黄昏の向こう   作:テービット

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2話 結び、紡ぐ

 

「ありがとうございました。こんな遅くまで付き合って頂いて、助かりました」

 

 飛騨古川駅前で降ろして貰った三葉は田村さんに頭を下げた

 田村さんは手を軽く振って、車を発進させた。車のエンジン音は遠く去っていく。

 

「……はぁ」

 

 溜息に吊られて目尻から滲んできた涙を袖で拭った。

 とっくに暗くなっている道を、線路に沿うように歩いて家へ向かう。

 

 三葉達四人家族――彼女と妹の四葉、父の俊樹、そして祖母の一葉――は、岐阜市に移った多くの糸守町民と違って、古川町の公営住宅で暮らしている。糸守町長を勤めていた父が飛騨市長への引継業務を終えるまでは、家族全員で留まることになるだろう。

 

 今の暮らしは悪くはない。

 学校生活で以前から増えた悩み事はと言えば、ずっと一緒だった早耶香や勅使河原に会えない寂しさくらいのものだ。

 古川町に引っ越してきたのは高校二年の晩秋。どこの学校でも来年に迫る大学受験や就職の事で頭がいっぱいで、良くも悪くも転校生に積極的に構う人は居ない。

 三葉にとっても今の学校は腰掛けに過ぎない。大学進学の為か、父の引継ぎ終了が契機になるか。どちらにせよ遠からず他所に引っ越すのだから。

 生活の面でも問題は無い。

 貯金を下ろす為の手続きは滞りなく終えて、思ったよりも高額の補助金も支給されている。千二百年に一度の天災に世界が向ける関心の高さに比して、人数は少ない糸守町民の救援に必要な予算は少額で済むからこそ、大盤振る舞いが出来たようだ。

 故郷が限界集落手前だったお陰で、さしたる不自由なく生活出来る。その皮肉をどう呑み込むべきか。三葉の中で未だに答えは出ない。

 

 この町並みは都会とはお世辞にも呼べないものの、絵に描いたようなザ・ド田舎だった糸守町とは比べ物にならない。

 コンビニは何軒もあって深夜営業しているし、そこそこお洒落なカフェだって、女子高生が行っても恥かしくないサロンだってある。バイト先の候補も色々だ。

 こうやって足元をほとんど気にせず歩けるのも、街灯が石畳の道を照らしているからだ。糸守町の無舗装の山道は夜が更けると真っ暗で、油断すると小石や亀裂によく躓いた。

 単純な暮らし向きだけなら、むしろ被災する前より上向いたかも知れない。

 

 でも――やっぱり足りない。

 

 今の我が家までの帰り道を三葉は独り歩く。

 季節外れの冷たい夜風に吹かれながら、街灯の遥か先、星々が敷き詰められた夜空を見上げる。

 飛騨古川駅傍から見るこの夜空は綺麗だ。

 それでも、糸守の夜空と比べてしまうと、どの星も消えてなくなりそうな程に弱々しく見える。今日思い出した私が偉そうに言えることではないとは思う。でも、はっきりと気付いてしまった。

 糸守で夜空を見上げると、星々の瞬きも大きさがそれぞれ違うのも手にとるように分かった。

 子供の頃は、縁側に座る父や母に抱かれながら夜空を見上げる度に、星空の息遣いが脈打つように伝わってくる、あの温かな感覚を味わったものだった。

 それなのに、故郷の星空があんなにも美しかったことを、今日という日まで忘れていた。

 それが怖くてたまらない。

 いつの間にか、当たり前の光景としか思えなくなって見向きもしなくなって、そのまま忘れ去る。やがて、存在にすら気付けなくなる。

 そういうものは――人は、それこそ星の数ほどあるのではないか。

 

 

**************

 

 

 三葉はパンッと両頬を手で張ってから、玄関の戸を開けた。

 

「姉ちゃんお帰り!」「お帰り、三葉」

 

 四葉と一葉の声が彼女を出迎えた。

 糸守町に住んでいた日本家屋よりもずっと狭いこの家では、四葉の元気な声はやたらめったら良く響く。

 一葉は真新しい組紐の織り機をあちこち弄り、その正面で学校の宿題をやっていた四葉はシャーペンを放り出して三葉に近寄ってきた。

 

「御夕飯はちゃんと食べた?サヤちんとテッシーはどんな感じ?進展ありそうやった?」

 

「うん、車の中でコンビニ弁当を軽くね。あの二人は結構良い雰囲気やったよ」

 

「そっかー良かったな。お姉ちゃん、あの二人のこと応援しとったもんね。あっ!でも、コンビニ弁当じゃ足らんやろ。お姉ちゃん大食漢やもんね。何かちょっと食べとく?簡単な物なら用意したげる」と、四葉は早口で言った。

 

「誰が漢よ。言葉のチョイスがおかしいやろ」

ぽん、と妹の額に軽いツッコミを入れた。

「ご飯はもう遅いしええよ。ところで、お父さんは?」

 

「俊樹からはさっき電話があったわ。今日は夜中の帰宅になりそうだから待たずに寝ててくれとさ」

 

 問いに答えたのは一葉だった。

 

 父とは何年にも渡って別居生活を続けて、その間は三葉と妹と祖母の三人で暮らしていた。

 それが、糸守を離れるにあたって「こんな時に離れ離れになるのは嫌や」と言い出した四葉の切望もあって、三葉達はまた四人で暮らすことにした。

 幼馴染達と離れて暮らす寂しさはあれど、「ありがとう」と一言漏らしながら目を少し潤ませる父を見て、三葉はこれで良かったんだと強く感じた。

 一葉が触っている織り機も、俊樹がプレゼントした物だ。

 前に使っていた品と比べると玩具みたな小ささだ。それでも、半年前までの冷え切った家族関係――特に婿養子の父と祖母の――と糸守の伝統に対する以前の父の姿勢を思い返すと、現状は雪山で氷漬けになっていた動物が息を吹き返すくらいの奇跡だ。

 

 四葉はジャンパーを掛ける姉にずいっと近寄って、

「どうしたん?本当に何も食べなくて大丈夫?」

瞳の奥を覗き込むように見上げながら尋ねた。

 

 三葉は四葉の方を敢えて見ず、替えの服を取り出しながら、

「四葉こそ、もうすぐテストやろ。準備はどうなの?油売ってる場合じゃないやろ。私のことは良いから、あんたはちゃんと勉強しない」

と、突き放すように言った。

 

「そんなの分かっとるよ!ちゃんとやっとるもん」

 

 四葉はそっぽを向いて、テーブルに広げた教科書に向かい直した。

 三葉は胸をちくりと刺す罪悪感を押さえ込んだ。

 

「四葉、お祖母ちゃん。私、お風呂頂くね」

 

 口を開きかけた祖母に背を向けると、二人の視線から逃げるように脱衣所の戸に手をかけた。

 パタンと音を立てて戸を閉め切ると、二人の前では抑えていた溜息がまた零れた。

 四葉のあの瞳を見ると、あの子と同じ年頃だった時の私も気持ちを思い出してしまう。昔、母を亡くしたばかりの父の様子を覗き見た直後、鏡に映っていた私自身のそれとそっくりだ。

 あの頃の父は全てを呪わんばかりに荒み切って、私達を遠ざけ部屋に閉じこもり、碌に食事も摂らずにお酒ばかり口にしていた。

 長く壮絶な闘病生活でやつれていく母親をとても見せられない。

 そう考えて、独りで看病を続けた父が単身抱え込んだ無力感や喪失感は、何も分からない子供達以上に大きかったのだろう。子供心にそれくらいは察せた。

 

 優しかった父が別人のように変わってしまって、ひたすらに怖かった。

 だからこそ、父を放っておいてはいけない。何とかしよう、何とかしてあげたい。

 子供心に誓い、声をかけようとして――

 ――かける言葉が、何一つ思い浮かばなかった。

 

 何とか元気を出して欲しい。気晴らしが出来ることは何か無いだろうか。子供なりに必死に考えて、勇気を振り絞って出てきたのは、「本を読んで」だとか「一緒にお菓子を食べよう」だなんて呑気としか思えない誘い文句だけだった。

 当然、父は応えなかった。

 そんなことが二、三度あった後に、完全に尻込みするようになって父との心の距離は大きく隔てられてしまった。

 幼稚で能天気な子供の戯言と思われても仕方ない言葉をかける当時の私を、追い詰められた父が乱暴に追い払ったりしなかったのは、生来の優しさ故だろう。

 父もまた、子供達を前にして激情をどうにか封じ込める為には、押し黙る以外の接し方が分からなかったに違いない。

 高校生になった三葉だって、あの時どうしたら良かったのか、いまだにまるで思い浮かばないのだから。

 結局、どうやって打ち明けるべきか分からず、解決のしようも無い悩みを人が抱えてしまったなら。

 その時には、他者にはもうどうしようもない。親しい家族であろうと、食べ物や趣味とか他愛も無い話題で水を向けるくらいしか、出来ることは無いんだ。

 

 三葉は汗も何もかもをこすり落とすように入念に体を洗って、湯船の中へと滑り込み、鼻先までお湯に浸かった。前の家より湯船が狭いのもあって、自然と体育座りみたいに丸まる。

 

「どうしよう……どうしたら……何をしたら良いんやろ」

 

 言葉は全て泡になって、すぐさまぶくぶくと弾け飛ぶ。

 湯気と波紋でぼやける三葉の視界の中で、鼻先に向かって突き出る膝が若々しい張りと艶を謳歌するかのように、照明の反射光でテカテカと光る。

 彗星が落ちたあの日についた全身のあざや擦り傷も、今はもうすっかり治って、跡形も無く消えた。

 これこそが若さ。こうして何もかも綺麗さっぱり消える。

 だから、もう気にすることはない。

 過ぎ去った細かいことは忘れなさい。

 無神経なまでの輝きようが、そんなことばかりを喚きたてる空気の読めない調子っ外れのエールに思えて、自分の膝にさえ無性に腹が立つ。

 

 あの日について早耶香や勅使河原に後から聞いた限りでは、「彗星が落ちる」と三葉自身が突然予言か予知夢か分からないことを主張して、住民の避難計画を主導したという。

 必死に何かを叫びながら走り回ったような記憶は朧げにあったから、二人に担がれている訳ではないことは理解出来た。

 それ以外は、全くと言って良いほど身に覚えが無い。

 まともに覚えているのは、糸守湖が今の形へと変わり果てたのを、避難先の糸守高校の校庭で茫然と見届けたところから後のことだけ。

 その時、当日開催される筈だったお祭りのために着飾った町民が集められた校庭に、自分一人だけ汚れきった格好で立ち尽くしていた。

 我に返ったあの瞬間、周りにあるのは見知った顔と見慣れた校庭。

 それなのに、まるで見知らぬ場所に突然放り込まれたような寂しさと寒さに包み込まれた気がした。それは自分にとって、とても大切なことのように思えた。

 そんな感覚さえも、今はもう記憶に成り下がってしまった。

 

 二人が言うには、その一日に限ったことではなく、半年前の夏から三葉の態度はちょくちょく豹変していたそうだ。

 オカルト好きの勅使河原は冗談半分で「狐憑き」とからかい、早耶香は過度のストレスでおかしくなったかと心配していたらしい。

 それでも、三葉自身に思い当たる節がちゃんとあって、自分達に折りを見て相談する素振りだったから、自ら打ち明けるまでは見守る方向で二人は合意していたという。

 勅使河原や早耶香が、「お前はマイケル・ジャクソンの魂を降霊させ見事に踊っていた」だとか「下着の付け方さえ無茶苦茶でとにかく開けっ広げだった」だなんて、下らないことを口を揃えて唱える。

 だから、「一体何のこと?意味わからん冗談はよしてよ」と率直に抗議した。

 途端に二人が青ざめて「本当に狐憑きか」と狼狽えるのを目の当たりにして、ようやく下手な冗談を言ってるのではないと分かった。

 あの二人に限らない。

 騒動の後は、「宮水神社の祭神が乗り移った」とか、「宮水の巫女の神通力」だとかそんなオカルトめいたことを囃し立てる人達も沢山居て、雑誌記者が取材に着たこともあった。

 

 何かが起こっていた。その微かな痕跡だけが散らかっている。

 

 

 この半年間、あの山頂でカタワレ時を迎えるその直前までの光景と感覚が、ふとした拍子に三葉の中で蘇った。

 昔見た夢と実体験が混ぜこぜになっただけの勘違い。そう考えるのが正しいとは思う。

 だって、山頂でカタワレ時を見届けたのは、今日が産まれて初めての筈なのだから。

 

 神事の為に隠し本尊を目指して山道を登ったことは何度もある。祖母に厳しく言われて妹共々本尊までの道のりは頭に叩き込んだ。小学生の四葉でさえ、その気になれば一人で山頂と家を往復出来るだろう。

 ただし、日が落ちた後となると話は別。

 日が落ちれば気温は急に下がり、夜闇に紛れた動物への対処も遅れがちで、危険はぐっと増す。どれだけ慣れようと夜の山で油断は禁物だ。

 本尊に用がある時は、家族全員で赴いて日が高いうちに下山するのが常だった。日が落ちてから山頂に向かうなんて常識的に有り得ない。

 だからこそ、記憶と呼ぶには虚ろながら、夢と片付けるには重く濃く生々しいその幻影は、三葉を困惑させた。

 この浴室を満たす湯気のようだ。絵を描くようにうねって、触れれば掴めそうなくらいにまとまった形を作りかける。それでいて、期待を込めて見守っていると、ふっとゆらいで霧散する。

 

 もしも、もしもだ。

仮に、本当にカタワレ時に山頂に居たことがあったとしたら、それは山の方へ一人で駆けて行ったという、彗星が落ちたあの日に違いない。

 肌寒くなってきた秋の夜に、全身汗と泥に塗れてあちこちにあざや擦り傷切り傷まで作るような場所は、山の中以外は考えられない。

 

 そうやって三葉を弄び続けた幻影が、今日ようやく、ほんの少し像を結んだ。

 

 足に固い振動を突き返すごつごつした岩場。体を芯まで凍えさせるほど風が強く吹きつけるのに、草原の草端や祠を覆う樹の枝葉は沈黙したまま。

周囲の岩場に散らばる残雪は、祠を囲う草原にはその痕跡さえ残っていない。全て溶けて無音の小川へ変わったのだろう。

 記憶の中の体験と同じだった。

山頂に到達したその瞬間から、時間の流れに置き去りにされたような奇妙な感覚に包み込まれた。あの場所から見下ろす瓢箪のような糸守湖にも、疑いようの無い既視感があった。

 

 あの山頂でカタワレ時が訪れる一時を、既に一度経験している。

 それはもう疑いようがない。

 ただ、記憶と違うこともあった。

 

 記憶の中の自分は、あの変わり果てた糸守湖を正視出来なかった。

 目にした瞬間に焦点がぶれて、悪寒が全身の血管を駆け巡り、肺を氷の手で鷲掴みにされたように呼吸さえままならなくなった。

 体は激しく震えて岩場にへたり込み、喉の渇きも肌の感覚も、思考さえも麻痺していく。あのおぞましい感覚はこの身体に生々しく刻まれている。

 

 だけど、今日は違った。

 あの湖と廃墟を冷静に真直ぐ見据えて自分の足でしっかり立ち続けることが出来た。

 理由は分かっている。

 以前に山頂を訪れた時に貰った、大切な何かのお陰だ。

 身も心も凍り付いて周りの石みたいに冷たい塊になってしまいそうだったその時、何かの音――誰かの声?――が、連れ戻してくれた。

 囲炉裏に火をくべるようにして胸の内を熱く焦がして、凍えそうな風なんてものともせず、弾ける火花のように立ち上がる力を与えてくれた。

 金色の絨毯のような雲が広がる空を見降ろしながら、その熱を生み出す何かを求めて必死に盆地の縁を走った。

 

 走って、ぐるぐる走り回って、カタワレ時が訪れようとしたまさにその時――

 そこから先が、何をどうやっても思い出せなかった。今も思い出せない。

 

 

 三葉は右手を思い切り広げた。

 掌の線を左手の指でなぞり、なぞり、色んな模様も指で描いてみる。

 彗星が落ちたあの時から染みついてしまった手癖だ。

 身に刻み込まれた気がするただ一つの痕跡を辿ろうと、編み物を編むように、祈るように、無数の線を一つ一つ描いてみる。

 追い求めたものは見つかったのか、掴み損ねて失ってしなったものが何だったのか、そそも本当にそんなものが在ったのか。

 自分の身に何があったのか、何も無かったのか。

 本当のことを知りたい。

 

 何度も何度もこの仕草を繰り返しても、ただの一度もしっくり来るイメージを紡ぎ出せた試しは無い。ただただ右の掌に疼きが増していく。

 

 

 三葉は水浴びを終えたばかりの犬みたいに首をブンブン振った。髪についた水滴を勢いよく散らかす当人には、くさくさした気分がもたげたままだ。

 

「このままじゃ駄目。何とかしなきゃ」

くぐもった独り言が浴室で虚しく反響する。

 

 この半年、不慣れな避難生活の苦労に加えて、記憶とも夢うつつともとれない幻影を持て余す毎日がずっと続いてきた。胸が塞がって、とても進路選択や受験勉強に臨むモチベーションを作れなかった。

 周りの人達も、誰もが故郷を喪った三葉の境遇に同情して、「受験期だからと無理をするな」とか「今日日一浪くらいは普通だ。焦る必要はない」とか、そんな慰めの言葉をかける。

 

 喪失感と違和感で混乱する日々を送るうちに、三葉は少しずつ惰性と妥協に流されていた。

 もういっそのこと、一年間くらいはずるずるだらだらと暮らしてみようか。

 思えば糸守に居た頃から、私は周りの目を気にして肩肘張って生きてきた。しばらく何もせずに過ごしてもバチは当たらないんじゃないだろうか。誘惑がちらりと頭を過る。

 そんな三葉が眼を覚ましたのは、一週間前。

 岐阜駅の喫茶店で早耶香からもたらされた凶報だった。

 

 再会する前日のことだ。勅使河原との恋が実ったと早耶香から連絡があった。

 長年幼馴染の恋を応援してきたから、くさくさした気分の日々に久々に芽吹いた吉報に、ちょっとだけ心が躍った。

 サヤちんは恥かしがり屋で、すぐに顔を真っ赤にする。惚気っぷりをからかって慌てふためく親友から元気を分けてもらおう。気晴らしの岐阜駅見物も兼ねて、翌日朝に親友と積もる話を交わしに岐阜駅へ向かった。

 

 岐阜駅で三葉を待っていたのは、中学の頃から早耶香と二人で夢見てきた余暇の

過ごし方だった。

 席から半ば身を乗り出し告白の詳細を語る早耶香と、向かいに座り聞き役に回る三葉。お洒落なカフェで、お洒落な音楽を聴きながら友達と談笑して、その合間にキャラメルマキアートとケーキを口に運ぶ。実現出来たら、きっとこれ以上なく幸せに違いない。ずっとそう思ってきた一時だ。

 

 店に入ってから三十分近く経った頃だろうか。三葉は気付いてしまった。

 早耶香のはにかみ笑いに陰がある。

 恋が実った喜びに溢れる笑顔の眩しさに紛れて気付きにくかったのはあるだろう。それでも以前なら、隠し事がヘタクソな彼女が何か悩んでるかどうかくらいは、顔を合わせればすぐに見抜けた。

 嫌な予感を見過ごせずに三葉が問い詰めると、早耶香は歯切れ悪く打ち明けた。

 

「事情聴取!?テッシーのとこに警察が!?」

 

「ちょっ、ちょっと三葉。声大きいって」

 

 自分が半ば叫びながら口走っていたことに三葉が気付いたのは、慌てた早耶香が唇に人差し指を当てて、しーっ!と音を立てた時だった。

 

「私が偶々、おっかないおっちゃん達とテッシーの立ち話を盗み聞きしちゃったから教えてくれたんやけど、本当はご両親以外の誰にも教える気無かったみたい。『言ってもどうしようもないし、俺の問題だから言うな』って釘刺されてたんや」

そこまで早口で言うと、早耶香は項垂れて、

「テッシーは『任意やし、証拠も無いから大丈夫や』って言ってたけど……でも、このまま独りで抱えてると息が出来なくなりそうで」涙声で呟いた。

 

 大災害の後になって知ったことがある。

 公共施設――無人なのが確実視されていたとは言え――を爆破する。その行為に対する刑罰は、人を殺す大罪以上にとりわけ重く扱われるらしい。

 半年前。親友二人と、大体の事情を察した父からこっそり事情を聞かされた三葉は、自分も大それた所業に関わっていた――むしろ自ら計画を立案した――と知って絶句した。

 彗星の落下によって証拠の一切は消え去っているから、勅使河原当人が言うように、多分、彼が逮捕されることは無い。

 けれど、絶対の保証は無い。

 

「宮水神社のこととか、市長だったあんたのお父さんの仕事とか、ウチとは大変さが全然違うのも分かっとる。三葉に言ったって何がどうにもならないのも分かっとるよ。でも、三葉に聞いて貰ったらちょっとは楽になれるかなって」

 

 「ごめん。ごめんね」と鼻声と繰り返す早耶香。

 

三葉は早耶香の震える手を両手で包み込み、首を横に振った。

 

「教えてくれてありがとう、サヤちん」

 

 三葉は頬を叩かれた気がしていた。

 くしゃくしゃな泣き顔の早耶香に謝罪されるくらいなら、カップの中の飲み物を浴びせられて罵られた方がずっとマシだった。

 親友の恋路を何年も前から傍で応援してきた。無事に実ったらどんなお祝いをしようか、ずっと考えてきた。

 その二人が、大変な災害を乗り越えて遂に結ばれようとしているまさにその時に、無惨に引き裂かれるか否かの瀬戸際に晒されている。しかも、その原因の一端は自分にあるかも知れない。

 だと言うのに――

 あの日に本当は何があって、自分が何をしたのか。当事者の自分が大事なことをまるで覚えていない。

 

 早耶香と別れて岐阜駅から帰る道すがら、三葉は悩み、考え、決意した。

 何を失ったのか分からないままくよくよ悩み続けるのが辛過ぎて、悲劇に酔って微睡むように忘れて誤魔化そうとしていた。

 けれどもう、ぐずぐず甘えてちゃいけない。自分の身に何があったのか突き止めなければならない。

 だからこそはるばる糸守の山頂まで行って、夕日に染まる糸守湖と雲海の先に答えを求めた。色んな意味での身の危険は承知の上だったから、尻込みする心を叩き直して退路を断つ為に電話口で早耶香に宣言までした。

 

 そうまでして登った山頂で見つかったのは二つだけ。

 自分の中から零れ落ちた大切な何かが存在したという確信。

 そして、それを探す手掛かりは何一つ無く、他にどこを探せば良いか検討もつかないという事実だけだ。

 

 

**************

 

 

 

 三葉は体当たり気味に中折れ戸を押し開けて浴室を出て、タオルを手に取り、風呂上がりの支度に取り掛かった。

 

「私に何が出来るんやろ」

 

 ぽつりと零れた三葉の呟きは、ドライヤーのモーター音にかき消された。

 淀みなく髪を梳かす櫛とドライヤーの温風は濡れた髪を淡々と乾かしていく。

 

 三葉は唇を噛み締めた。

 私がサヤちんやテッシーにしてあげられることは、多分、無い。

 もしも私に神秘の巫女パワーだとか言ったものが秘められていたとしても、警察が相手では何かの役に立つとは到底思えない。

 それでも。求めた答えは得られなくても、このまま踏み止まってはいられない。

 せめて、私なりにやれる何か、ちゃんとした生き方を見つけなければならない。

 

 今日山頂でカタワレ時に立ち会って、疼く掌がはっきりと告げていた。

 この掌には、何があっても消したくなかった、人生を変えてくれた何かが刻まれていた。

 私が――糸守町の住民達が助かったのは、偶然だとか幸運だとか、まして巫女の勘の賜物や神の加護だとか、そんな安っぽいもののお陰じゃない。断じて違う。

 これから先の人生一生分と同じくらい大切な何かと引き換えにして、皆の命を繋ぎ止めた。

 だから私は、その犠牲にに見合うだけの人生をしっかりと生きなきゃいけない。

 今すぐ出来ることは無いとしても、それならせめて、大切な友達の幸せな時にはちゃんと祝福出来て、苦しい時には辛さを分かち合える。そういう人間になりたい。

 そう在る為には、何をどうして、どこを目指せば良いのだろう――

 

 ともあれ、このまま下着姿で突っ立っていても何の意味は無い。とりあえず服を着よう。いや、その前に髪を結ってまとめよう。

 三葉は気を取り直して組紐を手に取った。

そして、そのまま手の中のそれに意識を吸い込まれた。

 

 やっぱり何度見ても、この組紐も奇妙だ。結構最近になって作った物なのに、もう何年も経ったみたいに所々解れている。まるで使い方が分からない人の所でお世話になっていて、つい最近になってここに戻ってきたみたいだ。

 このボロボロ加減に意味がある気がして、捨てる気も解れを直す気も起きない。

 

 三葉は何の気なしに、編まれ紡がれる組紐をじっくりと観察した。

 ――組紐――”結び”。

 ふと、暁光に似た閃きが三葉の思考を照らした。

 

 そうだ。私にはこれがあった。

 

 組紐。糸守を代表する伝統工芸品にして、日用品としてだけでなく結婚式や成人式といった記念日を彩る”結び”の象徴。

 組紐を通して培われた物作りの技法や色彩感覚は、この手で生み出した贈り物で人と人との"結び"を取りなせる人間へ成長する為の道標に、きっとなってくれる。

 同時に、三葉は考えた。

 残念ながら組紐作りそのものでは、より多くの人々の”結び”を取り持つことは難しいだろう。ただでさえ減った需要の多くを安価な機械製に奪われて久しく、組紐の名産地として知られた糸守のブランドにはもう頼れない以上は、組紐を編んでもまず手に取って貰える機会が皆無に等しい。

 

 今の世の中で、色んな人の人生の大切な記念になるもの。

 人と人を強く結びつけられるもの。それは――

 

「ジュエリー。うん、ジュエリーや!!」

 

 衝動的にスマホを掴み取って、叫び終える前に検索欄への単語入力を終えていた。

 二○一四年度大学受験。美術大学。募集要項。ジュエリーデザイナー……。

 

 スマホに出力された検索結果に一頻り目を通してから、勢いよく脱衣所の引き戸を開け放ち、

「四葉っ!祖母ちゃんっ!私、ジュエリーデザイナーになる!だから東京行くわ!!」

居間に座っていた四葉と一葉に高らかに宣誓した。

 

 四葉は目を白黒させながら身を乗り出した。

「なっ――何?じゅ……えりーって、指輪とかネックレスとかの、あのジュエリー?どういう風の吹き回し?」

 

「全く、藪から棒にこの子は」

正座して一服していた一葉は、コトリと茶碗を置いて、

「話は後で聞いたるから、服くらいちゃんと着ない。婿取り前の娘がはしたない」

ぴしりと窘めた。

 

「そ、そうやよ!お父さんまだ帰ってないけど、もう女所帯やないんやからね!」

 

「あ、うん。そ……そやったね」

二人の叱責を素直に受け取った三葉はそろそろと戸を閉めた。

 

 

 乙女の粗相に対する反省もそこそこに、三葉は興奮を抑えられなかった。

 靄が晴れた。私が成すべき将来の目標が、やっと見つかった。

 幼い頃の思い出が鮮やかに蘇る。

 祖母ちゃんとお母さんが仕上げた組紐を受け取って満面の笑みを浮かべる女性と、その傍らに寄り添って微笑む旦那さんらしき男の人。

 あんな風に、男女の門出を、これから知り合う誰かの想い出の記念になる贈り物を届けて心から祝福する。それを日々の糧に、生きる支えに出来る。

 

 三葉は組紐をぎゅっと握り締めた。

 山頂まで行っても何も得られなかった以上、もう覚悟しなければならない。

 もしかしたら私は、このまま一生、この喪失感を引き摺って生きていくしかないのかも知れない。

 そうだとしても――いや、それなら尚の事、思う。

 探し求めるものが何かさえも分からずにこのまま生涯が閉じてしまうのならば。

 せめて、私の分も他の誰かを幸せして、祝福してあげられる人間になりたい。

 

 

 

 

 

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