生きるために。
ほかのチョイスはなかった。
たったそれだけの動機でガンダムに乗ったときから、アムロ・レイの人生は様変わりした。
思い通りに生きて、思い通りに死ぬことなど出来ない、とアムロは幼いころから分かってはいた。父の仕事の関係で住処を転々とし、所属する学校やコミュニティをころころ変えさせられていたのだから――どこか人と違った生き方になってしまうだろう、という幼心での直観。
それは、あのサイド7にザクが来た時に現実のものとなった。
力なきアムロという少年が偶然乗り込んだガンダムは、ザクを二機撃破。
兵器を屠る力を突然得たアムロは、当然思い違いをした。
自分は、特別なのではないか――
そして、それが思い違いに過ぎないことを、数日後に敵に教えられた。
ジオンのシャア・アズナブルとクラウンの連携に翻弄され、武装解除されたアムロ・レイは臨時で軍籍に身を置いてから数日で、捕虜となり――あっさりと解放された。
セイラさんを、奪われた。
ガンダムを奪われた。
ホワイトベースも奪われた。
ランチ(※連絡艇)の中に放り込まれ、そのまま宙域に放置されたアムロたちは無力感に包まれながら数時間漂い、連邦のパトロール艦隊に救助される。
その時のアムロ・レイの心に刻まれた教訓はただ一つ。
勝てなければ、奪われる、であった。
この教訓を胸に刻み、アムロ・レイは正式に軍に志願し、宇宙世紀における歩兵たるMS乗りとして戦場に放り出された。
新たに配属されたペガサス級で月方面を転戦し、グラナダのキシリア隷下の戦力を引き受ける任務にまい進した。
目の前に現れるMSを叩いていくだけのシンプルな仕事。
ハイスクールの課程途上で兵士となったアムロに出来る仕事は、現実的にもそれ以外なかった。
上番時間になると、新たに配備されたガンダムに乗り込む。
会敵してブライトさんの指示で出撃。
敵を屠り、可能な限り敵の母艦も落とし、あとはとんぼ返りで着艦するだけだ。
たったそれだけのことをするだけ。
それだけなのに、誰もがアムロを讃えてくれた。
人殺しが誰よりも上手い、という事実。
この事実について戦争は美的解釈を与えてくれる。
そして、一年戦争終盤、アムロは国家から勲章を数多与えられ、人殺しの才能を正当化してもらった。
アムロの歪さはここに極まった。
戦争とそれにまつわる戦闘行為を正当化するために編み出された、巧緻なる政治システムである制度に過ぎぬ勲章を、アムロは額面通りに賞賛と受け取った。
若きティーンエイジャーであるがゆえに。
感受性豊かであるがゆえに。
誰よりも繊細であるがゆえに。
アムロは世界を疑うことを知らなかった。
そして戦後、彼は一種のアイドルとして軍の広報活動に協力する。
また、アムロはその才能を周りの大人たちに利用されるかのように、開発実験機のテストパイロットとしてその性能限界を引き出す仕事に従事するようになる。
アムロは、疑っていなかった。
もう自分に勝るパイロットはいない、と。
ジオンのシャアやクラウンが出てきても、いまの自分なら必ずや抗しうる、と。
――もう、奪われない。
そう思えたのだ。
だが、またしてもそれが勘違いであることを、彼に思い知らされた。
どこ誰とも知らない、掃いて捨てるほどいる一般パイロットに過ぎない男。
シン、中尉。
名前を思い返すだけでも腹が立つ、あの平たい顔をした男。
平たい顔のシン中尉に、アムロは殺された。
忘れもしない、月の演習場。
当時最高のガンダムである試作0号機。
そして慣熟し文字通り一体化していたアムロ。
対峙するは、ジムコマンドLA。
乗っているのは平たい顔のシン中尉。
負ける要素はどこにもなかった。
だが、いざ演習が始まってみると雰囲気は一変。
機体の性能差があるにもかかわらず、どこまでも追いすがってくるジムコマンドLA。
アムロが想定していた様々な戦技を、まるで読んでいたかの如くいなしてくるシン中尉の技量。
そして、ほんの一瞬。
こつん、と何かが触れる音がしたとき――アムロ・レイは己がビームの刃に消失させられているヴィジョンをまざまざと観てしまった。
演習の判定AIは発振していないサーベルの柄が当たっただけであると判断し、それを検知しなかった。
だが、すでに幾多の戦闘を潜り抜けて戦場の感覚を知っているアムロには分かっていた。
柄が当たったのではない。
いま、一瞬で焼き殺されたのだ、と。
戦場で殺意を向けられていたのを、今までは受け流すことができていた。
自分のほうが強い、絶対に生き残れる、という確信が向けられる生々しい殺意への盾となっていたのだ。
だが、シン中尉のジムコマンドLAのサーベル発振器を当てられたときのそれは……。
「シン中尉、あなたは人を殺すときに何の感情も抱いていませんね? ただ『処理』しているだけだ。僕は……僕はあのとき、あなたにゴミのように処分されたんだ」
月の地下に眠る秘密施設。
眼前に余裕の笑みを浮かべて屹立するリュウさんの体をしたシン中尉。
アムロ・レイは不安を覆い隠すために、努めて大きな声で彼に言葉を向けた。
唇を固く結んだまま黙り込んでしまったアムロ・レイをみるリュウ・ムラサメ。
彼は、アムロに己の正体をあっけなく見抜かれてしまったことに、多少の驚きを抱いていた。もう少しくらいは気づかれぬだろう、と最強のニュータイプを相手になめたことを考えていた己にビンタしたくなる。
パチ、パチ、パチとリュウは手をクラップする。
そしてノーマルスーツのヘルメットを脱ぐ。
エイハブ・リアクターがあるこのエリアはすでにライフラインが整備されているため、エアに満たされている。
「アムロ君、とてもナイーヴな言葉をありがとう。確かに、自分は任務で敵を排除したり無力化することに特別な感情を抱かないよ」
リュウの態度を受けてか、アムロもまたヘルメットも脱いだ。
「シン中尉、説明してください。なぜ、あなたがリュウさんの体を使っているんですか? リュウさんはどうなったんですか?」
返答次第では、とアムロの手がホルスターにかかる。
かのシャア・アズナブルさんが原作でフェンシング素人のアムロ君に額をカチ割られたことを思いだし、リュウは少し緊張する。
「物騒だな」
「時間稼ぎですか?」
わかった、わかったよ、とリュウかぶりを振る。
「リュウさんは死んだよ。ムラサメ研究所の量子脳移植研究に使われたんだ」
「そんな……」
「本当に勇気のある男だよ、リュウ・ホセイはな。アムロ君がムラサメ研究所のオモチャにされないようにわざわざその身を差し出して犠牲になった」
アムロの表情が動く。
信じられない、といったところだろうか。
だが、信じる信じないの問題ではない。
「事実だ」
「う、うそだっ!」
アムロが拳銃を抜く。
だが、乾いた銃声が一発。
後に抜いたはずのリュウ・ムラサメがアムロの手から拳銃を弾き飛ばしていた。
「くっ……」
手首を押さえてうずくまるアムロ。
トリガーに指をかける前に弾き飛ばしてやったので、指を負傷していることはないだろう。
FCSを標準装備している身体改造バリバリのこちらに分があった。
「信じられないだろうな。自分だって信じられないし、これが夢で――本当の自分は、相変わらずトロイホースでシャニーナや、ヤザンとMS乗り回しているんだって思うこともある」
そういう夢を、見る。
そしてその先に、うまく行かなかった世界の果てを見せつけられるのだ。
だから、ここに来た。
リュウはアムロに小型の情報デバイスを投げつける。
手首を押さえたままの彼は受け取れず、それはからんと床に転がるだけだ。
「そこに一通りの事情説明を入れてある。リュウ・ホセイがどんな目にあって、シン少佐がどう奪い取ったのか、という話をな」
「……シン中尉の間違いでは?」
「察しが悪いな。いまシャニーナと乳繰り合ってるあいつと自分は似て非なる存在だよ。滅んだ世界からはるばるやって来た、出世したシン少佐様だ。敬意を払えよ」
自嘲気味に笑うと、アムロの目が怪訝に細められた。
「なんで――そうか。あなたは……」
アムロが手首を応急テーピングで固定しながらこちらをじっと見る。
何を考えているのかオールドタイプのリュウ・ムラサメには分からないが、アムロの雰囲気から毒が抜けていくように思えた。
「前の世界の僕は、あなたのことを嫌っていなかったのでは?」
急に察しがよくなったな、とリュウは唇の端を上げる。
ニュータイプってやつは理解の枠組みの先を歩いていて、なにもかもを感じているんだということをまざまざと見せつけられる。
「どうだろうな。少なくとも毎年ハロを送っても、そいつを売り払ったりはしなかった」
「……なんでそんなことを?」
「アムロ君の趣味や好きなものを知らないからだ。チャーハンが好きとか、ドビュッシーの曲が好きだとか、そういう個人的な話を聞いたことがなかった。だから、あいつがいつも手入れしてたハロを送り付けてたんだ」
リュウの説明に、アムロがあきれたようなしぐさを見せた。
「シン少佐、あなたはやっぱりバカですね」
突然の罵倒。
しかし棘はなかった。
「ちゃんと、話をすればいいじゃないですか」
「MSシミュレータで散々語り合ったぞ。オンラインだけどな」
「あのですね、MSで殴り合っただけでコミュニケーション取れるわけないですよ。僕は戦争ミュータントじゃないんです」
まさかティーンエイジャーのアムロ君に憐れまれるように説教を食らうとは思っていなかったリュウは、言葉に詰まる。
「そうやって、なんでも自分の思い込みで他人を決めつけて――あなたは全部失ってしまったんでしょう? もう、やめてもいいんじゃないですか。ちゃんと周りを見て、助けてって言えばいいと思います――僕はあなたのことなんか大嫌いですけれど……僕に勝てる人が、そうやってまた間違いを繰り返すのを見ているのは、やるせないです」
間違い――何を間違えている、とリュウは量子脳を回して考える。
ナノ秒で常人の数時間分の検討を行い、己が未来を変えるべく定立した攻略フロート行動タスクをどうやり間違えたかを洗い出す。
誤差こそあるが……致命的な間違い、というものを見つけられなかった。
「その顔――はぁ、いいですよ。ちゃんとレビル将軍には話を付けます」
アムロはリュウが投げよこした事情を詰めた情報端末を……回収しなかった。
彼はただ適当な敬礼をリュウに向けた後、そのまま足早にその場を去ってしまった。
どういうことだ? とリュウは困惑した。
演算予測では、ここでアムロがあの情報を手にして、それをレビルに手わたすところまでが描かれていたのだが。
「ふーん、あれがアムロ・レイね。おもったよりもいい子でびっくりしたわ」
後ろに隠れていたイングリッドが歩み出る。
床に落ちていた情報端末を拾いあげて、じっと見つめている。
その横顔の趣がどこか懐かしく、リュウは見とれていた。
「その目――」
イングリッドがこちらを向く。
「気に入らないわね。生きているはずのものを見ていない、死者に縛られた眼差し。未来を見ているようで、過去ばかり見ている。あたし、あなたをそういう男に育てたつもりはないんだけれど」
リュウは、戦慄した。
とっさに拳銃を抜こうとするが、腕が動かなかった。
もはや体の制御は効かず、ただ口をパクパクさせるだけだ。
視界のHUDから量子脳のコンソールをチェックすると、すでにインジェクションされており身体の制御が奪われていた。
「お口だけ自由にしてあげるわ」
急に感覚が戻り、口がカラカラに乾いていることを悟る。
やられた、と後悔。
「さぁ、あたしの名を言ってみなさい、シン」
リュウは自由になったその口で、イングリッドの体を借りているあの子の名を呼ぶ。
「宇野サララ……」
悟られるわけにはいかぬ相手。
ゴップになり切り、ガンダムの世界を守る恐るべきガノタ。
そして、かつて愛しているとシンが告げた女。
そして、イングリッドの量子脳にバックドアを仕込んでおくような狡猾でしたたかな女。
サララのことだから、イングリッドの人格をオーバライドするのではなく、一時的にパーテーションに隔離して封印いるだけだろう。
本体たるサララは地上のジャブローで相変わらずモグラをやりながら、量子通信を使って体を操り、言葉を編んでいるはずだ。
「シン、あたしはあんたに教えたはずよ。あんたはこういうゲームに向いていないって」
イングリッドの体を操るサララが、かつかつと硬直したリュウに近寄ってくる。
さらり、とリュウの輪郭をなぞるような掌。
「未来から女の尻を追いかけて来ちゃったのね……バカな男」
彼女の指がリュウの唇に触れる。
どうやら、包み隠さず記載した先ほどの情報端末のデータを読み取られたらしい。
それだけにとどまらず、イングリッドに教えた情報も盗み見られているのだろう。
情報優位は崩れ去った。
だが、勝ち誇ってもよさそうなサララは、意外な言葉をこぼした。
「……あたしを助けに来てくれたの?」
そうだ、とリュウは応えたかった。
だが口の自由は再び彼女に奪われていた。
いま、彼女がどういう気持ちかは分からない。
サララが見ていたシンはこちらの世界を生きるシンであり、自分ではない。
ロジカルに、クールに考えれば、いまサララが浮かべる情のこもった眼差しは自分ではなく、こちらのシンに向けられるべきものだ。
「ねぇ、それって……あたしが望んだこと? 死ぬ前にあたしがあんたに、何か頼んだの?」
サララの言葉が、頑なに封じていた想いを解きほぐす。
リュウは、声を大にして叫びたかった。
そうだ、その通りだ、と。
なりふり構わず、心中でリュウは大手を振って声を荒げる。
己の内心を暴露し、私情を垂れ流す。
もっと、君とガンダムの話がしたかった。
君が言った、ガンダムが愛の物語だという話を深く聞きたかった。
愛してくれ、といったその言葉にどうしようもないほど心打たれたと伝えたかった。
そして何よりも、君と交わした約束を守るために、ここに来たと。
俺は、君を離さない。
――俺たちは、二人でガンダムなんだ、と
「ねぇ、シン。言葉にしてくれなくちゃ、女の子は男の子を信じられないんだよ――」
いくらでも言葉にできるさ、口の制御さえ返してくれればな、とリュウ――いや、シンは内面世界で膝をつき、その場にうなだれる。
「――シン、あたしを愛しているなら、絶対に会いに来ないで。あたしを救おうなんてやめて、静かにどこかで新しい人生を見つけてほしい。一生のお願いだから、ちゃんと聞いてね」
サララの指がリュウの唇から離れる。
じっとこちらをみつめる瞳。
その瞳から熱量が消え、静かなイングリッドのそれに代わっていく。
体の自由が戻り、リュウは彼女の体を問答無用で抱き寄せる。
ばかやろう、そんな願い事聞いてやるわけがねぇ、と。
「――っ!? えっ、ちょっと! いきなりなに盛ってんのよ、このバカっ!」
押し返されそうになるが、リュウは離さない。
戸惑いとわずかな恥じらいの色が混じる瞳はもうサララのものではなかった。
それに気づいているのに、リュウはどうしても離すことができなかった。
私はこれまでの人生でずっと「私は愛されない人間なんだ」と思ってきたの。
でも私の人生にはそれよりもっと悪いことがあったと、はじめて気がついたの。
私自身、心から人を愛そうとしなかったのよ。
>>演じることが得意だった、ある女性の言葉