シン/機動戦士ガンダム   作:すしさむらい

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ジオン兵
「奥さん、このあたりが一年前にセント・アンジェのあったところですよ」

――機動戦士ガンダム 第8話『戦場は荒野』


第七〇話 0085 バスク・オムとコロニー落とし

 ──好きでもあり、憎くもあるココナッツの匂いに包まれながら、バスクは年始を故郷で過ごしていた。

 

 コロニー落としを企図するブリティッシュ作戦の脈動が始まった1月1日は、当時左遷地扱いだったアジア太平洋群島統合司令部付の幕僚たる大尉として、来るべきジオン地上降下に備えた演習や、状況想定作りに邁進していた。

 

 ジオンによる大々的な宣戦布告についても、メディアやニュース番組では極めて楽観的な解説ばかりが横行していた。

 

 いわゆる軍事評論家、という連中は皆、ジオンの敗戦を予想しており、『一週間戦争』となるでしょう、などと楽観視する論調が食堂のテレビから流れていた。

 

 地球連邦軍とてそうである。

 ジオンとの戦端が開かれんとピリピリしていたのは宇宙の話であり、地上では例年通りニューイヤーパーティ休暇をとるように指示された。

 

 家に帰って親孝行しろ、と命じられたら従うほかない。

 大尉に昇進していた彼は、礼服を着て挨拶へと赴いた。

 魚と潮の匂いにココナッツとスパイスが合わさった故郷の漁港に降り立ち、ストリートチルドレンたちが「あっ! バスク兄だぁっ!」と殺到するのをいなしながら、何とか母の住まう家(※バスクがローンで買った小さな一軒家)に向かった。

 

 呼び鈴を鳴らし、インターホンに響く母の声。

 

「母ちゃん、バスクだぁ」

「あら、あらあらあら」

 

 慌てた様子でドアが開き、母親と対面し、ハグをする巨漢バスク。

 はたから見ればレスラーが女性を圧殺しようとしているかのようにも見える凶悪な光景だが、ご近所さんたちはバスクが慈愛に富んだ敬虔な南洋宗の信徒であることを知っているため、おーい、バスクさんが帰ってきたぞぉ、と盛り上がっている。

 

「おかえり、バスク。まぁたでっかくなってぇ」

「地球連邦軍に合わせて、オラも大きくなっただぁ」

 

 強くなるためには、でっかくないと、などとわかるような分からないようなことを適当に言いながら、バスクは離れない母親をむんずと離す。

 

「んで、休みは長いん?」

「代休と特別休暇込みで2週間ほどもらったけぇ、しばらくゆっくりできるさぁ」

 

 そんなことを言いながら、ご近所さんに挨拶してくらぁ、とバスクは地球連邦軍アジア太平群島統合司令部名物『アジアンカレースパイス缶』を山ほどこさえた袋を担いで、御近所の挨拶に回る。

 このカレースパイス缶は、ストリートチルドレンや貧困層らの雇用支援目的で南洋宗が経営しているパッキング工場で生産されており、地球連邦軍が現地の人心安定のために貢献すべく仕入れている代物である。

 とりあえずこのアジアンカレースパイス缶のスパイスを使えば、多少ヤバい食べ物でも案外おいしく食べられ、まともな食べ物は極めて美味となる、ということで、貧困地域はもとより、中産階級にも広く人気があるシロモノなっているのである。

 戦争の足音が聞こえる中、保存食需要や調味料需要が高まっている中で、これはご近所さんたちに大変喜ばれた。

 

「ありがとぉなぁ。んで、バスク君、やっぱ戦争は避けられんかね?」などと、ご近所さんたちの関心は一様である。

「宣戦布告があったけぇ、避けられんね」

 

 そんなことをバスクは言いながら、留守中、母をよろしく頼みますとスパイス缶を配る。

 

 あいさつ回りもひと段落し、自宅で母の入れてくれた茶をすすりながら、一息。

 中古のソファに包まれながらテレビを見ると、そこでは相変わらずジオン敗北の『一週間戦争』論が幅を利かせていた。

 

「ジオンってのは、そんな負け戦を始めたいんかね?」と母。

「どうかなぁ」とあいまいにぼかすバスク。

 

 バスクはテレビで流れる評論家たちの意見とは反対である。

 一介の大尉に過ぎぬバスクだが、大局をみようと努力する程度のことは、将来に備えて行っていた。

 自分の持てる権限でアクセスできるデータを入手し、独自に戦況をシミュレートした。

 オペレーションズ・リサーチの手法を駆使したオーソドックスな分析であったが、二点だけバスクは評価変数を加えていた。

 

 それは、ミノフスキー粒子とMSである。

 比較的、出自にうるさくない派閥であるレビル派の将校団(※勉強会をするための将校派閥)の勉強会に誘われて、ミノフスキー粒子が高度電子戦を阻害すること、戦術のスタンダードを20世紀初頭に戻しかねないリスクがある、という話をかじっていたためだ。

 MSに関しては、実はそれほど評価していなかったものの、SIAPと電子戦ネットワークに依存する連邦戦闘機群よりもミノフスキー粒子散布下戦闘を前提に設計され、戦闘ドクトリンを洗練させているMS運用に利がある、と係数をかけたのだ。

 

 その結果は、意外にも五分五分であり、初戦においてはヘタをすれば局地的大敗に至りかねない演算結果が出た。MSとミノフスキー粒子を過大評価しすぎているのではないか、とバスクは再検証したが、結果はやはり、ジオンが想像以上に粘り強い、というものであった。

 

 一年くらいは粘れるだろう、と一週間戦争論に反論したくなるが、いまのバスクは地球連邦軍でエリートとされる宇宙艦艇勤務でもなければ、宇宙軍司令部勤務でもない。

 ただの地上の辺境にある群島で海賊退治と治安維持を果たす、末端の士官に過ぎない。

 いつか、宇宙軍はエリートで、陸軍、海軍、空軍は辺境、という謎の文化が地球連邦軍から消えないだろうか、などと妄想したりしているが、期待薄だ。

 例えば、陸海空宇宙をすべて統合運用しなければならぬ、という巨大な戦争に巻き込まれ、かつ、ドラスティックな人事改革を断行する将官らがいなければ達成不能であろう。

 

 一年戦争になる、などというのは己の願望を変数に混ぜすぎたに違いない。

 

 バスクは、そう結論付けて、彼自身が計算した『一年戦争論』を封印した。

 この戦争はメディアのいうような一週間では終わらぬが、2,3か月でひと段落する強度紛争というのが現実だろう、などと無理やり自信を納得させる。

 今回の戦争は強度紛争程度で終わり、正規戦が展開される総力戦への移行はないだろう……と。

 

「んっ?」

 

 携帯端末が震え、メッセージが届いていた。

 暗号化されていない平文ファイルで、それはバスクが尊敬する先輩であるアデナウアー・パラヤ参謀事務課長からだった。中佐に昇進後、軍籍から離脱して官僚へと異動した彼は、様々な事情をバスクに流してくれる頼れる先輩となっていた。

 

『ジオンはコロニーを落とす。阻止できる保証はない。地球にいるなら高台にて備えろ』

 

 挨拶もなにもない、それだけの平文を見て、バスクは思わずソファから立ち上がった。

 軍隊とは融通が利かないもので、いまから自身の勤務先であるアジア太平洋群島統合司令部に戻ったところで、なんの指揮権も発揮できない。そもそも幕僚として赴任している以上、指揮権を委任されない限り、なんの命令権もないただの指揮官に対する助言者に過ぎないのが今のバスクである。

 

「……どうしたんね?」と不安そうな母。

 

 どうやら、顔に出ていたらしい、とバスクは悟り、安心させるべく笑みを浮かべる。格闘バッチを持つ筋骨隆々のバスクの笑みはやさしげであるが、どこか攻撃的でもある。しかし、母はそんな息子の笑顔の良い部分だけを信じることができる人であった。

 

「いうてみぃ。母ちゃんが手伝えることなら、手伝うけぇ」

 

 ありがとう、とだけバスクは述べて、少しだけ待ってほしい、と小さな書斎へと向かう。

 そこにはバスクがなけなしの給与でローンを組んだ量子PCと複数のモニターがある。

 基本、彼は相変わらず貧しいのだ。

 ローン地獄というやつである。

 彼はチェアに腰かけてマシンを起動する。

 すでに頭の中では数学におけるグラフ理論の問題たる中国人郵便配達問題について暗算が始まっているが、それは故郷の人々に知らせ、説得し、避難させるための最短経路コストを演算するためである。

 

 マシンが立ち上がるとすぐに、バスクは脳内で定立していた諸条件をコーディングする。

 士官学校時代は何度も競技プログラミングで優勝杯をさらった身である。書斎の棚を埋め尽くすトロフィーの数が、彼の努力がこの日のためにあったことを証明している。

 

「──やはり、すぐ行動を開始せねばダメか」

 

 バスクは、はぁ、とシミュレーション結果を見てため息をつく。

 落着物がコロニーである、と想定し、津波の高さを演算する。

 かつてメキシコのユカタン半島に衝突角度60度で激突し、K-Pg境界大量絶滅を引き起こしたチクシュルーブ衝突体が生じさせた津波は、高さ約300メートルだったと考えられている。

 これ程大きな質量物ではないが、それでもなおコロニーは巨大建造物であり、その構造体は小惑星から算出されるマテリアルをもとに精製された比重の大きい素材が大量に使用されている。

 落着時に100~150メートル級の津波を引き起こすのではないか、と想定するのも的外れではない。

 

 そして、これほどの衝撃を受けた地球のプレートに影響が出ないはずがない。

 コロニー落着後には、各地で深刻な地震が発生することだろう。

 その影響を簡単な変数で含んでみる。

 相当甘く、希望的な変数を入れてしまうのは、バスクの人の心が敵を信じてしまっているからだろうか。

 だが、そのような甘い数字を入れて得られた結果に、バスクは巨体を震わせる。

 

「地球総人口の3割近くが失われる……だと?」

 

 バスクは己の演算結果を信じることができなかった。

 だが、数字は数字であるし、アデナウアー・パラヤからもたらされた情報を信じる信じないの点では、信じると決めていた。

 ならば、数字を受け止めるしかないではないか。

 もし甘い数字を入れなければ、地球圏人口の4割程度は失われるのではなかろうか。

 

 地方自治政府が用意している島の避難先を最大効率で運用しても、間違いなく故郷の人々をすべては救えない。

 そもそも群島の山々は活火山でもあるため、津波で退避する先として適切とは言えない。

 津波から逃れたら、直ちに地震と噴火対応の避難をしなければならない。

 

「そんなことが、出来るわけがねぇ」とバスクはおののいた。

 

 本当は、総人口の半分以上を失う、戦とは呼べない何かになるのではないか。

 そんな恐怖がバスクの心中に飛来する。

 誰を救い、誰を見捨てるのか、などという問答がバスクの頭の中に一瞬入り込むが、混乱する心を落ち着かせるべく経典を素読すると、すっと心が冷静になった。

 

「不生不滅、不垢不浄、不増不減」と発破する。

 

 できる、できないではない。

 やるしかないのである。

 バスクは懐から数珠を取り出し、経典を諳んじて仏に祈る。

 一切衆生を救いたまえ、と。

 

 書斎から出てきたバスクは、自身が青い顔をしていることを自覚していた。

 その様をみた母は驚いた様子をみせていた。

 

「バスク……?」

「母ちゃん、教区長と自治会長たちを呼んでくれ。場所はオラが抑える」

 

 バスクはそう母に頼むと、携帯端末で講堂を一つ抑える。

 数多くの人に資料を見せながらプレゼンするためには、借り切るしかない。

 そして、場所を借りる金は……踏み倒すしかない。後払いとして請求書を送ってもらうことにする。その請求書が絶対に届かないであろうことを知る彼は、詐欺師のような気分になっていた。

 

「わ、わかったけんど、あんたは?」

「避難説明の準備と、母ちゃんが逃げる準備をする」

 

 バスクは細かいことは電話する、とだけ母に告げ、自宅にある中古のジープ型エレカに乗って、街へと買い出しに向かう。

 市民たちは誰もコロニーが落ちてくるなどとは知らない。

 だからだろう、市中はいつも通り平穏、というか戦争の高揚感もあってか、どちらかといえば活気があるようにすらみえた。

 

 バスクは誰もが知る会員制巨大倉庫型ストアに向かう。

 入口で会員証をかざして入場すると、巨大なカートを二つ押しながら、簡易トイレキットとペーパー、テント類やキャンプ道具、水や食料にガス缶をかき集める。山盛りになったショッピングカートだが、もとよりまとめ買いが珍しくない倉庫店であるから、特に目立つ様子もなかった。むしろ、バスクのすがたそのもののほうが目立っていたくらいである。

 

 それらの会計を済ませて、バスクは馴染みの銃砲店に向けてジープを走らせた。

 店舗に入るや否や、さっといくつかの拳銃と弾薬、そしてアサルトライフルを見繕い、クレジット払いで頼む、と店主に告げる。

 バスクのことをよく知っている銃砲店の主人は、狩猟でも始めるのかい? などと呑気に尋ねてくる始末である。

 

「おっちゃん、ぜひこれに来てくれんかね」

 

 バスクは有事避難研修会、などと書かれている紙切れを押し付けておく。バスクが自宅のプリンタで印刷した、あまりセンスの良くない一枚である。

 パッとみるかぎり、読み流してゴミ箱へと捨てられる代物なのだが……。

 

「──本気か?」と店主。

「うん。皆は逃がせん。仏様の縁しだいじゃ」

 

 バスクは、自らで避難民を選抜することを諦めていた。

 自分はできる範囲で呼びかける。

 それに反応するかどうかはそれぞれに任せる。

 いわば、仏様の縁頼みであった。

 

「よし、わかった。店じまいするけぇ、好きなんもってけ。タダでええ」

 

 そう言いながら、店主は表のシャッターを閉める。

 近所の商売人が「なんかあったのかい?」と訊ねてくるので、店主はこれをみな、と先ほどの紙切れを手渡した。手渡された側はみるみる顔を青くして、こりゃ大変だ、と紙押し付け返し、走り去った。

 

 店内に戻ってきた店主とともに、無言で準備をする。 

 ご厚意に甘えてハーネス型のホルスターを一つもらい受けて、その場で着用してからフライトジャケットを着こむ。

 そして、もらい受けた拳銃のひとつから弾倉を抜いて実包を詰める。

 実包入りの弾倉を拳銃にインサートし、セーフティを掛けて、懐のホルスターへと隠蔽。

 初弾を装填していないので、誤射事故を起こすことはない。必要なタイミングでスライドさせて初弾装填をして、初めて撃つことができるクラシックスタイルである。

 

 あとはボストンバッグに弾薬と拳銃、そして分解したアサルトライフルをパンパンに詰め込んで、店の裏口からバスクは出ていった。

 

 ジープの助手席に銃を詰め込んだバッグをおいて、運転席に乗り込みハンドルを握る。

 アクセルを踏み、適当なところでUターンを決めて、帰路をたどる。

 先ほどまで街中は呑気なものだったが、一部の店舗が慌てて店じまいを始めていた。

 バスクが広げんとした縁は、少しずつその網を広げつつあるようだ。

 

 

 さて、避難道具一式を満載したジープを自宅の充電器につなぎ、バスクはエレバイクで講堂へと向かった。

 すでに講堂には人が集まりつつあり、不安そうに話し合っている人々の姿が目に入った。

 バスクが単車を走らせてきたのを見た自治会長や近所の人々が集まってきたが、バスクはやんわりと断り、講堂にて話を聞いてほしい、とだけ言って、彼は駐輪場に向かう。

 

 彼はさっさと大股で歩をすすめ、借り受けた講堂施設へと乗り込む。

 関係者通用口から入った彼は、さっさと事務手続きを済ませて控室へと向かう。

 講堂の運営そのものはほぼ自動化されているため、開始時間1時間前には講堂そのもののドアは解放され、人々がぞろぞろと客席を温めている。

 その様子を控室のカメラ映像で確認したバスクは、疎らな客席がすべて埋まってくれることを祈りながら、開演時間を待った。

 

 いよいよ時間となり、バスクは改めて控室のカメラ映像をみる。

 客席は……2/3程度は埋まっていた。

 満足のいく結果ではないが、即席の避難呼びかけとしては上出来だろう、とバスクは判断する。

 バスクは「命は光陰に移されてしばらくも停め難し」などと信仰する南洋宗の読経を行い、気合を入れる。

 

 ──講堂で何を話したかは、全く覚えていない。

 

 必死に何かを語り、人々がそれを信じてくれたことだけは覚えている。

 日頃の母の行いもあるのだろう。

 バスクの言葉は、想像以上に人々に届いたらしい。

 顔を青くした人々が講堂から足早に帰っていくのを見送り、バスクは己が仏から与えられた役割を多少は果たせたのではないか、と思ったことは覚えている。

 

「えらいことに、なるんやね」

 

 おびえた様子の母が控室にやってきたので、バスクはいそごう、母さん、といって母をエレカに乗せる。

 バスクはバイクにまたがり、そのあとを追った。

 

 

 自宅に戻ったバスクは、母に荷造りをするよう言ったのだが。

 

「なぁんもいらん。バスクさえ無事なら、母さんはええんよ」

 

 そんなことを言い出したので、そういうのはいいから、と母に避難生活に必要な服やらなにやらをバッグに詰めさせる。

 バスクは母の準備が整うまで、ソファに腰かけてテレビを眺めていた。

 もうすでに1月1日の日暮れを迎えていた。

 夕方のニュースでは相も変わらずジオン必敗論が流れ、チャンネルを切り替えるとギレン総統の無職時代の話を面白おかしく話すコメディアンたちの番組。

 危機感のない世界と、差し迫った危機に備えて逃げ出そうとしている人々の動きがあるふるさとの間には、明らかに断絶があった。

 世界はつながっていないのだ、という漠然とした実感を覚えながら、バスクはテレビを切った。

 

 

 母を隣に乗せたジープで、バスクは山道を登っていた。

 荷物を満載したジープで、こんな夜中に500m級の低山の山頂に整備されている無人オートキャンプ場に向かう車両など、相当なキャンプマニアか天体観測が趣味の者か、いかがわしい行為目的のカップル以外いないはずであった。

 だが、バスクは前方にも、後方にもそれ相応の車両がヘッドライトとテールランプを光らせて山道を進んでいるのを目にしている。

 どうやら、バスクの蒔いた種は芽を出しつつあるらしい。

 

 サイクロンや台風時に用いる退避シェルターは使えないものと思え、と皆に伝えたのが功を奏した、と思いたいが、所詮は知り合いや南洋宗徒に向けただけの草の根活動に過ぎないことも自覚しているので、バスクは、自らの力の及ばなさを悔いるほかない。

 

「もっと、オラが偉うなっとったら、もっと何とかなったんかの」

 

 バスクがそんなことを隣に座る母にこぼした。

 母は、そんなことは気にするな、と答えた。

 今やれることを精一杯やっておれば、仏さまが見ていてくれる、と。

 そんなものかもしれない、とバスクは諦観とともに、アクセルを踏む。

 

 山頂付近に至り、小道に入って森の中のオートキャンプ場へとたどり着いたバスクは、サイトにテントとタープを張り、母のためにテントの内容を整えた。

 エアマットや寝袋を広げ、母と彼女の私物バッグを押し込み、寒くないように電気毛布とバッテリーパックを用意した。

 

 次いでプライバシーテントも設営し、簡易トイレを設置してトイレットペーパーをぶら下げる。

 

 バスク自身は、これからの混乱に備えて、タープに蚊帳を張って、その中で折り畳み式のテーブルを広げる。

 ソーラー充電式のランタンを吊るして、彼はボストンバッグをテーブルに置いてアサルトライフルの部品を取り出して、組み上げた。

 スリングを通してアサルトライフルを抱きかかえ、彼は折り畳み式カウチに身を預けて、悠然と備える。

 普通、武装してオートキャンプ場にくる輩などいないのだが、バスクは地球連邦軍のワッペンがでかでかと張られたフライトジャケットを着ていたので、バスクのことを知らぬ人々は、連邦軍人が何かしらの理由で治安維持に当たっているのだろう、などと勝手に曲解しているらしかった。

 

 だが、そのような普通の宿泊客たちは、次第に情勢の深刻さを悟り始める。

 いつのまにやら普段は閑散としたオートキャンプ場に、荷物満載のピックアップトラックやら、バンが集まり始めたからである。

 

「……あのぉ、何かあるんですか?」と隣接サイトに旅行客らしい素敵なファミリー向けテントを張り、天体望遠鏡を並べていた品のよさそうな男性が話しかけてきた。

 

 バスクは酷い津波が来る可能性があるから、備えている、と告げる。

 コロニーが落ちてくる、などというバスクの真面目くさった話を最初は不審そうに聞いていた男性だったが、続々と集まってきた車両から出てきた人々が、バスクに指示を求めてくるのを見て、考えを改めたようだ。

 

「もし、仮にですけれど、その……コロニーが落ちてくるとして、今から宇宙港に行って地球から逃げる、というのはできるものなんでしょうか?」

 

 男性の問いかけに対して、バスクは親切にもアデナウアー・パラヤに連絡を取って状況を確認して説明をした。

 

「連邦宇宙軍支援のため、宇宙港はすべて兵站輸送に切り替えられているそうです。残念ながら、いまから宇宙へと脱出するのは無理でしょう」と告げるバスク。

「なるほど……突然のお願いで申し訳ないのですが、私が帰るまで家族の守っていただけないでしょうか?」

 

 彼の申し出に、連邦軍人として当然うむ、と答えるバスクだが、現実に不埒な連中がやってきた場合、組織化がまだまだのこの避難コミュニティでは、守り切れる保証などない。

 

「これを」とバスクは傍らに置いてあったボストンバッグから拳銃を取り出して、男性に手わたした。

 

「──感謝します」と男性は拳銃を受け取り、弾倉を抜いてスライドを引いた。慣れた手つきで安全確認を行う姿に、バスクは男性が訓練を受けた素性を持っていることを悟る。

 

「これは娘に預けます。私は、自前のがあるので」

 

 彼はダウンジャケットのジッパーを下ろして、懐を晒す。

 そこには大口径の狩猟用拳銃が見えた。主に熊対策や、シカ、イノシシ対策に使うものだ。宇宙移民促進の結果、山地の淘汰圧が減ってしまい、獣と出会ってしまう不幸なキャンパーは多い。そういう獣害対策のために備えていた、というところだろう。

 

「一度山を下りて、いろいろと調達してきます」と、彼はバスクに会釈して去っていった。

 

 数分も経たず、男性の乗ったミニバンがキャンプ場から飛び出していった。

 残された家族たちは大丈夫なのだろうか、とバスクが様子をみてみる。 

 フンスっ、と鼻息を荒くしたティーンエイジャーの娘さんが、拳銃を納めたホルスターを腰に堂々と下げて、腕を組んで椅子に身を預けていた。

 

 大丈夫そうだな、とバスクはあくびをする。意外と疲れているようだと自覚し、バスクは隣のサイトで鼻息を荒くしている娘さんに声をかける。

 

「3時間後に起こしてくれないか? 交代で見張ろう」と。

「わかった。代わりに次の交代は6時間ね。わたし、6時間寝ないとすっきりしないの」

 

 中々にキモの座った娘さんだな、とバスクは笑う。

 バスクの笑みは少々攻撃的なところがあるという問題点を、その娘さんは気にした様子がない。

 

「契約成立だな」

「ええ。3時間で起こすから」

 

 バスクは寝袋を引っ張り出し、そのまま長椅子でうつらうつらと意識を飛ばし始める。

 何とも言えない断続的な夢を見ながら──

 

 夜中、バスクはお隣の娘さんに揺すられて目を覚ました。

 あくびをかみ殺しながら、状況に変わりはないかを訊く。

 

「あっちのおじさんたちが、これをって」

 

 娘さんから手渡されたのは、シフト表だった。

 どうやら、いつのまにやらキャンプ場に退避してきた銃砲店の主人らとその親族が、交代で見張りをやるのに協力してくれるらしい。

 ちゃっかりお隣の娘さんも『最強つよつよガール』などという謎の偽名で参加していた。

 元気が余っているティーンエイジャーには気を付けろ、というのが世の常識だが、人手は多いに越したことはない。

 

「なるほど、ご協力、感謝するよ。つよつよガールさん」

「感謝するがよいぞ、おじさん。じゃ、わたしは寝るからね」

 

 ふわぁ、とあくびをしながら彼女はさっさとファミリーテントに潜り込んでいった。

 彼女を見送ったバスクは対面のサイトにいる銃砲店の店主に手を振る。

 相手からもう4時間寝とけ、というハンドサインが来たので、バスクはありがたく休ませてもらうことにする。4時間勤務8時間休憩をひたすら繰り返す艦艇勤務シフト方式に切り替えることにすれば、24時間を3交代で回し続けることができる。

 バスクはシフト表をそのように書き直し、お隣のテントにさしておいた。

 

 

 

 翌朝、バスクが銃砲店の店主と交代して見張り役として無為に時間を消費していると、先日山を下りて行った男性のミニバンが戻ってきた。

 先日の品のよさそうな男性のミニバンがバスクのサイトの隣に停車した。窓からのぞく荷室はモノでパンパンであった。

 

「相当、買い込んできたみたいですね」とバスク。

「いやはや苦労しましたよ。それなりの人が買い込んでいるみたいで、モノを探すのに苦労しました」

「大変でしたね」

「南洋宗の各山の寺院が避難民の受け入れを表明したらしくて、それなりの人たちが避難を始めようとしているようです」

 

 それは朗報であった。

 バスクの危機意識は南洋宗の教区長たちにしっかりと伝わっているらしい。

 

「あ、これシフト表ですか?」と男性がテントに挟まっている紙切れを見て納得している。

「ええ、4時間後によろしく」

「わかりました。一眠りしてから出てきます」

 

 そういって、男性がファミリーテントに潜り込んでいく。

 お帰り、と娘と妻の声に迎えられている様子は、すこしほほえましかった。

 

「バスク、スープじゃ」

 

 バスクのテーブルに、母がインスタントスープとクッキーをおいてくれる。

 

「バスクや。ラジオで変な放送しとるが、大丈夫かの?」

 

 母がポータブルラジオをテーブルに置いた。

 小さな音量で流れてくるのは、地方自治政府が人々にパニック行動を起こさないこと。

 コロニーが落ちてくるなどという流言飛語に惑わされないことを呼びかけているものであった。

 

「流言飛語は重罪じゃいうとるけども」と心配そうな母。

「流言飛語で終わってくれりゃ、オラぁ満足さね」

 

 バスクは、はっはっはと笑うしかない。

 正直、そうであってくれと願う。

 バカなデカ男がクソどうでもいい流言飛語を飛ばして混乱を巻き起こした、というオチで済んでしまうなら、どれだけありがたいことだろうか。

 

 

 

 避難してから7日目の1月8日、バスクは休暇取りやめの話が一向に届かない自身の端末を弄びながら、山中のキャンプ場にとどまっていた。

 宇宙の戦局が悪ければ、集合しろと命令が来るはずなのだが……なんとかなってしまったんだろうか? などと首をかしげる。

 そんなバスクをしり目に、観光客の大半は年始休暇を終えてしまったので、普通に下山していく。

 コロニーが落ちてくるなどと気が触れたかのような危機感を持って忍耐の時期を迎えているバスクと、バスクを知る者たちの動きにあきれた様子を見せながら、彼ら、彼女らは危険なカルト集団から逃げるかのようにキャンプ場を去っていった。

 

 だが、お隣の品のいい男性、ソウジロウさんと、その家族はどうやら違うらしい。バスクとは違う独自のコネがあるらしく、コロニー落としについて確信を持ったようで──彼は臨時買い出し隊を提案。

 今日は最後のチャンスかもしれない、とキャンプ場に残った人々に告げた。

 意見を求められたバスクは、確かに追加の買い出しは必要だ、と同意する。

 

「ソウジロウさんのところのバン、うちのトラックを出そう。念のため、こいつらもつける」

 

 銃砲店の旦那が連れてきた親族の若者たちが、拳銃をぶら下げて参加してくれることになった。

 ソウジロウさんをリーダーにした買い出し隊を見送ったバスクは、改めて自身の携帯端末をチェックする。

 

「む?」

 

 全く衛星通信網とつながらなくなっていた。仕方なく自身の端末を分解したり、ひっくり返したりして時間を潰す。

 

「そっちの端末もだめかい?」と、別のサイトに避難している電気工事技術者の中年女性が困ったような顔をしていた。

 

「そちらもですか?」とバスク。

「ええ。全然だめ。全部の端末が同時にダメになるなんてねぇ」

 

 衛星が全部壊れちゃったのかしらねぇ、などという女性の言葉は苦笑交じりであったが、バスクの心胆を寒からしめるには充分であった。

 

「(間違いない。ミノフスキー粒子が地球の衛星軌道に散布されたのだろう)」

 

 となると、すでに地球軌道上での戦いの前哨戦が始まっていると理解するべきだ。

 バスクはインスタントコーヒーをすすっている母が聞いているラジオに耳を澄ましてみるが、メディアは「現地に帯同した同行ジャーナリストたちからの連絡が途絶えており、戦況の詳報はわかっていませんが」という前置きをしたうえで、連邦とジオンの国力差が何倍もあるという話や、宇宙移民独立という政治スキームは、地球連邦政府によるコロニー自治権の付与ですでになされているのではないか、などという差しさわりのない解説報道が流れているばかりであった。

 

 何か情報はないか、と地上ネット(海底ケーブル経由でつながっている旧来からの高速インターネット網)にアクセスして、情報を探る。

 SNS、動画サイト、コミュニケーションハブをみても、これといって特筆すべき情報はなし。

 すがる思いで、古来からオタクたち──連邦軍の将校らも議論に参加しているといわれている匿名コミュニティ掲示板サイトの高等軍事板をのぞいてみる。

 そこは相変わらず過疎板としてわずかな面々が細々とした議論を繰り広げていた。

 直近のスレッドを開いてみると──ドンピシャであった。

 

『ワイ、コロニー落とし不可避んごねぇ、と悟る』という『穴倉の古たぬき』なるスレ主が主催するスレッドが立っており、おそらく佐官級以上と思われる人物がORデータを張り付けて、地上勤務している連邦軍人は避難誘導始めたほうがいいんごねぇ、などと促していた。

 

 噛みついている輩はいないらしく、『英国ティータイム』を名乗る固定ハンドルネームが『ワイ紳士、総力戦の復活を悟った模様』などとレスを返し、コロニー落とし後に移行するであろう泥沼の総力戦についてクソ長分析ファイルを添付していた。

 つい興味本位でそのファイルをみて、バスクは予想だにしない切れ味の鋭さを覚えるばかりでなく、陸軍、空軍、海軍、宇宙軍という軍種はただの訓練責任単位に変えてしまい、運用単位は統合軍、統合艦隊、統合方面団などに統一し、人材の軍種間流動を大にするとともに、MSと艦艇の統合大量運用を可能とするサプライチェーンの構築を具体的に可能とするプランが提案されており、『名付けてV計画』などと決めセリフを宣っていた。

 決裁権があるものにこのドキュメントが渡れば即座にプロジェクトが始まりそうな状態にあった。

 英国ティータイム氏曰く、『白髭のサンタクロース』なる人物に計画を任せたいのだが、どうやらその人物は最前線送りになっているらしい。

 

 それだけにとどまらず、レスに対して、『金融ヒゲダンディズム』が『ワイ将、すでに災害保険の証券化により事態に備えていた模様』などと穴倉の古たぬき氏にレスを返し、コロニー落としによって発生する巨大な保険金支払いは、可能であると力強く宣言。

 

 曰く、宇宙世紀0074年から未曽有の大戦争に備えて、『災害リスクを証券化』につとめていたらしい。その概要は以下の通りであった。

 すでに、連邦統治下全域における災害リスクを証券化し、キャットボンド(債券)として月の企業群や各地の機関投資家、果てはジオンの企業や機関投資家に売りつけていたという。

 このCAT(Catastrophe=カタストロフィの略)ボンドは、一般に、同程度の格付けの発行主体が発行する普通債よりも高い利率が支払われる代わりに、自然災害(台風・洪水・地震など)が発生した場合には、投資家の償還元本が減少する仕組みの債券を指す。

 

 発行元(※今回の場合、地球連邦政府)は、普通債を発行する場合よりも高い利率を支払うこととなるが、一定水準以上の自然災害が発生した場合には、あらかじめ契約で定めた条件(マグニチュード等の災害規模や対象地域の特定など)に応じた金額を投資家から受け取ることができる。

 キャットボンド発行元にとって、受け取った資金の使途に制限がないため、災害復旧のために幅広い対応が可能であること、資金の受け取りが被災後、比較的短期間で出来ることなどのメリットがあり、CATボンドは、従来の損害保険や金融技術を代替・補完できるのである。

 

 このキャットボンドの発行によってかき集められた莫大な資金は、大陸復興公社準備委員会なる再保険組合にプールされており、巨大災害の発生と同時に大量の復興資金が地球連邦軍経済戦争ドメイン将校団に還流されるとともに、月やジオンの機関投資家が莫大な損害を被る仕組みになっていた。

 

『公金の無駄な支出を作った愚かな金融商品だ、と批判し続けていた連邦議員たちは掌をくるりと返すことでしょう』と締められた文面に、バスクは天を仰いだ。

 

 バスクは、金融戦争で勝利できる条件を開戦前から準備していたと豪語する『金融ヒゲダンディズム』なる存在に、人生ではじめて「とても敵わないぞ……」と敗北感を覚えた。

 

 バスクは地球連邦政府と地球連邦軍という巨大システムを信じてはいたが、まさか、その巨大システムに飲み込まれて歯車になるだけにとどまらず、それを乗りこなし、使いこなす怪物たちが跋扈しているなどとは考えたことがなかった。

 

 いずれにせよ、このスレに書き込んでいる連中は忙しいらしく、しばらく失礼ンゴ、と皆言い残して更新される気配はなかった。

 

 バスクは『南洋の仏教徒』などというハンドルネームを使い、自らが主導している避難所キャンプ地の位置情報と人員数、備蓄糧食や設備などを掲載し、できる限り住民の避難を指導します、という覚悟だけ書き込んで、サイトを閉じた。

 

「──やれることをやるだけだ」とバスクは、キャンプ場の中を見渡す。

 

 すでにキャンプサイトは埋まっており、これ以上の受け入れは困難だろう。

 あとはソウジロウさんの車列が無事戻ってきてくれることを願うばかりだ。

 

 

 

 夕暮れ時、ソウジロウさんが率いる買い出し隊が戻ってきた。

 成果はそれなりであったらしく、ミニバンとトラックの荷台にぱんぱんに詰め込まれた食料や水、生活雑貨にキャンプ場の面々は快哉をあげる。

 

 皆の称賛を受けながら、ソウジロウさんが深刻な表情でバスクに声をかけてきた。

 

「バスクさん、いよいよ、覚悟を決めないとダメなようです」

「そのようですね」

 

 やはり、ソウジロウさんも独自の情報網で、コロニーが落ちる、という戯言を真実だと察しているらしい。

 

「地滑り防止の工事の進捗は8割くらいですが、あとは運を信じましょう」とバスクが切り出す。

 

 このキャンプ場について以来、協力してくれる者たちとともに山崩れ、地滑り防止のための土木工事をひたすらに実施していた。手弁当で資材を持ち寄り、重機を使って山肌に杭を打ったりコンクリで固めたりと、貴重な時間を費やしてきたが……工事半ばでことに挑むことになったとため息をつくバスク。

 

「南洋宗の各山寺とつながるよう、無線を準備しています」とバスクが、電気工事士の中年女性が大きなアンテナを設置しているのを指さした。まさかこのご時世にアマチュア無線復活だなんてねぇ、とぼやいている姿が見えた。

 

 コロニーが落着し、世界は一度滅ぶ、とバスクは悲観している。

 もう一度文明をやり直すレベルで準備をしなければ、と。

 

「──いやですなぁ。娘に見せたくない世界が、これから始まるとは」

 

 あきらめと覚悟が入り混じった何とも言えぬ表情で、ソウジロウさんがかぶりを振る。

 

「とこで、ソウジロウさんは元軍人ですか? 現役の私から見ても、堂に入っていますから」

 

 バスクはあまり深入りしないように、慎重に質問をした。

 

「元軍医なんです。10年前にやめて、今は医療システムや医薬品の商社を営んでいます」

 

 なるほど、とバスクは同じ軍出身者がいることと、貴重な医療従事者を確保できたことに、仏の導きのおかげだと感謝する。

 

「ソウジロウ・シェーンです」

「バスク・オム大尉です」

 

 二人は握手を交わしながら、互いの名字を呼び合う。東アジア系特有の発音らしく、シェーンとしか聞き取れなかった。

 何度か『違いますよ、シェーンではなく――』と笑いながら指摘されたが、結局シェーン氏と呼んでしまうバスクである。

 今後は東アジア系のなまりにも対応できるようリスニング力を研鑽しよう、などとバスクは努力の至らなさを恥いった。

 

 

 

 1月9日、人々はそれぞれのサイトで焚火をしたり、携帯ラジオやネットメディアに目や耳を向けていたが、ついに、その時が来た。

 

『──緊急避難命令です。直ちに付近のシェルター、避難施設に、避難してください。携行品はサバイバルバッグを各自一つのみ。徒歩にて移動を開始して下さい』

 

 いまさらだな、とバスクは連邦政府と軍の無策を罵る。

 何日も前にこれは実施できたはずなのにもかかわらず、それは許されなかった。

 

 9割は、政治的理由であろう。

 

 地球連邦政府及び軍は『一週間で終わる戦争』を喧伝してしまったのだ。

 それを今更、ジオンおそるべし、で片付けるなどという政治力学は働くはずもない。

 

『直ちに、直ちに付近のシェルター、避難施設に、避難してください――』

 

 繰り返されるアナウンス。

 映像メディアではサバイバルバッグの内容が映像付きで告知される。

 いまさらそれらの物資を一斉に人々が買い求めたらどうなるかなど、わからぬものはいないだろう。

 宇宙移民ならばいざ知らず、この地球に住まう人々が備えている備蓄品など、冷蔵庫と冷凍庫の中身くらいしかないはずだ。

 普段から携帯トイレだの、水タンクを用意している趣味人は少ない。

 

「これから、徒歩でここに向かってくる人たちも増えるでしょうね」

 

 ソウジロウ氏が、間に合えばいいのだがと心配している。

 このキャンプ場は避難施設ではない。別に指定されたもっと立派なホテル群が並んでいる観光地や、火山観光をするための広くて整備されたキャンプ場があるため、皆はそちらを目指すだろう。

 だが、中にはここを目指す人々もいるはずなのだ。

 

「最大限、受け入れよう。まだ森のほうには余裕がある」

 

 その日の昼に開かれたバスク陣地(※人々が勝手にそう呼び始めた)のタウンミーティングにて、バスクは宣言した。

 整備されたキャンプサイトはさすがに空きがないが、森の中に逃げ込む分には十分に余裕がある。いくつかの渓流もあり、浄水装置を使えばそれらを飲用に用いることもできよう。加えて、重機組や工作機械組が、今、簡易トイレを大量設営する工事に入っている。

 

「十分な食料や水も持たずに逃げてくる人々ばかりだが、大丈夫なんだろうか?」と不安視する声も上がる。

 

 だが、バスクはそれらを制して告げる。

 

「地球連邦政府の上層部では、すでに最悪の事態を想定して動いている方々がいらっしゃる。おそらく巨大災害に見舞われるだろうが、10日間、まずは頑張ろう」

 

 そんなバスクの言葉に、人々はそうだな、とうなずいて解散となった。

 実のところ、バスクには10日間という根拠などなかった。

 災害派遣マニュアルに書かれていた、現地で被災した場合のコメント例に載っていた言葉をそのまま述べただけである。

 本当に10日で済むのか?

 人類が体験したこともない、巨大な人工物の落着を受けて?

 

 日も暮れ、隣のソウジロウさんの家族が天体望遠鏡をのぞいていた。

 どのサイトでも、それぞれの家族なりの余暇の過ごし方というものがあり、バスクの母も、ご近所さんたちのキャンプサイトにお邪魔してボードゲームに興じていた。

 

 バスクは情報端末にて軍事板に動きがないかとスレを覗いていると、英国ティータイム氏の最新レスが、穴倉の古たぬきスレ主のところに書き込まれていた。

 その書き込みは、バスクに失望と同時に、わずかばかりの希望の光をもたらす。

 英国ティータイム氏は、こう書き込んでいた。

 

『ワイ紳士、勝手に陸海空統合救難タスクフォース司令部を組織済み。南洋の仏教徒ニキには、紳士‘Sの到着まで忍耐を期待する模様』

 

 その言葉の意味は重い。

 もはやコロニーの落下は阻止できぬ、ということだ。

 同時に、上は動いてくれるという確約。

 未曽有の同時多発災害に対して連邦軍がどの程度の救難活動を実施できるかなど、バスクにとっては簡単な計算だった。

 

 望み薄である。

 希望は、限りなく弱々しい。

 

 だからこそ、英国ティータイム氏は『忍耐を期待する』と正直に書いてくれているのだ。

 忍耐を要する、という前提の上で、救援の到着も約束してくれている。

 それがいつになるかはわからないが、忍耐と苦難の果てに、生き残るわずかな望みはもっていい、ということだ。

 

「──バスクさん、大変だっ!」

 

 お隣のソウジロウさんから声をかけられて、バスクは端末を閉じた。

 彼が指さしている先をみると、夜空に流星群が走っていた。

 かつていくつかの流星群をみたことがあるが、今宵の流星群は、ロマンチズムではなく禍々しさしか感じられなかった。

 

「始まった、か」

 

 バスクは、流星群が何を意味しているか悟る。

 宇宙の連邦艦隊は、乾坤一擲によりコロニーをわずかに砕いたのだろう。

 その破片群が落ちてきているのだ。

 

「簡易掩体の中へ」とバスクが指示をだす。

 

 各天幕には地中退避のための穴が掘られていて、速乾コンクリート製の掩体でおおわれていた。破片のほとんどは大気圏内で燃えるだろうが、そうでないものもあるだろうというバスクの計算の元、準備されたものである。

 

「掩体に退避っ!」とキャンプ場に声が響きあう。

 

 バスクもボードゲームに興じていた母を迎えに行き、彼女を掩体の中へと放り込んだ。

 狭い掩体の中に巨体のバスクが入り込むと、手狭というよりもミチミチであった。

 

「狭いぞな……」と母。

「もっとでっかく掘っておけばよかったのう」とバスク。

 

 何とも気が抜けたやり取りがあったが、久しぶりの親子水入らずで眠ることになる。

 

「母ちゃん、恥ずかしいぞな」

 

 か細い母の腕が、バスクをぎゅっと抱きしめてくれるのである。

 母に抱かれるなど、どれほどぶりだろうか。

 幼年学校に入学して親元を離れてから、ずっと、このぬくもりと穏やかさを忘れていた。

 

「大丈夫。バスク、母ちゃんが守ったる」

 

 その一言に、バスクは衝撃を受けた。

 地球連邦軍の士官学校を素晴らしい成績で駆け抜け、肉体を錬磨無限し、丸太のような腕と足を持つバスク・オムは、この期に及んで母に守られるのである。

 大尉の肩書も、胸元に光る初級参謀徽章も、特級射手章も何の意味も持たない。

 

 母、という肩書は、あまりにも大きかった。

 母親と一緒に眠ることなど数えるほどしかないバスクは、安息というものを感じた。

 このまま死んでもいいかもしれんな、とバスクは己の最後が幸福に満ちていることを、仏に感謝した。

 

 

 

 

 だが、天命は彼に死を賜らない。

 

 翌朝、午前6時直前、大地が鳴動した。

 掩体の内側を補強していた木材がみしみしと軋む。

 跳ね上げられるような異常な地震に恐怖する母を抱きしめながら、バスクは仏に祈る。

 祈りが通じたのか、約10分で揺れは収まり、バスクは外へと出た。

 キャンプ場を見渡すと、掩体が陥没するような被害が一部で起きていた。

 島を囲っていたブルーオーシャンは、消えていた。

 本来あるべき海は引いてしまい、サンゴ礁が大地として露出するという異様な光景に、バスクは息をのむ。

 

 地上の樹木に降り立って休んでいた鳥たちが、一斉に空に飛び立ち、巨大な鳥の雲を作り上げていて、空が怪鳥の絶叫にみちているようだ。

 

 わっと、直ちに人手が集まり、重機やスコップで埋まった掩体の救援が始まる。

 バスクは自身でスコップを振るいながらも、ただ心配そうに見守っているだけの連中にやるべきタスクを振る。

 

「地滑りや、土砂崩れの予兆がないか調べてくれ」と。

 

 ただ見守っていた人たちはハッとなり、散っていく。

 土砂崩れはないか、と山肌や川の警戒に走っていったのである。

 地震の際、山肌にひび割れがあったり、近くの沢が濁りだしていたら地滑りや土砂崩れの危険がある。そういうチェックリストは、事前に紙ベースで頒布済みである。

 

 バスクらはなんとか掩体から負傷者を引っ張り出し、応急処置を施した。

 幸い、命にかかわるような重傷者はゼロである。

 あれほどに固めた掩体でもダメか、とバスクは今しがたの震度が相当のものであったことを悟る。

 

 散っていた人々が戻ってきて「山肌に亀裂があった」「昨日まできれいだった湧水が泥だらけだった」などと深刻な報告をもたらしてくる。

 さんざん準備してきたこのキャンプ場も、ぎりぎり紙一重の状況にあることがわかり、バスク以下、人々はどうしたものかと思案に暮れる。

 

「お父様、あれ……」とソウジロウの娘が指さした先には、このキャンプ場暮らしを彩っていた遠くに見えるブルーオーシャンと空を隔てる水平線が──明らかにおかしい。

 

「津波だ」

 

 誰が言ったかは分からない。

 だが、バスクもその言葉に頷くしかない。

 その高さたるや、キャンプ場から見下ろすミニチュアのような街並みを軽々と飲み込めるほどの高さの壁に見えて、宇宙世紀の耐震技術で何とかなったはずの市街地をあっさりと飲み込むことが分かり……バスク他、皆は、ただ無言のままそれを見つめるしかなかった。

 

 何かできることはないか、とは思う。

 必死の形相を浮かべたドライバーがハンドルを握る車両が、坂を駆けあがってくるのが見える。

 受け入れる限り頑張ろう、という合言葉の通り、オートキャンプ場の管理ゲートをいじり、車両がいちいち停止せず駆け込めるよう手配するくらいしかできない。

 

 何せ、ここはただの自主避難キャンプ。

 災害時復旧拠点でもなければ、公的避難施設ですらない。

 ただ、低山の山頂付近に整備された地元民も知らないくらいの名もなきキャンプ場に過ぎないのだから受け入れるくらいだろうか。

 

「む」とバスクは、遠くに見える沿岸部から、一台の民生VTOL機が飛び立つのに気づく。

 沿岸部のプライベートビーチ型高級観光地として開発されていたこの島の沿岸に、何かしらの別荘地か何かを持っている者だろうか。

 金持ちならプライベート機の一つや二つ、持ち合わせているものだが……などとバスクがあまりの緊急事態のために、思考停止してくだらないことを考えていると、そのVTOL機はこちらに向かってくるではないか。

 

「──着陸支援を。誘導灯を用意しよう」とバスク。

 

 人々は何もできないまま津波が来るのを見ているのに耐えられないと言った様子で、率先してVTOL機の誘導とスペース確保に協力してくれた。

 

 皆でキャンプ場の真ん中にあった巨大グリーンエリア(※少々雑草が生い茂っていた芝生エリア)のテントを急いでたたみ、誘導灯代わりのランタンを持ち寄って空に振るう。

 

 航空無線に詳しいオタク少年が、電気技師の中年女性の無線機を借り受けて、なんとかVTOL機と交信しようと試みる。

 

「──つながったっ!」とオタク少年の声。

 

 バスクはグリーンエリアに誘導するようにと少年に任せ、すでに沿岸に到達した巨大な海の壁を凝視していた。心胆寒からしめるそれは、あっさりと人類が開発してきた高層ビルを飲み込んでいく。

 

 ああ、これはもうダメだ、と諦観とともに手を合わせるバスク。

 下手をすれば、あの波は山肌を駆け上ってくるだろう、と容易に想像できるほどの黒く巨大な津波である。

 

「おいっ、祈ってる場合かっ!?」

 

 ペシリ、と後頭部をはたかれて振り返ると、そこには最強つよつよガールが涙目でこちらを見上げていた。

 

「みんな、あんたを待ってるんだから……」

 

 気が付けば、バスクに数多の視線が向けられていた。

 すでに環境配慮型のVTOL機体は静かに着陸済み。

 それは本当に小さなプライベートジェットだったのだが、客室のハッチが開いて緊急退避用スライダーが展開され、中から20人近くの人々が汗と涙を浮かべて滑り降りてきた。

 

 最後に操縦席の降りてきたジェット機のオーナーらしきスーツ姿の中年男性が、このキャンプの指導者は誰か? と近くの人に訊ねたようだ。

 

 ゆえに、視線がバスクに集まっていた。

 

「……私が、このキャンプを預かる、バスク大尉です」

 

 中年男性に敬礼してみるバスク。

 スーツ姿の男性は、うむ、と軽く頭を下げて、そして周りから向けられる視線に対応する。

 

「受け入れ、心より感謝する。急ぎ沿岸部の人々を乗せられるだけ乗せて飛んだが……あまり多くは救えなかった」

 

 そう頭を下げる彼に、救われたであろう同乗者たちから「バウンデンウッデン様のおかげです」と口々に感謝されている。

 バスクはプライベート機の胴体に目をやる。

 そこにはデカデカとVWイシュアランスのロゴマーク。

 様々な媒体のCMでおなじみ、VWの戦争保険っ! というそれである。

 戦争で家財や命を失ったり、ケガをしても通常の死亡保険や災害保険では賄われない。

 今回のコロニー落着に起因する様々な不幸も、通常の保険は何の役割も果たしてくれないのだ

 

 だが、戦争というとんでもない巨額の保険金支払いになりかねないハイリスク分野に名乗りを上げたのが、VWイシュアランスである。

 軍の兵士を相手にそこそこの保険料で戦死戦傷保険を売りつけ、民間人には戦争被害保険をなかなかの金額で売りつけたVWイシュアランスは、ここ数年で多額の原資を集めていた。

 その巨大原資──戦争が起きない限り払われることのないそれらを投資することで巨万の富を得た新進気鋭の保険会社、VWイシュアランスの代表が、いま目の前に降り立っているのだろうと察した。

 

「君が、バスク大尉かね? 私はカーディアス・バウンデンウッデン。気づいているようだが、保険屋だ」

 

 差し出されたバウンデンウッデン氏の手首には生体リンクキーとなるブレスレットがあった。これはスマートキーシステムと連動していて、事前に登録してある車や家の鍵などを開錠・施錠するのに用いられる。

 当然、航空機にも使用されているものであり、機種名と『STANDBY』の文字列が流れるブレスレットをみて、あのVTOL機の操縦桿を握っていたのがバウンデンウッデン氏であることを察する。

 

「民間人の救助活動への協力、感謝します」とバスクはVW氏の手を握る。

「うむ。さて、これからは運頼み、というやつかね?」

 

 はい、とバスクは市街地を飲み込んだ津波が山肌にぶち当たるのを見る。

 それは山の中腹ほどまでにせり上がり、分れるように山を迂回するように割れて流れ過ぎていく。

 もちろん、逃げ場を求めて山道を登っていた車列や、徒歩で進んでいた人々を波が攫って行くのが目に入る。

 

「第二波だ……」と誰かが言った。

 

 キャンプ場にいた面々は、ただ皆で顔を青くしながら、海が島を破壊していく様を見下ろすしかできなかった。

 

 いや、それだけにとどまらない。

 押し寄せる津波が山を叩き、バスクらのキャンプ場を激しく揺さぶるのである。

 避難していた人々は、立っていることもできずに、ただ地面に這いつくばるか、無様に転がりまわるしかできなかった。

 

 そして、突如、予想だにしないことが起きた。

 バキバキと木々が倒れ始めたかと思うと、それらがどこかに飲み込まれていった。

 

「な、なんだっ!?」

 

 豪胆そのもであるはずのバスクの心胆が冷える。

 

 地割れ、である。

 

 巨大地震には地割れなどよくあること、と学習はしていたが、いざ目にしてみるとそれは、本当に信じがたいものであった。

 大地が割れ、その裂け目が何もかも飲み込んでいく。

 山が、割れたのだと悟り、バスクはもはや事態が人類の手に負えぬ状況に至っていることを悟る。

 

「ママッ!? ママァァァァッ!?」

 

 誰の声だ? とバスクが眼球を素早く動かす。

 ソウジロウさんの奥さんが、山が鳴動して割れていく狭間に、飲み込まれてしまうのをバスクは見た。

 それをどうすることもできず、ただママと叫びながら転がっている最弱ザコザコガールの姿にバスクは、己の姿をみた。

 弱かったころの、私だ、と。

 

「ウオォォォっ! 万力生来、仏力奉戴ッ!」

 

 震度7を超えると、人は立っていることが出来なくなる。

 ましてや歩くなど不可能である。

 

 だが、その時のバスク・オムには自然の摂理など作用していなかった。

 内なる仏が生み出す無限のミノフスキー仏理エンジンが、すべてのインナーマッスルとアウターマッスルを動力機関、すなわちマッスルエンジンへと昇華させていたのである。

 

 ゆえに、出来るのだ。

 震度7超という人類が観測したことのない震える大地を、バスク・オムは、駆け抜けた。

 そして裂けてしまった大地に、飛び込む。

 

 どうしたのかは覚えていない。

 分かっていることは、とりあえずソウジロウさんの奥さんを地上に放り投げ、自身もまた閉じ塞がろうとする大地の亀裂に抵抗して、這い出してこれたという結果だけだ。

 

「あ、ありがと……」と涙ぐむヨワヨワガールに、バスクは告げる。

「これが連邦魂ってやつだ」と冗談を。

 

 なかなかないナイスな冗談をキメたな、などと余裕ぶっていると、バスクは自身の体に違和感を覚える。

 ぶるぶる、と何かが震えている。

 バスクはこの受入れ難い現実のせいで頭がおかしくなったのかもしれない、と自らの足を触ってみると、丸太のように太い足はしっかりと大地を踏みしめていた。

 問題は、地面がさらに振動していること。

 津波が引くか引かぬか、というこの状況で、いよいよ山のほうが限界を迎えつつあるのだろうか。

 

 山が崩れるというのか!?

 もしや、この世に神も仏もいないのでは? と無神論の誘惑に駆られそうになるが、読経して何とか踏みとどまる。

 

「津波は繰り返しくるものだ。何度も寄せては引く水に山がもつかどうか……仏縁にすがるしかあるまい」とバスク。

 

 避難民たちも、これは人の手であがいてどうこう出来る問題ではない、とそれぞれの神に祈りを捧げた。

 

 祈りに伴う静寂──は、ない。

 何かが何かを砕く音、何かが鳴動し、草木の枝葉も獣たちも騒ぎ立てている。

 決して心安らかなる要素が何一つない状況で、人々は祈った。

 普段、信心を旧時代の異物とバカにして軽視していたものも、そうでないものも、等しくただ何かに祈る。

 

 

 

 その祈りが通じたのかは定かではないが、バスクたちは山崩れに巻き込まれることもなく、寄せては返す幾度もの津波に持ちこたえてくれた。

 

「奇蹟、だよね?」と最強つよつよガールが、山が耐えたことに感心する。

「同感だな。さて──」

 

 バスクは決を採るべく、大声で俺の話を聞いてくれ、と宣言する。

 すぐに人々の関心がバスクに集まる。

 バスクはこのキャンプ地を捨てて荒れ果てた街に戻るか、運を信じてここに残るかだが──と切り出す。

 

 彼は、自分は山に残る、と宣言する。

 そして、この山は地滑りなどの予兆も出ていて、決して万全ではない旨を強調しつつも、一度水底に沈んだ街に戻ることは、地殻変動による自然地震に由来する津波に備えることもできず、加えてなんの生活インフラも残っていないであろう旨を伝える。

 

「残るも地獄、降るも地獄。どちらも仏様の御心次第であり、諦めて選ぶしかない選択肢しかない」

 

 そう言い切る。

 強く言い切るしかないのだ。

 下手な希望など与えないほうが意思を強く持てるほどに、ヒドイ状況であった。

 

「わたしは、この山に賭けるわ」と最強つよつよガールが告げる。

 

 彼女に呼応するかのように、俺も、我々も、あたしも、とほとんどの者たちがここに残ると言い出した。

 だが、いくらかの人々は街の現状が気になるから、一時的に下山したい、と言い出した。

 避難は強制ではないし、バスクはただ成り行きで指導者まがいのことをしているだけで、誰かに行くななどと命じる根拠もない。

 

「……道は、あるのかね?」

 

 山を下りたい、と言い出した人々に問うのは、VTOL機の保有者であるバウンデンウッデン氏である。

 

「あの津波の大きさを見たかね? 100メートルを超える電波塔をあっさりと飲み込んだほどだ。あのような津波が山肌を幾多も叩いたならば、道など押し流されよう」

 

 この山が崩れずに残っていることが奇蹟なのであって、街の様子なんぞ見るに見れん状況だ、と断言するバウンデンウッデン氏に、下山組の面々が渋い顔をする。

 

「バウンデンウッデン氏、下山したいというものたちに、道を見てきてもらいましょう」

 

 バスクは折衷案をだす。

 VW氏のいう通り、すでに道は寸断されるか押し流されているだろうから下には降りられまいという正論を、下山組に確認してきてもらえれば、下山組もまた諦めもつくだろう。

 そもそも、下山したいと言い出したものたちは本気で下山したいわけではない。

 ただ、現実が受け入れられないだけなのだ。

 

「それでいいか?」と下山したいと言い出したものたちに呼びかける。

「わかった。まずは道を見てくる」と、納得してもらうことができた。

 

 あれほどの水量と地震により、山道が車両に耐えられるか疑問、という建築業に従事していた面々のコメントにより、下山組は装備を担いでの徒歩移動での偵察、ということになった。

 素人ばかりで荒れた状況に対応できるか分からん、と苦言を呈してきた登山歴うん十年のベテランが御守役としてついていくことまで決まり、準備が始まった。

 

 

 

 ベテラン登山家に率いられた偵察組が出発したのを見送り、キャンプ地に残った面々は木々の伐採を始める。

 長期化する野外生活に備えて燃料を確保する、というのもあるが、むしろ空を飛んでいるヘリやVTOL機を着陸させるためのスペースを確保するためだ。

 

 事の発端は、避難民の一人、航空無線オタクの少年が自前の無線機に傍受した通信内容をバスクに相談したことから始まった。

 

「バスクさん、メーデー呼び出しが……」

 

 士官として無線の作法を知っているバスクは、オタク少年から詳細を聞き取る。

 要約すると、津波から退避するために緊急離陸した数多の民間航空機が『燃料電池切れ』を訴えているとのこと。

 島の空港は完全に沈黙し、燃料電池に余裕がある航空機は別の着陸空港を探して去っていったが、そうでない航空機は墜落覚悟で空に待機しているとのことだ。

 

「嘘だろ……」

 

 バスクは絶句するが、オタク少年にうながされるまま無線機の音に耳を澄ます。

 

『MAYDAY、MAYDAY、MAYDAY、こちらニュートーキョー航空202便。電池が僅かになっている……くそっ! アスラン空港、応答してくれっ!』

 

 無線機から響いてくるパイロットからの声。

 航空機の無人化と脱炭素化が進み、今では旅客機パイロットというのは狭い控室で昼寝をして二酸化炭素を吐き出すだけの安月給ポジションへと堕しているのがもっぱらなのだが……このような有事の際には突然、そのような安月給の二酸化炭素を吐くしか能がない人材に乗員乗客の命が預けられるのである。

 

「ニュートーキョー航空は典型的な旅客機でして、乗客も結構乗ってると思います」と、少年オタクがさらに余計な情報をくれる。

 

 それを聞いてしまったら、何とかするしかないではないか、とバスクはめまいを覚えた。

 

「これだけじゃなくて、PANコールしてるのもかなりいまして」

「……地上に誘導するしかない。滑走路が必要な機体は申し訳ないが海に降りてもらうしかない。垂直離着陸機は、空いているところに」

「?」

 

 察しの悪いオタク少年の両肩を、バスクはその大きな掌でがっしりとつかむ。

 

「君の名前は?」とバスクがすごむ。

「え、えぇっと、ケネス・スレッグです」

 

 自信なさげに小さくつぶやく彼に、バスクはもっと腹から声を出せ!! と怒鳴る。

 

「ひぃっ! ケネス・スレッグですっ!」とケネス少年。

「よぉしっ! 良い声だ! ケネス・スレッグ君、君の力を借りたいっ」

 

 実のところ、今の状況はすでに己のケイパビリティを超えていた。

 バスクは自分がそれほど力量がない男なのだな、とすぐに自覚し、ならば使えそうなものは何でも使うことにすると切り替えた。

 ゆえに、このケネス・スレッグなる少年もまた、使い倒すほかないのである。

 

「航空無線は好きかね?」

「えっと、まぁ、ハイ……」

「うむ。将来はパイロットか指揮官か、管制官だな。ということで君が誘導したまえ」

「は?」

 

 いい大人であるバスクがとんでもないことを言い出したので、ケネス少年が困惑する。

 もちろん。バスクとてとんでもないことを言っているということは分かっている。

 

「まず、ヘリから降ろしたまえ」

 

 ヘリというものは最悪、エンジンを切ってそのまま不時着できる特性がある。だが燃料電池が枯れるまで飛んでいてもらうのは馬鹿げている。

 そんなことをするくらいであれば、固定翼機が海に不時着していく地獄の景色を少しでもマシにするべく、救難機として使いたい欲があった。

 

「次いで、固定翼機には海に降りるように指示──簡単だろう?」

 

 簡単だろう、といわれたケネス少年は、世の中の簡単ってなんだろう? というような表情を浮かべてバスクを見上げている。

 

「……ケネス君、君なら出来る」とほほ笑むバスク。

「無理だよそんなの……見た事も聴いたことも無いのにできるわけないよっ!?」

 

 甲高い声で見事に動揺するケネス少年を、バスクはにっこりと見下ろす。

 

「いいや、違うっ! 君は航空無線を聴いたことも見たこともあるっ! おまけに無線操作資格も持っているから何の問題もないッ!」

 

 リアル系戦闘機のオンラインゲームの優秀者を遠隔無人戦闘機のパイロットとして採用するのは、今どき当たり前の話である。

 それと同じさ、とバスクは強弁してみせた。

 

「……心配かい?」と寛容そうな様をみせるバスク。

「あ、当たり前じゃないですかっ」とケネスが抗弁する。

「では、今から俺の言葉を復唱してくれ。心が落ち着くから」

 

 私は、連邦市民全体の奉仕者として──とバスクに圧をもって促されたケネス少年が、仕方なくバスクの言葉を繰り返す。

 確かに、なんだか心が落ち着いてきたような……などと思わなくもないケネス。

 

「──公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」とケネスが言い終える。

 

 すると、ニンマリわらうバスク。

 

「宣誓したな、ケネス二等兵」

「はぁっ!?」とケネス。

「今から君は連邦軍人だ。特例法に基づき、未成年者の取り消し権は使えんぞ」

「そ、それは、さ、詐欺というのでは……?」とケネス少年が涙目になる。

「サギもキツツキもあるかッ!」

 

 突然のバスクの怒号に、震えてしまうケネス少年。

 涙を目に一杯に浮かべた一介のオタクボーイに、バスクはどこから取り出したのか、乗馬鞭を差し出した。

 

「君にこれを授けよう。もし意気地なしなことを思ったり、怠惰なことを思ったら、自らをこれで打ちなさい」

 

 さも当然と言ったように乗馬鞭を押し付けられたケネスが困惑の表情を浮かべる。

 

「え?」

「絵も動画もどうでもいいッ! 無線機の前に座り、為すべきことを成せッ!」

「うぅ……うぅぅう……」

 

 ケネス少年が泣き出してしまったが、容赦なくバスクは無線機の前に彼を座らせ、適当なヘリを無理やり誘導して着陸させる。

 

「これを読みあげろ」

 

 もちろん、文面はバスクが考えたものだ。

 バスクのパワハラに圧し負けたケネスは、バスクに差し出された通りに文面を読み上げる。

 

『了解、誘導ビーコンはありますか?』とパイロットからの応答。

 

 バスクはぐきり、と無理やりケネス少年を振り向かせ、用意済みのLEDランタンをかざすエリアを見せつける。

 

「──光度不足につき低高度視認となりますが、指定座標にて高度を下げると赤と青の光が円状に見えるはずです」とケネス少年。

 

 しばらくののち、ヘリのローター音が聞こえてくる。

 最初の一機は、このキャンプ場のスペースに誘導したのだ。

 

『……視認した。着陸許可が欲しい』

「着陸許可。繰り返す、着陸を許可する」

「着陸許可、了解。誘導感謝する」

 

 無線の向こうのパイロットはこちらの様子など気にするそぶりも見せず、誘導に従い、無事着陸に成功する。

 着陸するヘリのすがたを目にしたケネス少年が、目を丸くしている。

 

「ほら、簡単だった。どんどん行くぞ」とバスク。

 

 一つ、また一つ、とバスクから渡された紙を見ながら誘導して、ヘリを降ろしていく。

 気が付けばケネス少年は、座標の管理シートさえあればヘリを降ろせるようになっていた。

 

 

 

 最後の固定翼機が海にソフトランディングするのを双眼鏡で眺めていたバスクは、バウンデンウッデン氏に「お願いしますっ」と声をかける。

 

「了解っ」と輸送ヘリを操る彼は、レスキュー用ゴムボートを満載して飛び立つ。

 

 航空機の救難作戦は、綱渡り状態ではあるが何とか少ない損害で終局へと向かっている。

 

 管制の大任を終えたケネス少年が、膝を抱えてうずくまっているのを見たバスク。

 彼の元に歩み寄り、出来るだけ慈愛を込めた眼差しをむけて彼の前にかがむ。

 バスクがかがんだところで子供の目線にはならないのだが、マナーを大事にするのがバスクという男なのだ。

 

「よく頑張ったな、ケネス二等兵」

「……」

 

 ケネス少年には大変な思いをさせたな、とバスクは心理ケアの必要性を感じる。

 成功を誇ってもいいはずなのだが、彼は精魂尽き果てた様子で、ぼーっと虚空をながめているだけであった。

 

 彼の隣に腰かけたバスクは、懐に隠し持っていたコーヒーパックを取り出して差し出す。

 甘いだけでコーヒーとは言えないそれは、幼き日のバスクがキラキラ光る自販機の中に眠っている宝物だと信じていたものである。

 

「飲むか?」と差し出すバスク。

「……あんたは、ひどい人だ」とケネスがコーヒーを受け取る。

 

 彼はぐずりながら、コーヒーパックをずずりとすする。

 

「恨んでくれて一向に構わん」

 

 ふてぶてしく笑うバスクに、ケネス少年はあきれ果てたようだ。

 

「信じられないよ。普通、ガキにあんなことさせる? 命かかってるのにさ」

 

 ケネス少年のボヤキに、バスクはふっと、鼻を鳴らす。

 

「ケネス二等兵、君は分かっていないな」

「は?」

「命を預かる覚悟を決められる魂を持っていたから、君に任せた」

 

 ケネス少年は怪訝な顔をするが、バスクの言葉が誉め言葉だと察したらしく、バツがわるそうに顔をそむけた。

 

「馬鹿もおだてりゃ木に登る、ってやつだろ?」

 

 ケネスの言葉に、バスクは首を振る。

 

「いや、本気でそう思った。ケネス二等兵、軍の幼年学校に行く気はないか? 推薦状を用意する」

 

 真顔でそう告げるバスクに、ケネスが目を丸くする。

 

「──オレみたいなオタクが行っても、いじめられるだけだろ? そういうところは陽気なやつがいくんじゃねぇの?」

 

 自分なんて、と卑下する心がもたげてくる様子を少年にみとめたバスクは、その巨大な掌で彼の背中をバンッと叩く。心臓が止まるかのような衝撃を受けたケネス少年が、かはっ、と息を詰まらせて咽て転がる。

 

「な、なにすんだよっ!」

「殴ったのさ。勇者なのに情けないことをいう君をな」

 

 バスクの言葉に固まるケネス少年。

 勇者、と言われて困惑しているのだろう、とバスクは思う。

 そんな困惑をどこからか嗅ぎつけたのか、女性の影がぬっと差す。

 

「ははぁ~ん、さてはこのチェリーボーイを誘惑しているのね、バスク大尉」

 

 女性の声。

 唐突に男二人の説得交渉の間に割り込む者がいた。

 最強つよつよガールである。

 彼女はふんす、と鼻息を鳴らして二人を見下ろすように屹立していた。

 

「ねぇ、バスク大尉。大尉って偉いの? わたし、軍隊のことよくわからないんだけど、どのくらい勉強したら大尉ってのになれんの?」

 

 不意に現れた最強つよつよガール嬢に、バスクは軍隊の仕組みというものを簡単に解説してやる。

 入隊するルート次第では大尉になるのが職業軍人人生のラストキャリアになる者もいれば、光速で駆け抜けていくだけの者もいる、と。

 光速で駆け抜けたいなら、士官学校を卒業することが最低条件だな、と教えてやる。

 ただ、階級を追い求めても得るものはなく、大事なことは与えられた任務を忠実にこなすことだぞ、とクギを指すバスク。

 ふーん、とバスクと、ケネス少年を見比べる最強つよつよガール。

 

「ケネスだっけ? あなた、軍隊で鍛えたらたぶん、結構な色男になりそうね。そこの大尉さんより」と最強つよつよガールが宣言する。

 

「え? そ、そうかな?」と先ほどまでの渋る様子が消失し、ケネス少年は鼻の下を伸ばしながら最強つよつよガールを見上げていた。

 

「バスク大尉、なんだか面白そうだから、わたしも士官学校ってのに行きます」と告げる最強つよつよガール嬢は、覚悟らしきものが瞳に強く宿っていた。

 

「──では推薦状を」とバスクがにこやかに提案する。

 

 だが、いらない、とあっさりと却下されてしまい、バスクは思わずへこんだ。

 

「いやよ。だって、いつかわたしがあなたを部下にするんですから。部下から推薦状をもらう上司なんていないし。ま、そのジャガイモみたいな顔を老けさせながら待っててくれる? すぐ追いつくから」

 

 などと大胆なことを告げて、最強つよつよガール嬢は炭焼きを手伝うべく、元の持ち場へと戻っていった。

 

「あんなかわいいお姉さんたちがいるなら、俺、軍に入るわ……じゃない、バスク大尉、俺を、軍人にして下さいっ! 推薦状オナシャスっ!」

 

 先ほどとは掌返しもいいところのケネス少年であったが、バスクとしては元気があってよろしい、といった程度の感想である。後はケネス少年の魂にふさわしい形にスキルとキャリアを磨いていけばいいだけのことである。

 

「推薦状の件、承った。この名刺を無くすなよ」

 

 バスクは名刺の裏に、軍用郵便の指定コードをメモする。

 どこの駐屯地宛でも構わないから、そのコードを住所欄に添えて差し出せば、必ず軍内郵便で転送されて宇宙や月であろうとも、手紙が届くのである。

 

 すでに通信端末は死んでいる。

 地震と津波の影響で海底ケーブルは寸断。

 衛星もコロニー落としの影響でまともに機能しているとは思えない。

 ゆえに、追って連絡する方法は、こちらの動かぬポストに手紙を入れてもらうことしかできない。

 

「少なくともひと月前には、ここに推薦状の宛先を送ること。これからはメッセージアプリみたいに簡単に連絡を取れる時代ではなくなるだろうからな。手紙の復権、というやつだ」

 

 バスクの言葉を刻んだのか、ケネス少年は、絶対に連絡します、とバスクの名刺を受け取り、その裏のコードの写しを別の紙にメモしていた──

 

 

 

 

 ──いつの間にか。眠ってしまっていたらしい。

 

 確か、瞑想をしていたはずだった。

 だが、不意にガルマ閣下と農地再興の実績を視察に行ったときのことを思いだし、そのまま、あの頃の破壊の記憶を呼び出してしまったようだ。

 瞑想とは本来、無でなければならないはずだが、それでも記憶のリレーションが起きた、という事実に、バスクは、今の自身がそれほど安定しているわけではないと悟る。

 

「いま、自分は、どこに立っているか」

 

 あえて、口にしてみる。

 ホテルの一室にて眠っていたのは間違いなく、窓の向こうには皆とが見える

 そこには自身の乗艦であるアルビオンと、ジオンのザンジバル級が数隻。

 レビル率いるエウーゴからもらい受けたペガサス級の姿は凛々しく、このようなジオンの地球拠点でも十分に威を放っているように感じた。

 

 バスク・オム大佐はベッドから体を起こし、鮮明すぎたあの頃の夢について思い返す。

 

「嫌な汗をかいていないな」

 

 バスクは、自身が安定していない、などと判断していたが、早計であったことを悟る。

 以前は沿岸部に漂着した膨らんだ数多の水死体や、生きのこったコミュニティ同士の水や食料の奪い合いをした血みどろの生き残り抗争ばかりを夢で見せつけられていたのだが……いまは違っていた。

 

 始めたのは、貴様たちだろうが? というジオンへの怒りもまた、いつの間にか霧散していたことにバスクは驚いてしまう。

 

 いまの夢は、世界が終わったとしか思えなかったあの黒い日々の中で、自分が出会うことができた良き人々との想い出ばかりであった。

 

「仏様のおかげだろうか?」とバスクは手を合わせる。

 

 思えば、最近は眠るとき、夢にうなされることも少なくなってきた。

 何か、強運をもたらすような良縁に恵まれているのであろうか? たまの夢見においても、いまのような出会いや人とのつながりを思いだすような、悪くないものばかりだった。

 

 水でも飲もう、とバスクが部屋のライトをつける。

 よいしょと起き上がり、壁際の給水機にカップをおいてスイッチを押す。

 冷水が注がれたそれを手に取り、ぐい、と乾いていた喉を潤す。

 

「(ケネス君は元気だろうか? 幼年学校を出て、士官学校の二年次だったか?)」

 

 などと、久しぶりに後輩のことを思う。

 なんとなく、女性関係で問題を起こしていそうな気がしたバスクは、今度会うときは煩悩を払う読経会に誘ってやろうなどと考える。

 

 そんなときであった。

 

「失礼しまーっす」と陽気な声。

 

 誰かなど言うまでもない。

 エマ少尉候補生である。

 

「あ、大佐。起きたんですね。寝顔がかわいかったので、落書きしておきましたっ」

 

 まさか、とバスクが胸ポケットから手鏡を取り出して確認すると、なにもなかった。

 紳士たるもの、手鏡の一つくらい持ち歩くように、と、かつて戦史論文大会にて審査員のワイアット閣下から審査員賞の副賞として渡されたものだ。

 確かにみだしなみもまた、士官として重要であろう。

 ゆえにバスクはそれを大事にしていた。

 

「冗談ですよ。大佐というご立派な階級の師匠筋にイタズラする弟子なんていませんから」

 

 けらけらと笑うエマ少尉候補生に毒気を抜かれる。

 ただ、不意に先ほどまでの夢のことを思い返す。

 

「エマ少尉候補生……」とバスクは切り出す。

「はい? 添い寝とかはサービスしてませんよ?」

 

 いつも一言多い女性だなぁ、などとバスクは言葉を飲み込みながら、言いたくなかったら言わなくていい、と前置きする。

 

「な、なんですか急に改まって……」とエマが警戒している。

「つかぬことを伺うが、一年戦争におけるブリティッシュ作戦時のことで、うなされたりすることはあるだろうか?」

 

 バスクがおずおずと訊ねると、あー、とエマ少尉候補生の明るい顔から光が消えていく。

 やはり、底抜けに明るい彼女でも、あれには思うところがある、ということだろうか。

 

「うーん、大佐はやっぱりデリカシーないですね」

 

 見たことのない冷めた眼差しでそんなことを言われ、バスクは心底動揺した。

 慌てて事態の収束を図る。

 

「す、すまん」

 

 バスクは頭を素早く下げると、ぺちん、とそこを撫でるように叩く手を感じた。

 

「ほんとに、二度と訊かないでくださいね。次やったら、つよつよガールキックを大佐の股間にかまします」

「ひぇっ!」とバスクはエマから距離をとる。

 

 鍛え上げられた銅像の如き体をもつバスクではあるが、急所の装甲は鍛えられなかった。

 

「──あの時は、超カッコイイ大尉さんがわたしの家族も一緒に助けてくれたんです。大佐みたいなイモイモなクソデカマッチョとはもう天と地ほどの差があるくらい、カッコイイ人だったんですから」

 

 それは……いい人に巡り合えたのだな、とバスクは素直に賞賛する。

 あの時の自分は混とんとした状況を掌握しきれず、必死に場当たり的な対応を繰り返すばかりの愚か者であった。

 それに比べて、彼女が出会った大尉とやらは優秀だったらしい。

 それほどの逸材が連邦内部にまだ残っているなら、ぜひとも交流を深めたい、とバスクは深い関心を寄せる。

 ティターンズに必要な人材なのではないか、と。

 

「そうか。それほどの人物ならば、ぜひティターンズに誘いたいのだが」とバスク。

「無理ですね」とニンマリとわらうエマ。

 

 ちっちっち、と指を振る彼女の様に、その大尉とやらが戦死せずに生きていることを確信する。

 よかった、今はどこで何をしているのかは分からぬが、それほどの人材ならば、どこかでよき未来を作るべく活躍してくれていることだろう。

 

「無理、か。残念だ」

「はい。いつか私が超偉い人になって、あの人を部下にしちゃうんですから、大佐なんかには渡しませーん」

 

 腕でバツ印を作るエマに、これは攻略不可能だなとバスクは撤退を企図する。

 

「なるほど」

 

 などと頷きながら、バスクはエマが将来に備えてどのような人材を身の回りに置くべきかをしっかりと定めていることを知り、うむうむ、と感心する。

 少々口が悪く、何をしでかすかわからぬ危なっかしさがあるエマであるが、バスクの弟子らしく、頭を使うことと人を観ることを惜しまぬ点は、なかなか評価してやらんでもない、などとバスクはプラス評価を付ける。

 

「あ、そんなことより大佐、ガルマ閣下が話があるって言ってましたよ」

 

 さも知り合いのお兄さんが待ってますよ感レベルでの切り出し口に、バスクはエマに「エマ少尉候補生、指導事項1点っ!」と声を荒げる。

 

 それは大事なことだから早く言いなさい、と。

 

 どうしてこう、この子はジオン公国の権力者を親戚のあんちゃんレベルで取り扱ってしまうのかが分からなかった。

 将来の政治ゲームのプレイヤーとして本当に大丈夫なのか? などとバスクはうーむと首をかしげながら、大股で部屋を飛び出していくのであった。

 

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