――機動戦士Zガンダム外伝 審判のメイス
人員輸送用コンテナの窓に張り付くように、モンゴルの大草原を見つめるフォウとロザミア。
二人は軍が用意した居住性ゼロの空の旅をいよいよ終えようとしていた。
ニューフクオカ国際空港に乗り入れた相当数のクソデカ輸送機『ミデア』のお腹に抱えられた人員輸送用コンテナにパンパンに詰め込まれた少年少女たちは、申し訳程度の居住性に四苦八苦させられながら、空路でキャンプ・モンゴリアへと輸送されたのである
「地方連携事務所のおじさんたちは、皆やさしかったね」とフォウ。
「なんか、案外、軍隊ってチョロいんじゃね?」とロザミアが笑う。
先日、フォウとロザミアが募兵事務所に緊張した面持ちでお邪魔したときのことだ。
なんだかきれいなバッチを胸にいっぱいつけた制服姿の軍人たちが、わざわざジュースなんかをおごってくれた上に、分厚いパンフレットを手に、懇切丁寧に説明をしてくれたのだ。
「とにかく、資格が一杯取れるよ♡」
「ちゃんとお休みもあるんだ♡」
「毎月お給料も貰えるし、ボーナスだって出るよ♡」
「体力に自信がない? 大丈夫。キツイけど訓練にかじりついていけば、そのうち体力だってつくさ♡」
「勉強が苦手? 大丈夫っ! そういうのが苦手な人たちのためのコースもちゃんとあるから♡」
「訓練が辛い時? そういうときは、とりあえず3分だけ頑張ろうって考えるんだ。ずっとあと3分、あと3分ってやり過ごしていけば、一日なんてあっという間だよ♡」
などと、まるで親身な親戚のおじさんおばさんのようなあたたかさで地方連携事務所の兵隊たちは、連邦軍はいいぞ、連邦軍はすごいぞ、連邦軍はすばらしいぞ、と教えてくれた。
一応資格持ってるんで、MSに乗りたいんですけど、と切り出すと、まるで宝物でも手に入れたみたいに事務所の皆が喜んでいたので、なんとなく、ただ応募しただけなのに二人とも善行をしたような気持ちになった。
それからあれよあれよと書類にサインをさせられた。
「空港にホテルも用意しておいたから、指定期日までそこでゆっくり羽を伸ばしてね♡」
と、二人はフクオカのキレイどころのホテルに泊めてもらい、朝夕のバイキング形式の食事をエンジョイし、ちょっと腹回りをふにょらせたりしながら出発の日を呑気に待っていたのである。
キャンプ・モンゴリアに着陸したミデアのコンテナから、ぞろぞろと少年少女たちが吐き出されていく。いかにも烏合の衆、という様子である。
フォウはロザミアとともに、互いの手荷物(※手荷物は支給された大型ボストンバッグ1つにおさめるように指示されていた)を担いで、日本にはない草原特有のあの緑の香りと埃っぽさに異国情緒などを感じていた。
「が、外国だね」とフォウ。
「……マジで、周り何もねぇな?」
ヤーパンでは、コロニー落としの傷跡深しといえども、街があり、道路があり、散居村があった。つまり、山奥にでも潜り込まない限り、大抵、人里というものがあったのだ。
ところがここは違う。
モンゴルの大地は、まさに大草原と、泥と、砂塵しかない。
「ロザミィ、これって逃げ出せないってことだよね?」
「だよねぇ……」
ヤーパンで仕事をしていた頃は、ヤバい現場からはトンズラすればよかった。
しかし、ここはそうはいかない。
逃げ出したところで行き倒れて終わり、というのが見て取れた。
さて、群集の列が動き出した。
どうやら白いテントから続々と教官やら助教、補助の兵士たちがぞろぞろと出てきて、交通整理を始めたからだ。
「おぉ~」と群衆から声が上がる。
もちろん、フォウとロザミアも顔を上げて、それを見た。
MSである。
12機のMSが起動し、立ち上がって動き出したのだ。
フォウとロザミアは、それがジムであることをすぐに理解する。
凸型のゴーグルだから、ジム、というのは誰でも知っている常識なのだ。
とはいえ、実は二人が見ていたのはジムの近代化改修機であるジムⅡなのだが、それは今の二人は知らなくて当然の話ではある。
そのジムⅡが、それぞれに大きな旗を持っていて、番号〇〇番から××まで、とそこに書かれていた。
『自分の番号が書かれた旗を持っているMSの前に集合してください』というアナウンスが流れ始めた。他の少年少女らがえっとーと自身の番号と旗を見比べているのに、フォウとロザミアは自分の番号ではなく、呼ばれている気がするMSのほうへと向かった。
『おう、お嬢ちゃん方、一番乗りだな』
MSの前に立つと、外部スピーカーで呼びかけられた。
誰だろう、ときょとんと二人で見上げていると、MSがまた喋り出した。
『お嬢ちゃん方をいっぱしの女戦士に仕上げる、このオレ、モンシア様の名を覚えておきな』
こくり、と頷く二人に満足したのか、モンシアのジムは『おらー、第四教育隊第三小隊、さっさと集まれーっ!』とがなり立てた。
ジムの前に集まった第四教育隊の候補生たちは、そのまま下士官らに案内されて自身らが過ごすことになる大型天幕を案内された。第四教育隊は4-1~4-3までの30人編成クラス3組として編成され、各クラスは1つの居室で過ごすことになるという。
4-3というクラスの居室に放り込まれたフォウとロザミアは、他のクラスメイトが自分たちと同じような、健康だけれどもスれている系の連中であることに気付く。
「ベッドに名札が置いてあるから、自分のベッドを掌握しろ。んで、名札を回収したらさっそく、ジャージに縫い付けろ。裁縫道具は支給品のもんがベッドの上に置いてある」
それぞれがベッドを探そうと散る。
フォウとロザミアはベッドまで隣同士になっており、軍隊が本当にバディ志願を配慮するということに驚きを覚えた。
「何人かベッドバディが決まってないやつがいるな。お前とお前、それから──」と、4-3クラスを預かる教官だという、チョビ髭おじさんことモンシア中尉が、割と丁寧に人間関係を整理していく。
「よし、こんなもんか。裁縫が終わったら、ジャージに着替えろ」
フォウもロザミアも困惑した。
裁縫しろ、というのは分かる。
しかし、年若い男女が同じ部屋にいるにもかかわらず、着替えをしろと言われても気恥ずかしさのようなものを覚えなくもない。
「おい、お前ら。よぉーく言っておくけどな、MS乗りに恥ずかしいもクソもねぇからな? ここはMS乗りを養成する学校であって、お前らが青春するための場所じゃねぇってことだ」
おら、さっさと裁縫仕事を始めろ、と淡々というモンシアに従って、フォウもロザミアも、とりあえずクソダサいジャージに名札を縫い付ける作業を進める。
作業服に名札を縫い付けるのに慣れているフォウやロザミアはさっさと作業を終えて、上着を脱いだ。
となりのベッドにいた男子が「でっか……」とロザミアの露出した下着を見てつぶやいたが、直後、恐ろしいことが起こった。
モンシアがカツカツとピカピカの軍靴を鳴らしながら近づき、その男子の襟首をつかんだのである。
「おい、お前。ここに遊びに来たのか? MS乗りに来たんだよな?」と凄むモンシアは、本当に怖かった。現場で怒鳴られたことがある奴ばかりが集まっているであろう4-3のクラスメイト達は、ヒェッ、と緊張してしまう。
「テメェが何を思っていようが自由だが、軍隊じゃなぁ、それを口に出したお終いなんだよ。口に出していいことは、許可されたことだけだってのを覚えておけ」
オレは他の教官と違って、宣誓前だからって甘くやらねぇからな、と断言して、モンシアはシワ一つない制服の威容を見せつけるかのように、周りをにらみつける。
「4-3は、オレの指導の下、死んでも死なねぇ連中に鍛え上げる。不死身の第四小隊の弟子が死ぬことは、許さねぇからな」
こくこく、と迫力あるモンシアの言葉に、フォウとロザミアも含めて、クラスメイト達は黙ってうなずいた。
全員着替え終わると、ジャージ姿のまま居室を出ることになった。
結局、ロザミィが一番大きかったな、などとフォウはクダラナイことを考えながら無言で、指示された通りに整列をする。
大型居室テントの前に整列した皆の前で、教官たちの自己紹介が始まる。
ベルナルド・モンシア中尉というのが4-3の面倒を見る筆頭格らしい。
趣味は、アイドル鑑賞とギャンブル、ということで、ちょっとプライベートがダメそうな感じがした。
で、割とクラスメイト女子たちの顔を輝かせたのが、ジョッシュ・オフショー付教官。
欧州貴族のオフショー子爵家の長子で、家督を継いで政界に進出するには軍歴がないとマズイ、という消極的な理由で軍隊に入ったとか。実戦経験は地球外生命体戦役だけだ、と自嘲気味に話してくれた。
今まで触れ合ったことも見たこともない本物の御貴族さまのスマートな振舞に、甘いマスク。フォウやロザミアのハートは、がっちりとつかまれてしまったのも仕方あるまい。
しかたないよね、イケメンだもの。Byフォウ。
そして助教としてクリプト曹長。
MSには長く乗っているらしく、ジムⅡの開発テストパイロット団に所属していたらしい。それがすごいことなのかどうかは分からないけれど、チョビヒゲ(※モンシア)が割と丁寧に接していたから、尊敬されてしかるべき人なのかもしれない。
と、教官たちの自己紹介が終わったかと思いきや──
「はい、君たちは長い空の旅で体が強張っていると思うから、ここでちょっとほぐしておこうか」
オフショー付教官が、まるでそうだよな? そうに違いないよね? と勝手に断定し、なぜかジョギングが始まってしまった。
現場で体力仕事をしていたであろう連中ばかりあつめられた4-3なのだが、別に毎日走っていたわけではないので、すぐにアゴが前に出てきてしまう。
フォウもロザミアも例外なく──というか、他に体力に自信がありそうな男子も、結局はその自信がなくなるまで走らされることになってしまい──1時間後には、皆、へとへとになっていた。
くたばって座り込む皆を前に汗ひとつ欠かずに立っているオフショー付教官が、モンシア教官にこう告げた。
「モンシア教官、準備体操を完了いたしました」
「よぉーし、ご苦労。さて、ストレッチも終わったし、本番行くか」
モンシア教官も一緒に走っていたはずなのに、なぜか元気が有り余っているかのように見えた。
フォウはハァハァと息を切らしながら悟った。
あ、ここは、ちょっとオカシイところだぞ、と。
課業終了、とラッパが鳴り、候補生たちがシャワーと食事に預かっている時間。
候補生たちにとってはやっと長かった一日が終わった、という感じであろうが、教官たちにとっては業務の一部が終わったに過ぎない。
直ちに教官たちは作戦指導天幕へと出頭し、各教育隊の状況を共有する。
キャンプ・モンゴリアでの初日はわずかな事故で済んだ。
体調不良の男女が数名。比率としては女子の方が多かったが、それは月経と重なるなどの不可避要因があった。この点、必ず女性教官らが状況を詳細に掌握するように、とシャニーナはキャンプ・モンゴリア学校教育主査として念入りに指導した。
そして、各教育隊の中でも最も疲労度が募っているだろう、との報告を受けた4-3について、シャニーナは満足げにうなずいた。
「さすがですね、モンシア中尉」
にっこりとほほ笑むシャニーナ中尉に、ヒューッと他の教官たちから口笛で冷やかしが入る。
しかし、モンシアだけは真面目腐った顔でシャニーナに向き合う。
「はっ、とりあえず、4-3は俺がいっぱしの連中にします」
モンシアがそう告げると、シャニーナがうんうん、と頷いた。
「さすがですね、モンシア中尉。他の教官の皆さんにもモンシア中尉を見習って、厳しく、規律正しく、そして何やりも真に優しく、パイロット候補生たちを見守るようにしてください」
了解、と教官たちがすこしばかり緩い敬礼をするが、モンシアだけは背筋を伸ばしていた。
「あ、そうそう、モンシア中尉」
突如、シャニーナに指名されるモンシア。
「な、なんでしょうか?」と妙に青い顔で応答するモンシア。
「MS実機訓練前に、より深く候補生たちのジムの調整をしておきたいのですけれど、おつきあいしていただけませんか? あ、もちろん、お仲間をお誘いしても構いません」
さっそく口説いたのかぁ? などと他の教官らに小突かれるモンシアだったが、モンシアはただパクパクと口を無言で動かし、そして、わかりました、と絞りだした。
「では、1900にMS格納庫へ集合してください。夜間戦闘装備も忘れずにお願いしますね?」
上機嫌そうに告げるシャニーナ。
そして会議はシン少佐の解散、という号令ではけることとなった。
さっそくシャニーナに誘われているモンシアを面白がっているのであろうベイト中尉とアデル少尉が、にやにやとモンシアの傍に歩み寄った。
「どうしたぁ、モンシア? シャニーナちゃんからのお誘いなんだから、願ったりかなったりだろ?」と、ベイト中尉がモンシアに絡んでくる。
「そうですね。モンシア中尉らしくない」とアデル少尉も首をかしげている。
そんな二人のうざ絡みを受けながら、モンシアが二人のほうを生気のない目で見つめて、口を開いた。
「……手伝え」
「あん?」
「はい?」
ベイトとアデルが理解できないと言った様子で、互いの顔をみやり、そしてモンシアのほうを見る。
「──いいのかよ? アイドル中尉さんと二人っきりにならなくて?」とベイト。
「他人の恋路を邪魔する趣味はないんですが」とアデル少尉も怪訝そうに問う。
だが、モンシアは壊れたラジオのように、こうつぶやくだけだ。
「……頼む、手伝ってくれ」
不死身の第四小隊は不良連中ではあったが、仲間を見捨てるクズはいない。
モンシアがどういう理由かわからないが、手伝えというなら勤務時間外だろうが事務仕事が残っていようが、無条件に手伝ってやるか、というくらいの絆はあるのだ。
「しゃぁねぇな」とベイト。
「意図はわかりませんが、お手伝いしましょう」とアデルも頷いた。
そして、行きたくない、と突然、ハンガーへ向かうのを止めたがるモンシアの挙動不審ぶりを笑いながら、ベイト中尉とアデル少尉がモンシアを引きずっていくのであった。
――クソッタレッ!! なぁにが、不死身の第四小隊だよ? とベイト中尉は砕けて使い物にならなくなったヘルメットのバイザーを引きちぎり、シート下のダストボックスに放り込む。
そして、腕で口角についた血泡をぬぐいながら機体のコンディションをチェックする。
油断、はしていた。
当然だ。
アイドル中尉とモンシアのデートを冷やかしに来たつもりだったのに、本当にジムⅡに乗って限界追及挙動をやる羽目になるとは思ってもいなかったからだ。
その結果が、このザマである。
すでに不死身の第四小隊の主力を担ったベイト、アデル、モンシアはお嬢さん一人にボコボコにされて、3度ずつ撃破されている。
とはいえ、不死身の第四小隊の意地というものもあるので、詰みあげた経験と勘、そして阿吽の呼吸で一度、シャニーナ機を撃破している。
だが、それではオヤジ、すなわちバニング大尉に顔向けできない。
士官学校を出ていない野戦任官士官である不死身の第四小隊は、オヤジに恥をかかせない、という鉄の掟によって結束している。
もし不死身の第四小隊の面々が、野戦任官の士官とて使えるのだということを証明し続ければ、いつか、オヤジが万年大尉ではなく、数少ない少佐昇進事例になるかもしれないのだ。
だからこそ、こんなところでお嬢ちゃん一人にボコられる、なんてことが許されちゃいないのだが──
「おい、モンシア、生きてるか?」
『……』
モンシア機からの反応がない。
「アデル、どうだ?」
『3分、ください……呼吸を……整えて……』
アデルもヒデェ、とベイトはリーダーらしく彼我の戦力差がのっぴきならないことになっていることを冷静に受け止める。
夜間戦闘演習、ということで、光源のないモンゴルの暗中にて計器戦闘を行っているわけだが……実戦濃度のミノフスキー粒子で計器すらまともに使えやしない。
仕方なく、ジム備えつけのサーモ、ソナー、レーザー測距など、様々な古式ゆかしいシステムを使いつつ、ヘルメットに暗視ゴーグル着用での有視界戦闘をやっているのだが──あのシャニーナとかいう嬢ちゃんはイカレていた。
どうやら、全部『みえている』らしい。
機体はジムⅡ。
条件は同じにもかかわらず、見えているとしか思えない。
『うんうん、いい感じで安全限界が見えてきましたね。つぎは、サーベルに実粒子を纏わせます。演習用CGじゃないですから、ちゃんと避けてくださいね?』
「!?」
ベイトは、この女、いかれてんのか? と叫びそうになった口元を押さえた。
さすがに相手は先任中尉なので、こんなことを言ったらオヤジのメンツに傷がつく。
イカレ女はふんふ~ん♪ と鼻歌を歌いながら、意気揚々とサーベルの光を闇夜に走らせる。ベイトはイカレすぎて演習と実戦の境界線が見えないであろうあの女を止めてもらえないものかと、上司たちに期待する。
いや、祈った。
いま、管制用ホバートラックの中でオヤジとエリート少佐どのが、この夜間戦闘演習の各種数値を参照しながら、ヒヨコ連中たちに安全に訓練を受けさせるための『ギリギリのライン』というやつを研究している。
ヤバい状況は、オヤジもエリート少佐も、さすがに止めるだろ……と、ベイトは上司たちを信じていた。
『シャニーナ中尉、良いデータが取れている。相手は不死身の第四小隊だ。本気で行ってくれ──大丈夫ですよね? バニング大尉』
エリート少佐が、オヤジに確認する。
『問題ありません、少佐。ちょっと鈍っていたようなので、叩き直していただけるのを光栄に思います。シャニーナ中尉、聞こえるか? なんならサーベルで斬ってくれて構わん。チンポジばかり気にしてきたツケというのを分からせてやってくれ』
低く、震えたバニング大尉の声にベイトの背筋が凍る。
オ……オヤジの声が、マジギレのそれになっていた。
こういうとき、オヤジはどういう気持ちなのか想像したこともなかった。
可愛がってきて、実績もある部下たちが、アイドル活動をしている中尉さんにボロボロにされているのなんかみせたとなれば、それはもう愛すべき馬鹿どもに反省を促すしかなくなるわけで……オヤジ、高血圧で死なないか心配だ。
『はぁ~い。全力で、殺しまーす』とシャニーナの応答。
そう四度も五度も殺されてたまるかよ!? とベイトのジムⅡもまた、サーベルを抜いてピンクの光を暗中に輝かせる。
互いの位置が、明確に分かる。
うすい光に照らされたジムⅡが、かつてモンゴル平原を駆け抜けて散った騎馬戦士たちの魂か何かで出来ているのか? とベイトがヒヨるくらいに、怪しくその姿を夜にさらけ出している。
だがベイトとて歴戦のパイロットだ。
粗製乱造されたジム乗りのなかでも、鉄火場で鍛えられた本物の戦士の一人である自負があり、かつ、狡猾さがあった。
ベイトはダミーグレネードをころりと転がし、バルーンを展開。
そいつの手に発振したサーベルを握らせ、自身は直ちに移動をする。
サーベルの光によって互いが見えている、という状況そのものが誤認であったことを、お嬢ちゃんがバルーンを切ったところで気付く、という段取り。
そして、仮にその策を見破られたとしても──ベイト機がシャニーナ機に接近されたデータをアデルに渡すことで、ベイトもろともアデルに始末させる段取りも手配済みなのだ。
アデルの射撃精度は不死身の第四小隊でも最強。
ゆえに、この二段構えなら、仕留められるという確信があった。
そして──案の定、サーベルがバルーンを叩き斬った。
『あっ!?』
シャニーナ中尉の焦ったような声が聞こえた。
どうやら重大事故を起こしてしまった、と思い込んだらしい。
「だまして悪いが、これが戦争ってやつだ」
ベイトは言葉とともに。サーベルが振るわれたポイントに向けて、演習弾が装填されている90㎜マシンガンを連射する。
運動ベクトルデータからすると、間違いなくそこにいるはずだった。
もちろん、アデルも協調して阿吽の呼吸で十字砲火を決めてくれた。
これで、シャニーナ機はアウトだ。
あくまで実戦形式の演習。
サーベルを利用した限界挙動テストにこちらが付き合ってやる必要はない。
一癖もふた癖もある、おっさんたちの手ひどい洗礼に涙しな、とベイトはほくそ笑んだ。
『モンシア機、大破』
は? とベイトは声を漏らした。
そして、それは失態だった。
直後、強烈な衝撃──ベイトの視界は展開したエアバッグにまみれて、何も見えなくなる。
首と、背中と、腰がヤバいよじれ方にならぬよう、ノーマルスーツが緊急固定動作を行ったものだから、もろに衝撃が内臓に響いて、口から何かをぶちまけた。
その夜、ベイトが覚えているのはそこまでだった。
バケツの水を掛けられて飛び起きたベイトは、自身が格納庫の隅っこでくたばっていたことを悟る。どうやら演習は終了し、せっかく素ジムから近代化改修したばかりのジムⅡはそこそこにぶっ壊れ、不死身の第四小隊は不死身ではないことが証明されたらしい。
呆然とするベイトは、ガラン、とバケツが転がる音のしたほうをみた。
オヤジが──バニング大尉が、エリート少佐と一緒に立って、体を起こしたばかりのベイトを見下ろしていた。
ベイトは慌てて立ち上がり、敬礼をする。
しかしバニングは答礼してくれない。傍らのエリート少佐は苦笑しながら答礼し、お手柔らかにな、大尉、とだけ言って去って行ってしまった。
ガチエリートというのは基本、人当たりも良かったりするので、こういう場合は残ってくれた方がありがたかったのだが……そこまでしてもらえる義理もないので、ベイトは潔く諦めて、ユデダコもびっくりの真っ赤なオヤジに、しっかりと向き合うことする。
「オヤジ、その、血圧大丈夫……ですか?」
ベイトが恐る恐る訊ねると、バニングは青筋を額に浮かべながら告げる。
「安心しろ。今は上も下もMSに乗れんレベルだ。今すぐ貴様たちを鍛えなおしたいところだが、ドクターストップだ」
吐き捨てるようにいったバニングが、さらに言葉を続ける。
「──オレの失敗だ。不死身の第四小隊だの、実戦派の野戦任官組だのと周りからおだてられる環境にお前たちを置いた、オレの、落ち度だ」
ぐっと拳を握ったまま立ち尽くすバニング大尉の様を見て、ベイトは本当に申し訳ないことをしたと反省する。
不死身の第四小隊が、本当に精強無比で、最強無敵ならば、こんな情けない様を晒すことになるわけがない。
「運が、よかっただけだった、ということですね……」
遅ればせながら目を覚ましたアデル少尉が合流し、ベイトの横に立ち直立不動の姿勢でバニングに相対する。
「その、通りだ。オレたちは不死身でも何でもない。たまたま対空砲火に当たらなかっただけ、たまたまこちらを上回る敵と出会わなかっただけ、だ」
そして、バニングが、三人をボコボコしたシャニーナ中尉は、本当に14歳になる前に一年戦争に参加し、ア・バオア・クー従軍章を持ち、その時点で撃墜数4を数えていた、という事実を告げる。
「貴様たちも彼女と同じ一年戦争組だ。なのに、なぜ今、敗北したか……わかるな?」
ベイトは、怠慢です、とだけ告げた。
事実だけを列挙するならば、不死身の第四小隊の面々は0079年以来、訓練の数だけを適当にこなしてきただけだ。0083年の宇宙怪獣騒ぎの時も、地球から打ち上げてもらってようやく戦線に合流したところで、要塞級に対する攻略作戦が成功して、空振りに終わってしまった。
不死身の第四小隊のメンツがあるから、シミュレーターの回数や実機演習の回数は他の部隊の追従を許さないようにやってきたが、その中身はどうだっただろうか?
いつまでも慣れきったやり方、今までの経験をひたすらに繰り返してきただけではないだろうか、と問われたら、そうかも……としか言えないのだ。
「そうだ。怠慢、だ。彼女は0083のバケモノ騒ぎの時、初動から対応に当たり、連日の継戦状況をものともせず──これは機密だが、ゴップ閣下の特命を受け、最も初期に要塞内部に突入した特殊部隊の小隊長をも務めている」
さすがにそれは設定じゃ……とベイトが思わず口を挟むと、バニングが憐れむような目でベイトを見つめてくる。
「……彼女に頭を下げて、居室の勲章を見せてもらえ。殊勲十字勲章がダブルで並んでいるぞ。一つはバケモノ騒ぎの初動対処の戦功。もう一つはコア突入の戦功だ。あの戦役で議会名誉勲章を受章したシロッコ少佐に次ぐ、次席勲功者に、貴様らはきゃっきゃウフフと絡んで、ぶん殴られたわけだ」
格上かどうかも分からないまま、絡みに行ってしまうお前らの目が腐っていた、ということだな、とバニングに言われると、申し開きようもなかった。
完全に黙るしかないベイトとアデルに、バニングが告げる。
「ベイト、アデル。お前らが潰した不死身の第四小隊のメンツは、お前らの手で直すしかない。幸い、今夜の騒ぎは少佐がもみ消してくださる。貴様らの公式記録は相変わらず、一般部隊の中では不死身だ」
お手盛りの不死身に意味があるかどうかは知らんがな、とバニング。
無論、そんな手心を加えられてしまっては、ベイトもアデルも奥歯をかみしめるしかない。
くやしいか?
否である。
情けなくて、耐えられないのだ。
「少佐のご希望は、ただ一つ。貴様らのノウハウをすべてヒヨコどもに刻み込むことだ。やれるな?」
やります、とベイトとアデルは即答した。
やらずして、ほかにどうやってオヤジのメンツを再び上げてやれるのだろうか。
「今日の説教はここまでだ。本当なら鉄拳制裁の一発くらいかましてやりたいが、少佐殿に体罰は厳しく禁止されている。そして意味のない懲罰もな。ゆえに、貴様らには、今回の秘密演習の戦闘データの解析及び、教育指導要領策定に向けた普遍化実務を担当してもらう。ただちにかかれ」
ベイトとアデルは「かかります」と敬礼。
まったく、とだけ言って、バニング大尉は無駄のない回れ右をして、去っていった。
怒れるオヤジの背中に、ベイトとアデルは『すんません……』と小さく謝る。
「……おい、起きろクズ」
ベイトが担架の上で息を殺しているモンシアを蹴り飛ばす。
ブーツで蹴られた彼はイデデ、とうめき声を上げながら立ち上がった。
「おー、やべぇ。おっかなかったな、オヤジ」とモンシア。
何とか切り抜けたか、などとモンシアは油断しているようだったが、ベイトとアデルによってモンシアが拘束される。
モンシア曰く、気を失ってから何がどうなったのかよくわからないだとか。
いつのまにやらベイトとアデルに撃たれて戦死判定。
囮に引っ掛けるつもりが、仲間を囮にされてそれを撃ちまくった、という事実がベイトとアデルに苦い感情を抱かせる。
自分たちは、鈍っていた、と。
「まぁいいか。さぁて、じゃ、明日の教練の準備があるんで」
いそいそと、何事もなかったかのように去ろうとするモンシア。
しかし、無言の二人が彼を確保する。
よくよく考えたら、このちょび髭野郎が事前にシャニーナ中尉の情報を精確に共有してくれていれば、こうも無様を晒さなかったのだ、という怒りがベイトとアデルには共有されている。
「お、おい?」
一人雲隠れしようと企んでいたであろうモンシアを拘束した二人は、そのまま演習管制用ホバートラックに彼を引きずっていき、放り込み、そしてベイトとアデルが乗り込んでハッチを締めた。
なお、翌日、モンシア教官は候補生たちに『階段から落ちた』などという苦しい言い訳をしなければならないツラを晒すことになるのだが、それは別の話である。
***
宇宙世紀における記念すべき宇宙植民時代の幕開けを担ったサイド1、通称ザーン。
地球連邦政府が、ラグランジュ5付近に人類が英知と資源と金を惜しげなく注いで築き上げた人口の大地は、宇宙世紀0085年の年の瀬も相変わらず、人々を育んでいる。
1年戦争開戦と同時に戦火に巻き込まれ深刻な被害を受けたものの、ジオンによるソロモン要塞建設特需や、戦後のソロモン駐留連邦艦隊及びレビル派のエゥーゴの拠点化、それに付随する家族などの人口増加やソロモン→コンペイトウ維持改修特需などと相まって、サイド1はいち早く復興したコロニー群となっている。
地球連邦『政府』の情報機関、EFCIAのCOIN(Counterinsurgency ※対反乱作戦)局に所属するミシェル・ルオは、13歳で大学に合格し、ギフテッド教育とCOIN作戦の最終教育の両方を受けるべく、サイド1の公立大学であるザーン連邦大学に入学する任務を遂行せんとしていた。
ザーン連邦大学はサイド1の30バンチにある。
30バンチは学術研究都市計画に基づき設計されており、自然公園及び広いキャンパスを備える各種教育施設や研究所などが点在している、サイド1の中でも最も静かなバンチである。
つまり、30バンチは、その学術都市としての性質と、ギフテッド教育の一般化という両面において、ミシェル・ルオが児童大学生として大学に通おうとしても、奇異な目でみられることもなく、極めて当たり前のように受け止められる環境であった。
さて、そんな30バンチにあるザーン連邦大学からエレカで15分ほど走ると、小さな町がある。
学生向けの安い食堂やら、生活にかかわる小規模な店舗と、下宿先の提供だけで成り立っているようなド田舎であり、主要産業と呼べるものは何一つない。
そのような田舎町で、自身の下宿先──用意されたセーフハウスに向かうべく、電動バイクをプププと走らせている少女が、ミシェル・ルオである。
「(セーフハウスについたら、カイシャに連絡しないと)」
彼女が言うカイシャとは、ルオ商会である。
宇宙世紀黎明期より地球連邦政府の各種『調達』に応え続けてきた『商社シンジケート』であるルオ商会は、カップラーメンからコロニー建設資材に至るまで、地球連邦政府と大衆たちの需要を満たすべく働きまくる巨大な総合商社と専門商社の連合体である。
需要があれば何でも売るルオ商会は、地球連邦政府関係の各種情報機関にカバーストーリー(※偽装身分)やストロー(※秘密情報の輸送)、ダンボール(※任務のためのセーフハウスの提供)、パイプライン(※武器、装備、資金その他の提供)を提供する商売も営んでいる。
ミシェルはこのルオ商会経由で、ルオの家名を預かるお嬢様というカバーストーリーを与えられる形で30バンチに潜入していた。
下手な片田舎出身のギフテッド児童というストーリーでは、もし同郷出身のセンパイやらがいた場合、問題になりかねない。
ゆえに、ルオ商会に囲われて世間から隔絶されて育てられていた、という設定にするべくルオの家名を用意してもらったのである。
田舎の作法や、地方の常識を知らなくても問題なし。
金持ちお嬢様の世間知らず、で万事解決するための、安直なカバーストーリーにミシェルは失笑すら覚える。
さて、バイクを止める。
今回のセーフハウスは、1階がプチモビ整備工場になっているガレージの上階らしい。
中古のプチモビが値札とともに工場の前に並べられているのを見るに、中古商いもやっているようだ。
「こんにちは~」などと、ミシェルはヘルメットを脱ぎ、アジア系特有の濃紺の髪をくしゃりといじりながら、整備工場をのぞき込む。
全バラ状態になってるプチモビに計測器を接続しながらウンウンと唸っていた作業服姿の男が、ようやくミシェルに気付く。
「おや、お嬢ちゃん。プチモビ見学か?」
近所の子どもが冷やかしにきているのだろう。それと同じような態度をとる男に、ミシェルは合言葉を告げる。
「シドニーのほうから来ました、ミシェル・ルオです」
「へー。シドニーはいまごろ雪で真っ白だろうな。いいところだったかい?」
想定問答通りの答えである。
「オーストラリアは今、夏なんですけど……」
ミシェルがあきれたように言うと、整備をしていた男性が手袋を取った。
「どこにある?」
「左側頭骨のちょい上」
男性がミシェルの黒髪に触れるかのように、自然な振舞で彼女の頭骨に埋め込まれている生体チップを読み取る。
ミシェルはじっと彼を観察する。
両腕ともにMILスペックの義腕。人口筋肉とカーボン骨格で形成された自然なタイプだけれど、その腕力はプチモビ並くらいだろうか。
眼球も片方は電子戦義眼で、諜報員を統括する情報を持つ『ライブラリアン』だろう。
プチモビ工場をやっているように見せているが、工場の下にMSの一つ二つ隠し持っていてもおかしくはない、か──などと、ミシェルは『ファーム』で教育を受けたスパイのいろはについて思いだしながら、観察を続ける。
「──二階は好きに使え。俺のことは単に叔父さんと呼ぶこと」
叔父さん──こと、ジュダックは、年齢不詳であり、本名ですらない。ファームで受けた教育における『失敗事例』に乗っているジュダック中佐の名前をそのまま用いているところからして、露骨すぎる。
とはいえ、ジュダック叔父さんとしてのカバーストーリーはいたって普通。
元地球連邦軍のMS整備士で、戦後は流れのプチモビ整備士として復興現場のあちこちを転々としてルオ商会系列の整備工場に落ち着き──貯めた金で田舎の廃工場を買ってつつましやかに生きている、という話だ。
ミシェルとの関係は、叔父と姪。
ミシェルはルオ商会に引き取られてルオ姓をもらっているけれど、本当は戦災孤児で──と、あれこれと詮索しようとする輩が出てきた場合に話すストーリーを復習する。複雑な思い事情がある、という匂わせ設定で煙に巻くことになっていたはずだ。
「コンペイトウのおひざ元であるここで何かがあるとは思えんが、なぜか軍やジオンのネスト形成行為が起きている。リエゾン役の洗い出しを進めているが、あちらも同じだろう」
地球連邦『政府』と地球連邦『軍』の情報機関は、トップでは連携をとっているらしいが、川下の現場担当となると互いに連携することはほぼない。ジオンの工作員かと疑って互いに諜報合戦をやっていると、突然互いに行動中止命令が下りる、などという場合は、大抵同士討ちであるから切り替えろ、とファームで習った。
「わかりました」
「カイシャに連絡するときは、アレを使え」
指示された先には、宇宙作業用のプチモビの胴体が転がっていた。
コロニー公社に検知されない独自の通信経路が確立されているのだろう。
プチモビのコックピットに整備士が乗っていれば何か仕事をしているように見えるだろうし、ちびっこであるミシェルが乗っているのなら、叔父さんのところで遊んでいるか、手伝っているかのどちらかに見えるだろう。
情報戦の現場要員の神髄は、日常に溶け込み、嘘を極限まで減らすことだ。
当然だよね、と誰もが納得できるような行動をしている人間を誰も咎めたりはしない。
道路情報の完全な取得──例えば、正確な道幅やMS、戦車、トラックなどが通行できるか否かなどを把握するために、配送員として潜伏する。沿岸の着上陸地点を探るならば漁船に弟子入りするのもいい。あるいは、ダイビングを公然と趣味にする人間になりきり、常に海岸をウロウロしていればいい。この場合は、沿岸部の商店や港にいる人々に積極的にコミュニケーションを取り、ダイビングが好きな人で、海岸にいても不自然じゃない、という状況を作ることが大事である。
任務をやり遂げるために自然であること、これこそ工作員にとっての一丁目一番地である、とファームで習った。
「はい。早速使いたいのですが」
「次からは子どもらしく、あれ貸して、でいい」
不自然にならないように、ぎこちなくならないように──とミシェルは叔父さんとの生活をつつがなく過ごすべく、これから細心の注意を払って行動しなければならない。
叔父さんの整備工場に下宿して1か月も経たないうちに、ミシェルはご近所さんに『小さい大学生』という認知を振りまくとともに、いつもドローンを飛ばして遊んでいる子ども、という認識を広めることに成功した。
通りすがりの暇そうな警察官などと談笑したり、散歩中の大学の教授と家族などとも雑談をしたりする関係を築き上げ、着々と平穏に潜伏する環境を作出する。
「いってきまーす」と電動バイクにまたがってをウイーン、と公道を走っていく彼女をみて、ご近所さんたちが、ああ、今日は平日か、と思いだす程度に、印象のルーチン化も進めてある。
さて、ザーン連邦大学で、ミシェルは制御工学を学んでいる。
何かを操る、という物理学領域は目に見えて成果が分かりやすく、何も知らない素人に説明するにしても分かりやすいジャンルであることから、ミシェル・ルオという人物のカバーストーリーには最適であった。
叔父さんの手伝いでアルバイトにもなる、という、ミシェルという子どもが持ち合わせる資金事情についての説明にもなるので、ミシェルはしっかりと制御工学一般を身に着ける必要があるのだ。
それに、制御工学を基礎スキルとすることで、どのような環境にも潜り込むことができる。
大規模な生産技術系の現場のみならず、スノビッシュな研究機関、はたまた寂れた町工場や大都市のエンジニアリング系企業、さらには義肢関係の医療従事者として医療機関などと連携することすら可能。
どこにでも潜り込める、というスキルにおいて、制御工学は外れがないのである。
「おーい、ミシェル。ちょっと手伝ってよー」
演算室──巨大な量子コンピュータが一通り揃っている仮想実験室にこもって、ミシェルはレポート課題として出されたミノフスキーフライトに関する制御システムについて仮想モデルを作るべくキーボードをたたいていたのだが、それを止める。
話しかけてきたのは、同じく制御工学を専攻しているミリー・ラトキエだ。
ミシェルと同じくギフテッド教育を受ける身の上で、入学してから互いに言葉を交わすことも多いのだが、ギフテッドあるあるで、互いの距離感をいまだに探り合っているところがあった。
「ミリー、何? あなたなら自分でだいたいのことは出来るでしょ?」
プロンプト用の物理キーボードをたたんで、ミリーの傍に歩み寄る。
演算室の各所に設置してあるデスクの一つを堂々と占領しているミリーのモニタをのぞき込んでみると、そこには空調制御のシミュレーションプロセスが組まれている。
「なにこれ?」とミシェル。
「自主研究。うーん、ほら、一年戦争のときにジオンがコロニー落とししたじゃん。あの時、コロニーに毒ガスを散布したっていうからさ」
コロニー公社の記録だろうか。ガスがいかに自ら回転するコロニーに充満していったのか、というプロセスを、様々な空調設備情報をもとに明らかにしているようだ。
「そもそも、ヤバいガスを検知したら自動で処理する空調システムを用意しておくべきだよね、って感じで──」
自動制御化されたモデルがモニタに表示される。
コロニー内の大気組成に問題を検知した場合に、正常な大気を循環させるシステムと、隔離排出システムが走り、コロニー内のいたるところに設置されている空調機器が自動制御されて毒ガスを宇宙に緊急排出する仕組みをモデル化しているらしい。
「ほら、これでコロニー落としは阻止できるじゃん。住民を殺さなくちゃコロニーが落ちないのって、コロニーの制御室をどうあがいたって奪い返されるからでしょ?」
ミリー・ラトキエがそんなことをいうのだが、ミシェルはしばし考え込んだ。
コロニーの制御を奪う方法はどのくらいあるのだろうか。
コロニー公社管轄下の中央制御室からの制御、という手段もあるだろうけれど、これは冗長化されていて、一応、サブとして各コロニー自治政府の役所にもサブ制御室があるから、そこで制御を奪い返すことだってできる。
極端な話、空調制御や日光制御などは、コロニー公社から委託を受けたいろんな企業が代行していたり、あるいは役所が自分で公務員を雇って制御していたりもするので(※水道局とか)、そう簡単にガス撒きます、毒を水に混ぜます、というのは出来ない。
大気も水も基本的に常時モニタリングされている上に、その異常を検知した場合に緊急停止するくらいのセーフティくらいは働いているのだ。
「あのさ、ミリー。言いにくいんだけど、制御室云々、って話じゃないんじゃない?」
「どゆこと?」
先のミリーのシミュレーションでは、制御室で誰かがあれこれを『制御』していることを前提としているが、実際はコロニーの姿勢を変更させたら、制御不能になるように制御システムそのものを破壊するなりして、利用不能にしているのではないか、と告げる。
「つまりさ、空調制御とか頑張ったところで、別にコロニー落としを止められるわけじゃないんじゃない?」
ミシェルは論破したいわけではない。
コロニー落としなんて悪行は当然止めるべきだし、止める手段を確立する必要がある。
それを実現する方法を考えるならば、空調介入による毒ガス注入などという目に見える事象面に注目するのではなく、そもそも『コロニーの制御を奪われない』という方向を目指さないと意味がないのではないか、と仮説を話す。
「まぁ、それもそっかぁ。無駄な自主研究になっちゃったなぁ」
ミリーが残念そうに言うが、そうでもない、とミシェルは否定する。
「無駄、ではないでしょ。だって、コロニー落とさなくたって、毒ガステロでもやろう、なんて考える悪党がいるかもしれないんだし――マフティーとかさ。そういう時に自動で無効化する仕組みを研究しておくのは工学的に間違ってないよ。安全工学に足突っ込んでるけどさ」
ミシェルの言葉に、ミリーがそっかぁ、と納得したようだった。
どうやらミリーは勉強はできる子なのだろうが、メンタルはミシェルと違って、まだまだずっと子どものままらしい。
言われたことを素直に受け入れてしまいがちな素直さに、ミシェルは自身が失った貴重な何かを見たような気がした。
「ところで、課題はおわったの? ミリー」
「あんなのすぐ片づけたよ。見る?」
先ほどまでミシェルが苦戦していたモデルを、いとも易々と完成させているミリーの頭脳に、完敗を覚えるミシェル。
「ミノフスキーフライトなんてさ、ミノフスキークラフト式の揚力をどう得るかってはなしだし。ほら、このへんみてよ。制御効率をとにかく追及するって筋道じゃなくて、いかに制御せずに制御で得たい動作を得られるか、に集中したらいいんだよ」
ミリー・ラトキエ型ミノフスキーフライト理論の誕生を目にしたミシェルは、本物の天才を前に嫉妬半分、羨望半分といった気持ちになる。
いや、そもそも理論だけにとどまらず、これ、実装可能なんじゃ? とミシェルはミリーが見せてくれたモデルについて詳しくチェックする。
「ちょ、ちょっと待って。この課題って仮想モデルみたいなのを作って提出するだけだよね? 趣旨は、今の理論だとこういう制約があるよ、ってのを学生に学ばせるための課題なわけで……あれ? ミリーのやつって、なんか……実装できそうじゃない?」
恐る恐る確認すると、ミリーはそうだよ、とあっけらかんと答えた。
「え? だって理論上の制約なんて、別の理論で解決できるじゃん。ミノフスキー博士の屁理屈にこだわる義理なんてないよ。うちの考えだと、最終的にこれはミノフスキー粒子を制御するビーム技術で処理しておわり。大気圏だとヘリコプターみたいな感じで、ビームローター作ったら飛べるんじゃない?」
あ、解決しちゃったんだ──自分とてバカではないと思っていたけれども、秀才としての限界というものを見せつけられてしまった。
ミシェルにとっての努力というのは、ミリーにとっては毎日の歯磨きのように普通でしかなく、学問的な成長速度のギアが違うと分からされてしまう。
これがメスガキ分からせというやつなのかもしれない、などとミシェルはミリーという同世代の少女が叩きつけてきた天才性に屈した。
「飛べちゃうんだ?」
「うん。下手に小型化しよう、最大効率化しよう、って考えても無駄。ローター回したら飛べる。シンプルなのがいつだって一番だよ」
ほわー、とミシェルがミリーに感心していると、ミリーが楽しそうにこちらを向いた。
「ねぇねぇ、ミシェルはうちの話、わかるん?」
「思い付きはしないけれど、理解はできるわ」
そっかそっか、と嬉しそうに微笑むミリー。
「じゃ、友達になれるね、ミシェル」
「ん? え? そ、そうかしら?」
ファームでは友達の作り方なんぞ習っていない。
友好的にふるまうことで、相手に友情を感じさせるなどという思考ハンドリングは知っているのだが、いざ、こうやって友達がどうのこうの、という話は久しぶりすぎる。
本当の友達──ヨナやリタと引き離されてファームに放り込まれてからは、ずっとミシェルは強くあらねばならなかった。
だから、ミシェルはこうも露骨な誘いに、慣れていないのだ。
「うちはさ、ベルファストっていう田舎の生まれで──」
「ちょい待ち、ちょい待ったっ!」
ミシェルが制する。いきなりの打ち明け話の準備は出来ていない。
こちらも用意したストーリーを話す必要があるし、念のため再確認もしておきたい。
「──おしっこしてきてから、でいい?」
ミシェルは情けない顔でそう告げる。
あ、ごめん、とミリーに謝られたが、いいよいいよと手を振って、ミシェルは演算室を出ていった。
ミリーは演算室からミシェルが出ていくのを確認すると、演算室の管理人をやっている大学事務員に声をかける。
「ミシェルは黒だと思う。話してみたけど、本当のギフテッドじゃない。早期教育で詰め込まれたファーム出身者だよ」
そうか、と事務員の応答。
キシリア機関は人類史はじまって以来最大の情報機関であり、戦略組織である。
元はと言えばザビ家がサイド3の政権を民主的に獲得するための政治工作機関だったのだが、次第にMSの有効性の秘匿活動などの軍事面に介入するようになり、いつの間にかジオンの地球侵攻作戦を下準備するだけでなく、レビル脱走、南極条約の調印、そして停戦協定の実現に至るまで、あらゆる歴史的場面で暗躍し続けてきた。
硬直化した官僚制度と予算獲得競争で弱体化している連邦系諜報機関のクラシックなスタイルと比べ、キシリア機関は、より自然であり、上善如水を身に着けている。
「ガスの話をしてみたけれど、バイタルや瞳孔に動きはなかったし──黒だけど、30バンチで何が起きるかを知ってはいなさそう」
サイド1の30バンチにて毒ガステロの可能性あり。ジオン公国の国益に反するため、直ちにキシリア機関はこれを阻止せよ、という命令を受け、かなりのスリーパーが活動を開始している。
北米局から増援として派遣されたミリー・ラトキエは、毒ガステロなんてものをやらかそうとしているなら制御畑と化学畑のインテリあたりも調べる必要があるということで、このようなつまらない学生ごっこをやっているのだ。
ミリーは本物のギフテッドであり、すでに北米にある王立科学技術大学にて学士号を取得済みである。
今回はザーン連邦大の学部に一時的に滞在しつつ、機を見て修士課程へと飛び級してしまう予定なのだが――ミシェルとの人間関係の構築次第では、また学部教育を受ける羽目になるかもしれない。
「カウンターパートは毒ガス情報を掴んでるの?」
地球連邦系の情報部が30バンチに展開させているのは、どちらかというと防諜関係の工作員と、ミシェルのようなファームを出たばかりのトレーニーたちだ。
比較的安全に諜報作戦の現場を体験できる、コンペイトウの足元、というのが連邦サイドの認識なのだろうが──それは違う。
ジオン公国にとってサイド1は、サイド3独立の際の国家承認をめぐる最初の工作地帯であり、キシリア機関が全力で傾注した諜報網と民心操作ネットワークが根をおろしている、歴史ある『根拠地』なのである。
スリーパーとして潜伏している工作員は数多く、連邦のエゥーゴとアナハイムが共同で開発しているガンダムMkⅡ計画などの情報をあっさりとキャッチし、その詳細とテスト情報までも取得しているくらいには、ここは連邦にとっての『敵地』なのである。
なお、ガンダムMkⅡはエゥーゴの象徴的MSとしてアムロ・レイ大尉をテストパイロットに迎えて開発されているそうだが……エンジニアのフランクリン・ビダン技術大尉と折り合いが悪いらしく、ロールアウト後もトラブル続きらしい。
例の、『GPシリーズのほうがまだマシですよ――』からはじまる、アムロ・レイ大尉による長文の愚痴が、地球連邦軍のシン少佐というエースに送信されたのを傍受したキシリア機関は、すわ旧ゴップ派(※現ワイアット派)に対する情報提供行為か、などと分析が開始されたが……おそらく、シン少佐とアムロ大尉の関係は、そういう派閥とは何の関係もない、単なる個人的関係だろうとミリーは解釈している。
なにせ、シン少佐はバカの一つ覚えのように毎年アムロ・レイの誕生日にハロを送り付けているらしく、それに辟易しているアムロ大尉が処分に困っている、という話も未確認ながら上がってきているのだ。つまり、二人はおそらく……セメとウケの同性愛関係にあるのではないか、とミシェルはギフテッドとして与えられた頭脳を駆使して、想像力の翼を大きく広げる。
よい。
じつに、よき。
いや、それはどうでもいい。
サイド1ザーンのことだった。
ここは敵地という認識もうすい連邦系情報機関の傲慢さは、やはり地球から宇宙を統治できるのではないかという勘違いがなせる業なのだろうか? などと、ミリーはイデオロギー論で学んだ煽動術について思いだすことで、脳内を満たし始めた半裸のエース二人のからみを封印する。
「連邦側がどこまで知っているかを、開示する権限はない」
事務員の男がそれだけを告げて、さっさと奥へと引っ込んでいってしまった。
学生の質問に乗っている、という体を演習する時間の上限、というところだろうか。
いや、違う。
彼女が戻ってくる、ということだろう。
ミリーはもう一度、占領していたデスクに戻り、さも作業をしていました感を装う。
プシュ、とスライドドアが開き、ミシェルが戻ってきた。
彼女がごめんごめん、とミリーに謝ってくるので、それでさー、とベルファストの話を再開する。
嘘はない。
ただ、話すべきでないことを話していないだけの生まれと育ちの話。
それは真実でしかできていない、完璧な嘘であった。
中古品のプチモビを即金でご購入してくれたブッホ・コロニーメンテナンス社の管轄現場に向かうべく、トラックを運転していたジュダックは、ミシェルからの短文秘匿通信をカード型端末に受け取る。ライター1つで即座に焼却処分できるそれに浮かんでいる文字には、こう書かれていた。
『ミリー・ラトキエを調べてほしい。黒だと思う』と。
さっそく、大学で相手方の工作員と接触したらしい。
ジオン系か連邦系かは不明だが、少なくともミシェルが潜入している大学には相応のスリーパーが眠っていて、ネストが深く広く築かれているのだろう。
ザーン連邦大学での活動は、トレーニーである彼女にとって初めての現場であり、もっとも彼女を傷つける現場になるだろうな、と思いつつ、メッセージに返事を入れる。
そういう報告は、帰宅後、口頭のみで行え、と。
そして、上から届いている指示について、どう対処したものかと頭を悩ませる。
30バンチにて事件が起こる可能性がある、というあいまい情報しかもらえていないジュダックは、上の連中が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。
それを阻止すればいいのか、見過ごせばいいのか、あるいは報告を入れればいいのか見当もつかない。
指針は追って命じる、という連絡をもらってから、何一つ音沙汰がないのだ。
「(環境テロリストでも侵入してんのかね)」
などと、クダラナイことを考えていると、突如、フロントガラスに何かが当たった。
うおっ、と驚き、急ブレーキ。
トラックの後ろのプチモビがガタンゴトンと揺れるが、とりあえずは無事である。
なんだ? とはやる心を抑えつつ、義腕に仕込んでいるマシンピストルのセーフティを解除しつつ、運転席から降りた。
フロントガラスには、矢が立っていた。
吸盤が先端についた矢が密着しており、そこには古風な手紙が結び付けられている。
「ヤブミ……だと!?」
ジュダックはあたりを見渡す。
道路と、環境調整用のちょっとした街路樹しかない全く人通りも建物もないここで、原始的なヤブミを放つやつらなど、あいつらしかない。
連邦にも、ジオンにも平等に雇われるシノビのものたち。
「(ニンジャ……)」
ジュダックは諜報の世界に身を置いて以来、何度かニンジャとやり取りをしたことがある。奴らは特殊なMSを乗りこなし、加えて中身のほうもまさにニンジャ。
敵に回してはならぬ存在。
彼らを相手にしてしまうことは悪手であるから、協力するように、とは口を酸っぱく先輩や本部から指導されたものだ。
そのニンジャが、一体何の用だろうか、とポンッと吸盤付きの矢をとり、車内に戻るジュダック。
ヤブミを開いてみると『ケンタウロス』と書かれていた。
「(ケンタウロス?)」
その意味不明なヤブミは、突如燃え上がり、慌ててそれを外に放り投げるジュダック。
塵も残さずに燃えて消えたヤブミのほうへと目を向けながら、ジュダックは考え込む。
ケンタウロス……半人半獣の神話のケモノの話だろうが、それが何を意味するのだろうか、と思案するものの、何一つ思いつかない。
ケラウノスであれば、それは一年戦争時にソロモンで鹵獲したザンジバル級を、戦後、エゥーゴが連邦規格部品でイジリ倒した機動巡洋艦である。ケラウノス級としてジオニック社との連携目的で何隻か発注され、主にエゥーゴ系の部隊で運用されているが――関係あるようには思えない。
ケンタウロスについて考えていると、思考の迷宮へと沈んでしまいそうになるジュダック。
彼はとりあえず上に報告だけしておくか、と問題を上に押し付けることにした。
****
ピラミッド型組織というのは面白いもので、下層で処理できなかった問題が上へ、上へと上がってくるのである。
つまり、巨大組織になればなるほど、上にあげられる問題というのはとんでもないスケールになっていたり、個人の力ではどうにもならない領分の問題が飛んでくる、というのが世の中の『常識』であり『不条理』でもある。
それは当然、地球連邦軍から連邦政府の重鎮へと異動したゴップにも適用される。
地球連邦政府という巨大官僚機構における、安全保障に関して責任を負うポジションたる首席安全保障補佐官であるため、先ほどの『上がってくる問題』の規模が軍人時代に比して、難易度が跳ねあがっていた。
だが、高度化する問題に対して、ゴップは人材面でも、ハードウェア面でも大きなテコ入れをしている。
連邦軍時代とは違うのだ。
ダカールの首相官邸から地下通路でつながっている、通称『第二バンカー』に、首席安全保障補佐官の執務室とスタッフルームが設けられている。
官邸そのものに置かれないのは、仮に首相がテロなどに巻き込まれて執務機能を喪失したとしても、それを引き継いだ別の政治家に対して、一貫した安全保障政策を引き継ぐための措置である。
さて、ゴップはこの第二バンカーを素敵な職場に変えておいたのだ。
そのかいもあって、第二バンカーは、非常に快適な執務環境があることで知られている。
スタッフたちが『24時間土日祝日なし』で働けるように、と配慮が行き届いているのだ。
まず、スタッフ仮眠室が大量にある。
旧世紀のネットカフェ個室並の激狭物件であるが、幸い、柔らかいマットで眠ることができる。毛布と枕を持ち込めば天国だ。
旧世紀時代、ヤーパンの中央官庁では机の下で寝る、イスを並べて寝る、自販機横のコ〇・コーラの赤くて固いベンチに倒れ込む、などという非人道的な睡眠環境から比べると、さすが、宇宙世紀である。これなら議会対応でクソみたいな質問状を議員が夜中に送り付けてきて安心して仕事ができる(※帰って自宅で休めるようになるのは宇宙世紀の次の時代かもしれない)。
さらに、特筆すべきは男女別の源泉かけ流しの温泉。
ここで一服すれば、たとえ2時間しか仮眠をとれなくとも、なんだか4時間寝たくらいの効果を得られるというプラセボ効果を得ることができるので、多くのスタッフがこれを利用している。
また、365日24時間利用可能な栄養満点バイオサイエンス食材自動調理ロボット付の食堂もあるし、格安コインランドリーもアイロン台だってある。
つまり、帰宅することなく24時間365日はたらくことができるのだ。
これが宇宙世紀の首席安全保障補佐官スタッフたちの素晴らしい労働環境である。
――そして、ここに住み着いてそろそろ一年を超えんとする一人の少佐がいた。
アラン・スミシー少佐などという露骨な名前を名乗る彼は、ゴップに仕事を押し付けられた仕事を超人的にさばきながら、時にはゴップの名代として、少佐の肩書では足りない会議にもたびたび出入りしているため、ヤーパン語で『ショーグン』などと冷やかされていた。
実際、彼は本来ゴップが出席しなければならない朝の首相レク(※各補佐官が出席して首相が今日判断しなければならない重要事項について説明を受けるMTG)にまで出席しているのであるから、首相にも苦い顔で『ゴップ代理君』などと呼ばれてしまっている。
そのような過労に過労を重ねて、出るとこ出れば勝てるかもしれない状況にあるアラン・スミシー少佐は、今日も意味不明な課題と戦っていた。
「ケンタウロス?」
情報機関から上がってきたレポートに目を通していると、そこにはニンジャからケンタウロスという文字を受け取った、という意味不明なものがあった。
あ、と何かを思い出せそうなのだが、忙しすぎてさすがの量子脳もエラーを吐いているので、喉元まで何かが出てきているのに、引っかかり出てこない。
「少佐、どうしたのかね?」
執務席で優雅にワイアットから貰ったティーセットを展開して茶を嗜んでいるゴップ閣下が尋ねてくる。
「いや、閣下。ケンタウロスに聞き覚えはないですか?」
ケンタウロス? とゴップが首をかしげているが、しばらくするとだんだんと顔色が青くなり、そして、信号機のように赤くなった。
「ちょ、おま、大問題でしょっ!?」
素が出ているゴップ閣下の御姿を確認したアラン少佐は、やばい、と何が起きようとしているのかを思いだした。
ガノタならば知っているであろう。
山! 川! レベルの合言葉になるほどに、ガノタにとって常識だからだ。
ケンタウロスと問われれば『身無死草』である。
「バスク君が超イイ人だから、30バンチ事件なんて起きないって油断してたけど……これ、やばいわよ、あんた」
ゴップがやばいやばいと繰り返すので、アラン少佐もわたわたしてしまう。
この二人はおたおたしながら『やばいやばい……』しか言っていない執務室を誰かが目撃したら『あ、地球ヤバいじゃん』と思うことだろう。
そのくらいに、大ごとなのである。
「――あ、あーっ!? ってことは、あれか。やっぱりティターンズに行ってもらうしかないってことになりますよ……ね?」
アラン少佐は歴史の修正力か? などと疑いながら、結局30バンチにティターンズを派遣せざるを得なくなることに、戦慄を覚える。
いまのティターンズは、ジャミトフとバスクの尽力の元に、地球外生命体対応を専門とする外郭特殊部隊として運用されている。
その権限は強力であり、事前委任に基づき、地球連邦政府の命令ナシで、独自の判断で地球外生命体対応を開始することができるという世界の守り手なのである。
「アラン・スミシー少佐に命じる。SAC(Special Activities Center. 特別行動センター)ザーン派遣MS群長として、直ちに事態の対処に当たるように。ヴァースキ隊、ゼロ隊、アン隊を使っていい。艦艇はホワイトベースⅡと――」
そこまで命じて、ゴップが固まった。
アラン・スミシー少佐も、その理由を悟り、どうしたものかと思案する。
クリスは現在、月にあるジオン王立戦略大学にて博士号を取得しに留学中であり、ジオン最新のMS運用と艦艇連携について研究街道を突き進んでいる。
つまり、今回は彼女にSACザーン派遣艦隊司令を押し付けられないのだ。
それに、そもそも彼女には正規のキャリアを歩んでもらうべく、SACには引き抜いていないのだ。
SACに残っているのはヤザン……訂正、ヴァースキのような戦争ジャンキーとその愉快な仲間たち、旧アルファ任務部隊他特殊作戦軍所属だった連中の中で、合理的な選択ができないバカな連中、そして表に出すわけにはいかない旧ムラサメ研究所関係者と、ロームフェラ財団がかき集めたガノタ兵である。
「よく考えたら使えそうな艦艇畑の士官は全部エゥーゴとティターンズに取られてて、原作メジャー級の手駒が全然ないわ」
クリス以外の運用屋を用意していないなどという迂闊さを披露してしまうゴップに、アラン・スミシー少佐は唖然とする。
「いや、冗談だろ?」
「一応、彼とかいるけど」
ゴップが執務席の端末を叩くと、アランの手元に人事資料データが届いた。
いやいや、階級がおかしいだろ、と彼は首を振るが、ゴップは他にいないし、とごり押ししてくる。
なんでこんな階級の人が、SACなんかに所属しているんだ……と半ばあきれながら、アランは渋々、まぁ、彼の下でなら死にはしないでしょうし、と承諾する。
二日後、ダカール国際宇宙港から近代化改修を受けたホワイトベースⅡが離陸した。ふわりと浮いたホワイトベースⅡが、気球のように軽々と宇宙に向けて飛んでいく。
あっさりと地球の重力を脱したホワイトベースⅡは、宇宙にて四隻の艦艇と合流した。SAC宇宙機動作戦チームから増援されたサラミス改級巡洋艦『オシィ』と『ミャサン』である。加えて、SAC宇宙機動作戦チームであるガノタ兵を満載した省力運用型コロンブス級空母『イチバン』と『ニバン』の二隻。
取り急ぎ派遣するには十分……とはいえない戦力なのだが、SAC派遣艦隊司令官である彼の手に掛かれば、十分になるのかもしれない。
「SACザーン派遣艦隊はぁぁぁッ! 地球最強オォォォッ!」
艦長席に座る大将の階級章を輝かせる男が、カロリーの高い雄叫びを上げる。
今回のSACザーン派遣艦隊の艦艇運用を担うは、なんとびっくり、旧殴り込み艦隊総司令官、ダグラス・ベーダー大将他、カロリー高目な艦艇運用士官及び下士官である。
『ハアァァッドッコイショーッ! ドコイショッ!!』
艦橋に集まっている各士官も暑苦しく、体育会を超越したおマツリ系集団の登場に、アラン・スミシー少佐は不安を覚える。
この愉快で暑苦しい仲間たちとともに、本当に30バンチで起きるかも知れない騒ぎを止められるのか、被害を押さえられるのか心配で胃に穴が空きそうである。
ソーランッ! ソーランッ! ハイハイッ!