だって、それはこの頭のなかにあるんですから。
──伊藤計劃『虐殺器官』
そういえば、ちゃんと化粧をしたことないな、とシャニーナ少尉は思った。
シン大尉が誕生日プレゼントに買ってくれた、あの趣味の悪い真っ赤なルージュを思い出す。サプラーイズ、などと言っていたが、その趣味の悪さのほうが驚愕モノ。あの人はいつもナナメウエのアクションを起こす。そんな彼を許してやれる女なんて、わたししかいないはず――
いくつバケモノを始末したかは覚えていないが、不意にそのことを思い出したのだ。
シャニーナ少尉のジムキャノンⅡは、部下たちとともに穴の開いた前線をリカバリーする駆けつけ任務をずっとこなしていた。
休む暇もなく、ひたすらにワームホールから現れた宇宙怪獣どもを殺し続けるという持久戦を強いられて、一人、また一人と部下を失った。
『少尉、兵たちは疲弊しています。交代部隊に任せましょう』
サンダース曹長のジムカスタムが傍による。
互いに背中合わせに射撃をしながら、周りの敵を撃ち抜いていく。
「地球軌道艦隊の応援、か。サンダース曹長、後退部隊とのスイッチタイミングは任せる。わたしは隊長の援護に回る」
後方から迫る友軍の信号を確認した。
『ダメです少尉。シン大尉からの厳命です。あなたを連れ帰り、休ませろと言われています』
サンダース曹長が厳しい口調で断言する。
彼はシン大尉がつけてくれたお目付け役の下士官だ。開戦初期からのベテランだから、いうことを聞いておけと隊長からもことあるごとに言われていた。
「しかし、隊長は――」
『大丈夫です。ヤザン隊もいますから』
ヤザン隊は血の気が多い連中が多いからか、こういう持久戦でも楽しそうにやっている。
シン大尉を援護しているそぶりはないが、それはある意味、シン大尉なら適当にやるだろうとヤザン少尉が判断しているからだろう。
実際、シン大尉は単機で平然と生き残っている。彼のジムカスタムの周りには宇宙怪獣の死体だらけで、敵の憎悪を一身に受けてなお平然としているようだ。あのクイックすぎるリロードと、無慈悲なほど正確な射撃は何なのだろう? プログラムをコピーさせてほしい。
本当に、ジムカスタムの性能をすべて引き出しているとしか思えない。
『――来ました。交代部隊です。スイッチしましょう』
「よし、各機、交代射撃」
シャニーナ隊がその場で射撃戦を展開する。
その間隙を縫うように交代部隊のジム改たちが突撃していく。
うまくスイッチできそうだ。
『少尉、今です』
「後退、後退」
シャニーナ機が指示すると、訓練通りに部隊が後退を始める。
『少尉の番です』
サンダース曹長と、一等軍曹、二等軍曹らベテランが後退支援を行うべく前に出ていく。
「頼んだぞ」
シャニーナ少尉は即座に加速して戦場から離脱する。
下手に躊躇すると曹長たちが退けなくなるからだ。
シャニーナ機の離脱を確認したサンダース曹長らベテランチームも、ジムキャノンⅡの航跡を追いかけるように戦域を離脱した。
ゴップ提督は足早に艦橋に踏み込むと、用意されていた司令席に着座する。
ペガサス級強襲揚陸艦ペガサスの艦橋は、ゴップが目をかけてきた将校たちが司令部要員として、あるいは艦艇運用の要員として各々のタスクをこなしている。
ペガサスを基幹とする戦略機動艦隊――ゴップの半ば私兵と化している宇宙艦隊は、すでに主戦場まで数分のところまで来ていた。
「バスク少佐、聞こえるかね」
飼うには少々狂犬すぎる男に通信を繋ぐゴップ。
『良好です、閣下』
野太い声がゴップの耳元に届いた。
「結構。さて、ソーラ・システムⅡの展開状況はいかがかな?」
『4割といったところです。必要ならば照射できますが』
「味方を巻き込むのは最終手段だ。その時は私が責任を取る。君はそのまま設営を指揮し、なんとか8割まで持っていきたまえ」
『はっ』
バスクとの通信を終えて、戦況図をにらむゴップ。
敵たる宇宙怪獣の戦力は測定不能。ソロモンに匹敵するサイズの要塞型が少しずつ地球に近づいていることがベクトル解析でわかる。
「進路、出ました。北米です」
解析スタッフからの報告が入る。
ガルマのところか。
よし、これでジオンのすべてとは言わんが、一部艦隊の助力はあるだろう――と確信したまさにその時、通信が入った。
「やぁ、シャア・アズナブル大佐」
『ゴップ大将閣下。ご無沙汰しております』
映像通信をモニタに表示させると、サングラスをかけた赤い彗星がいた。
「休戦協定式以来かね。さて、要件を聞こうか」
『はっ。ガルマ・ザビ地球方面軍司令の命令により、ファルメル制宙艦隊は未確認宇宙生物に対する害獣駆除活動を実施いたします』
「なるほどな。ではこちらのWADGEシステムに組み込もう」
ゴップは部下に軽く指示を出す。
『――電送、確認いたしました。これで我々は晴れて友軍ですな』
「昨日の敵は今日の友、だな。我が航跡に続き給え。戦場で合流だ」
『了解』
シャア大佐との通信を終え、ゴップはハンカチで額の汗をぬぐう。おそらく赤い彗星はガルマを奉戴するドズルに、行けと言われたのだろう。ララァ・スンとよろしくやっていたはずなのに哀れなものだ。
いやはや、ガノタとして赤い彗星と対談するのはいくつになっても緊張する。
むしろ、年も年なので、体がそれほどいうことを聞いてくれないともいえる。
(いやはや、もう10年、は持たんな)
仕方ない。しばらくしたらゴップの養子として用意しておいた義体、イングリッド・ゴップに成り代わるしかあるまい。本物のイングリッド0はキシリア機関で楽しくジョニーライデンと遊んでいるらしいから、問題はないだろう。
軍内地盤はワイアットあたりに引き継いでもらいたいが――今目の前での奮戦ぶりを見るに、死なないと信じ……たいっ。
(まったく、人類滅亡の危機というのに未来の心配をせねばならんとは)
シン大尉がもう少しこう、政治向きの輩であればすべてを譲って引退できたのだが……あいつは向いてない。
「閣下、前衛艦隊からです。『我、艦砲射撃、よし』」
「んむ。殺射界データを戦闘宙域にいるすべてに知らせろ」
電送、よーし、と連絡が入る。
モニタに映っている友軍が予定している射線から退避していく。
シン大尉の機体が敵の触手か何かにからめとられているのか、射線に残っている。
「閣下、S909が……」
だがゴップはとくに何の迷いもなく命じる。
「奴なら避ける。撃ち方はじめ」
「了解、撃ち方はじめ」
撃ち方はじめ、の命令に則り前衛艦隊を構成するマゼラン級とサラミス級からメガ粒子砲とミサイルの弾幕が展開。
遠方に吸い込まれていく砲火。
そして、小さな閃光が無数に発生する。
同時にコロンブス級空母などからMS部隊が発進する。
「有効射です」
「計画射撃を続行。コンペイトウからのエゥーゴ艦隊はどうだ?」
「はっ、わが艦隊に遅れること、20分です」
「サイド7のジャミトフよりは早いか。エゥーゴには要塞級宇宙怪獣を任せる。戦略正面は我々が引き受けよう」
「了解、打電します」
あとはジャミトフ率いるコロニー駐留連合艦隊が集結すればよい。
すでに到着済みのレビル派の地球軌道艦隊に、コンペイトウからのエゥーゴ艦隊が加わる。
あとはワイアット派のルナⅡ艦隊が遅ればせながら後詰として参戦するはずだ。
地球の危機らしく、地球連邦軍の宇宙艦隊総動員である。
このタイミングで各サイドをジオンに攻められたら打つ手はない。
(主導権はギレンにある。ゆえに、やつは公国軍を手元に残している。やるかやらないか、決断を下すまでの時間は十分あるからな)
人類の危機、と知り無邪気に増援を送ってくるガルマとは違う。
十手、二十手先を詰めるゲームを仕掛けてくるのがギレン・ザビという男だ。
「閣下、指定秘匿通信です」
「まわせ」
通信機をとると、ギレン・ザビの独特の声。
『以前お話しましたな。閣下には責任を取ってもらう、と。いかがですかな? 地球人類の命を守る仕事は』
「老体には堪えるが、いつもとかわらんな。さて、総帥はスペースノイドの責任を背負ってくれるのかね?」
『いまのところは――さて、私の手駒を送らせていただいた。かつて敵に塩を送った武将がいたそうで。故事に習ってみるのもまた一興と思いましてな』
デラーズ艦隊の数十隻が来援する旨のデータが届いたので、WADGEに組み込むよう指示を出す。
『では、ご健闘を』
ギレンからの通信は、一方的に切られた。
デラーズ艦隊の増援は、エゥーゴより遅れる、か。
塩を送るならもう少し早くしてほしいものだな、とゴップはため息をつく。
「閣下、アルビオンのブライト少佐から支援すると連絡が」
アルビオンか。原作とは違い使い道はあるな、とゴップは勘定する。
デンドロビウムの回収に行かせるという愚策は切り捨てた。
「最前線でエゥーゴ艦隊の誘導をさせろ」
エゥーゴ艦隊が到着するときに、アルビオンが観測艦の役割を果たせばデンドロビウム10機では足りないほどの火力の集中ができる。
この戦いがデラーズフリート相手の対ゲリラ戦ではなく、宇宙怪獣との総力戦になることを計算したゴップなりの采配であった。
「閣下、その、地上からザンジバルで上がってくる連中がいるようです」
「ジオンの?」
ほかに動きそうな勢力について、ゴップは見当もつかなかった。
「通信、きます」
さて、誰かな? と通信機をとると意外な人物だった。
『こちら、フレデリック・ブラウン中尉です。地球侵攻軍特殊先行工作部隊は、キシリア閣下の命令を受けて、地球外生命体に対する威力偵察を実行します』
懐かしいのが出てきたな、とゴップはすこしほろりとしそうになる。近藤版ガンダムのほうからやってきてくれたらしい。
「歓迎するよ、ブラウン中尉。先行しているアルビオンの援護にあたってくれたまえ」
『了解』
通信機を置いたゴップを、今のは誰ですか? という顔でみてくる副官。
「――そうだな、古い知り合いのようなものだよ」
「は?」
また閣下の変な癖が出たな、と思ったらしい副官の少佐は、話もそこそこに自分の任務へと戻っていく。
ゴップは予想通り+予想していなかった支援を受けてそろえた手駒で、どこまでこの酷いチェスを挿し続けられるか、一人黙考する。
ソーラ・システムⅡの準備が整うまで時間を稼げ、という大方針が全艦隊に共有される。
当然、最前線のワイアット大将もまたそれを知らされた。
(地球軌道艦隊と入れ替わるか。後方で一度補給を受けねばな)
主計士官からの報告をうけながら、ワイアット大将は司令席で方針を決める。
戦艦バーミンガムは艦長の指揮のもと、上へ下への大忙しの戦場機動をしているのだが、ワイアット大将は紳士然と姿勢を正し、ただ冷静に次の手を思案している。
(MS部隊の損耗が大きい。MSの直掩を受けられなくなった艦隊のもろさは語るまでもない)
損害表を見ながら、ワイアット大将はどの艦から下げていくかを考える。
やはりMSを前線で運用している空母や強襲揚陸艦から下げるほかあるまい。
地球軌道艦隊から派遣されているMS隊が戦線を支えている間に、一気に後退。補給を受けて再度戦線にリターンし突っ込む。直近の戦史ではオデッサのマ・クベがやったアフリカ=宇宙同時撤退作戦の戦訓を宇宙用に使いまわすだけのことだ。
「君、隷下部隊に厳命しろ。ティーブレイクの準備だ、と」
「了解。ティーブレイク作戦、開始します」
幕僚たちがティーブレイク作戦の発動を各級指揮官に伝達している。
真っ先に動いたのはシン大尉だ。即座に初期から戦線に参加していたMS部隊を後退させ始める。
「ゴップ閣下のところから派遣されたシン大尉とやらは、なかなか役に立つ」
歩兵一人が戦局を変えることがないように、MS一機が戦況に与える影響など大したものではないというのが持論ではあったが――少なくとも、戦術レベルの影響くらいは与えられるのかもしれんな、などと仮説が浮かぶ。
また論文のテーマを見つけてしまったな、などとワイアットは己の尽きぬ好奇心に少々酔ってしまう。
「とはいえ、MS隊の後退は支援してやらねばな。バーミンガムを前に出せ。随伴艦もだ。MS部隊を収容するために火力を厚くする」
ワイアットの命令に従い、密な艦砲射撃をばらまきながら戦闘艦がじわじわと前に出る。
防空網を潜り抜けるように敵のバケモノが艦に張りつかんと迫ってくるが、有線リモートで操作されているボールによって処理されていく。
中にはもちろん同化されるボールもあるが、さっさと自爆させるだけである。
ゴップ閣下の手で計画ごと廃棄されたジム・ジャグラープロジェクトの技術素案にあったボールの有線誘導は、光るものがあった。
これは艦艇の近接防御に最適ではないかとおもい、バーミンガム建造の際に織り込んでおいたことが功を奏している。固定の対空火器代わりにボールをあちこちに埋め込み、艦の砲雷科でリモート運用させれば、回り込む動きで艦を沈めに来るMSに対して多少なりとも有効ではないか、と。
(また一つ、艦艇運用の論文を書けそうだ)
軍人が学者の真似事を、と笑うものもいるだろう。しかし、知識と経験を後世に残し、それを誰かが生かして連邦という体制を盤石なものにしていってほしい、というワイアットなりの未来へのタイムカプセルのつもりだ。
「アルビオンから入電、我、最左翼に就く、です」
「盛りおって。ブライト少佐に伝えろ。貴艦は地球軌道艦隊の最左翼につけ、と」
これから一斉後退を仕掛ける予定のこちらに合わせてどうする、とまだまだ大局を読めないエゥーゴの新鋭に実戦教育を施す。
「ジオン、ザンジバル級が戦線後方に。MSを発進させています。WADGEは友軍とされています」
「閣下の土産か。活躍してもらえ」
妙にハードディティールなゲルググJ部隊が最前線に飛び込んでいく。
射撃音がBANG!BANG!BANG!というオノマトペになりそうな予感がする、ボイルドがきつめな連中で、その濃さに英国ではなくドイツ感を覚える。
好みではないが……いい動きだ。シン大尉よりも手練れのようだ。
「ジオンのゲルググ部隊――フレデリック隊がこちらのMS後退を支援してくれています」
「頼っておけ。収容率はどうか?」
「8割を超えました」
よし、機は熟しつつあるな。
「アルビオンからMSです。ガンダム試作00号機、アサイン」
光が駆け抜けていく。
敵の重厚な前線に風穴が空いていくのがわかる。
あれが、アムロ・レイか。
レビルの鉄砲玉らしいが、あの破壊力を見せつけられるとNTとMS運用による戦闘ドクトリンを偏重したくなるというものだ。
「ふむ。ここだな。隷下部隊に下命。緊急回頭、最大戦速で離脱。後方再集結地点にて戦力を再編する」
「了解。各隊に告げる、ティーブレイク、ティーブレイク」
司令部からティーブレイクが下る。
スパルタンやトロイホース、コロンブス級が離脱している。
バーミンガム以下戦闘艦は最後まで戦線に火力を提供し続ける。
「閣下、よろしいですな?」
隷下艦隊が退いたのを確認した艦長が、ワイアットに確認する。
「うむ、バーミンガムも後退だ。地球軌道艦隊のマゼラン級に代わってもらえ」
「了解。おーもかーじ」
バーミンガムが戦列を離れる。
友軍艦隊との交代タイミングも完璧であった。
ティーブレイク作戦はほぼ完ぺきに機能したといえるだろう。
当然、例外はある。
戦艦バーミンガムの後部推進装置には、要塞級から放たれた大型宇宙怪獣が張り付いていた。
「――艦長、総員退艦だ」
「はっ」
ワイアットの判断は早かった。
乗組員たちは所定の避難計画に従い素早く退避カプセルやランチに乗り込んで宇宙に飛び出していく。
しかし、ワイアットだけは例外であった。
体にしみこませていた紳士としてのふるまい、いわばノブレス・オブリージュの精神がその体を縛っていた。
「閣下! お早くっ!」
バーミンガムの廊下。
退避経路の先には、ランチが緊急ハッチに接舷してこちらの退避を待っている。
しかし、ワイアットはまだ避難していなかった。
侵入してきた小型宇宙怪獣相手に人類は生身で白兵戦を繰り広げていた。
手持ちのアサルトライフルや軽機関銃を連射し、あるいは使い捨て対MSランチャーをぶっ放し、脱出する乗組員たちの退避時間を稼ぐ一団がいた。
これを指揮するは、ワイアットである。
「まだだっ、この通路を抜かれたら退避率は五割を切るぞ」
艦内MAPに映る避難中の乗組員たちのビーコンの流れを確認しながら、ワイアットはあと何分かせげるか、と計算する。
一分でも長ければ、と。
「よしっ、隔壁閉鎖っ!」
もう避難してくるものはいない――訂正、救えぬと判断したワイアットは、歩兵部隊に命じて正面の隔壁を閉鎖せる。
ドンドンと触手が隔壁の向こうで暴れている音が響く。
「七割が限界か」
冷静に判断する。
ワイアットは紅茶の抽出時間を正確に測れる体内時計を持っているがゆえに、今ここでの遅滞行動がどれだけの時間を稼ぎ出せているか正確にわかってしまうのだ。
もう、五分稼げれば、と欲が出る。
そうすれば、八割の大台が見えてくるのだ。
自らが鍛えた、未来ある兵士、下士官、将校たちに生きるチャンスを与えたいという欲を捨てきれなかった。
しかし、紳士たるもの、時には苦渋の決断も必要だ。
このまま不用意に粘っても――
その時、ワイアットは腹部に強烈な熱さを覚えた。
ゆっくりと視線を腹部に向けてみると、そこはうごめく触手によって貫かれていた。
痛みは弱い。
ただ、熱いだけだ。
ワイアットは冷静に触手の侵入経路を見極める。
どうやら床下の配線溝からのようだ。
「か、閣下っ!!??」
部下たちがナイフを片手に触手を断ち切ろうとするが、別の触手が床下、壁面からパネルを吹き飛ばして広がっていく。
「撤退命令だっ! いけっ!」
ワイアットは、なおも彼を助けようとする将校らに拳銃を向ける。
そして、一発の威嚇射撃。
「頼む、行ってくれ」
ワイアットの最後の命令を受けた将校たちは、歯を食いしばり、その場を離れていった。
振り返ると、ランチが飛び去っていくところだった。
遠のくランチの窓には、士官たちはこちらを悔しそうに眺めている姿が見えた。
(未来は――つないだ)
退艦した部下たちは優秀な連中だ。
いずれ連邦軍の中核となって、人類の庇護者としてその義務を果たしてくれることだろう。
薄れゆく意識の中、ワイアットは最後に飲んだ紅茶がレディグレイだったことを思い出す。
やわらかな柑橘の香りに包まれながら、その意識を手放した。
ワイアットは、虚無の中に浮かんでいた。
ここはなんだ? という疑問は浮かんだものの、不思議と落ち着いていた。
紳士たるもの、毎朝のモーニングティーとともに理不尽な死をいつでも受け入れられるよう心をストレッチしておくものだ。葉隠れのように。
突如、闇が取り払われ、光に満ちる。
宇宙に放り出されたかのような光景。
そこは戦場。
巨大な隕石が地球に落着しようとするさまを見た。
『石っころ一つ、ガンダムで押し返してやる!』
そう言い切るアムロ・レイの姿をみるワイアット。
何を見ているのかはわからぬ。
しかしわからぬことと受け入れられぬことを峻別できるのがワイアットである。
彼は、しずかに受け入れた。
『――ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!そのララァを殺したお前に言えたことか!』
『お母さん?ララァが?うわっ!』
暖かな光。
人類のなにかを示す輝きが、隕石を地球から引き離していく。
目に見える、奇跡のような出来事。
現実ではないのかもしれない。
人の意志の力がいくら集まったところで、人類は奇跡を起こせない。
ワイアットは、初期の宇宙開発で月に至った人類を想起する。
奇跡が起きたから、月にいけたのか?
否である。
人類は月に行こうと思い、努力を積み重ねてたどり着いた。
奇跡が起きたのではない。
積み重なった因果の果てに、月にたどり着いたのだ。
そのような人類の歴史を熟知しているワイアットは、奇跡のように繰り広げられる眼前の光景を受け入れ、それは因果のあるものだと解した。
隕石を弾き飛ばすに至る人類の努力とやらを、見てみたかった。
また景色が変わり、今度は得体のしれぬ虹色の光に満ちた地球。
黒い巨人と、月光色に白く輝く蝶のような何かが戦っている。
『多数決が愚民政治を培い、議会制民主主義が金権政治に結び付き、絶対的権力者が専制政治を敷き、暴君でも臣民に慕われることがあるのです。少数意見の抵抗が社会全体を不安にし、革命政権が臣民を苦しませることも……』
巨大な蝶が、その羽を大きく広げる。
『……歴史を振り返れば、この世に正しいことは何もないのかもしれません』
『では、ディアナ・ソレル陛下は何を根拠に私の夢を阻むのか?』
このままでは世界が終わる、とワイアットは直観した。
人類の悲劇。紳士的でないものたちによる不毛なる無理解。
互いに立場が異なるといえども、一つのテーブルを囲み、穏やかにティータイムを過ごせば未来のひとひらもつかめように――と不毛な黒い巨人と月光色の蝶の戦いに失望する。
『愛こそ、偏見の極みでありましょう』
黒い巨人が言った。
『人は……憎しむようにしか人を愛せないのです』
その言葉に抗うように、月光色の蝶が羽で巨人をたおやかに包んだ。
ワイアットは己の直観が間違っていたことに気付く。
滅びは来なかった。
人が人を救う。ただそれだけの物語。
たったそれだけのことなのにも拘わらず、その背景で人類が救われていた。
人を、救う。
それがそのまま人類世界そのものを救ってしまう因果に、ワイアットは心から賛辞を贈る。
「グレィトブラボー。愛と許しを人類が信じる限り、歴史は終わらんよ」
たとえ宇宙が終わろうと、可能性はあると確信した。
そして、ワイアットは再び虚無の闇に囲まれる。
不思議と息苦しさは覚えない。
むしろ、高揚感しかなかった。
誰もが至れぬところに、いよいよたどり着いたのだ、と。
ほぼ宇宙怪獣に浸食された戦艦バーミンガムの核融合炉を吹き飛ばすべく、シン大尉はジムカスタムを緊急用接舷ハッチにつける。
先ほどまで大艦巨砲のバケモノとして猛威を振るっていたのだが、突然その活動が鈍った。
シン大尉は隙あらば生身でも戦艦を沈める覚悟をキメているガノタなので、MS忍者の如く接近し、そのまま艦内へと侵入したのだ。
艦内をノーマルスーツと拳銃一つで進むシン大尉。
不思議とバーミンガムを浸食した宇宙怪獣はその活動を停止していた。
Gの影忍を知るシン大尉は、このようなことになる条件を知ってはいる。
宇宙怪獣が人類と深遠なコンタクトを取ったときだけだ。
「……ワイアット大将」
シン大尉は月光色の繭に包まれている彼を見つけてしまった。
彼を貫いていたであろう触手は繭に代わっている。
シン大尉は繭の中で優雅な笑みを浮かべたまま息を引き取っているワイアット大将の姿に、安息と祈りを見出した。
「いい顔しちゃって――あなたは最後に何をみたんです?」
ガノタとして、言葉にならない思いが溢れる。
少なくとも、この人はここで死ぬべきではなかったとシン大尉は奥歯をかみしめる。
そして、シン大尉は戦艦バーミンガムの主機関室へと向かった。
ジムカスタムは大きく広がる火球を見下ろしていた。
戦艦バーミンガムは派手に消し飛んだのだ。
一人の偉大な指導者を失ってしまった、とシン大尉はさみしさを覚えた。宇宙怪獣と深遠なコミュニケーションをとれるほどに紳士だった彼を失ってしまった事実は、ガノタとしても人としても、とても残念であった。
『シン大尉、バーミンガムの排除、ご苦労だった』
ブライト少佐から通信が入る。
宇宙怪獣化したバーミンガムを止めたのはワイアット大将だよ――などと複雑な思いを抱きながらも、シン大尉はブライトに返事を入れる。
「いやな仕事だったよ」
『貴様以外にはできない仕事だったさ。礼をいう。後方でコロンブス級がMS隊の回収を行っているから、そちらに行け。休んだほうがいい』
「一応、元気が出るクスリもあるが」
コックピットには、0083の劇中でウラキが打っていた無針注射器がある。中身は元気いっぱいになる何からしいが、連続使用は脳に不可逆の損傷を与えると書いてあるため不安しかない。
『馬鹿野郎、さっさと後退しろ。アムロならお前の代わりくらい簡単にこなしてくれる』
そうだった、とシン大尉は怪物相手に無双しているアムロ・レイの試作00号機の雄姿をみる。
味方の士気もぐんぐん上がっているようだ。
「了解、シン大尉はこれより後方で補給を受けます」
『一眠りしてこい。貴様が寝ている間は、こっちに任せておけ』
「頼んだよ、ブライト少佐」
シン大尉のジムカスタムは後方へと移動する。
定番の赤十字ボールが増えてくるエリアに至るとなんだか少し安心する。
なんというか、戦場のオアシスみたいなものだ。
コロンブス級の一隻に着艦許可をもらい、ハンガーに機体を滑り込ませる。
コックピットからはい出したシン大尉は、そのままパイロット待機所に漂っていく。
適当な壁面にノーマルスーツのロックギアをアタッチし、そのまま瞳を閉じる。
瞼の裏に、月の繭に包まれるワイアット大将の姿を思い出し、シン大尉は静かに涙を流した。
これから長い静かな散歩をするつもりだ。
君たちはここに残って、この世界の人民がどうやって互いに共存する方法を見つけるかを、話し始めなさい。
どうあっても考え出さねばならないのだ。
もう選択の余地は残されていないのだよ。
――シン大尉の夢に出てきた、レディ・グレイの香りがする人影