跳びしその脚 瞬くに 〜裏でパルクールしまくって有名になっている人形系ウマ娘〜 作:にわとり肉
雲一つない乾燥した青空の下、おとといの選抜レースから立て続けの使用となる練習用コースには姦しい雰囲気があった。トレセン学園に在籍しているウマ娘達である。
一人の才媛が、有象無象の内一人を引き摺り出し、大衆の面前でなぶろうというのだから、菓子に群がる蟻のようにぞろぞろ集まってくるのである。
その渦中にある二人は、すでに体操服に身を包み、芝の上にいた。
木偶の坊のように佇んでいる銀色のウマ娘は、白いため息が立ち上った後に、目の前の鹿毛のウマ娘の後ろ姿に正対した。
「あの……」
「ん?」
くるりと赤茶けた瞳が紫の目を射抜く。
「何故、私とレースがしたいの?」
「ほー……その心は?」
真一文字の口から、至極真っ当そうに言い放たれた言に、赤茶けた目を狭めたウマ娘__ユーフォリアは、実に興味深そうに続きを促す。
「きみは私に一度勝ってる。強請ってまで、何故敗者の私とレースをしたいのか、疑問だから」
微妙な沈黙が、大衆の喧騒に押し流される。
すると、ユーフォリアは急にくつくつと笑い始めた。
「フフ……理由なんて、本気のあなたと走ってみたいから。それ以外のごちゃついた理由なんてないわ」
「じゃあ、なんで秘密をばら撒くなんて」
ようやく、静かな海原に白波が立った。
その風を吹かせているのは、ケタケタと笑うユーフォリアである。
「少しでも疑心に駆られて乗ってくれないかなって試しただけ。……面白いぐらい乗ってくれたからびっくりしたけど」
と、呆れたように締めくくった彼女は、あ、と思い出したように握り拳を掌に乗せ、一歩踏み出し、能面のような顔面でいるウマ娘__アレキサンドライトの胸元に指を突き刺し、甘言を囁くように言った。
「ちなみに、
赤茶けた瞳は、今は新鮮な血液に濡れたように見えた。
__そんな彼女達を好き勝手見やっている群れを、内ラチの中から見ている者が二人。
「2000mの模擬レース……まさかこんなに早くぶつかる時が来るなんてなぁ」
「本当ですよ……」
交互に声を発したのは、刺すような冷たい空気の中でも、白いワイシャツで、隆々な腕を晒して組んでいる伊達男、そして、黒いロングコートを羽織り、ラチに寄りかかる若者である。
「先輩はチームの練習もあるでしょうに、ここで油売ってていいんです?」
「このレースの後で良い。それに、みんなも期待の新人の走りをご所望だ」
無骨な指先が指し示した先には、ロングコートを羽織った若者がよく見知った間柄の五人が、群衆の中で異彩を放っているのが見えた。
(いっそ壮観な風景だな)
指にかけたストップウォッチを手慰みにしている男の思考に、のぶとい声が割って入る。
「しかし、スカウトしてすぐこれとは、お前は何か知らないか?」
男はストップウォッチを反射的にキャッチした。その起伏のある形が手に収まっていることを、彼は認識できなかった。
すでに、彼の脳内は並列コンピュータのように活発となっていたのだ。
「……ま、女の子ですから。男には理解できない諍いでもあったんでしょ」
そして、打ち出された結論は、そんな当たり障りのないものだった。
そんなもんか、と呟いた先輩トレーナーは、視線の先に、手を振って合図している担当ウマ娘の姿を捉えた。
「これより、ユーフォリア対アレキサンドライトの、模擬レースを開始する!」
先輩トレーナーの大声が、落ち着きのない空気に張りを持たせる。
二人の闘士が隣り合って、互いに緊張した構えをとる。
「よーい」
赤い旗が上がる。そして、ついに完全な静寂が訪れる。
(……)
1秒が、まるで無限にまで引き伸ばされたかのような虚無。
この場にいる全員が、限界ぎりぎりの風船に閉じ込められたかのような、しかし、心地よい息苦しさを覚えていた。
そして、終わらないと錯覚されていた静寂に、終わりがもたらされる。
「ドンッ!!!」
旗が振り下ろされると同時に、空気が爆ぜた。
かち、とストップウォッチのスイッチを押した時には、既に二人の闘士がいた場所には、深い蹄跡が残されているのみ。
たった二人だけのレースの先行争いは、白い流星が制した。
「使われてるなぁ……」
しかし、ストップウォッチを逐一確認しつつ、その推移を見守るトレーナーの表情は芳しくない。
何故ならば、白い流星__アレキサンドライトの後方に、ピッタリとマークしている影があったからである。
(二人だけのレースだ、スリップストリームを使わん手は無いが……)
「お前、アレキサンドライトに何か作戦は伝えたのか?」
思考の海から引き上げられた男は、水揚げを担当した先輩トレーナーの方へ、
「作戦も何も、あれはユーフォリアみたいにレースセンスが高いわけじゃありませんよ、俺がごちゃごちゃ言ったところで、むしろ妨げになってしまうだけです」
「つまり……」
再びレースに視線を戻すと、展開は、既に第一コーナーへ差し掛かっていた。
「自分なりにやれ、としか伝えてませんよ」
男は、さして気にしていない様子でそう言い放った。
時間は、二人が向正面の中腹にまで進出した所まで飛ぶ。何故ならば、そこまでは展開が動くことは無いからである。
(ペースは並……よりも速いぐらいかしら)
アレキサンドライトの流動する背中が、ユーフォリアの風避けとなって機能し、彼女はここまで足を順調に残しておけていた。
しかし、そんな好条件とは裏腹に、彼女の血のような瞳には、翳りが見えていた。
それは、
「こんなものね」
失望。
その瞬間、とうとう“世代最強”が唸りを上げる。
「ッ……!!」
一瞬目を伏せ、相撲の四股踏の要領で大地に脚を刺し、爆発的な推進力を持って、目の前の壁をすり抜けたのである。
自らを失望させた相手の表情は、清々しいほどに“無”。
(……それが余裕だと言うなら、ついてきなさい!!)
第三コーナーに差し掛かる頃には、展開は先ほどまでの真逆と変わっていた。
「……っ」
迫ってくる観客席を見た瞬間、ユーフォリアは、五人の“最強”を見た。
“シャドーロールの怪物”
“女帝”
“スーパーカー”
“天衣無縫”
そして、その中心に立つは、“皇帝”の異名を戴いたウマ娘。
(あなた方も、私が____)
ユーフォリアはこの瞬間、自分がレースをしていたことを忘れていた。
彼女は、終わっていない勝負を“終わった”と錯覚し、“次”を夢見てしまったのである。
レースは終わってなどいない。
そして、彼女は見誤っていた。
往々にして、世界には“理不尽”が存在する。そんな、簡単な論理を。
勝つのが好き。楽しいから。気持ちいいから。
小さい時からそう。周りの子を引き摺り下ろすのが楽しくて仕方なかった。上に立つのが楽しくて仕方なかった。
全てにおいて負けたことがなかった。それでよかったの。一生勝ち続けるなら、それはそれで楽しいと思えるだろうし。
でも、あなたを見つけてしまって、初めて思ったのよ__
「ッ!?」
第四コーナーに差し掛かった瞬間、彼女は、弾丸が放たれた音を幻聴した。
後ろを振り向く必要もなかった。
何故なら、
「なあっ……!!」
瞬きするごとに、紫色の眼光を湛えた白いウマ娘が、自分の前へ向かって突き進んでいくからである。
負けって、どんな感覚なんだろう。そう考えるようになったのは、あなたに会ってからなのよ。
今まで負けを与え続けた私が、負けを与えられたら。
いや、違う。
負けたくはないの。でも、負けてみたくもある。この感情は、
そう、私は……
「きっ……ひひっ!!!」
触発されたように、ユーフォリアは自身の体が軽くなるのを感じた。
(負ける……!!)
だというのに、彼女の表情は、吊り上がった笑みで、凶悪に歪んでいたのである。
丁度一バ身ほど離されていたのが、急激に縮まり始めた。
「……」
前を行くアレキサンドライトは、紫色の眼光を後方に向けた後、
「すうっ」
ゾクゾクするの。初めて、負けるかもしれないから。
嫌だ、負けたくない。
この矛盾した気持ちは何?
……
__そう。わかった、わかったわ。
離れていく。アレキサンドライトの影は、ユーフォリアの前から、さらに距離を離す。
(わかったぁっ)
「わッ……!!」
その都度、ユーフォリアの速度も加速し、距離を詰めていく。
いや、
「……!?」
アレキサンドライトを、追い越す勢いで。
彼女が並んだユーフォリアを見た瞬間、その表情は、間違いなく驚懼の色に染まったのであった。
(私は、こんな勝負を望んでた!!!)
アレキサンドライトには、隣の小柄なウマ娘が、愉悦に溺れる“悪魔”としか思えなかったのである。
「……」
紫色の瞳に、煌めきが灯った。