最近、同級生に彼氏ができたことをうらやましく思うハマーン・カーンは、自らの邸宅の廊下を鼻歌交じりに進む。
月の最高高等教育機関たるツォルコフスキー記念大学に飛び級入学することが決まった、というサプライズをクラウンにぶつけるべく、わざわざ父だけに知らせて帰ってきたのだる。
帰宅と同時に父に正式に報告。お祝いをしないとね、という父の言葉を受けて、屋敷の使用人たちが料理を準備をしている間、ハマーンは、カーン家の従士たるあの男にもサプライズをせねばと、胸を高鳴らせながらクラウンの私室のドアを叩いた。
「……あら、失礼な男ですこと。せっかくわたくしが帰ってきたというのに」
どうやら不在らしく、何の反応もない──はしたないけれど、こっそりと覗こうかしら? などと扉の前でうんうんと悩んでいると、屋敷の前に装輪車がやってきた音がした。
軍用車の音ということは、彼かしら? とハマーンが期待を胸に秘めていると、突然の銃声。
屋敷内に警報が鳴る。
ハマーンは、邸宅の廊下を駆けた。
息を切らしてセーフルームに飛び込むと、自動ロックがかかる。一度入室してしまうと、内側からロックを解除しない限り、開かない構造だ。
「……な、何事ですの?」
幼いころから、クラウンといつもやっていた警報ゲーム。警報が鳴ったら、鬼役のクラウンがハマーンを追いかける。ハマーンはキャッキャと追いかけられながら、とにかく走ってセーフルームに飛び込むのだ。途中でクラウンに捕まったら、こちょこちょの刑である。
「ひっ!?」
銃声、である。
幼き日より、クラウンから様々な小火器の発砲音を教えられてきた。クラウンに褒められるために、幼いハマーンは一生懸命覚えたものだ。だから、響いている銃声が何かはわかる。
クベ73式無反動アサルトライフル。
これはハマーンの屋敷には無い武器である。つまり、乱入者が射撃をしている、ということだ。
一方で、応戦するかのように続くドズル77式SMG。カーン家の武装使用人が定期訓練で使っていたものだから、よく覚えている。
「大変ですわ……」
心拍が乱れ、足が震えてくる。
怖いからではない。父や使用人たちが心配だからだ。
ハマーンは自力でセーフルームに逃げ込めたが、セーフルームからでは外の様子はうかがえない。
屋敷内に数か所用意されたセーフルームは、大柄な成人男性が二人程寝そべられる広さでしかなく、そもそも皆が逃げ込めるようにはできていない。
残念ながら、カーン家はザビ家のような財産がない。ゆえに、守れるものも限られる。
カーンの家門において優先的に生き残るべきものは、当然、カーン家の血縁者ということになる。理解はできるが、ハマーンとしては納得しかねる理屈であった。
「クラウン……はやく、はやく迎えに来て……」
セーフルームにはいったハマーンに出来ることはない。
せいぜい、膝を抱えて体を丸めていることくらいしかできないのだ。
ズムシティの中央にそびえる、悪役然とした異形のビルたる公王府にて爆発騒ぎがあったのは、クラウン少佐とギレン・ザビが、外務大臣執務室にて年代物のウィスキーを楽しみながらクラウンの昇進の件と、未来に関する悪だくみについて語り合っていた時である。
振動のせいでひっくり返ったウィスキーのボトルを慌てて戻すギレンの様をみたクラウンは、ギレンの名演技であってほしいと願った。
この計算高い男が事態の確認よりもウィスキーごときを救うなどということがあっていいはずがない。動じているのか? と、クラウンはいぶかしんだ。
「……閣下の仕込みではないのですか?」
「ふむ──面白い」
机に広がった高級な液体が、カーペットを汚す様を見つめながら、ギレンが愚にもつかぬ感想を述べた。
「私は、今、人生で初めて驚きというものを覚えた」
普段目にしない、好奇心にあふれたギレンの目をみて、これは重大事案だ、とクラウンは判断する。
「うそ、だろ……むっ!」
クラウンは火事場の馬鹿力にて執務机をひっくり返し、ギレンを影に引っ張り込む。
ギレンの面前においても武装が許されているという極めて特権的な地位にあるクラウンは、携行していたナバン62式拳銃を抜き、安全装置を外す。
窓の向こう側には、ラペリングしてきた工作員らしき影。
同時に対ラミネート爆弾の起爆。
あっさりと吹き飛ぶ窓と、部屋のあれこれを吹き飛ばす衝撃波が襲い掛かる。
粉じんにまみれることを予測していたクラウンは、ハマーン様から頂いたハンカチを口に当てる。
もちろん、ギレンにも、さっきトイレで手を洗った時に使ったハンカチを渡しておいた。
防弾ガラスは銃弾や爆風、衝撃波などに耐えられるように設計されているが、絶対に壊せないものではないのである。
特に、ラミネート構造の防弾ガラスは宇宙世紀においては極めて安価であり、妙にケチ臭いところがあるギレンは、そういったものを自らの身の回りに設置し、清廉清貧であることに陶酔する悪癖がある。人類何億人も殺した大悪党なんだからクダラナイ節約精神は捨てろ、とクラウンは小一時間説教したくなる。
「……」
無言のハンドサインで侵入者がやり取りをしている。
プロの仕事だと判断したクラウンは、下手に打って出ず、ギレンのことが大好きでたまらないデラーズ隷下の武装親衛隊の出番を待つ。
案の定、秒で執務室のドアが開き、スタングレネードが転がってくる。
ギレンとクラウンは、目を閉じ、耳を塞ぐ。
爆音と閃光。
武装親衛隊が突入。
しかし、侵入者もまたプロ。
スタングレネードごとき、イヤーマフと偏向アイカメラシステムであっさりといなす。
始まる銃撃戦。
机の影に隠れていたギレンとクラウンは、目で示し合わせて、武装親衛隊らが飛び込んできたドアを目指すことにする。
敵の発砲音をカウントし、リロードタイミングを計る。
「閣下、援護します。合図を出したら、お先に」
「任せる」
──今だな、とクラウンは身を晒し、拳銃を構える。
クラウンとて量子脳搭載のバケモノである以上、拳銃一つあればそれなりに戦えるはずであった。
しかし、正確に侵入者のボディに二発ずつ打ち込んだにもかかわらず、奴らは一切動ぜずに、クラウンを精確に狙い撃ちしてくる。
「うおぉえ!?」
クラウンは慌ててしゃがみ込み、執務机の影に隠れた。
「……合図はまだかね、クラウン少佐」
「あいつら、歩兵用パワードスーツ装着してますね。小銃程度じゃお話になりませんよ」
まいったな、とクラウンが果敢に抵抗している武装親衛隊のほうを見ると、プランBを意味するピースサインを反転させたハンドサイン。
MSによる強制排除、という意味である。
「閣下、MSが来るまで、ここで待機です」
「……クラウン少佐、それは事実に反するのではないかね?」
は? とクラウンはギレンの視線を追いかける。
窓の外、高機動型ザクⅡ親衛隊仕様のバックパックがぐんぐんとこちらに迫っている。
何かに圧し負けて、そのままこちらに突っ込んできていると分かる。
「南無三っ!?」
クラウンは強運を信じて、ギレンに覆いかぶさる。
直後、何もかもが瓦礫に帰する破砕音。
クラウンの視界はぐるぐると回転し、いたるところを打ち付けられる。
重力(※遠心力)に従って、瓦礫とともに落ちていくことしかできない。
「!?」
ギレンの姿が見えない。
ケルゲレン子あたりが手を貸してくれたのか、単に瓦礫の向こうに消えて行ってしまったのかは、いまは分からない。
簡単に死ぬとは思えないが……。
いや、まずは己である。
死ぬわけにはいかない、とクラウンは切り替え、頭部を守り、耐衝撃姿勢をとりながら、ただ落ちていく。
幾度かの、衝撃。
あばらに走る刺すような痛み。
頭部を守る腕が砕ける音がした。
強烈な喉の渇きを覚えて、意識を取り戻したクラウン。
粉じんのせいでむせ込み、咳が止まらない。
ハマーン様から頂いた貴重なハンカチーフも亡失。
「くそっ!」と怒りとともに声を荒げると、さらにむせかえり、血泡を吐いた。
どうやら話すことすら危ういようだ。
内臓をやったか? と不安になりながらも、何とかむき出しになった鉄骨を支えに立ち上がる。
鼻は折れて、激しく出血しているらしく、呼吸するほどに血を吸いこんでしまい、まともに息ができない。
耳もしばらくはダメそうだ。
這うようにして瓦礫の山を乗り越えると、ようやく外の様子が伺い知れた。
ザビ家に忠誠を誓う武装親衛隊のゲルググらが、ペズン計画で生み出されたガルバルディαの部隊と激しく市外戦を繰り広げる様子が目に入った。
音は一切感じないが、風と、光と、炎の熱さは感じることができる。
「う、ハマーン様……」
ズムシティでこれほどの市街戦闘になっているとすると、主家たるカーン家のことも心配になる。
もしカーン家が被害を受けていたら、月に留学中のハマーン様が里帰りされたとき、悲しまれる。
それは良くない。
彼女の涙をみると、クラウンの胸は物理的に張り裂けてしまいかねない。
だが、軍人ならばこのような事態に巻き込まれた場合、自己の存在を上長に報告し、指示を受け再編成に加わるか、現地の臨編部隊に参加する、あるいは救出活動への助力などを行うべきである。
しかし、クラウンはそのような選択肢を無視する。
まずは、カーン家の御屋敷が無事か、確認せねば、と。
瓦礫の山を転がるように降りたクラウンは、右腕があらぬ方向を向いていることに気付く。量子脳がなければ、いまごろ痛みで意識を失っているはずだ。
「はやく、行かなければ……」
クラウンは、横転していた親衛隊のエレカを執念で起こし、乗り込んで解除パスを打ち込んで起動させる。
ガクンガクンと車体が大きく揺れながらも、ジープ型のエレカは何とか走り出した。
おそらくシャフトがひどいことになっているのだろう。
おまけにモーターが異音を立てているが、問題はない。
屋敷まで持ってくれさえすれば、お役御免である。
カーン家の御屋敷へと続くワグナー通りを進んでいると、お屋敷のほうに赤々とした光と、立ち上る黒煙が見えた。
クラウンの心臓が引き絞られる。奥歯をかみしめながら、クラウンは早く、もっと早くと、アクセルをベタ踏みする。
暴れるハンドルを強引にコントロールしながら、ようやく屋敷の全景が視界に入る。
クラウンは絶句し、息を忘れる。
屋敷に火が放たれ、延焼した炎は、クラウンが幼いハマーンの遊び相手をしていた想い出の庭園を黒く変色させていた。
「あ、あぁ……」
クラウンの震えた声が漏れる。
ただ、動揺こそすれども、軍人としての行動はとる。
破壊された門扉。その先には武装装輪装甲車が三台を目にすると同時に、ただちにジープを路肩へと移動させ、自身は潜伏行動へと移行する。
身をかがめ、にじり寄るように屋敷へと接近する。
庭園に倒れている馴染の使用人たちの無残な遺体に、クラウンは怒りで我を失いそうになるが、なんとか暴れる心を抑え込む。
人影を認めたクラウンは、息を殺す。
じりじりと接近し、焼け焦げた庭木の影へと潜伏し、様子をうかがう。
どうやら、家探しを終えた侵入者たちが、装甲車へと乗り込もうとしているようだ。
「──離しなさいっ! わたくしにこんなことをしてっ、クラウンが黙ってはいませんよっ!」
クラウンは、目を見開いた。
見たくない現実、信じるわけにはいかぬ現実がそこにあることを直視する。
なぜだ。
なぜ、あの御方がここに? 月におられるのでは? と激しく混乱する。
ハマーン様が、二人の兵士に引きずられるように抱え上げられ、連れ去られようとしている。
「何が狙いなのですっ! 父は、マハラジャ・カーンをどうしたのですか!?」
お顔は煤に汚れ、御髪の乱れたハマーン様が毅然と振舞っている御姿をみたクラウンは、己の怠慢に怒りを覚え、身を震わせる。
「調べろ」と誰かが言った。
抵抗していたハマーン様が無理やり立たされ、兵士の一人がナイフを走らせる。
御愛用のピュアホワイトのワンピースが切断され、下着姿を晒された。
「……し、痴れ者め……汚すなら、好きになさい……クラウンが……クラウンが必ずや、あなたたちを殺すでしょう……」
涙を浮かべて震えながらも、気丈に胸を張るハマーンに対して、侵入者が下着に手をいれて淡々と身体検査をし、毛布を掛ける。
「発信機の類はありません」と女の声。
プロの仕事であるが、クラウンは汚された、と判断した。
クラウンの頭から理性が消し飛ぶ。
冷静な軍人ならば、多勢に無勢、状況を静観し、連中が去った後に追跡すべきであるのに、魂が先走ってしまう。
「ハマーン様っ!!」
身を晒し、先端が鋭い枝一本で立ち向かおうと駆ける。
「──クラウン!? あぁ、クラウン、来てくださったのですね!」
ハマーンの涙と煤に汚れた顔に、希望が差し込む。
期待に満ちた瞳。
全幅の信頼と、安堵が彼女から伝わってくる。
「いま、お助けいたしますっ!」
損傷だらけとはいえ強化された身体を持つクラウンである。
並の兵では追従できぬ敏捷性を発揮して蛇行移動。
射撃する侵入者たちの弾幕を回避する。
「強化人間だ。包囲して潰す」
パワードスーツを着用した不埒者たちが、ローラーダッシュを使って散開する。
クラウンは瞬時に排除すべき相手を選別。
敵が包囲射撃を開始すると同時に跳躍し、一人に張りつく。
「!」
クラウンは無言のまま、張り付いた相手の首を狙う。
折れた枝をそのまま凶器として使用し、パワードスーツの首の隙間を貫いて処理する。
死に際のパワードスーツの腕に、刺した腕を強くつかまれ、握りつぶされてしまう。
「っ!」
痛みは、ない。
そんなものは切った。
腕が使えなくなったなら、足を使って殺す。
足がダメなら、口を使うまでのこと。
「斉射」
無感情な命令の元、パワードスーツらが携行していたアサルトライフルが一斉に火を噴く。
一体を始末するために足を止める形となったクラウンは、遺体の収まったパワードスーツを盾にするが、いかんせん多勢に無勢。
ローラーダッシュによる軽快な機動を発揮する侵入者らが、すぐに再包囲。
しこたま弾丸を食らったクラウンは、膝から崩れ落ちる。
「そんな……クラウンっ、うそ、うそですわ?!」
ハマーン様の悲痛な声が響いているというのに、クラウンは体を動かせなかった。
視界を埋め尽くす『致死』『致命』のステータスアイコンの隙間から見える、涙をこぼしながら暴れているハマーン様の御姿。
しかし、無情にも彼女は、装甲車の兵員室へと押し込まれる。
「クラウンっ! 助けてっ! お父様っ、お母さまっ! クラウンっ!」
ハマーン様が泣き叫んでいた。
泣きじゃくる彼女の瞳が、諦めに変わっていくのを見ることしかできないクラウン。
最後の力を振り絞り、手を伸ばそうとすることしかできない。
装甲ハッチが閉じられ、パワードスーツ兵らがローラーダッシュで滑るように車列に合流し、撤収行動を開始する。
放置されたクラウンは、遠くなっていく車列を睨むことしかできない。
全身の血液が庭園に吸われていくのを感じながら、己のふがいなさと、情けなさに打ちひしがれ、嗚咽する。
──宇宙世紀、0084年2月末日、ジオン公国は、ジオン・ズム・ダイクンの思想を信奉する原理主義勢力『ジオンの残光』による同時多発テロにより、国難を迎えていた。