きゃいきゃいとはしゃぐお子様組─クレアはぐったりと引きずられている─の鼻に届くなんとも芳しい香り。
いち早く反応したのは勿論ウル。
アメリアとともに引きずり回していたクレアを捨て去り、素早い身のこなしにて着席、待ちきれないとばかりにそわそわしている。
空腹には耐え難い食欲を誘う香りを垂れ流すのは、大皿にこれでもかと盛られた料理。
長い髪の毛を後ろに撫で付けた、なんとも胡散臭そうな男が運んでいる。
ルサルナとアメリアがその顔を見て首をひねるも、押し寄せる堪らない香りに考えがまとまらない様子。
思い出すのを諦め、待ちきれずにがたごとと椅子を揺らすウルを宥め始めた。
ブルはぐったりとしたクレアを椅子に放り投げ、自然な動作でウルを抱き上げ膝の上に乗せて料理を待つ。
その表情ははちきれんばかりの笑顔である。
勿論料理が待ち遠しいのではない。
ウルが可愛くて仕方ないのだ。
老人達が何かの深淵を覗いてしまったかのように固まっている。
固まる老人達を尻目に次々と並んでいく大皿。
ウルはあまりの絶景にそわそわが止まり、代わりにお腹の怪物が泣きわめいている。
良からぬものを見て固まる老人達に使用人が声をかける。
「旦那様、奥様」
「はっ…あ、あぁすまないね…」
「深淵を覗き見た気分だ…助かる、さぁ食べようか」
老人達の言葉に、いつもなら真っ先に飛びかかるウルは固まったまま。
「ウル?もう食べて大丈夫だぞ?」
「ここはてんごく…?」
「はは、ウルの天国は食べ放題か。ほらあーん」
「あむ…んむ、んまぃ!」
∇
大きな机いっぱいに広がっていた料理は綺麗さっぱりなくなり、それぞれが思い思いに寛いでいた。
「よはまんぞくじゃ…もううごけない…」
「ちょっとクレア?また変なこと教えたの?」
「教えたのは絵本だよー」
ブルの膝の上で食後の一時を過ごす幼子、ウル。
膨れ上がった見事なお腹はまるで玉のよう。
ブルがにこにこしながら優しくお腹を突っついている。
「ウルちゃんってほんとよく食べるね」
「お前もすげぇ量食ってたけどな」
「おいしいのがわるい…けぷっ」
玉突きに参戦するのはアメリア。
行儀良くしながらも大量にかっ喰らった隠れた女傑である。
しかしながらそのお腹は膨れ上がってなどいない。
鍛え上げられた腹筋の賜物である。
しれっとクレアも玉突きに参戦し始めたところで、老人達から声がかかる。
「さて…そろそろいいかね」
「あぁそうだな」
「何かするんですか?」
老人達にルサルナが尋ねる。
それに老人達はにやりと笑って返した。
「なに、少しばかりお話しようじゃないか」
「小僧の昔話、とかな」
この言葉が聞こえた瞬間、ブルは迅速に黙らせるために動こうとした。
反射並みの反応速度で飛び出しかけ、しかし何よりも大事なもののために動きを止めた。
瞬きほどの時間の中でブルは考える。
このまま動けば玉みたいになったウルに負担がかかる。
ならまずはクレアかアメリアにウルを預けるべきだ、と。
そうしていつものように素早く、それでいて優しく抱き上げようとして気づく。
話の邪魔をさせないという、直感的なものだろうか。
ウルはブルの服を離すまいと言わんばかりに握っていた。
これがもしクレアやアメリアだったのなら毟り取っていたが、相手はウル。
ブルには迷いが生まれ、その行動にはほんの僅かな空白が発生した。
世の中にはほんの一瞬、たった一呼吸分の時間ですら結果が分かれるものがある。
最終的な結果は変わらず、少しばかりの時間を得るだけだとしても、その得られた時間で変えられるものもあったりするが。
「ききたい!」
ウルのその声が聞こえた瞬間、ブルの敗北はほとんど決定づいた。
「えぇ…私も、とても興味があります」
続くルサルナのなんだかやたらと力強い声。
鬼気迫るといっても過言ではないほど。
「私もすごい気になるなー」
「あ、と…私も…ちょっと…」
ちんちくりん共の意見はブルの耳には入っていない。
「ふふ、悪いけどまずはあたしらが聞きたいね」
「お前らの旅路を聞かせてくれ。老いぼれにはそれが楽しみでしょうがないんだ」
「わたしにまかせて!」
やる気に満ち溢れるウルを止める術はブルにはない。
お腹が重いのか、のそのそとブルの膝から降りるウルを見送り、ブルは諦めから椅子に深く沈み込んだ。
沈み込んだブルを尻目に、ウルはどうやら老人達の隣に陣取るつもりらしい。
既に老人達の隣に居座るルサルナの膝に乗せてもらい、ふふんと胸を張っている。
なにやら自信有りげに胸を張っているが、張った胸よりお腹の方が張っているのはご愛嬌。
「わたしがいちばんにぃとつきあい、つきあい?…がながいから」
言葉の使い方が合っているのかルサルナに目をやり確認するのもご愛嬌である。
「そうかそうか、じゃあウルに任せようかね」
「頼んだぞ、ちびすけ」
「ふふん。まずはやまありたにあり、みんなとのであいをおしえてあげる!」
「順調に語彙力がついているわね。流石だわ」
「私の教育の賜物かなー」
「もー!いまわたしがしゃべってるの!」
話の腰を折られご立腹のウルに平謝りするルサルナとクレア。
また一つ賢くなっていると感動にうち震えるブル。
あわあわとウルを宥めるアメリア。
にこやかに見守る老人達。
ウルの数奇な出会いのお話は、なんともぐだぐだな始まりだった。
∇
「でね、わるいひとがいっぱいきたんだけど、にぃがみんなやっつけたの!」
「解決方法は結局暴力か。おい小僧、ちょっとは頭を使わんか」
「その通りだよブル。聞いてるのかい?」
「うるせぇ…俺は今思い出に浸ってるんだ…」
「なんだこいつ…?」
「…これだけ見ると昔とはまるで別人だね」
ブルは思い出に沈み込み滂沱の涙を流している。
「るぅねぇはにぃがまほうのせんせいによんでくれたの。にぃもすごいけど、るぅねぇもすごい!ちょっとあしぶみしたらおまたにずどん!って!おうちもたいらにしちゃうんだよ!」
「ウル…それはちょっと…」
時折出てくるやらかしにルサルナが頭を抱える。
「くぅねぇはね、りろいってところであったの。くぅねぇもかっこよくて、つよくて、えと、その…いろいろ…いろいろおしえてくれるの」
「ウル!?なんで言い淀むの!?」
「色々…やっぱり根掘り葉掘り聞かないと駄目ね…」
誤魔化しきれないウルに、クレアがまたもや圧をかけられる。
「りあねぇは…りあねぇっていつのまについてきたの?」
「ウルちゃん!?それはあまりにも酷いよ!?」
「えへへ…うそだよ。りあねぇのつくるごはんとってもおいしいよ!」
ちょろっと悪いウルが顔を出し、アメリアが振り回される。
「それでね…それで……」
あっちこっちへ飛び回るウルの話をそれはもう楽しそうに聞いていた老人達だが、残念なことにウルが限界を迎えた。
泣いたり走り回ったりいっぱい食べたりして、その後に長々と話したのだ。
幼いウルは夢現の中、それでも何か話そうとしている。
ブルが割れ物を扱うようにルサルナからウルを抱き上げる。
「ふふ…なんとまぁ、愉快な子じゃないか」
「小僧、良い縁に巡り会えたな」
「うるせぇ…俺は今奇跡を愛でてるんだ…」
「なんだこいつ…?薄々感じていたが…ヤバくないか?」
「なんか駄目な方に振り切ったね…この子は」
命のある限り残念な方向に全力疾走する男である。
老人達の呆れた視線にも動じることはない。
慣れきったルサルナ達も動じることはない。
「まぁいい。ウルも寝ちまったし、今日はお開きにしようじゃないか」
「寝床はそっちに用意してある。好きに使いな」
老人達の言葉にそれぞれが感謝を述べる。
ブルは何一つ反応せずにウルを撫でている。
「ほれ、あんたはさっさとウルを連れていきな」
「うるせぇ…俺は今運命に感謝してるんだ…」
「なんだこいつ…無敵か…?」
「…あたしゃちょいと怖くなってきたよ」
老人達は呆れを通り越し戦慄するが、ルサルナ達にとっては日常である。
慣れた様子で杖を振りかぶるルサルナ。
ごっ、と鈍い音が鳴り響く。
「ブル、感謝するのとウルのより質の良い睡眠、どちらが大事かしら?」
「質の良い睡眠だ、比べるまでもない。爺さん、婆さん、寝床借りるぜ」
「私も寝るー」
「あ、クレアが寝るなら私も。おやすみなさい」
「あ、あぁ…おやすみ」
「こいつらまじか…」
老人達は思った。
類は友を呼ぶのだ、と。
ブルは少しばかりまともになったと思ったが、そうでもないかもしれない。
ぶん殴ったルサルナは勿論、ブルについていった二人も何もなかったかのようだった。
その夜、ぐっすり眠るブル達とは真逆で、老人達はなんだか寝付きが悪かった。