――ティモシー・ザーン『不思議の国トリプレット』
ゼロ・ムラサメ中尉はコックピットの片隅にあるスイッチをいじる。
光通信ではなく、古式ゆかしき短波無線の周波数を調整する。
「さすがイオ中尉。いい趣味してるね」
イオ・フレミング中尉及びその趣味仲間の機体を基地局とした、軍規違反のラジオに耳を傾ける。
宇宙世紀JAZZは地球時代のジャズ以上にフリーで切実だ。
なにせ、人々は全く自由ではないからだ。
連邦議会と連邦政府の権力分立はあいまいになり、地方自治政府と連邦政府の二重統治による市民の税負担の肥大化。
法は国家を守るために運用され、すでに人々の手からは国家からの自由が失われて久しい。
一方、地球時代のJAZZは国家からの自由(※憲法が国民が国家に対する防御権となり、国民は憲法を盾として国家に対抗しえた時代)が成し遂げられていたせいだろうか、どこかJAZZは自由である以上に技巧的であることのほうが好まれたようだ。
『――何聴いてるの、ゼロ兄?』
全天周モニタの3時方向には、アン少尉のペイルライダーDⅡ。シェキナー内蔵のガトリングシステムがフル稼働中だ。スマート弾頭を搭載した弾体が大量に射出され、それらがバケモノたちをミンチに変えていく。
「海賊放送さ。やっぱりJAZZは面白いね。自由とは何か、というのを自然言語とは違う形で語ってくれるんだ」
宇宙世紀JAZZが奏でる『自由』はとても興味深い。
テーマとなっているのは、自由に伴う『孤独』だ。
宇宙世紀JAZZは決して『責任』を音色にしない。なぜなら、自由であることに伴うのは責任ではなく、孤独だけだからだ。
責任はいつだって法規範、社会規範、倫理規範などによって生み出される価値概念でしかなく、人間の自分自身の内面に由来する『自由』に責任など伴うはずもない。
内発的自由の究極形は、すべてからの自由――友も、愛も、仲間たちからすらも自由――であるがゆえに、主旋律の自由には必ず、伴奏としての孤独が奏でられてしまうものだ。
「そう、自由になりたいという君たちの思いは――本当に君たちの意思なんだろうか?」
ゼロ中尉がバケモノのコアに、ビームサーベルを突き立てながらとう。
返ってくるのは雑然とした衝動だけ。
全体意思のもとに、個を捨てた思考がどうなるのかを示す一つの例だった。
「僕はね、人間の自由意思にとても懐疑的なんだ。だって、自分の思考や、感情、欲求や意思が自分だけのものだなんてとても思えないんだ。僕はね、リュウと話しているのなんだかワクワクしたりするし、こうやって彼のために戦っていると、とても幸せを感じる」
ゼロ中尉のペイルライダーDⅡが同時に複数のMSモドキのバケモノをハチの巣にする。
すでにシェキナーは投棄し、補給コンテナからもらい受けたゲルググJ用のビームマシンガンで戦っている。
完全なる消耗戦。
マッケンジー少佐がジオン側とロジを詰めてくれたおかげで、今では互いにサプライラインを繋ぐことができている。
まずは火力、そして補給。
連邦とジオンは必要に迫られればその段階まで協同できるようになるのが、ゼロにっとてとても面白おかしかった。
つい数年前まで殺しあっていた連中が、今度は手を取り合ってバケモノと戦えてしまうのならば、そもそも一年戦争なんてやらなければよかったのだ。
「――なんだろうな、僕の意思はいつだって誰かの影響をうけてるんだ。僕は元々コーヒーが大嫌いだったんだ。苦くて、酸っぱくてさ。でも、リュウが野戦演習の時にさ、寒がっている僕にインスタントコーヒーをいれてくれたんだ。安物で、インクとそんなに変わらない酷い代物なんだ。もちろん、まずくて仕方なかった」
ペイルライダーDⅡの拳がMSモドキの腹部をえぐる。
引きずりだしたコアを握りつぶしながら、ゼロは言葉をつづける。
「それ以来、僕は毎朝コーヒーを飲んでる。まずいなぁって思いながら、好きになってしまったんだ。これって僕の自由意思なんだろうか? それともリュウの意思なんだろうか?」
普通の機体とパイロットであれば、DG細胞に取り込まれてしまうところだが、ゼロにはその心配はない。量子脳による情報干渉を行い、飽和計算量でDG細胞の死活させるからだ。
もとよりムラサメ研究所で研究されていた量子脳技術は、来るべき地球外生命体との接触に備えて開発されていた高度コミュニケーションツールを原型としている。その地球外生命体が、こちらの思考形態と違った場合は、思考汚染を防ぐためにブルートフォースアタックで自衛する仕組みを備えていた。
「どうかな。僕の言いたいことは少しくらい伝わっただろうか」
ゼロとアンのペイルライダー2機の暴虐たる破壊力により、トロイホースを中心とする臨時CP艦隊の宙域に残敵なしと相成った。
『臨時CPより装備開発実験団へ。直掩、感謝する。30秒後に第一軌道艦隊、第三軌道艦隊が超越前進を行う。我々はその後方に続く。随伴できるか?』
マッケンジー少佐はようやく肩の荷を降ろせるようだ。
連邦の正規艦隊の御到着により、文字通り飽和火力戦が始まるだろう。
ジオン艦隊も連邦艦隊の動きに合わせるように、自己の担当戦域を再編しつつある。
「こちら、装備開発実験団MS隊司令代理、ゼロ・ムラサメ中尉です。こちらも30秒後に地球から打ち上げられた増援部隊を受け入れます。180秒の猶予を頂きたいです」
『了解。第一、第三軌道艦隊の超越後、我々は装備実験団の再編を待って前進する』
「ありがとうございます」
ゼロ中尉が謝礼を述べて十秒も経たず、背後から無数の質量が現れた。
戦後、各地の無人工廠で大量生産されたサラミス改級巡洋艦と、コロンブス級空母を中心とした火力のハリネズミたるファランクス・ドクトリン艦隊である。
ゼロ中尉の機体の真横を通り過ぎる巨大なコロンブス級空母から光通信が届けられた。
『貴隊の奮闘に、感謝する』というシンプルなメッセージ。
サラミス級巡洋艦たちがビーム満艦飾を誇らしげに掲げている様は、まさに地球連邦軍はここにいるぞと声高らかに宣言しているように思える。
『――なんか、勝てちゃうんじゃない? ゼロ兄』
今まで連邦軍の他部隊に感謝されるなどという経験がないアン少尉が、興奮したようにうわずった声で話しかけてきた。
「そうかもね」
『おーいっ! がんばってねーっ! わたしたちも、すぐ追いつくからっ!』
アン少尉のペイルライダーDⅡが、通り過ぎるサラミス改級の甲板にズラリとスクランブル待機しているジム改中隊に手を振る。
すると、ジム改中隊の面々が、ブルパップマシンガンで捧げ銃の姿勢をとって答礼してくれた。
『みたっ!? みたっ!? ゼロ兄っ?』
アン少尉の喜びの波長が、ゼロの量子脳にストレートに照射される。
彼女にとって、誰かに認められるということはこんなにも嬉しく、幸せなことなのだということが伝わってくる。
だからこそ、やはりゼロ中尉は人間の自由意思とやらに疑問をもってしまう。
それは、そんなに大事なものなのだろうか?
僕やアンが感じるこの気持ちのままに、生きていたらダメなのだろうか?
どこの誰とも知らないジム改中隊との間に感じた戦場の絆に任せて、士気高らかに戦うことは、本当に自由からの逃走なのだろうか?
「やっぱりわからないよ、僕はこの世界ってやつが、全然わからないや」
サバンナのゾウのウンコよ、聞いてくれ。
人類がアフリカを旅立って何十万年。
いまだに僕はウンコみたいなこと考えてるんだ。
連邦艦隊の増援だろうか。
はるか後方の閃光の数が目に見えて多くなった。
『指向性爆薬セット。3,2.1――』
海兵隊のゲルググMが設置したそれが爆ぜる。
ここはバケモノどもの要塞の表面。
ソロモンやア・バオア・クーの比ではない巨大な体積のおかげが、敵の防衛網には当然の如くムラがあり、クラウン隊及びシーマの海兵隊は手痛い犠牲を払いながらも、ここまでたどり着くことができた。
『侵入口、よし』
ゲルググMとクラウン隊のゲルググJが火器を構えて穴をのぞき込む。
映画のように颯爽と飛び込むようなことはしない。
すでに手持ちの火器弾薬及びEパックは2,3交戦分しかなく、推進剤も離脱用+α程度しか残されていないからだ。
『――さぁて、あとは誘導装置をつけて任務完了さね』
シーマ中佐の専用ゲルググMが何やら要塞級の表面のサンプルを収集した密封容器を腰にアタッチしている。
「中佐、それはやめたほうが……」
クラウンはDG細胞の脅威を把握していた。
否、ここにいる海兵隊、クラウン隊共にその恐ろしさを把握していた。
被弾し、KIAした仲間の機体が突然動き出し、こちらに同化を迫ってくる様は恐怖以外の何物でもなかった。
『モーラ・バシット謹製の完全情報遮断装置ってのがついてるらしい。あたしだってこんな不気味なもん持ち帰りたくはないが、仕事なんでね』
どうやら海兵隊の任務は、要塞級の手薄なところ――つまり、突入用の進路啓開誘導が第一任務であり、工作部隊としてサンプルのお持ち帰りもやる、というところのようだ。
シーマ様の部隊はこれにて、撤退、ということだろう。
『あたしらは帰るが、そっちはどうするのさ?』
シーマの海兵隊の面々は誘導装置を手際よく設置し、すでに撤退準備にかかっている。
「――我々の任務は、限りなく要塞内の深奥部に侵出することです」
クラウン隊の目的は、この要塞級の巨大構造物の内部を調べられる限り調べ、そのデータを持ち帰ることだ。
何人死のうとも構わない。
誰か一人でも生き残り、要塞内部の情報を持ち帰りさえすれば、それでジオンは攻略のための戦略を立てられる。
未知こそ、最大の障壁となるのであればそれを取り払うだけのこと。
ジオンにおいて――ギレンが手元に置いているコマの中で、それが可能であろうと思われるのは、クラウンこそ第一候補であった。
『……ちっ。情がわいちまったよ。少ないが、使いな』
海兵隊のゲルググMたちが牽引していた補給品コンテナの一部を譲渡される。
「いや、しかし中佐たちもご入用でしょう?」
『なんだい、贈り物も素直に受け取れないとは、ジオン殊勲十字章持ちのエリート大尉さんは女の扱いがなってないねぇ』
ちげぇねぇ、と海兵隊のゲルググたちから野卑な笑う声が飛んでくる。
そして、クラウン隊のゲルググJたちと、海兵隊のゲルググMたちが、互いに拳を突き出し、軽く合わせる。
道中を共にしただけの関係だが、互いに背中を預け合った関係でもある。
クラウン隊と、海兵隊はもう戦友なのだ。
『命令だ――死ぬのは、もっといい男になってからにしな、大尉』
拳を突き合わせたシーマ機からの接触回線。
シーマとクラウンだけが知る、記録に残らぬ会話だ。
「了解。ガラハウ中佐も、ご武運を」
『帰ったら、一杯付き合え、大尉』
「はっ。光栄です」
しばしの沈黙の後、シーマたちのゲルググMたちが後退機動に移行する。
クラウン隊は離脱する海兵隊の背中を見送る。
「――クラウン隊各機に告ぐ。ここからは死の行進だ。帰ってこれる保証はどこにもない」
クラウンの言葉に対して、返ってくるのは沈黙だけだ。
「だが、そんなことは知ったことか。俺を見ろ。俺に続け。ジーク・ジオンっ!」
クラウンの雄叫び。
相対するは、荒ぶる斉唱。
『ジーク・ジオン!!!!』
遠くに過行く海兵隊に背を向けたクラウン隊は、ハイザックを先頭にして侵入口へと突入していった。
空母ドロスの中央に存在するコマンドルームには、カスペン上級大佐以下、各参謀及びそのスタッフたちが詰めていた。
カスペン上級大佐は、地球降下JTF改め、臨時で再編された未確認物体初動対策司令部の司令官に横滑りしていた。連邦がいまだに臨時CPしか設置できいない状況に比して、いかに実戦の場で事務効率を高めていくかのノウハウをジオンが有しているかの証左でもあろう。
「――来ました! シーマ隊からの誘導信号受信」
「クラウン隊からも、要塞級未確認物体の内部情報、受信!」
観測班と解析班がそれぞれ、もたらされた重大情報を息をのんで処理している。
以後『アルファ侵入口』と呼称されることになるこの地点に、橋頭保と前進補給所を設置するのが作戦の第二段階となる。
やったか、とカスペン上級大佐は、人類が直面した最悪のファーストコンタクトを好転させる機会を作り出した海兵隊とクラウン隊に心中で喝采する。
「よし、キマイラ隊、ラル隊を中心としたMSTFを投入し、橋頭保と前進補給所を設営させる。MSTF指揮権ははラル少佐に付与。参謀部は直ちにキマイラ隊、ラル隊を直協できるMS大隊を三個以上抽出するとともに、偵察/観測MS中隊を一個つけよ」
観測MSを派遣しておけば、来援した連邦艦隊の火力を存分に使える。
すでにG3調整は終わっているのだから、要求射撃のみならず、計画射撃すらも遂行可能だろう。
「前進中の連邦軍第一軌道艦隊、第三軌道艦隊に対して火力計画書を提出しろ。有無を言わさずやらせればいい。遅刻参戦の手土産というやつを見せてもらえ」
カスペン上級大佐は矢継ぎ早に指示を飛ばしながらも、ストレスを感じていた。
本当であれば、自分もこの歴史的会戦にMSで飛び込んでいきたいのだ。
しかし、指揮官としての役割をこなせる階級を有し、専門教育を受けた存在は、いまのところは自分だけだ。
ゆえに、責任というものを果たさなければならない。
「カスペン司令、地球方面軍統合司令官のマ・クベ大将から通信です」
「繋げ」
この忙しい時に、と思いつつもないがしろにしていい存在ではないため、取り急ぎ対応する。
「未確認物体初動対策司令官のカスペン上級大佐です」
通信がつながるや否や、直ちに申告をする。
『マ・クベである。手短に言う。増援を送った。うまく使え』
「は?」
『以上』
音声のみで、映像が届く前に通信が終わってしまった。
いまのは間違いかなにかか? とカスペンが困惑していると、人事参謀から受入れ予定リストが差し出された。
軍隊の参謀というものは何かにつけて表をつくるのだが、ジオンの参謀は誰もかれもが表づくりの達人だった。
「マ・クベ大将は正気なのか?」
カスペンは目を疑った。
送られてくる増援部隊の指揮官はザビ家のプリンス。
そう、ガルマ・ザビ少将である。
泥臭い地上戦を知る軍人であり、そして地球連邦との一年戦争停戦を実現した政治家でもある。
当然、国民の人気は大変高く、世論の後押しを受けての次代公王就任は間違いないだろう。
そのようなプリンスを、この危険極まりない戦場に放り込むという判断を、マ・クベ大将は下したのだ。
意味が分からない。
意図も分からない。
カスペンのような、軍政畑に疎いがゆえに万年佐官をやってるような人間にとって、理解など出来ようもない。
カスペンは仕方なく、通信を本国の統合参謀本部につなぐ。
事前に想定質問を用意していたので、統合参謀本部からの回答は極めて明瞭であった。
1 ガルマ少将に指揮権を引き継ぐ
2 カスペン上級大佐は、ガルマ少将の参謀長に就任
3 未確認物体初動対策司令室は解散。新設される対外機動防衛軍にすべて継承する
つまり、偉い連中の間でどのような調整が行われたのかは皆目見当もつかないが、このバケモノ退治専門の軍が誕生し、そこに皆で横滑りというわけだ。
最も腹が立つのは、参謀長職を押し付けられたことだ。
もし次世代のプリンスの責任になりかねない重大事が発生した場合、誰かが代わりにハラキリをしなければならない。
そのハラキリ役にカスペンが選ばれたということだろう。
今までは名目上の上司であるマ・クベ大将がハラキリ役だったのだが――
「おのれっ! マ・クベ大将! どさくさに紛れて責任を押し付けてきたのかっ!」
カスペンが頭を抱えて荒れているが、参謀たちはそんな司令のことなど無視して、淡々と己の職務をこなしている。
ここは戦場。
指揮官がストレスで謎の振る舞いをしたとて、参謀にとってそんなものは日常でしかないのである。