オリエンタル風ラーメンBar『シュタインズ・ヌードル』は、月社会における隠れ家的ラーメンBarであり、知る人ぞ知る名店である。なお、ヌードルを食べることで世界線移動が起きることはないので安心である。
「イングリッド様、ここからは敬語を控えさせていただきます。知己が多く、不自然に思われると後々面倒です」
シン大尉は店の前で、イングリッドに説明をして許しを求める。
「あんたがあたしの犬であることを自覚しているなら、ちょっとくらい舐めさせてあげてもいいわ」
言い方……とシン大尉は思いながらも、かぶりをふって店の扉を開ける。
「――いらっしゃいっ! 何名様で?」
やたらと恰幅のいい店員が、メンの湯気をシャシャッ! と振り払っている。
飛び散った熱湯が、ねぎを刻むバンダナ男の足元に飛ぶが、そんな細かいことを気にするような連中ではない。
「二人です」
シン大尉はなじみ客のように告げる。
『あいよっ、お忍び様ご来店でぇすっ! 店長、よろしくお願いシャス!』と店内に元気よく声が回る。
「全然お忍びじゃないんだけど……」
イングリッドが、メディア情報などから解析していたラーメン屋と全く雰囲気が違うことに対して困惑しているらしい。
だが、シン大尉はそんな彼女に社会経験を積ませてやろうという善意から、ここにやってきたのだ。
さて、整った髭の店長に案内された奥まった小部屋には掘りコタツが設置されていて、そこに靴を脱いで二人で収まる。
本来は差し向かいで座るものだが、常識の調整がまだうまくいっていないイングリッドが、シンの隣に座る。
密着して並ぶ二人の姿を見て、整った髭の店長が声をかけてくる。
「もう手ぇ出しちまったか、シン大尉」
「違いますよ、シュタイナー店長」
「この人ったらひどいんです。全然反応しないんだから」
イングリッドが上目使いにシュタイナー店長にいうと、店長がごくりと唾を飲み込む。
「お嬢ちゃん、そいつぁいけねぇ。誰彼構わず色気を使うもんじゃないよ」
「変なの。あたしそうしろっておじい様から教わったけど」
「――世も末だな。トンデモねぇスケベジジィめ」
はぁ、っと深いため息をついたシュタイナー店長が「ご注文は?」と尋ねる。
「ルビコンラーメン二つ」
「あたし、チャーシューとネギ増しバリカタで」
まるで常連のように差し込み注文を行うイングリッド。
「あいよ。シン大尉は?」
「きくらげ増しのカタで」
「あいよっ。ま、ゆっくりしてってくれや」
シュタイナー店長がすっと障子を閉めて去る。
すっかりラーメン屋として成功したサイクロプス隊の雄姿に、シン大尉は感動を覚える。
それにしても、どういう経由でラーメン屋に落ち着いたのか、亡きサララを問い詰めたくて仕方ない。
「ねぇねぇシン大尉、ラーメンとジロウってどう違うの? あたしの数理解析だと限りなくフラクタルなのに、普通の人は違うって認識するんでしょ? 哲学的で気になるわ」
となりでそわそわしているイングリッドは、まるで初めての外食ではしゃいでいる娘のように思えてくる。
(大事に育てていかないとな)
などと、すっかり父親気分である。
「ジロウはコロニー落としで全部吹き飛んだよ。アーカイブにしか存在しない、失われた味の一つだ。いつか誰かが再現するかもな」
「えー、なにそれ。じゃ、ここでジロウは食べられないのね」
ちょっと残念そうに唇をとがらせるイングリッド。
「――あれ、おかしくないかしら? コロニー落としでジロウだけ吹き飛ぶなんて、ロジカルじゃないわ」
はっ、とイングリッドがシン大尉の腕をつかむ。
「だましたのねっ!」
「そう思うだろ? ところがホントの話なんだな、これが」
かつてジオンのコロニー落としによって、沿岸線を多く抱える日本は甚大な被害を受けた。特にジロウがある地区は被害がひどく、ことごとく壊滅したという。
「残念だわ。生まれてさっそく、一つの夢が消えちゃったかんじ」
うなだれるイングリッドだが、シュタイナー店長が「あいよっ! ルビコンラーメンお待ちっ!」と障子をあけて飛び込んできたときは、子どものように目を輝かせていた。
「すごいっ! ほんもののトンコツねっ!」
香りだけで察したイングリッドの嗅覚センサの性能に、シン大尉は驚かされた。
さすがとしか言えない。
月での畜産業は極めて貧弱であり、人工タンパクベースの培養肉が使われることが多い。
しかし、ここ、シュタインズ・ヌードルは違う。
月面にわずかしか存在しない畜産豚を活かした、ホンモノが楽しめる店なのだ。
白濁したアツアツのスープにつかる細麺、そして、厳選された材料で仕上げられたトッピングに彩られたルビコンラーメンに、シン大尉も久しぶりに腹を鳴かされた。
「あっ、ほんとにおなかって鳴るんだっ。ちょっと聞かせてよ」
小さな頭がシン大尉の腹にピタリとあたる。
「おいおい、ここ本番禁止だからな」
シュタイナー店長がにやにやしつつ、障子を閉めて消えた。
なんだろう、ルビコン作戦いってもらってもいいですか? などとシン大尉はガノタにあるまじき暴言を心中で吐いてしまった自分に、驚いたんだよね。
「こら、イングリッド様。ラーメンはアツアツのうちに食うのが作法だ。ほら」
よいしょとイングリットの頭を戻す。
「じゃ、いただきまーす」
「いただきます」
二人でブッディズム合掌をキメてから、箸でスープを一口。
シンとイングリッドは見つめあい、うんうんと頷いた。
「――おいしいっ」
シン大尉は、よろこぶイングリッドの姿にガンダムUCのオードリーがホットドッグを食べるシーンを重ねる。
ああ、あれを見ているバナージはこういう感覚だったのか、となんとなく察した。
「ねぇシン大尉、すっごくおいしいわよ、これ。あんたもちゃんと食べなさいな」
「おう」
二人で黙々とラーメンを食べていると、また大きな声で『お忍び様ご来店でぇすっ!』とミハイル・カミンスキーの声が響いた。
「あの案内、なんなのかしら?」
「兵隊さんが来たってことだ。もめ事にならないように座る席を配慮したりするための符牒だ」
「へーっ、やはりフィールドワークは大事ね。知っているつもりで何も知らなかったってことがよくわかるわ」
うんうんと頷くイングリッド。なにか得るものがあったのだろう。シン大尉はイングリッドをここに連れてきた意味があったと安心する。
さて、ラーメンを食べ終えてデザートのケンプファーアイスを食べていると、シン大尉の通信端末が震えた。
プライベート通信だったので、限られた候補者しかいない。シャニーナ、ヤザン、イオ、そしてゴップである。うち一人はもう二度とかかってこない。
『た、隊長、助けて下さいっ!』
シン大尉はガタッと掘りごたつから素早く飛び出し、アタッシェケースを手に取る。
互いに命を預けあってきた大切な部下の危機とあらば、すぐに対応しなければならない。
通信を保持しながら、シン大尉はシュタイナー店長にハンドサインで連れの護衛を依頼する。任せろ、とシュタイナー店長からの頼もしい返事。
イングリッドも、他のメニューや酒を楽しんでみたいらしく、後で迎えに来るように、とのんきなものだ。
「座標を送れ。すぐに向かう」
店を出て、通りに立ったシン大尉は内心の焦りを静かに抑え込みつつ、戦闘員としての自分に切り替えていく。
『送りました……すぐ来てください。もうサンダース曹長も、アムロ中尉もやられちゃって。今はシャア大佐が時間を稼いでくれています。でも、あんまり長く持たないかも』
座標を頭に叩き込み、シン大尉は夜の街を駆け抜ける。
拳で語れる男サンダース、才能で赤い彗星にフェンシングで勝利できるアムロ、そして暁の蜂起で白兵戦を潜り抜けているシャアが苦戦する相手?
(殺すことを前提に挑まないとな)
シン大尉は、己の内側に息づく冷酷な兵士を呼び出した。
指定された座標は、ゲームバーだった。
白兵戦の戦闘行動は何よりもまず、偵察と分析から始まる。
状況を把握し、主導を確保するのを目指す。
すでに人が集まるピークは過ぎたらしく、誰かが暴れているような気配もない。
(キシリア機関の暗殺者か? まさか、影忍?)
さすがのシン大尉でも、影忍相手の戦いは厳しい。
ミノフスキー煙幕から始まる戦いは次元が違いすぎる。
シン大尉はアタッシェケースからいつでもサブマシンガンを取り出せるようにしつつ、スーツの脇のホルスターに忍ばせてある拳銃とナイフを確認する。
よし、と覚悟をきめ、シン大尉は典型的な埋没侵入(普通の人の波に乗って店に入ること)を行う。
ん?
シン大尉はすぐに違和感を覚えた。
シャニーナ少尉は隅っこのオンライン麻雀筐体で、恐るべき勝率をたたき出していた。
「……どういうことだ?」
シン大尉は油断を誘うための敵の術策である可能性も考慮に入れる。
シャニーナを囮にした奇襲か? などと、懐にいつでも手を伸ばせるようにしながら、麻雀を打っている彼女の背後に立つ。
「あ、大尉。遅いですよー」
少々酒臭いシャニーナ少尉が、とろんとした目でこちらをみている。
「敵は……?」
「敵? あー、えっと、あれですね」
シャニーナ少尉がバーカウンターを指さす。
酔いつぶれたサンダース曹長がカウンターに倒れ伏し、アムロも退屈そうにナッツをつまんでいる。
赤い彗星は、クラウンに一方的に話かけられているようで、席を立とうにも立てないプレッシャーを食らっているようだ。
「……状況は?」
「えー、いまちょうど、ジュニアハイの話が佳境、なんだと思います」
すべて察した。
敵というのはアレだな、と確信し、シン大尉は己の中の兵士のスイッチを切った。
「まさかクラウンにハマーン様の話題を振ったんじゃないか?」
「え、なんでわかったんですか?」
そうか。それは……やらかしてしまったな。
「――シャニーナ少尉、一緒に飲みに行かないか? あれは赤い彗星に任せておけ」
シン大尉はイングリッドを迎えに行くつもりだ。
シャニーナ少尉のことをイングリッドに紹介しようと思い、誘った。
ガノタたるもの、イングリッドに友達を紹介することもまた大事な仕事なのである。
「そ、それはプライベートでって意味ですか?」
「もちろんだ」
「じゃ、じゃぁ、少尉ってつけるのやめてもらえますか? 普通にシャニーナで……」
「あー、そうだな。自分のこともシンでいいぞ」
シン大尉は麻雀筐体に座っているシャニーナ大尉に手を差し出すと、恐るべき速さで絡みついてきた。
この子は白兵戦の才能、高いぞ、などと思う。
まるで関節技でも決めるのかと思うくらいぎゅっと腕にしがみついてきた。
「お? しっかりホールドできているな」
「こ、これも、格闘訓練の一環ですから――シン、さん」
「そうか。向上心一杯でうれしいぞ、シャニーナ」
「はいっ」
よしよし、シャニーナがイングリッドと仲良くしてくれたら安心だなぁ、などとシン大尉は期待に胸を膨らませながら、仲良くシャニーナと腕を組みつつシュタインズ・ヌードルへと戻っていった。
この後の重大事故については、いつか書こうと思います……。