すみませぬ。
ムラサメ研の居住棟の狭い個室にて、リュウは量子暗号化通信でイングリッドとやり取りを行っていた。
ベッドに寝転びながら、眼前に表示されるMR(ミックスド・リアリティ)チャットにて「ワイアットと仲良くなった」という報告を受ける。
「肉体関係で篭絡した、とかではないよな?」
「そんな手段が通じる相手じゃないわ。だから知恵の灯をつけてあげたの」
世界システム論の発展形、と思しき試論のデータが送りつけられてきた。
ウォーラスティンの屁理屈を再編し、情報工学とミノフスキー理論を足し合わせてブラッシュアップしたそれは、かつての概念じみたそれから、実証主義と計算主義に支えられた社会工学へと変貌していた。
「ワイアット閣下らしいな。あの方は地球連邦という人類の統合政体を、人類史におけるある種の到達点にしたい欲があるからな」
事実は様々な政治体衝突と妥協の産物なのであるが、それでも地球連邦政府は人類史上まれにみる『人類帝国』である。かつてのローマ帝国やオスマン帝国、中華帝国などと違い、文字通り地球圏を統合する巨大政体である。
実際、その内実はところどころに歪な仕組みがはびこっており、官僚機構や政治機構による自浄作用を求めることができない部分が多々見られるのだが、そこに目をつぶれば、よくできた政体ではある。
これをワイアット閣下は崇めている。彼は歴史と戦史についての理解が深すぎるがゆえに――国家間対立を乗り越えた統合政体たる地球連邦を、人類が主権国家主義や民族主義、宗教主義による血みどろの歴史書の果てに屹立せしめた新たなるバベルの塔、であると確信しているのだろう。
「地球連邦政府こそ、コスモ・バビロニアだとワイアット閣下なら言い出しそうだな」
リュウは未来に現れるかもしれない貴族主義集団について思いをはせる。
オルテガ・イ・ガセット的な貴族主義精神を柱にして独立国家を作るぞ、とフロンティアサイドをゲットするあの集団――本当はいったい何がしたかったのだろうか? 真に大衆を導くつもりがあるのであれば、持続可能性が低い寡頭政体を作ろうとはならないように思えるが……意図は不明だ。
「バベルの塔は言葉を裂かれて倒れた、なんて話だけど――あたしからすれば、地球連邦も同じようなものに思えるわ。連邦の市民社会と政府を維持するべく話し合う場が、利権の確保と権益分配の場に堕落した時、そこに議論の余地はなくなるのよ」
「言葉があれども、言葉が通じない世界の出来上がり、か」
イングリッドの懸念はもっともだ。
だからこそジオンには倒れずに連邦の仮想敵を務めていただきたい。
がんばれ、ギレン閣下。
仮想敵がいる限り、地球連邦市民は団結する理由を持ち合わせる。
もし敵がいなくなれば――オリジナル史実と同じく、ティターンズの台頭以降の内乱時代へと突入し、いつしか地球連邦政府は瓦解するだろう。
のちの時代、こじらせたマフティーが連邦政府へのテロリズムを主導するが――あれはむしろ連邦政府の延命措置のための自作自演、と言ってもいいだろう。
「そんな未来がいい、なんて人はいないと思うけれど――で、リュウはワイアット閣下にどうしてもらいたいの?」
イングリッドが絡めとった現在の地球連邦軍における巨大派閥の長をどう使うか。
リュウ――かつてシンだった男は、ワイアットがいかに息絶え、そして彼の遺志が世界にどのような影響を与えたかを知っている。
「ワイアット閣下とイングリッド嬢には、レビル将軍と話し合ってほしい」
リュウは自らのプランの企図をイングリッドに説明する。
かつての失敗を繰り返すわけにはいかないため、ワイアット、レビル、そしてジオンの怪物たるギレンの三者間で来るべき宇宙怪獣どもの地球圏襲来に備えていただく、という筋が最も理想的だ、と。
実のところ、ギレンについてはあまり心配していない。
ギレン・ザビこそ最も宇宙怪獣との戦いに備えている男である、と言えなくもないからだ。
かつての宇宙怪獣襲来時も、政治的ねじ込みという形でジオン艦隊を地球圏に増派してくれた事実がある。
むしろギレンにはジオン支配下のコロニー側の防衛に責任を負わせるほうがいい。
ゆえに――連邦軍内の軍内派閥問題のほうが深刻だ。
ワイアット、レビル、そしてジャミトフの三者を一つの目的のもとに集わせることさえできれば、後手後手に回った宇宙怪獣に対する地球圏防衛作戦を何とかできる。
「リュウの屁理屈はまぁわかるけれど……あたしに言わせてもらえば、交渉の基本がなってないわ。恫喝、利益供与、カリスマ支配。この三つのどれか、あるいは組み合わせでしか人類の政治的ネゴシエーションは成り立たないのよ? 素人じゃあるまいし、そのくらいはわかるでしょ?」
いやというほど体験したよ、とリュウは首を振る。
「今回は、恫喝と利益供与のバリューセットで攻めるよ。材料は――すぐに手に入れる」
リュウは月へと向かうシャトルの電子チケットをイングリッドに送付する。
「あら、デートのお誘い?」
「君なら楽しめるはずさ。素敵なデートコースを用意しておくよ」
「ふーん。人死にがあまり多くないデートであることを祈るわ」
期待しておいてくれ、といってリュウは通信を切る。
ベッドから起き上がり、リュウはぐっと背伸びをする。
さて、次の一手をうつか、と手荷物一つを手に取り、居室を後にした。
月面都市ゲンガナム――ではなく、この時代ではグラナダの宇宙港にビジネスシャトルが入港した。
与圧後、降機許可が下りるとともにタラップが格納庫に伸びる。
そこを幾人かのビジネス目的の客たちが降り立つ。
その中に、リュウとイングリッドが品のいいスーツスタイルで混じっている。
「さて、その体で初めての月上陸は感動的だろう?」
タラップを降りながら、リュウがイングリッドに訊ねる。
もともと月の義体の中にいたイングリッドの人格のみをサルベージして、ムラサメ研究所のビショップ博士謹製の『せくしぃぼでぃ試作一号』にインストールしたのが、リュウの隣で月の重力に驚いている彼女である。
「――1G?」
イングリッドが格納庫の床に降り立ち、不意にジャンプする。
地球と同じく、その体は重力に縛られていた。
月だから、と楽しくホッピングできるわけではないのだ。
「頭でっかちなイングリッド嬢は、意識が月生まれだからすっかり見落としていたんだろう?」
「くっ……」
珍しく悔しがるイングリッド嬢の表情は、愛嬌があった。
もともと美しく造顔されているのだから当たり前なのだが――量子脳搭載型の超人、というより、年相応のふるまいを見せる乙女である。
「今回の月のデートは、この重力の秘密を巡る旅になる」
かのオリジナルOVA、スターダストメモリーにて地球生まれのウラキ少尉が、月でルナリアンにボコボコにされるというシーンをガノタなら覚えているだろう。月の重力が本当に6分の1であれば、あのようなことはあり得ない。
地球生まれのアースノイドは、常にルナリアンの6倍のウェイトトレーニングを毎日こなしているのだから、殴り負けるウラキは手を抜いていたか、ルナリアンをアースノイドが殴るのは死傷リスクが高すぎて手を出せない、のどちらかであろう。
「――普通に考えたら重力制御よね?」
「そういうことさ」
二人は宇宙港のカフェでドリンクをテイクアウトしつつ、歩を進める。
宇宙港の税関を抜けてロビーを早足で横断し、表で無人タクシーを拾う。
リュウは無人タクシーの制御系を盗み、支配下に置いた。
そして運転席に乗り込む。
「雑なクラッキングね」
イングリッドが当然のように助手席に座り、シートベルトを締める。
「あんまりソースを見てくれるなよ。俺は素人に毛が生えた程度なんだ。君みたいに生来の新人類じゃない」
「バレないように小細工しておいてあげる」
そしてリュウはタクシーを操り、グラナダの文教エリアへと向かう。
歓楽街などとは違い、宇宙移民初期のころからの歴史や遺物を展示するグラナダ博物館他、さまざまな企業パビリオンや図書館、あるいは大学施設などが立ち並ぶ月面人類の知の集約エリアである。
リュウとイングリッドは支配下に置いていたタクシーを原状復帰してリリースする。
もちろん、搭乗履歴は残さない。
タクシーの記録は、客を探して巡回していたことになっている。
去っていくタクシー。
二人は付き合いの長いカップルのように自然と二人で並んで歩きだす。
「清潔すぎるわね」
イングリッドがこのエリアの街並みを見て言葉をこぼす。
町のいたるところに見られる清掃ボットが、街中のゴミを一つ残らず回収している。
地球の戦傷だらけの汚れた世界を見て歩いているイングリッドにとって、ここは地球を見下ろす天上界の連中が住まう隔離都市にしか思えないようだ。
「そうかもな。ただ、俺にはいい思い出しかなくてね」
「どうせ女の話でしょ? あんたにとっての月は、いつだって女がらみだもの」
「否定はしないよ」
「そうね。隣にこんなきれいな子もいるし」
ご名答、とリュウはイングリッドの腕をとる。
当然のように腕を絡めてきたイングリッドを連れて、このエリアで最も有名な施設に向かう。
グラナダ博物館、である。
建物に足を踏み入れ、受付で料金を払い、館内を歩く。
周りの観光客たちに合わせて展示物を見るようなふりをしながら、監視カメラや質量センサ群を騙していく。
下準備を終えた二人は、当然のように連れ添って関係者以外立ち入り禁止のエリアへと至る扉を開く。
そして、壁に隠されているエレベータを当然のように見つけ出し、それを利用して下層へと移動する。
しばらくすると、エレベータの扉が開く。
もちろん、その先には博物館にはなじまない、武骨な廊下。
そこをすすむと、監視所と小銃を手にした警備員たちがいた。
警備員たちの所属は連邦軍でもジオンでもない。
コロニー公社の武装警備員である。
「止まれ。官姓名と身分証、紹介状、物理アクセスキーを提出せよ」
型通りの制止。
リュウは事前に用意してきたそれらを提示。
連れのイングリッドについても同様。
女性の警備員と男性の警備員により、二人は身体検査を受ける。
「失礼ですが、ジョン・バウアー様からの紹介状について確認をとらせていただきます」
連邦議会における欧州選出議員たるジョン・バウアーはもちろんロームフェラ財団が後援している。
当然、根回し済みだ。
しばらく待っていると、警備室で端末をいじっていた者が警備員たちにハンドサインでOKをだす。
「お待たせいたしました。確認が取れました。入室と同時に秘密保持契約に同意したと見なされるため、今後の情報の取り扱いにはご注意ください。状況によっては心身の安全を保障いたしかねます」
事務的の警備員の口調。
リュウとイングリッドは頷く。
「こちらでノーマルスーツを着用ください」
二人は提供されたノーマルスーツを着用。
案内された先の厳めしいハッチの前で待機する。
「――ハッチ解放」
警備員の指示に従い、ハッチが開く。
どうやら警備室からの手動のようだ。
ハッチの先には、さらにハッチがある。
構造からするに、エアロックであることは間違いない。
「エアロックの開放は物理キーで。そこから先は我々が立ち入ることを許されないエリアのため、説明はいたしかねます」
警備員たちは文字通りゲートキーパーに過ぎないようだ。
余計なことを知ると解雇されるだけでは済まないという教育を受けているのだろう。
二人がエアロックに立つと、背後が閉鎖される。
当然のように空気が抜かれる。
眼前のハッチの上部ランプが進入可、の表示に切り替わる。
リュウは物理キーを所定の位置で操作し、ハッチを開放。
月の岩盤を掘り抜いたらしい人が数人通れるだけの坑道。
リュウとイングリッドは、最低限整備されただけの作業灯と誘導灯に従い、坑道を進んでいく。
ただ、ひたすらに、無言のまま。
時計の針が随分と進むほどに歩き続けた。
そして、長い坑道の果てに、突然、壁と人工的なハッチが現れる。
しかし、壁面の素材とはちぐはぐである。
「これは……」
イングリッドからのテキストチャットがリュウの視界に表示される。
「どう見ても後付けよね? 無理やり切り開いたのかしら? ハッチ周りに損傷痕があるし――いや、違うわね。損傷痕があったところにハッチを付けた」
「そうだろうな。この壁の素材は今の技術では破壊不能だそうだ」
「……さすがにオカルトだと思いたくなるわね。でも、これナノラミネート塗装されてるのね。現実にあったなんて信じられないわ」
「オカルトだったら気が楽だったんだけどな」
宇宙世紀0083年現在では、本当に傷一つ付けることができない。
ガノタなら初見でわかるだろうが……ナノラミネートアーマーと呼ばれるべき構造体だからだ。装甲+ナノラミネート塗装によって形作られたこれを貫けるのは、ガニメデのイデオンくらいだろう。
二人はハッチを開き、内部へと進入する。
そこにあったのは、広大な空間――それこそ、ジャブローに匹敵するような地下要塞の如きそれが広がっていた。
「いやいや……これってあれよね?」
「厄祭戦の自動工場だ」
鉄血のオルフェンズにて設定上で語られていたあいまいなそれは、詳細が何一つ明らかになっていない。真実であったのかどうかすら分からない。
ガノタとして分かっていることは、そういった厄祭戦時代の遺物たるMSを使って鉄血のオルフェンズという物語が展開されたことだけだ。
「なら、ここのどこかにエイハブ・リアクターがあるのね。鉄血のオルフェンズはおじいさまの記憶ログで観たわ。設定的に、重力制御を行うことができる特殊な機関だとか」
「ご名答」
月の重力制御。
それを支えるはエイハブ・リアクターである。
これは現在のフォンブラウン市やグラナダ市他、月面都市すべてにおいて最高機密指定されているインフラ技術であり、一般には何ら説明されていないものだ。
地球連邦政府もジオン公国も、限られた連中のみが知りうる極めて重要かつ重大な基幹技術であり、未解明技術でもある。
「その姿を拝もうじゃないか」
リュウは身を固くしているイングリッドの手を引きながら、地下施設の深部へとどんどん進んでいく。
先人たちが――それこそ、旧西暦のころのアポロ計画や嫦娥計画の時代より文字通り一歩ずつ切り開いてきた月の遺跡探査の道を、宇宙世紀のいまを生きるリュウとイングリッドが進んでいるのだ。
「モ……モビルスーツ?」
イングリッドがずらりと並ぶフレーム群に唖然とする。
自動工場らしきエリアにてまるで新品の如く並ぶ機械兵器たちの内骨格は、鉄血のオルフェンズにて語られる数多のフレームの一部である。
「アナハイムのムーバブル・フレーム構想は、ここを探査していたマモル・ナガノ博士が記した論文がもとになっているそうだ」
「マモル・ナガノ論文は物理ペーパーに出力されたものしか残っていないから――あたしたちみたいな量子脳もちでもアクセスできないわね」
「それがアナハイムの狙いだろうな。いつか現れるであろう、電子親和性の新人類への対抗策は、シンプルに、アナログなハードウェアに情報を残して管理することだよ」
「心を読めるニュータイプには対抗できないでしょうけれど」
「そう、かもな」
リュウは知っている。心理防壁や心理迷宮という対ニュータイプ用マインドステルス技術があるのだ。ニュータイプにすら対抗しうるオールドタイプたちのサイエンスの技法に抗うほうが、逆に難しいのではないだろうか、とも思う。
ただ、それはいまだ人の社会のあれこれの機微をしらぬイングリッドに今つたえることではない。
「――さて、ここが重力を巡る旅、の終着点だ」
奥深く。
ついに目的地へとたどり着く。
「ねぇ、あれって……ひと?」
フレーム工場を抜け、いよいよエイハブ・リアクター製造施設内に入ったときだ。
無機質に整理された合理的工場の一角に、ノーマルスーツの姿。
イングリッドは目ざとくそれを認め、警戒を強めたようだ。
だが、そう警戒する相手でもない。
レビル将軍とのつなぎ役をやってくれる、頼れる彼が待っていてくれただけだ。
だから、リュウは警戒するイングリッドの腕を引き、そのままノーマルスーツ姿の男のもとへと歩みを進める。
邂逅。
ノーマルスーツの男が振り返り、リュウをまっすぐに見据える。
リュウは微笑を浮かべながらそのまなざしを受け止める。
そして、イングリッドはリュウの影に隠れながら、二人の関係を訝しむ。
「シン中尉……どうしてあなたがリュウさんの体を使っているんですか?」
「アムロ君、君は言葉を殺す術を身につけたほうがいい。感情が包まれすぎているぞ」
「――っ! あなたはいつもそうだ。そうやって、他人を見下すことしかしない」
白いノーマルスーツの男、アムロ・レイの言葉には戸惑いと驚き。
わずかな失意、そして明確な敵意が含まれていた。