シン/機動戦士ガンダム   作:すしさむらい

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ぼくの仕事というのは何だかわからない店で知らない物を変な人たちに売ることだ

――吾妻ひでお『狂乱星雲記』


第二六話 0084 地獄の窯に火をくべるものたち2

 

 チベットの高山地帯に、寺院に偽装した研究所が存在する。

 チャクラ研究所と名付けられたその場所には、ジャミトフ・ハイマンが頻繁に訪れていた。

 伝統的なチベット仏教の様式で仕上げられた寺院を、地元の人々は中国人の金持ちが趣味で建てたものだと噂していて、近づくことはなかった。

 

 暗がり。

 祈祷のために設けられた堂に、無数のろうそくがともされている。

 ろうそくの光が、ジャミトフと、その寺院に勤める『僧侶』たちを映す。

 車座を組んでいた彼らは、マントラを唱えている。

 

 そして次第に彼ら、彼女らのマントラは弱々しくなり、消え行った。

 

 僧侶たちとジャミトフはすでにそこにはおらず、タオの空間にて密会していた。

 

「オプション取引データは解析できたか?」

 

 ジャミトフは一言だけのべた。説明は不要だからだ。

 ここにいる僧侶たちは、そのために互いにサイコミュを用いた連結演算装置になっているのだから。

 

「はい、カオスが向上しています」

 

 ジャミトフにとって満足な報告であった。

 

(ガノータはやはり、正しいお方だ)

 

 ジャミトフは、ある日を境に金に困ったことがない。

 士官学校に進むか、美大に進むか、あるいはサイエンス系の大学に進むかなどと迷走していた若きジャミトフは、たまたまチベットのラサにある寺院で瞑想する機会を得た。

 そこで、彼は『内なる神』に出会った。

 このガノータと名乗る神は、商業と金をつかさどる神ガネーシャの亜流であり、ジャミトフの心のうちに備わる神であると言った。

 

 薬物による幻覚か? とジャミトフは胡散臭さと、己の精神の危うさを疑った。

 だが、日を変え、週を変え、時間を変えて寺院で瞑想すると、必ずそのガノータという内なる神は己に語り掛けてくれるのだ。

 

(くだらねぇ人間と、そうじゃねぇ人間の分け方を教えてやるよ。でかく賭けられるやつか、そうじゃねぇかだ。この世の偶然の波を乗りこなせよ、少年)

 

 ガノータがジャミトフに下す啓示は様々なものであった。

 ただ、彼が大事なことだと何度も繰り返す述べたことは一つだけだ。

 

(スイッチを押せる立場になれ)

 

 この社会は様々なマイクロシステムによって構成されているとガノータは教えてくれた。

 それぞれのマイクロシステムはネットワークによってつながっていて、各システムには管理者権限を持つ人間――スイッチを押せる人間というものがいる、と。

 小さな幼稚園のクラスですら、先生を利用できる立場の幼児と、そうでない幼児が現れるが、これはそのマイクロシステムの中でスイッチを押せる立場になれるか、なれないかで決まるという。

 だが、ガノータはスイッチの場所は教えてくれるが、そこへたどり着く方法は決して教えてくれない。

 

「以後の指図は、私の残置記憶を読め」

 

 そう言い残し、ジャミトフはタオの空間から抜け出し、現世の肉体に戻る。

 無数のろうそくが揺らめく堂を後にし、たジャミトフは、自らレンタカーを操って空港へと向かった。

 

 

 ジャミトフはチベットからジャブローに向かう民間ジェットのエコノミークラス席にその長身を無理やり収める。

 彼を背の高い老人としか見ない人々の群れに紛れながら、彼は安い合成コーヒーを客室乗務員ロボから購入する。

 人が人を接客する、というのは貴族趣味の連中に向けたサービスであるから、エコノミークラスに座る連中には過剰なサービスであり、不要であるという航空会社の主張をそこに感じとれる。

 

 これが市場経済システムだ。

 大衆はその所得に応じて住む世界を分けたがる。

 いや、住む世界が分かれていると信じたがる。

 本当は世界など分かれていないのに――今のように、ティターンズの首魁とエコノミークラスに乗る人々の間に断絶された世界は存在しない。非連続的で偶然性に左右されてはいるものの、間違いなくつながっている。

 たまたまその日、そのチケットを買ったか。

 世界はそういう確率論の集合でしかない。

 

(そう、すべては確率論だ。スイッチを押せる立場になれるかどうかは、確率を高める行動によって多少の影響を与えうるが、それ以外の要素も大きいのだ)

 

 ジャミトフは確信していた。

 自分がいまこの立場に至ったのは、己の努力もあるが、それ以上に人類史が偶然をひたすらに積み上げてきたからだ。

 思い返せば、自分よりも優秀な奴らは何人もいた。

 

 まず、筆頭格はゴップ元帥だ。

 奴がいる限り、地球連邦軍の軍政権限など手に入れることは絶対に出来ないとジャミトフは分かっていた。

 

 だが、彼は『偶然』死に、今では無能の象徴だ。

 

 奴の有能さをいやというほど間近で見てきたジャミトフは、ころころと変わる世論という奴に失望している。

 奴らは何も知らないにも関わらず、何かを決めさせろと主張する。

 ただ偶然うまくいったり、失敗したりするランダムをひたすら繰り返す政体こそが、地球連邦政府が奉戴する民主主義なのではないかと思えるほどだ。

 

 そしてワイアットも死んだ。

 戦略家として恐るべき男であり、ジャミトフ自身が指をくわえてみているしかなかった星一号作戦でも、彼は為すべきことを成し遂げていた。

 宇宙怪獣とのファーストコンタクトにおいても、ワイアットは奴らに対話を試みる胆力があり、それでいていざ交戦状態に突入すれば粘り強く戦える、本物の軍人であった。

 ただ、彼も不思議なことに、偶然死んだ。

 あれほどの英雄的な死を迎えた今ですら、軍内では大言壮語を吐くだけの紅茶野郎として見下げられており、彼の言葉や彼の残した論考は忘れ去られつつある。

 だがジャミトフは彼の遺言の価値を分かっていたため――『ワイアット論考』を遺族から相応の対価で買い取らせてもらった。金に困らないジャミトフにとって、それは大した額ではない。

 これも偶然、連邦軍の中にこれの価値を見抜き、行動する連中がいなかったからだ。

 レビルあたりは必死に探していたらしいが、やつは敗戦処理を押し付けられて動きが取れなかった。奴には、偶然、運が向いていなかったということだ。

 

(不思議だ。ここにいる連中も、システムを知り、ほんの少しの時間や金を賭ければ、すべてが変わるというのに)

 

 ジャミトフは、合成コーヒーを傾ける。

 そして隣に座るくたびれたサラリーマンの姿を見る。

 男はネット端末でニュースを読んでいる。

 生地には半年ぶりにイルカがトーキョーの海に放たれたと書かれていた。

 その記事の横に並ぶ関連リンクの中に、海洋浄化システムを納品したブッホ・リサイクルという会社があり、そこの非公開株取引に関する金融商品が乗っていた。

 レートを見るに、破格である。

 もし男の立場なら、ジャミトフは借金をしてでも買っただろう。

 だが、男はあくびをして記事を閉じると、そのままマンガを読み始めた。

 

(――やはりだ。どのような立場でも、偶然の幸運は与えられているのに、気付かない。システムのスイッチを押せる立場にたまたま立っていたのに、そのスイッチを押さない)

 

 ブッホグループは戦後巨大な事業体に成長しつつある。その傘下企業の一部でも所有できる権利が手に入るタイミングだったのに、この男はそれを選ばなかった。ジャミトフはブッホ創業時より非公開株式市場でブッホ株を含んだオプション取引をしているので、今更その商品を買う理由はないが、隣に座る男もそうなのだろうか?

 隣に座る男は、イルカを見て、マンガを読んでおしまいだ。

 

 マイクロシステムは常に用意されている。

 政治家になるシステム、軍人になるシステム、パティシエや音楽家になるシステム。

 人の社会はマイクロシステムを無数に積み上げたメッシュ構造体であり、スイッチの押し方さえ分かっていればどこまででも進み続けられる。

 

(時には、スイッチを押すために賭けなければならん時もあるが)

 

 ジャミトフは、ゴップとワイアットのことを想う。

 おそらく、やつらは奴らなりに、スイッチを押すべきタイミングを迎えて、迷わずそのスイッチを押したのだ。

 そのスイッチがどういう意味を持つのか、まだジャミトフには分からない。

 しかし、これだけはわかる。

 あいつらは、とるに足らないマイクロシステムのスイッチを押すような玉じゃない。

 間違いなく、巨大なシステムのスイッチを押したのだろうと。

 そのために、命を懸けたのだ。

 

(くだらねぇ人間と、そうじゃねぇ人間の分け方を教えてやるよ。でかく賭けられるやつか、そうじゃねぇかだ。この世の偶然の波を乗りこなせよ、少年)

 

 ガノータの言葉を思い出す。

 果たして自分は、でかく賭けているだろうか――とジャミトフは思慮を巡らす。

 

 賭けているだろう、とは思う。

 今日もタオの間でガノータの啓示は得られなかったが、やつが黙っているということはまだやつのいう「くだらねぇ人間」になっていないからだろう。

 

 

 

 

 ジャブローの地下空港に降り立ったジャミトフは、自らが総裁を務める大陸復興公社のオフィスに向かった。

 地球圏の復興を一手に担うべく、0080年に様々な権能を集約した大陸復興公社が創設される。その名の通り、連邦政府の資本によって作られた公的社団である。

 政府の出資による機関である以上、その総裁は政府サイドの文官や外部コンサルタント、あるいは民間の誰かに委ねられるべきであろう、というのがいわゆる市政の人々の感覚というものかもしれない。

 

 しかし、実態は違う。

 立法時に起案された法文は、総裁は地球連邦政府の指名による、としか書かれていない。

 

 これはそういうゲームなのだ、と理解したジャミトフは直ちに行動を開始した。

 地球連邦軍の少将というポジションについていた彼は、連邦政府の内閣に繋がるスイッチを片っ端から押していき、時には恫喝、時には金を使い、見事その椅子を手に入れて見せた。

 

 ジャミトフは総裁室に入ると、壁一面に埋め込まれているすべてのモニタを起動させる。

 映し出されるは、一年戦争以前と以後の金融相場に関するあらゆる市場情報である。

 

 特に、彼は大陸復興公社の総裁として、住宅や不動産市場の情報に注目していた。

 コロニー落としの影響や、戦争の影響で地方自治政府が機能不全に陥り、金融機関もその経営機能を喪失していた戦後直後の状況に、大陸復興公社の総裁という椅子を手にいれられた偶然に、ジャミトフは感謝した。

 

 そして、3年前から、彼は種をまき続けていた。

 荒廃した国土に付きまとうのは、住宅ローンである。

 彼はこれに着目した。

 これをかき集めてモーゲージ債にしよう、と。

 

 モーゲージ債は国債や社債とは違う性質を持つ。

 国債や社債は償還期間が明示された大きなローンであり、その償還は期限によってもたらされる。

 一方、モーゲージ債は何千件もの個人住宅ローンのプールを作り、そこから生じたキャッシュフローに対する請求権になる。

 

 もともと、住宅ローンというものは金利が安いタイミングに借り手側が繰り上げ返済を行うことがままある。

 安直にモーゲージ債を組成してしまうと、モーゲージ債の買い手は突然償還された現金を抱え込んでしまう事態になる可能性がある。これは投資家が自らの企図した投資タイミングでないのに現金化されるのと同義であり、機会損失である。

 

 そこで、ジャミトフは知恵を絞った。

 住宅ローンを債券化する問題点は「いきなり償還されてよくわからないタイミングに現金が手に入ってしまう」ということだ。

 

 これを解決すべく、ジャミトフの編み出した錬金術はこうだ。

 

1 住宅ローンをかき集めて巨大なため池を作る。

 

2 このため池に沈んでいる住宅所有者から返済分を切り分けて、第〇ガンダムと名付ける。

 

3 第一ガンダムは繰り上げ返済を突然食らうリスクがあるが、そのかわり一番高い利率を得られる。

 

4 第二ガンダムは二番目にリスク高く、二番目に高い利率が得られる。

 

以後、第三、第四と続いてく。ファイナルガンダムは一番リスクが少なく、得られる利率も少ない。

 

 この仕組みを下支えする住宅ローンの利用者に関する保証も、大陸復興公社が政府資金で保証することになっている。これは、たとえ住宅ローンの返済に行き詰った借り手がいたとしても、政府が肩代わりしてくれることを意味する。

 

 このモーゲージ債は、完全に破壊されていた戦後の連邦経済を再起動させた。

 

 戦火で家を失った人々は、生活を再建すべく金融機関で住宅ローンを借りるのが容易になった。政府保証があるから、金融機関が遠慮なく金を貸すのだ。

 そして、金融機関は貸付した住宅ローンをさっさとジャミトフ傘下の大陸復興公社に売り渡した。これにより、金を貸せば貸すほど即座に、簡単に利ザヤを稼げるため、市中銀行はますます住宅ローンを推すようになった。

 

 ジャミトフは、大量にかき集めた住宅ローンをモーゲージ債に組成しなおし、それを月面経済圏の機関投資家に売りまくった。

 月の資本主義の妖怪たちは、アナハイムが作ったガンダムなどよりも、ジャミトフが作りだしたモーゲージ債の第一ガンダムを買うか、ファイナルガンダムを買うかに夢中になり、大陸復興公社は販売手数料と管理費用で巨額のキャッシュフローを得ることができた。

 

 

 

 ジャミトフは、この数年で地球圏経済の救世主となっていた。

 金も家もない戦災に苦しむ人々を。

 破綻した金融システムのせいで機能不全に陥っていた市中銀行を。

 そして月の金が余って仕方がない連中を。

 

 

 

 軍人として華々しい成果を持たぬ彼は、このまま少将として舞台裏に静かに引っ込み、ただの金持ち老人として過ごす未来しかなかったが――偶然、ゴップが死に、ワイアットが死に、レビルはその力をそがれた。

 

 まさに、偶然ゆえに、彼は表舞台への階段を手に入れたのだ。

 

 さて、その手腕が買われて0081年にはすでに、インターナショナル国債公社総裁の椅子をもジャミトフは手に入れていた。

 これにより、大陸復興公社が組成したモーゲージ債のみならず、各サイドの自治政府が発行する債券にまでその一手に引き受ける権限を手に入れた。

 

 ジャミトフは大陸復興公社総裁として『宇宙大陸』たる連邦政府傘下にあるコロニー政府に、コロニー復興計画を持ち掛けた。

 その財源を各サイドの発行する自治政府債として発行し、それをインターナショナル国債公社が一括引き受けをする。

 これにより、各サイド自治体は一括で大量の現金を手に入れることができ、戦後復興政策を加速させることができるようになった。

 

 逆に、大量の債券を抱えることになるインターナショナル国債公社は、その債券の請求権を分離し、大陸復興公社に売り渡した。

 

 売り渡された大陸復興公社は、それをモーゲージ債に組み入れて、ファイナルガンダムを買いたい連中向けの低リスク低利益商品とした。

 

 しかも、この自治政府債の発行は、コロニー政府の財源を担保とするようなものではなく、大陸復興公社が第一抵当権者として設定された、スペースコロニーそのものの所有権を担保にしていた。

 もし各サイドの自治政府が自治債を返済できなかったとしても、大陸復興公社がコロニーに抵当権を行使し、その支配を確立することでコロニーに住まう連邦市民から直接税金として返済を得ることができる担保を設けていたのである。

 

(もちろん、コロニーに移住したい低所得者は、住む場所を手に入れるべく住宅ローンを組むだろう。完璧なサイクルだ)

 

 このシステムにより、人々の宇宙移民はますます促進されるはずだ、とジャミトフは考えていた。なぜなら復興コロニーのほうが土地と住宅の価格は安く、地球を捨てて宇宙の新天地を目指したほうが、未来があるように制度を設計したからだ。

 各サイドの自治政府は債券発行による大量資金供給を受けて、サイド内経済を回転させるべく大幅な公共投資を行うはずだ。これによりそのサイドのマクロ経済政策は積極財政に振られ、かならず景気はよくなる、と計算していた。

 

 彼は大陸復興公社の執務室の壁面を覆うデータを見る。

 そして、これだけのシステムを設計してもなお、スイッチを押さない人々が地球にいくらでもいる現実に驚いた。

 データは、いまだに宇宙移民がしぶられていることを示していた。

 

「――ふむ。人々にわかりやすくボタンを明示してやる必要があるか」

 

 そんなことを考えながら、ジャミトフは執務室の椅子に腰かけて目を閉じる。

 マントラを唱え、静かに、深く呼吸する。

 大呼吸。

 さらに大呼吸。

 息を大きくしていき、己の内圧を高めていく。

 ――つながった。ガノータのいる精神時空だ。

 

『ジャミトフよぉ、くだらねぇことやってねぇで、さっさと星の向こうに行こうぜ。でっかく宇宙大航海時代だろ?』

 

 ガノータが、彼の心象風景に舞い降りた。

 彼か彼女かわからない光の幻影は、手元でMSのプラモデルを作っている。

 

「私だけではだめだ。衆生を乗せて、星の向こうにいかなければ」

 

 仏教に深く傾倒しているジャミトフは、地球の保全のためにも救いを求める衆生を星のかなたへと向かわせねばならぬと確信していた。

 

『あーあー、すっかりホトケサマかよ。ま、いいか。そのほうが面白れぇ。いいか、おめーはよ、銀行に世話になれる連中のことを大衆だって思ってんだろ? てめぇ、そりゃネームドキャラだけがその世界に存在してるんだって勘違いと同じくらい、はずかしいぞ?』

「だったらどうしたらいいんだ。私は、どうしたら衆生を救える。どうしたら――ゴップのように道を拓けるんだ?」

 

 どうせ教えてもらえぬと分かりながら、ジャミトフはガノータに訊ねる。

 死ぬ前にゴップのやつに訊いておけばよかったとも思う。

 どうせ――ガノータは教えてくれない。

 

『てめぇの頭で考えな。こっちはてめぇがオモシロいことするかどうかしか興味がねぇ。ただよ、一つヒントをやるよ。何万人殺してでも未来の何十億を救うなら、それはそれで救済だ。クソ悪党として叩かれようが何だろうが、数字は嘘をつかねぇ』

 

 ガノータが無駄な時間過ごしてんじゃねぇ。タイムイズマネーだバカ野郎、といわれ、ジャミトフは幻影から追い出された。

 

 執務室の椅子にうなだれていたジャミトフは、意識を取り戻す。

 何をみたかはあいまいだが、自分が何か視点を間違えていたことだけは覚えている。

 

 もう一度考え直そう、とジャミトフは思案する。

 このシステムだけではすべてがうまくいくわけではない――そう考えたジャミトフは、通信端末を手にし、信頼できる男に連絡を入れる。

 

「ブレックス准将、時間をとってほしい。例の、すべての人々を地球から飛び立たせる『Z計画』の件だ――」

 

 

 

 

 

 シン大尉はトロイホースの自室で硬直していた。

 あれから1か月。

 マッケンジー少佐が復帰されるということなので、快癒記念パーティを開くべく、シークレットで準備を進めていたのだが、今まさに突然ヤザン少尉が部屋にやってきて頭を下げられている異常事態に巻き込まれていた。

 

「隊長、あんたに一生に一度の頼みだ。このパーティだけはやめてくれ。このオレ、ヤザン・ゲーブルの顔を立てると思ってくれ」

 

 90度に腰を折って頼み込むヤザン少尉の姿に、シン大尉は戦慄した。

 これ断ったら絶対に謀殺されると確信したシン大尉は「わかった。やめよう」と即座に宣言した。

 

「ありがとよ、隊長」

 

 頭を上げたヤザンの表情は、先ほどまでの思いつめた表情とは打って変わって、どこか安堵しているようだった。

 どういうこと?

 

「――これで、艦砲射撃の訓練標的にされる未来はねぇな。はぁー、よかった」

 

 そんなことを言ってヤザンはさっさと退出していった。

 シン大尉は仕方なく予約していたケーキなどのキャンセルを行い、泣く泣くキャンセル料を自腹で支払った。

 

 そして間もなく通信教育を受けなければならない、上級幹部課程の予習を始める。

 佐官に昇進するために必要な基礎的な知識を頭に叩き込む課程は、それほど長いわけではない。おおむね半年程度である。

 その間はMS部隊の練度を保つなど、それぞれ最低限のルーティンはこなさなければならない。

 シャニーナ少尉やヤザン少尉も中級幹部課程の履修が始まる――むしろ、トロイホース他、アルファ任務部隊準備団全員がいよいよ本格的に教育フェイズに突入したので、毎日がそれなりに忙しく過ぎている。

 

 すっかりフォンブラウン市に入り浸っている形になってしまっている連邦艦隊を、フォンブラウン市政側が何度か追い出そうと圧力をかけてきたが、経済界の反発により次第に声が小さくなり、せいぜい、早く出ていくように、という通告がたまに届くくらいになったと聞いている。

 

 

 

 コーヒーでもいれるかと、艦内をてくてく歩いていると、重力トレーニングエリアから帰ってきたらしいシャニーナ少尉と出会った。

 

「あ、隊長。みてくださいよ、腹筋バキバキです」

 

 確かに、拝見させてもらった彼女の腹部は屈強になっていた。

 これはいよいよ回し蹴りの速度も速くなっていそうだ。

 

「これはもう芸術品だな。石像のやつと同じだ」

「毎日鍛えてますからね。あ、そうそう、隊長のジムカスタムをフジオカ姐さんが持ち出してましたよ。なんでもアナハイムの実験装備つけるんですって」

「え」

 

 ジムカスタムにアナハイムオプション付ける=ジムカスタム高機動型であることをガノタとして察したシン大尉は、青くなった。

 高機動型MSはその特質上、恐るべき負荷が体にかかる。

 ノーマルスーツの補助アリとしても、Gだのなんだのを考えると、フィジカルトレーニング必須である。

 しかし、シン大尉は上級幹部課程の履修もある。頭があまり良くはないので、相応に根を詰めた勉強をしなくてはならないにも関わらず、フィジカルも鍛えねばならないのだ。

 しかも、月の重力下では筋肉や骨密度低下が早い。それこそ相当の時間をフィジカルトレーニングに割かなければならないことを意味している。

 おわった。

 もう暇なしですわ、とシン大尉はあきらめた。

 

「それでぇ、隊長に重大発表ですっ!」

「な、なんだ?」

「わたしぃ、ガンダムもらっちゃいますっ!」

「ファッ!?」

 

 シン大尉はガタンと、後方にあったリフトグリップの収納箱に背中をぶつけて悶絶する。

 

「何やってるんですか……」

「いや、マジで驚いて。え、ガンダム?」

 

 いや、普通隊長にそういう情報って先んじて来るんじゃないの? と思い、網膜レンズに各種軍令を検索するが、それらしいものはなかった。

 

「ちなみに、何に乗るんで」

「ガンマ・ガンダムって機体らしいです。アナハイムの試作機らしくて、アルファ任務部隊準備団で演習データとるみたいですよ。ゴップちゃんから教えてもらったんです」

「あー……」

 

 イングリッドのことを、ゴップ元帥の孫で影の権力者だと紹介しておいた成果か、シャニーナ少尉はゴップからもたらされた情報がどうやって入手されたかは探ったりしていないようだ。ただ純粋に、リーク情報を楽しんでいるように見える。

 

「ガンマ・ガンダムか」

 

 リックディアスなんだろうなとシン大尉は確信していた。イングリッドからもたらされる様々な情報で、月面経済圏は一蓮托生、アナハイム社もジオニックも、その系列にかかわらず互いに切磋琢磨し、競争したり協働したりしているものらしいので、原作通りあのリックディアスになるんだろうな、と思う。

 

「どんな機体か気になりますね。はやくデータこないなぁ」

「そうだな」

「あ、そうだ、後でシミュレータ付き合ってくださいよ」

「構わないけど、中級幹部課程の準備はいいのか?」

 

 シン大尉が心配そうにいうと、シャニーナが笑う。

 

「隊長、忘れてません? わたしこう見えて、ジャブロー軍官学校卒業してるんですよ?」

「あっ……」

 

 そうだった。彼女は一応、バリバリのエリートキャリアコースとして人事管理されているのだった。シン大尉のようにキャリアレーンチェンジ型ではなく、お勉強ができないと卒業できない名門ジャブロー軍官学校を卒業しているのだった。

 

「余裕とは言いませんけど、隊長よりは切羽詰まってませんよ。じゃ、デートの約束したってことでいいですね?」

「わかった。付き合うよ。時間の予定は入れたから、共有カレンダーみておいてくれ」

 

 シャニーナ少尉を見送り、シン大尉はキッチンエリアでコーヒーを入れる。

 合成コーヒーの粉末を混ぜながら、網膜レンズに映るイングリッドからの着信メッセージに目をやる。この一か月で、シン大尉は身体改造を進めていた。イングリッドとの連絡を保つためと、未来に備えるためだ。

 こちらの情報をいちいち伝えることもなく、彼女はシンの脳チップに埋め込まれた量子通信機を使ってこちらの状態を把握している。

 

『いくじなし』

 

 メッセージの内容は辛辣だった。

 分かっている、としかシン大尉は答えられない。

 シャニーナ少尉の恋心は、間違いなく陽性転移――本来は別の人に向けられたであろう感情が、たまたま信頼に足る自分に向けられる因果になっただけというのが分かっている。

 だが、それがなければ彼女の心の器は壊れてしまうだろう、とシン大尉は前世の記憶で知っていた。恋に恋したような状態を維持しないと、心が辛い現実に耐えられなくて砕けてしまうことだってあるのだ。

 

『あなたのほうが怖いのね。何年かたって彼女の戦争の傷が癒えてきたとき、あなたを置いて去っていくかもしれないから』

 

 図星ではある。

 彼女の今の気持ちを受け入れ、二人で過ごす日々を夢想しないわけでもない。

 だが、ある日――彼女が気づく日が来るかもしれない。これは心のうちから現れた恋ではなく、つらい現実から身を守るために心が編み出した恋なのだ、と。

 

『最低野郎ね。いい男なら、その時が来たら格好よく振られてやるもんよ』

「そう、だよな」

 

 確かにイングリッドのいう通りだ、とシン大尉は納得する。

 

「時機をみて、ちゃんと彼女を受け入れるよ」

『あ、そう。いちゃいちゃしてるところは興味ないけど、振られるところはちゃんと見ててあげるわ』

「余計なお世話だ」

 

 メッセージはそこで終わった。

 彼女は月面経済圏を席巻している金融界のガンダムのほうを調べるのに戻ったようだ。

 破綻とほころびがある、と彼女は言っていたが、シン大尉はそのジャンルでは力になれず、ただ着々と兵士として備えるだけだ。

 

(クラウンは、スゲェな。こっちと違って、あいつはガチで運命を変えるために動く。なんで自分にそれができねぇんだろうな)

 

 運命に対して受け身な己の情けなさにあきれつつ、シン大尉はマグカップ片手に自室へと戻っていった。

 




あと数話くらいで、ちゃんと0087時空(内乱騒ぎ)やれそう(ニタァ)
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