跳びしその脚 瞬くに 〜裏でパルクールしまくって有名になっている人形系ウマ娘〜 作:にわとり肉
“日本ウマ娘トレーニングセンター学園”、通称“トレセン学園”には、おおよそ2000人ものウマ娘が、日々勉学に、そして、己が夢のためにトレーニングを重ねている。
しかし、ウマ娘達もうら若き少女なのである。可愛い服や美味しいスイーツには目がないし、世間の流行りにもめざとい。
「ねーねー!見た見た!?今日の“エンプティ”!」
「見たよ〜、相変わらずエキセントリックだよね〜!」
今彼女達を席巻しているのは、とある孤独なトレーサーであった。その名は“エンプティ”。
曰く、エッジの効いたフルフェイスのヘルメットに、サイケデリックな紫色のパーカー、ダメージジーンズを身に纏っている。
曰く、それは東京の至る所で神出鬼没に出現し、見るものを圧倒し、背筋を凍らせるようなパルクールを行う。
曰く、UMAtubeに動画が上がっているが、その正体は一切不明。
大凡1ヶ月前から流星の如く現れた彼は、その話題性からあっという間にトレセン学園に浸透、青臭いウマ娘達の日々の栄養源となっているのである。
「エンプティね……」
「身体能力からしてウマ娘のやってることなんだろうが……ウチのが真似し出したら困りますよ」
「早速捻挫した奴出てますよー、私の担当」
大人は得てして、このような流行りには乗り切れないものである。若者達が話題の波に溺れているのを、彼らは指を咥えて冷ややかな視線で見ていなければならない。何せ、助け綱を下ろしてやっても跳ね除けてくるのだから世話ないのだ。
「大変ですねー、先輩方は……」
その二通りが混ざり合って、混迷の様相を呈すカフェテリア、その陽が窓から燦々と差し込む一角に、二人の男が肩を並べていた。
「だろうなぁ……はっ、それより、お前も大変だろうが。人の心配よりもな」
「わかってますよ、次の選抜レースで決めますから」
「それならいいがなぁ」
そう言い、困ったように眉をハの字にした壮年の男は、隣の若者に目配せして、再び目の前の喧騒に没頭するのだった。
その様子を横目にしていた若い男は、徐にスマートフォンを手に取って、UMAtubeの赤いアイコンを開いた。
検索スペースに打ち込む文字列は、大人らしからぬものである。
空高いお天道様が西に傾き始める頃、その下のトレセン学園の敷地の中で、一際賑わいを見せている場所があった。本番さながらの設備が整えられた、練習用のコースである。
集まっているのは、制服を身につけたウマ娘達、トレーナー、そして一般の客と様々で、皆一様に、これから始まる“選抜レース”の推移を見守ろうという魂胆でいた。
そんな群の中をかき分けて、やっとの思いで一番前、一番コースに近い手すりに前のめりとなった者がいた。
「へー……」
黒いロングコートを脱ぎたくなるような異様な熱に包まれる会場に辟易しながらも、安堵のため息が白く空に上がっていく男の身につけるベストには、本学園のトレーナーの証である小さなバッヂがあった。
男は、体操服に身を包んだウマ娘達が、あるものは身を震わせて、あるものは出どころ不明な笑みをうかべながら、続々と芝の上に足を運ぶのを視界におさえつつ、手元の資料に目を落とした。軽薄そうな風体は打って変わり、口を真一文字にして、眉にはうっすらと皺すら浮かんでいる。
(先輩の言うことはもっともだけどなー)
と、カフェテリアでの一幕を再生する男の目は、不満そうに狭められる。
まるで、理由もなく、デパートの玩具の陳列されたスペースを彷徨う子供のような気分なのである。しかし、怒るにも買うにも最終的な判断を下してくれる親はないため、彼はこうして“最後”の選抜レースにまで、スカウトという判断を先送りにしていたのであった。
高望みをしているのは自覚しているが、では、その辺のシケた石ころを磨いて付加価値をつけることができるのか?というのが、この男の持論なのである。
「……?」
ふと、男は顔を上げる。
冷めきった男の目に、たった今入場してきた一人のウマ娘が目につき、初めて、雑多な音声が消えた感覚を覚えたのだ。
まるで羊毛かのように柔らかな、短く切られた芦毛に、スラリとしなやかな風体。何より、彼女の紫の眼が、男の琴線を揺らした。
(落ち着き払っている……それとも、やる気が無いのか?)
すぐに、男は手元の資料をペラペラとめくって、そのウマ娘の欄に目を通す。
(アレキサンドライト、ね)
成績は中の上で、適性は中、長距離の王道なタイプである。
資料から目を離して、アレキサンドライトの方に直ると、彼女はあいも変わらず、あくびすら浮かべていた。
しかし、彼女に目が離せなくなってしまったのは、最後の最後まで高尚でありたかった自分を慰めるためだ、と彼は思うことにした。
そして、役者は出揃った。次いで、枠入りの開始である。鈍色に輝くゲートの中に、若きウマ娘達が次々と入り込んでいく。
「あの一番の子がいいんじゃないかなぁ」
「そうねぇ、ま、走ってからじゃないとね」
「頑張れェ〜!!!」
好き勝手に騒ぐ外野に埋もれる男は、やはり、超然とした態度で臨む紫の瞳のウマ娘に釘付けであった。ちなみに、全15人のうち8番目である。
ふと、手すりの冷たさで我に帰った男は、後ろが騒がしいことに気がついた。
「ごめんなさいよっと!!」
瞬きの間に、一人の少女が隣に飛び出してきたのである。かなりきゅうきゅうに詰まった人垣から現れた彼女の頭には、ウマ娘の証たる耳が生えていて、服装は指定の制服であった。
そして、黒縁の眼鏡をかけたその風貌は、学園に所属するトレーナーならば、その評判を知らない者は無い者である。
「プラタナス……お前、今日もレース出ないのかい」
いつもの調子で話しかけた男は、手すりの上にしなだれかかるようにした。
そのウマ娘__プラタナスは、さも当然かのように、
「セオリーに従うのってイラつくじゃ無いですか。それに、今日は友人の応援ですよ」
「友人?」
「アレキサンドライトですよ、アレキサンドライト」
奇しくも同じウマ娘を見ていたことに、男は呆気に取られたような顔を浮かべる。すぐさま、
「あれは、お前さん的にはどうなんだよ」
その瞬間、プラタナスはニヤリ、と笑うのである。男は露骨に顔を嫌そうにする。
「おやおや、ライトちゃんを気にかけてると?」
「そんなところだ。で、どうなんだ」
「やる気ないだろうねぇ」
腐ってる奴と付き合うとそいつも腐るもんだ、と男は確信して、安心して目をコースに戻した。
しかし、その目には、もはや何も映ってはいないのである。
同時に、がごんと鈍い音が響き渡って、地響きと地鳴り、そして熱の篭った声援が鼓膜を襲いかかった。
身を刺すような寒さを思い出した男は、白い息を吐いて、人もまばらとなった観客席の手すりを背に寄りかかっていた。見上げた空は、いつのまにか朱色である。
結局、男は全距離芝ダート、全てのレースを見届けていたのだ。しかし、表情は死にかけの痩せ犬のようであった。
(時間の無駄だった)
クスクス、とせせら笑いが男の耳に入る。同じようにしていたプラタナスである。
「アンタの
「まだいたのか……盗撮は捗ってんのか」
「人聞きの悪い!データ収集といいたまえよ」
顔をやるつもりもない男に、メガネのずれを直したプラタナスは、心底呆れたように、
「大体さぁ、シンボリルドルフだったりナリタブライアンだったり、ああいった化け物連中はそうそう出てこないんだから、さっさと妥協すればいいのに」
「お前は、自分のしたいこと我慢できんのか」
「嫌だ」
「そういうこった」
「カッコつけちゃってさー!」
「それこそお互い様だな」
うっすらと笑みを湛えた男は、大きくため息をついて、背を手すりから離した。ぐっと伸びると、緊張していた身体がポキポキと喜びの音を立てる。
そして、再び長いため息が夕暮れに溶けていく。
(今回も成果なし、か)
名残惜しそうに、オレンジ色の芝を一瞥した男は、ロングコートのポケットに手を突っ込んで、出口の方に向かう。
その小さくなっていく背中、足音を見送っていたプラタナスは、徐にスマートフォンを取り出し、画面に指を滑らせた後、耳に当てる。
すると、着信音のループも終わらない内に、ぶつり、と音がする。
「もしもし?おうおう見てたぞレース!6着ならまぁいい方だろ、後で一人や二人はスカウトに来るだろうさ……で、今日はどこで?……んーおっけー、お前は外泊届忘れんなよー」
ところ変わり、夕暮れに沈む、トレセン学園の校舎の教室である。そこは、既に人の匂いはなく、冷たい空気が対流するだけであったが、ただ一人、白い髪の少女が、窓際のへりに腰掛けていた。
「ん……わかった」
電話を切った少女は、紫色の瞳を廊下の方へ向けて、足早にその場を後にするのだった。
夕景色であった空は鳴りを潜め、すっかり夜を深めていた。その下には、永遠に明るいと思える繁華街が広がっているのである。
「はぁー……」
その中の牛丼チェーン店の自動ドアから出てきた男は、満足そうなため息をついたのち、ブルリと体を震わせ、人の波に巻き込まれにいく。
そうして、クリスマスソングの流れる目に毒な繁華街を流れる、一様に下を向いた人の波をかき分けて歩いていると、どうしても漠然とした不安が表出してくるもので、それは男も例外ではなかった。そろそろ考え方を変えなければならないのだろうか、なんて弱音が表出してくるのである。
(あのクソガキをスカウトするか?)
そんな世迷言が立っては消えていくのである。こういう時は寝てしまうのが一番だということを、二十代後半の男は理解していた。
(帰ろ……)
その時であった。
「……」
ふと、男は見覚えのある、羊毛のような白い髪をみたのである。
それは、ついに彼の真隣を通過していく。間に合わせのような私服の肩に大きなバッグを提げたその姿は、まさしく、
(アレキサンドライト……?)
すぐにスマートフォンの時間を確認すると、時刻は6時半、寮の門限までは後30分程度である。しかし、彼女の足はトレセン学園とは真逆であった。
一瞬男は軽蔑の視線を送りそうになったが、すぐに、先の選抜レースが思い起こされた。
つまり、ここに手を抜いた理由があると仮定してみたのである。
そうこうしているうちに、アレキサンドライトの姿は人に埋もれて見えなくなっていく。
「……」
再び、男は何も聞こえなくなるような感覚に襲われた。胸を覆う雲は吹き飛ばされていたのである。
(何を期待しているんだ、俺は?)
そう自嘲しつつも、彼は踵を返した。
ガタンゴトンと列車が進む。時刻は6時45分を回り、今からトレセン学園に進路を戻そうにも、門限には絶対に間に合わない段階に足を踏み入れているが、アレキサンドライトには一部の焦りも見えてはいない様子である。
少なくない人の息遣いの隙間から、仏頂面で車窓を眺める彼女を観察していた男は、同じように車窓を見つめてみた。
しかし、通路を照らす電灯が、高速で流れていくだけの退屈な風景である。
再び顔を芦毛の少女に戻した男は、急に何をしているのか、という身も蓋もない思考に陥った。
自分が今しなければならないことは、何をするかもわからないウマ娘の尻を追いかけることではないのである。
そう。まるで意味のない行動をとっている。
(……)
いちいち行動に理由をつけるのはバカのすること。男は、一先ずそう結論づけた。
「廃工場……?」
地下鉄を降りて、潮の香りがする工場団地をしばらく歩かされ、たどり着いたのは、すっかり錆びついたボロボロの建屋が並ぶ、いわゆる再開発地区というものであった。
(ますます何しようってんだ……?)
呆気に取られていると、不意にキョロキョロしだしたアレキサンドライトは、意を決した様子で、固く閉ざされた錠付きの門を飛び越え、その奥へ消えていく。ここでようやく、男は進むか進むまいか、その判断を迫られた。
「どうします?行きます?」
男の肩が大きく跳ねた。なぜなら、背後から聞き覚えのある声がしたからである。
背筋が冷える嫌な感覚を覚えながら振り返ると、やはり、後方に陣取っていたのは、スマートフォンをこちらに向けた、黒縁の眼鏡をかけたウマ娘であった。
ゴクリと、自分の嚥下音がよく耳に通った。
「なんでお前がここにいる……門限はどうした」
「あなた曰く私は盗撮が得意らしいんでねぇ、試してみたんですよ」
そう嗜虐的にのたまった彼女__プラタナスは、男がアレキサンドライトを追っている様子が納められた画面を尊大に掲げて見せる。男には黙るしか術が無かった。
いつもの意地悪そうな笑みを解いたプラタナスは、
「ま、有象無象のトレーナーに尾けられてるなんて考えないわな、アイツは……」
「おわっ」
男は大きく体勢を崩した。プラタナスに片手を強く握られ、引っ張られる形となったからである。
「……」
「見たいんでしょ?エンプティの生パフォーマンスを、さっ」
その一言が、男の表情を変えさせた。
「なっ__あだっだだだっ!!!」
体勢を整える暇もなく、男はプラタナスに引き摺られていく。
廃工場の中に侵入した男は、ようやくプラタナスから解放された。
「ったく……大事なコートが」
狭苦しいパイプだらけの通路をいく、襟を正し、汚れをはたく男は、先導役のプラタナスの隣へ並んだ。尋ねたいことの一つ一つは、既に整理が終わっている。
プラタナスの方も、なんでも受け付けてやると言外にしているように、うっすらと笑みを浮かべていた。
「……エンプティに協力者がいるってのはわかっていたが、お前だったとはなぁ」
「迫真のカメラアングルでしょ、すんごい練習したんですから」
「今日の選抜レースで手を抜いたのは、このためって訳だ」
「ムラってきたら、それ以外やる気無くなっちゃうんだよねぇ彼女」
甲高い足音と二人の喋り声が反響して、雲ひとつない夜空へ抜けていく。
嫌に落ち着き払ったプラタナスに対して、男は一番気になっていたことを問いかけた。
「しかし、これが俺にバレてしまったんだ、どうする気だ」
「どうもしない」
ギョロ、と翠色の瞳が男を射抜く。
「どうせあなたはもう目を焼かれてるだろうし、そうならなかったとしても、やりようはあるからね」
男は、これが明確な脅しであることを理解できなければ愚か者、と心の中で唱え、心底疲れ切ったようにため息をついた。
すると、奥の開けたように見えるところから、異様な物音がするのに気がついた。
「もう始めてら」
その物音の根源にたどり着いた瞬間、男は全身の力が抜けるような感覚を覚えた。
毎日、小さな画面から覗くことしかできなかった光景が、そこにあったのである。
(マジか、おい)
フルフェイスであるが故に息苦しいのであろう、今はヘルメットをかぶっていない。しかし、それがより、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「よっ」
建屋と建屋の間、およそ10mはあろうかという空間を飛び越えたその姿は、満月を影に紫の瞳を爛々と輝かせる姿は、まさしくエンプティであり、アレキサンドライトだったのである。
さらに、着地した黒錆だらけの手すりの上を、まるでレースかのような爆速で移動し、その最中にバク宙、片手ハンドスプリング、思いつく限りしたら危なさそうなことを嬉々としてこなす姿を見て、
「……かっけえ〜」
結局、男というのはいくつになっても、こういうものに弱いのである。
一瞬で夢中になってしまい、上を見上げて固まってしまった彼にクスクスと笑いかけたプラタナスは、仰々しく前に躍り出た。
「さぁて……ではでは、見てしまったんだから仕方ないですよね?知ってしまったんだから、言うこと聞かなきゃね」
「……」
「今なら〜、私たち二人を、スカウトしてくれれば、あの動画を削除してあげますよ〜?」
「ちょ、黙ってろお前、うるせえ」
「えっ?」