カルデアの子供達+αが紫式部の管理する図書館で授業を行っている。
これは定期に行っておる。
意外に人気な科目があってそれは……『日本語』である。
マスターの母国語を知ってより会話をしたい、うっかり失言しないようにしたい等の思惑で受講するものが多い。
バッタモン(祐天上人)が講師であるが……
「今日は日本の古典、俳句と短歌を教えます。
俳句とは季節感を与える季語を含み(有季)、五・七・五の十七音の型で作る(定型)事を基本とする日本の定型詩です。短歌は五・七・五・七・七の五句体の歌体で古いやつは和歌と言われ、薫子殿やなぎこ殿、小野小町殿などがお詳しいでしょう。
季節の情景を表現するのも良いですが、恋の歌を送るのも一興でしょう」
さりげに立花ガチ勢に燃料を投下するバッタモン。
コイツ、平安のレジェンドミュージシャンで貴族(源博雅)なんだが……天徳4年、「天徳四年内裏歌合」に講師として参加、和歌を詠ずる役であったが、天皇の前で緊張し、出されていた歌題とは異なる歌を読んでしまうという失敗をした逸話がある。
真相は平安貴族の間で目立ちすぎるのでこれ以上積み上げると呪詛とか謀略を飛ばしてくるのはわかっているのでワザと失態をして警戒されないようにしたのだ。(呪詛返しに晴明や道満がやりすぎる危険もあったし……)
「リピートアフターミー。
『梅の花一輪咲きても梅は梅』」
「おい……おい!」
バッタモンがイケボでシンプル極まりなくて逆に二重底ないか確認したくなるレベルの底の浅さの歌である。
ネットで交通標語の方がマシとまで言う人間がいるほどだが……
ちなみに超五稜郭の一件で伊東甲子太郎へバッタモンが『やーい、超五稜郭なんてネーミングセンス、土方豊玉並』と挑発したら伊藤は血を吐きながらマジギレしたが。
閑話休題。
歌い手である豊玉さん……もとい土方さんが怒気を孕んだ声で怒鳴る。
ある意味クラスの帰りの会で日記読まれるレベルの吊し上げである。
額に冷や汗をかいている新撰組の斉藤一がバッタモンに声をかける。
「お、和尚さん……その、副長に手心を」
「斉藤君、俳句のルールに沿って初心者にわかりやすい、歴史に残った有名な句を例題にあげているのです」
「確かに、難しい句をいきなり出しても外国のサーヴァントに理解し難いでしょうが……」
「土方さんの趣味って後世にのこったんですねー」
サンナンさんこと同じ新撰組の山南さんは得心した様子で、沖田さんは呑気であった。
沖田の相方ことノッブが爆笑した。
「はっはっは、田舎の人斬りサークルだとこんなもんじゃな!」
「あっはっは、大殿。
若い時の句ならしかたないですが、晩年の句は積み重ねがあって味わい深い見事な辞世の句を出してますよ。
『たとひ身は 蝦夷(えぞ)の島根に 朽ちるとも 魂は東の 君やまもらむ』
この身は蝦夷(北海道)の島根 (箱舘)に朽ち果てたとしても、 魂は江戸の将軍を守るだろう……とね」
「師匠!辞世の句って何ですか?」
「死を前に遺された短文(和歌・俳句・漢詩など)で、生涯最後の句の事です。
明治初期ぐらいまでは続いていますね」
元気に聞いてくる弟子2号ことガレスちゃんに武吉が答える。
生前の彼なら知るわけないのだが、宝具として召喚されるので師匠の知識を共有しているからこそできるのだが。
「参考まで……お猿の兄は『露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢』って唄いましたがね。
露のように生まれ、露のように死んでいく人生で大阪での栄華の日々も、儚い夢のようだったって意味合いですね。
秀長として歌は、『かけて今日 みゆきを松の 藤浪の ゆかりうれしき 花の色かな』。
意味合いは、『兄者、関白就任おめでとう』って感じですね、藤浪ってのは"藤原氏の系統"という意味も含まれているんで関白名乗る際に朝廷に重課金して藤原名乗ったんで。いやぁ、大殿が追放した足利義昭の養子に(無理やり)なって征夷大将軍とかの案もあったんですがねー。
没案で『土に落ち 土に還る 我が身かな 棺覆いて なにはともわれ』とか考えたんですがね」
「ねえ、セイヴァー……前者は史実の辞世の句だけど…(ひそひそ)」
「(ひそひそ)後者はオリジナルですね、いやぁ兄者のネタ潰ししてもあれかなーってね没にしました」(※作者がカップラーメンを作っている間にひねりだしました)
「ねえ、どういういみなの?」
皆の弟、ボイジャーくんが聞いてくる。
それに答えるのは意外な人物だった。
「そりゃアレよ。
秀長の兄貴は百姓として土に塗れていたが、大殿に見出されて天下人の側近になってくたばって墓に入って土に還るわけだ。何はともあれ、天下統一して畳の上で往生できたんだから良い人生だったって意味だな」
バーサーカーではあるが文化人である森長可はその意味を即座に読み取って解説した。
お猿の持ちネタを擦ったまでは予想できまいが。
「小一郎、死ぬ前のセリフが猿おめでとうはあれじゃね?」
「それ言うと、大殿のご子息の信孝殿は
『むかしより主をうつみの野間なればむくいを待てや羽柴筑前』(織田の当主の俺様を殺すとは……おのれ、猿ぅうう!!)なんですが」
「うーん、やっぱ敦盛じゃないとだめじゃな!」
どうでもいいのですが、『あつまれ動物の森』略するあつ森を最初、聞いた時は動物達が燃え盛る森の中で敦盛を舞うの想像してしまったのじゃが。
「カルデアで日本の人が多いですが他にはどんな歌はあるんだ?」
ボイジャー君の相方のエリゼがきいてきたのでバッタモンが紹介していく(脇道にどんどん逸れていく)。
『人間五十年 天下のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり』 のっぶ
(人の一生は50歳かそこらだ。天上界の膨大な時間に比べたら、夢や幻のように儚いものである。
生を受けたものであれば、いつかは滅びるものだ。)
沖田「ノッブにしてはカッコいいですね」
ノッブ「ワシにしてはは余計じゃ!」
「動かねば 闇にへだつや 花と水」沖田総司
(何もしなければ物事は進まず、光や美しさも手に入れられない。
土方歳三の句、「さしむかう心は清き水鏡」への、返歌説もある)
山南「沖田君らしい句ですねえ」
長可「動かなきゃ始まらねえってやつだな、同意するぜ」
「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」武田晴信
(「この世は世相に任せるものだ。その中で自分を見出して死んで行く。見せ掛けで生きてはならない。生きるのは、本音で生きることが一番楽である。)
長尾景虎「へえ、ほーん」(意味深晴信を見る)
晴信「何が言いたい?」
景虎「やりたかったのにできなかった事を歌うものだと」
「極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし」かげとら
(死後の行き先がわからないが、心は晴れやかである)
「四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒」かげとら
(人生は短く、栄華は盃一杯の酒のように儚いもの)
晴信「まさしくお前に駆け抜けた人生そのものだな」
景虎「褒めても塩と酒しか出ませんよ?」
「君が為め尽くす心は水の泡、消えにし後は澄みわたる空」いぞう
(武市先生、貴方に尽くした心も水泡のように消えてしまうけど、最期まで献身を捧げた我が心に汚れはない)
沖田「ダーオカなのに詩的ですよねー」
ダーオカ「なんじゃと!」
龍馬「以蔵さんは僕より賢いよ」
バッタモン「(剣の才能も書文先生が惜しむほどだし、地頭も良い。でも小物ムーヴで良いところをゴミ箱へダンクシュートしてこその以蔵さんかもしれない)」
「利休めはとかく果報のものぞかし菅丞相になると思へば」利休
(私、利休めはつくづく果報者であることよ。菅原道真公のような死を賜わったのだと思えばな!
しかし秀吉公は神仏の裁きの前では完全に罪人である。 秀吉の後生は地獄の責苦で有ろう!!)
バッタモン「まぁうん……それはそれとして利休、そういうとこやぞ」
「罪を斬る 弥陀の剣に かかる身の なにか五つの 障りあるべき」駒姫
(罪を切る弥陀の剣にかかる我が身、どうして成仏できない五つの差し障りなどあるでしょうか、きっと極楽浄土にいけることでしょう)
バッタモン「うちの佐吉と馬鹿兄はとんでもない粗相を……(土下座)」
「おもしろきこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり」高杉晋作
(どんな世の中であっても、結局は自分の心持ち次第で面白くもつまらなくもできる)
高杉社長「実はね、下の句は看病にあたっていた野村望東尼がつけてくれたよ。
死ぬ間際で良い下の句を自力で出せなかったのが悔やまれるよ」
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」吉田松陰
(たとえこの身が朽ち果てようとも、国を思う大和魂は永くとどめておこう)
立花「社長が周回で宝具撃つたびに言うからカルデアの皆が一番知っている歌かもしれない」
こうして、カルデアの面々は日本語について知識を得たのであった。
司馬遼太郎先生の燃えよ剣は何度も読みました。
昼行灯の次に鑑定屋の世界に行くコテハンは……
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Zさん