シン/機動戦士ガンダム   作:すしさむらい

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本書には真実はいっさいない。

――カート・ヴォネガット『猫のゆりかご』


第二七話 0085 地獄の窯に火をくべるものたち3

 

 0085年2月中旬、サイド3のニュース番組では、2年後のUC0087年に地球連邦政府と正式に平和条約を締結し、人類の支配権が明確に双頭の権力に分かたれることになる件に関する特集番組が放送されていた。

 しかし、その視聴率はどちらかと言えば振るわず、同時間帯に放送されている『黒い三連星のMSストリームアタック』のほうが人気を博していた。毎週ゲストを呼んで黒い三連星とMSに関するトークをしたり、模擬戦をしたりする娯楽番組である。予備役編入された三人組は、生き生きとジオンのお茶の間に浸透している。

 

 そんなつかの間の平和を利用して休暇を取り、彼らの番組を一人私室で見ていたギレン・ザビは、PNマユナシおじさんとして、いつも通りメッセージを送っておく。

 

「いつも楽しく拝見しています。次は三人でオッゴに乗ってほしいです――」などと書き起こしていると、内閣府から金融市場に関するレポートが届いた。

 

 意識を一介のおじさんからギレン・ザビに切り替え、彼はさっとレポートに目を通す。

 あくまでレポートであり、金融市場に関する各種規制は金融大臣所轄のもと、内閣を経由してすでに公王の認可がなされていた。いまさらギレンが何か口を挟めるものでもない。

 

 ジオン公国はその名の通り、形式的立憲君主制をとるので、ジオン公国憲法もあれば、議会も内閣もある。

 内閣は公王を輔弼する立場であり、かつ軍の統帥権は公王に属していた。この体制は公王独裁を可能とする政治システムであるが、ギレン・ザビは独裁がサステイナブルでない事実を十分理解していたため、学者たちに『公王機関説』を提唱させている。

 公王は内閣の提案を基本的にはすべて承認する機関として振舞い、その独裁権を恣意的に運用することを控える、という統治体制である。

 このままこのシステムを慣習法のように定着させることができれば、次世代のガルマ・ザビ公王にとっても幸せなことだろう――などと、ギレンは考えていた。

 

 さて、レポートを一通り読み終え、黒い三連星の番組に対するコメントを書き込むかと思ったのだが、不意に、心に違和感を覚えた。

 

 ギレン・ザビは金融市場レポートの最後に書いてあったジオン公国に登記されている企業が保有する金融資産リストの比率を眺める。

 

(MBSモーゲージ債か)

 

 地球のジャミトフがバラまいている、政府保証付き住宅ローンを債券化したものだ。

 その性質上、政府保証があるから低リスクでありながらそれなりの償還利率を得られるので、売れて当然の代物ではあった。

 ジオン公国としても、それを政府の公的機関(社会保障機構の運用資金や、軍人年金機構、老齢年金機構など)が資金を投じて利回り目当てに購入していた。その運用スコアも利益が出ているので、何一つ問題はない。

 ただのMBS(Mortgage Backed Securities)だからだ。

 

「なんだ、これは?」

 

 思わず、ギレン・ザビは三連星に送る予定だったコメントを閉じて、モニタに見入る。

 

 モーゲージ債の関連リンクに書かれていた、消費者金融ローンに関するオプション、と題された内容である。

 このオプションは、銀行を利用しない層――文字通り、信用基準が低く、金融取引を高利率の市中消費者金融事業者に頼らなければならない人々のローンに関するものであった。

 

 これは、住宅ローンとその性質を異にしており、償還されない可能性が高い客層に対して貸し出されたローンをプールにまとめなおし、それをモーゲージ債と同様のロジックでくみ上げたものであった。

 

「――ありとあらゆるものを担保にすることを認め、借金をする仕組みか」

 

 戦争で財産を失った人々は、手持ちのものを担保にして借金をして、生活を何とか立て直すしかない。それが車なのか、あるいは時計なのかは問わない。いずれにせよ担保にとれそうなものをすべて担保にして金を貸し付けてやろうという、消費者金融の狙いが透けて見えた。

 

 そして、借り手の返済能力が低いにも関わらず貸し出されたローンの請求権は、またしても分離されて、大陸復興公社に売り渡されていた。

 

 信じがたいことに、売り渡されたジャンクローンを、大陸復興公社は様々な請求権と混ぜ合わせて、リスク分散を図ったCollateralized Debt Obligations 通称CDOとして、販売しているようだ。

 

「リスク……分散?」

 

 ギレン・ザビはかつてノーベル賞なるものを受賞したという数式をふと思い出す。

 

 ブラック=ショールズ方程式。

 

 オプション取引の価値の算定に使用される金融工学モデルである。ブラウン運動と確率微分方程式について、ギレンは適当にそこにあった計算機を叩く。

 

 短期的には――問題ない。一か月、三か月とみる分には、そのモデルが提示するオプションの価値はおおむね統計的にみて正しいと言える。

 

 だが、長期では――おかしい、とギレン・ザビは気づく。

 手元の計算機にモンテカルロ法や二項ツリーモデルなどで式を組みなおしてみるが、やはり短期的には正しく、長期的にはアウトであることがわかる。

 

「CDOはリスク分散をうたい文句に、AAA債券とBBB債券を混ぜているが――なにがどうリスク分散だというのだ?」

 

 よもやま話としてはありうる。リスク大の商品と、リスク小の商品を混ぜたらリスク中です、という話だ。

 

 だが、ギレン・ザビはそれをリスク分散だと判断しなかった。

 彼は金融工学の専門家ではないが、間違いなく戦争と大戦略の専門家ではある。

 クープマンモデルとマクシミン原理、ミニマックス原理をゲーム理論から引っ張り出し、分散化されたとされるモデルが、実は連続的破壊の可能性を秘めている事実を導き出した。

 

 ギレンの叩き出した結論はこうだ。

 CDOを組成するどこか――それこそ、トリプルBでもトリプルAでもいいが、ダメージが現れたら、リスク分散と証券屋が主張するシステムによって、波及的にすべての金融取引にマイナスの影響を与える、と。

 

 ギレンは即座にCGモデルを構成する。

 積み木を積みあげたジェンガのタワーである。これを奴らはCDOと呼んでいる。

 それぞれの積み木がAAAだのBBBだという債券だ。

 あとは、どれでも構わない。

 スポスポと引き抜き、ある程度は大丈夫だから、リスク分散です、と奴らは主張する。

 しかし、引き抜き方を誤れば、たった一か所でもほつれが出れば――すべて崩れ去る。

 

 ギレン・ザビはこの積み木細工モデルを眺める。

 どこだ。どこを引き抜いたら崩れる?

 

 ――違うな。そうではない。このタワーはいつでも崩れうるのだ

 

 ここで先ほどのブラック=ショールズ方程式が生きてくる。

 長期的に予測可能性があいまいになっていくこのモデルに基づくなら――あと数年。

 あと数年で間違いなく、この積み木にダメージを与えかねない『過大評価されていた債券』なるものが現れるはず。

 

 ギレンは夜間であるにも関わらず、金融規制を担当する金融取引委員会の委員長を通信端末で呼び出す。

 AIによる回線転送の案内が流れ、しばらく待つとつながった」

 

『――閣下、何かご用命でしょうか……?』

 

 普段は内政に一切干渉しないことを旨としているギレンからの電話に、金融取引委員長はどうやら緊張しているらしい。

 

「連邦のCDOをどの程度買っているか、調査資料が欲しい。公国の国営機関のみならず、公国の影響下にある民間企業すべてだ」

『えぇっ!? 閣下、その、それはあまりにも多いと思いますし、取引秘密保持法の関係もありますから、開示請求込みで二週間程度は時間を頂きたく……』

「構わん。すぐに始めよ」

『は、はい』

 

 ギレン・ザビは通信を終えると、政務に用いる総帥服を着用する。

 私室のドアを開け、外に待機している親衛隊の兵に声をかける。

 

「車を回せ。モーラ邸に向かう」

「はっ」

 

 親衛隊が直ちに車両準備にかかるとともに、随行の護衛部隊が招集された。

 

 

 

 UC0085年6月中旬、ようやくアルファ任務部隊準備団の解散式と、アルファ任務部隊結成式がフォンブラウン市内のホテルで開かれていた。

 

「――アルファ任務部隊員は、地球圏防衛の精兵である自覚をもち、任務に従事するように。では、杯を……乾杯」

 

 マッケンジー中佐がシャンパングラスを掲げると、広大な会場を埋め尽くすアルファ任務部隊員たちが乾杯と、歓声を上げてグラスを高らかと掲げる。

 艦艇運用部門からMS部隊、整備、各種専門スタッフたちを合わせると相応の人数であり、シン少佐は大所帯になったもんだなぁ、などと感慨深くなりながら、テーブルに並んでいる天然物のチキンをバクバクと食べていた。

 

「隊長、食意地張りすぎですよ。もっとスマートな感じは出せないんですか?」

 

 紺色のドレスに身を包んだシャニーナ中尉であった。彼女が持つ皿には、ちんまりとした料理が可愛く並べられている。

 

「そんなんじゃ腹いっぱいにならんだろ。成長期なんだからシャニーナ中尉」

「なに言ってんですか隊長、わたしも今年でハタチですぅ~。成長期なんて終わっちゃいましたぁ~」

 

 ふんすっ、とドレス姿で鼻息を荒くするシャニーナ中尉は、シン少佐からするとどうしてもまだ子どもに見えてしまう。

 一緒にア・バオア・クーで戦った時の彼女は15歳だった。ムーア同胞団の少女兵だった彼女も、もうハタチ……うっ、とシン少佐はハンカチを取り出して涙をぬぐう。

 

「な、なんで泣くんですかそこで……」

「大きくなったなぁ……と」

 

 確かに、涙にぼやけた視界に映る彼女の姿は、もう立派なレディであった。

 

「えっへん。これでわたしもオトナですっ。ということで隊長」

 

 シャニーナ中尉が皿をテーブルにおき、シン少佐の胸元に寄る。

 

「わたし、隊長にお願いがあります。いいですか?」

 

 彼女がこちらを見上げるようにして、確認する。

 

「……はい」

「よし。隊長、今年は成人の特別なプレゼントが欲しいのです。いつもの斜め上のアレなやつじゃない、もっと特別なやつです」

 

 いつの間にか皿を置き、胸の前で手を組んでお願いしてくるシャニーナ中尉の言葉は、どこか熱いものがこもっているように思えた。

 

「わかった。言ってみろ」

「約束が欲しいです。わたしが隊長と同じ階級になったら、わたしの願い事を一つだけ叶えるって、約束してほしいんです」

「た、大金でなければ……ごふっ!!」

 

 なぜか通りすがりのヤザン中尉に肝臓を強打されてしまい、シン少佐はうずくまる。

 普通に上官に対する暴行で重罪であるが、そんなこと言いだそうものなら戦場で消されかねないので、シン少佐はただ黙って悶絶する。

 

「おっとすまねぇ。手が滑っちまった。嬢ちゃん、邪魔してわりぃな。いまやり直しさせっからよ」

 

 悶絶してしゃがみこんでいたシン少佐は、ラムサス、ダンケルらに抱えあげられて、シャニーナ中尉に向き直される。

 

「――よぅし、さ、続きをどうぞ、シャニーナ中尉殿。証人はアルファ任務部隊御一同だ」

 

 気が付けば、シン少佐を囲むように兵たちが集まっていた。

 あの温厚なサンダース曹長や、腕を組んでニヤニヤしているフジオカ技術少佐までいる。

 イオ大尉以下、愚連隊じみたスパルタン部隊の連中もいる。

 

「んんっ! えー、もう一度言います。わたしが隊長と同じ階級に追いついたら、わたしの願い事を一つだけ叶えるって、約束してください」

 

 シン少佐をじっと見つめるシャニーナのまなざしは、真剣そのものであった。

 胸を打たれるものがあり、シン少佐はすっと息を吸い、言葉を選んで答える。

 

「わかった。必ず叶えてやる。たとえ世界が滅ぼうともな」

 

 シン少佐の答えに、周りがなにやら安堵のため息をつく。

 マッケンジー中佐がカツカツと歩み寄ってきて、シン少佐の肩にぽんっ、と手を置いた。

 

「――泣かせたら、銃殺刑だ」

 

 真顔でそう言い残し、マッケンジー中佐は「ほらほら、見世物じゃないぞ」と人だかりに解散を促した。

 

「やれやれ、世話が焼けるぜ……」とヤザン中尉達も、ローストビーフの山に向かって突撃していった。

 

 残されたのは、シン少佐とシャニーナ中尉の二人。

 シャニーナ中尉はすこし涙目になりながら、こういった。

 

「よかった、です」と。

 

 シン少佐は、そっと彼女の涙をハンカチで拭ってやる。

 二人の間にはなんともいえぬ沈黙があった。

 

「……チョコケーキ、食べるか?」

 

 言葉を何とかひねり出したシン少佐だったが、シャニーナ中尉の笑顔とローキックを食らい、再びその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 ヤザン・ゲーブル中尉は、ホテルの大ホールに備えられていた屋外席に出て、ネクタイを緩めて夜風にあたっていた。

 スラムの路地裏で人をボコボコにするしか取り柄がなかったオレが、今じゃ恋のキューピッドかよ、などと自嘲的な笑いを漏らす。

 

「よくやったな、中尉」

 

 マッケンジー中佐がドレスのまま隣に立った。

 彼女はベランダの手すりに手をやりながら、フォンブラウンの夜景を眺めている。

 ちっ――と舌打ちしつつ、ヤザンはスーツのジャケットを脱いで、彼女の肩にかける。

 

「気が利くな。ヤザン中尉」

「――男はよ、強くなくちゃ生きられねぇ。けど、優しくなきゃ生きてる意味がねぇ」

 

 ヤザンなりの人生のルールであった。

 強くあれ。生きるために。

 優しくあれ。生きていることに意味を与えるために。

 親も金もねぇストリートでガキどもを束ねるボス猿時代に気付いた、間違いない真理だ。

 

「で、こんなとこで何の話だ? 司令」

 

 アルファ任務部隊司令として隊を率いるマッケンジー中佐は、いわば御頭であり、ヤザンが敬意を払わなければならない相手だ。

 ヤザンは気に食わない輩に付き従う趣味はないが、気に入ってる連中のケツを支えることは嫌いではない。

 

「モニカ・ハンフリー准将から連絡があった。木星のアレが、地球圏に向けて出発したそうだ。ジュピトリス級とシロッコの艦隊が、ガニメデの巨人を曳航しているそうだ。0087年の初頭には、地球圏にたどり着くだろう」

 

 ヤザンは、まじまじとマッケンジー中佐をみる。

 ウソだろ、と。

 0083年のあの地獄みたいな戦いの後、ヤザンは戦死したゴップ閣下からの遺言じみたメッセージを受け取っていた。

ガニメデの巨人が地球圏に来るようなことがあれば、総力戦になる可能性が高い、と。もしそのような事態が起きたら、貴様の闘争本能が役に立つだろうから、牙を研いでおけ――。

 

 お偉い死者が残した言葉だからこそ、ヤザンは最初こそ重大に受け止めていた。

 しかし、こうやって毎日過ごしてみると、少なくともフォンブラウンの経済は好調で、街中を歩いている限りだと戦争の足音すらなかった。

 ジオンのやつらとも、月の街中だと何の問題もなく飲みまわれるくらいに、連邦とジオンの対立というものの空気も薄れつつあった。

 一年戦争が始まる前は、どこもかしこもピリピリしていて余裕がない雰囲気が世の中に蔓延していたのと比べたら、雲泥の差だ。

 

 だから、ヤザンはこのまま世界はつまらない何かになって、オレなんかが要らないクソ平和にでもなるんだろう、とぼんやりと考えていた。

 シン少佐でもボコって鬱憤を晴らしながら、死ぬまでMSで遊んで暮らそう――などと思っていたくらいだったが……。

 

「最高じゃねぇか」

 

 ヤザンは心の底から幸福感が沸きあがるのを感じる。

 思わず満面の笑みを浮かべてしまうと、マッケンジー中佐が顔をそむけた。

 

「――貴官にとってはな。はぁ、どうしよう……」

 

 突然女の顔になったマッケンジー中佐に、ヤザンはうろたえる。

 

「な、なんだよいきなり」

「ガニメデの巨人とかいうのが来たら、またドンパチでしょ。はぁ……いつ、わたしは彼とのキッズを作れるのかしら」

 

 そんなことオレに言われても……とヤザンはため息をつく。

 

「知らねぇよ。厄介ごとを全部殴り倒しゃぁ、やりたい放題だろ」

 

 適当に答えたヤザンだったが、マッケンジー中佐は天啓を得たかのように、表情が明るくなっている。

 

「それだ」

「あん?」

「要するに、わたしの恋路を邪魔する連中は、みんなぶっ飛ばせばいいのね。なんてわかりやすい……そうよ、わたしにはその力だってある」

 

 ウソだろ。まさかマッケンジー中佐の子作り大作戦のためにオレぁ命を賭けさせられるのか――まぁ、いいか、とヤザンは苦笑する。

 

 よく考えりゃ、MSで真剣に命のやり取りができるなら、理由なんてどうでもいいのだとヤザンは思い至った。

 

「司令の名采配に期待するぜ。オレぁ前に立って暴れるだけさ」

 

 特殊作戦に従事するアルファ任務部隊用にモニカ・ハンフリー准将閣下が用意してくれた運用試験用ネロトレーナーは、今のところシン少佐やシャニーナ嬢ちゃんを叩き落とすくらいの性能は持っている。

 

 そういや、ありゃ面白かった。シン少佐のジムカスタムがどっか持っていかれたと思ったら、ネロトレーナーとかいう新型機に変わってた事件。

 あのジムカスタムに何かこだわりがあったらしいシン大尉(当時)は、アナハイム本社に乗り込んでジムを返せと暴れて逮捕されたり……ほんと、あいつは頭おかしいぜ――などと、この一年のアホな隊長の姿を思い出す。

 

 特殊作戦グループ向けの高性能汎用機としてネロが配備される計画が進んでいて、今のところアルファ任務部隊に先行量産機が届いている。現場フィードバックを経てオメガまでの特殊作戦部隊全部に配備されるのは三年後だとか。

 

「任された。やるぞ、なんだかやるきが出てきた」

 

 燃えるマッケンジー中佐の情念に、ヤザン中尉はシャニーナ中尉よりも恐ろしい何かを一瞬感じた。

 

 

 

 

 機内に施された静音処理は完ぺきで、旧世紀のクラシック音楽のBGMを鮮明に聞き取ることができる。

 一等客室の誰もワーグナーのその曲を聴いていないが、イングリッド・サララ・ゴップだけはタイトなスーツスタイルを柔らかで大柄なシートに沈めながら、耳を傾けている。

 彼女がのるハウンゼン19便は、いま月と地球のちょうど中間地点に至ったところである。

 このまま予定通りに行くならば、地球に到着するまで三時間もかからないだろう。

 

「イングリッド様は、ニーベルングの指輪に興味がおありで?」

 

 隣の客席に座るミシェル・ルオが、まだ子どもなのにもかかわらず、大人ぶった口調で言葉をこぼした。

 

「違うわよ。美しいものに興味があるの。あなたは違って?」

 

 イングリッドは祖父のゴップ元帥がモニカ・ハンフリー大佐(当時)に命じて様々なニュータイプを集めさせていた事実を知っている。ゴップ亡き後、集められたニュータイプたちは、ジャミトフのチャクラ研究所や、連邦軍のムラサメ研究所に奪われぬよう、連邦政府や政財界の有力者に『養子』に出された。

 

「興味は、あります。でも不思議です。人間はこんなにも汚いのに、どうして美しいものを作り出せるのでしょう?」

 

 ミシェル・ルオが幼い顔つきながら厳しい表情で、ハウンゼン19便の一等客室を見渡す。

 地球に向かう連邦勢力内の特権階級詰め合わせパッケージのようなこの船室に、なにか思うところがあるらしい。

 そういったものをむしろ面白いとおもうイングリッドとは、価値観がどうも違うようだ。

 

 イングリッドとミシェル・ルオが同乗することになったのは、まさに偶然だった。

 月のアナハイム・エレクトロニクス社執行役員のアンディ・ウェリントンに引き取られたリタ・ベルナルという少女に会いに行った帰りだったらしい。

 少女二人の再会はそれほどドラマチックなものではなく、ありがちな、一人の男の子の取り合いで終わったようだ、とイングリットは量子脳で読み取った。

 

「……すみません、勝手に頭を覗くなんて、デリカシーがないです」

 

 不満そうにミシェルが告げる。

 

「かわいらしいわね」

「――ずるい。思考迷路張るなんて」

 

 どうやらミシェルがイングリッドの思考を読み取ろうとしたらしい。

 

「あたしの頭を覗きたいなら、もっといい女になりなさいな」

 

 うふふ、と笑うイングリッドに対して、ミシェルが頬を膨らませてむすっと、あちらを向いてしまう。

 

 イングリッドは隣に座るカワイイ女の子をいじめながら、地球圏でやるべき仕事の段取りについて思案する。

 

 まず何よりも――CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を買いまくること。

 イングリッドは地球と月とジオン公国の経済を吹っ飛ばすCDOを『空売り』する方法をずっと探し、ついにそれを見つけたのである。

 

 世の中の投資家たちがジャミトフの生み出した金融ガンダムのどれを買うかに夢中になっている今こそ、もっともCDOが過大評価されているタイミングだと結論づけていた。

 普通の人間であれば絶対にあきらめるであろう、様々な種類が販売されている各CDOの投資目論見書(大抵は数百ページに及ぶ)をすべて読むという苦行を、好奇心旺盛なイングリッドは楽しくこなすことができた。

 

 そして、このCDOが破綻した場合、保険金がもらえるサービスがあるということをイングリッドはつかんだのである。それがCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)である。

 通常、株式や債券を『空売り』するためには、それを借りてくる必要がある。

 しかし、CDOは原理上、それができなかった。

 だが、人類は常に『不安』という言葉に悩まされているので、CDOという手堅い投資についても『不安』がる人々がいるだろう、ということでCDSという金融保険商品が販売されていた。

 

 例えば、40億ハイトのCDOに対する半年ごとのCDS保険料1億ハイトだとする。仮に八か月後に40億ハイトのCDOに10億の損失が発生すれば、CDS保険に基づき10億ハイトのリターンを得ることができる。

 支払った保険料は1億なのに、手に入る払戻金は10億。粗利9億である。

 

 こんなバカみたいな商品があるなんて、とイングリッドは苦笑した。

 人類というのは不安というものから永久に逃れられないのかもしれないと、その悲しき生存本能に同情したのである。

 

 最も、CDSは保険であるから、その料金はリスクに対して連動して上がっていく。ハイリスクなものに対する保険料は当然高いのだ。

 

 しかし、CDOは『リスク分散された投資』とされ、その保険たるCDSはかなり不当に過小評価された相場金額で売りに出されていた。

 

 ここに好機を見出したイングリッドは、月でそれを買おうかと考えた。

 単純に、月の投資銀行や金融保険屋が売っているCDSを買おうと思ったのだ。

 だが、物事というのは不思議なもので、自分だけがうまくいく方法を見つけたと思ったのに、すでに先行している奴によって、月のCDSは予想よりもはるかに高いプライム(保険料)がついていた。

 

 マユナシ・エクイティ・ファンドを名乗る新設された謎の機関投資家が、月のCDSを買い求めていて、いくら祖父のゴップから継承している莫大な財源があるイングリッドでも太刀打ちできない状況に追いやられていた。

 

 しかし、地球はそうでなかった。

 地球連邦経済圏でCDSをバカみたいな安値で売っている投資銀行がかなりあり、そこで調達すればいいと気づいたのだ。

 

 ただ、惜しむらくは、月から通信衛星経由で地球の金融保険企業と取引することが法規制されていたため(※連邦政府の対ジオン金融規制)、わざわざ地球に降りて、海底ケーブル経由のネットにつないでCDS取引を申し込む必要があった。

 

 幸い、特権階級らしく地球への居住権を持っているイングリッドは、月から地球に降りることに対して何ら邪魔されることなく、こうやってハウンゼン19便豪華客船の旅を楽しむことができている。

 

「――イングリッド様、なにか悪いことを考えていませんか?」

 

 機嫌が直ったのか、ミシェルがこちらをみつめている。

 

「さぁ? 良い悪いってよくわからないけれど。ねぇ、ミシェル嬢。ダメなシステムを見つけてしまったときに、人はどう行動したらいいのかしら? システムの誤りを指摘すべきなのか、利用すべきなのか」

 

 ミシェルはうーんとしばらく考え込み、返事をした。

 

「指摘する人もいれば、利用する人もいていいと思います。世の中の正しさは価値観だから、時代や文化でころころ変わります。だから、そんな他人の評価なんか無視して、自分がやるべきだと思ったことをやるべきなんです」

 

 ミシェルの幼いながらも頑張って考えたであろう回答に、イングリッドはなにか未来につながる希望のようなものを見出した気がした。

 いい子だな、と素直に思う。

 

「そうよね。まさに、Do Your Best 」

 

 ごめんなさいね、ジャミトフ大将――とイングリッドは先に謝っておく。

 彼が為そうとしている、地球と人類を守るための仕組みに組み込まれてしまっているシステム上の欠陥を、あたしは教えてあげない……悪い女だから、と。

 




よぉし、あとはスイッチを押すだけだ。
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