがお前の信仰か?」
「ええ」
――山本弘『神は沈黙せず』
死傷者の救助作業を手伝っていたトロイホース隊に、ゴップ元帥から連絡が入ったのは、トリントン襲撃の日没後であった。
疲労を強く感じる体にむち打ちながら、マッケンジー少佐が応対する。
『派手にやられたな。損害報告は確認済みだ。ヤザン隊、シャニーナ隊それぞれの損耗人員の補充は宇宙で受けてくれたまえ』
ゴップ元帥から送られてきた命令書には、ルナⅡで補充のパイロットと資材、機体を受け取り、そのままワイアット大将の特務分遣艦隊の支援に当たれとの指示であった。
トロイホース一隻加わったところでワイアット大将の支援になるのか疑問ではあったが、ゴップの続く言葉によって理解した。
『ペガサス級のスパルタン、そしてコロンブス級空母フゲンとも合流だ。艦隊指揮権はモニカ・ハンフリー大佐にわたす。マッケンジー少佐はトロイホースの面倒を見つつ、艦隊のMS運用幕僚としてハンフリー大佐を支えたまえ』
「はっ。質問事項、一点」
『なにかね?』
「艦隊MS幕僚はシン大尉のほうが適任では? 彼はその方面では頼れる士官です」
『いや、彼には艦隊の増強MS大隊長に就任してもらう。君の助言に基づきハンフリー大佐が命令を下し、遂行するのはシン大尉となる』
「了解。これよりトロイホースは任務にあたります」
『うむ。かかれ』
「かかります」
通信を終えて、艦長席の背もたれに身を預けるマッケンジー艦長。
(かつてゴップ元帥が直々に乗り込んで、南洋同盟の連邦政府加盟工作をしていたスパルタンが合流――、これも厄介な仕事になりそうね)
マッケンジー少佐はウンザリだった。これほどまでに政治に絡みつかれる任務をやることになるとは思ってもいなかった。下手に指揮幕僚課程などに進むのではなく、上級幹部課程に進んで、地方のMS大隊をビシバシ鍛えているほうが肌に合っていたのではないか? とすら思えてくる。
(はぁ……あなたが恋しいわ、バーニィ)
何も考えず、彼とキッチンで紅茶でも入れてシフォンケーキを二人でつまみたかった。
夜空を強行軍してオーストラリア、チャールビル基地にたどり着いたトロイホースは、即ドック入り。
大気圏離脱用ロケットシステムの増設作業を受けている。
本来、ペガサス級は無改修で大気圏離脱が可能なのだが、宇宙での戦闘に備え、推進剤に余力を持たせたいという主計将校の具申を受け入れる形となった。
数時間以内に作業を終えて、一路宇宙の旅へ、との予定だ。
乗組員たちは完全休息ということで、一人を除いて全員が睡眠。
睡眠時間をゴップ元帥に奪われているのは、シン大尉だけであった。
艦長室の隣の手狭な士官居室にて、シン大尉はジャブローの狸と秘匿通信を行っていた。
「は? サイコ・フレームの基礎技術は木星に?」
『なーにをすっとぼけておる。逆襲のギガンティスを思い出せ』
あ(察し)。これは大変なことになってしまったぞ、と慌てつつも、まさかサイコ・フレームが木星の衛星ガニメデにあるアレから回収された物をリバースエンジニアリングして生み出される模造品だとは、たまげたなぁ。
『先ごろまでレビルのやつを詰めていてな――ようやく吐いたよ。モーラ・バシットの助言に従い、ジュピトリスにシロッコ少佐率いるガニメデ特別調査艦隊を随行させているそうだ。UC0080年時点でな。我々がジムでガンダムを倒すお遊戯をしていたころだ――ぬかったよ! 完全に私のミスだっ! ガンダム開発計画も南洋同盟事変も、レビルが私の目をそらすために用意した偽装工作だと気づけなかった!』
ゴップ元帥が珍しく語気を荒げている。すでに現地では発掘作業と基礎研究が始まっているそうなので、後手に回ったゴップ大将が今から手を出そうにも無理だ。片道1年半から2年かかるため、時間の壁に阻まれているのだ。
『してやられたよ。GP02にジオン系の技術が流れ込んでいることも撒き餌だった。私の興味を引くためのな……。まんまと釣られた私は、アナハイム系企業集団とジオニック系企業集団との間にトラストを作り上げて、両社ともに寡占市場を形成して価格操縦をもくろんでいるのだなどとのんきに考え、経済ゲームの監視に力を割いてしまった。失態だ。大局を見る機会を見逃していたのだよ』
結論を言えば、ガンダム開発計画なんてどうでもいいことだったのだ。
すべてはシロッコを木星に送るという一大作戦をゴップに邪魔されぬようにレビル将軍が打った芝居でしかなかった。
『――下らんミクロ経済ゲームにつられて、大局を見誤った私を笑うか?』
「笑っちゃいますね。で、どうします? 我がゴップ閣下は泣き言を自分にこぼすために通信を入れるようなレディじゃない」
パワーゲームに珍しく負けたゴップが、いまモーラさんを奪われてピンチなレビル将軍をどう虐めているのか気がかりではあったが、それ以上に木星の巨大なジムのほうが大問題であるし、ゴップ閣下が読めなかったことをあれこれ話し合っても意味がない。
「えっと、しかもモーラさんは黒歴史の技術を理解しているやばいガノタなのですよね?」
『やつは時の魔女だ。世界線を渡り歩く怨霊といってもいい。数多の滅びゆく人類史の中から、最後の可能性、未来へとつながる世界線を見つけるべく、はるか未来から送り出された『ターン計画』の工作員たるガノタだな』
え、なにそれ? 同じガノタなのに設定違いすぎませんか自分と、とガニメデに埋まっている巨人に抗議したくなる。
「そんだけヤバいやつだって知ってて、なんで放置したんですか!?」
『打つ手がないからだっ。モーラを消したところで、やつは別の人物に情報転写するだけだ。ホワイトベースの調理担当だったタムラにでも成り代わって、ジャブローの将官共の胃袋をつかみながら暗躍するシナリオだってありうる』
「ほ、本質的に倒せないガノタじゃないですかぁ……」
クラウンはまだまだかわいいほうだったのだ。少なくとも、やつは殺せば死ぬ。
『――君は、ターンエーガンダムがテレポートするのを覚えているかね?』
「あ、はい。劇場版Ⅱの月での話ですね」
『あの技術の亜種で、やつは世界線移動を繰り返している。モーラの中のガノタは我々と違い、映像作品やその他創作物を愛してきたフィクション系ガノタではない。ホンモノのガンダムの世界を幾度となく旅してきたリアル系ガノタと言ってもいい。『ターン計画』が失敗し、いかなる世界の可能性もないとわかったとき、人類はターンエーとターンエックスの決闘によるデウスエクスマキナを選択するか、ガニメデの優しい巨人を使い、すべてをリセットする』
大事過ぎて、これは調教済みのガノタでないと飲み込めない話になってきたぞ、とシン大尉はおののいた。
「そこまで知ってて……あなたって人は……なんで、モーラさんを手元に置こうとしなかったんですか」
『気に食わないからよ。あたしたちの未来は、あたしたちが選んでいくものでしょ? これが最善の手だ、なんて神の見えざる手に翻弄されるなんて、最悪だわ。あたしは、そんな運命を否定する。あたしは他人を縛るのは好きだけど、他人に縛られるのは嫌いな女なのよ』
まさかの感情論。しかも素が出ているが、シン大尉は口を挟めなかった。
なぜだろうか。
いま、ゴップ元帥から凛とした何かを感じてしまい、シン大尉は目を離せないのだ。
『一つ、あんたに約束してあげる。あたしたちなら、出来るわ。イデが出てこようが、未来人が介入してようが関係ない。あたしたちで見つけるの。たった一つの冴えたやり方ってやつを』
そうだ。
自分たちはガノタ。
ガノタならは、未来につながる可能性がある世界線をつくる、たった一つの冴えたやり方をみつけることくらい――できらぁ!
「やりましょう、必ず」
『ええ。これがあたしたちの約束。ガノタの誓いね』
ゴップ閣下の掌がモニターに映る。
シン大尉はそこに手を重ねる。
これが二人の誓い。
決して離れられぬ、未来のための契りが交わされたのである。
眼下に広がる地球を、トロイホースのブリッジクルーたちは格別の感をもって眺めている。上昇第二段階を終えて、増設ロケットを切り離し、まもなく地球軌道に乗る。
ここからはルナⅡに進路を向け、淡々と進むだけだ。
無論、ジオンのアフリカ方面や北米方面の連絡路を維持するために展開するジオン艦隊がいるエリアは回避する。
建前上休戦協定は破られていないことになっているからだ。
ジオンによるトリントン基地強襲も、偽装されているはずだ。
今頃はトリントン基地で大規模な事故が起き、放射能漏れが起きているという別の大騒動に仕立て上げられているだろう。
「艦長、合流予定のスパルタンのハンフリー大佐から通信が入っています」
通信席からの転送を受けて、マッケンジー艦長は艦長席で対応する。
『お久しぶりね、マッケンジー少佐』
かつてNT-1の開発に従事していたころに、面識はある。連邦におけるニュータイプ研究に最初期から関与していたモニカ・ハンフリー大佐からもたらされる様々なデータをもとに、NT-1の調整を行ったからだ。
「ご無沙汰しております、ハンフリー大佐」
『元気そうね。スパルタンは先にルナⅡに到着する予定よ。あなたたちを待っている間、ワイアット大将とプレミーティングを済ませておくわ』
「はっ。よろしくお願いします」
将官とのやり取りは、大先輩であるモニカ・ハンフリー大佐のほうが経験豊富だ。
若輩者であるこちらが緊張してあれこれするよりも、あちらに地ならしをしておいてもらうほうが都合がいい。
『あと、うちのイオがあなたのところのシン大尉とまたセッションがしたいそうよ』
「はっ、伝えておきます」
『お願いね、以上』
「はっ」
通信を終えて、マッケンジー少佐はどういうことだ? と疑義を抱く。
ゴップ元帥のもとで特殊作戦に従事していたスパルタン隊に所属しているパイロットと、シン大尉は既知の関係なのか? しかも、セッション――どういう暗号だろうか? いや、もしかしたら痴情のもつれだったら上司としてどう対応すべきなのだろうか?
(いや、考えても無駄だ。シン大尉まわりのことに深く首を突っ込んでもろくなことはないはずだ)
――NT-1を調整して一喜一憂していたあのころはよかった、とおもう。
いまのように、余計な気疲れもなかった。
そういえば、無事調整を終え、レビル将軍のもとに送ったあの機体は、いったいどうなってしまったのだろう? 木星の衛星ガニメデの重力下に合わせて調整した奇妙な仕事だったな、といまさらながら思う。
ただ、あの仕事でよかったことはバーニィと出会えたことだ。当時もいまも、サイド6は中立地帯。ジオンと連邦が同じコロニーの中にいる奇妙な都市だからこその出会い。
一目ぼれしたといって軍を脱走してきたあの人の馬鹿さ加減には驚かされたけど――ちょっと犬みたいでかわいかったかな。
「艦長?」
突然、声を掛けられて、マッケンジー少佐はびくりと艦長席ではねてしまう。
シン大尉がイエローのノーマルスーツ姿でこちらを見上げている。
なにか報告すべきことがあってブリッジに上がってきたのだろう。
「んんっ! 何か? シン大尉」
「えー、航海中のどこかで構わないのですが、実機による宙間機動訓練をやりたい、と部下たちが暴れ――いえ、具申しておりまして」
シン大尉曰く、重力下から無重力下に戦闘環境が変わったので、早めに適応訓練をしたい。
そして、より実戦にちかい形が望ましいため、実機による模擬戦形式を具申するとのこと。
たしかについ先日まで地上で戦っていたのに、今日から宇宙となると、戦いの感覚が激変することくらい元MSパイロットたるマッケンジー艦長にはよくわかることだった。
「またヤザン隊とシャニーナ隊が揉めているのか?」
「揉めてはいませんが、ちょっと白熱してはいますね」
シン大尉が、シャニーナ少尉とヤザン少尉のくだらない意地の張り合いを説明してくれた。なんでも、先ごろの戦闘でヤザン少尉はエースを落としていない、シャニーナ少尉は有名な王冠のクラウンを撃墜している、ということで、両者がずっと煽りあいをしているとのこと。
いよいよヤザン少尉がシャニーナ少尉と『演習させろ』と相成ったらしい。
「――わかった。パイロットの管理は貴官の仕事だ。問題のないタイミングで演習の許可を出そう」
「はっ、ありがとうございます」
シン大尉が敬礼をしてブリッジから退出した。
「艦長、シン大尉、気を使ってましたよ?」
観測席に座る兵から声を掛けられる。
「あ゛~、わたしのバーニィって顔でしたしね」と通信席。
「――っ! 航海中だぞ、口を慎め!」
マッケンジー艦長が顔を真っ赤にして、クルーたちの綱紀粛正を図った。
宙間機動訓練という名目で始まったヤザン少尉とシャニーナ少尉のタイマンバトルは、今のところヤザン少尉優勢であった。
すでに被弾2と判定されたシャニーナ少尉のジムキャノンⅡが、ヤザン少尉のジムカスタムに脅かされている。
『フハハっ! 落ちろ! まだ子供の間合いだなっ!』
『ぎゃんぎゃん吠えないでください。弱そうにみえますよ?』
『んだとっ!』
恐ろしいのう、とシン大尉はジムカスタムに乗って二人の戦いの統裁官を務める。
シン大尉の心情としては、長らく自らの技術を伝えてきたシャニーナ少尉に勝ってもらいたい。
だが、ガノタ心としてはヤザン少尉に負けてほしくないという、どうしようもないジレンマに心が引き裂かれそうになる。
なので、どちらも応援しているのだが、これがまた心臓に悪い。
どちらがやられそうになってもハラハラするので、実質ストレス二倍でしかない。
(――ヤザン少尉が、仕掛けるか)
ヤザン機が見事なバレルロールでジムキャノンⅡの射撃を回避した。
同時にジムカスタムのライフルが火を噴く。
シャニーナ機が思ったよりもずっと素早くヨーで回避――ん? 今のはよけられたんじゃないのか? とシン大尉は怪訝に思った。
なぜだか突然動きがもっさりとしたジムキャノンⅡに、ペイント弾がべたべたと塗りつけられた。
「あー、さすがに撃墜判定だな」
シン大尉が宣言する。
『嬢ちゃんよ……おめぇ、バカにしてんのか……』
なにやらあきれてものも言えないらしいヤザン少尉が、うんざりしたかのようにさっさとトロイホースに帰還してしまった。
あれ? 講評はきかなくていいのか? とシン大尉は困惑する。
『いやはや、さすがヤザン少尉です。素晴らしい射撃をもらい、撃墜されてしまいましたね――さ、隊長、まだまだヒヨコなわたしに、特別教育、おねがいします!』
「まったく。いいか、シャニーナ少尉、いまのは回避タイミングがあるんだ」
シン大尉はCGモデルで説明し、ここだ、と指導する。
『わかりました。実演、おねがいしますっ』
「よし、しっかり避けて見せろよ」
まったくヤザン少尉と同じマニューバをとり、射撃タイミングもコピーしてみた。
するとどうだろう、シャニーナ少尉は見事に回避して見せたではないか。
「あれ?」
『さすが隊長。すばらしい指導のおかげで、回避できました』
「そ、そうか?」
『でも、わたしはまだまだです。追加指導、1000本ノック、よろしくお願いします!』
「え!? 自分、1000種類もバトルマニューバ持ってないぞ……」
『隊長なら、できまぁす!』
『おーおー、勝手にしてくれ……』
ヤザン少尉のあきれ声がしたが、確かにシャニーナ少尉の訓練熱は異常だ。
まさか――これほどまでにジムキャノンⅡを乗りこなしたいと思っているとはな。
不肖、ジムカスタムの化身たるこのシン大尉がお相手させていただこう、とシン大尉はもちうる技術すべてをもってシャニーナ少尉に挑んだ。
途中でなぜか盛り上がったヤザン少尉が乱入してきて、2(シャニーナ、ヤザン):1(シン)でバチバチのガチ演習をしたため、着艦したころにはシン大尉の体力は文字通り0であった。
被撃墜数? そりゃあもう酷いものだった。けど、ヤザンもシャニーナもちゃんとまとめて何回かは落としてやったから、隊長の技量としては――だ、大丈夫だよな?
あとからヤザン少尉に『使えねぇな、死ね』とかで背中から撃たれないよな……?
などと、シン大尉は、演習後の反省会をハンガーでおっぱじめたヤザンとシャニーナを、ジムカスタムの足元に隠れて見守っていた。
ルナⅡに到着したトロイホースは、矢継ぎ早の補給を受けて、即出航と相成った。
ゴップ元帥からもらっていたメモ通り、ペガサス級強襲揚陸艦スパルタンと、コロンブス級空母フゲンが合流。通称、ハンフリー戦闘団が再編された。
このハンフリー戦闘団は、グリーン・ワイアット大将率いる特務分遣艦隊とともに、月軌道へと向かっている。
『――じゃ、このセッションリストで頼むぜ、大尉さん』
「了解、練習しておく」
イオ中尉との通信を終えて、グリーン・ワイアット大将主催の英国式パーティで演奏する予定のJazzUKセットリストを確認する。
ガノタたるもの、イオとのセッションに備えておくのは当然だが、ワイアット大将と円滑なコミュニケーションをとるべく、英国紳士の嗜みにも通暁していなければならない。
ワイアット大将が今回の『特殊任務』に従事する乗員の士気向上・一体感醸成のために、わざわざ自ら英国式パーティを主催してくれることとなった。会場は、一番スペースがとれる戦艦バーミンガム中央重力エリアである。
シン大尉が居室で電子サックス(月での思い出として、月を発つ前に楽器屋で買った)をぶーすか吹き鳴らして体を揺らしていると、プシュっと居室のドアが開いた。
シャニーナ少尉である。
本来、上官であれ部下の居室であれ、訪問する礼式がある。
ノック、入室確認、入居者によるドア解放という手順なのだが――シャニーナ少尉に「緊急事態なのに部屋で寝ている隊長をたたき起こす非常措置が必要です。わたしに複製解除キーを下さい」と言われ、たしかにそうかもと思い合鍵を渡してある。
「隊長、いい曲ですね」
つかつかと入ってきて、ぼすん、とベッドに勝手に座るシャニーナ少尉。
「わかるか? これは旧世紀のブリティッシュJAZZでさ、当時流行していたチル要素を前面に出してるんだ」
「じゃ、わたしのために演奏してください」
「ん、シャニーナ少尉に? そうだな、それならこの曲はどうだろう――ちょっと待て、これはピアノだからな。キーボードを引っ張り出す」
シン大尉は、月の楽器屋で購入済みだった折り畳み式のキーボードをベッド下のから引っ張り出して、広げる。
そして、You And The Night And The Musicを軽やかに弾いてみせる。
ハンプトンホーズの名曲。彼はいわゆるビバップというジャンルの巨人だ。カウボーイビバップというアニメを見たときに、ガノタたるもの、ビバップの一つ二つ習得してないとなぁ、と鬼練した思い出の一品である。
今回のJazzUKセッションでの披露はない。
ワイアット大将の趣味にそぐわないためだ。
とはいえ、名曲ではあるため、この世界の誰かにはサウンドを残しておきたかった。
ましてや、いいタイミングだ。大切な部下の願いならと、しっかりとソウルを込めて演奏する。
演奏を終えると、シャニーナ少尉からささやかな拍手をいただいた。
「隊長って……プライベートで格好いいときがあるんですね。初めて知りました」
まてよシャニーナ少尉。それは褒めてるようでダメージがでかい。君とは数年来ともにいろんなところで仕事してきたよね?
「なんて曲なんですか?」
「You And The Night And The Music。シャニーナ少尉のためだけに弾くには、ちょうどいい曲だと思うんだ」
「え」
シャニーナ少尉がまじまじとこちらを見ている。
これは……アンコールか?
あー、なるほど。宇宙世紀にもアンコールのしきたりがあるのか。
「もう一つ、ストレートなラブソングをやろうか。I Love Youだ」
ゆっくりとした曲調であるI Love Youはとてもマイナーな曲で、ブルーノートに音源が残っている。名曲ではあるのだが、知名度という点ではそれほどのものでもない。しかし、のびやかなフレーズを多用する甘い曲調。愛を楽器で表現するならば、こういう技法になるのではないか、という一つの答えでもある。
「どうだった? I Love Youは。それなりに気持ちを込めて演奏してみた」
さすがに本家ベニー・グリーンの軽快な愛情表現までは至らなかったな、とは思う。
「――ずるいです。こんな、突然。わたし、なにも心の準備、できてないです」
なるほどっ! その通りだ。
JAZZってのはムードを作り上げないとダメなんだ。セットリストというのは会場のグルーヴをコントロールして、最高の体験をさせてやるものだ。いきなり、はいこれが名曲です、なんて演奏されても、それは押しつけに過ぎない。
なんてことだ。
そんな当たり前のことを、JAZZをかじってもいないシャニーナ少尉に指摘されるとは――なんたる未熟ガノタっ!
「わかった。やはりMoanin‘だな」
「えっ! いきなり朝まで!?」
シャニーナ少尉が身を隠すようにベッドの上で後ずさる。
そうか――本当に申し訳ない。
ドン引きさせるような独りよがりな演奏をしてしまったことを、いま償うぞっ。
「ではいくぞ」
「ひっ」
少尉がなぜか顔を覆っている――くっ、閉じた観客の心を溶かすのは難しいかもしれないが……アートブレイキー様、JAZZの神よ、お力を!
そして、シン大尉は渾身のMoanin‘を電子サックスで演奏した。
まさにスタンダード。
そのわかりやすさが受けたのだろうか、空け放しにされていた扉の向こうからフジオカ技術中尉やヤザン少尉、そしてサンダース曹長までこちらをみている。
ギャラリーが集まってきた――会場がエモくなり、温まってきたってことだっ!
シン大尉は額に汗を浮かべながら、ソウルをバーニングさせる。
最終的にはシン大尉が廊下に出て、居室から出てきた連中と一緒に頭を振る。
ギャラリーたちも楽器ができる連中が手持ちのハーモニカやドラムスを演奏はじめ、ただのJAZZセッションから、ポップス、デスメタルまで何でもありのフェス会場になった。
かなりの曲をやり、みんなが大満足で居室に引き上げていった。
シン大尉はやりとげたぜ、という満ち足りた表情で居室に戻ろうとする。
すると、フジオカ技術中尉が話しかけてきた。
「大尉、やっぱいいっすね! ワイアット大将のパーティが楽しみっす」
「おぉっ! そうかそうか!」
「あ、その、また――どうっすか?」
フジオカ技術中尉に飲みに誘われるなんて、月面以来だ。
離婚してからどこか異性と距離を置いていた彼女だが、どういう心境の変化だろうか?
いや、もしかしたら単に話を聞いてほしいだけかもしれない。
男女間の友情は存在しないなどと旧世紀の詩人が歌ったらしいが、それは嘘だ――と信じたい。淡い恋に破れ、友情まで失えというのはあまりにも酷ではないか。
「喜んで。バーエリアの予約とれるかな?」
宇宙世紀の軍艦のバーは基本的に手狭で、完全予約制だ。基本はPXで酒を買い、レクリエーションルームを借りるか、居室で呑むのが基本となる。
「――うーん、ダメそうっすね」
フジオカ技術中尉が端末を見ながら答える。
「あ、ええっと――部屋、くるか?」
シン大尉は、薄氷を踏み抜く覚悟で誘った。
アプローチのへたくそさにおいては宇宙世紀イチであるシン大尉は、誘い文句もあまり格好良くないのだ。
「え、いいんすか!」
意外にも快活に乗り気なフジオカ技術中尉に、シン大尉は驚かされるとともに、内心で小躍りしていた。
「じゃ、自分はいいかんじのバーボンを用意しとくから」
「いいっすねぇ! ヤザン、ダンケル、ラムサス! シン大尉がOKだって!」
「えっ?」
シン大尉が唖然としていると、謎のパーティグッズや缶詰、乾物を持ったヤザン隊の面々が居室から出てきた。
「マジっすか、フジオカ姐さんっ! さっすがぁ!」
よっ、宇宙一っ、などとヤザンたちに拍手されるフジオカ技術中尉。
なんだ、何がどうなっている? 第六文明人による精神攻撃をうけて幻覚を見ているのか?
なぜだ、ヤザン少尉? なぜお前はビールケースを抱えて、我が神聖なるマイルームへと突入しているのだ? ラムサス、その焼酎瓶はなんだ? ダンケルもその臭そうな魚介の干物を持ち込むんじゃないっ!
「いやぁ、さっすがシン大尉っすわ。マジ感謝っす。うちが可愛がってるあの三バカなんすけどね、飲み会ができる部屋がねぇっていつも悲しんでたんすよ」
いや、一生悲しんでろよ、とシン大尉は素で思った。
「ほら、ヤザン少尉は相部屋っしょ? 下士官のラムサスとダンケルは言わずもがな大部屋住まい。個室を持ってるのは中尉のあーしか、シン大尉、そして艦長になるわけっすよ。あーしの部屋でもよかったんすけど、あいつら『女性の部屋に野郎三人で乗り込むほど恥知らずじゃねぇ』って聞かないんっすわ」
上官の部屋に酒盛りしに来るのは恥知らずじゃないのか? いや、ヤザン的な価値観というものがあるはずだから、下手なことをいうと――背後から撃たれる!?
「そ、そうか」
「じゃ、あーしもなんか買ってくるっす。また後で」
「お、おう」
まぁフジオカ技術中尉が来るだけマシか。
原作ハンブラビ隊の連中だけに好き放題されるだけでなく、フジオカ技術中尉も来てくれるなら合格点――などとシン大尉は自分の中の気持ちを納得させながら、自室に戻った。
「――楽しいですか、隊長」
部屋に戻ってみると、ヤザン少尉からビール瓶を略奪したシャニーナ少尉が、ベッドの上でラッパ飲みをキメていた。
「ヒューッ、さっすが少尉ちゃんっ!」などとヤザン隊がにやにやと煽っている。
なんだ、このプレッシャーは……。
今までどの戦場でも感じたことのない、底冷えする何かが、シン大尉の胃のあたりをキュっとつかんでいるような気がした。
「いいですかぁ、隊長っ!」
プッハーっと、さらに二本目を一気に開けたシャニーナ少尉に、ヤザン少尉たちが「おーっ」と感心の声を上げる。
「隊長はぁ、この、わたしの上司なんですっ。そこんところ、自覚はあるんですか?」
「あ、あります……」
シン大尉は恐縮して答える。
「ですよね、業務怠慢です。フジオカ技術中尉なんかに犬みたいにチンチンしてないで、ちゃんとわたしに指導しないといけないこと、いっぱいありますよね?」
「し、指導といいますと」
「――個人指導、個別指導、特別指導、体育指導、保健指導、内面指導、口頭指導、学習指導、実演指導、引率指導、技術指導、監督指導、そして徹底密着指導っ!」
すごい、教範の指導形式全部覚えているのか。これはもう下手したら指揮幕僚課程の試験も余裕かもしれんな――と我が部下の優秀さと将来に恐れおののくシン大尉。
「ち……」
「チンチン……」
ラムサスとダンケルが顔を見合わせている。
ヤザン少尉は、おっ、大尉これ飲んでいいか? と勝手に秘蔵のバーボンを空けている。
どうしてだ、どうしてこうなった。
自分は、フジオカ技術中尉とオトナの時間を過ごすはずだったんじゃないのか?
「隊長っ! ここに座ってくださいっ!」
バンバンッとシャニーナ少尉が座っているベッドの空きスペースを激しく叩いている。
このままではベッドを破壊されてしまうと危惧したシン大尉は、そこにおとなしく腰掛ける。
すぐさま、ぬらりとシャニーナ少尉が背後からクビに絡みついてくる。
こ、これはっ! と思わずシン大尉はヤバイと確信する。
密着するシャニーナ少尉のやわらかなカラダを背中に感じる。
彼女の胸がグイッと押し付けられてくる。
知っている。
このコンバットフォームを、知っている。
シン大尉は近接格闘訓練を指導したときのことを思い出していた。
「や、やめっ――」
「おしおき、です」
シン大尉はシャニーナ少尉を押しのけようとするが無駄だった。
腕と両脚でがっつりと絡みつかれているっ!
メリッメリッと聞こえてはいけない音が頭蓋に響く。
そして、彼女がイケナイ力をシン大尉の首にかけていく。
と、時が……見える……。
翌朝、目を覚ますとシン大尉はベッドでシャニーナ少尉と同衾していた。
シャニーナ少尉がこちらの腕を枕にしているため、もはや腕の感覚が失われているほどに痺れていた(割と重症)。
しかも、なんだ……首の周りがすごく痛い。恐る恐る指で触ってみると、なにやら歯形のような跡がついている。
この歯並びは――間違いない、シャニーナ少尉のものだ。人事資料に紐づいてくる歯並びのデータと同じだ(戦死時の判定用)。
この子、酔ったら嚙み癖があるのかたまげたなぁっ!
いや、それだけではない。
ヤザン、ダンケル、ラムサスも部屋で雑魚寝している。
もちろん、ワイン瓶を抱えたフジオカ技術中尉もハンブラビ組をベッドにして寝ていた。
あと、干物のニオイがキツイ。
あーあー好き勝手やってくれちゃって――と痛む頭を抱えていると、視線を感じた。
あけ放たれたままの居室の扉。
廊下に立つはマッケンジー少佐だった。
「――シン大尉、君はおさるさんだな」
身目麗しいクリスティーナ・マッケンジー様から蔑みの目を向けられ、なんだかぞくぞくしてしまった。なんだろう、そう感じた自分に驚いたんだよね――。
さてさて、どう言い訳したものか、とシン大尉がパニックになっていると、マッケンジー少佐がカツカツと靴音を立てて、去っていく。
彼女が艦長室に入室して、扉をロックする音がした。
明らかに、すべての言い分を拒絶する音であった。
次回から0083中盤入り。